第千三十九話 本部祭(二)
粟津迅は、第七軍団副長である。
魔暦百八十年生まれ、四十二歳の彼は、直属の軍団長である伊佐那美由理だけでなく、全軍団長よりも大先輩といっていい。ただし、そんなものはただの経歴に過ぎず、意味のないものだと自覚してもいる。
戦闘部に長く在籍し、働き続けているというだけのことだ。
無論、それだ並大抵のことではないというのもまた、否定しようのない事実ではあるのだが、そんなことは、どうでもいい。
彼は、美由理が入団するよりずっと前から面識があった。
彼女が星央魔導院入学後、凄まじい速度で頭角を現し、圧倒的な魔法技量を見せつけていく日々を記憶の片隅に焼き付けているくらいである。長年、見守ってきたという自負があった。
そして、美由理が戦団に入り、第七部隊に配属されてからは、戦団の先輩として、同じ第七部隊に所属する仲間として、彼女を迎え入れ、手解きしたものである。
階級が追い抜かれたのは、いつだったか。
もはや遠い過去のように思えるし、だからどうしたと思わないではない。
階級が高いということは、つまり、それだけ実績を積み重ねてきたということであり、魔法士としての力量、導士としての能力が高いということに他ならないのだ。
粟津迅の階級は、煌光級二位。副長の中では必ずしも低いほうではないものの、星将が位する星光級とは大きな差がある。
五年前の大再編の折、自分が軍団長に選ばれなかった理由は、そこにあるのだろう。
それは、いい。
粟津迅は、静かに考える。
自分は、だれかの補佐をしているほうが性に合っていると認識しているからだ。一番上に立つよりも、二番目、三番目くらいの立場にあって、上位の人間を手助けするほうが力を発揮できるらしい。
そのことに気づいたのは、つい最近のことなのだが。
それまでは、多少、野心を秘め、軍団長になれる日を夢見ていたのだが。
いまや、そんな野望の火も消えて失せていた。
だから、というわけではないが、粟津迅は、軍団長の胸中を想像するのである。
頭上、澄み渡る青空が広がっていた。夜中まで降り続いた雪は、水穂市内を雪景色に染め上げるためだけのものだったかのようであり、眩いばかりの太陽光線が、降り積もった雪を少しずつ溶かし始めていた。
冬真っ只中とは思えないくらいの温かさも、昨日までとは大違いだった。
寒暖差で体調を崩すものが現れても不思議ではないが、さすがに導士の中にそのようなものはいまい。
いや、一般市民ですらも、その程度の体調不良など、魔法で瞬く間に治してしまうのが現代社会というものだ。
水穂基地内に溢れかえる市民の様子を見れば、今日のこの日を楽しみにしていたに違いなかったし、寒暖差による体調不良など、どのようにしてでも振り払ってみせるという気概さえ感じられた。
つまりは、熱気が満ちているのだ。
戦団感謝祭は、戦団本部を含む四大基地で開催されるお祭りである。
当然、水穂基地も会場になっており、様々な催し物が基地内の各所で執り行われていた。
正門から基地内の至る所がド派手に飾り立てられていることからも、第七軍団および戦団本部職員の気合いの入りようが窺い知れるというものだろう。
多種多様な立体映像が乱れ飛ぶようにして基地内を彩る様は、目にも眩しいくらいだ。
美由理が目を細めているのは、そういう理由ではないだろうが。
迅は、美由理らとともに水穂基地内を見渡す高所に陣取っており、基地内を散策する市民や、そうした市民を案内したり、様々に交流する第七軍団導士の様子を見守っている。
「本部は、よろしいので?」
「本部には三名もの軍団長がいて、長老たちも勢揃いしている。そこにわたしまで加わるのは、大袈裟にもほどがある」
「新星乱舞には、我らが真星小隊が参加しますぞ」
「……それだが」
美由理が渋い顔をする理由は、わからないではない。
第七軍団から新星乱舞に出場する真星小隊は、美由理とは、深い関わりのある小隊だ。小隊長の皆代幸多が美由理の弟子であり、副隊長と目されている伊佐那義一は弟である。故に、第七軍団の内外で、美由理が真星小隊を特別に目にかけているとまことしやかに噂されているし、必ずしも否定できるものでもなかった。
事実、美由理は、弟子の幸多や義弟の義一に対し、ほかの導士よりも多分に時間を割いている。
だが、それはそういうものだ、と、迅は理解も納得もしている。
そして、美由理のそうした判断が間違いではなかったということは、真星小隊の数々の活躍からも明らかだ。
ほかの小隊が、真星小隊と同等の扱いをされたからといって、同等の戦果を上げられたとは、考えられまい。
「新星乱舞は、ここにいても観戦できる。だが、水穂市民との交流は、ここにいなければできないだろう。感謝祭は年に一度しかない。つぎに第七軍団が水穂市を担当するときには、軍団長が変わっていてもおかしくはないのだ」
美由理は、子供たちが大きく手を振り、声を上げてきたものだから、軽く手を振って応えた。
冷厳なる氷の女帝と呼ばれることも少なくない彼女だが、子供相手には愛想が良いという評判もあったりする。
そんな美由理の横顔には、決然たる意思が見え隠れしていた。
軍団長として在り続けることに意味はない、といわんばかりだ。
己が使命を全うするためであれば、命を賭す覚悟があるのだ。
そして、軍団長ほどの実力を持っていたとしても、いつ命を落としてもおかしくないのが、現実というものなのだ。
だから、迅もそれ以上はなにもいわなかった。
戦団本部の正門は、普段よりも狭く感じられた。
最大限に開放されているはずなのに、だ。
正門周辺からして仰々しいまでに飾り立てられ、様々な立体映像が投影されているだけでなく、凄まじいまでの人集りがあったからだ。
「なるほど!」
蘭が納得と感心の声を上げたのは、人集りの向こう側に巨大な影が見えたからだ。
それは鋼鉄の巨人たちであり、その雄々《おお》しく華々《はなばな》しい立ち姿は、遠目にも迫力があり、力強さを感じさせた。
「クニツイクサか」
「そうみたい」
「今回の本部祭には財団が全面協力していますから」
「そういや、そうだったか」
圭悟は、頭の後ろで腕を組みながら、巨人の騎士たちを見遣っていた。
汎用人型戦術機クニツイクサ。
人型魔導戦術機イクサの後継機であることは疑いようがないそれは、しかし、イクサそのものが見せた禍々《まがまが》しさや異形さは、まったく見受けられなかった。むしろ、英雄的ですらある。
それは先の大戦における活躍を知っているからこそ抱く感想なのだろうが。
ともかく、戦団本部正門前に立ち並ぶ巨人たちは、市民の関心を集めるのに十分すぎるほどの存在感を放っていた。
それらと並んで記念写真を取る人々で溢れかえるのも無理のない話だったし、蘭が早速飛びついていくのも当然の結果だっただろう。
圭悟は、ただその騎士を睨み据えるだけだが。
「クニツイクサとやらは、イクサとは顔つきがまるで違うな」
「そうねえ。イクサは鎧武者って感じだったけど、クニツイクサは騎士って感じだものねえ」
「イクサの悪印象を払拭するための苦肉の策って感じですかね」
「だったらイクサと名付けなければいいと思うんだが」
「それ、正論」
圭悟たちがクニツイクサ付近の行列に近づく途中、不意に聞こえてきた会話は、あまりにも聞き慣れた人物のものだった。そして、その会話の中心人物が、圭悟に声をかけてくる。
「そこを行くは、米田圭悟とその御一行だな」
「なにが御一行なんすか」
「いつもの面々よ」
「……否定しようがないじゃないっすか」
「しなければよい」
「しませんけど」
圭悟は、真弥、紗江子と目線を交わし、それから黒木法子一行と向き合った。蘭は、といえば、クニツイクサに吸い寄せられるかのようにして圭吾たちから離れてしまっているが、心配する必要はあるまい。
法子である。
彼女もまた、いつもの四人で行動しているようだった。
つまり、我孫子雷智、魚住亨梧、北浜怜治たちだ。