第百三話 護法院
どこまでも続くような暗黒空間に、七つの仮面が浮かんでいる。
いずれも動物などを模した仮面だ。
暗澹たる闇の中には光源が存在せず、故にどこまでも深く、どこまでも昏い、絶対に近い暗黒の空間が誕生しているのだ。
そして、闇に浮かぶ仮面は、それそのものが淡い光を発しており、それによってこの空間の中でも、はっきりとその存在を認識できるようになっていた。
ここは、レイラインネットワーク上に構築された幻想空間であり、極一部の例外を除き、仮面の所有者だけが入ることの出来る領域である。
仮面の所有者たちは、護法院と呼ぶ。
戦団の最高意思決定機関といっていい。
「六月末日に会議を持つなど、どういう了見だ」
などとぼやいたのは、竜を模した仮面たる戦団総長・神木神威だ。彼は、居並ぶ同胞たちを見回し、肩を竦めて見せたが、当然、仮面以外見えないのだから伝わるわけもない。
「どうもこうもないでしょう。前回の会議から間が空きすぎていますもの」
竜の仮面を窘めるようにして、麒麟の仮面の女性がいった。動物の麒麟ではない。幻獣の麒麟である。そしてそんな仮面は、副総長の伊佐那麒麟のものだった。麒麟の仮面は、その名から取られたのだ。
「あれからおよそ三ヶ月。その間に起きたことを話し合うのは、我々の責務だろう」
栗鼠の仮面の女が当然とでもいうように、告げる。情報局長・上庄諱だ。彼女が栗鼠の仮面なのは、栗鼠が好きだからという以外に理由がなかった。
「英霊祭に対抗戦……大きな出来事といえば、この二つですね」
鶴の仮面の女がいった。魔法局長・鶴林テラは、その名字から鶴の仮面を選び、つけている。
「英霊祭では、大巡邏中、万世橋付近に幻魔リヴァイアサンが出現したが、これは特に問題ではなかったな」
馬の仮面の男、相馬流陰が英霊祭の夜を思い出しながら、いった。
央都市民で溢れかえる祭りの夜を一瞬混乱に陥れかけた超大型幻魔は、しかし、あっさりと戦団導士たちによって討伐された。被害は少なく、負傷者一人でなかった。リヴァイアサンがもたらした大量の水を被り、風邪を引いた市民がいたという報告があるくらいだ。そして、その程度ならば魔法ですぐに癒えたことだろう。
「問題は、天使型幻魔のほうですね」
指摘したのは、鷺の仮面の女だ。白鷺白亜といい、技術局長を務めている。
天使型幻魔と呼称される幻魔が確認されたのは、リヴァイアサン討伐中のことだ。確認したのは、リヴァイアサン討伐の主力となった輝光級導士皆代統魔であり、彼の記憶を元に再現された映像は、既に情報局や技術局などで解析されている。
それによって判明したことは、天使のような姿をしたそれが、紛れもない幻魔だということだけだ。どのような能力を持っているのかも、霊獣妖鬼竜のどの等級と推定されるのかもわかっていない。
「幻魔は幻魔だ。そこになんら違いはないだろう」
神威が断じるようにいう。
たとえ天使型幻魔がリヴァイアサンに攻撃しようとも、それが人類に敵対しないという意思の表明などと受け取るのは、あまりにも人類に都合の良すぎる考えだった。
幻魔の姿が禍々《まがまが》しい怪物ばかりなのは、そういう風になっていったからであって、突然変異的に天使の姿をした幻魔が発生したところで、なに一つ不思議なことはない。
なにより、鬼級幻魔は、個性的だ。何十という鬼級幻魔が確認されたが、いずれも同じ姿をしていなかった。いずれも人間に似て非なる姿をしており、天使型幻魔のように神々しい姿態をしたものもいた。
「そうだな。幻魔ならば、滅ぼすのみだ」
雀の仮面の女が、神威の言を肯定するように告げた。戦務局長・朱雀院火流羅である。戦闘部長朱雀院火留多の母であり、第十軍団長朱雀院火倶夜の祖母である彼女は、かつては最前線で戦っていた導士でもある。
それは、神威や麒麟にもいえることだが。
「そうとも。天使型幻魔の目的がなんであれ、だ。我々の悲願を邪魔するのであれば、殲滅する。それだけのことだろう。なにも難しく考える必要はない」
神威は、脳裏に浮かんだ天使型幻魔の姿を掻き消すようにして、この話題の終了を告げた。天使型幻魔に関し、これ以上の論議は不要だと、彼は結論づけたのだ。
実際、天使型幻魔の目撃例が一度しかない以上、議論のしようがなかった。記録映像からは天使型幻魔が人類に味方するような動きを見せているようにも思えるし、ただ幻魔同士の争いの結果のようにも感じられる。どちらともいえる以上、人類の味方と判断するのは早計以外のなにものでもない。
そして、そんなことに意味はない。
「では、対抗戦は、どうでしたか? わたしは現地で観戦しておりましたが、過去最高の盛り上がりぶりでしたよ」
麒麟が、対抗戦決勝大会の熱気を思い出したかのような語り口で話題を振った。
「前回の会議で決定した予選免除制度が奏功した、と考えていいだろうな」
とは、諱。とはいえ、得意げに語るわけでもなければ、自分の手柄などとは微塵も思っていなかった。予選免除制度を提案してきたのは、城ノ宮明臣なのだから、当たり前のことではあるが。
「まさかあの天燎高校が優勝するというのは、まったくもって考えられない出来事だったが、面白いものが見られたのは事実だな」
神威は、つい先日の決勝大会を振り返りながら、いった。彼も、対抗戦決勝大会は、全試合を観ている。立場が許すのであれば現地に赴き、観戦したことだろうが、そういうわけにはいかないのが戦団総長の辛いところだった。
「しかし、優勝した天燎から戦闘部への加入を希望したのが、皆代幸多ただ一人というのは、虚しいものだが」
火流羅が、冷厳に、しかし、この場にいる誰もが思っていることをいった。
皆代幸多という希有な存在について、護法院の中で知らないものはいないのだ。
「せめて黒木法子さんも入団してくれればよかったのに」
テラが悲しそうにいうのは、彼女も黒木法子の才能に目を付けていたからだ。
魔法局長である鶴林テラは、優秀な魔法士に関する情報を集めることに余念がなかった。情報局と協力して集めた情報を精査し、そうして選定された市民に対しては、戦務局とともに戦団への勧誘に赴くことすらあった。
しかし、黒木法子は、そうした勧誘を素っ気なく断っている。
優れた才能を持ち、鍛錬と研鑽を怠らないが故に、いまや並外れた魔法技量の持ち主となった黒木法子が戦闘部に加わってくれるのであれば、皆代幸多が戦闘部に入ることも全く気にならなくなるのだが。
無理強いは、できない。
「入団を希望しなかった学生たちについては、なにをいっても仕方があるまい。大事なのは、入団した新人導士たちのほうだ。彼らを鍛え上げ、戦力を増強することにこそ、対抗戦の存在意義がある」
神威は、いった。
黒木法子の才能、実力については、彼も熟知しているが、だからといって入団を望んでいないものにそれを強制することも強要するつもりもなかった。そんなことをしては、戦団が存在する意味がない、とさえ、彼は考えている。
みずからの意志で死地に赴く覚悟のないものを戦場に立たせるのは、あまりにも残酷かつ無駄なことだ。死者を増やすだけの暴挙であり、愚行なのだ。
だからといって、望んで死にに行くことを良しとするつもりもないのだが。
「叢雲高校の草薙真は、第十軍団所属となり、火倶夜と師弟の契りを結んだそうだ。火倶夜は随分と彼に期待しているようだな」
とは、火流羅。孫娘である火倶夜から色々と話を聞いているということが、その口ぶりからもわかる。朱雀院家の仲の良さは、伊佐那家に匹敵するものがあり、そのことはよく取り沙汰されている。そして、伊佐那家と朱雀院家の仲も良かったりする。
「星桜高校の菖蒲坂隆司は、第十二軍団配属。天神高校の金田朝子、御影高校の金田友美はともに第六軍団への配属が決まっています。件の彼、皆代幸多は、第七軍団に配属されただけでなく、伊佐那美由理の弟子となったそうで……」
白鷺白亜が、皆代幸多に関する部分で信じられないとでもいうような声を出したのは、当然のことだった。
伊佐那美由理は、これまで一人として弟子を取ってこなかったのだ。それが彼女の性分であるということは、神威たちも大いに理解するところであり、故に、認めてきたのだが、しかし、突如弟子を取ると言い出しただけでなく、その弟子が皆代幸多だというのが解せなかった。
「美由理軍団長曰く、皆代幸多は魔法不能者で完全無能者なのだから、放っておくわけにはいかない、そんなことをすれば無駄死にするだけだ、とのことですよ。誰も彼を引き受けようとはしない以上、自分が彼の面倒を見る、ともいっておりましたが」
「それは、その通りではあるが」
神威は、麒麟の言に対し、唸るようにいった。
制度上戦闘部に入ることが認められたとはいえ、魔法不能者たる皆代幸多を部下に加えたいものもいなければ、ましてや弟子にしようなどというものはいないというのもまた、当然の帰結だった。道理というほかない。
戦闘部は、幻魔と直接命のやり取りをするのが仕事なのだ。
幻魔災害を鎮圧するため、命を懸けて、戦う。
幻魔は魔法しか通用せず、通常兵器は効果がない怪物なのだ。
そんな怪物との戦闘に、魔法も使えないものを放り込めばどうなるのか、一目瞭然だった。
だから、戦闘部は、戦闘要員としての魔法不能者を必要としていない。
皆代幸多の身体能力の高さは、神威から見ても唸るほどのものだった。だが、それだけでどうにかなるような相手ならば、人類が幻魔に滅ぼされることはなかっただろうし、人類はもっと繁栄していたことだろう。
それこそ、宇宙全域さえも支配し、神の如く君臨していたのではないか。
だが、そうはならなかった。
幻魔が現れ、人類の伸びすぎた鼻っ柱を叩き折ったのだ。
今やこの地上には、幻魔が満ち溢れている。それこそ、数え切れないほどにだ。
央都では幻魔災害が頻発する程度で済んでいるが、央都から一歩でも外に出れば、そこはもはや幻魔の世界なのだ。
かつて人類が領有を主張した地球のどこにも人類の領土はなく、楽園などあろうはずもなかった。
辛うじて、この央都だけが人類生存圏と呼べるような場所だった。
だからこそ、戦団は戦う。
幻魔と戦うために力を欲している。
だというのに、魔法不能者を戦闘要員にするというのは、本末転倒も甚だしい。
故に、皆代幸多が戦闘部に入ることに関して、反対する声も上がった。
彼が対抗戦優勝で得た権利を否定するのではない。
彼の将来を思っての反対だった。
彼のような魔法不能者は、幻魔と戦えば、死ぬだけだ。はっきりと、断言できる。
獣級下位のガルムに苦戦するようなものが、妖級幻魔、鬼級幻魔を相手にまともに戦えるわけがなかった。
しかし、皆代幸多の加入は認められた。
「伊佐那美由理軍団長のお手並み拝見、ということですか」
「そうなるな」
神威は、深く頷くだけだった。美由理の実力は折り紙付きだが、弟子を育成した経験がない上、肝心の初弟子が魔法不能者なのだから、これがどうなるのかは正直なところ、なにひとつわからなかった。
「新人導士たちの活動は、明日から、でしたね。美由理軍団長も張り切っていましたよ」
「そうか……」
麒麟がどこか面白そうにいうのは、彼女にとって最愛の娘である美由理に対する期待が強いからだろう、と、神威は受け止めた。神威も、美由理のことはよく知っている。
それこそ、子供のころからだ。
ふと、思い出したように諱が口を開いた。
「そういえば、彼は故郷に帰っているそうだ」
「故郷?」
「水穂市山辺町。そこが彼――皆代幸多の生まれた街だ」
上庄諱が、情報局長であることを知らしめるように告げた。
情報局の長たる彼女には、新人導士が今どこにいるのかも把握できるのだった。