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第千三十七話 前夜(五)

 寝台に近寄り、顔を覗き込めば、幸多こうたすこやかで無防備すぎる表情だった。

 想像通りであり、当たり前のことだろう。

 ここは幸多の生まれ育った家で、真星しんせい小隊の部下たちと実の母親が同じ屋根の下にいるのだ。安心しきっていても不思議ではない。

 なにより、疲れてもいるはずだ。

 導士どうしの日常は任務と訓練で構成されていて、それをおろそかかにするものはいないと断言していい。

 いくら明日が冬陽祭とうようさいの本番で、新星乱舞しんせいらんぶに真星小隊が出場するとはいえ、だ。

 いや、だからこそ、なのかもしれない。

「今日もお疲れ様だね」

 一二三ひふみは、幸多の寝顔に声をかけ、そのろうをねぎらった。

 導士にとってそれが当たり前の日常なのだとしても、彼らが日夜職務をまっとうしているからこそ、幻魔災害が起きたとしても、その被害が最小限に食い止められているのであり、央都の治安が維持されているのだ。

 この秩序の根幹にして最大の力こそが戦団であり、導士たちなのだ。

 そんな導士の一人に自分がなれるのかという疑問は大いにあるのだが、しかし、幸多たちが奮闘ふんとうしていることを知っているから、そこに自分も並び立ちたい強く願うのだ。

 一二三は、幸多に感謝している。

 幸多のおかげで自分を再認識することができたのであり、この世界に本当の意味で産声うぶごえを上げることができたのだ。

 この感謝の気持ちを言葉で伝えるだけでは、あまりにも物足りないし、満ち足りない。

 命の全てをついやしてでも、幸多の力になりたかった。

 そのためには、これから先、日々、他を圧倒するほどの鍛錬たんれんを積み重ね、研鑽けんさんに打ち込まなくてはならないだろうが、それそのものは問題ではない。

 大事なのは、意思だ。

 何事にもくじけない強い意思こそが、未来を切り開く力になるのだ。

 そう、聞いている。

 幸多の寝顔は、夜の闇の中にある。窓は閉まっていて、カーテンによって外の光が遮断されているため、その表情をよく見ようとすれば、顔を近づけるしかない。

 皆代みなしろ幸多。

 一時期世間を騒がせ、最近になって以前にも増して双界そうかい全土を騒然とさせる特異とくいなる存在。

 魔法不能者の希望たる、完全無能者。

 幽霊に過ぎなかった一二三を認識し、この世界に定着させた無二の存在。

 ああ、と、思わず声が漏れそうになる。

 幸多を見るたびに、一二三の心の奥底から感動が沸き上がってくるのを止められなかったし、こればかりは、当分の間抑えようがないのだろうと確信する。

 幸多が、一二三の命だ。

 大袈裟おおげさかもしれないが、それが全てなのだ。

 だからこそ、より近くで幸多の寝顔を見て、その穏やかで柔らかな寝顔に安堵あんどする。彼が安心していられる環境というのは、素晴らしいものだ。

 そして、どんな夢を見ているのかと想像する。

 平凡でも、優しい夢を見ていて欲しい――そう、一二三が思った瞬間だった。

 目の前に光が満ちた。

「え?」

 一二三は、突如開けた視界と降り注ぐ光の強さに驚き、頭の中が真っ白になった。なにが起こったのか、まるで理解できなかった。

 目の前には、幸多の寝顔があったはずだ。鼻息が届きそうなほどの至近距離だった。

 だが、気がつくと、目の前には赤黒い大地が広がっており、頭上から膨大な光が降り注いでいた。太陽光線だろうが、それにしたって眩しすぎたし、暑すぎた。長時間浴びていると体の芯までき尽くされるのではないかと思ってしまうほどの熱量。

 不意に吹き抜けた風も、熱を帯び、乾いていた。全身から噴き出し始めた汗が、瞬時に乾ききってしまうほどだ。

 大地は、荒廃しきっているだけでなく、どうにもでたらめに見える。壊れ、崩れ、穿たれ、あるいは隆起し、聳え立つ塔の残骸が無数に見受けられ、そこかしこに怪物の死骸が散乱している。

 そして、そんな怪物たちを見下ろしている少年の姿もまた、無数にあった。

 それらの少年たちは、全員同じ背格好どころか、全く同じ姿形をしていた。それも一二三のよく知る人物と同じ容貌ようぼうであり、姿態したいなのだ。

 幸多だ。

 幸多そのものの姿をした少年たちが、この広大な荒野のそこかしこにいて、怪物の、幻魔の死骸を見つめているのである。

「な、なに……?」

 一二三には、なにがなんだかわからず、呆然ぼうぜんとするほかなかった。

 無意識に幽体離脱したことをいいことに、皆代家に忍び込み、幸多の寝顔を見ていたはずだ。すると、突如として幸多だらけの異空間に迷い込んだ。

「これは……夢なのかな?」

 一二三は、思ったことをそのまま言葉にすることで、頭の中の混乱を押さえつけようとした。

 幽体離脱の時点で、夢だったのではないか。

 人造身体じんぞうしんたいを得てからというもの、一度だって幽体離脱が起きたことはなかった。イリアの推察すいさつでは、脳が肉体を認識し、定着することに成功したからなのではないか、ということだったし、それならばそれで良かった。幽体離脱中の自分を認識できるのが幸多しかいない以上、別段、できなくなって困ることはない。

 制御できるのであればともかく、無意識的に発動していたのが一二三の幽体離脱なのだ。

 今回の幽体離脱が全て夢の中の出来事だというのであれば、むしろ安心すら覚えるのだが。

「そう、夢だよ」

 聞き覚えのある声が真後ろから聞こえたものだから、ぎょっとそちらを振り返れば、やはり幸多が立っていた。

「幸多……?」

「これは、幸多の夢。もっとも、幸多が夢として見ることはないだろうけれど」

「幸多の……夢」

 幸多と同じ顔立ちの少年は、しかし、幸多とは違った超然とした表情でこちらを見ていた。真っ黒な頭髪も、褐色の虹彩こうさいも、目鼻立ちも、なにもかもが幸多そのものなのだが、受ける印象が幸多とはまるで違う。

 幸多であって、幸多ではない――そんな感覚。

 だから、一二三は問うた。

「きみは、幸多じゃない?」

「そうだよ。そして、伊佐那いざな一二三。予期せぬ訪問者よ。きみは、ここにいるべきじゃない。ここはぼくたちの領域であって、無関係な他者が入る込む余地なんて、一切ないんだ」

「無関係な他者……」

「まったく、その通りだな」

 不意に、威厳に満ちた、けれどもやはり聞き覚えのある声が、一二三の耳朶じだに突き刺さった。鼓膜こまくを突き破り、脳髄のうずいまでも貫くほどの鋭さがあった。目の前の幸多の表情が微妙に変化するのを見届けるよりも、そちらへと視線を向けたのも、痛みを感じたからだ。

 巨大な太陽が浮かぶ空から、ゆっくりと降りてくる少年がいた。

 その少年もまた、幸多と瓜二つだった。だが、違う。

 違うのは、纏う空気感だけではない。

 この世界にいる幸多たちとは、格好も違っていた。禍々しい漆黒の衣を纏うその姿は、まるで悪魔めいている。

 一二三が思い出したのは、鬼級幻魔サタンのことだ。

 なぜか悪魔たちの王は、幸多と同じ姿で人前に現れるようになっていた。意図も目的もわからない。幸多の姿が気に入ったから、などとは到底考えられないのだが。

「ここに全くの部外者が侵入するなど、あってはならないこと。その点においては、ぼくときみたちとの意見は一致するはずだ」

「そうだね。まったく、その通りだ――」

 幸多に似た顔の持ち主同士の会話が成立すると、一二三が口を出す機会は訪れなかった。

 気がつくと、目の前に幸多の寝顔があったからだ。光に満ちた夢の世界から、暗闇に飲まれた現実世界へ。目の前が真っ暗に染まって、しばらくなにも考えられなかった。

 幽体なのに、冷や汗をかいているような、そんな感覚があった。

 肝が冷えるとはまさにこのことではないか。

「幽体なのにね」

 幸多の顔を見つめながら、ゆっくりと呼吸を整える。それも、意味のない行動だ。幽体なのだ。呼吸の必要性がない。しかし、人造身体を得たことによって、呼吸する必要に迫られただけでなく、癖付けなければならなくなり、実際に無意識に呼吸するようになったのだ。

 その結果、幽体であっても空気を吸いて、吐くようになってしまったわけだ。

 ようやく落ち着くと、彼は考え込んだ。

 この幽体離脱は現実に起こっていることだ。そして、どういうわけか、幸多の意識の奥底、夢の深層へと潜り込んでしまったのだろう。

 幸多の深層意識に、幸多と同じ姿をした少年たちがいることは、いい。それはおそらく、幸多の心の欠片たちであり、一二三がそのように認識しただけのことだろうからだ。

 問題は。

(問題は……)

 なにかとてつもなく重要な問題と遭遇したような気がして考え込んだ一二三だったが、そうしている間に自室の天井を見ていた。

 幽体が肉体に引き戻されたのだ。

 そして、幸多の夢の中で見たこと全てを、忘れてしまった。


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