第百二話 幻想世界の魔法少年(六)
命を落としたことで現実世界への回帰を果たすというのは、どうやら幻想空間を利用した訓練となんら変わらない仕様のようだった。
もっとも、命のやり取りが当たり前にあるゲームである以上、プレイヤーのキャラクターが命を落とす度に現実に回帰するというのは不便極まりないものであるらしく、通常ならば、すぐさまゲームを再開できるようになっている、というような話を幸多は圭悟たちから聞いた。
テストプレイは、その後、二時間ほど行った。
その度に幸多は魔術士を選んだが、幸多以外の面々は、別の職業を選ぶことによって、職業による戦い方の違いなどを楽しんだようだった。
幸多は、魔術士として魔術を使うことの楽しさ、快感をゲームの世界で大いに満喫し、テストプレイが終わることには物凄まじい幸福感に満たされたのだった。
「結局、最初だけだったね、ミュリスが現れたの」
真弥が疲労感を滲ませながらいったのは、テストプレイの合間の休憩中のことだった。
氷の女帝ミュリスの出現は、円マドカを始めとするサークルドリーム社の人達にとっても予期せぬ出来事だったという。
突如、ゲーム内部との連絡が取れなくなってからの一連の出来事は、外部から確認こそ出来ていたものの、一切干渉することが出来なくなっていたというのだ。
そして、マドカたちにも一体何が起こったのかわからないという話だった。
「なにが起こったんだろうな?」
「勝手に美由理様をモデルにしたから、お仕置きされたんじゃ?」
「どうやってだよ」
怜治が菓子を口に放り込みながら、いった。
エターナルウォーシリーズは、レイラインネットワークと繋げることによって、見知らぬ他人と多人数で遊ぶことが可能なゲームだが、今回のテストプレイは、サークルドリーム本社内の閉鎖環境で行われたものだ。レイラインネットワークと繋がっているわけではない以上、外部からの侵入され、操作されたという可能性は考えられず、そうした形跡も見られないのだという。
マドカたちは完全に頭を抱えており、あらゆる箇所の見直しをしなければならないと話し合っていた。どこかに致命的な失敗がなければ、ゲームの中盤に出てくるはずの氷の女帝ミュリスが、あの場に現れることなどありえない、とも彼はいっていた。
そもそも、テストプレイ用のゲームデータには、氷の女帝ミュリスは実装していないはずだ、と、マドカたちは言い合っていた。だれかが勝手に実装したのではないか、と。
しかし、開発者たちの議論に答えは出ず、結局、全てを見直し、洗い出す必要があるという結論に至ったらしい。
「今日のテストプレイが終わったら地獄だよ」
などと、マドカは怜治に言い、肩を竦めた。一方で、そうした致命的な不具合が見つかったことは、テストプレイのおかげであり、そういう意味でも怜治たちが参加してくれたことを感謝してもいた。
感謝したいのはこちらのほうだ、と、幸多は言いたかったし、実際に感謝を述べた。
幸多は、魔法――魔術が使えると言うことがこれほどまでに楽しく、爽快感のあるものだということは、これまでの人生で知ることがなかったのだ。おそらく、怜治に誘われていなかったら、こういうゲームに触れることもなかっただろうし、魔法を使うことを体験するということもなかったのではないか。
もちろん、魔術と魔法は、違う。魔術は、ただ使いたい魔術を唱えるだけでいい。それだけで勝手に発動してくれるし、想像も集中も技量もなにも必要ではないのだ。
その点では、現実の魔法とは大きく異なるものであり、魔術士の魔術をして、現実の魔法を語るのは愚者のすることだろう。
とはいえ、魔術が現実に存在する魔法を元にしているのは疑いようのない事実であり、それ故、幸多が魔術を使うことによって、擬似的に魔法を使うことが出来たということもまた、事実なのだ。
テストプレイを終え、現実に回帰する度、幸多はすぐさまもう一度ゲームの世界に戻り、魔術士になりたいと思ったものだった。
それくらい、楽しかった。
圭悟たちと一緒になって、騒いだりはしゃいだりしながら、魔物を討伐し、冒険する。それだけのことがこの上なく楽しく感じられたのは、気心の知れた友人たちと一緒に遊べたからだろう。
対抗戦部を立ち上げてから三ヶ月近くの間、幸多と友人たちの付き合いの大半は、対抗戦の練習だった。無論、練習以外にも色々と話し合ったり、出かけたりもしたが、やはり練習の時間のほうが圧倒的に多かった。
今回のようにただただ気兼ねなく遊び回るという機会は、あまりなかったのではないか。
それは少しばかり寂しいことのように思えたが、しかし、その結果、優勝することが出来たのだと考えれば、致し方のないことというほかない。
今こうして友達として接し、笑い合い、罵り合い、時には口論に発展しそうになるほどの間柄になれているのであれば、なにもいうことはない。
そんなことを思いながら、幸多は、甘ったるいカフェオレを喉に流し込む。
「ミュリス……あれやっぱりまずいと思うんだよねえ」
「伯父さん、戦団に怒られてから考えるんだとさ」
「それ、いいのかな」
「話題にはなるだろうさ」
「元々話題作なのに、そんなことで話題になる必要あるのかしら」
「そんなの、おれが知るわけねー」
「だろうなあ。大人の考えるこたあ、おれらにゃわからんよなあ」
怜治の意見に珍しく賛同した圭悟は、少しばかり疲れたのか、欠伸を漏らした。
かれこれ数時間、幸多たちはエターナルウォーのテストプレイを行っていた。
幸多にしてみれば全てが初めての出来事であり、なにもかもが楽しく、なにをしても面白かった。体験型のゲームがここまで面白いものだとは、想像だにしておらず、そういう意味でも怜治に感謝した。
怜治は、お詫びとお礼のつもりに幸多たちを招いたはずが、逆に深々と感謝されてしまい、困惑するばかりだった。
しかし、なんともいえない心地よさもあった。
ひとを楽しませること、喜ばせることがこれほどまでに気分の良いことだということについては、対抗戦を経て、気づいてはいた。
だが、だからといって、毎回毎回そんなことができるとは、怜治も思っていなかった。自分のような人間が他人を喜ばせるためになにができるというのか。
暗澹たる気分になったりもしたが、幸多たちがテストプレイを満喫し、全力で楽しんでいる様を見れば、そんなことはどうでもよくなっていった。
六人は、それから数回、テストプレイを行い、終わるころには日が暮れていた。
現実に回帰するなり、伊佐那美由理は、自分がいつになく憮然とした表情になっているのを自覚した。
鉄面皮と言われているほどに表情筋が動かないことで有名だということも把握しているものの、だからといってわざわざ無表情になっているつもりはないのだが、今回ばかりはそうならざるを得なかった。
「これは一体なんのつもりだ?」
「さすがは氷の女帝様ね。氷の女帝役がぴったりだったわよ」
日岡イリアは、美由理の質問を無視するようにして端末を操作した。美由理を機材の外に出すためだ。
美由理がいま入っているのは、幻創調整機と呼ばれる戦団技術局謹製の最新機材だ。さながら金属製の棺のような代物であり、その中に入って全身を固定されているというのは、あまり良い気分ではなかった。しかし、そうしなければ機材を使った調査を行うことができないというのであれば、美由理といえど従うしかない。
室長権限だ。
余程のことがなければ、美由理も反対する理由がない。
棺のような調整機に入り、神経接続を行い、その意識を幻想空間に飛ばされた美由理が見たものは、今考えても馬鹿げていた。
幻想的で神秘的な光景。
そうしたものは、幻想空間上で見慣れたものだ。訓練の際、様々な状況下での戦闘を試すため、多種多様な戦場を用いる。そうした戦場の中には、幻想的な空間も無数に存在する。
美由理の意識が飛ばされたのも、そうした空間のように思えたが、自分の体を見て、明らかにそうではないということがわかった。まず、体が自分のそれではなかった。美由理自身を投影されたものではなかったのだ。
とてつもない違和感の大きさは、その幻想体の巨大さ故だということがすぐに判明する。
対峙する相手が、異様なほどに小さかったからだ。それはこちらが大きすぎるからだと気づくのに時間はかからなかった。十倍以上の身長の差があり、 踏みつけるだけで潰せるだろうと思えたほどだ。
美由理は、その対峙する人物たちに見覚えがあることにも驚いたものだが、なにより驚いたのは、自分自身の姿だ。その姿をはっきりと見ることができたのは、現実に回帰する直前のことであり、それまでは自分が一体どのような姿なのかはわからなかった。ただ巨大だということだけがわかっていた。
現実に回帰する直前、幻想体から意識が離れていく瞬間、美由理は確かに見た。氷の化身の如き、自分によく似た幻想体の姿を。
だから彼女は、愕然とつぶやくのだ
「なんなのだ、あれは……」
「だから、氷の女帝。ミュリスって名前らしいわ」
「氷の女帝ミュリス……」
反芻するようにつぶやきながら、体が解放されていく感覚に安堵する。ようやく鉄の棺桶から抜け出すことができるのだ。調整機の中は、決して狭くはないのだが、閉塞感を覚えるものだった。
身動きが取れないというのも大きい。
そうした状態から解放されたことで、美由理は、大きく伸びをした。
椅子に腰掛け、端末が出力する幻板と睨み合っているイリアの膝の上には、いつの間にやら黒猫が丸くなっていた。イリアの愛猫であり、名をソフィアという。イリアから愛されていることが伝わっているのか、膝の上で安心して寝息を立てている。毛並みの艶やかさは手入れを欠かしていないその証明だろう。
「氷の女帝伊佐那美由理からなんでしょうけど」
「……わざわざそれをわたしに報せるためにこんな手の込んだことをしたのか?」
「まさか」
イリアが苦笑交じりに、続ける。
「それもあるけど、本当の目的はもっと別の所よ」
「あるのか」
「あるけど、ないわよ」
「どっちだ」
「どっちでもいいでしょ。大事なのは、あの場に皆代幸多くんがいたことのほうじゃなくて?」
「なぜそうなる」
「あら、予期せぬ場所で愛弟子に出逢えて嬉しそうにしてたような気がするけど」
「イリア」
美由理は、イリアを真っ直ぐに見据えた。
「冗談よ、そう睨まないでよ。本当に怖いんだから」
「そうさせているのは、どこの誰だ」
「誰かしらね」
イリアは取り合わない。
仕方なく、美由理は話を戻した。
「……で、なにが目的だったんだ?」
「いま、あなたが潜り込んだ場所、どこだかわかる?」
「わかるわけがないだろう。弟子とその友人たちがいたようだが……」
無論、それが本人であるという確証があるわけでもないが、本人でもないものたちが、彼らを模した幻想体を用いる可能性のほうが限りなく低い。本人であると考えるほうが自然だ。
とはいえ、幻想体として送り込む場所も教えてくれなければ、目的も話してくれなかったイリアの考えは、美由理にはまったく理解できないものだった。
無論、イリアは、美由理が幻想体でもって暴れ回っている間にこそ、なにかをしていたにちがいないのだが。
イリアは、語る。
「サークルドリーム社が現在鋭意制作中の体験型ARPGエターナルウォー4、その中に潜り込んでもらったのよ。随分と厳重に隔離していたようだけど、女神様たちには敵わないってことよね」
他人事のようにいってのけるイリアだったが、実際に他人事なのだから、美由理にもなにもいえなかった。
戦団が誇る女神たちの前では、なにもかも無力だ。それは戦団に所属していようといまいと、関係がない。
「あなたの弟子くんとお友達は、たまたまテストプレイに訪れてたみたいね」
「飽くまで偶然と言い張るわけだな」
「必然よ。知ってたもの」
「……イリア」
「情報局はなんでもお見通しなのよ」
「つまり、今回は情報局の依頼で動いたということか」
「というより、情報局と技術局の共同作戦っていったほうが正しいわね」
「共同作戦? それほど重要なことなのか」
「まあ、いまはまだ憶測の段階に過ぎないけれどね。サークルドリーム社が開発したという幻創調整機ドリームステーション、その技術の出所が判明したのよ。どこだと思う?」
「さあな」
突然の出題に美由理は、素っ気なく頭を振った。イリアの突発的な出題はよくあることだが、正解を出したところで良いことなどなにひとつないというのが、美由理の経験則だった。
「天輪技研よ」
イリアの思わぬ発言には、さすがの美由理も眉根を寄せざるを得なくなった。
「……天燎のか」
「そ、天燎財団系列企業。天燎も企業連の一員で、相変わらず戦団を目の敵にしてるでしょ。だから、その動向には常に注意を払っているのよね。そうしたら天輪技研が一ゲーム会社に技術の提供を行っていたことがわかったのよ。それがドリームステーションって呼ばれる、最新型の幻創調整機なんだけど……」
イリアの説明によって、ようやく美由理も得心が行く想いだった。
天輪技研とは、天燎財団系列の一企業だ。魔機の研究や開発を主な業務としており、様々な魔機の開発に携わることによって、天燎財団の一翼を担っている。
天燎財団が急成長を遂げた理由の一つともいわれており、企業連こと央都企業連合においていまや並ぶものがいないほどの権勢を誇っているのも、天輪技研の躍進が大きい。
「なるほど。その幻創調整機の実態を知りたかったわけか」
「そういうことよ。もしドリームステーションが、以前から噂されてる天輪技研の新兵器と関わっているのだとしたら、看過できないでしょう?」
「それはそうだが……」
とはいったものの、ドリームステーションとやらがどのようにして新兵器に活用されるのか、美由理にはまったく想像もつかない。
もっとも、戦団一の頭脳といわれるイリアの思考についていこうとするのが、大間違いなのだが。
そして、美由理は、それ以上なにも聞かなかった。
イリアは、必要以上の情報を寄越さない人間だ。そうである以上、どれだけ食い下がったところでなにひとつ聞き出せないことは、長年の付き合いからわかりきっている。
イリアは、軽薄な口振りの割りには、決して重要機密を漏らすことはなかった。
技術局の室長というイリアの立場を考えれば、当然のことではあるのだが。
「一先ず、今日の調査は終了よ。あなたには時間を取らせてしまったわね。この埋め合わせは必ずするわ」
イリアは、膝の上の愛猫を優しく撫でつけると、その小さな体を抱え上げ、立ち上がった。猫のソフィアは、寝惚けまなこをイリアに向ける。その目には、全幅の信頼が宿っている。
そんな様子を眺める美由理にも、彼女に対する深く強い信頼があった。
「いいさ、別に」
「いいえ、させて頂戴。たまにはじっくりゆっくりお喋りするのも乙なものでしょ」
「ならば、愛も呼ぶべきだな」
「そうね、それがいいわ」
イリアは、ソフィアを抱き抱えたまま、大いに喜んだ。
伊佐那美由理、日岡イリア、そして妻鹿愛の三人は。星央魔導院時代からの親友であり、戦団に入ってからもその付き合いは続いていた。
ただし、いずれもが多忙の身の上であり、三人揃って話し合うことというのは、ほとんどなかった。
たまには、そういう時間を持つのも悪くはない。
美由理は、そんな風に考えながら、イリアに歩み寄り、ソフィアの頭を撫でた。
ソフィアは、一切の警戒心を見せることなく、小さくあくびを漏らしたのだった。