第千二十八話 仲間と(十二)
「イエティは、下位とはいえ妖級幻魔ですよ。それを一個小隊で撃破できたのですから、素晴らしい戦果と称賛しましょう。春花も、夏樹も、わたくしの想像以上の速度で成長しています。本当に、驚嘆に値します」
神木神流の眼差しは、いつだって慈母のようだと評判だった。故に――というわけではないにせよ、それを一因として――第二軍団に所属する導士の大半は、彼女を女神の如く敬い、慕っている。
信仰対象としているものすらいる始末で、その事実には、神流自身が困惑を隠せないようだが、しかし、人々の心の寄りどころとなることが導士としての使命のひとつならば、それもまた受け入れて然るべきなのだろうと考えているようだ。
第二軍団兵舎、軍団長執務室。
部屋の作りからして気品に満ちた空間には、いずれも神流が自ら選んだ調度品の数々が並んでいる。そしてそれらは高級品ばかりではない。神流の趣味趣向が強く反映されており、可愛らしく温かみのあるものばかりだった。
故に、等身大の神木神威立像が悪目立ちしているのだが、そんなことを気にしている神流ではないだろう。むしろ、心の底から尊敬する神威がなによりも目立つ現状に満足してさえいそうである。
神威の隆々《りゅうりゅう》たる巨躯を完全に再現した立像は、迫力も威圧感もたっぷりだ。
さすがに神流の特注品であり、市販されているわけもなければ、一般に流通している代物ではない。
神威に許可を取って作ったというが、許可を取る際に神威が度肝を抜かれたという逸話は、戦団内で有名である。
当たり前だろう。
いくら戦団総長が導士の尊崇を集めているとはいえ、等身大の立像を自室に安置するようなものは、神流以外に一人としていないのだ。あったとしても、立体映像くらいのものではないか。
だから、目立つ。
それが神流にはこの上ない幸福なのかもしれない。
それもあって、この執務室で神流と話し合っていると、神威の立像に見つめられているような感覚に陥ることがあり、緊張感が増幅した。
ただでさえ軍団長に直接報告するだけでも緊張するというのに、総長の視線を擬似的に感じる状況というのは、そう簡単に慣れることではない。
春花は、胸に手を当て、深呼吸をした。
執務机に向かい、演算機を操作する神流の姿は、美しいとしか言い様がない。幻板に流れる無数の文字列を追う目線の鋭さも、表情の柔らかさも、鍵盤を叩く指の動きも、全てが洗練されているような、そんな感覚を受ける。
春花にとっても、神流は憧れの存在なのだ。だから、二人きりになると緊張感が極限にまで高まってしまう。
「どうかしましたか?」
「い、いえ……大したことでは」
「そう。それならばいいのですが……春花、あなたは少し、緊張しているように見えます」
「そ、それは、当然のことかと」
「そう……なのでしょうか。まあ確かに、軍団長を相手にすれば多少なりとも緊張するのは無理からぬことですし、それが悪いことだとはいいませんが」
しかし、神流は、春花のいまにもはち切れんばかりに緊張している様を見て、胸が痛くなるのだ。自分の立ち居振る舞いが、彼女の精神状態に余計な負荷をかけているのではないか。自分の対応次第では、もっと気楽にさせることができるのではないか、と、考えてしまう。
確かに、緊張は必要だ。
心身が弛緩しきった状態では、上手く行くものも上手くいかなくなる。
だが、心身ともに緊張し過ぎれば、なにもかもが悪い方向へと向かいがちだ。
緊張と弛緩、その中間よりは多少緊張に寄っている状態でこそ、己が全力を発揮できるというものだろう。
とはいえ、平時である。
極度の不安症で心配性なきらいがある春花には、軍団長との二人きりの空間というのは、とてつもない負荷がかかる状況なのだろうし、それそのものは、大した問題ではない。ただ、神流の個人的な心情として、彼女のことを案じるだけのことだ。
「もう少し、気を楽にしてくれていいのですよ」
「……は、はい。努力、します……」
「……まあ、よいでしょう。あなたにはあなたのやり方がありますから」
「は、はい……」
固唾を呑んだような表情の春花を見て、神流は、途方に暮れかけた。どうにかして春花の緊張を解きほぐしてあげたいのだが、どうにも良い方法が思いつかない。
しかも、別に神流が彼女を呼びつけたわけではないのに、この緊迫感である。
これでは、神流には手の施しようがない。
「……それで、わたくしに話というのはなんでしょう?」
「そ、それは、ですね。新星乱舞のことで……」
「新星乱舞がどうかしたのですか?」
「ほ、本当にわたしたちで良いんでしょうか?」
「ええ、もちろんです。以前にも伝えたとおり、熟考を重ねるまでもなく、即断即決であなたたちに決まったのですよ。第二軍団から参加させるのならば、式守小隊を置いて他にはない、と」
神流は、緊張感のあまり顔面が蒼白になってしまっている春花をどうにかしてやりたいと思いつつ、穏やかな笑顔を浮かべた。
「わ、わたしは、新星と呼べるほどのものではありませんが……!」
「あなたが輝光級に上がったのは、昨年末のことでしょう。いまをときめく皆代統魔と同時期に輝士となったあなたは、まさにいまをときめく新星以外のなにものでもありません。そして、あなたは今年度に入ってすぐに小隊を組み、実績を積み重ね続けています。式守小隊を選出したことに異論を述べるものは、我が第二軍団には一人としていませんよ」
「そ、それは……そ、そうかもしれませんが……」
だが、しかし、と、春花は食い下がる。
そんな春花の気持ちは、神流にもわからないではない。とはいえ、だ。
「あなたは、二百二年生まれで、今年二十歳になったばかりですよ。旧時代の日本では成人とされた年齢です。つまり、まだまだ若く、幼いとさえいっていい。なにより、戦団において新星と呼ばれるのは、若いからだけではありません」
「若さだけでは……ない」
「ええ。まさにこの混沌たる現世に新たな光をもたらす星々こそ、戦団の新星であり、次代の光明、人類の希望なのですから」
神流は、椅子から腰を上げると、ゆっくりと春花に歩み寄った。
「あなたや夏樹は、新星に相応しい光を放っている。わたくしには見えますよ、その眩いばかりの光が。将来、戦団を背負って立つものの輝きが」
「神流様……」
春花は、神流の瞳を真っ直ぐに見つめた。慈母のような優しさと柔らかさ、そして、地獄のような戦場を潜り抜けてきた歴戦の猛者としての強さがそこにはあった。
全てを委ねても、受け入れ、抱きしめてくれるだろうという確信と、そんな優しさに甘えきってはならないという自制心のせめぎ合いの中、春花は、ようやく安心することができたのだ。
「気合い入ってんなあ、隆司の奴」
「そりゃあまあ、そうでしょ。なんといっても、新星乱舞に選ばれたんですから、ここで気合いを入れないでいつ入れるんだっつー話」
「いつでも入れとけ」
「それはまあ、確かに」
そんな話し声が頭上から聞こえてきたから、菖蒲坂隆司は、魔力を解放した。周囲の廃墟を根こそぎ吹き飛ばし、その残骸に紛れるようにして光刃を飛ばせば、さすがに傍観者気取りの連中も反応せずにはいられない。
飛行魔法で飛び回り、攻撃を回避する。
「なにごちゃごちゃいってるんです! つぎですよ、つぎ! さっさと来やがれってんだ!」
「おーおー、調子に乗りやがって」
「万里彩様に目をかけられてるからって、いい気になってんじゃねえぞ、隆司ぃ!」
四人の魔法が交錯し、高層建築物の乱立する廃墟がものの見事に崩壊していく。ただでさえ崩壊寸前だった廃墟だ。あらゆる建造物が跡形もなく吹き飛ばされ、粉塵が爆風とともに渦を巻く。
幻想空間上に再現された戦場である。
戦っているのは、第十一軍団竜胆小隊の竜胆龍哉、桜井雅人、椿章助、そして菖蒲坂隆司の四人である。
この十二月、第十一軍団は、葦原市の防衛任務に着いている。よって、任務がなければ、戦団本部の総合訓練所に籠もり、激闘を繰り広げることが少なくなかった。
だが、隆司にしてみれば、物足りなさを感じないではない。
なんといっても、隆司は、夏合宿を経験しているのだ。
一ヶ月超、ほとんど休みなしで連日連夜猛特訓に明け暮れたあの日々は、生涯忘れ得ぬものとなるだろうし、隆司の力の源となっている。
あの経験があればこそ、いま、こうしてここにいられるという実感があった。