第千二十七話 仲間と(十一)
葦原市東街区篠原町の住宅街に突如として巻き起こった幻魔災害は、発生地点一帯の家屋を根こそぎ消し飛ばしたことによって、その緊急性を煽りに煽った。
不快で奇怪な避難警報が鳴り響けば、近隣住民は避難所へと駆け出すだけだ。
住宅地である。
住居内にいる場合は、設置が義務付けられている地下扉から地下通路へと出れば、比較的安全に近所の避難所に向かうことができるはずだ。実際、地上を逃げ惑う市民の姿はほとんど見受けられなかった。
央都四市は、幻魔災害に対応するべく、計画的に建造された都市なのだ。市内のどこにでも地下への出入り口があり、そこから避難所まで迷うことなく辿り着けるようになっている。
『下位妖級幻魔イエティの出現を確認! 出現地点付近の導士は、現場に急行し、速やかに対処してください! 繰り返します――』
「イエティだって!」
「妖級だって!」
「聞こえてるよ。隊長」
「ええ、わかってるわ。みんな、気を引き締めてね」
「うん!」
「わかった!」
「もちろん」
弟妹たちの反応を聞き届けたときには、春花は、妖級幻魔イエティの巨躯を視界に収めていた。
全長四メートルはあろうかという巨躯を誇る怪物は、十軒以上の家屋を吹き飛ばしただけでは飽き足らず、周囲の雪を圧縮して積み上げ、自分の居城を作り上げようとしているかのようだった。
イエティ。雪男とも呼ばれる。
下位妖級幻魔に分類される幻魔であり、全長五メートルの巨体を雪のように真っ白な体毛で覆っている。巨人というよりは、巨大な類人猿のようであり、後頭部が肥大しているのが特徴的だ。目が大きく、まるで宝石のように輝いている。紅く、黒く、禍々《まがまが》しく。
巨大な魔素質量が渦巻き、辺り一帯の気温をさらに低下させているのがわかる。
イエティは氷属性を得意とする。
降りしきる雪も、イエティの結界に触れた瞬間に凍り付き、結界をより堅牢なものにするための材料となっている。
「式守小隊、現着。イエティ討伐に当たります」
春花は、情報官に通達すると、法機に跨がった弟妹たちに視線を送った。夏樹は一人で、秋葉と冬芽は一本の法機に二人乗りで飛行しており、春花の目線の意図を理解し、散開する。
こちらの接近を察知したのか、イエティが殺気に満ちた咆哮を発したのも束の間だった。巨大な氷塊が春花を襲い、凄まじい衝撃に目の前が真っ暗になる。一瞬。つぎの瞬間には、全身が激痛を訴えていた。
咆哮こそが真言だったのだ。
「隊長!」
「春花ちゃん!」
「春姉!」
夏樹たちは、春花が氷塊の直撃を受け、法機もろともに地面に叩きつけられる様を目の当たりにして、悲鳴を上げた。
かといって、春花に駆け寄っている場合ではない。
氷塊は、イエティの周囲に無数に浮かんでおり、それらが次々と発射され、間断なく式守小隊を攻め立ててきたのだ。
夏樹は、法機を自在に捌いて氷塊を躱しつつ、律像を形成に意識を集中させた。イエティの目がぎょろりと動いたのは、春花を押し潰したはずの氷塊が持ち上がったからだろう。
一瞥すれば、春花が氷塊を片手で持ち上げていた。その導衣は、氷塊の直撃を受けた部分が破れ、紅く染まっていたが、春花は気にしている様子がない。持ち上げたままの氷塊をイエティに投げ返し、同時に己の傷を癒やす。
「さっすが」
夏樹は姉の実力を絶賛するとともに、飛来した氷塊を回避した。あらぬ方向へと飛んでいった氷塊は、しかし、つぎの瞬間、爆砕し、粉々になった。秋葉の雷撃が撃ち抜いたのだ。
そして、秋葉と冬芽を狙った氷塊はといえば、二人の前に出現した魔法壁に激突し、砕け散っている。冬芽だ。
式守小隊は、隊長の春花が補手を務め、夏樹と秋葉が攻手、冬芽が防手を任されている。いずれも元より得意とする分野であり、姉弟で小隊を組むために無理矢理不得意分野の魔法を使っているわけではない。
そういう意味では、運がいいといっていいのだろうが。
「つぎは、おれかな」
夏樹は、つぎつぎと飛来する氷塊を回避しながらイエティの頭上へと至った。
法機に跨がるのではなく、法機の上に仁王立ちになった夏樹は、律像をさらに先鋭的で破壊的なものへと組み上げていった。
そのとき、突如として響き渡ったイエティの怒号は、攻撃を捌かれ続けていることに対するものなのか。
なんにせよ、その咆哮が巻き起こしたのは、強烈な吹雪であり、破壊力抜群の魔法であることに違いはなかった。
咆哮は、真言。
そして、夏樹もまた、真言を唱えている。
「紅蓮灼火」
周囲一帯の家屋という家屋が吹き飛ぶほどの破壊的な吹雪の中、夏樹は、微動だにしない。なぜならば、夏樹を多重の魔法壁が護っているからだ。
既に多重の魔法壁を展開していた冬芽だけでなく、春花も夏樹を護るために魔法壁を構築しており、それによって夏樹はなんら臆することなく、イエティの頭上に陣取ることができているのだ。
それは、仲間への、姉弟への信頼があればこそできる荒業といっていい。
そして、これほどまでに全幅の信頼を寄せることができるのは、取りも直さず、血を分けた家族だからこそだという確信が、夏樹にはあった。
故に、姉の選択は間違いではないと断言するのだ。
夏樹が翳した両手の先に魔力が凝縮し、眩い光を放った。紅蓮の光は、巨大な熱光線となってイエティの結界を撃ち抜き、その巨体に直撃する。イエティが負けじと吼え立てた。無造作に組み上げられた律像が魔法となって具現し、数多の氷塊が夏樹を襲う。だが、その氷塊の尽くが、雷光そのものとなって戦場を駆け巡る秋葉によって粉砕されていくのである。
猛吹雪は、春花と冬芽が、氷塊は秋葉が、それぞれ無力化されるのだ。
そして、式守小隊最大火力を誇る夏樹が、その力の全てをイエティに注いでいく。
熱光線が、周囲一帯の冷気を火気へと変え、巻き込むようにして膨張すると、イエティの分厚い体毛を焼き払い、魔晶体を貫通した。
下位とはいえ、妖級幻魔である。
その魔晶体の頑強さたるや、並の攻型魔法では傷つけることすら難しい。
だが、夏樹は、イエティの魔晶体を捉え、貫き、頭の中の魔晶核を傷つけて見せたのだ。イエティが絶叫とともに飛び上がり、熱光線から逃れて見せると、空中に氷の足場を作った。
その巨体からは想像できないほどの俊敏さは、しかし、相手が幻魔ならば想定しておかなければならない程度のものに過ぎない。
当然、夏樹も把握していたし、想像してもいた。夏樹だけではない。式守小隊の全員が、だ。
空中に逃げたイエティは、焼けただれた頭部を速やかに修復しつつ、無数の氷塊を生み出そうとした。だが、それを見届ける式守小隊ではない。
「雷皇千手衝!」
秋葉から伸びた無数の雷光の帯が、全ての氷塊に巻き付き、その動きを封じ込めると、地上から飛来した氷塊がイエティの足場に直撃、粉砕した。
春花が氷塊を投げ返したのだ。
イエティは、全く予期していなかったのだろう。足場を破壊され、地上へと真っ逆さまに落ちていった雪男は、夏樹が放つ熱光線の射線に入り込んだ。イエティの魔晶核は頭部。人間でいう脳の中枢に位置している。
夏樹は、両手を動かして、熱光線の射線を微調整すると、頭部に集中させた。熱光線が修復されたばかりの頭部を貫き、魔晶核へと到達する。
そして、イエティが断末魔の叫びを上げたのは、数秒後のことだった。
イエティの魔法が解けて消え、生命力を失った巨躯が音を立てて崩れ落ちる。
夏樹は、全身から大量の汗が噴き出すのと同時に、とてつもない消耗と疲労感に襲われた。
相手は、妖級幻魔。
魔晶核一点狙いとはいえ、魔晶体ごと撃ち抜くというのは生半可なことではない。飛行魔法の制御も困難になり、ふらつき始めたが、なんら心配する必要はなかった。
「夏兄!」
「ほらな」
「なにが!?」
法機から落下したところを秋葉に受け止められ、夏樹が満足げに微笑んだ。秋葉には、理解できないのだが。
もちろん、兄の魔法技量の凄まじさには驚嘆するし、感動すらしているのだが、それはそれとして、夏樹は不思議なところがある。考えていることがまるでわからないのだ。
「こちら式守小隊。イエティの撃滅、完了しました」
『さすがは式守小隊! 妖級幻魔もお手の物ですね! すぐに幻災隊を向かわせますので、しばらくお待ちください!』
情報官の声が興奮気味で上擦っていたのは、妖級幻魔がそれほどまでの相手だからにほかならない。
下位妖級幻魔とはいえ、一小隊で斃しきるというのは、相当な戦果だ。
春花は、大きく息を吐くと、弟妹たちを見回した。上空から夏樹を抱えた秋葉が降ってくれば、冬芽も法機から飛び降りてくる。
「みんな無事でなによりよ」
「一番怪我してるの、春ちゃんだもんね」
「全くよ。不意打ちなんて卑怯だわ」
最初の攻撃でズタボロになった導衣は、周囲の冷気を肌に染みこませるようであり、だからこそ余計に肌寒いのだと理解すると、春花は小さく肩を竦めた。
戦闘に集中しすぎて、導衣を着替えるのも忘れていたのだ。