第千二十一話 仲間と(五)
視界を埋め尽くすのは、戦場の風景。
数多の導士と、無数の幻魔が激闘を繰り広げる大戦のただ中に、統魔の意識は在った。
幻想空間上に再現された、過去の戦場。
それもつい最近の大規模戦闘――西方境界防壁防衛戦の様子である。
西方境界防壁の楼門に彼はあり、前方、遥か彼方に至る地上から空中を塗り潰す、どす黒い幻魔の大群を見つめていた。
この戦場は、自動戦場撮影機ヤタガラスや、導衣が自動的に記録した膨大な情報を元に、ユグドラシル・システムによって完璧に近く再現されたものだ。
幻魔は無論のこと、導士一人一人に至るまで、だ。
ただし、再現された導士たちは本人の姿をしておらず、システムが作り上げた幻想体に置き換えられている。
幻創機の負荷を軽減するためだという一方で、戦場再現を利用して訓練をすることも少なくない導士たちに配慮しているのではないかもいわれている。
戦場には、死が溢れている。
もし仮に導士たちまでも完璧に再現するのであれば、その戦場で死んだ導士たちも再現することになるだろうし、その死に様を目の当たりにすることになるかもしれない。また、判断を誤った導士が浮き彫りとなり、責任を追求するものが現れないとも限らない。
であれば、導士たちを再現するのではなく、人形のような幻想体に置き換えたほうが遥かにマシだという考え方もできる。
「いつ見ても気味悪いよね」
「なにがだ?」
「戦場再現の導士ってさ、生気もないし、泥人形みたいじゃない」
「ふむ。しかし、本人そのものが再現されるのも、それはそれで気持ちが悪いかも知れんぞ」
「……まあ、そうかも」
ルナと枝連の会話を聞き流しながら、統魔は、腕組みをする。
戦場は、既に激しく動いている。
戦団側約三千名の大戦力に対するは、オロバス・エロス連合軍およそ四百万の超大戦力だ。戦力差だけでいえば圧倒的に幻魔側の有利であり、正面からぶつかり合えば、戦団に勝ち目はない。
星将や杖長たち、星象現界の使い手が全力を注いだとしても、正面からぶつかり合うだけでは力負けし、敗北必至だろう。
それでも、勝った。
辛くも、というべき勝利だった。
戦団側は三百名以上の死者を出した。それで数百万の大群を撃退し、二体の鬼級幻魔を討滅、地上から二つの〈殻〉を消し去ったのだから、歴史的な大勝利といっても言い過ぎではない。
だが。
「それで……なにが気になるんだ?」
枝連は、統魔を横目に見た。
巡回任務を終え、長城拠点に戻ってくるなり、統魔は、幻想訓練室に直行した。ルナも枝連も付き合う必要はなかったが、なんとはなしに同行し、彼が選択した戦場へと乗り込めば、この光景が待ち受けていたのだ。
統魔は、気になることがある、といっていた。
それがなんなのか、枝連は知りたい。知らなければならない。
「戦場のこと? それとも、別のこと?」
「戦場は、どうでもいいんだ」
「じゃあなんでよー」
ルナが不服そうに頬を膨らませたのは、この戦場があまり気分の良いものでもないからだ。統魔が死にかけたというだけで、ルナの中では最低最悪の戦場になる。
「なんとなく」
「だったら、わたしたちとの訓練でも良かったじゃない」
「そうだな。そうかもな」
こちらの意見を静かに肯定しつつも、統魔の目は真っ直ぐに彼方を見据えていた。その眼差しは、いつになく鋭い。紅く黒い、けれども透明な瞳。その眼力の凄まじさは、彼の意識が戦場に在るのだということを思い知らせるようだ。
統魔は、この戦場に想いを馳せている。
どうでもいいというのは、きっと、本心ではあるまい。
この戦いにおける自分の活躍に不満を持っているのではないか、と、ルナは想像する。
最終的には意識を失ったまま、終戦を迎えているのだ。
統魔がいなければ、もっと悲惨な結果に終わっていたのは疑いようのない事実なのだが、しかし、そんなことをいってもなんの慰めにもならないことは、ルナもよく理解している。
彼の部下になって、四ヶ月が経過した。
彼のひととなりは、以前の、ただのファンだった頃とは比較にならないほどには理解できている。
不意に、統魔の周囲に複雑な紋様が浮かび上がった。大気中の魔素に投影された魔力の形。魔法の設計図。律像。無数に出現し、精緻にして複雑怪奇な図形を組み上げ、幾重にも重なり合いながら、無限に変化していく。
一瞬のうちに、だ。
さながら星々が瞬くように。
ルナも枝連も気圧されるような感化kになったのは、その律像の持つ力の強大さを理解しているからだ。
「万神殿」
統魔が真言を発すれば、律像の描き出していた通りの魔法が、星象現界・万神殿が発動した。
統魔の全身から黄金色の光が爆発的に膨れ上がったかと思えば、導衣そのものが変化するかのようにして、金色の衣が彼の体を包み込んだ。神々しくも幻想的な星装は、その背後に光の輪を出現させることによって完成する。
光の輪は、中心から放射状に光線が伸びており、それら光線の一本一本に強大な力が秘められていることは確認するまでもない。
統魔の全身に漲るのは、星神力だ。魔素を練り上げた魔力をさらに凝縮し、昇華した状態のことを、そう呼ぶ。
星神力。
あるいは、アストラル・エーテル。
統魔の全身から周囲に波及する星神力の波動は、強力無比にして圧倒的であり、枝連は思わず息を呑み、ルナはただただ見惚れた。
万神殿を発動している最中の統魔は、神話の存在のような完璧な美しさを誇る――とは、ルナの意見だが。
そして。
「やっぱり、そうか」
統魔は、己の両手を見つめ、胸元を、腹を、そして足を見て、確信したのだった。
「なにがやっぱりなの?」
「変わってる」
統魔は、全身を覆う星装の細部に至るまで確認するように視線を巡らせながら、いった。
「変わってる?」
「なにがだ?」
「星象現界が、さ」
統魔は、星装の意匠が全体的に微妙ながらも確実に変化していることを認めると、全身に満ちる星神力の質量そのものが増大していることも感じ取っていた。星象現界の発動に伴う能力の拡張もまた、以前とは比較にならないものになっている。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚――あらゆる感覚が膨張し、鋭敏化しているのだ。
遥か遠方で起こっている魔法の爆発を肌感覚で理解できるほどに。
「おれにはよくわからんが……」
「わたしには、わかるよ。うん、確かに細部のデザインが変わってるね。前までは、もう少し単純だったもの」
「よく覚えているな」
「だって、統魔のことだよ。忘れるわけないじゃない」
「そ、そうか」
当然のことのように断言してくるルナには、枝連もそういう以外にはない。
統魔の星装は、これまで散々に見た。
統魔の星象現界は、三種統合型とも呼ばれる規格外にして特別製である。星装を纏うだけでなく、複数体の星霊を同時に具現し、さらにそれら星霊を星装として他者に貸与できるのだ。
そして、星装を貸与されれば、星象現界の使い手とまではいかずとも、圧倒的な力を発揮できるようになるのだから、皆代小隊の面々は、統魔の星象現界に慣れる必要があった。
統魔が万神殿を習熟する必要があるように、枝連たちもまた、星装の使い方に慣れなければならず、統魔と訓練をともにし、その星装を数え切れないほどに見てきていた。
だから、星装そのものには見慣れているのだが、とはいえ、意匠の差違に気づけるほど完璧に覚えているというわけではなかった。
「棘の数も多いね?」
「棘……」
ルナが統魔の背後に注目してきたので、彼は光輪を目の前に移動させた。
以前の光輪は、全部で十二本の光線が放射状に伸びていた。それぞれが星霊であり、星装へと変化する能力を持っているという優れものなのだが、数えてみると、確かに十五本に増えていた。