第百一話 幻想世界の魔法少年(五)
「ありゃあ確かに美由理様そっくりだな」
圭悟が唸るようにいったのは、幸多の反応を受けてからのことだった。その容姿が遠目にもはっきりとわかるくらいなのは、これが現実ではないからだろう。
ゲームの世界だからこそ、遠方のものもはっきりと視認できる。
無論、その対象の大きさがあってこそではあるのだが。
つまり、氷の女神のようなそれが”なり損ない“のように巨大だということだ。
「これ、肖像権とかそういうので訴えられたりしないのかな?」
「訴えられたら負けるだろ、たぶん」
「そうなったら戦団に勝てるわけがないよ」
「氷の女帝ミュリスだ」
「え?」
真弥の素朴な疑問から始まった言い合いに突如割り込むようにして告げたのは、怜治だった。きょとんとした顔を真弥が向けると、彼はさらに続けて言った。
「だから、氷の女帝ミュリスだって。設定画だけ見せてもらったんだよ。その設定画は、美由理様の写真集を元にしたものだったが」
「完全に狙ってやってるじゃねえか」
「戦団に怒られても知らないよ」
「さすがに話は通してると思うんだが……」
怜治が自信なさそうにいう。ここまで本人そっくりに似せている以上、許可を取っていないとは考えにくいと考えたくなるのもわからなくはない。普通はそうするだろうからだ。
しかし、だ。
「通るかなあ、こんな話」
「皆代はなにか聞いてねえのかよ」
「聞いてるわけないでしょ、弟子になったのつい最近だし、まだ訓練すら始まってないっていうのに」
「そりゃそうか」
「どうなんだよ、伯父さん?」
怜治が天に向かって問いかけたのは、円マドカたちサークルドリーム社の人間がこの様子を見ているはずだからだ。でなければ、さっきまでのような適切な案内や対応ができるわけもない。会話にもなっていた。
が。
「ってあれ、反応がねえな」
「さっき、突然途切れたみたいだったけど、向こうでなにかあったのかな?」
「おいおい、冗談じゃねえぞ。おれらこのままこっちの世界に取り残されるんじゃねえだろうな」
「ええ!? そんなの困るわよ!?」
「ああ、安心しろよ。プレイヤーの意思で現実に回帰する方法は、ちゃんとある。いままでもそうだっただろ?」
「あ、ああ、そういや、そうだったな」
「米田くんは早とちりだね」
「お、おう……」
蘭がやれやれと肩を竦めて見せると、圭悟は、なにも言い返せないといわんばかりに苦い顔をした。
そんな友人たちの会話はともかくとして、幸多は、氷の女帝ミュリスとやらを見つめていた。見れば見るほど、伊佐那美由理そっくりだった。
幸多は、圭悟たちには明かしこそしていないものの、昔から美由理の熱烈なファンだった。信奉者といってもいい。美由理の氷のように美しいとされる顔も、何度となく、数え切れないほどに見ている。本人と直接会って話した時間は少ないものの、そのときもじっと見つめ続けたものだった。
それだけ見ている以上、幸多が美由理と別の人間の顔を見間違えるわけもない。
ミュリスのその姿は、美由理自身がそのような仮装をしているようにしか見えないほどだった。
皆が、この事実を知った戦団がサークルドリーム社に抗議する可能性を考えるのも当然だ。
「それで……あれはどうするのかな?」
「戦うか?」
圭悟が大斧を持ち上げながらいってきたが、幸多はなぜだか必要以上に畏れ多くなった。
「師匠と?」
「美由理様じゃねえだろ。氷の女帝ミュリスだよ」
「ほぼほぼ師匠なんだけど」
「だったらなおさら戦えよ。師匠を乗り越えるのが、弟子の務めだろ」
「そういうのってさ、もっと鍛えてもらってからだと思うんだよね」
「どうでもいいから戦えよ、おまえら。相手は待ってくれねえぞ!」
不意に悲痛な叫びを上げたのは、怜治だった。
既に氷の女帝ミュリスが動き始めていたのだ。さきほどまで上空からこちらを睥睨しているようだった女神染みた巨人は、静かに、音を立てることもなく近づいてきたのだ。
空を浮かび、悠然と進軍してくる。
まさに進軍だった。
ミュリスの進軍に合わせ、その進路上にあるもの全てが瞬く間に凍り付いていく。大地が氷に覆われて地形そのものが変質し、氷原とでもいうべき風景へと様変わりしていった。その有り様は、神の御業を見せつけられているような、そんな感覚さえ抱く。
ミュリスの周囲には冷気が渦巻き、それはさながら吹雪となって吹き荒んでいる。大気を凍てつかせ、轟々と音を立てていた。近づくだけでも氷漬けにされるのではないかと思えるほど猛然たる冷気。だ
「すげえ!」
「感心してる場合じゃねえだろ!」
怜治が圭悟を非難する中、真っ先に飛び出したのは蘭だ。漆黒の甲冑を身に纏う彼は、巨大な女神に向かって敢然と立ち向かう勇者のようだった。
「蘭くん!」
幸多は思わず叫んだのは、あまりにも現実離れした光景だというのにも関わらず、脳内を現実感が席巻していたからにほかならない。ゲームの中、幻想空間の中だと言うことをつい忘れてしまう。それほどの没入感は、神経接続の影響に違いない。
ミュリスが、迫り来る黒き侍に向かって、右手を掲げる。銀色の装飾品に彩られたしなやかに長い腕、その綺麗な手の先に冷気が凝縮し、複数の氷塊が誕生する。
研ぎ澄まされた氷塊は、瞬時に解き放たれ、蘭に向かって殺到した。蘭が吼え、大刀を振り回す。侍の周囲に無数の太刀筋が走ると、全ての氷塊を打ち砕いた。無数の氷の破片が、輝きながら散っていく。
「でかした!」
圭悟が褒めながら、蘭に続く。怜治もだ。二人の狂戦士がほとんど同時に飛び出し、ミュリスの巨躯に向かって跳躍した。
ミュリスは、幸多たちの十倍はあろうかという巨体だということが、距離が近くなったことではっきりとわかったのだ。
さっきまで戦っていた“なり損ない”とは比較にならない巨大さであり、接近すると、その巨大さだけで圧迫感を覚えるほどだった。
狂戦士たちがその巨躯に向かって飛びかかったのは、そのほうが大打撃を与えられるからに違いない。
「超力祝法!」
紗江子が法術を唱え、前衛の仲間たちを支援する。その法術は、一定範囲内の味方の攻撃力を一時的に向上させるというものであり、法術士が積極的に採用される一因だ。
法術士は、回復のみならず、支援や補助に関する能力にも長けていた。
攻撃一辺倒の魔術士とは、その点が大きく異なる。
「うおおおおお!」
「だらあああああ!」
怜治と圭悟がミュリスに武器を叩きつけようとした瞬間、氷の女帝は左手を掲げた。猛然と突っ込んでいく二人の眼前に氷の盾が出現し、その強烈な一撃を受け止めて見せる。
「うお!?」
「まじかよ!?」
二人して攻撃を防がれ、空中から吹き飛ばされていった。
そこへ間髪を容れず攻撃を行ったのは、女忍者だ。いつの間にか二人よりも遥かに高く跳躍していた真弥が、上空から巨大な手裏剣を無数に投げつけたのだ。
「忍法、手裏剣乱舞!」
真弥の口上とともに無数の手裏剣がミュリスに襲いかかる。だが、ミュリスの反応は、早い。どこからともなく出現した氷の壁が、無数の手裏剣を受け止めきったのだ。
「これでも!?」
「だった、これでどうだ! 神火轟爆陣!」
幸多が唱えた魔術は、現状使うことのできる最高威力の火属性魔術だ。
ミュリスを中心として収束した火気が、閃光とともに大爆発を引き起こし、さらに紅蓮の火柱となって立ち上り、荒れ狂う。ミュリスの巨躯そのものを飲み込むほどの爆発と火柱は、幸多が想像した以上のものだった。
そして、想定以上の脱力感に苛まれ、幸多は、立っているのがやっとだった。
「やった!?」
「それ、負けフラグ!」
「だよな!」
圭悟たちのそんなやり取りを聞きながら、幸多は、爆煙が急激に凍り付いていく異常な光景を目の当たりにする。
かつて、幸多は、燃え盛る炎が凍り付いていく異様な光景を目にしたことがあった。それは、魔法学上であれば、なんら不思議ではない光景だ。万物に魔素が宿り、その魔素に変化をもたらした結果が魔法である以上、魔法の炎が氷漬けになったとしても、なにひとつおかしくはない。
しかし、それができるのはほんの一握りの、極めて優れた魔法士だけだということもまた、絶対的な事実だった。
もっとも、それは現実世界の話であり、このゲームの、エターナルウォーの世界でとはまったく関係のないことなのだが。
しかし、幸多の脳裏に浮かんだ光景と、いままさに見ている現象が似ていると感じるのは、無理からぬことだったのではないか。
魔術が巻き起こした爆発も火柱も爆煙もなにもかもが凍てつき、氷漬けになって、砕け散った。
そして、氷の女帝ミュリスが、美しくも妖艶な美貌を幸多たちの前に見せつけると、強大な神の力を発揮した。
強烈な吹雪が猛然と吹き荒れ、周囲の地中からは無数の氷柱が立ち上り、天も地も絶対的な冷気の檻の中に閉じ込められたのだ。
そして、幸多たちは、氷漬けになって敗れ去った。