第千十八話 仲間と(二)
「全部、野良のようだな」
枝連は、幻魔ヴィゾーヴニルの死骸を足で転がしながら、告げた。その焼け焦げた魔晶体のどこにも殻印が刻まれていない。
殻印は、〈殻〉への通行許可証であると同時に殻主への忠誠の証でもあるため、目立つ場所にあるのが普通だ。
よって、野良かどうかの判別は、簡単なのである。
皆代小隊が遭遇した幻魔の群れは、下位獣級幻魔ヴィゾーヴニルの群れだった。
ヴィゾーヴニルは、光り輝く雌鶏にも似た姿をした幻魔であり、飛行型とも呼ばれている。魔法を使わない純粋な飛行能力を持っているからである。
幻魔は、等級による分類以外にも、陸走型と飛行型、そして水棲型という能力に応じた分類もなされている。
陸走型は、その呼称の通り、主に陸上を走行し、移動する。が、幻魔は、生粋の魔法生命体であるが故に、飛行魔法を駆使することもあり得ないことではない。
水棲型もまた、その呼び名の通り、水中を移動し、水中を主戦場とするが、やはりそこは純魔法生命体。地上であろうとも自由に活動できるし、地上や空中に大量の水気を集めることによって、自分に有利な戦場を作ることもある。
飛行型が、地上を歩いていることも珍しくはなかったし、魔法を用いるなどして地中に隠れていたのだとしても、なんら不思議なことではなかった。
二十体あまりのヴィゾーヴニルたち。
それらは、地中に潜み、統魔たちが接近してきたのを察知して、飛び出してきたのだ。
だが、相手が悪かった。
まさに瞬殺である。
下位獣級幻魔が二十体程度では、皆代小隊の相手にはなりようがないのだ。
「殻印持ちが良かった?」
「そういうつもりでいったわけじゃない」
「わかってるって」
剣も、幻魔の死骸を確認しつつ、考える。
ヴィゾーヴニルを容易く撃滅できるようになったのは、いつからだろう。
自分は、皆代小隊の中で一番弱い魔法士だという自覚がある。
今年、星央魔導院を卒業し、戦団に入ったばかりの新人なのだから、当然といえば当然だ。卑下などではなく、当たり前の事実として認めるだけのことだ。
だから、なおのこと、考えるのだ。
魔導院に進学し、戦闘部に入ったのは、それ以外に道が見当たらなかったからにほかならない。
魔法の才能だけが、自分の全てだった。
枝連や香織、字とは違う。
統魔や、ルナとも。
そして、魔導院時代、統魔と交わした約束通り、彼の部下になってわかったのは、自分程度の才能の持ち主など、掃いて捨てるほどいるということだ。
それでもどうにかやってこられたのは、皆代小隊の一員だからだ。
自分以外の優れた導士たちが、自分の力量不足を補って余りある力を発揮してくれているからなのだ。
そのことを特に実感するのは、こういうときだ。
自分が倒したヴィゾーヴニルが一番少ないという現実を直視すれば、どんな人間であれ、理解できるはずだ。
自分には、才能がない。
「どったの? 浮かない顔してさ」
「あ、いや……別に。たいしたことじゃないよ。本当に、たいしたことじゃないんだっ」
徐ろに顔を覗き込んできた香織に対し、剣は、慌てた。仰け反りすぎて倒れそうになったのを香織に支えられる。香織の顔が、すぐ近くにあった。
「なにやってんの?」
「倒れかけてる」
「見ればわかるけど」
「そりゃそだね」
「うん」
香織は、剣が立てるように支えてやりながら、その横顔を見ていた。酷く落ち込んでいるような、そんな表情に見えたからだ。なにか考え込んでいたのが、彼女にははっきりとわかった。わかってしまった。
剣は、わかりやすい人間だ。思っていることがすぐに表情に出てしまう。不満があれば不服そうな顔になるし、嬉しいことがあればにこにこしている。そんな剣が嫌いな人間は、皆代小隊には一人としていないだろう。
香織も、そんな剣のことを大切に想っていたし、だから、気に懸けるのだが。
「こりゃだめだな」
「えー、嘘でしょ-!?」
統魔の嘆息とルナの大声が聞こえてきたから、香織と剣は顔を見合わせた。それから声の方向に目を向けると、イワキリの中に統魔が乗り込んでいて、その様子を見守るルナの後ろ姿が飛び込んでくる。
「はい。駄目そうです」
「ダメ押し!?」
字の淡々とした報告に、ルナが素っ頓狂な声を上げる。字の目は、幻板に表示された文字列に注がれており、表情は険しい。
「もしかして、故障したんです?」
「ああ、そうらしい」
「さっきのでか」
「あんなので故障するんだ?」
「当たり所が悪かったんだろうな。機関部がイカれてやがる」
「なるほど」
「どこかに復元魔法の使い手の方はいらっしゃいませんかー」
「いるわけないでしょ」
香織が周囲に向かって声を張り上げるものだから、剣は彼女の口を塞がなければならなかった。
ここは空白地帯。
北にはイドラの〈殻〉が、南にはセベクの〈殻〉が、そして遥か前方にはロキの〈殻〉が存在している。それら〈殻〉を刺激するような真似はしないように、というのが、巡回任務の基本だ。
〈殻〉を刺激した結果、大規模な戦闘に発展するようなことになっては、大問題どころの騒ぎではないのだ。
とはいえ。
「いまさらだろ」
枝連が呆れ顔で剣を見たのも、道理だ。
既に戦闘が起きた。強力な魔法を散々に叩き込んだのだ。その魔法の数々は、周囲一帯の魔素を掻き混ぜ、異変となって周辺に伝わったはずだ。
〈殻〉の境界に配置された幻魔の兵隊たちが、そうした異変を察知し、動き出したとしても不思議ではない。
「いまさらだな」
統魔は、イワキリの車内から飛び出すと、部下たちに私物の確認だけはするようにと指示を出した。無論、任務である。大量の私物を持ち込むようなものはいなかったし、仮に持ち込んでいたとしても、生もの出なければ問題はない。
つい先頃、技術局第四開発室によって、第二世代型転身機・〈虚空〉が開発され、導士たちに支給された。〈虚空〉と第一世代型転身機との違いでもっとも大きなものといえば、転送機能の強化だろう。
転身機は、武装置換転送装置とも呼ばれるように、現在身につけている衣服と、別の場所に存在する導衣を一瞬にして置き換えるという機械だ。いつ如何なる状況であっても、幻魔災害、魔法犯罪に対応可能とするだけでなく、導衣や法機が破損した場合には取り替えることも可能という優れものだった。
転身機の発明は、革命といっても過言ではない。
そんな革命的な発明をさらに改良し、転送機能を強化したのが〈虚空〉であり、たとえ登録していない物であっても、ある程度の質量のものならば自由に転送することが可能になったのだ。ただし、この場合の転送は〈虚空〉から転送先への一方通行であり、〈虚空〉を使って未登録のなにかしらを呼び寄せることなどはできない。
そして、物質転送装置の例に漏れず、生もの――動態魔素を含んでいるものは、転送できない。
統魔たちは、一先ず私物を転送すると、つぎに動かなくなったイワキリと向き合わなければならなくなった。
ルナが、恐る恐るといった様子で統魔に問う。
「もしかして、持って帰るの? これ?」
「こんなところに捨て置くわけにはいかないだろ。貴重な資源の塊だぞ」
「うむ。勿体ないお化けが出るな」
「もったいなーい、もったいなーい、って?」
「うむ」
「そんな真剣に頷かなくても……」
剣が枝連の仁王のような表情に苦笑していると、統魔が星象現界を発動する様を目の当たりにして、呆気にとられた。超高密度の魔素が爆発的な勢いで膨れ上がり、星々の煌めきが網膜を灼くかのように拡散していく。
「万神殿」
真言とともに発せられるのは、膨大極まりない光だ。清浄にして神聖なる光は、魔界の空気を圧倒し、吹き飛ばしていく。そして、統魔の全身が黄金色の衣に覆われれば、背に負った光の輪から何本もの光条が飛び出し、星霊が具現する。
「一度、長城に戻ろう。これじゃあ巡回任務もままならないからな」
星霊たちにイワキリを持ち上げさせながら、統魔は、部下たちを振り返った。
剣は、統魔の圧倒的としか言いようのない才能には、言葉を失うしかなかった。
いや、それはいまが初めてのことではない。
いつだって、そうだった。
彼と初めて会ったときから、ずっと、そうだったのだ。
(ああ、そうか。そういうことか)
剣は、統魔が空に飛び立つ姿を見つめながら、心底納得した。
(ぼくは、最初から――)
初めて会ったあの日から。