第千十七話 仲間と(一)
「十二月ー、冬ー、雪ー」
窓の外に向かって、なにやら呪文のようにぶつぶつと言葉を並べているルナは黙殺して、統魔は、幻板と睨み合っていた。車両に備え付けられた端末から出力された幻板には、周辺一帯の地図が映し出されている。
彼が腰を落ち着けているのは、輸送車両イワキリの運転席だ。助手席を我が物顔で占領しているルナが少々五月蝿いが、いつものことである。
「雪ー、粉雪ー、しだれ雪ー」
オロバス軍迎撃戦、あるいは西方境界防壁防衛戦と呼ばれる大戦は、戦団の大勝利に終わった。
いや、大勝利などと誇って良いものか、どうか。
オロバス軍は、オロバスとエロスという鬼級幻魔の連合軍であり、そこに〈七悪〉が関与することによって、想像し得ないほどの大戦力となっていたのだが、突如舞い降りた天使型幻魔の大軍勢が人類に味方したため、なんとか勝利をもぎ取ることができたというべきだろう。
なんとか。
そう、なんとか、ぎりぎりのところで、だ。
勝つには勝ったが、そのために多大な犠牲を払ったことはいうまでもない。三百名以上の導士が命を落とし、百機のクニツイクサが大破した。
クニツイクサは、いい。
貴重な資源を大量に投入したものとはいえ、ただの機械だ。どれだけ壊れようとも、また作ればいい。そのための資源をどこから調達するのかという問題は、統魔たちが考えることではない。
確かにクニツイクサは役に立った。先触れとして、尖兵として。
露払いとして。
だが、それだけだ。
それならば、戦団がさらに戦闘部の導士を増強すればいいだけのことなのだ。
(まあ、それが困難だから、機械に頼らざるを得ないってわけだが)
人材不足、人手不足、戦力不足。
戦団最大の問題にして、難問中の難問が、それだ。
なんといっても、人類は存亡の危機に立たされている。
普通ならば、一般市民からも徴兵し、強制的に戦闘要員として駆り出して然るべき状況と捉えるだろう。
それなのに、戦団は、そのような強権を発動せず、むしろ市民の自由を許した。央都の法に従ってさえいれば、自由気ままに生きていくことを許可し、その生活を守ることにこそ、戦団の使命があると大真面目に宣言しているのだ。
そして、そんな戦団だからこそ、市民にとって尊敬して止まない、憧れの英雄たちたりえるのかもしれないのだが。
統魔の目は、更新されたばかりの周辺図を睨み続ける。大和市の東に位置する第三衛星拠点よりもさらに東側、護法の長城の外側を、皆代小隊を乗せた輸送車両が走っていた。
空白地帯の地形は、日夜変化し続けていることで知られている。この魔界に満ちた膨大な魔素の影響なのか、それとも、魔天創世と呼ばれる地球規模の環境変化の影響なのか、一日経てば全く異なる形に変わっていることも珍しくなかった。
故に、以前までは地図などほとんど役に立たなかったし、毎日ヤタガラスを飛ばしては、地形の変化を確認しなければならなかった。それも幻魔に撃墜されることのない高空からなので、完璧とはいかない。
いま統魔が目にしている地図は、ほぼ完璧に現在の周辺状況を記していた。
ユグドラシル・システムの完成後、戦団は、周辺地域のレイライン・ネットワークの再構築を開始した。
その結果が如実に表れている。
かつて、レイライン・ネットワークは、地球全土のみならず、地球を中心とする広範囲の宙域までも網羅し、包括していたという。
だが、いまは違う。
地球市民と宇宙移民の対立の果てに、周辺宙域のレイライン・ネットワークは遮断され、地球内部に限定されることになり、さらに魔天創世が世界中のネットワークを寸断したことによって、現在のネットワークは不完全極まりないものと成り果ててしまった。
これを完全な状態にまで回復することが戦団技術局の当面の目標ということだが、数十年、数百年単位はかかるだろうと考えられている。
なんといっても、地球の大半は幻魔の領分だ。
幻魔によって支配された、幻魔の世界――魔界。
それが地球の現状であり、幻魔の領土内のレイライン・ネットワークを再構築するのは、簡単なことではない。
空白地帯ならば、ともかく。
複雑に入り組んだ地形が、立体映像として完璧に再現されていることに感心しつつ、上層部がシステムの再構築をもっとも優先するべき目標と掲げていた理由を理解する。
そしてその恩恵をいままさに実感するのだ。
「白雪-、霧雪ー、雹霰ー」
助手席に座り、足をぶらぶらさせながら窓の外を見遣るルナの視線の先には、雪など降ってはいない。
いまこの時間、雪が降っているのは、護法の長城の内側くらいのものだ。
「なんだか御機嫌だねえ、ルナっち」
「全然御機嫌じゃないけど!?」
「え? そうなの?」
「当たり前じゃない!」
後部座席を振り返って噛みついてきたルナの剣幕には、さすがの香織も呆気にとられるばかりだった。書類を確認していた字も、音楽を聴いていた剣も、瞑想していた枝連でさえも、ルナの反応にきょとんとする。
統魔だけは、ルナの襟首を掴んで助手席に座り直させるだけの冷静さを保っていたが。
空白地帯である。
しかも、右にも左にも、遠いとはいえ〈殻〉が厳然として存在しており、そこから幻魔の軍勢がいつ飛び出してきたとしてもおかしくはないのだ。
「冬陽祭だよ! 冬陽祭! わかってるの、統魔!」
「そればっかりだな」
「悪い!?」
「……まあ、うるさいな」
「うるさい!? どういうこと!? わたしは、統魔や皆と一緒に冬陽祭を楽しみたいだけなのに!」
「衛星任務も重要な仕事だ。いくら長城ができたからといって、衛星任務を放り出すわけにはいかないだろ」
「でもでも!」
「……それにな」
「それに?」
「冬陽祭本番には、おれたちの出番もある」
統魔が仕方なく伝えれば、ルナは、きょとんとした。
「本番? 出番?」
「本部祭ですよ」
「本部祭……ああ、戦団感謝祭のこと!?」
「そうともいうな」
枝連が静かに頷けば、剣と香織も同意した。
導士の間で本部祭と呼ばれることが少なくないのは、戦団本部を中心として開催されるからだ。
戦団本部を開放し、市民を招き入れてのお祭り騒ぎ。
一年に一度、その日だけは、導士と市民の垣根を取っ払い、だれもが央都に生きる、双界に生きる一人の人間となる。
ちなみに冬陽祭当日に行われる戦団上げてのお祭りは、戦団本部だけでなく、出雲、大和、水穂の三大基地でも行われる。
そのため、戦団感謝祭という呼ばれ方もするのである。
「なんで? わたしたち、衛星任務中よね?」
「本部祭には、毎年、その一年間で活躍した小隊の中から何組か招待されるんです」
「なるほど! 納得したわ!」
字の端的な説明を受けて、ルナが両目を輝かせた。
「それなら、あたしたちが招待されるのはとーぜんだよねっ!」
「まあ、そうなるね」
「皆代小隊以上の戦績となれば、軍団長たちか真星小隊くらいだろうからな」
「ああ。そして、真星小隊も呼ばれているはずだ」
「じゃ、じゃあ、わたしも皆と一緒に冬陽祭を満喫できるの!?」
「主宰者側だ。馬鹿騒ぎはできないぞ」
「いいよ! 皆と一緒なら!」
ルナは、先程までの不機嫌など吹き飛んでしまったかのような満面の笑顔を浮かべ、統魔に抱きつこうとしたが、後部座席から身を乗り出してきた字に妨げられた。ルナが不満顔で字を見るも、彼女の表情は真に迫っていた。
「前方!」
「さすが副隊長!」
統魔は字の忠告を手放しで褒め称えつつ、イワキリを全力で右に曲がらせた。赤黒い土煙が上がる中、無数の赤い光点が瞬く。
無数の幻魔の目が、殺気を漲らせたのだ。
爆音とともにイワキリの車体が空中高く打ち上げられる。そのときには全ての扉が開いており、六つの光が流星のように飛び散っていた。
「撃降雨!」
「来月光!」
「蒼雷真流撃!」
「焔王護法陣!」
「参百伍式・降嵐撃!」
「弐百弐式・烈挟波!」
六者六用に真言を唱え、魔法が発動すれば、戦場は極彩色の光に包まれた。
破壊の嵐が巻き起こる。
幾重にも光の雨が降り注げば、雷光の奔流が幻魔の群れを薙ぎ倒し、暴風が叩きつけられ、波濤が挟み込むようにして逃げ場を奪う。
そして、幻魔たちの攻撃は、炎の壁によって防がれてしまった。
それは、いつもの、ありふれた皆代小隊の戦闘だった。