第千十六話 兄弟と(八)
「それでいい」
黄緑は、真白の周囲に展開していた律像が消滅する様を見届け、頷いた。すると、隣に立っていた紫が、待ってましたとばかりに口を開く。飛び出してくるのは、罵詈雑言。
「本当、不良品も不良品よね。お情けで入れて貰った小隊が、戦団史上に名を残す活躍をしたからといって、あなたたちの価値が変わるとでも考えているのかしら?」
紫が、ふたりに一歩踏み込めば、黒乃が後ずさりして転倒し、尻餅をついた。気圧されたのだ。それほどまでに黒乃が感じる紫の迫力というものは、凄まじい。
名は体を表すというが、紫の頭髪と虹彩も、紫色だった。身につけているものこそ戦団の制服だが、そこにも紫がちりばめられているところを見ると、紫色自体が好きなのだろう。冷ややかな目は、黒乃の反応を嘲笑っているようにも見えた。
真白が、黒乃と紫の間に入るも、紫の言葉は止まらない。
「あなたたちは、出来損ないの不良品に過ぎないの。廃棄処分が妥当な失敗作にね。階級が上がったのだって、真星小隊に入れたおかげ。皆代輝士と伊佐那輝士に感謝することね」
「紫のいうとおりだ。きみたちは、存在そのものが不要なんだ。だから、なにもするな。しないでくれ。これ以上、九月機関の名に泥を塗るような真似は……ね」
紫と黄緑は、九十九兄弟に対し一方的にまくし立てると、反論がないと見るや、顔を見合わせ、肩を竦めあった。そして、ふたりの真横を通り過ぎていく。
真白は、黒乃に向き直り、手を差し述べる。あのふたりが通路の先、幻創機室に向かっていることがわかるが、かといって、なにができるわけもない。
口論をしても意味がなければ、魔法をぶつけるなど論外だ。感情の昂ぶりに任せて喧嘩を吹っかければ、団法によってなんらかの処分が下されるのは、こちらなのだ。
もちろん、口汚く罵るのはいいのかといえば、そんなことはないのだが。
戦団は、仲良し小好しの組織ではない。口論程度、ありふれている。
「大丈夫か?」
「ぼくは……平気。兄さんこそ」
「おれだって平気だっつの。なんてことはねえよ」
黒乃の手を握り締め、起き上がるのを手伝う。本来ならばそんなことをする必要もないのだが、つい、そうしてしまった。
紫と黄緑の悪罵が、耳に残っているからかもしれない。
ふたりの後ろ姿は、もう見えなくなっていた。通路を曲がったからだが、あの歩調からすれば既に幻創機室に辿り着いていることだろう。
八十八紫と九尾黄緑。
ふたりとは、因縁がある。
「あいつら、ずっとああだからな」
「うん。そうだね……でも」
黒乃は、兄の手の温もりを感じながら、考え込む。胸が酷く傷んだ。
「でも、なんでだろう。なんで、あんなことをいうのかな」
「おれたちが第八軍団で燻ってたのがムカついたんだろ」
「燻ってたっていうか、問題児?」
「そうともいう」
「そうとしかいわないよ」
「ああ……まあ、うん」
黒乃の沈んだ表情を見れば、真白も強情に言い返すことはできなかった。
考えることは、きっと、同じだ。
ふたりについて、考え込まざるを得ない。
「あいつらは、輝光級だからな。まさに九月機関印の超優秀魔法士様で、だから、おれたちが……いや、おれが暴れ回ってるのが気に入らなかったんじゃないか」
「だからって、失敗作だとか不良品だとか、そんな風にいわなくたっていいのに」
「九月機関出身ってだけでちやほやされるくらいのブランドだぜ。おれがその評判をひとりで下げまくってたんだから、面と向かって怒鳴りつけたくもなるだろ」
「兄さん……」
「なんだよ?」
「熱でもある?」
「はあ!?」
額に手を当ててきた弟に対し、真白は、絶句しそうになった。
「なんでそーなるんだよ!」
「だって、いつもの兄さんなら、そんな殊勝なことはいわないもの」
「あのなあ……おれだっていつまでもガキじゃねえんだ。どれだけ駄々《だだ》を捏ねたって変わらないことがあることくらい、理解してるよ」
「兄さん……」
「それに……いまなら、あいつらのいいたいことも、少しはわかるよ。少しは」
「……そうだね」
「でも、やっぱりムカつくなあっ!」
通路を歩きながら大声を上げる真白に対し、黒乃は、その手を握り締めることしかできなかった。
真白は、着実に成長している。魔法士としての実力もさることながら、人間的にも、だ。
一方、自分はどうだろう、と、黒乃は考える。相変わらず引っ込み思案だし、極一部の知り合いとしかまともに言葉を交わすこともままならない。
魔法技量は、九重に褒めて貰えるほどにはなったし、自信もある。
だが、人間性となると、話は別だ。
(強く……なりたいな)
黒乃は、兄の苛立ちに満ちた横顔を見て、その表情の奥底に溢れんばかりの熱量を感じ取ったのだった。
天燎高校の敷地内を出ると、真冬にも等しい冷気に満ちていて、幸多は、思わず両手で顔を覆った。
超小型発熱器のおかげで制服の内側はとても暖かいのだが、頭部や首筋、手などの露出している部分は、吹き抜ける寒風の直撃を受けざるを得なかったのだ。想定外の冷気が、肌に刺さるようだった。
「いくらなんでも寒すぎない?」
「雪が降るって話だしな。寒いのは当然だろ」
寒さなど意にも介さないといった風の圭悟が、幸多たちの先陣をきるかのように歩いて行く。堂々とした足取りには、彼の生き様が現れているようだ。
終業式はとっくに終わり、生徒の大半が下校した後である。
学校に残っていたのは、幸多たちを含むわずかばかりの生徒だけだ。
生徒も教師も、幸多との撮影会に大変満足したようで、その後、幸多に話しかけてくることもほとんどなかった。
だから、あの後、屋上でまったりとできたのだろう。
「当然だけど、寒すぎる気がする。真冬並?」
「それは言い過ぎだと思うな」
「はい。確かに寒いとは思いますが、真冬というほどではないような気が致しますね」
「あー、そっか。皆代くん、魔法が使えないんだもんね。ぼくたちとは防寒対策も異なるか」
「んん?」
「なるほど。皆代幸多、こちらに来たまえ」
「はい?」
法子の手招きに応じて歩み寄った幸多は、おもむろに抱き抱えられた。幸多は驚きの余り絶句しつつも、一瞬にして冷え切った顔面が熱を帯びていくのも感じる。
「な、なんなんですか?」
「防寒対策だよ。そして、暴漢対策でもある」
「はい?」
「皆代幸多を抱え上げている人間に襲いかかろうというものはいまい」
「それは……まあ、そうでしょうけど」
しれっとした顔でわけのわからないことをいってのけるのは、いつもの黒木法子だ。そんな法子だが、デモニック・スーツから制服に着替えており、厚手の冬服が似合っていた。
着替えたのは、法子だけではない。雷智、亨梧、怜治の三人も制服姿になっており、特に怜治はどことなく安堵している様子だった。怜治だけは、ヒーロー活動とやらに乗り気ではないのだろう。
それでも付き合っているのは、ひとが良いのか、なんなのか。
「この温かさは、一体……」
「魔具だよ。ハートヒート、皆代くんも使ってるんだよね?」
「うん。そうだけど……」
しかし、幸多には、蘭の説明だけでは納得のできないことがあった。
ハートヒートは、制服の内ポケットなどに入れた状態で起動することによって、服全体に熱を持たせ、それによって寒さから身を守る防寒用の魔具である。服の外に出ている部位には、ほとんど効果がないはずなのだ。
それなのに、法子の腕に抱えられているだけの幸多の顔面から指先までも温かさに包まれているのは、不思議というほかない。
「魔力を用いた熱空間の生成は、ハートヒートの機能の一つだぜ」
「それは……知らなかったな」
「説明書に書いてあることだぞ。ちゃんと読めっての」
「もちろん読んだけどさ。ぼくの場合、一般的な機能の部分にしか目を通さないから、知らない機能も多いんだよね」
幸多は、圭吾の呆れ果てたような表情に苦笑を返した。その結果がこのザマなのだから、多少馬鹿にされたとしても致し方のないことだろう。
つまり、だ。
法子は、ハートヒートの機能を用い、ハートヒートを中心とする熱空間を形成しているのである。それによって、服から露出している部分も寒さから護り、体温を維持することを可能としているのである。そして、そんな法子の腕に抱えられていることで、幸多の体温も上昇している。
(魔力を用いた熱空間……か)
見えない結界のようなものが、法子だけでなく、圭悟たちの周囲にも展開しているに違いない。それによって冷気を遮断し、冬の寒さも黙殺するのが魔法社会の人々なのだ。
魔素を持たざる、魔力を持たざる幸多には、真似のできないことだ。
だからといって、嘆くことも、悔しいと思うこともない。
幸多は、こういう光景や状況は、慣れすぎている。
「あ……」
そのとき、幸多は、ふと、視界に降ってきたものを見て、声を上げた。
「雪だ」
遥か上空を覆う白の天蓋から、ふらりと、こぼれ落ちるようにして降り始めた雪は、次第にその勢いと量を増していった。