第千十五話 兄弟と(七)
「非の打ち所がないとは正にこのことだよ。わたしも本気できみたちを倒そうとしていたのだが、あのザマだ」
真白と黒乃が現実世界へと回帰するなり待ち受けていたのは、九重の大絶賛であり、ふたりは顔を見合わせた。自然に頬が綻んでしまう。
ふたりにとって担当教官の火村九重を超えることは、最初にして最大の目標だった。
魔法士としての道を歩み始めたふたりに魔法の手解きをしてくれたのが九重である。そして、九重は、いった。
『まずは、わたしを超えることを目標にしなさい』
それがどれほど困難であり、限りなく遠い道程だということは、子供のふたりでも想像するまでもなく理解できた。
九重は、九月機関において教官を任されるほどの魔法士であり、卓越した魔法技量の持ち主なのだ。
魔法を学び始めたばかりのふたりでも、彼の魔法士としての実力に疑いを持たなかった。だからこそ、超えなければならなかったのだし、そうなれるように鍛錬と研鑽を重ねてきたのだ。
「真白。きみは真星小隊の防手であり、同時に隊の要と讃えられているね。その評判が誇張されたものではないことは、よくわかった。きみの防御魔法は、超一流といっても言い過ぎじゃない」
九重が真白に向ける眼差しは、歓びと優しさに満ちており、真白はなんだか気恥ずかしくなってきた。九重にここまで直接的に褒められた記憶がないからかもしれない。
幻創機室の一角。
真白が腰を下ろしているのは、幻創機と直結した寝台だ。枕元に神経接続用の機材が設置されており、細長い管で繋がった帽子のような機具を彼は手にしていた。普段ならば意味もなく弄ぶところだが、今回ばかりはそういうわけにはいかない。
「いやいや、言い過ぎだって! 言い過ぎ!」
「そうかな?」
「うん、そんなことはないかな!」
「兄さん……」
黒乃は、兄の喜びぶりを見つめながら、はち切れんばかりの笑顔になっている自分に気づいていた。だが、こればかりは、どうしようもないと思うのだ。
なんといっても、九重は、昔から余り褒めてくれなかった。ふたりへの教え方は的確で誠実、常にふたりと向き合ってくれていた。中でも長所を徹底的に伸ばすという教育方針は、特に真白には合っていただろう。
だからこそ、九重は、できて当然、できないほうがおかしい、というような態度でふたりに臨み、ふたりは、度々、自分たちが魔法士としてやっていけるのかと不安にならざるを得なかったのだ。
それもこれも、ふたりを想ってのことだということは、いまならば理解できるし、納得も行く。
生半可な魔法技量では、戦団の導士になれるわけもなければ、幻魔を打倒することなど敵わない。
優秀な魔法士ならば絶対に生き残れるわけでもないが、しかし、一定以上の魔法技量の持ち主でなければ、導士たちと同じ舞台に上がることすら許されないし、許されるべきではない。
「黒乃。きみは、真星小隊が誇る最強の杖だ。そのうえ、あらゆる属性魔法を巧みに操ることができるんだから、もっと自信を持っていい。きみは、最強だ」
「最強……」
九重の評価を聞き、その言葉を反芻する。
黒乃は、目頭が熱くなってくるのを感じた。兄が褒められるだけでも嬉しいのに、自分も、今までにない褒め方をされたのだ。感動しないわけがなかった。
「おう、そうだぜ、黒乃。おまえはおれの最強にして最高の弟だ!」
「兄さんまで……」
ふと見た真白の顔は、まるで太陽のような笑顔であり、真っ直ぐに見つめ続けることができなかった。
感極まった様子のふたりを見つめる九重もまた、温かな気持ちになっていたし、よくもこまで成長したものだと想うばかりだった。
感慨がある。
真白と黒乃のふたりが、この箱庭から外界へと飛び立ち、上手くやっていけるものなのかどうか、九重には確証がなかった。
ふたりの魔法技量に関しては、なんの心配もしていなかった。戦団戦務局のお眼鏡にかなったのだから。
問題は、ふたりの性格であり、人間性のほうだ。
外界を知らず、世間を知らず、九月機関で純粋培養されたふたりにとって、戦団という組織で、央都という社会で生きていくのは、簡単なことではないはずだ。
特に真白は、気難しい性格の持ち主だ。
人見知りが激しく、排他的であり、言葉遣いが良くない。高砂静馬や九重のように心を許した相手には全力で甘えてくるのだが、それ以外の人間には、すぐに牙を剥き、暴言を吐くというところがあった。
静馬や九重が矯正しようと試みたが、無駄だった。
一方の黒乃は、内向的で消極的、他人を極端に恐れているようなところがった。真白のいない空間が耐えられないという難点は、昔から変わっていない。
そんなふたりが、戦団における集団生活で上手くやっていけるものなのか、どうか。
高砂静馬としても賭けだったようだし、九重としては、ふたりの成長を祈るしかなかった。
実際のところ、九十九兄弟は、最初に配属された第八軍団では問題児だったようだ。同じ九月機関出身の矢井田風土、南雲火水から度々相談があったほどであり、静馬が直々にふたりと面談したこともあった。
それでも改善せず、第八軍団の小隊を転々としているという話を聞いたときには、九重も頭を抱えたものだった。
そんなふたりに転機が訪れたのは、夏合宿であるらしい。
伊佐那家本邸で行われたそれは、選りすぐりの若手導士たちを星将うや杖長の指導によって徹底的に鍛え上げるというものであり、九十九兄弟は、幸運にもその一員に抜擢された。
夏合宿は、ふたりの魔法士としての実力を高めただけでなく、人脈作りとしても意味があったようだ。
ふたりが所属している真星小隊の隊長・皆代幸多、隊員の伊佐那義一は、ともに夏合宿で知り合い、仲を深めたのだ。
約一ヶ月もの間、毎日、猛特訓の連続だったというが、そんな日々がふたりとほかの参加者の絆を強くしたことは想像に難くない。
「もうわたしが教えることはないよ。おめでとう、卒業だ」
「そ、卒業?」
「卒業……」
「そもそも、ふたりは導士様だからね。わたしのほうこそ、教えを請うべきなのかもしれない」
「それは本当に言い過ぎだって」
「うん、言い過ぎかな」
「いやいや……そうでもないさ」
九重は、褒め殺されてどういう顔をすればいいのかわからないといった様子の二人を見つめながら、微笑んだ。ふたりの成長ぶりに感心しているのだ。その成長速度たるや、さすがとしか言い様がなかったし、賞賛する以外にない。
そんな九重の反応が、真白と黒乃には、とても嬉しく、喜ばしいことだった。
やっと、九重に認めて貰えた。
それだけで、ここに顔を出した意味があるというものだ。
「良かったね、兄さん」
「へへへ、照れくさくて仕方ねえけどな!」
まだ用事があるという九重を残し、幻創機室を出た二人は、長い通路を歩いていた。
冬陽祭一色の町中とは異なり、九月機関の施設内は、いつものように無機的で、いかにも研究所らしい空気感が漂っていた。冷ややかで、なにもかもが素っ気なく、すべてが他人事のような、そんな領域。
そんな世界にあっても、人は、温かい。
九重がそうであったように、九月機関の人間というのは、基本的には優しいのだ。
「成長したんだ……ぼくも、兄さんも……」
「当たり前だろ。もう八ヶ月以上も経ってんだぞ」
「それは……そうだけどさ。でも――」
だれもがそう上手く成長できるものでもない、などと、黒乃がありふれた一般論をいおうとしたときだった。
「なんでまた、あなたたちがここにいるのかしら? そう想わない?」
「まったくだ。失敗作の分際で、どうして平然と顔を出せるんだろうな」
突如、ふたりの前に立ちはだかったのは、八十八紫と九尾黄緑である。
九十九兄弟同様に九月機関出身の導士であり、ともに第十二軍団に所属している。戦団の制服を着込んだ二人の胸元には、階級を示す星印が輝いていた。ふたりとも、輝光級二位である。
真白は、九尾黄緑のその名の通り黄緑色の目を見据えた。感動に浸っているところを邪魔され、いつになく感情が激発しそうになる。
「だれが、失敗作だって?」
「に、兄さん、だ、駄目だよ……」
黒乃は、兄の手を引っ張ったが、振り解かれた。律像が真白の周囲に出現し、複雑に組み合わさっていく。強力で、破壊的な魔法の設計図。
それを見て、黄緑が冷笑した。
「導士の私闘は団法で禁じられているはずだが、それでもやるかい?」
やれやれと肩を竦めて見せる相手に対し、真白は、歯噛みした。拳を握り締め、力を込める。
想像を、霧散させた。