第千十四話 兄弟と(六)
火村九重は、九月機関に所属する魔法士である。
央都随一の魔法学者にして研究者・高砂静馬が立ち上げた九月機関は、これまで多数の魔法士を輩出しているが、彼もそんな魔法士の一人だ。そして、極めて高い魔法技量の持ち主であり、故に戦団からも熱烈に勧誘されたという。
しかし、九重自身が己の欠点を自覚しているが故に、勧誘を断り続けた。
『入団していれば、輝光級まではすぐにでも昇格できただろうが』
高砂静馬の評価の高さは、九重の魔法技量の高さに裏打ちされているものであり、身内贔屓などではない。
高砂静馬のひとを見る目は、評判がいい。
ひとの才能を見抜く目を持っているというべきか。
故に、九月機関が人材を持て余すことはなかった。適材適所。機関内で配置転換があるときは、静馬の目が輝いているときであり、だれも不満を漏らさなかった。新たな配属先でこそ、己が才能を遺憾なく発揮できるからだ。
そう、約束されている。
(つまりさ)
真白は、巨大な氷塊そのものの刃が激しく旋回し、九重の幻想体を粉砕する様を見届け、口の端を歪めた。幻想体が火の粉を撒き散らしながら消え去るのは、それが本物ではないからだ。
(おれたちは、導士に相応しい才能の持ち主ってことだろ!)
胸中、大声を上げながら、真白は律像を変化させていく。想像を巡らせ、あらゆる状況に対応できるように十重二十重に律像を構築すれば、無数の紋様が視界を彩り、周囲の空間を埋め尽くす。
燃え盛る炎の律像。
破壊的な魔法の設計図。
叫ぶ。
「煌城!」
真言とともに真白の全身から爆発的な光が拡散すると、多層構造の光の結界が瞬間的に具現した。それは真白だけでなく、後方の黒乃も包み込み、相手の攻撃を待ち受けた。
「紅蓮業華」
九重の真言が響き、煌城を凄まじい衝撃が襲った。紅蓮の閃光が真白の網膜を塗り潰し、破滅的なまでの爆発音が鼓膜を突き破るかのように乱舞する。聴覚を始め、あらゆる感覚が混沌に飲まれるかのようだ。
だが、それだけだ。
煌城は、紅蓮の爆炎から真白と黒乃を守り切り、反撃の機会を見出す。そして、黒乃はその瞬間を見逃さない。紡ぎ上げた律像を真言とともに解き放つ。
「超激浪渦!」
周囲一帯に満ちた火気を一瞬にして消し飛ばしたのは、莫大な量の水気だ。それはまさに洪水となって戦場を包み込み、真白たちをも飲み込んでいく。瞬く間に、なにもかもが苛烈な渦の中に吸い込まれ、破壊の連鎖が巻き起こった。蹂躙し、粉砕し、なにもかもを圧壊していく。
水中に火影を残し、なんとか上空へと逃れた九重だったが、全身の痛みに顔をしかめた。この短期間で、真白と黒乃が著しい成長を遂げているのだろうということは、想像がついていた。
濡れそぼった真っ赤な髪を掻き上げたのは、顔面に張り付く感覚が気持ち悪かったからだ。全身の痛みに比べれば大したことではないのだが。
体中の骨という骨が悲鳴を上げていて、原形を保っているのが不思議なほどだった。
(さすがは九月機関の研究成果というわけだ)
自分自身の幻想体の頑健さを賞賛しつつも、いま褒め称えるべきは、愛弟子たちだろうと彼は考えるのだ。
火村九重。
九月機関の魔法士である彼は、火属性魔法においては現代最高峰の使い手の一人だという自負があった。長身痩躯。九月機関独自の魔法衣に身を包んだ男は、真っ赤な頭髪と緋色の目の持ち主であり、その炎のように輝く瞳で、地上を飲み込む巨大な渦を見下ろしていた。
そして、無数の水柱が上がり、その中から飛び出してきた岩石の矢に対しては、魔法壁を作ることで対応する。
「紅蓮剛壁」
燃え盛る炎の壁が、岩石の矢の尽くを受け止め、爆砕していった。
そのときになってようやく地上から洪水が消えて失せた。忽然と、何事もなかったかのように、だ。
現れるのは、光り輝く巨大な結界であり、幾重にも張り巡らされたそれを突破するのは、生半可な攻撃魔法では難しい。
防御魔法において、真白の右に出るものはいない。
攻撃魔法において、黒乃の右に出るものがいないように。
(創造と、破壊――)
九重は、治癒魔法で全身の傷を癒やすと、すぐさまその場から移動した。飛行魔法によって空中を高速移動しつつ、律像を紡いでいく。
真白は、動かない。
地上から九重を睨み据え、九重の周囲に浮かぶ律像から魔法を読み説こうとする。
九重は、九十九兄弟の担当教官であり、戦闘技術を叩き込んでくれた存在である。師匠といっても、言い過ぎではない。
そして、大恩人だ。
二人が戦団に入り、様々な小隊で問題を起こしても所属し続けることができたのは、並外れた魔法技量を持っていたからだ。
魔法社会において最も重要なのは、魔法の才能だ。
優れた魔法的才能は、多少の問題を隠すとはよくいったものだ。
黒乃はともかく、真白は問題児も問題児だった。自分たちのことを理解してくれないような連中と上手くやれるわけなどないのだから、仕方がない。それで戦団を追い出されるのであれば、それでいいとさえ思っていた。
だが、追い出されることはなかった。
それもこれも、九重が叩き込んでくれた戦闘技能、魔法技術があればこそだ。
九十九兄弟という問題児たちに辛抱強く付き合ってくれた魔法士は、九重だけだったかもしれない。
だから、真白は、九重の律像を読み解くことができるのだし、彼がつぎに使う魔法を看破し、黒乃に伝えた。
「紅蓮轟砲だ」
「うん」
黒乃は、静かに頷いた。意識を集中し、律像を構築する。魔法とは、想像力の具現だ。ただ頭の中で考えるだけでは、いけない。
より精確に、より精密に、より精緻に。
黒乃の周囲に幾何学的な紋様が浮かび上がり、無数に変化し、無限に組み合わさっていく。
それこそ、魔法の設計図だ。
魔法士が世界に干渉しようとする意思の現れであり、魔法がこの世の理に触れていることの証明。
真白は真白で、煌城をさらに硬く、頑強なものへと作り変えていく。
先に律像が完成したのは、九重。
「紅蓮轟砲!」
真言が、さながら砲声のように轟けば、彼が翳した両手の先に真紅の波紋が生じた。そして、波紋の中心から紅蓮の猛火が噴出し、奔流となって光の結界へと殺到、激突する。物凄まじい熱が大気を掻き混ぜながら煌城を圧倒し、光の結界に亀裂を走らせていく。
大気中に火気が満ち、虚空に無数の爆発が起きた。
それらの爆発は、紅蓮轟砲の破壊力を増幅させるための仕組みであり、時間とともに加速度的に増大する魔法の威力は、同時に九重を急速に消耗させていく。
真白は、煌城の修復に全力を注ぎながらも、このままでは押し負けるのを認めていた。
紅蓮轟砲は、九重最大最強の火属性魔法だ。その威力は、星将の魔法にも匹敵するのではないかというほどだった。
九重が戦団に勧誘されるのも当然というものだ。
これほどの才能を一研究機関に埋もれさせておくのは、人類にとって大いなる損失だろう。
だが、九重は、九月機関の一員で在り続けた。
自分には欠陥があり、失敗作だからだ、と。
(失敗作……)
その言葉は、強く、黒乃の胸に刻まれている。
(どうして、そんな風にいうのかな)
何度も、何度も、数え切れないくらいに何度も、黒乃と真白は、そのように言われた。
『所詮は失敗作は失敗作。なにをしたって無駄だよ』
『本当、その通りだもの。笑っちゃうわ』
意識の奥底にこびりついた言葉の数々が蘇れば、黒乃は、目を開いていた。
「輝暉千光!」
黒乃が真言を唱えた瞬間、九重の周囲に無数の光が煌めいた。
一瞬だった。
なにもかもが瞬間的すぎて、反応のしようがなかった。
九重は、全身を貫く無数の光線によって意識がずたずたに引き裂かれるのを認め、真白と黒乃の成長に満足感すら覚えていた。
彼らは、失敗作などではない。
断じて。