第千十二話 兄弟と(四)
伊佐那家の家族会議が行われるのは、いつ以来だったか。
義一が伊佐那家の一員になる以前は、よく開かれていたらしい。
しかし、義一が家族になったころ、伊佐那家の人々は戦団内部で様々な役職を持ち、仕事に追われるようになっていたということもあり、家族全員が顔を付き合わせて会議を行う暇もなくなっていたのだ。
だから、義一としては、しばらくぶりの会議となる。
ただし、今回の会議は、ネットワークを介して行われるということであり、やはり、全員一カ所に揃うことは難しいのだと痛感したものだ。
『皆さん、勢揃いしましたね』
家族会議の議長は、当然のことながら、伊佐那家現当主たる麒麟である。優しさが人の形をしていると評判の母は、相変わらずの穏やかな眼差しで幻板越しの子供たちを見つめており、子供たちはといえば、そんな母の愛情を画面越しにすら実感する。
いつものように。
『もちろんです』
恭しくも端的に頷いたのは、伊佐那義正。
義正は、伊佐那麒麟の一人目の養子であり、長男だ。長く伸ばし、後ろで結んだ瑠璃色の頭髪、珊瑚色の虹彩が特徴的で、美しい。顔つきからして冷厳そのものに見えるが、その実、家族愛に溢れた人物だということは、周知の事実だ。
本人は、冷徹無比な仕事人として振る舞えていると思っているようだが、周囲の人々には隠しきれていないのだ。
そうした評判は、義一にも聞こえていたが、聞くまでもないことではあった。戦団本部で顔を見かける度に笑いかけてくれるのだ。そこに愛を感じないはずがない。
戦団では、財務局に勤め、副局長として辣腕を振るっている。
『はぁい!』
力強く返事をしたのは、伊佐那美那兎。二人目の養子で、長女だ。黄丹色の頭髪に桔梗色の瞳を持つ。いつも柔和な笑顔を浮かべており、立ち居振る舞いが麒麟そのものと評判の人物だ。
戦団においては情報局魔法犯罪対策部の部長を務めており、そのおっとりとした様子からは窺い知れない苛烈さを秘めているという話だが、義一には想像ができなかった。
『当然ですな』
続いては、伊佐那義流。
三人目の養子、二男の彼は、戦団において技術局第四開発室の副室長である。牡丹色の頭髪と中黄色の虹彩の持ち主で、温厚で気取らない性格は親しみやすく、幸多もすぐ打ち解けたという話だった。
窮極幻想計画に携わっているため、幸多と関わりが深く、義一は、幸多からは義流のことを、義流からは幸多のことをよく聞かされていた。
『はい』
四人目の養子、伊佐那美琴が首肯する。次女である。総務局企画部長である彼女は、伊佐那家六兄弟の中で一番背が低い。義一よりもだ。錆浅葱色の髪は長く、赤紫の瞳は常に爛々《らんらん》と輝いているような力強さがあった。
『……美由理も、義一も、任務で忙しいのに御苦労様』
そして、麒麟が特に労ったのは、三女の美由理と三男の義一が任務の隙間を縫って家族会議に参加してくれたからだ。
『いえ、家族会議とあらば、当然のこと。そうだな?』
「は、はい!」
『美由理は義一に厳しくないか? 大丈夫か、義一。いつもいじめられているんじゃないか?』
「そんなことありませんよ!」
『義一の言うとおりです。この程度で厳しいというのであれば、導士になるべきではありません』
『それは……そうかもしれんが』
義流が困ったような笑顔を浮かべたのは、美由理の視線に気圧されたからだろう。
美由理は、いつからこのような人間になってしまったのだろう、と、義流は考えてしまう。昔はそうではなかったはずだ。もっと笑顔の絶えない、優しい少女だった。
いや、いまも優しいことに変わりはないのだが。
その優しさが、厳しさとなっている。
『久々の勢揃いなんだから、喧嘩しないのよ』
『喧嘩はしてないが』
『口が悪いだけだな』
『うぐ……』
『美由理ちゃんも、笑顔笑顔』
『む、むう……』
姉に笑いかけられれば、美由理といえども無碍には出来ず、静かに深呼吸した。気合を入れ直し、表情を作る。軍団長という立場にあることもあり、表情がすっかり強張ってしまっていて、笑顔を作るのも一苦労だった。
義一は、美由理のそんな努力はつゆ知らず、姉が見せた優しげな表情に安堵した。軍団長としての職務に向き合っている美由理の表情は、だれよりも凜々《りり》しく、美しいのだが、しかし、いま家族の前で緊張を解いた顔もまた、素晴らしいとしかいいようがない。
義一の胸の内で、半身が騒いでいる。
『今日こうして集まってもらったのは、ほかでもありません。我が家に新しい家族を迎えることになりました』
『はい?』
『へっ?』
『ええ!?』
『新しい……』
『家族……?』
「迎えることになった……って、どういうことですか?」
麒麟が徐ろに議題を上げると、兄弟全員が愕然とするほどの衝撃を受けたのは、想像すらしなかったからだ。
だれだってそうだろう。
いまさら兄弟が増えるなど、想像できようはずもない。
『言葉のままの意味です。わたくしの伊佐那家は、わたくしの我が儘によって成り立っているといっても過言ではありません。そのことは、皆さんもよく御存知のはず。わたくしが結婚もせず、子を設けようともしなかったのは、わたくしの一存であり、勝手な願望。護法院がそのような身勝手を許してくれたからには、わたくしも戦団のためにできる限りのことをしなければなりませんから』
麒麟が語る言葉の一つ一つが、責任感や使命感に満ちたものだ。戦団創設者の一人であり、護法院の一員である彼女は、戦団の歴史でもある。彼女の歩みは、戦団の歩みなのだ。その言動も全て、戦団のためだという確信は、家族ならば反論の余地もなく受け入れるしかない。
『ですから、皆さんを我が家に迎え入れた。義正、美那兎、義流、美琴、美由理、義一……そして、美零』
「えっ……?」
『美零のことも隠す必要はありませんよ、義一。美零も、伊佐那家の一員なのですから』
「本当に――」
「いいの!?」
義一の口から二つの声色が漏れた瞬間を目の当たりにすれば、さすがの兄や姉たちも驚かざる得なかったようだ。美那兎などは、数秒間大口を開けたままだったほどである。
美零の存在が家族に明かされたのは、これが初めてだった。
それまで、美零は、義一と美由理、麒麟だけの秘密だった。もちろん、戦団上層部には知っているものもいたが、しかし、その存在の特異性故に、秘匿されてきたのだ。
そんな美零の存在を明らかにしたのは、既に隠し続けるのも困難になりつつあったからにほかならない。
美零は、龍宮戦役で人前に姿を現した。記録からは抹消されているものの、彼女の姿を目にした導士は少なからずいたし、彼女の活躍があってこその龍宮戦役の勝利だということはいうまでもない。
美零の活躍を讃えるには、その存在を公にするほかないのだ。
だから、その前段階として、まずは伊佐那家の人々に伝えることにしたのである。
当然、義正や美那兎などは、義一の中にまったくの別人が存在しているという話を聞いたときには、まったくもって信じられなかった。しかも、人格が入れ替わると、性別までも変化するというのだ。
到底、理解できる話ではない。
が、記録映像を見せられれば、信じない理由もない。
かくして、伊佐那美零の存在は、伊佐那家全員の認知するところとなり、美零は、義一の体を借りて、兄や姉に挨拶をした。
「美零! わたし、美零だよ!」
義一の姿が確かに少女のように変貌し、その口から可愛らしい声が聞こえてくれば、彼の身に起きた変化を認めざるを得ない。
そしてだれもが、美零という妹の出現を受け止め、喜んで迎え入れた。幻板越しに質問攻めになる美零の姿は、微笑ましく、可愛らしい。
その様子を見ていた麒麟は、ようやく胸を撫で下ろした。
美零の存在については、隠し続けることにこそ違和感を持っていた。彼女もまた、伊佐那麒麟複製計画によって誕生した、麒麟の複製体なのだ。
であれば、義一とともに受け入れてやるべきではないか。
伊佐那家の一員として、麒麟の愛娘として。
やっとのことで皆に紹介することができて、ほっとする。
そして、麒麟は、もう一枚の幻板を家族会議の場に出力した。
そこにはだれもがよく知る少年がいた。
『新たに家族に迎えるのは、彼、一二三くんです』
「ええええええ――」
「一二三が……新しい家族……?」
義一は、家族会議を聞いていたのであろう一二三のなんともいえない表情を見つめながら、呆然とした。