第千九話 兄弟と(一)
「ほら」
「これは……」
「見てわからないか? マオーレッドのデモニック・スーツだよ」
「はあ……」
幸多は、法子がどこからともなく取り出し、投げ渡してきたそれを受け止めると、どういう表情をするべきなのかと考え込んだ。
デモニック・スーツの構造は、導衣によく似ている。
過去から現在に至るまで、人々は、様々なヒーローを創作してきた。戦隊ものと呼ばれるヒーローもその一種であり、根強い人気があったという。いまもなおそれなりの人気があり、定期的に新作が生み出されては、子供たちの娯楽となっている。
そして、戦団が社会の根幹である央都におけるヒーロー像といえば、やはり導士だ。人類の天敵たる幻魔を相手に戦い続け、人類の守護と復興を担う導士たちがヒーローの基準となるのは、ある意味においては当然の結果だろう。
その結果、ヒーローたちが導衣を模倣したスーツを身につけているのも、自然の成り行きだ。
そして、そんなヒーローもののパロディーともいうべき魔王戦隊のデモニック・スーツから、導衣や闘衣の遺伝子を感じたのだとしても、なんら不思議ではない。
「いまさらだけど、魔王戦隊マオーファイブってさ」
「おう」
「勇者戦隊ブレイブファイブのパク――お、オマージュだよね」
「だろうな」
蘭と圭悟の囁き声が法子に聞こえたのかどうか、法子が小さく咳払いをした。
幸多は、マオーレッドの真紅のスーツを抱え、見つめていた。真っ赤な戦闘服は、男児の憧れといっても過言ではない。
央都の男児は、戦隊ヒーローを見て育つといわれる。
幸多も、子供のころは、必ず見ていたものだったし、隣には統魔もいた。統魔には面白くないもののようだったが、それでも食い入るように見ていたのだから、ヒーローの力というのは凄まじい。
もっとも、ヒーローへの憧れが導士への憧れに変わるまでそれほどの時間はかからなかったが。
ヒーローの大半は、魔法を使う。
当たり前のことだろう。
魔法時代に突入してからというもの、全世界的に、あらゆる創作に魔法が登場するようになった。魔法が普及し、ほとんど全ての人々が魔法士となれば、魔法は手足の延長であり、たとえ創作物であっても、魔法を扱わなければ嘘くさくなるからだ。
歴史物、時代物にも魔法が度々登場するようになったのは、魔法が与えた衝撃や影響の強さ、深さを示している。
魔法は、世界を変えた。
人類そのものの価値観を激変させたといっていい。
世界中のありとあらゆる物事に魔法が関係し、魔法が社会の根幹となっていったのだから、そうならざるを得なかったのだ。
魔法時代の到来以降、数多に誕生したヒーローたちが当然のように魔法を使うのは、それこそ、魔法が至極当たり前の技術となり、だれもが体得し、駆使することのできる力だからだ。
央都に誕生した数々のヒーローも、魔法を使った。
幸多がヒーロー番組に熱中したのは、やはり、彼らが多種多様な魔法を駆使したからにほかならない。
そして、統魔が幸多ほど熱中しなかったのは、きっと、彼が物心ついたときには呼吸をするように魔法を使えていたからではないか、と、幸多は想像している。統魔にとって魔法は至極当たり前のものであり、技術ですらなかったのだ。
もちろん、高度な魔法となれば、十分な訓練が必要だっただろうが、ヒーローが駆使する魔法は、見た目が派手なだけで魔法技量的には大したものではなかった。
幻想空間上で撮影されているということもあり、相手を傷つけ、死に至らしめかねないような魔法を使ってもなんの問題もないとはいえ、所詮は演出である。そんなものに大それた魔法技量は不要なのだ。
だから、統魔はあまりハマらなかったのではないか。
一方で、幸多は、ハマりにハマった。それこそ、親にヒーローの関連グッズを買って欲しいと駄々《だた》を捏ねて困らせるくらいにだ。
そんな子供時分を思い出していると、法子が、塔屋から飛び降りてきた。
「どうした? 不満か? 不満ならば直接いうがよい。無理強いをするつもりはないぞ」
「……不満なんかありませんよ。むしろ、嬉しいです」
幸多は、スーツを抱きしめるようにしながら、法子を見た。法子の真紅の瞳は、相も変わらず透き通って美しい。宝石のようだ。
「導士じゃなかったら喜んで着替えたんですけどね」
「……ふむ」
「だからいったでしょう。皆代くんは、導士様で、お忙しい身の上だって」
「しかし……マオーレッドにこれ以上相応しい人材はいないぞ。マオーファイブだぞ、マオーファイブ。五人揃ってマオーファイブなのだが」
幸多が差し出したレッドスーツを仕方なしに受け取った法子は、口惜しそうに彼を見た。幸多のために誂えたバトルスーツは、公表されている彼の体格に合わせている。もし、幸多以外の別人をレッドにするのであれば、一から作り直さなければならない。
それは、まあ、どうでもいいことなのだが。
問題は、マオーレッドに相応しい人材が思いつかないという点であろう。
法子が一人大問題に直面していると、真弥が口を開いた。
「圭悟はどうです?」
「ふむ……」
「おいっ! 真弥!」
「なによ?」
「なんでおれなんだよ!」
「皆代くんが困っているときに助けるのが、親友の役目でしょ?」
「そりゃあそうだが……だったらてめえが立候補しろっつの!」
「なんでよ。レッドでしょ、真っ赤な髪のあんた以外のだれが似合うのよ」
「そ、そりゃあ……」
圭悟がしどろもどろになりながら視線をさ迷わせる様を見て、紗江子と蘭が苦笑し、幸多は笑った。
いつものように圭悟と真弥が言い合う光景は、幸福そのものだ。
いや、この空間こそ、幸福が満ちている。
ああ、これが日常だ。
ありふれた、どこにでもある日常風景。
幸多は、その中に身を置くことができる幸せを噛みしめていた。
「よっ、と」
大障壁をよじ登り、頂上に飛び上がって見せると、一二三は、眼下に視線を遣った。
戦団本部敷地内、第六軍団兵舎の裏庭に作られた野外訓練場。通称、忍びの道の前半の山場というべき、大障壁。
その壁は、地上六メートルほどの高さがあり、壁にある様々な凹凸に手をかけ、あるいは足を突っ込み、よじ登ることによって体幹を鍛えるという代物だ。
ある程度の導士ならば容易く突破できる程度の障害物だが、一二三がこうして軽々と登り切れるようになったのは、今日が初めてだった。
「すごいすごーい!」
「もう余裕で登れるようになったね!」
金田姉妹が地上から盛大な拍手で讃えてくれるのが、なんだか気恥ずかしくて、それでも嬉しかった。
「訓練し始めて四日なのに、もう大障壁を突破できるんだもの! とんでもない成長速度だよ!」
「うんうん! 才能の塊ってやつ?」
「いくらなんでも褒めすぎだと思うけど……」
金田姉妹の褒め上手っぷりは、大抵の場合、一二三のやる気を奮い立たせてくれるのだが、ときには照れくささに包まれ、顔が熱くなった。
こういう感覚も、生きていることの証拠なのだ、と、いままさに実感する。
透明な存在であったころには感じられなかった、命の拍動。
心臓が脈打ち、血液が体内を巡る、その感覚が、一二三には常に新たな感動を与えるのだ。
「でも、そうだね。ようやく体の動かし方がわかってきたかも」
一二三は、大障壁の向こう側に視線を定めた。忍びの道の順路である。大障壁を登りきった先には、横幅が片足分しかない道が迷路のように入り組んでいる。道というよりは平均台のようなそれは、地上六メートルの高さにあり、体の平衡を保ったまま前進しつつ、終着点を目指さなければならない。わずかでもバランスを崩せば、地面に真っ逆さまだ。
大きく息を吸い、肺に空気を満たす。その感覚さえも、一二三には刺激的で、神経が昂ぶった。精神統一するのにも一苦労なほどだ。
一二三にとって、この世界全てが新しい刺激に満ちているのだから、仕方がない。
そのときだ。
「義一様!?」
「どうされました!?」
「いや……どうということはないんだけれど」
金田姉妹が興奮気味な反応を見せたものだから、一二三は、そちらを振り返らざるを得なかった。見下ろせば、伊佐那義一に駆け寄る朝子と友美の後ろ姿があり、神の揺れる激しさから、二人の感激ぶりがうかがい知れるようだ。義一が多少困ったような顔を覗かせたのは、金田姉妹の反応が想定外だったからだろうが。
「やっぱり人気者だなあ……兄さんは」
一二三は、義一を前に飛び跳ねるかのようにしている金田姉妹の反応を見て、素直に感心した。
伊佐那麒麟の後継者にして、真星小隊躍進の立役者。
それが伊佐那義一なのだ。




