第千八話 親友と(四)
「む……英雄様の握手会はもう終わってしまったのか?」
凜とした声が聞こえたのは、幸多たちが屋上から校舎内に戻ろうとした瞬間だった。
電光を帯びた黒い風が渦巻いて、塔屋の真上に幸多たちの視線を誘導したかと思えば、魔法が飛散し、その中から四つの人影が現れた。
「とっくに終わりましたよ、先輩」
「それに握手会じゃなくて、撮影会です。まあ、握手を求められることもあったけど」
「サインもね」
しかし、サインに応じていては時間があまりにもかかりすぎるため、今回は断った。残念そうな生徒たちの顔が幸多の脳裏に過ったが、致し方のないことだ。それに、幸多は天燎の生徒である。サインをする機会ならばいくらでも作れるだろう。
そもそも、撮影会だって開く必要はなかったのだ。
ただ、皆が喜んでくれればいい、それだけのことが幸多を突き動かし、あのような騒動になったのである。
「それは残念だ。新調したこのスーツで参加したかったのだが」
塔屋の上に現れた四人の中でも、特に残念そうな様子を見せたのは、黒いスーツの人物だった。四人が四人、それぞれ異なる色のスーツを身に着けていて、頭部を完全に覆い隠すヘルメットを被っているものだから、一目ではだれなのかわからない。
声を聞けば、すぐにわかったが。
黒木法子だ。
彼女が徐ろにヘルメットを脱ぐと、艶やかな黒髪がその毛量を見せつけるかのように揺らめいた。
スーツ、と、彼女はいった。事実、法子が身につけているのは、スーツだった。ただし、礼服などではない。
全身を覆い尽くす漆黒の衣は、さながらアニメや漫画のヒーローが装着する防具のようだ。ただし、法子たちの身につけているそれは、どうにも禍々しく、異形感があった。その上で導衣を連想させるのは、導衣から着想を得て作られたものだからだろう。
内衣と外衣で構成されているのが導衣だが、その構造を多少単純化し、各部位の装甲を軽量化しているような、そんな印象を受ける。その装甲部が異形なのである。
「スーツ?」
「見てわからないか? 皆代幸多。これこそが、我ら魔王戦隊マオーファイブの戦闘装束デモニック・スーツだよ」
どこか誇らしげに胸を張って見せてくる法子のいつも通りの様子には、幸多は、安心感すら覚えた。傍若無人で縦横無尽、自由奔放にして天衣無縫なのが、幸多の知る法子なのだ。法子が法子らしく、ありのまま、思うがままに振る舞っていることが、平穏の証のようにも思える。
「魔王戦隊?」
「先輩、なんだかそういうのに嵌まってるみたいで」
「つまり、コスプレってこと?」
「違うぞ、皆代幸多。これはわたしが考案したオリジナルのヒーローだ。そして、わたしが魔王戦隊のリーダーにして、マオーブラック。かっこよかろう?」
法子は、デモニック・スーツとやらの意匠に自信満々といわんばかりだった。確かに法子の美貌を損ねることはなく、むしろ引き立ててはいる。
「えーと……は、はい。とても素晴らしいです」
「うむ。さすがは皆代幸多。わたしが見込んだだけのことはある。どうだ? きみも魔王戦隊の一員にならないか?」
「え、ええ……」
「法子ちゃん、皆代くんを困らせないのよ」
背後から法子を窘めたのは、我孫子雷智だ。彼女は、青を基調とするデモニック・スーツを身につけている。特に胸の大きさが強調されているようだが、気のせいだろう。スーツの都合上、そうならざるを得ないというだけのことに違いない。
法子に続いてヘルメットを脱いでくれたからわかったのだが、残る二人は、北浜怜治と魚住亨梧だった。北浜怜治は緑色のデモニック・スーツを、魚住亨梧は黄色のデモニック・スーツをそれぞれ着込んでいるのだが、怜治は少しばかり恥ずかしそうな表情をしていた。
亨梧は、ノリノリだ。
「そうはいうが、マオーブルーよ。我が魔王戦隊は現在四人。名ばかりのマオーファイブなのだ」
「それも、そうなのよねえ」
「マオーレッドが足りませんな」
「うむ。戦隊ものといえば、レッドだ。マオーファイブのリーダーはわたしだが、とはいえ、レッドがいないことには収まりが悪いのも事実。なにより、今後のヒーロー活動に支障が出かねない」
「ヒーロー活動って?」
幸多は、魔王戦隊の話し合いを聞きながら、圭悟に尋ねた。圭悟たちは、困ったような、なんともいえない表情で魔王戦隊を見上げていたが。
「先輩が天燎高校の魔王だっていう話は、聞いたことあるだろ?」
「うん」
天燎の裏の支配者にして、真の権力者。
それが黒木法子であり、なにものも彼女に逆らうことはできないと噂されているのだ。もちろん、そんなものはただの噂に過ぎない。実際に法子が教師よりも権力を持っているなどということはないのだが、とはいえ、彼女の一声で生徒たちが動くのもまた、事実であるらしい。
法子は、天燎高校において最高にして最強の魔法士である。彼女の魔法技量は、戦団が喉から手を出して欲するほどのものであり、何度となく勧誘しては、そのたびに素気なく断られている。
それでも諦めきれない戦闘部は、どうにかして彼女を説得できないかと幸多に相談してきたこともあるくらいだ。
それほどまでの才能の塊である彼女が、天燎高校の学生たちの中で一目置かれるどころか、憧憬の的になっていたとしても不思議ではない。
魔法社会だ。
魔法士として優秀な人間は、人々の憧れを集めるものである。
社会的立場と魔法的才能を併せ持つ曽根伸也が表の暴君ならば、魔法的才能のみが突出した黒木法子は裏の魔王――そんな話を聞いたこともあった。
「一年のころからすぐに魔王として君臨していたって話なんだが、それも飽きたから辞めることにしたんだと」
「飽きたから……」
「まあ、それでヒーローに転向するのは意味わかんねえけど」
「そもそも、黒木先輩の魔王活動とヒーロー活動って本質的にはなにも変わってないのよね。余計なお節介に命を懸けているというか、なんというか」
「いえてる」
「なるほど……」
幸多は、友人たちとの会話から魔王戦隊がいかなるものなのか、つぶさに理解した。
つまりは、法子の暇潰しなのではないか、ということだ。法子は、暇を持て余している。その持て余した時間を使う方法として、人助けを行っているのではないか
人助け。
法子が魔王と呼ばれる所以は、その奔放さと自由さ、傲岸不遜さからなのだが、本質としては善良そのものの人物だということもまた、知れ渡っている。圧倒的な魔法技量で悪事を働くことなどありえず、人助けばかり行っているというもっぱらの評判だった。
その人助けが、相手によっては迷惑に感じることもあるのが、魔王の魔王たる所以の一つだったのは、間違いない。
魔王の善意が、他者の仕事を奪うことも多々あったからだ。
そして、魔王戦隊と名を変えたいまも、それは変わっていないのではないか。
「ということで、どうだ? 皆代幸多。マオーレッドになりたまえ」
「どういうことですか」
「そうよ、法子ちゃん。皆代くんは戦団の導士様よ。貴重な時間を奪うことなんてできないわ」
「なにも魔王戦隊の活動に参加しろとはいっていないぞ。重要なのは、マオーレッドが存在するという事実だ。そしてその中身が皆代幸多ならば、どうだ。魔王戦隊に箔がつくというものだろう」
「それは……そうかもしれませんが」
怜治は、なにやら誇らしげに語る法子の横顔を見て、それから幸多に視線を遣った。幸多の困り果てたような顔は、法子には強く出られない彼の事情を現している。
幸多にとって法子は、大恩人なのだ。
対抗戦で優勝できた最大の要因は、やはり、法子だ。法子と雷智以外の選手はだれでも良かっただろうが、この二人だけは必要不可欠だった。
幸多は、恩義に厚い人間だ。仕方なく手伝っただけの怜治にすら、定期的に連絡を寄越してくれるほどである。彼が怜治に恩義を感じる理由など、一切ないというのにだ。
そんな幸多だからこそ、彼の活動を邪魔するようなことはしたくないと怜治は思うのだが、彼もまた、法子には強くでられなかった。
「なんだ? なにか間違っているか?」
「そりゃあ……まあ……なんといいますか……」
「マオーブラックの意見に賛成だ!」
「黙ってろ」
法子第一主義者とでもいうべき亨梧の意見は、怜治にとって鬱陶しいことこの上ない。
幸多が法子に押し切られ、魔王戦隊に参加する未来は見たくない。
彼は戦団の導士であり、戦闘部期待の若手の急先鋒なのだ。
幸多には、戦団の職務にこそ全力を注いで欲しい、と願うのは、なにも怜治だけではあるまい。
「皆代は、魔法が使えませんよ。魔王戦隊には相応しくないのでは?」
「……不能者差別とは時代遅れだぞ」
「いや、そういうわけでは……」
法子に睨み付けられて、怜治は言葉に詰まった。
幸多を魔王戦隊から逃れさせるためとはいえ、余計なことを言ってしまった。