第千七話 親友と(三)
二学期の終業式は、天燎高校の室内運動場で行われた。
校長・川上元長の挨拶は、長々しくも平凡なものだったということもあり、幸多にはあまり印象に残らなかった。
明日から長い冬休みが始まるからといって遊び呆けていていけない、仮にも天燎高校の生徒なのだから、節度を守り、法を遵守し、学業も忘れることなく、日々を過ごすように――そんな訓示めいた挨拶は、幸多以外の生徒には響いたのか、どうか。
圭吾があくびを漏らし、真弥に小突かれる様を目撃すれば、真面目に聞いている生徒のほうが少ないのではないかと思えたが、そんなわけはあるまい。
幸多の周囲が賑やかなだけだ。
校長の頭に入らない挨拶とは違って、強く印象に残っていることがある。
理事長・天燎十四郎が、姿を見せたことだ。
天燎十四郎は、天燎高校の理事長を務めているだけでなく、天燎財団の理事長も兼任している。もちろん、財団理事長の方が本分であり、高校の理事長はついでといっていい。
元々、理事長が学校を訪れ、生徒たちの前に姿を見せることは少なかったのだが、特にこの三ヶ月ほどは一度も学校を訪れていなかったという。
天燎財団は、天輪スキャンダルを起こしたことで、央都市民からの評判が著しく低下した。このままでは関連企業全体に大打撃を受けかねないほどの事態ともなれば、新たに理事長の座に着いた十四郎が、財団の立て直しに奮起しなければならないのは当然の結論だろう。
学校の理事長よりも、財団の理事長としての職務に専念し、忙殺されるのもまた、当たり前のことだ。
その結果、天燎財団全体の評判が持ち直してきているという話だったが、それにはクニツイクサの活躍も大きければ、護法の長城の存在もある。
財団を始めとする様々な企業が戦団と協力して作り上げた、人類生存圏と魔界を断絶する境界防壁・護法の長城。
その完成が市民の生活に与える影響というものは、必ずしも大きいものではないし、実感を伴うものではないのだが、印象としては強いはずだ。
なんといっても、境界防壁そのものは、各市の外周を囲うようにして聳え立っているのだ。
葦原、出雲、大和、水穂――央都四市の外周を囲う境界防壁は、まさに人界と魔界の境に在って、その威容を見せつけていることで知られる。
霊石結界と境界防壁、そして数多の導士たちこそが、央都四市を護る力なのである。
護法の長城とは、それら境界防壁を元とし、さらに何倍、何十倍にも規模を大きくしたものであり、央都四市のみならず、人類生存圏そのものを護るべく巨大な円を描いている。。
外敵の、幻魔の攻撃から護るための、長大な防壁。
オロバス軍の侵攻に際しては、護法の長城を拠点として戦い、撃退せしめた。その事実が市民に知れ渡れば、戦団に協力した各種企業の評判が上がるのも自然の流れだろう。
天燎財団も、地の底まで落ちかけていた評判を大いに取り戻したという話だし、天燎高校の生徒たちへの反応も、元に戻ったということを圭吾たちがいっていた。
さて、天燎十四郎である。
彼は、多忙の身の上ということもあってか、以前に比べると多少痩せた感があった。寝る間も惜しんで双界各地を飛び回っているという噂だったし、クニツイクサの改良、量産のため、様々な手を打っているという話も幸多の耳に飛び込んできていた。
十四郎の挨拶も、大それたものではなく、手短ながらも生徒たちの自主性を重んじるような、そんな言葉であり、感銘を受けるものも少なくなかった。
残念ながら、幸多の胸には響かなかったが。
「どうだったよ? 終業式」
「どうって聞かれてもね」
幸多が困ったように笑ったのは、圭悟の質問があまりにも雑だったからだ。
終業式は、終わった。
室内運動場から教室に戻り、担任の小沢星奈から冬季休暇期間に関する諸々の注意事項を伝えられると、それでもって解散と相成ったのだ。
しかし、生徒の大半は、教室に残り続けた。
まるで幸多の動向を窺っているような様子が散見されたこともあり、圭悟は、真っ先に立ち上がって幸多を外に促した。すると、圭悟たちに追従するようにして、同級生たちが動いたものだから、圭悟はどうしたものかと頭を抱えた。
幸多は、仕方のないことだと想った。
幸多が学校に来ること事態稀だということもあるし、いまや若手導士有数の有名人になってしまったという事実もある。
幸多とは特別知り合いでもないような生徒たちが、幸多の動向を注視し、話しかける隙を窺うのも無理のないことだ。
仮に幸多が、全く戦果を上げることができておらず、灯光級二位辺りで燻っていたのだとしても、それなりに注目を集めただろう。
導士とは、そういうものだ。
だから、幸多は、圭悟たちに言って、ほかの生徒たちの要望に応える時間を設けることにしたのだ。すると、一年二組の同級生だけでなく、全生徒が押し寄せてくる羽目になってしまった。
「大騒ぎになっちゃったな」
幸多が多少後悔したのは、物凄まじい数の生徒が教室に押し寄せたのを見てからだった。安易に提案するようなことではなかったと、己の愚かさを呪ったが、しかし、生徒たちのきらきらと輝く目を見れば、考えを改めざるを得まい。
戦団に入る前、入った当初の自分も、そんな目をしていたに違いないと確信する。
導士は、人類の守護者である。
導士に対し、尊敬の念を抱かない市民はいなかったし、憧憬の目を向けることも珍しいことではないのだ。天燎高校の生徒であっても、それは変わらない。
天燎財団が方針を大きく転換したことも、多少、影響しているのだろうが。
ともかく、いまや若手注目株にして若き英雄の誉れ高い皆代幸多と写真を取る機会を目の前にすれば、生徒だけでなく、教職員たちも一年二組の教室に殺到するのは、当然のことだったのだ。
そして、そんな教師や生徒たちを廊下に整列させたり、制限時間を決め、てきぱきと捌いていったのは、圭悟たちである。幸多は、教室内で待機し、次々と入ってくる生徒や教師と写真を撮り、ときには握手をしたりと対応するだけだった。
一対一が大半だったが、中には複数人と一緒に撮影することもあった。
『ごめんなさいね、こんな機会、滅多にないものだから……つい』
などと、申し訳なさそうな顔をしたのは、小沢星奈だ。担任教師ということもあり、機会くらいいくらでも設けられそうなものだが、公私混同を良しとしない彼女からすれば、ありえないことだったのだ。そして、このような機会が訪れる日が来ることを待ち望んでもいた。
星奈は、幸多を応援していたし、彼が活躍することを喜ぶよりも、無事生き残ってくれることにこそ、喜びを感じていた。今日、こうして学校に姿を見せてくれるだけで嬉しいのである。
だからこそ、彼と二人で写真を取った。これは生涯忘れ得ない記憶となり、記録となるだろう。
それは、いい。
幸多も、導士と写真を撮ったことは大切な想い出となっているし、原動力にもなっている。
天燎高校の人々が、戦団に対する理解を少しでも深めてくれるのであれば、それだけで、自分がこの学校に通っている意味があるというものである。
とはいえ、少々大事にし過ぎたのではないかとも思うのだ。
全員を捌ききるまで、時間がかかりすぎた。
一組二十秒の制限時間を設けたものの、何百組もの相手をしなければならず、結局、三時間近くかかってしまったのだ。
幸多だけならばまだしも、圭悟や蘭たちにも手伝わせてしまったことが申し訳なかった。
幸多がそのことをいうと、圭悟たちはなにをいうのか、という顔をした。親友として当たり前だといわんばかりだったし、自分たちが手伝わなければ終わるまで日が暮れたに違いないという彼らの言い分は、正しい。
幸多一人では、とてもではないが捌ききれる人数ではなかった。
「まあ、良かったんじゃないか? 皆、良い想い出になったと思うぜ」
「そうね。きっと、そうよ」
「はい。わたくしも楽しかったですわ」
「ぼくも面白かったよ。導士様の撮影会に携わるなんてこと、中々できるもんじゃないからね」
圭悟たちの反応は、幸多が想像するよりも遥かに上々である。
急遽開催された皆代幸多撮影会は、終業式以上の盛り上がりを見せ、大歓声の中、幕を閉じた。それこそ、盛大な式典といってもいいくらいだった。それほどまでに幸多の存在というのは、この学校では大きくなっていたのだ。
若き英雄。
龍宮戦役、境界防壁防衛戦における彼の大活躍は、いまもなお取り沙汰されている。
戦団の新時代を切り開くのが、魔法を全く使えない完全無能者だということも、注目の的になる理由のひとつだろう。
圭悟は、校舎の屋上から見下ろす運動場で、終業式を終え、晴れて自由の身となった生徒たちがなにやら騒いでいる様子を眺めていた。
冬休みが始まろうとしているのだ。
だれもが浮かれている。
かくいう圭悟自身も、物凄く浮かれていた。
なんといっても幸多が顔を見せてくれたのだ。
それだけで、胸の奥が暖かくなった。