第千五話 親友と(一)
魔暦二百二十二年十二月二十三日。
央都四市の全ての学校で二学期が終わるこの日、幸多は、久々に天燎高校の門を潜っていた。
本当に久しぶりだった。
十一月中は衛星任務で空白地帯に赴いていたということもあって一度も顔を出すことができなかったし、十二月に入ってからも任務との折り合いがつかず、全く登校することができなかったのだ。
せめて終業式くらいは顔を出しておきたかった幸多は、どうにかしてその時間を捻出することに成功した。
要するに、上司に掛け合い、任務の日程を変更してもらったのだ。休養日の前借りである。
その結果、つぎの休養日が少し遠のくことになってしまったが、そのことで不満を漏らすような部下は一人もいなかった。
むしろ、幸多のことを心配してくれるのが真星小隊の隊員たちであり、良い部下に恵まれたと再確認したものだ。
ちなみにだが、今日は朝から底冷えするくらいに気温が低く、冬服を着込んだ上に防寒用の魔具を身に付けなければならないほどだった。幸多が制服の内ポケットに忍ばせているのは、超小型発熱器・ヒートハートは、天燎魔具が現在売出中の新製品であり、天燎高校の生徒ということで愛用していた。
可愛らしいハート型の魔具は、起動すると、内部に蓄えた電力を熱へと変換し、発散する。周囲になになければ、周辺の温度を上昇させるが、衣服などに装着して使えば、衣服が熱を帯び、一定の温度を維持し続ける。それによって衣服が燃えるようなこともなければ、火傷をする心配はいらないらしい。
大気中は、衣服の魔素にのみ作用するように調整されているからだ。
頭上を覆う雲の量は膨大で、天気予報によれば、夕方ぐらいには雪が降り始めるだろうということだった。天気予報とはいうものの、余程のことでもなければ、外れることはない。少なくとも央都四市内においては、だが。
「なんだか随分騒がしいと思ったら、やっぱりかよ!」
喜びを隠せない大声とともに、ばしっ、と、強く背中を叩かれた幸多は、すぐさま振り返って彼を見た。
米田圭悟である。相変わらず自己主張の激しい真っ赤な髪を長く伸ばした少年は、天燎高校の制服を自分流に着こなしている。堂々とした体格の持ち主である彼には、どんな着方も似合うというものだ。
すると、にやりとする彼の元へと駆け寄ってくる学生たちがいた。
「圭悟! いくら久々に逢えたからって、そんなことしないの!」
「喜び方にしても程がありますわ」
「そうだね……本当に、そうだね……」
阿弥陀真弥、百合丘紗江子、中島蘭――幸多にとって親友と呼ぶに相応しい三人は、圭悟の無造作にしてややもすれば暴力的な対応に苦笑するほかないといった様子だった。
「だってよお、この騒ぎだぜ?」
「なにが、だって、なのよ? まるでわからないわ」
真弥は、頬を膨らませながらも、周囲の騒々しさには気づいていた。
真弥たちは、いつものように四人揃って登校したのだが、正門を潜り抜けたときには、物凄まじい人集りを目の当たりにしていた。この冬一番の寒さも吹き飛ぶのではないかというほどの熱量もだ。
なにか大きな事件でも起きたのかと思ったものの、そんなことがあればすぐに携帯端末に通知なり連絡なりが来るはずだったし、それがなかったということは、考えられることなどひとつしかなかった。
天燎高校の生徒たちがこれほどまでに沸き立つ出来事といえば、だ。
幸多ではないか。
かの若き英雄、皆代幸多が、久々に登校したに違いない。
真弥と顔を見合わせた圭悟が破顔したとき、彼女は、彼がなにやら良くないことを企んだのではないかと察したものの、彼が徐ろに、巨大な輪を描く生徒たちを軽々と飛び越えていったがためにどうすることもできなかったのだ。
慌てて追いかけたものの、間に合わず、圭悟が幸多に手をあげるのを止められなかった。もちろん、そんなことで幸多が圭悟を恨みに想うことはないだろうし、彼が圭吾や自分たちに向けてきた笑顔には癒やされたものだが。
この人集りである。
登校したばかりの生徒たちが全員この場に集まっているのではないかというほどであり、その熱気だけで周囲の気温が上昇しているようだった。
幸多ほどの有名人ともなれば、当然の結果だろうし、当たり前の光景としか思えない。
男女問わず、大半の生徒が幸多の登校に興奮し、歓喜し、声を上げ、携帯端末を翳していた。写真や動画を撮影するのはもちろんのこと、登校中の他の生徒たちにも報せようとしているものもいる。
大騒ぎだ。
天燎高校始まって以来の、といっても過言ではないのではないか。
「この馬鹿騒ぎが収まるのを待つなんて、無理だろ」
「それは……そうだけど」
「こればかりは仕方がありませんね」
「うん。仕方ないよ」
「うーん……やっぱり、学校に来ない方が良かったかな」
「んなこたあ、ねえよ。なあ?」
「当たり前でしょ! 皆代くんが悪いことなんてひとつもないんだから、気にしない気にしない!」
「そうですよ、皆代くん。皆様が皆代くんが同じ学校の生徒だという事実を思い出して、勝手に興奮しているだけですもの」
「勝手に……まあ、そうだけどね」
蘭が紗江子の意見に苦笑を漏らす様を見て、幸多も笑った。
しかし、渦中の人間であるという意識は、常に持っておかなければならない、とも、幸多は想うのである。
導士なのだ。
高校に籍を置いたまま、導士としての活動を行うことは、決して珍しい事例ではない。
幸多と同時期に入団した草薙真たちは、入団を以て卒業し、任務に専念することを選択したのだが、それは彼らの決意と覚悟の現れであろう。
無論、幸多が、決意や覚悟を持っていないというわけではない。
それはそれとして、だ。
天燎高校の生徒となれば、話は別だというほかあるまい。
天燎財団系列の企業に就職するのが、この学校の生徒にとっての当然であり、戦団に入ろうと考えるものなど一人としていないはずだ。
事実、戦団には、天燎高校出身者の導士が一人もいなかった。
戦団と企業の関係が険悪だったということもあるだろうし、その中でも特に天燎財団が戦団を敵視していたという事実も、大いに関係しているのだろうが。
そんな中、幸多は、戦団に入るために天燎高校を利用した。
対抗戦に出場し、活躍することで入団する権利を得ようという幸多の計画は、必ずしも分の良い賭けではない。いや、むしろ、天燎高校のこれまでの戦績を考えれば、分が悪いというほかなかった。
だが、出場を目指すという段階で、ほかの高校を選択する理由はなかった。
対抗戦に参加するには、学生の中でも並外れた魔法技量が必要不可欠なのだ。幸多のような完全無能者が選手になれる可能性は、万にひとつもない。
唯一の可能性が、対抗戦に一切の熱量を持たない天燎高校から出場する方法だったのだ。
そして、その賭けに勝ち、戦団の導士になることができた。
幸多は、天燎高校に感謝しているのだ。天燎高校が対抗戦に力を入れていなかったからこそ、対抗戦部を立ち上げることから始めなければならず、それ故、幸多が選手として出場することができたのである。
天燎高校がなければ、幸多は、戦団に入ることができなかったのではないか。
少なくとも、戦闘部に入る手段はなかった。
だから、その感謝の気持ちをどうにかして、この学校に伝えたかった。
幸多が、少し遠巻きに自分を包囲する生徒たちの声援に応えるように手を振り、笑顔を見せると、無数の閃光が瞬いた。携帯端末のカメラだ。
幸多は、そんな中であっても笑顔を絶やさないし、教室に向かう足取りも堂々としたものだ。
蘭は、幸多の慣れた様子に感心するほかない。
「堂に入ってるなあ」
「慣れたものって感じね」
「そりゃあそうだろうよ。なんといっても、英雄様だからな」
「はい。皆代様と、お呼びしたいくらいですわ」
「やめてよ、様づけなんて」
幸多は、紗江子に笑い返しながら、圭悟たちとの久々の触れ合いに感動すら覚えていた。
圭悟たちとこうして直接逢って話すことができるというのは、幸福以外のなにものでもない。
導士の日常は、死と隣り合わせの戦場である。防衛任務ならばまだしも、衛星任務の場合は、常に死の気配が漂っているといっても過言ではない。
一ヶ月間の衛星任務を終えれば、大抵の場合、心身ともに疲れ果てるという。
幸多自身もそうだった。
十一月に大きな戦いがあったことも関係しているだろうが、仮にあの大戦がなかったとしても、疲労困憊だったのではないか。
防衛任務は、そんな消耗から回復するための期間といっても言い過ぎではなかった。
そして幸多は、圭悟たち四人の親友との触れ合いこそが、なによりの回復手段だと思うのだ。
精神の。
肉体の。