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第千二話 一二三(二)

 彼は、第四の特異点とくいてんなのではないか。

 イリアの頭脳が導き出した結論は、護法院ごほういんの老人たちにとっても同意するところだった。

 特異点。

 悪魔型幻魔あくまがたげんま皆代幸多みなしろこうたや本荘ルナを呼び表すために用いた言葉。

 その意味するところは、なんなのか。

 幸多が、完全無能者であることに起因するのは間違いなく、それがこの魔法社会に与える強大な影響を指摘しているのだとすれば、確かに特異点となりうる可能性は秘めている。

 幸多を起点として始まる激変。

 今現在、既に、彼の存在が魔法社会の価値観を大きく変化させつつあるという実情を踏まえれば、ありえないことではない。

『疑問だったが、確かに彼は特異点たりうる存在だったな』

 上庄諱かみしょういみなの発言が脳裏のうりを過る。

 人間の中で皆代幸多だけが持つ、情報子じょうほうしを制御する異能いのうは、悪魔を滅ぼすことのできる唯一の力なのだ――と、悪魔や天使はいう。

 その言葉が真実なのかは確かめようもないが、情報子を用いた攻撃が、マモンやアザゼルに通用したのは間違いなかった。

 そう、天使も悪魔も、ただの幻魔ではないのだ。

『あれらは、幻魔の中の特異点なのではないか。だとすれば、特異点たる皆代幸多が存在するのは、悪魔を滅するためなのではないか』

『世界がそのように用意した、と?』

『都合のいい考え方だがな』

『確かに……都合が良すぎますね』

『しかし、情報子でしか致命傷を与えられない悪魔や天使が存在する世界だ。人間にとって、多少、都合のよい出来事があってもいいはずだ』

『それもそうだが……情報局長らしからぬ物の考え方だな』

『……わたしにも、なにがなんだかよくわからなくなってきただけだよ』

 諱の苦笑には、護法院の長老たちも同情こそすれ、否定的な反応を示すものはいなかった。

 特異点。

 悪魔によって名指しされたのは、皆代幸多、本荘ルナ、砂部愛理いさべあいりの三名だ。

 そして、その三名は、確かに特異点と呼ぶに相応しいものだった。

 そして、神木神威こうぎかむい複製体百二十三号。

 幸多によって一二三ひふみと名付けられた少年は、幸多にしか認識できない、霊体のような存在としてこの世界をさ迷っていたのだという。

 幸多に見出され、幻想体という仮初めの体を与えられた彼は、イリアたちの手によって人造身体じんぞうしんたいを得た。現実世界に干渉することのできる本物の肉体。現代最高峰の技術の結晶であるそれは、普通の人体となんら遜色そんしょくのないものだ。

 少なくとも、普通に生活する上では、なんの問題も起きないだろう。だが。

「これはこれは、総長閣下じゃないですか。どうしてこんなところへ? もしかして、暇だったりするんですか?」

 不意に話しかけられて、神威は、渋い顔をした。見れば、新野辺九乃一しのべくのいちがこちらを見ている。己の可憐さを際立たせることに関しては手を抜くことのない第六軍団長の、相も変わらぬ様子には、むしろ安堵さえするのだが。

 そこは、戦団本部の敷地内にある第六軍団兵舎の裏庭である。

 第六軍団兵舎は、華やかな御殿のような外観をしているのだが、裏庭から見てもその流麗さは変わらない。

 兵舎は、それぞれの軍団の色を示すというが、第六軍団もその例に漏れなかった。

 事実、九乃一率いる第六軍団の華やかさは、他の軍団の追随を許さないのだ。

 九乃一自身がそういう人間だから、軍団そのものがそういう空気に染まっていく。第六軍団に配属されたはいいが、第六軍団の空気感が肌に合わず、移籍を望む導士もいないではない。逆もまた然り。別の軍団に配属された導士が、第六軍団への移籍を望み、受理されることもあった。

 軍団間の移籍に関しては、余程の理由でもない限り、わりと自由だ。余程のことというのは、数十人単位、百人単位での移籍であり、そういう事態に発展したことは戦団史上一度たりともなかった。

 将来的には、起こり得ることではあるのだろうが。

「暇ではないが」

「でしょうとも」

 神威の返事に九乃一が笑い返す。その笑顔には、神威への尊敬の念が込められていることは、だれの目にも明らかだ。神威自身、部下たちが自分に向けるまなざしの熱量には、時折、困惑すら覚えるほどだった。

 とっくに慣れたつもりだったが、どうやらそうではないらしい。

 というのも、新しく入団する若い導士ほど、神威に対する尊敬の念が強く、信仰すらしているのではないかと思うような熱量を感じることがあるのだ。

 戦団創設者筆頭にして、戦団史上最大最強の魔法士であり、英雄の中の英雄。

 それが神木神威という人間だ。

 であれば、だれもが九乃一のような、あるいはそれ以上の熱量を込めた眼差しを向けるのは、当然のことなのだ。

 それは、ともかく。

「彼は、どうかね?」

 神威は、九乃一の隣に並ぶと、前方に目をった。

 第六軍団兵舎は、戦団本部敷地内の南東に位置している。

 戦闘部十二軍団の兵舎は、各軍団一棟ずつ、全部で十二棟が本部敷地内に存在している。第一軍団兵舎が本部棟の真北に位置し、時計回りに、各軍団の兵舎が配置されているのだ。

 第六軍団兵舎の裏庭には、屋外運動施設が設置されており、特殊強化樹脂製の運動器具が所狭しと並んでいる。そして、様々な障害物が待ち構える訓練コース、通称・忍の道がその複雑怪奇な姿を見せつけているのである。

 それらは、夏合宿後、九乃一の提案によって設営された。

 通常、戦団本部にいる導士の大半が、本部敷地内の総合訓練所に通い、幻想訓練を行うものだ。日夜、己が魔法技量を鍛え上げるのは、導士にとって重要な職務なのだから当然だろう。

 しかし、幻想訓練は、魔法技術を磨く上では極めて有効的だが、の身体能力を鍛え上げるのには向いていない。できないといっても、過言ではない。

 幻想体と連動しているのは、神経接続器によって結ばれた脳神経であり、意識であり、精神なのだ。

 肉体そのものを幻想訓練で鍛えるには、それ専用の設備が必要だ。

 そして、そうした設備を用いた幻想訓練は、長時間続けて行うのには不向きだった。幻想訓練の結果が肉体に反映されるとなれば、精神のみならず、肉体にも疲労が蓄積するからだ。

 幻想訓練の利点は、長時間に渡って魔法の訓練を続けられるところにあるといっても過言ではない。

 魔法技量と身体能力を同時に鍛え上げようとすると、どうしても半端なものになりかねない。

 ならば、魔法技量に特化した訓練を行うのが、魔法士として正しいあり方だと考えるのも無理からぬことだろう。

 もちろん、それはそれでいい。

 戦団は、これまでそうしたやり方を奨励し、推進してきたのだ。

 だが、身体能力もまた重要だということは、ここのところ声高に叫ばれていることであり、高位の導士ほど実感していることだった。

 そこで、九乃一は兵舎の裏庭に運動場を設けた。夏合宿の経験を経て、肉体を鍛え上げることの重要性を理解した彼は、暇さえあれば部下を扱いていた。

 そんな運動場で障害物を相手に悪戦苦闘しているのが、一二三である。

「見てわかりませんか? ご覧の通り、大苦戦中ですよ」

「そうか」

「いまのままだと、当分は使い物にならないでしょうね。徹底的に鍛え上げないと、新入りの足元にも及ばないでしょう」

「ふむ……」

 それは、わかりきったことではあった。

 一二三は、眼前に聳え立つ大きな壁・大障壁をよじ登ろうとするのだが、手足が思うように動かないのか、度々、落下していた。

 第六軍団の他の導士たちならば、あっという間に突破できるような代物だ。

 だが、一二三には、その程度の障害物すら困難を極めている。

 金田かねだ姉妹が一二三に駆け寄り、なにやら話しかける。一二三が笑い返したところを見ると、軽口でも叩いたのかもしれない。

「随分と馴染なじんでいるようだな」

「あの子たちが特別なんですよ。だれとでもすぐ打ち解けてしまう。最近入ってきた新人たちも、彼女たちのおかげで溶け込んでますから」

得難えがたい人材というわけだ」

「彼も、そうでしょう」

「どうだろうな」

 神威は、九乃一の視線を感じながら、一二三が壁を登っていく様を見ていた。壁には無数の凹凸おうとつがあり、そこに手をかけたり、足をかけたりして登りきる仕組みのようだ。それだけならば、ある程度の身体能力があれば容易く突破できそうなものだが、残念ながら、彼にはそれがなかった。

 いや、身体能力そのものは、あるはずだ。

 第三世代規準の生体義肢で構成された人造身体の運動力は、当然、第三世代相当である。しかも、すぐさま実戦に投入されても問題ないように調整されているという話だった。

 それなのに、一二三は、壁を登ることにすら苦戦している。

 それもそのはずだ。

 彼は、長年、幽霊のような存在だったのだ。

 いわく、透明な存在として、この世界を放浪していたのだという。レイライン・ネットワークに干渉する異能によって、情報を得ることはできた。それら膨大な情報が、彼の人格形成や言語能力の獲得に大いに役立ったのはいうまでもないが、一方で、身体を動かす力となるとまったく得られなかったはずだ。

 一二三が、ようやく手足を動かすことになったのは、幻想体を得てからだが、それだけならば幽霊の頃とほとんど変わらなかったらしい。

 そして人造身体を得た彼は、ただの日常生活すらも苦難に満ちた試練として向き合わなければならなかった。

 故に、第六軍団に彼を預けたのだが、それそのものは、正しい選択だっただろう。

 やがて、一二三が、六メートルほどの大障壁の頂上に手をかけた。全力を振り絞り、頂上に至る。

「やっと、登れた」

 九乃一が、多少の喜びを込めて、つぶやいた。彼の苦戦ぶりを見続けてきたのだ。難関を突破したような感覚が沸き上がっても不思議ではなかった。

 しかし、つぎの瞬間、壁の頂上に立とうとした一二三が勢い余って落下してしまった。咄嗟に飛び出そうとした九乃一だったが、一陣の風が彼の頬を撫でた。

 神威だ。

 一二三を抱き留めた神威は、彼を地上に下ろし、そして、向き合った。

 一二三は、虚を突かれたような顔で、神威を見ていた。

 一二三が神威を知らないはずもない。複製体たる自分の元となった人間だ。

 オリジナルとでもいうべき存在。

 神威はといえば、鏡と向き合っているような感覚を抱いた。ただし、その鏡は、遥か過去を映し出す魔法の鏡である。

 十六歳の頃の自分が、目の前に立っている――そんな感覚。

 実際、一二三の容姿は、神威そっくりだった。

 人造身体である。

 一二三の望み通りの姿形に変えることもできたのだ。なのに、彼は幻想体のままの自分でありたいと願った。その結果がこれだ。

 神木神威複製体百二十三号。

 故に、一二三。


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