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第千一話 一二三(一)

 イリアにとってそれは、大いなるけだった。

 神木神威こうぎかむい複製体百二十三号は、生命真理研究所せいめいしんりけんきゅうじょの巨大生命維持装置、通称・竜の卵に護られることで生き続けていた。

 百二十三号は、脳だけの存在である。

 生命維持装置から取り出した瞬間、死ぬ可能性がないとは言い切れなかった。そのため、イリアは、一二三ひふみに何度も確認した。成功するかどうかも怪しい実験を彼の了解なく行うつもりなど、はなからなかった。

 一二三は、熟考することもなく、イリアの提案を受け入れた。

 生命真理研究所は、このままでは、閉鎖される運命にあったのだ。

 それならばいっそ、イリアの提案にけるべきだろう。

 イリアの提案とは、生体義肢や人工臓器で構築された人造身体に一二三の脳を移植、定着させることにより、一二三に肉体を与えるというものだった。

 成功すれば、一二三は、肉体を持つ人間として現実世界に誕生することになる。

 失敗すれば、死ぬだけだ。

 透明な存在であり、死んでいたも同然だった彼にしてみれば、イリアの提案を受けない理由がなかった。

 幻想体のまま生き続ける方法もある、と、イリアはいった。戦団の強権を発動すれば、生命真理研究所から一二三の脳を取り上げることは難しくない。そして、戦団本部内に生命維持装置ごと移し替えるのだ。そうすれば、一二三は幻想体として生き続けることができる。

 一二三は、イリアがいくつかの可能性を提示してくれたことにただただ感謝した。だからこそ、彼女が最初に提案してくれた人造身体への脳の移植手術に全てを賭けることにしたのだ。

 そして、イリアの実験は成功した。

 イリアが急造した人造身体は、彼のために特別にあつらえられたものだ。保管されていた一二三の体細胞を培養して作られた生体義肢や人工臓器たちは、彼の脳と拒絶反応を起こしにくいと考えられていた通り、よく馴染なじんでいた。

 心臓が脈打ち、全身に血液を循環じゅんかんさせ、体中に魔素が満ちていく様子を見届けたときには、イリアは心底安堵したものだ。

 ひとつの命を無から誕生させた――というわけではないにせよ、そのような感動や達成感があったのは間違いない。

 一二三の人造身体の外見は、彼の幻想体と酷似していた。

 それこそ、骨や肉、皮といった彼の人造身体を構成するほとんど全ての要素が、彼の体細胞から培養されたものであり、彼の実年齢に合わせた成長を遂げた結果だった。

 彼の肉体は、若き日の、十六歳の神木神威そのものなのといっても過言ではないのだ。

 

 一二三は、術後、医務局棟の一室に移され、そこで目覚めのときを待った。

 人造身体の作成及び脳の移植手術は、技術局のみならず、医務局の全面的な協力の元で行われた。

 妻鹿愛めがめぐみ率いる医務局の導士たちが、技術局の実験に付き合わされることはままあることだ。戦団の中で医務局ともっとも密接な繋がりを持っているのが技術局なのだ。

 最先端の医療行為には技術局の協力が必要不可欠であり、最先端の技術研究には医務局の協力が必要不可欠だからだ。

 技術局と医務局は、表裏一体の存在といっても、言い過ぎではあるまい。

 さて、一二三である。

 調整室内の中心に設置された寝台に仰向けに寝ている彼の様子は、傍目には安定しているように見えた。だが、これまで肉体をもたない、まさに霊体のような存在だった彼にしてみれば、あらゆる感覚が違和感に苛まれているに違いなかった。呼吸することすらも初めてなのではないか。

 それでもどうにか生きているのは、さすがは神木神威の複製体というべきなのか、どうか。

「気分は、どう?」

「なんだか……変な感じです」

 一二三は、頭の中に響く自分の声に異様な感覚を抱いたものの、こればかりは慣れるしかないのだろうと考えていた。喉から声を出すという感覚も、呼吸するのも、まばたきするのも、なにもかもが初めてで、新鮮だった。

「でしょうね。しばらくは、違和感ばかりで大変でしょうし、慣れるまでには時間がかかると思うわ」

「……それでも、ぼくは生きている」

「いままでだって、生きていたわ」

「でも、だれもぼくを認識してくれなかった。だからぼくは透明な存在だった。それは、生きていないのと同じでしょう」

「……そうかもしれないわね」

 ひとしきり喋った後大きく息を吐いた一二三の姿には、かなりの疲労を覚えているようにすら思えた。

 少し会話しただけで、それだ。

 彼の人造身体を構成する生体義肢には年相応以上の筋肉がついていたし、内臓も健康そのものだ。疲労を感じるのだとすれば、脳が、肉体の情報量についていけていないからではないか、などと考えるのだが、本当のところはわからない。

「ぼくは、幸多こうた出逢であって、初めて、存在していることを、生きていることを認識されたようなものなんです。それだけじゃない。幸多は、ぼくに他者と関わる方法を与えてくれた。それがなければ、ぼくはやっぱり透明な存在であり続けたんだ」

「幸多くんに、感謝してる?」

「もちろんっ!」

 勢いづいて上体を起こした一二三は、思わず咳き込み、両腕で体を支えるようにした。重力を感じる。全身が、地面に縛り付けられるような感覚。幻想訓練でも感じなかったような感覚が、五感を強く刺激している。

 あらゆる感覚が研ぎ澄まされて、鋭敏化していくような、そんな感じがあった。

 眼前には、自分の下半身がある。視界に入る腕や足が、実体を伴った自分の肉体であるという事実は、一二三に凄まじい感動を与えるのだ。

 触れる。

 透過することのない、実体。

 それもこれも、幸多のおかげだ。

 幸多が自分に気づいてくれたからこそ起きた奇跡の数々。それは鮮烈過ぎる光であり、脳内に輝き続けている。

 星のように。

「この恩は、一生、忘れない」

「恩……か」

 イリアは、一二三が力強く決意する様を見た。それは覚悟に似ていた。

 おの身命しんめいす、決意と覚悟。

 眩しく、輝かしい、星の光。

「……きみが誕生したのは、魔暦二百六年八月二十五日。覚えているかしら」

「……はい。覚えています」

 イリアが唐突になにを言い出すのかと思ったものの、一二三は、頷いた。

 自分が生まれた日のことを、自分以上に覚えている人間などいないのではないか、と、一二三は思うのだ。あの日、あのとき、あの瞬間、一二三は、産声を上げたのだ。

 確かに、この世に誕生を告げた。

 研究員たちの歓喜に満ちた表情も、覚えている。だが。

「あの日、きみは神木神威複製体として初めて産声を上げた。複製実験初の成功体になるはずだった。けれども、失敗してしまった。なぜか」

「……なにか理由があるんですか?」

「これから話すのは、可能性の話よ」

 イリアが、静かに語り出した。

「あの日、ひとつの実験が行われていた。戦団にとって、いえ、人類の未来にとって極めて重要で、重大な実験が。その実験は失敗に終わってしまったけれど、その結果、きみを特異点にしてしまったかもしれない」

「特異点……」

 その言葉が戦団内部で特定の人物に対するものとして扱われていることは、一二三もよく知ることだ。

 皆代みなしろ幸多、本荘ほんじょうルナ、砂部愛理いさべあいり――この三人に共通するのは、悪魔によってそのように呼ばれたという一点である。それ以外に共通点はない。

 そこに自分が加わるとでもいうのか。

「きみは、竜眼りゅうがんを持つ神木神威の複製体として生まれるはずだった。事実、生まれたばかりにきみの右眼は、竜眼だったのよ。けれども、きみの肉体は死んでしまった。研究員たちがどうにかしてきみの脳だけは確保し、生命維持装置に放り込んだけれど、竜眼は消滅してしまっていた。竜眼の力が、きみの意識に転移して、きみの意識を霊体のような存在にしたのではないか。竜眼は、竜級幻魔の力の一部。万象ばんしょうの理すらねじ曲げる竜の力ならば、意識を魔素すら宿さない霊体にすることも不可能じゃないかもしれないでしょう。もちろん、推論どころか妄想に等しい想像に過ぎないけれどね」

 でも、と、イリアは、思うのだ。

 あの日、ユグドラシル・エミュレーション・デバイスの起動実験が行われたとき、央都全体を襲ったシステム障害が、彼の命を奪った可能性は極めて高い。

 生命真理研究所が機能不全に陥り、その結果、生まれたばかりの赤子である彼が死に、不完全な存在としてこの世をさ迷い続けたというのは、可能性としてはあり得るのではないか。

 なんといっても、竜眼が不完全ながらも発現したという記録があるのだ。

 その力がどこへ向かったのか。

 彼自身の意識を守るため、無意識に魔法が発動したのだとすれば、辻褄が合う。

 そして、彼は、特異点として、透明な存在としてこの世界を漂い続けた。

 幸多に見出されるために。

「……きみがもし、特異点なら。特異点だったなら」

「ぼくが……特異点だったなら……?」

 一二三が、イリアの碧眼を覗き込むように見つめると、彼女は、少し困ったような顔をした。

「彼を、支えてあげてね」

 彼、とは、幸多のことだろう。

 一二三は、そう結論づけると、一も二もなく、頷いた。

 いわれるまでもないことだった。

 自分のこの命は、幸多のために在る。

 一二三は、そう確信していた。


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