紙
拙作「ポテチの権利条約」を読むと少し面白くなるかもしれません。
机に一枚白い紙が置いてあった。私は椅子に座って紙をつまんだ。
紙など置いていただろうか。誰かが置いたのだろうか。いや、朝寝ぼけて出したのかもしれない。私は紙を裏返したりしながら見つめていた。
そういえば、この紙はどこからやって来たのだろう。それはとても素朴な疑問だった。紙がどこからともなく湧いて出てくるわけではなく、木から作られていることくらい知っていた。では、一体何処の何の木から作られたのだろう。私は目を閉じた。
もしかすると、近くの森でとってきたのかもしれない。ここら辺は林業が盛んだから、きっとこの紙もそこで作られたに違いない。
私は目を開けた。そして急に虚しくなった気がした。というのも、紙になる前の元の木のことを考えたからである。
この木は植えられたときからきっと紙や他の製品になることが決まっていたのだろう。詳しくは知らないが、木というものは葉を繁らせ、枝を伸ばし、子孫を作って生きていく生物のはずだ。しかし、この紙の元の木はそんな使命を十分に果たすことができずに伐られてしまったのだろうか。
考えすぎだ。紙一枚でそこまで悩むことのできる自分が少し可笑しかった。私はまた目を閉じる。
いや、もしかすると海外の熱帯雨林や原生林なる場所からとってきたのかもしれない。海をはるばる渡って私のもとへ旅をして来たのかもしれないな。
私は目を開けた。もしこの紙が其処からやってきたのだとしたら、今僕は外国の木に触れていることになる。日本はおろか琴泉すらろくに出たことのない私にとってはとても嬉しいことなのだ。
いや待て、私は考える。
前に原生林が昔の半分に減ったとかいうCMを何処かで見た気がする。とするとこの紙はまさにその象徴ではないか。僕がこの紙が入っていたであろうコピー用紙を買ってしまったが為に今もなお原生林が減り続けているのではないのか。
私は少し恐ろしくなった。都市で生きているため確証はないが、森が減ればいろんな生き物が絶滅することになる。そうすれば人間の生活も自ずと危うくなるだろう。だとするとこの紙は今よりもっと、もっと丁重に扱わなければならないのか。
いやいやまさか、私は首を左右に振った。この紙は確か近所のコンビニで買ってきたのだ。別に百貨店とかで買ったわけではない。いやそもそも百貨店に原生林で取れた紙が売っているのかは知らないが、少なくともそんな貴重なものではないだろう。
私は安堵して紙を見つめた。そして、また突拍子もないアイデアが浮かんだ。
そもそもこれは本当に紙なのだろうか。目をつぶる。
紙の作り方は知っている。だが、私はその行程を実際に見たことはないし、近くにそういう工場もない。だから、もしかすると私が普段から「紙」だと思っているものは実は紙ではない別の物質なのかもしれない。
大体にして、この物質には別の本当の名前があるかもしれない。当たり前だが、この世の全ての物事は全部人間が名付けたものだ。紙も車も時計も地球も生も死も、存在は確かにするがその言葉自体は人間が作り出した概念なのだ。私たちはただその概念に実際の物の形をパズルのピースのように重ね合わせているだけなのかもしれない。だから、目の前にあるこの白くてペラペラした物体は本当は「タラコパスタ」とか「バカヤロー解散」とかそういうワードの方が似合っているのかもしれない。
バカらしい、と私はそれまでの考えを一蹴した。紙が紙でないと仮に分かったとしてそれがなんだって言うのだ。俺は俺であるからゆえに俺なのだ、と言う人と同じように、紙もまた紙であるからゆえに紙なのだ。人類がこれを紙と呼ぶ限り、これは紙であり続けるだろう。紙を凝視した。
すると、紙の一部が灰色になっていることに気づいた。
もしかして、再生紙か? また目をつぶる。
そういえば、と私は思い出した。この紙が入ったものを買ったとき右下に100という数字と何かのマーク書かれてあったのだ。きっと紙が100%古紙で出来ているものにちがいない。私は心のわだかまりがとけたようで、また貴重な紙資源を無駄に使っているわけではないと知って安堵して、紙を元の机に戻した。
目を開けると、なんだか先程までとはうって変わってその紙に親近感が出てきた気がした。端から見れば頭でもおかしくなってしまったのかと思われるかもしれないが、なんとなくその紙と友達にでもなった気がしたのだ。
そこで、会話に水を差すように電話がなった。私は少し不機嫌になって乱暴に電話に出た。会社の後輩の石井からだった。
「せ、先輩!資料まだできないんですか?あと3時間しかないですよ!」
プレゼン……?そういえば、今日は社内で新商品のプレゼンをすることになっていたんだった。私は慌てて、すぐ作ってそっちに送ると返した。
「急いでくださいよ!」
石井は私に念押ししてから電話をブチッと切った。全く、新人教育くらいしっかりしてもらいたい。しかし、私に会社や後輩にぶつくさ文句を言っている暇などないのだ。
私は出会ったばかりの「友達」を急いで引き出しにしまうと、パソコンを取り出して作業を始めたのだった。
完