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第9話 恐怖

 ——ドスン、ドスン、ドスン……。


 巨神兵が大地を唸らしているかのような重低音が轟き、トランポリンで跳ねているかのような反動に俺はようやく目を覚ます。


「ようやく目覚めたか。少年は何かある度によく気絶してしまうから困ったものだよ」

「……ん。一体ここは……」

 

 目覚めたばかりでまだぐらつく俺の視界にぼやけて映ったのはどこかに座っている女の姿だった。

 まだ意識が朦朧としているせいでここがどこか、何がどうなっているのか思い出せないでいたが、時間が経過するとともに徐々に記憶の扉が開かれ始める。


「そうだ。俺は確かドアの中に入って行って、そこで女の後ろに化け物がいて……って化け物は! あの化け物はどこ行った!?」

 

 記憶が完全回復したばかりの俺の脳内に刻まれていたのは、俺を気絶させた元凶であるあの天井スレスレの高さを持った化け物の姿であった。

 警戒大勢に入った俺は前方に化け物の姿が確認できなかったので、左右を向いて確認するが座っている女の姿しか見えない。

そんなビビりにビビりまくっている俺の姿を見て見損なったのか、ため息まじりに女が喋りかけてくる。


「はぁ。もしかして少年の言っている化け物とは私達の後ろにいる子のことなのかな?」

 

 俺は女の言葉を聞いて即座に振り返ると、なんとそこにはあの化け物が立っていたのだ。

 俺の視線に気付いたのか、化け物もこちらに視線を向ける。

 先程よりも距離が縮まりより巨大に、より迫力を感じる化け物を直視してしまった俺は無事発狂してしまう。


「ギャアァァァァァァァァァ!!! こ、殺されるうぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」

 

 声が裏返るほどの轟音が狭い校舎の壁を何重も反射して鳴り響く。

 ヒリヒリと喉元が痛み、手で強く揉まれていると錯覚するほど心臓が締め付けられていた。

 腰が抜けてしまった俺は尻餅をついてしまったのだが、座った姿勢からは映らない筈の光景が映り込む。


「てか……俺浮いてね?」


 普通座った姿勢に映る光景は床とスレスレの低い位置の景色が映る筈なのだが、今の俺は浮いていたのである。


「下を見たらわかるんじゃないかな」

「下…………わぁ!? これってもしかして——手なのか? それもこの化け物の」


 女に言われるがまま下を向くと、俺の下には床ではない固く黒いものが敷かれていた。

 それによく見ると先端には万物を切れそうな鋭利な爪も生えているではないか。

 これは間違いなく化け物の手である。


「そうだよ。意識を失った君を起こすために、この子の手の上に乗せて歩き回ってもらっていたんだ」

「そ、そうなのか……。それはなんかすまないことをしたな……」


 女の発言から察するに俺を起こすために化け物に協力してもらっていたらしい。

 どこか申し訳なくなった俺は化け物の顔を見て軽く一礼する。


「それに化け物と言っているがね、この子は化け物ではなく式神だ。それも丹蔵という名前もあるのだよ。ありがとう丹蔵、もう降ろしてくれ」

「うあぁ……」


 丹蔵と呼ばれた化け物…………ではなく式神は女に言われるがままハスキートーンの声を唸らせてゆっくりと腕を床に降ろし始める。

 丹蔵の手が床に触れたので俺と女はそのまま床に飛び降りた。

 まるで馬と意思疎通を図るために体をタッチする騎手のように、女は丹蔵の腕をポンポン叩く。


「先程も口にしたがこの丹蔵は式神なんだよ」

「式神ってあの式神なのか? ほら……人型の紙から変身したりする」

 

 アニメや漫画で式神という存在を見たことがあるが、どれも小さな人型の紙に使役者の血を付けると巨大な化け物に、まさに丹蔵のような姿に変化していた。

 恐らくあのイメージが式神という存在の間で固定されているのだろうが、現実もそうなのであろうか?


「そうそう、まさにその通りさ。丹蔵も元の姿は小さな紙きれなのだよ」

「へー、まんまなんだな……」


 現実が紙切れだからアニメや漫画の式神も紙切れなのか、アニメや漫画が紙切れだから現実の式神も紙切れなのかどちらなのだろうかと不思議に思うも、考えれば考えるほど頭がゴチャゴチャになるので一度思考を停止した。


「私達はこれから階段を伝って六階へと向かう。ここで丹蔵とはお別れになるから、ほら、少年もこの子にお礼を言うんだ」

 

 俺は女に言われるがまま丹蔵の目と目を合わせる。

 何度見ても剥き出しになっている瞳孔はグロテスクにも程があるが、俺はたじろぎながらも頭を下げた。


「ど、どうもありがとう」

「ガア゛[#「ア゛」は縦中横]ア゛[#「ア゛」は縦中横]ア゛[#「ア゛」は縦中横]ア゛[#「ア゛」は縦中横]ア゛[#「ア゛」は縦中横]!!!」

「ヒィィィィィィ!!!」

 

 頭を下げて感謝を伝えたつもりであったが、なんと咆哮をかましてきた丹蔵に俺は腕と脚を同時に上げてビビり散らかしてしまった。

 そんな俺の態度を見た女が、


「今のは少年の感謝に対する返事だよ。丹蔵も君のことを気に入ったみたいだ」

 

 などと笑顔で言ってくるものだから俺はつい「ほんとかよ……」と弱気な返事をするのであった。

 

 *

 

 丹蔵に別れを告げ、俺達は二階へと伸びる階段の一段目に足を置いた。


「でも俺が扉から入ったときの丹蔵の目は明らか俺を殺そうとする目だったぜ!」

「それは君が部外者だからだよ。丹蔵は侵入者が入ってきた場合、それを排除させる目的の為にあそこに置いたんだ。だから丹蔵の反応はなに一つ間違っていない。むしろきちんと機能してくれていて安心したぐらいだ」

「侵入者ってなんだよ! あんなところから入れるのアンタぐらいしかいなくね!?」

「いやいや。ほら、よく空き巣を狙う泥棒とかがいるだろ?」

「空き巣って……別にここアンタの家とかじゃ無いんだからさ……」


 階段を登りながら俺は未だに丹蔵のことを問い詰める。

 俺が扉から侵入した直後の丹蔵の様子はまさしく東大寺南大門に聳える金剛力士像であった。あれは完全に俺を跡形もなく消し炭にしようとしていたに違いない。


 まあ女が警備員として丹蔵を置いていたのならあの反応も分からなくはない。

 だがこんな廃れた高校に泥棒なんて来るわけないし、そもそも誰もあんな真似できる筈がないではないか。

 デカい警備員を置くほどこの場所に何か貴重なものが置いてあるというわけでもないし、ほんと不思議なことだらけである。

 にしてもあのときの丹蔵は怖すぎだ。流石にあそこまで脅さなくてもいんじゃないのか?


「でもよ、あんなに脅すこともないと思わないか? 第一アンタも側にいたし、普通俺は客人って扱いだろ」

「それはね、少年。君が半分妖怪だからだよ」

「…………」

 

 俺は女の優しげな返答に黙りこくってしまった。

 貧北高校やら、光る扉やら、怖い丹蔵やらで忘れていたが、俺の体内には妖怪が住み着いているのであったな。


「そうだったな。良かったよ、丹蔵と仲良くなれて」

「そうだね。私も嬉しいよ」 

 

 俺の苦笑いに女は微笑みを浮かべた。

 

 *

 

「おや、もう気がつけば五階に到着だ」

 

 少し歩いていると、階段横の壁に五と数字が記入されていた。

 それを確認した女は廊下手前で足を止める。

 俺も女につられるがまま動きを止めた。


「君も知っていると思うが、五階から六階に行くためにはここを右折して校舎の端まで歩かねばならないね?」

「もちろん知っているに決まっているだろ。一階から五階、五階から六階はめんどくさいけど別の階段を使うんだ。それがどうしたんだよ?」

 

 この高校は不便なことに五階から六階に伝わる階段が一階から五階に繋がる階段の真反対に存在する。

 だがとりわけ六階を使う機会などほとんどないので、正直ウザがるほどのものでもないがな。

 やや不貞腐れがら返事する俺に構うことなく女は話を続けた。


「今私たちが向かっている場所は六階の多目的室。しかし多目的室に向かうにはこの廊下を歩かなければならない」

「別に歩くぐらいなんてことないだろ」


 俺はやけに神妙な雰囲気を醸しながら喋る女に質問する。

 実際廊下を歩けばいいだけだ。別に廊下が燃えているとかじゃないのだから…………、


「ってうわぁ!?」

 

 なんと考え事をしている最中に、なんの前触れもなく俺の体が廊下に突き出されたのだ。

 俺は体が廊下に衝突するギリギリで軽い受け身をとるが、軽く頭をぶつける。


「いってぇ……。おい、いきなり何すんだよ!」


 俺は痛む頭を手でさすりながら自分の体を押した元凶、階段前に立ち尽くす女を睨んだ。


「左を向いてみな」

「は……? 左って一体何の————」

 

 訳もわからぬまま女に押され、挙げ句の果てに左を見ろという女の指示に従った俺の視界に映ったのは、今にも校舎を焼き尽くさんとするほどの夥しい炎であった。


「こ、これは一体……?」


 誰にも使われていないはずの新校舎に舞う鮮血色の炎。

 暗い廊下も真昼のような輝きを放ち、侵入者を拒む壁のように奥へと続いている。


「この炎はね、特殊な炎で一般的な炎とは異なるんだ」


 耳元から声が聞こえ反射的に振り向いた俺の横には、つい直前まで廊下前に立っていた女が片膝をついていた。

 頬と頬が触れそうなほど近づけている女の美しい顔を目にして一瞬心臓がバクつくも、今はそれどころではない現状に視線を戻す。


「どうだい? この炎は熱いかい?」

「あ、熱い。あと三歩進んだら間違いなく俺の体は焼け焦げる……」


 女はこの炎を特殊な炎と言ったが熱量は一般の炎となんら変わりないものである。

 近づいた途端体に燃え移るのは間違いないだろう。


「そうか。でも私は全く熱くないよ」

「嘘だろ? 今にも火傷しそうな熱さだぜ?」

「それはね少年。君がこの炎に恐怖心を抱いているからさ。だから熱いと感じる。私は全くと言っていいほど恐怖心を感じていない。言っただろ? この炎は特殊だと」

 

 俺は女の発言に唖然とする他なかった。

 もう「そんなことあり得んのかよ!? てかなんでこんな場所に炎があるんだよ!?」なんて言うつもりはない。ただやはりこの環境に身が慣れる未来は全く想像出来ないものだ。


「で、でもよ。恐怖心があるって言っても、こんな燃えてたら誰だって怖がるよ。この炎の海の中を渡って行くなんて、尚更恐怖心が煽られる」

 

 俺は何も間違ったことを言っていない自信があった。

 この女が特殊なだけで普通の人間はこの炎の廊下に一歩足を踏み入れることすら不可能であろう。

 それを百メートル近くある廊下を渡れだなんて不利な話だ。


「呼吸が乱れているよ少年。それに脚も僅かに震えている。ゆっくり深呼吸して、荒ぶる心を沈めるんだ」

 

 女はそっと俺の脚に手を当て静かに囁いた。

 俺は女に言われるまで自身の呼吸が乱れ、脚が震えていることにさえ気づいていなかったのだ。

 俺は燃え盛る炎に対し小さく拒絶をしていたのである。


「スゥ……ハァ……。スゥ……ハァ……」


 俺は大きく息を吸ってゆっくりと吐き出す。

 不規則な呼吸のリズムを正しながら、左手を震える脚にゆっくりと添えた。


「そうだ。一糸乱れぬ呼吸でそのまま立ち上がれ。そして視線を廊下端の壁へと定めながら、一歩前へと踏み出すんだ」


 俺は手をつきながらゆっくりとその場で立ち上がった。

 視線を向こうの壁へと定め、唾を飲み込み、拳を握って恐る恐る一歩前に足を踏み出す。


「アチッ!」

「気をしっかり持て。前に進むことだけに集中するんだ」 

「お、おう」 

 

 まだ恐怖心が残っているのか、真夏の砂浜の上を裸足で歩いているような熱さを感じるも、根気強い我慢を見せる。

「いいぞ。その調子だ」


 俺は一歩ずつ、一歩ずつ前へと進んだ。

 今自分は確実に炎の中へと足を進めている。

 だが女の言う通り殆ど熱さを感じなくなった。

 

 恐らく炎は俺の首元までを包んでいる。

 いや、もう炎のことについて考えるのはよそう。

 俺はただ進むしかないんだ。


 もうここで——止まることなんて出来ない。

 


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