伊勢胆
フカフカの絨毯が敷かれた伊勢胆のフロアを歩いていると、やたらと視線を感じた。その視線はいわゆる好奇のモノだ。
明らかに客ではない俺を迷子とでも思っているのだろうか。不機嫌になって身綺麗な店員達を睨むが、笑顔を返されてしまう。なんなら手まで振られる。
「……調子が狂う」
いつもなら"性悪の"があれこれ言うところだが、姿を消しているので静かなものだ。
「読書家ねぇ」
大人びた大学生や仕事帰りのOLが行き交う伊勢胆の中に、神憑きと思われる人物はいない。"性悪の"と同じように神の残滓が姿を消している可能性もある。その場合、こちらから一方的に見付けることは出来ない。
「持久戦かぁ」
居心地の悪さを感じてトイレ脇へ逃げ込み、ちょうど良く置かれていたソファーに身体を沈める。
よくよく考えたら、読書家は現場に来る必要はないのかもしれない。ブランド品と文庫本の1ページを入れ替えるのだ。遠隔で発動するスキルに違いない。店内より外を見張っていた方がよかったか。
「ねえ」
となると、さっさとここから立ち去るのが吉だ。神憑きがスキルを使う時、必ず神の残滓は姿を表す。そのチャンスを逃す訳にはいかない。
「聞こえないの?君、私のこと探してるでしょ?」
「……えっ?」
顔を上げると、スラッとした長身の女が俺を見下ろしていた。
「どちら様で?」
「うーん、読書家?」
ヤバイ! 油断した!
跳ね起き、身構える。状況を察した"性悪の"が顕在化し、身体に力が篭った。
「フフフ。焦り過ぎ。別に襲わないよー」
女の肩には蝶がとまっているが、殺気は感じない。
「新宿駅を歩いていると、この子が騒いだの。変だなって思って周りを見渡すと君が居たってわけ。見てると肩のネズミが姿を消したから、これは何かあるなって」
……完全にやらかした。焦りで身体が熱くなる。
「それで尾行してみたら伊勢胆に向かってるじゃない?あぁ、これはもしやって思ったのよね」
"どうするハジメ? 多分勝てるぞ"
そんなことは分かっている。だがこんな所で戦うのはマズイ。覆面だってバッグの中だ。
「場所を変えよう」
「フフフ。変なの。……ところで君、可愛いね」
女が顔を覗き込んでくる。
「どういう意味だ?」
「ええ? そのまんまだけど。もしかして天然?」
「違う」
「違わないよー」
女の言ってることが全く理解出来ない。
「とにかく場所を変えよう」
「いいわ。お姉さん、キュンキュンして来ちゃった。このまま直行でもいいよ?」
「……何処へ?」
「あははは! 本当、可愛いなぁ! よし、行こう」
女は勝手に俺の手を取り、歩き始めてしまった。