渋谷の怪怪
噂は本当だった。
渋谷モヤイ像の前にはタンクトップ姿の男が立っており、その横には昨日と同じ立看板が置かれている。しかし違うところがある。シチュエーションは同じだが、肝心の本体が別モノだ。
「別の人だけど、気持ち悪さは同じね」
「ピッ」
九賀の辛辣な言葉に"カチカチ腹筋"の咥えたホイッスルが鳴った。どう考えても昨日の奴と同じメンタリティだ。
「九賀。チャレンジしてこい」
「絶対に嫌よ! あんなのに触りたくない!」
「ピッ!」
うーん。間違いないと思うのだが、証拠がない。神の残滓は見えないし、【屈強】のようなスキルを使っている訳でもない。現状、ただ単純に腹筋を鍛えた男達が日替わりで立っているだけに過ぎない。
しかし、そんなことがあり得るのか? 一体どのような団体が何の為に──。
「どけどけどけー!」
背後から声がして俄に人垣が崩れ、何者かがモヤイ像の前に躍り出た。随分と大柄な女だ。九賀よりも更に背が高く何やら野生味を帯びている。
「……猛獣ハンター望月……」
九賀が知らない単語を呟いた。
「うん? 誰だ?」
「えっ、知らないの? よくテレビに出てるじゃない」
「観ないから知らない」
群衆が一斉にスマホを構える。どうやら有名人というのは本当のようだ。
「お前か! 面白いことをやっている奴は!?」
望月がタンクトップの男に問いかけるが、当然のように答えない。"カチカチ腹筋"は寡黙さがウリなのだ。
「男! 名前はなんという?」
いや、答えないって。ホイッスル咥えてるだろ。
「なんだ、名前が無いのか。可哀想な奴め。私が名付けてやろう」
どんな思考回路をしているんだ。この望月という女は。
「渋谷で腹筋を見せてるから"渋腹見せ太"だ!」
なんと安直。"カチカチ腹筋"も困惑している。
「よーし、腹筋殴るぞ! 歯を食いしばれ!」
それは無理だろ。本当にこの女は無茶苦茶だ。
「いくぞー! それっ!」
「ピ──ッ!!」
あれ? 望月が殴ると簡単にホイッスルが鳴ってしまった。
「もう一丁! それっ!」
「ピ──ッ!!」
「おまけだ! それっ!」
「ピッ! ピピ──ッ!!」
望月に歓声が向けられる。誰かが望月コールを始めると、手拍子とともに何度もその名が繰り返し叫ばれる。一方でタンクトップの男は腹筋を押さえて膝をついていた。
「九賀。なんだこれは」
「……猛獣ハンター望月……」
「いや、それはもう聞いた」
「……これが望月なのよ……」
わけのわからない喧騒を冷めた感情で見つめていると、急に望月が振り返り目が合った。
「おい、子供! その視線、覚えがあるぞ!」
なんだ? どういうことだ?
「その突き刺さるような眼差し。懐かしい」
望月の言っていることが分からない。
「ちょっと来い!」
一瞬で間合いを詰められた俺はそのまま小脇に抱えられ、望月に連れ去られた。




