媚薬を飲んだ師匠を何とかしようとする話
「媚薬を飲んでしまった……」
「は?」
いつもよりも乱暴に扉を開けて戻ってきた師匠が、目が合った瞬間によろよろと床に倒れこんだ。
自力でベッドに潜り込んだ師匠は顔を赤くして荒い息で苦しそうだ。
「とりあえず私は避難しておきますので、水と食料はここに置きますね」
官能小説みたいになるわけにはいかない。
「ま、待て!」
ばんと目の前で扉が閉まる。
は、なに閉じ込めてくれてんの。
「媚薬を飲んだ師匠を一人ぼっちにするつもりかい!」
「はい!」
がちゃがちゃとドアノブを破壊するつもりで開けようとするがこんな状態でも師匠の魔法が強力すぎて開かない。
「ぅっそでしょ、そっちこそ正気ですか師匠の都合で弟子を傷物にするつもりですか!」
「責任は取るぞ!国でも五本の指に入る高給取りだからな僕は!」
「金で解決するなっていうか、じゃあなんでこんなボロ家に住んでるんですかっ」
ドアがだめなら窓だ。
幸い魔導士と思えないくらいには身体能力が高い。
窓に駆け寄って近くにあった丸椅子を振りかぶる。
「やめるんだ、怪我をするぞ!」
ベッドから師匠が叫ぶ。
絶対盛大な音がして窓ガラスが砕け散ると思った。
のに。
ぐわん!
と空間が歪むぐにゃりとした感覚で椅子が虚空に呑み込まれる。
「うわー最低」
「え、なんで?割れたら大怪我だろう!?」
意味が分からない、割ろうとしたのに怪我なんて気にするわけないし内側から割るんだから外に落ちるでしょ。
「あ」
そうか。
得心が言ったという顔をすると師匠は大きく頷いた。
「そうだろう外に人がいたら怪我をするだろう」
「いえ」
そうではなく。
普通に窓枠に手を掛けたら普通に開いた。
よかったよかった。
窓に足をかけて振り返る。
「こんな広大な敷地内、破片が飛び散る範囲に誰も外を通ったりしないですよ」
ひらりと身をひるがえした。
「三階だぞ!!」
知ってる。
媚薬なら性欲を解消すれば治まるはずだ。
私を引き留めようとしたくらいだから相手が欲しいんだと思う。
ならば。
「姐さん、魔導士の性欲受け止めてもらえませんかね?」
「まーたこの子は窓の外から来ちゃって」
馴染みの娼館最上階の部屋を窓の外から覗くと、慣れ切っているクレアが入って来いと手招きをしてくれた。遠慮なく部屋に入る、うっすらと良い香りが漂っている部屋は調度も豪華でクレア自身も負けずに上質なドレスをまとっている。ドレスといえど、防御力は皆無だけど。布地も高級だけど薄くて、露出面積は少ないものの立ち上がったら体の線は強調される絶妙なラインだ。クレアはこの高級娼館で常にトップの座をキープしており、以前にとある事件で知り合って、以来頻繁に遊びに来ている仲。
「で?今度は何があったっていうの?」
気怠そうに頬に指をあてて首を傾げるしぐさが色っぽい。
「師匠が媚薬飲んだんです」
単刀直入に言うと、ふむ、と唇を歪めた。
「媚薬?そんな強力なの出回ってるのかしらねえ」
「師匠は女っ気ないから弱くても抜群に効いちゃうんですよきっと」
「ふぅん?よくわからないけどスターレットのクレアさんは、高いわよ」
妖艶に微笑んで金額を提示してくる。
「大丈夫です、私の半年分の給金を持ってきましたから!」
半年分あればさすがに足りるよね。
「……。ま、成功報酬にしときましょうか。今からなら行けるけど?」
「やった、姐さん大好き。すぐ連れて行きますね」
ほっそりした手は儚くて、転移のために抱き寄せた体も細くてでも胸は大きくてそりゃあトップになるよねと同性ながら思った。あと、魔力障壁なくて簡単に転移できるとかこの娼館のセキュリティ大丈夫かなって。まあ転移できるような魔導士そんなに人数いないとは思うけど。
「はぁ、相変わらずお見事」
にこりとまぶしい笑顔で見下ろしてくるクレア。家の前まで移動して、3階の師匠の部屋に向かう。
「師匠は抵抗するかもしれませんが問答無用で襲っちゃってください、じゃないと私の貞操がヤバいので」
「うんうん」
「ただ、身の危険を感じたらこれを押してくれたら助けに行きます」
丸いシルバーのプレートに石がついたものを渡す。
「心配してくれるの?なら見てても良いわよ?」
恐ろしい提案をしてくる。
「いえ、さすがに師匠のそういうの見てしまったら私まで何かを失う気がします」
師匠の部屋の扉を無理やり魔法で解錠して開く、いつもなら絶対開かないのに開いたということは師匠の魔力まで不安定になっているということだ由々しき事態だ。
人差し指を唇に当ててクレアを押し込み、無言で扉を閉めて鍵を閉め外から声をかける。
「師匠!全部受け止めてもらってください!ちゃんと防音魔法かけときます!」
「……は?え、なんだ、なんでアデレード――」
よし、何も聞こえなくなった。
こういうの、何時間くらいかかるんだろうか。
普通の場合と、媚薬を飲んだ場合。
書庫で文献を漁りながら待つ。今は国から依頼があった古代魔法を復活させる研究をしているところだ。
そういえば師匠は今日その件で西の魔女に会いに行ったはず……あ、あの魔女に飲まされたのか。気に入られてたからな。でも結構な年増――とか言ったら怒られるやつ。
文献と睨めっこしてなんとか古代文字を訳していると、クレアの足音が聞こえた。
「アデレード、お待たせ」
「クレア」
「相変わらず薄暗いところね、もっと明るくすればいいのに」
「日光は書物の敵ですから」
ほんの少し前と寸分違わず、髪の一筋も乱れていない。
「めちゃくちゃ早くないですか?」
師匠、そんな一瞬で終わるの?
クレアの赤い唇がきれいに弧を描く。
「とにかくあなたの師匠のお部屋に行ってみなさいよ、もう大丈夫だから。あと、お代は出張費だけでいいわ。また今度スイーツ店巡りに付き合ってくれたらそれで十分」
「へ?」
コツコツと高いヒールを鳴らしてクレアが出て行った。
成功報酬を要求されなかったということは、あのクレアが失敗?まさか。
そしてもう大丈夫、とは?
失敗していたら大丈夫なはずがないし、成功していたら請求が来るはずだし?
どういうこと?
「考えててもわからない。師匠ー」
扉を一応ノックして開く。
「ぐっ」
変な声がした。
ベッドで毛布を頭から被って丸くなっている。
「もう大丈夫なんですか?」
「僕は不能じゃない」
「は?」
「あーまずい、わかった、いや、うん、そうじゃないとこんなことしないと思う、うん、」
「え?」
「よしアデレード、落ち着いて聞いてくれ」
毛布から目だけ出して師匠が言う。
「はい」
とりあえず扉は開いたまま、一歩部屋に踏み込んだ位置をキープ。
「正直、クレアには役に立たなかった」
「文章の意味がよくわかりません」
「そもそもクレアを連れてくるなんてひどいじゃないか」
「ひどいって……さすがにそこらの女性を生贄にするわけにはいきませんし、お金を払ったら引き受けてくださる方がいるんですからその方が良いじゃないですか」
クレアは客を選べる立場だ、嫌だったら嫌だと言うし、娼館を通さない依頼なんてそもそも引き受ける必要もない。それでも承諾してくれたのは、嫌じゃなかったからだと思う。まあ、楽しそうとか師匠の弱みを握れるとか、そういう打算もあるのかもしれないけど。
「そこは師匠のために自分の体を張って」
「バカですか、そんなことするわけないでしょ」
「バカ……弟子にバカって言われた……。うんまあ、それはそうだな、僕が悪かった。冗談だ」
質が悪すぎる冗談だけど。
「そもそもどうして僕がアデレードを引き留めたかというと、君にしか役に立ちそうにないからだ。さっき自覚した」
「さっきから文章がよくわからないです」
ただ、なんだかものすごく嫌な予感だけはする。
「えーっと、そういえば私ずっと休みなく働いていたのでしばらく実家に帰る予定なんでした」
「……人の話聞いてた?」
「ちょっと理解できないって申し上げましたね」
「だから、僕のこの症状は性欲が先じゃなくて好意が先だってことだ」
「え」
「わからないふりはしてくれるなよ、君は頭が良いはずだ」
師匠は顔が真っ赤だ。
媚薬で性欲が刺激されたから手近な私を引き留めようとしたんじゃなくて、そもそも私に好意があるから私に対する性欲が?だからクレアには役に立たず私には役に立ちそうだ?性欲で力が漲ってるアレが?
「え……超迷惑なんですけど」
「ああああぁぁぁどうせそう言われると思ってた!」
「そんなこと言われたからって絆されないです、西の魔女に解毒薬もらいに行ってくださいよ早く」
「この状態で外に出ろって言うのかい?」
「クレアに役に立たなかったんなら、西の魔女にも役に立たないんでしょうから大丈夫ですよ。ひと月くらい実家に帰った後ついでにバカンスに行ってきますね、お土産は送ります。じゃ!」
ばたん。
勢いよく扉を閉めて自室に戻り荷造りをして転移。
本気の貞操の危機怖い。