薬剤師1年生
薬剤師国家試験を合格して薬剤師になった。
免許はまだ手元に届いていないが、数か月の間には届くということだった。
内定先は、大手の調剤薬局。
特にこだわりはない。第一志望のところに落ちてしまってから、どうでも良くなってしまって決めてしまった。
どうやら、売り手市場のようで免許さえ持っていれば、ほとんど落ちることはないということだった。
筆記試験もなしで1時間くらいの面接一回で内定だった。
社会人に初めてなるわけだが、わくわく感はない。
それは、わたしが第一志望でない企業だからだろうか?夢をみない、さとり世代だからだろうか?それともいろんなアルバイトをしていたからだろうか?
学費は、全部自分で払った。
正確には、奨学金を上限一杯月14万円借りて、その上で足りない分は死に物狂いで稼いだアルバイトで補った。
※第二種奨学金は上限額12万円ですが、医・歯学の場合4万円、薬・獣医学の場合、2万円の増額が可能
14万×12か月×6年で1008万円。ここに入学時特別増額50万円が加わり合計1058万+利息になる。
※薬剤師国家試験受験資格は4年制ではなく、6年制が対象
これを何としても働いて返さなくてはならない。
私のようにこれだけの金額を奨学金で借りる人は珍しいが、奨学金を借りている人は全く珍しくない。
最近では、二人に一人が奨学金を利用しているくらいだ。
薬剤師になった理由は、単純に生活を安定させたかったからだ。
なにか、身を粉にして人を救いたいみたいな崇高な目的があったわけではない。
ただ‥人を騙すような仕事はしたくないとは思っていたが。
私の両親は常にお金に困っていた。バブル期に見た夢が忘れられず、夢と現実のギャップに耐えることが出来ず、昼間も夜もなく酒を飲んでいた。
前に試しに酒を取り上げて金庫に入れて見たら、発狂したっけな。「もう酒を飲まなきゃやってられない」とかいいながら、金庫を爪でガリガリしてたっけ。
‥‥‥
ただ単純に私は安定した生活を送りたいだけなのだ。
もし、満足に食事の出来ない国で育った人が「私の夢は毎日ご飯に困らない生活になることです」と言ったら、日本に住む多くの人は理解が出来ないだろう。
笑う人もいるかもしれない。
仮に言葉では理解できたとしても、本当の意味で理解することは出来ないだろう。
私の夢もそれと同じだ。
私がどれだけ普通の生活を望んでいるかなどきっと理解できないだろう。
入社式で同期全員と初めて顔を合わせた。同期の顔はなんだか少しだけ輝いて見えた。
30人以上もいて活気に驚いた。こんなに入社させて会社は大丈夫なのかと内心思ったけど、薬剤師の離職率はとても高く、3年以内に少なくとも半数以上はやめることを後で知った。
それを知っていたから、あんなに入社させたんだね。
研修は2週間ほどだった。なんてことはない、社会人・医療従事者としての心構えとビジネスマナーを習った。
それからすぐに各支店の薬局に配属になった。
初日に、薬局長から言われた「この業界は女性社会なので気を付けて下さい」という言葉は今でも覚えている。
この言葉を理解するのに、結局1年くらいかかった気がする。
約半年間は研修生のような形で指導担当の人に教わりながら、仕事をすることになった。
ここで、よく処方される薬の特徴、薬歴の書き方、話し方の注意点などたくさんのことを教えてもらった。
そうそう、給料。手取りで19万5千円くらいだった。勤務日数で割って1日あたりの給与を計算するとだいたい1万円で、学生時代のアルバイトとそんなに変わらないと思ってしまった。
そこから約4万円を奨学金の返済に使用した。
半年が過ぎたらあっという間だった。
薬剤師として働くのが自分の中で日常になっていった。
そんなころ他店で急な欠員が出てしまい、支援に行くようになった。普通はある程度経験のある人がいくらしいけど、他に人が用意することが出来なくていくことになった。
問題なく他店でも働けたことを認められて、私は様々な事情で欠員の出た店舗で働くようになった。
欠員は、単純に怪我や病気の場合、人間関係でトラブルが発生した場合など薬局ごとの事情があった。特に人間関係のトラブルの場合、薬局長の存在がどれだけ大きいかここで気づくことが出来た。薬局は、1店舗あたりの人数が通常数人程度と少なく、独特の人間関係の難しさがあった。それに加えて薬局は、調剤事務さんと薬剤師の間で給与に差があるため不満を生じやすい環境だった。そのことが原因で、口論になるケースも多かった。つい感情が高ぶって、薬局長が薬剤師でない人の代わりはいくらでもいるとかって言ってしまうと地獄絵図になる。女性割合の多い職場の難しさに気付いたのもこの頃だった。
2年目になり、薬局長になるための研修の打診があった。少しだけ【効率的な薬局経営】について考えるようになった。
私は、薬局のビジネスモデルは、ラーメン屋に似ていると思う。
ラーメン屋は、そのエリアによって例えばみそラーメンならみそラーメンの販売価格がある程度決まっている。
近くのラーメン屋より遥かに高い価格設定にすると全くお客さんが来なくなってしまうらしい。
そのため、ラーメン屋は基本的に薄利多売で販売数量を増やす必要がある。
薬局も本質は同じだ。薬局の場合は細かな加算などあれど、点数表によって概ね価格が決められている。
もし、より利益を得たいと思うのであれば、人を減らして経費を削減するか、処方箋枚数を増やすかだ。
薬局で待ち時間が多くなってしまう要因がここにあると思う。
もともとやりがいなど感じていなかったが、自分の中でより色が薄れていくのを感じた。
薬剤師に細かい指導を受けたい人がどれだけいるだろう。立地や待ち時間だけ気にして薬局を選ぶ人も多いだろう。
薬剤師が一生懸命伝えることにどれだけの意義があるだろう。
このころから、伝えることを人によって大きく変えるようになった。
「薬剤師は、薬だけ渡せばいい」と考える人にはそうした。
これは、よくない行為だと自分でも気づいていた。
誇りを持って仕事をしている薬剤師にも顔向けできない行為だろう。
そんな中出来事は起こった。
医師から新しく処方追加になった薬がずっと服用している薬と飲んではいけない組み合わせだったのだ。
薬剤師としての規定に従い、私は医師に問い合わせた。
薬剤師法 第24条(処方せん中の疑義)
薬剤師は、処方せん中に疑わしい点があるときは、その処方せんを交付した医師、歯科医師または獣医師に問い合わせて、その疑わしい点を確かめた後でなければ、これによって調剤してはならない。
薬は別の薬に変更になった。
ここまでは、いつもあることだった。
患者さんに医師に問い合わせ薬が変更になったことを伝えるとその患者さんは激怒した。
「薬剤師ごときが医師の処方した薬に意見するとは何事か。
薬剤師の仕事は、医師の言う通りに薬を用意することだけだ。」
‥‥
この薬の組み合わせは、重症者や死亡事故も出している危険な組み合わせなんだけどなぁ。
勉強をした、本番で能力を発揮することも出来た。その結果がこれかあ。
もしかしたら、薬が変更になったことで待ち時間が増えてしまい、いらいらさせてしまったのかもしれないな。
ふっと、この仕事を一生続けていくのか?そんな考えが脳裏をよぎる。
もしやめるとしても、いいかげんな気持ちで仕事をやめてはいけない。
辞めたことを後で後悔するようなこともすべきでない。だから、本当に自分が辞めるべきかを判断するために、やめる前に用紙にやめたいと思う理由を書きだそう。
書く手は止まることがなく、一瞬でA4の紙が真っ黒になった。
そして、数日間何度も読みしたが、今の自分にとって辞めるに足ると判断した。迷いはなかった。
この用紙は大切に保管して、万が一後悔しそうになることがあればいつでも見直せるようにしておこう。
‥‥‥
製薬企業に入社した。製薬企業はなんというか普通の会社だ。普通の会社に務めると今まで特殊な環境にいたことがよくわかる。
たくさん人がいて、いろんな部署があって、それぞれに役割がある。なんでもする集団というよりは各々専門性を高めた集まりだった。
今は、毎日パソコンに向かって仕事をしている。
結局のところ、人には向き不向きがあるのだと思う。結局、薬局は自分には向いていなかったのだ。そんなことを思う。
‥‥
‥
この物語はフィクションです。
ご視聴ありがとうございました。