364 『ヒロイン達の事情~陽ざしのなかのフリージア~』
異世界調の女神ネムジア像が見下ろす礼拝堂に、春風のように優しく暖かいピアノのメロディーが流れている。
『ピアノの勇者』最後の一曲、『陽ざしのなかのフリージア』である。
練習不足でまだ時々間違うが、これまでの職場にはピアノが無かったのだからフリージアにしては上出来と言えるだろう。
「リーフくんのママ、ピアノひけるのー!? すごーい!」
「ウフフ~、昔ちょっとやってたの、いい曲でしょ~?」
ジュリアが駆け寄り、フリージアのピアノを賞賛する。
この曲のタイトルや作曲してくれた人の事も自慢したいフリージアだったが、息子のリーフの前でする話では無いかなと、さすがに思いとどまる。
「ぼくはこの曲を聴くとなぜだか泣きそうになるのです……なぜでしょう?」
「ゆるゆる、ぽかぽかでふわふわなのに、リーフくんてばへんなのー」
「……きっと、ママのピアノに感動しちゃったのよね~?」
フリージアが肌身離さず隠し持つ「血の跡の付いたピアノの白鍵」は、今でもスキル【録音】の効果で『ピアノの勇者』の演奏と声を再生できる。幼いリーフを連れて家を出てから六年と少し、辛い仕事で落ち込む時も息子の笑顔とその【録音】が、いつもフリージアの心の支えだった。
そんな、ゆるゆる、ぽかぽかでふわふわな午後のひととき。
ニジの街ネムジア神殿礼拝堂の重い扉が細く開いた。
『おジャマし――』
何事か言いかけた来訪者の身体が縦横に切断され、その場でバラバラに崩れ落ちる。
ジュリアの魔法【風刃】による攻撃だった。
「あらまあ! こんな場所にゴブリンさん? ジュリアちゃん、お手柄ね~!」
「ジュリアさんすごいです! 尊敬します!」
フリージア、リーフ母子に褒められて、「えへへ」と嬉しそうなジュリア四歳。
扉前でバラバラになった無残な死体は一体のゴブリンだった。何事か言いかけていたようだったが、そんなことを気にする者はこの場にいない。
そんな、ゆるゆる、ぽかぽかでバラバラな午後。
礼拝堂の重い扉が再び開いた。
――ばしゅっっ!!
と、音を立てて、ジュリアの【風刃】が空気の渦に弾かれた。
本日二体目のゴブリンに、自慢の魔法を防がれてむっとするジュリア四歳。
『ちょ、ちょっとマッテくれヨ! ボキュのハナシを――』
――ごごごうっ!!
何事か言いかけたゴブリンを、足下から立ち上がった炎の柱が一瞬で物言わぬ消し炭に変えた。
フリージアの範囲魔法【火柱】である。
「いえ~い! リーフちゃん見た、見た? 今のママがやったの~!」
「あ~、はんいまほう! いいな~、ジュリアもはんいまほうほしい~!」
「……母様、そのゴブリン、今何かしゃべってませんでしたか……?」
そんな、ゆるゆる、こげこげでバラバラな午後。
礼拝堂の扉が三度開き、そして直ぐに閉じた。
三人の視線は扉に集まり、既に臨戦態勢である。
『カンベンしてくれヨー! こんなカッコウだけど、中身はニンゲンだからー! 問答無用で攻撃するのはヤメテくれヨー!』
扉の陰から、三体目のゴブリンが呼びかける。
――ズパン!!
問答無用とばかりに、ジュリアの魔法【風刃】が扉ごとゴブリンを切り裂いた。
***
「ちょっと見ないうちになんだか縮んだのでーす! でも、ミーには直ぐ判りましたよ? はるばるネムジア神殿にようこそー!」
『聞こえてたなら、さっさと出てこいヨー! ワザとほっといたヨね!?』
オーゥ! と、わざとらしくとぼけて見せる神殿騎士ジャック・タイター。
ネムジア神殿の応接室で、四体目のゴブリンと向き合っていた。
「でもー、ファッションセンスは『魔族領』暮らしでちょっと洗練されたみたいですねー、ブルース?」
『そんなワケあるかヨ! 【寄生】だヨ! 『人形の勇者』のスキル【寄生】で、生きたゴブリンを操ってるんだヨ!』
そのゴブリンに乗り移り操っているのは、アメリカ人ブルース・ウォレスである。
もちろん、フリージア達に討伐された三体のゴブリンの中味も同じ彼であった。
「オーゥ! そんな腰布一枚で、何を恐れているのやらー?」
『……キミの方こそ、二ヶ月も定時連絡が滞ってるじゃなーい? 本国はプランの進捗を気にしているヨ』
ジャック・タイターとブルース・ウォレスは、16年前にこちらの世界にやって来たアメリカ人工作員である。
異世界でのスキルや魔法技術の研究、魔道具と鉱物資源の確保等を目的とした入植地確保のため、正体を隠し、『王国領』と『魔族領』でそれぞれ活動を続けてきた。
「……ミーの計画、頭のバカな第二王子に王位を継がせてネムジア教会がこの国の主導権を握る作戦はダメになってしまったのでーす。そんなことブルースだって知ってるだろうから、ユーの方から上手いこと報告しておいてほしいのでーす」
『プクククー! キミの口から失敗したって聞きたいじゃないヨ!』
ブルース・ウォレスのスキル【次元通信】は、次元を超えて本国アメリカと通信できるただ一つの手段である。
タイターの計画では、モガリア教会道場のある旧ブルボーン伯爵保養地周辺をアメリカの入植地として王国から譲り受ける算段だった。
しかしその計画は、英雄ナタリアと三人の冴えない男達によって阻まれてしまった。
そのことによって、ブルース・ウォレスの進めていた第二プランが浮上することになる。
「ブルース、ユーの計画にミーは賛同しかねるのでーす」
『そのことだヨ! キミがどう思おうと、次の異世界転移実験はボキュのプランで動き出しているのサ。なだめすかして狭い土地の割譲なんてまどろっこしい。近代兵器にヨル、圧倒的な武力制圧こそてっとり早いヨ。キミがボキュのプランに反対なのは知ってるヨ、だから手伝えとは言わない。キミへの頼み事はそう、ただジャマをするなってそれだけを言いに来たのサ』
「さてーこちらの世界には、魔法やスキルがありまーす。人知を超えた超人がひしめいているのでーす。ユーだってそれは目の当たりにしてきたのでは? あまりこちらの世界をなめない方がいいと思うのでーす」
『超人の相手は超人にさせればいいサ、そうだろ?』
十六年でタイターが神殿騎士としてネムジア教会の運営方針や意思決定に口を出せるほどの実績と発言権を得たのと同様、ブルースも「魔族領」の大豪族べーノンの配下としてそれなりに重用されるまでになっていた。
「……ところで、ニセ『草原の勇者』ヤマモトさーんをたきつけたのはユーですかー?」
『カレにはカレの思惑あってのことだヨ。探し人は見つかったんだけどね、感動の対面でカレのヤル気に水をさすのもブスイだろ?』
大豪族ベーノンを欺き手玉に取ることが、ブルースのプラン成功の鍵であると言えた。その点で、べーノンに恨みのあるヤマモトと利害は一致している。
「すると、『魔族領』から『王国領』へもうずいぶん潜入しているのかなー?」
『おっと、これ以上キミに情報は出したくないカナ。でもそうだな、来月王都で面白いイベントがあるって聞いたヨ! なんでも、公募で勇者を選ぶトーナメントをやるんだってね?』
「魔族が勇者選考会ですかー、なんだか皮肉な話でーす! でもー、そんなオモシロ話でミーがごまかせるとでも?」
『ウソは言ってないじゃんヨ! きっと何人かはエントリーするサ。……まあ、降参だ。キミ、【世界破壊】ってスキルのことは知ってるかい? 40年前の戦争を終わらせたっていう最強スキル。なんでも、ネムジア教会の大司教が代々受け継ぐ「大妖精の魔石」に入ってるそうだヨ』
「ネムジア教会に手を出すと?」
『おっとっと……怖い怖い。やっぱりこのカラダで来て正解だったヨ。でもサ、どうせキミだって狙ってたんだろ?』
タイターにとっても、王国正規軍とべーノンの配下が戦力を削りあうことは願っても無いことだったが、ネムジア教会に被害が及ぶのは見過ごせない。
「ブルース、今、『王都』に居るのかーい?」
『おいおい、おたがい足を引っ張りあうのは止そうじゃないヨ、そのためにボキュは来たんだぜ? ――ところで、さっきの美人さんと子ども達はキミの家族かヨ?』
その質問には、ブルースのあからさまな脅しの意味があった。
「……このジャック・タイターに家族だって? ちょっと会わないうちに脳ミソまで縮んだのですかー?」
『ダヨネ! それじゃあさっきコケにしてくれたお返しに……』
応接室の窓から、洗濯物を取り込んでいるフリージアとリーフ母子とジュリアが見えた。
ブルースは窓越しに狙いをつけて、三人を範囲魔法の標的に捉える。
――ごと。
魔法発動寸前、ゴブリンの頭が絨毯の上に落ちた。
いつの間にか抜かれていた剣を鞘に収めるタイター。
「このジャック・タイターに家族だって?」
その日のうちに、タイターはフリージアを連れて「王都」へと出発した。
フリージアが雇われたのは、なにもサオトメ侯爵家令嬢であることが判明したからという理由ばかりではない。彼女のスキル【捜し物】は、人捜しにはもってこいのスキルであった。
残していく子ども達のことは気になったが、信頼のおける諜報部の者に護衛を任せた。
タイターの【分析】では、ブルースやその配下に子ども達が襲われる可能性は今のところほぼ0%だったが、今後状況が動かないとも限らないのでそのように手配した。
「久しぶりのお出かけで、わたくしワクワクしちゃいます~! リーフちゃんやジュリアちゃんも一緒に来れたらよかったのに~」
馬車の中で子どものようにはしゃぐフリージア。
そういえば仕事ばかりで娘のジュリアと旅行したことなど一度も無かったな――と自らを省みるタイター。だからつい、心の声がこぼれる。
「四人で家族旅行ですかー、それも悪くないでーす」
「……! きっとですよ!? 約束です~!」
運命の采配か、二人の乗った馬車は王都へ向かう街道で一台の馬車とすれ違う。
それは、ヤマギワから情報を得て「ニジの街」へと急ぐフリージアの兄クランド・サオトメを乗せた馬車であった。




