287 五十嵐善造の鎮魂
猿っぽい全裸おじさんが壁に彫っている石像――、顔の部分はまだ細かい造形が整っていないけど、あのおっぱいは……、あの乳輪の大きさのわりに小さい乳首には見覚えがあるぞ……!?
「……えっと、この石像のモデルって」
「ああ、さっき下に向かったおねえちゃんだ。もしかして知り合いかい?」
どうやら、この作りかけの石像はシマムラさんで間違いなさそうだ。
「四人とも何事もなく60階層に向かったんですかね……?」
「ん? もしかして、オレがなんかしたと思ったかい? ――おっと、……そうか。まだ作りかけなのに判るぐらいの仲ってことか……オレとしたことが、――うかつだったぜ」
空気が変わる。
圧倒的なプレッシャーで息が詰まる。
嫌な汗が噴き出す。
身体の震えを、スキル【勇気百倍】で無理矢理止めた。
【危機感知】が激しく反応しているが、まだ具体的に何かしてくる気配はない。
幸い、『ガリアンソード』は灯り代わりにしていたので既に抜いてある。
おれは、光る「モリモリの剣」を光らないけど硬い「カチカチの剣」に切り替えた。
周囲が暗闇に閉ざされる。
同時に、後方へ大きく飛び退き、できるだけ距離をとった。
しばし、暗闇の中で対峙するおれと猿っぽいおじさん。
先に口を開いたのは、おじさんの方だった。
「……そんなに嫌だったかい? 彼女の裸をモデルされるの……いや、そりゃそうか。そりゃそうだよなぁ……」
「……? いや、シマムラさんの裸はどうでもいいんですけど……あれ? 今なんか、すごい威嚇しましたよね?」
「威嚇? よく言うぜ、剣にオーラまとわせてるのは君の方じゃない? 彼女を勝手にモデルにしてたからさ、なんかされるんじゃないかって警戒したけど……君の彼女じゃないの?」
いやいや、警戒ってレベルじゃなかったぞ。
地竜の尻尾踏んづけたレベルの危険を感じたんだが……。
どうも、おじさんの方に敵対する意思はなかったらしい。
ほっとしたおれは、再び灯りを灯す。
よく考えたら、おじさんは元々暗闇の中で作業していたわけだから、【暗視】スキルとか持っているのだろうし、灯りを消したところで意味なかったな。うっかり攻撃していたら、ゴトウの二の舞だったかも……。
猿っぽい全裸おじさんは、シマムラさんの石像を作りながら自分のことを語り出す。
おじさんの名前はイガラシ・ゼンゾウ。なんと日本からの転移者で、40年以上前に『巌の勇者』として活躍していたらしい。
おじさん……イガラシさんは語る。
「勇者って言っても、魔王が出なけりゃヒマでね。かといって、戦争に肩入れするのも嫌だったからさ――」
40年前のその頃は、モガリア帝国の国々が分裂して争う殺伐とした時代で、それまで封鎖されていたダンジョンが解放されて世の中に魔法が普及し始めたり、ネムジア教会がモガリア教会を追っ払って幅をきかせ始めたり、鳥が空から消えたりとなんだかんだ不穏な世の中だったそうで、一騎当千の勇者達は引く手数多だったそうだけど、イガラシさんはそういうことに関わるのが嫌で、13人のパーティメンバーと共にダンジョンに籠もったそうな。
いくつかのダンジョンを巡り、パーティのレベルも上がって、最後にとうとう、まだ誰も踏破していないこの「大迷宮」に挑んだという。
――それがオレの大失敗だった。と、遠い目をするイガラシさん。
「59階層までは余裕だったさ。でも、60階層からは様子が一変した。パーティメンバーは同士討ちを始めるし、道に迷って出られないしで散々な目にあった」
「……同士討ち? 出られない?」
「そうさ、精神をやられてな。オレは『オーラ』でなんとか正気を保ってはいたが、方向感覚と距離感と時間の感覚まで無茶苦茶で、60階層から62階層を一年以上一人でさまよった。――で、やっと59階層まで戻ってみれば、身体が魔物化しててな。どうやらこの辺に魔石ができたらしい」
そう言ってイガラシさんは自分の右胸を指さした。
「ええっ!? イガラシさん、魔物なんですか!?」
「よく判らん。かっこいい言い方をすれば『魔人』かな? まあ、人間ではなさそうだ。腹も減らないし年もとらない。多分、魔力含有気体を吸って生きてる」
「……イガラシさんは、ここで何を?」
「趣味だね。こうして女の石像を作り続ける。……まあ、あとついでに鎮魂かな? この先の広間にはオレのパーティメンバー達の石像が並んでる。あと、ここにある石像の女達も結局戻らなかった」
「えっ!? 全員……ですか?」
「うん。あ、そこにあった石像の子一人だけは戻ってきてさ、壊して持ってかれちまった。結構怒られたぜ、ボクは男だ! ってさ。身体は完全に女だったけどな」
よく見れば、逆側の壁にぽっかり空いているスペースがあった。
最深部到達記録を持っているネムジア教会の関係者の人かな?
「オレはここで一応の警告はするんだ。でも無理に先に進むことを止めたりはしない。ここまで来るような冒険者がそう簡単に自分を曲げるわけもないし、下手したらケンカになる」
――まあ、ケンカしてもオレは負けねえけど。とのこと。
どうやら60階層から先は相当やばいらしい。まあ、聞いてはいたが、聞いていた以上かもしれない。
そもそも長年攻略されていないのだから、やっぱりそれなりの理由があるのだろう。
「――で、ここまで話した後、オレは気に入った女の子に取引を持ちかけるのさ。60階層攻略のヒントをあげるからモデルになってくんね? ってさ。以前は勝手にやってたんだけど、戻って来た子に怒られてからはそうしてる」
なるほど、そういうわけだったか。
どうしても先に進みたいというアンディ君達のために、シマムラさんが一肌脱いだというわけだ。ホント、お人好しだね。……いや。石像として裸体を晒すというシチュエーションが、シマムラさんの性癖に刺さったという可能性も大アリだな……。
「――あ、別に、全部の女性にヌードになってもらったわけじゃないぜ? 握手でいいのさ。素肌に触れることができれば、オレのスキル【立体把握】で全体を把握できるからさ」
――!!
確かに、皮膚は全て繋がっている。あそこにもあんな所にも、全て。
……それは凄い。それは凄い!
おれは、心の中で思わず二度つぶやいた。
「それは、凄い……!」
あ、声が出てた。
ともかく、アンディ君達とシマムラさんは、イガラシさんのヒントを持って60階層に入れたということらしい。
追っ手の一人ミチシゲがどうなったかおれは知らないが、王弟ジーナスの刺客5人はほぼ片づいたと見ていいだろう。
シマムラさんからの依頼は果たしたと考えていいんじゃないだろうか?
ここから先はアンディ君達しだい。これ以上おれが関わる必要はない。
ずいぶん遠回りをしてしまったが、56階層までは階段も直通だし、がんばれば今日中に50階層まで引き返せるかもしれない。
まあ、ここから先、60階層は相当やばいらしいが……。
「……その、イガラシさんのヒントがあれば、60階層はなんとかなるんですよね?」
「多分、無理だろーなー」
「よかった、これでおれは心置きなく……って、無理なの!?」
「あー無理無理」
「……!?」
「……別にオレのせいじゃねーよ? そんな顔するなよ」
「じゃあ、ヒントっていうのは……!?」
「ヒントはヒントだろ? オレのパーティだって全滅してるし、オレ自身も一年以上戻って来られなかった」
……正直まいった。
これ以上おれが関わる義理はないし、脱出までの期日も近づいている。
だいたい、おれを置いて逃げたのは彼等だし、『アステカの腕時計』だって盗られたまんまだ……。
……だがしかし、前途ある若者の命が失われるのはなんとも後味が悪い。
そしてなにより、シマムラさんには例の約束を守ってもらわないと――、エビ反り全裸で緊縛したうえでテーブルに飾って一晩中眺めさせてもらう約束を守ってもらわないと――! ……いや。そんな約束はしていないが、おれら界隈で「自由にしてもらって構いません」とはそういうことなのだから……!
……せっかくだし、ちょっとだけ覗いてみようかな、60階層。