336 『夕闇のドッペルゲンガー①』
王国史に残る大事件に揺れた、今年の『護国祭』一日目。
その舞台となった円形闘技場には、騒動の傷跡が至る所に残ったが、幸い、死傷者数は0だったと記録される。
居合わせた大司教や聖女達による【大回復】魔法の施しによる成果であり、不祥事続きで落ち目だったネムジア教会の信頼と人気を大いに盛り返すことになったという。
厳密には元枢機卿ウナル・バズーカが死者1名となるはずであったが、どういうわけか、彼の死体は騒動のさなか行方不明となっていた。
死体の搬出と埋葬を任されていた役人はその失態を誰にも報告せず、その件はうやむやのまま忘れ去られた。
夕暮れ時の円形闘技場――。
明日以降も続くイベントに備えて、数人の業者による客席の清掃作業が行われていた。
「冷えてきたなぁ、さっさと終わらせちまおうぜ~!」
「そんなことより昼間の決闘の話、聞いたか? すげぇことになったってよ!」
「聞いた聞いた。確か、罪人が負けたら大司教様が犯されるって話だろ? そんな素っ頓狂な話があってたまるかよ、ガセに決まってる!」
「それがそうでもなかったって話さ! 大司教様どころか聖女様も含めて観客全員、男も女もすっぽんぽんだってよ!」
「なっ!? 聖女様って、どの聖女様だよ!? まさか……」
「全員ったら全員だよ! おめぇの好きなグレイス様なんか、王様とまっ先におっ始めたってよ!」
「うそだろ……」
「いやぁ~俺もせめて見物したかったぜ~! でよ、なんとあのセリオラ様が盛大にクソを……」
「――おいおいおいおい!! 誰だこんな所にクソ漏らしやがったのは!!?」
「……!!?」
「……!!?」
「クッソ、片付ける方の身にもなれっての!!」
「――!!? お……おい、まて!! まて!! そいつはもしかすると、聖遺物ってやつかもしれねぇぞ!?」
「い、いや、それじゃあセリオラ様が亡くなったみてぇじゃねーかよ? それを言うなら、聖汚物……とかどうよ?」
「はぁ!? 聖汚物!? お前等、正気かよ?」
「ハァ……おまえ、判っちゃいねぇな?」
「ああ、判っちゃいねぇ」
「……いや、だって……クソ……」
「いいか? その聖汚物は恐れ多くもかしこくもあの聖女セリオラ様の尊きお腹の中で育まれて、その高貴なるお尻の穴からヒリ出されたという二つとない逸品だぞ!?」
「――よし決めた! 俺はこの聖汚物を手ぬぐいで拭い取って持ち帰るぜ!!」
「……そう言われると、俺もなんだかちょっと欲しくなってきたかも……」
「クソはクソだべ、どんな美人さんがタレたクソだか知らんけんども」
少し離れた場所で作業していた犬耳のドリィは小さな声でつぶやいた。
そんなクソなんかさっさと片付けて仕事に戻れよ! と言ってやりたいところだが、まだ若いドリィから先輩達に意見することはなかなか難しい。
聖女セリオラの残した聖汚物を巡って盛り上がっている先輩達の会話をその垂れた犬耳で聞くともなしに聞きながら、ドリィは自身の持ち場に目を向けた。
所々壊れたベンチが観客席の通路を埋めて、掃除するにもどこから手を付けたものか途方に暮れる有様だった。
昼間の決闘は最終的に観客の暴動にまで発展したとドリィも聞いていたが、この荒れ果てた客席を整えるのは清掃員の仕事の範疇を超えているのではないかと思わずにはいられない。
それでもやっと見つけた働き口である。ドリィは気合いを入れ直すと、壊れたベンチを撤去し始めた。
身体は小さくとも、力だけなら先輩達にも負けない自信があるのだ。
「……!!?」
無造作に持ち上げたベンチの残骸、その下に全裸の男が倒れていた。
見たところ外傷はなさそうだが、頭髪は雷にでも打たれたかのようにちりぢり黒焦げで気を失っている。
グロテスクな股間に思わず目を逸らすドリィだったが二度見する、男の額の上に20㎝ほどの小人を見た気がしたのだ。
――気のせいか? と目をこする。
「……お、おいダンナ!? そんな格好でどうしたよ、ダンナ!?」
「…………?」
ドリィの呼びかけに反応し、ゆっくりと目を開ける全裸男。
自分自身の手を見つめ、開いたり閉じたりを繰り返し困惑している様子。
「ダンナ、もう日が暮れるぜ? ……どっか悪いのかい?」
「……え? …………あれ? ……そうだ、あれだ! そう、決闘! 決闘がどうなったか、知ってる?」
「……オイラが聞いた話じゃ、罪人が勝っちまったもんで客が暴れたとか聖女様がクソ漏らしたとかって――」
「だよね? 勝ったよね? ……それで、その罪人のおっさんが最後どうなったか知ってたり?」
「……? さあ? オイラ達はただ清掃に来ただけなんで」
「そっか……」
ちりじりの頭をかきながら立ち上がるが、足下がおぼつかずふらりとよろける全裸男。
そんな彼に、反射的に手を差し伸べるドリィ。
力自慢のドリィにとって、自分の背丈とたいして変わらない身体を支えることは容易い……が、全裸男の股間が気になって腰が引ける。
その時初めて、全裸男の額に触覚が二本生えていることに気がつき、犬耳のドリィは少しだけ彼に親近感を抱いた。
おっと、ゴメンゴメン――と慌てる全裸男の声を遮るように、彼の腹が「ぐぐ~ぅ!」と大きく鳴った。
ドリィに支えられながら、腹を押さえて膝を着く全裸男。
「お、おいダンナ!? 本当にどっか悪いのかよ?」
「……な……」
「……?」
「……なんか食べ物……ない? 何でもいい……」
全裸男は腹を減らし酷く消耗していた。
正直面倒くさいな――と思うドリィだったが、額の触覚を見た後では冷たくあしらう気にもなれなかった。
控え室に置いてきた荷物の中に姉の焼いたパンがあることをドリィは思い出した。
「しょうがないな、ちょっと待ってて?」
そう言い残して全裸男に背を向けるドリィ。
――ちょうどその時だった。
聖汚物を囲んで盛り上がる先輩達の声が、ドリィ達の耳にも届く。
「よし、決めた! 俺は聖女様の残したこのクソを……食らう!!」
「お……おお!!」
「勇者か……!!」
「…………クソ以外で……頼む……」
全裸男の心配そうな声を、ドリィは背中越しに聞いた。




