312 『ヒロインの条件~王都円形闘技場にて①~』
『氷柱の勇者』ヘルガ・ロンメルが円形闘技場を訪れた時にはもう、ヤマダとベリアスの決闘が始まっていました。
満員の客席になんとか入場できたまではよかったのですが、ざっと見渡しても座れそうな席はどこにも見当たりません。
今朝は雪がぱらつくほど冷え込んだもので、宿のベッドから出るまでに時間がかかってしまったことが悔やまれます。ヘルガは、数時間前の自分を責めました。
ぎゃははは!! と、周囲の迷惑も省みず大騒ぎする一団がヘルガの目を引きます。
華やかな聖女達が並んだ貴賓席の少し下、最前列の席で数人の貴族とその配下の者達が宴会を始めていました。
王都の南東、商業都市クルミナ周辺を治める大貴族チンチコール侯爵とその派閥に属する貴族達です。
チンチコール侯爵は五十代の男性でしたが、まだ聖女だった頃の大司教ユーシーを側室に迎えようとして断られたことがありました。
今回、「護国祭の決闘で大司教が純潔を賭ける!」というイベントの情報を耳にした彼は、踊り出すほど喜び、居ても立っても居られず、数日前から王都に滞在してウキウキでこの日を待っていたのです。
ヘルガはチンチコール侯爵の顔に見覚えがありました。
彼がどこの領地を治めているとかどんな爵位だったかとかまでは知りませんでしたが、ヘルガにとってはそんなことはどうでもいいことでした。
ただ、こんな場所で知り合いに出会えて好都合と、彼女はその大騒ぎする一団に近づいていきました。
そして、近所のコンビニで同級生の父親とばったり出くわしたかのように声をかけます。
「こんにちは」
「……ん? 失礼だが、どちらのご令嬢でしたかな?」
明らかに庶民であるヘルガの挨拶に、チンチコール侯爵は気さくに応じました。
その日の彼はとても上機嫌でしたし、多少女好きではありましたが、異世界小説で好き放題するような酷い貴族ではなかったのです。
とはいえ、取り巻きの者達はそこまで寛大ではありません。
「娘、無礼であろう!? わきまえろ!!」
「衛兵、何をしている!? さっさと連れて行け!」
派閥の貴族達が侯爵への忠誠を示そうと、ここぞとばかりに声を上げます。
そんなことは意に介さず、ヘルガは護衛の兵士が伸ばした手をするりとかわし、チンチコール侯爵へ更に言葉を投げかけました。
「お客様、飲み過ぎですよ? 今日の所はどうぞお引き取りください」
一瞬、ヘルガが何を言っているのか意味が解らずぽかんとする取り巻き一同でしたが、すぐに頭のおかしい娘なのかもしれないと思い至ります。
チンチコール侯爵に向けられた感情のこもらない彼女の視線が、とても不気味に写りました。
「……ですな。今日は冷えるし、宿で暖かくしていよう……」
不意にそう言って席を立ったチンチコール侯爵は、取り巻きの貴族達へ先に引き上げる旨の挨拶をしました。
その行動は普段の侯爵の姿を知る者から見てもごく自然で、きっかけとなったヘルガの言葉をそばで聞いていた者達から見ても、全く違和感がありませんでした。
チンチコール侯爵自身は、かつて彼女と出会っていること自体記憶にありません。
なにしろ、外見が全く違うのですから仕方ありません。
ですが、彼の頭の中に七年前からずっと棲んでいる「虫」は、「親」のことを決して忘れることはなかったのです。
***
ナカジマ・ヒロシは焦っていました。
今朝もナカジマは、遠く離れたニジの街からモガリア教会道場へとスキル【空間転移】で出勤しました。
『紳士同盟』のメンバー、タナカとラダ様と伴にこちらのダンジョンで活動を始めてからも、ナカジマは夜になると下宿先のアウロラさんの家に一人帰宅し、朝になるとモガリア教会道場へと出勤する生活を続けているのです。
いつものようにコーヒーでももらおうかと思って、ナカジマは食堂に顔を出しました。
ですが、その日の食堂はなんだか騒然としていて、タナカやラダ様の姿も見当たりません。
何かあったのか? と信者の一人に尋ねたところ、ダンジョンのある渓谷の方からもの凄い音がしたのでタナカ達が様子を見に行っているとのことでした。
モンスターでも溢れたなら厄介と思いましたが、英雄ナタリアとドラゴンライダーアサギも一緒に向かったと聞いて、なら心配ないかと浮かしかけた腰を戻します。
ちょうどその時のことでした。
「誰か!! 誰かいねーか!!?」
ピカピカの高そうな鎧をまとった筋肉の塊のような青年が、ひどく焦った様子で道場の玄関に飛び込んできたのです。
その時、その場に居たのは女性や子供ばかりで、皆、その青年の大声と必死な形相に怯えていましたので、仕方なくナカジマが対応しようと席を立ちました。
教員時代、モンスターペアレントや柄の悪い卒業生が乗り込んできた時、決まって姿を消す教頭に代わって席を立ったことを思い出し、ナカジマはイヤな気分になりました。
「おはようございます。どうかされましたか?」
「あんた、ここの人かい!? ちょっと、頼みがあるんだが!?」
「あいにく責任者は不在なのですが、私もここの関係者と言えなくもありません。ナカジマと申します」
「あ、ああ、俺はベリアス。ナカジマさん、頼みがある! 馬を一頭貸してくれ……いや、できたら売ってくれ、頼む!!」
話を聞けば、王都にできるだけ早く戻らなければならない、大事な決闘に間に合わない、このままでは不戦敗になってしまう――とのことで、ベリアスは半べそをかきながらナカジマに馬を譲って欲しいと頭を下げます。
どんな理不尽な要求をされるのかと決死の覚悟で席を立ったナカジマでしたが、肩すかしをくった格好です。
そういうことならばと、ナカジマはベリアスの手を取ります。
次の瞬間、ナカジマとベリアスは王都の商業区画大通りに立っていました。
『護国祭』当日の王都は雪がぱらついているにもかかわらず、大勢の人達で賑わっていました。突然どこからともなく現れた二人に驚きの声を上げる通行人もいましたが、その声も雑踏があっという間にかき消してしまいました。
ナカジマはスキル【空間転移】を使用し、馬車で一日かかる王都まで、ベリアスを連れて一瞬で転移したのです。
「――なっ!!? なんじゃこりゃぁぁぁ!!?」
「私のスキル【空間転移】です。馬より早いでしょう? で、決闘はどこで?」
「恩に着るぜ、ナカジマさん!! あそこに見えるコロシアムが会場だぜ! 待ってろよ、ヤマダ~!!」
「……え?」
闘技場の観客席でナカジマは、格子の付いた窓の向こうで手を振るヤマダの姿を見つけました。
目が合いましたが、思わず逸らしてしまいます。
ベリアスの決闘の相手がまさかヤマダだったとは、ここに来るまで夢にも思いませんでした。
放っておけばヤマダが不戦勝になるはずだった決闘を、ナカジマが偶然にもベリアスに手を貸してしまったばかりに成立させてしまったのです。
ナカジマ・ヒロシは焦っていました。
これはやらかしてしまったのではなかろうか? と思いました。
どう埋め合わせしようかと悩んだ末に出した結論は……。




