438 『ヒロイン達の事情~ナタリアの初体験~』
エルフは長寿な種族である。
ナタリアもまた、年齢は八百歳を越える。
長く生きていればいろいろなことがある。
出会い別れ。いいことも悪いことも。
結婚もしたし、出産も経験した。
主に仕えたこともあるし、商売に手を出したこともある。
裏切り、投獄、濡れ衣で拷問されたことも、魔物やならず者に犯されたこともある。
強敵に囲まれて死にそうになったことも一度や二度ではない。
幾つもの戦場で戦い多くの魔物と人間を殺し、いつしかレベルは50を越えた。
いつの頃からか、彼女は英雄と呼ばれるようになっていた。
長く生きていればいろいろなことがある。
ナタリアは冒険者ギルドの設立に関わった。
四十年前の戦争には関わらなかった。ちょうどその頃、女神モガリアと再会した。
しかし、モガリアはある日突然、異世界へと去って行った。
十六年前、ナタリアは娼館でバイトを始めた。
モガリアを追って異世界に行くために、娼館でスキル【次元切断】を探していたのだが、もうその必要はなくなった。
ヤマダが彼女を異世界「日本」へと連れて行ってくれたから。
ヤマダとは、一緒にダンジョンに潜ったり、風呂に入ったり、宴会したりした。
スキル【共感覚】も、こっそりヤマダからいただいた。
そんなことがいろいろあって、ナタリアはヤマダが好きになった。
彼女にとって数百年ぶりの恋だった。
異世界「日本」から「ニジの街」に帰還した日の午後、ナタリアはヤマダ達と別れてバイト先の娼館「夢幻館」を訪れていた。
バイトを続ける必要がなくなったので、予約の客をまとめてさばいて店を辞めるつもりだった――のだが、彼女を出迎えたのは妙に親しげな見知らぬ青年だった。
「あー! 待ってたよ、ナタリアさん。やっと会えたね!」
「どうもー、ナタリアです」
「あー俺、客じゃないのよ。冒険者ギルドからの使いでね。ほら、今度『勇者選考会』ってあるでしょ? その関係でさー、臨時の幹部会的な? なんかそういうのやるからナタリアさんにどうしても出て欲しいってさー、これから一緒に、いい? ――ああーそうそう、予約の件だったらもう気にしないでいいんよ、全員から俺の方で一人一人キャンセルもらってあっからね」
全員が予約をキャンセルするなどありえるだろうか? 客を脅すなどして無理矢理キャンセルさせたのではないかと疑わざるをえない。そう考えたナタリアは支配人の顔を伺う。
「こちらは、『灰の勇者』リュウジ・キネ様です。私も驚いたのですが、キネ様が予約キャンセルを頼むと、いつもは気難しいお客様も簡単に……むしろ上機嫌に応じてくださって――」
「っははっ! まあねー、人徳ってやつかなー?」
交渉ごとにまつわるなんらかのスキルだろうか? 【カリスマ】という人を惹きつけるスキルがあったはずだが、それとはまた違うような気がすると首を傾げるナタリア。人を惹きつける魅力というよりは、もっと身近な誰かに似ているような……?
(ああそうか。『灰の勇者』キネは、どこかヤマダに似ている)
容姿はまったく似ていないが、雰囲気がヤマダに似ているとナタリアは思った。
そう思い始めるとますますそう思えてきて、冒険者ギルドの幹部会への参加などまったく乗り気ではなかったが、キネに誘われるまま、ナタリアは迎えの馬車へと乗り込んだ。
ナタリアとキネを乗せた箱形の馬車は、「ニジの街」を出て街道を東へと進む。
向かい合って座った二人の会話がはずむ。
「ナタリアさん、あの店辞めちゃったの? ――そっか、残念だなー。俺だって、客として来たかったなぁ」
「結婚するので」
「ええ~っ!? ナタリアさん結婚すんのー!? 誰と誰と? 俺の知ってるやつー?」
「ヤマダと」
「ええ~っ!? ヤマダって、日本人のヤマダ・ハチロータ!? って、おっさんじゃん!」
「ボクのほうがけっこう年上だけどね」
「そりゃそうだろうけど、ええーっ!? わっかんないなー、マジで?」
「知らないの? ヤマダって、案外モテるんだから」
「マジかー。ああ見えてあの人、すげーテクニシャンだったりすんの?」
「ヤマダは童貞」
会話がはずむ。
――おかしい。お互いに口数の少ないヤマダとの会話がはずんだことなどない。顔も背丈も何もかもが違う。それなのにどうして自分は、このキネという男がヤマダと似ているなどと思ってしまったのだろう? と、ナタリアは漠然とした違和感を感じ始めていた。
不意に馬車が急停車する。
「おっとっと、なんかトラブルかな? 俺、ちょっと見てくるんで、ナタリアさんはここで待っててよ」
そう言って馬車を降りていく『灰の勇者』キネ。
言われるがまま、うなずくナタリア。
(やっぱりキネは、ヤマダに似ている。だからこのまま、言われたとおり待っていればいい――)
なにげなく馬車の窓から外を見るナタリア。
その場所は、王都へ続く街道沿いの少し開けた場所。
ナタリアには見覚えがあった。――確かここは以前、タナカをモガリア教会に連れ去ろうとした時に、追っ手の冒険者八名を殺して埋めた場所。
そのことに思い至ったことでナタリアは、『灰の勇者』キネの明らかな悪意を確信した。やはりどう考えても、ヤマダとキネは似ていない。何らかのスキルで、認識を狂わされていたと思い至る。
すぐさま感覚を研ぎ澄ませば、ナタリアの乗る馬車全体を巻き込む巨大な魔力の収束を感知した。いつものナタリアであれば有り得ない、遅すぎる反応であった。
――ズゴゴゴゴゴーーーン!!!!
街道に【流星】が降った。
激しい轟音は、遠くニジの街までも揺らした。
停車していた馬車もろとも巨大な質量が押し潰し、辺りの地形を一変させる。
巨大なキノコ雲が、刻々と空を浸食していく。
「うへぇぇぇ~!! は、早えぇって、キララばあ!! まだ俺が、走ってるでしょうが~!!」
『灰の勇者』キネは、背後から迫る【流星】落下の衝撃波から必死の形相で逃げていた。
キネの役割は、ナタリアを襲撃地点まで誘い出すことだった。女性に直接手を下すのは彼の流儀ではない。
スキル【逃足】と【オートガード】を併用し、上級魔法【流星】の攻撃範囲外へと走り抜けるキネ。街道を見下ろす丘陵地に息を切らせて辿り着く。
「あらァ、仕留め損なったかい? 惜しいことしたねェ~イヒヒ……」
まだ息が整わず荒い呼吸を繰り返すキネに向かって、小太りの中年女が言った。
彼女の名はキララ・アーケービィ。希少で強力な上級魔法【流星】の使い手、S級冒険者、大魔導キララ・アーケービィとは彼女のことである。
「――って、おい! くそばばぁ! そりゃ、俺ごと【流星】でやろうとしたってことかよ!? なあ!?」
「リュウジ君がいつまでたっても、あァしのベッドに来てくれないからさァ、この際ゾンビ化してから抱いてもらうのも悪くないかなってねェ~イヒヒ……」
「ふざけんな!! なんで俺が、お袋より年上のアンタとヤんなきゃなんねーのよ!? 勃たねーつーの!!」
「リュウジ君たら、イヒヒ……その歳でインポかい? 安心おしよ、あァしのとっておきの秘薬で朝までビンビンさ~」
――ゴロロロロロロ……!!
何事か言い返そうとしていた『灰の勇者』キネも、イヒヒ……と奇っ怪な笑みを浮かべていた大魔導キララ・アーケービィも、いつの間にか頭上を覆った黒くぶ厚い雷雲に息を飲んだ。
彼等のいる丘陵地全体に、巨大な魔力が収束していく。
***
巨大なクレーターの中心部。
降り積もった土砂を払い飛ばして、深い穴の底から無傷のナタリアが這い出した。無造作に、小脇に抱えていた御者の男を放り出す。
キララ・アーケービィの上級魔法【流星】が落ちる直前に馬車を脱出したナタリアは、魔法【掘削】で地面に深い穴を掘って身を隠した。その時に、全てを諦め青い顔で迫り来る【流星】を見上げている御者台の男が目に入ったので、ついでに穴に引っ張り込んだのだった。
「……オレは……オレは……兄さん、オレは……」
九死に一生を得た御者の男。彼も無傷のはずではあるが、まだ立ち上がれずにブツブツと独語をこぼす。もろともに死ぬ覚悟だったのか、それとも計画を知らされていなかっただけなのか、ナタリアには伺い知れなかった。
服に付いた土の汚れを払いながら、周囲を見渡すナタリア。
およそ2㎞先の丘の上に、上級魔法【流星】を放った敵がいると目星を付けたナタリアは、その周辺一帯に向けて反撃の魔法を放つべく狙いを定めた。
丘の上に急速に湧き上がったぶ厚い暗雲が、ゴロロと唸る。
ナタリアの上級魔法【雷舞】が今、まさに放たれようとしていた。
(あれ?)
魔法発動に至る最後の最後で、丘の上から雷雲が消え失せた。
突然、ナタリアの全身が重くなるような感覚があったかと思うのと同時に、上級魔法【雷舞】の発動が彼女の意思とは無関係にキャンセルされたのだ。
こんなことは、ナタリアの長い人生においても初めてのことであった。
その時ナタリアは、異世界「日本」で再会した母モガリアが別れ際、彼女にだけに伝えた言葉を思い出していた。
『ねえナタリアちゃん、こっちに残らない? 実は、言いにくいんだけど、あなたもうすぐ死んじゃうの。冒険者ギルドがね、ナタリアちゃんを本気で粛正しようとしているから』
キン――と、張り詰めた戦場の空気が周囲を満たす。
クレーターの縁に、二百数十名の武装した男女がずらりと立っていた。ナタリアに恨みを持つ者又は、高額な報酬に釣られたレベル30以上の冒険者達である。
(まだこっちに帰ってきたばかりなのに……)
予想以上に早かった粛正イベントに、少しだけ後悔するナタリアだった。
***
『灰の勇者』キネと大魔導キララ・アーケービィの待機していた丘陵地の上空から、あんなにも黒くぶ厚かった雷雲が消え失せていた。
「ハハッ! 危ない危ない。魔法発動の一瞬前、【超常スマッシュ】がギリギリ間に合ったよね!」
抜き身の剣を携えた黒髪の青年はグランギニョル侯爵家三男、フライド・グランギニョルである。彼の持つ美しい剣は『聖剣ギンガイザー』――その効果【超常スマッシュ】により効果範囲内のスキルを無効化する。もちろん、放たれる前であれば魔法さえも無効化の例外ではない。
効果範囲は、およそ半径百メートルということになっているが、抜き身の剣を振り下ろすことで瞬間的におよそ四キロ先まで延長できる。
「いぃよっ! フライド君、助かったぜ~! ナタリアちゃんのやつめ、最強魔法って有名な【流星】をやり過ごしちまったばかりか、更に反撃までしてくるなんてよ、さすがはレベル50越えのバケモンだよな」
「ちょいと、フライド坊ちゃん、そのおっかない聖剣をこっちに向けないどくれよ。あァしゃスキルがなきゃただのか弱い女になっちまうんだからさ」
「レベル50越えの英雄ナタリアがさ、ハハッ! スキル無しでどのぐらいやるのかって興味ないかい?」
「おいおいおいおい、俺はもう役目を果たしたぜ? ここまでの道中ナタリアちゃんと一緒に狭い馬車の中でよー、ホント言うと冷や汗が止まんなかったての! 直接やり合うのは、フライド君達の役目ってことでよかったよな?」
「そうさね、フライド坊ちゃん達がどうにもならなかったら、もう一回【流星】を落としてやんよ、その聖剣の効果範囲外からね。もっとも、何人かは巻き込んじまうかもしれないけどねェ~イヒヒ……」
「おっかないな~、ハハッ! でも遠慮しとくよキララさん、あんなのろい魔法じゃ当たりっこないし、ナタリアにも俺にも」
冒険者ギルドが英雄ナタリア粛正のために用意した人員は、レベル30以上の冒険者二百十名とこの三人――『灰の勇者』キネ・リュウジ、『S級冒険者』大魔導キララ・アーケービィ、『聖剣使い』フライド・グランギニョルだった。
『灰の勇者』と『S級冒険者』としてキネとキララは既に名を知られた強者であったが、ごく最近グランギニョル家元当主ナベルドが死亡し『聖剣ギンガイザー』を引き継いだばかりのフライドの実力はまだ世間にそれほど知られてはいない。
実のところ、キネとキララがフライドと顔を合わせたのは今日が初めてであった。
(……グランギニョル家の三男フライド、どんな甘えたお坊ちゃんかと思えばとんでもねぇ。なんなんだコイツ? ナタリア以上のバケモンじゃねぇか。コイツ一人いれば、俺もキララばあもいらねぇんじゃね?)
(ホントにか弱い乙女になっちまった気分さね。……フライド・グランギニョル、家では使用人のような扱いで冷遇されてたって聞いたがね。なぜか、家宝の『聖剣ギンガイザー』を継承したのは三男のこの子ときた。ニンジャマスター・サトルの弟子って噂も、あながち有り得ない話じゃないのかもねェ)
戦慄を押し殺し引きつった笑みをうかべるキネとキララ。
そんな二人を意に介した様子もなく、フライドは背を向けて歩き出す。
「それじゃあ冒険者の皆さん、ウンコは済ませましたかー? 手は洗いましたかー? ナハハッ! はーい、出陣でーす! 俺に付いてきてくださーい!」
***
巨大なクレーターの中心部にたたずむナタリア。
彼女の心に、異世界「日本」で母モガリアに告げられた言葉がよぎる。
『ねえナタリアちゃん、こっちに残らない? 実は、言いにくいんだけど、あなたもうすぐ死んじゃうの。冒険者ギルドがね、ナタリアちゃんを本気で粛正しようとしているから』
『その未来だけは、何度浅い過去改変を繰り返しても覆せなかった。もっと深く【時間遡行】すれば判らないけど、そうするとヤマダさん達の物語にもね影響してしまうだろうし……』
『ナタリアちゃんがヤマダさんと一緒に日本に来るパターンは今回が初めてだし、だからこのままナタリアちゃんがこっちに残れば、死亡フラグをへし折るチャンスだと――』
『――え!? イヤなの? なんでよ――はあ、まあ、それはそうだけど……はあ、でも一つ言っておくと、ナタリアちゃんの死にっぷり、どの未来でもろくな死に方じゃなかったわよ?』
クレーターの縁に立った二百数十名の中から黒髪の青年が一人歩み出た。『聖剣使い』フライド・グランギニョルである。
クレーターの斜面を滑り降りると、フライドはゆっくりとナタリアへと歩み寄っていった。
そのままおよそ30mの距離まで近づくと、腰の『聖剣ギンガイザー』を抜き放つフライド。
(……これは!?)
ナタリアは身体に冷たい汗がつたうのを感じた。彼女が常時発動している強化系、索敵系、耐性系スキルの全てが、『聖剣ギンガイザー』の効果により無効化されたのが判ったからである。
とはいえ、ナタリアのレベルは53、大抵の相手ならばステータス差だけで圧倒できる。スキルが使えないのは相手も同様のはず――なのだが、それでも歩み寄るフライドの気配はどこかバケモノじみていると本能が訴えかけていた。
なおも歩み寄るフライド、ナタリアとの距離はおよそ20m。
「に、兄さんのカタキっ!! 死ねぇぇぇ、ナタリアぁぁ!!」
ナタリアの背後から御者の男が斬りかかった。
完全に不意をつかれたナタリアだったが、これを苦もなく躱して剣を奪い、一瞬で御者の男を無力化する。
しかしその一瞬が、ナタリアにとって致命的な隙となった。
「くび、落とし」
ナタリアが視線を戻した時にはもう、目の前にフライドがいた。
(――速い……スキルなしで!? 避けきれない……!)
首を狙った神速の横薙ぎ『首落とし』を、ナタリアはとっさに右腕で受けた。――だがそれでも、剣速はそのままに彼女の右腕を切断し、更には両目を切り裂いた。
かろうじて首を守ったナタリアだったが、代償に右腕と両目の光を失ってしまう。
「ハハッ! 失敗しちゃった。でもまあいっか、俺が殺しちゃったら、せっかく集まってくれた皆に悪いからね」
フライドはそう言ってナタリアから距離をとると、クレーターの縁で待機していた冒険者達に手を振る。
合図を待っていた二百数十人の冒険者達は次々と斜面を滑り降りると、フライドと入れ替わるようにナタリアとの距離を縮めて取り囲み、徐々に包囲を狭めていく。
ナタリアは耳を澄ますが、フライドが『聖剣ギンガイザー』を納める気配はない。
スキルなし、目も見えない。残った左腕だけでどこまでやれるだろうか? と、ナタリアは考える。
「……来て、ハチコウ」
ひとまずナタリアは武器を呼んだ。彼女愛用の『魔剣ハチコウ』はそれほど強力な武具ではない。その効果は、「呼べば来る」ただそれだけ。
「くははっ! どいつもこいつも何をびびってやがる!! 見ろよ、もう死に損ないじゃねぇか、俺が! この俺様が、英雄ナタリアをやってやんよ!!」
ナタリアを取り囲んだ冒険者の内一人が、緊張に耐えられなくなって真っ先に斬りかかった。
――ズブシャ!!
その冒険者の脳天に、空から降ってきた細身の剣『魔剣ハチコウ』が突き刺さる。
『魔剣ハチコウ』には鞘がない。いつもナタリアの上空一万mの真空の中にあって、「呼べば来る」のだ。
まるで見えているかのように、その剣を冒険者の脳天から抜いたナタリアは、無造作に血を払った。
「ハチコウ、久しぶり。今日は特別に最期まで踊ろうか、ボクと」
その後、ナタリアは冒険者百四十五人を殺傷するが捕縛。
その場で、生き残った冒険者五十数人に暴行陵辱を受ける。
***
王都外壁外、南に4㎞――高く頑丈な壁に囲まれた場所がある。
既に閉鎖されてはいるが、かつては大迷宮の入口といえばここであった。
壁の内側に、古く堅牢な、一見砦のような建造物がある。
王都西門近くに新しい大迷宮入口ができてからこの場所を訪れる冒険者はめったにいないが、その建造物こそが冒険者ギルド総本部グランドロッジだった。
グランドロッジ二階執務室には、高級なソファーに深く座りサーベルを手入れする身なりのいい中年男がいた。おかっぱ頭でまつげの長いその男こそ、冒険者ギルド・グランドマスターの一人、ブラウド・グランギニョルである。
彼は今、とても機嫌がよかった。
年末に、S級冒険者ニンジャマスターサトルと弟フライドに命じ、実の父ナベルド・グランギニョルの暗殺に成功。晴れて、グランギニョル家当主となることができた。
更に今日、もうすぐ、冒険者ギルドが自分の物になるとほくそ笑む。
ギルド創設メンバーであり未だ大きな影響力を持つ英雄ナタリアを排除できれば、実質グランギニョル侯爵家が冒険者ギルドを牛耳ることになるだろう。
また、ナタリアの美しいエルフの肉体その物にもブラウドは興味があった。
執務室には、ドラゴンの首や妖精、美しい裸婦などの剥製が所狭しと飾られている。剥製作りを趣味とする彼は、美しいエルフの、それも英雄と呼ばれた名高いナタリアの剥製をコレクションに加えたいと密かに企んでいた。
手入れを終えて、サーベルを鞘に納めるブラウド。
そんな彼に、老執事が声をかける。
彼にとって待ちわびた吉報が届いたのは、深夜であった。
「捕らえたか、フフッでかしたぞ! して、まだ息はあるのだろうな?」
「はあ。ですが、いささか……」
「ふむ。何人か死んだか? いや、まあ、それはどうでもいい。八百年生きたエルフの肉体と引き換えならば、不良冒険者どもが何人犠牲になろうと惜しくはない。フフッ、せいぜい生き残った者どもに報酬を上乗せしてやれ」
「旦那様、何とぞ、フライド様にもねぎらいのお言葉を」
「フッ、フフフッ、そうだな。あやつにはまだまだ利用価値がある。何か適当なポストでもあてがうか」
「恐れながら、フライド様であれば、『勇者認定』も夢ではないかと」
「くだらんな、『勇者』の称号など、むしろ邪魔なだけだ。あやつにはこれからも暗がりにいてもらわなければならん。そうでなければ、あやつを生かす意味がない」
「……」
やはりダメだったかと、老執事は部屋を出て行くブラウドを残念そうに見送った。
グランドロッジ一階では、生き残りの冒険者達による宴会が既に始まっていた。
今は使われていない酒場を会場に、大仕事を終えた彼等に酒と料理が振る舞われる。
早くも酔いの回った誰かが『英雄ナタリアのテーマ』を鼻歌でふんふんと口ずさんだ。
周囲の冒険者達も一人二人と追随してそれに合わせると、いつしか大合唱になる。
それは、自分達に敗れた彼女への嘲りであったか? それとも、これから死にゆく彼女への手向けであったか?
宴会場の盛り上がりには目もくれず、ブラウドは真っ直ぐ彼女の待つ牢屋へと向かう。
「なんだ……これは……?」
ブラウドは、牢屋の中に横たわる青黒い肉の塊に思わず息をのんだ。
目は切り裂かれ、四肢もない、女性器は無残に破壊され、両乳房も抉り取られていた。それが、見る影もないほどに変わり果てた英雄ナタリアであった。
「……っふぅ」
ナタリアの唇からわずかに息がこぼれる。これがまだ生きているのだと、ブラウドは知った。
「ば、ばかな……誰がここまで……ここまでやっては、修復することもできぬではないか!! て、手足は!? 乳房をどこへやった!?」
激昂し、牢屋の前にいた隊長格の男に詰め寄るブラウド。
「……はっ、それは……その……」
「なんだ!? はっきり言わぬか!!」
「はっ……、だ、誰かが、エルフの肉は長寿の薬になると言いだしまして……」
「……なっ!? 野蛮人どもめ!!」
ブラウドは、英雄ナタリアを剥製にしてコレクションするつもりだった。多少の傷であれば修復する手段もあったが、肉体の欠損が想定よりも多すぎる。
怒りに震えるブラウド。そんな緊迫した雰囲気を意に介さず、牢屋の隅に立っていた黒髪の青年が口を開いた。抜き身の『聖剣ギンガイザー』を携えた、フライド・グランギニョルである。
「兄上、早いところ用を済ませてくださいよ。ハハッ! 俺もね、キネ君達との打ち上げに誘われてまして」
「フライド!! お前が付いていながら、なんたる失態だ!! どうやらその聖剣を預けるには、まだまだ力不足だったようだな!?」
「……はははっ、手厳しいなぁ」
この状態では英雄ナタリアを剥製にするのは無理か……と諦めかけたブラウドだったが、ふとある事に思い至る。
(待てよ……英雄ナタリアの財宝のことを忘れていた。彼女の【空間収納】には八百年溜め込んだ財産の全てが入っていると噂に聞いた。その中には、寿命を延ばす神酒「ソーマ」や欠損さえも癒やすという万能薬「エリクサー」まであるという)
そうだ! エリクサーだ! エリクサーがあれば、美しいままのナタリアを剥製にしてコレクションに加えることができる! と、ブラウドは酷薄にほくそ笑む。
「フライド、私の合図に併せて、一瞬だけ聖剣を納めよ!」
「ハハッ! 気をつけてくださいよ?」
ブラウドの合図に併せて、フライドが『聖剣ギンガイザー』を鞘に納めると、聖剣の効果による【スキル無効化】が辺りから消失し、スキルが使用可能になる。
その瞬間、ブラウドは自身のスキル【ハックユー】――近くにいる他人のスキルを勝手に使用する――を発動した。彼が使ったのは、ナタリアの魔法スキル【空間収納】。
ナタリアの【空間収納】から、中に入っていた全ての物品を吐き出させると、ブラウドは再度フライドに合図を送った。フライドがもう一度『聖剣ギンガイザー』を抜き放つと、『聖剣』の効果【超常スマッシュ】で辺り一帯のスキルがまた無効化される。
「よし、探せ! 荷物の中にエリクサーがあるはずだ!」
ブラウドに命じられ、配下の冒険者二人が【空間収納】から吐き出された荷物の山を漁り始める。
やがて、冒険者達が報告する。
「エリクサー見つかりません! 安いポーションが数本と、金は70万G程度とアクセサリーが数点、わずかな食料と着替えが数枚……」
「ばかな!! ならば、その大荷物は何だ!?」
「……何でしょう? 大量の『黒い粉』と、こっちの『金属性の箱』には何か液体が入っているようですが……?」
「液体だと!? ならば、それがエリクサーではないのか!? 中味を改めよ!」
ブラウド達が見て判るはずもないが、それらはナタリアが異世界「日本」で手に入れた物品であった。
予想以上に早かった粛正イベントに、ナタリアは少しだけ後悔している。
それでも、敵を道連れにするための準備は「日本」で既に終えていた。
『黒い粉』は爆薬であり、『金属製の箱』にはガソリンが入っている。
その時フライドは、ナタリアが何事かをつぶやいたように感じた。
瀕死の唇がわずかに動く。
「……来て、ハチ……コウ……」
『魔剣ハチコウ』は呼べば来る。
ナタリアの発したかすかな呼び声に応じて、牢屋のぶ厚い天井を貫き、ガソリンの詰まった一斗缶に勢いよく突き立つ。
――ズズーン!!!!
わずかな火花にガソリンが発火、爆薬を誘爆する。
一瞬で冒険者ギルド総本部グランドロッジは真っ赤な爆炎に包まれるのだった。
長く生きていればいろいろなことがある。
とはいえ、ナタリアにとっても、死ぬのは今日が初めてだ。
そんな時に考えるのは、やはりヤマダのことだった。
久しぶりの恋。ヤマダの童貞らしい新鮮な反応が楽しくて、ついつい先延ばしにしてしまったけれど、こんなことなら日本で無理矢理にでも奪ってしまえばよかった――と、ナタリアは最後にそんなことを思って少し笑った。