416 『ヒロイン達の事情~毎度お馴染み「ターメリック倶楽部」②~』
大晦日――言い換えるなら、一年の「尻の日」!
王都歓楽街の外れ、寂しい路地の奥の奥にある、知る人ぞ知るショーパブ『ターメリック倶楽部』は、今年一番の賑わいを見せていた。
(……ど、どうして? どうしてこの私が、こんな目に会っているのです……!?)
薄暗い店内の小さな舞台に設えられた壁一面の大鏡。白い小さなビキニと目元を隠すマスクだけを身に付けた四人の美女達は、その大鏡に両手を付いて、ひたすら左右に尻を降り続けていた。
客席から見て一番右、スラリと長い脚線美からの芸術的曲線で形作られた白磁器のごとき美尻の彼女、チンチコール侯爵家令嬢にして『聖剣ボンバイエ』継承者、アントニア・チンチコールは、その日自身にふりかかった度重なる不幸を心の中で嘆いていた。――彼女にとって人生最悪の日は、まだ終わっていなかったのである。
なぜ高貴な「金髪縦ロール」アントニアがそんな舞台に立っているのか? 時間は少しさかのぼる。
***
その日の昼過ぎ、大迷宮9階層でS級冒険者ガンバル・ギルギルガンと『黒金の勇者』シマムラ・スーザンとの争いに巻き込まれたアントニア。
スーザンと三人の少年少女――アンディ、ジェフ、マイと共闘することで、辛くもS級冒険者ガンバルを葬ったアントニアだったが、代償も大きく、その渦中で彼女は二十八歳まで大切に護り続けた処女を失った。
昨日までのアントニアであれば、取り乱し、そこに居合わせた全員を亡き者として全てを無かったことにしていたかもしれないが、共に強敵に立ち向かい、戦いの中で命を預け合ったスーザン達と今更改めて敵対する気にはどうしてもなれなかったのである。
そんな心の変化の根底に、十歳以上も年下の少年ジェフに対するほのかな恋心の芽生えがあったことを、アントニアはまだこの時気付いていなかった。
お互いに今日のことは忘れてしまいましょう――と約束し、アントニアは名前も告げずに、スーザン達と別れた。
マイから買い取った彼女の普段着、タンクトップと短パンを身に着けたアントニアは上層階へ続く階段を目指して走る。駆け出しの冒険者なら、そんな装備で大迷宮をうろつくこともあるだろう。
ただ残念ながら、彼女の派手な髪型と豊かな胸も相まって、誰がどう見ても出勤を急ぐ娼婦か踊り子にしか見えなかったのだが、そんなことをアントニア本人は知る由もない。
8階層へと続く階段前で、がらの悪い男達六人に四人の女が組み敷かれていた。女達は既に全裸で、抵抗する気力も失われている。
下卑た笑みを浮かべ女達に腰を打ち付ける男達がガンバル・ギルギルガンの姿と重なり、「どいつもこいつも」と一瞬で頭に血が上るアントニア――だったが、次の瞬間一気に血の気が引いた。
見覚えのある全裸の女達、およそ3時間前にアントニアとはぐれた護衛の女騎士達だった。皆、若くしてレベル40以上に達したエリート中のエリートであったが、どういうわけか四人全員の両腕がどこにも見当たらない。
――!!!!
獣のごとき咆哮、知らずアントニアは叫んでいた。
スキル【大正義】の熱が、かつて無いほど彼女の心を焦がした。
ガンバル・ギルギルガンに尻を貫かれた時でさえ、こんなにも怒りに震えることはなかった。
六人のがらの悪い冒険者達は、アントニアの『聖剣ボンバイエ』が【燃える闘魂】の効果を発揮する間もなくバラバラの死体となって転がった。
――弱過ぎる、レベル30あったかどうかも怪しいとアントニアは感じた。こんな弱い冒険者達に、チンチコール侯爵家の女騎士達が敗れるなどありえない……剣を握る腕さえあったならば。
「……ご無事でしたか、お嬢様」
身体を汚され消沈してはいるが、女騎士達の命に別状なかった。
両腕が切断されてはいるものの、おそらくは回復魔法で傷口はキレイにふさがれている。
ただ、切断された彼女達の腕が一本も見当たらない。
「何があったのですか?」
女騎士の一人フジナ・タタミヤが嗚咽混じりに語ったのは、アントニアが空を飛ぶブ男ヤマギワと天井を走る青年フライドを追いかけて走り出し、はぐれてしまった後に起こった出来事だった。
全力で走っていくアントニア。フジナ達四人も直ぐに後を追ったが、全身鎧の彼女達では全く追いつけないばかりか離される一方で、ほどなくして見失ってしまう。
息を切らし途方に暮れるフジナ達であったが、実のところそれほど慌ててはいなかった。
勇者の末裔チンチコール侯爵家の娘として産まれ、男達を差し置き『聖剣ボンバイエ』を継承したアントニアの実力は彼女達もよく知るところであった。多少世間知らずな面はあるが、こと戦闘において滅多なことはありえないだろうと思っていた。
とはいえ、フジナ達四人の役割はアントニアの護衛である。このまま彼女を一人にしておくことはありえない。そこで、上層階への階段前で一人待機し残り三人で手分けしてアントニアを捜索することを決めた。
そんな矢先のこと。彼女達は、天井を逆さまに走って引き返して来るフライド青年とばったりはち合わせしてしまう。
――おいキサマ、お嬢様はどうした!? と、天井に向かって厳しい口調で問いかける女騎士フジナ・タタミヤ。
「ははっ! アントニア様だったら、なんか檻の中でご乱交してましたよ~」
――な、なんだと!? と、フジナ。
「えっ、知りません? ご乱交~。ほら、複数人の男女が取っ替え引っ替えセックスを繰り返すやつ」
――ふ、ふざけるな!! キサマ、許さん!! とは、四人の内誰が言ったのか、天井に逆さまに立った青年フライドに対して先に攻撃をしかけたのはフジナ達女騎士の方からだった。
「……そして私達は、一呼吸の間に気がつけば両腕を切り落とされていて…………トドメを覚悟したその時に、あの男は急に何か思いついたように『聖剣ギンガイザー』を鞘に収めました。――そして、切り落とした私達の腕を拾い集めだしたのです」
拾い集めた腕を、フライドは自身の【空間収納】にしまい込み、アントニアあての手紙を書き残して去っていった。去り際に、フジナ達四人の傷口を回復魔法で塞いでいったという。
その場に取り残された両腕のないフジナ達が、たまたま通りがかったがらの悪い冒険者連中に見つかり、いいようにされてしまったのは不幸に不幸が重なったことによる偶然に過ぎない。
「……いえ、我々はいつの間にか傲慢になり、あのような者達の反感を集めていたのやもしれません」
自嘲気味にそう語るフジナに、アントニアもまた一人で暴走した自分の行動を省みずにはいられない。
フライドの残した手紙には、「腕を返して欲しければ、アントニア一人で来るように」と、時間と場所の走り書きが記されていた。
通常の回復魔法では切断された腕を元どおりに生やすことはできない。しかし、切断された腕を傷口に接合することは可能である。このままでは一生両腕の無い生活を強いられるかもしれないフジナ達四人の女騎士ではあるが、切り落とされた腕を取り戻すことができれば彼女達は再び剣を握ることができるだろう。
手紙の署名を見て、アントニアは青年の正体を知ることになる。
――フライド・グランギニョル、グランギニョル侯爵家でなぜか不遇な扱いを受け続ける三男が彼であった。
高価な【転移】アイテムを惜しげも無く使用し大迷宮9階層から一瞬で地上まで脱出したアントニア達は、高級宿『ヒスイ亭』に帰還した。貴族街にあるチンチコール家の別邸を使わないのは、兄弟やその嫁達と不仲だからである。
もしも、今日のアントニアの失態を兄弟やその嫁達の誰かに知られるようなことになれば、おそらくは殊更大げさに騒ぎ立てられ、どこかの貴族の後妻として嫁がされるか、そうでなければ出家させられることだろう。それを免れたとしても、『聖剣ボンバイエ』は取り上げられてしまうに違いない。
名だたる豪傑が集うであろう「勇者選考会」でアントニアが勝ち上がるには、『聖剣ボンバイエ』がなくてはならないと彼女自身もよく判っていた。
幼い頃思い描いた勇者になりたいという夢、そのチャンスがやっと巡ってきたというのに……アントニアにとって、『聖剣ボンバイエ』を手放すということは、見知らぬヒヒ爺の妻になることよりも耐え難いことだった。
――ふぅ。と、一人ため息をつくアントニア。
彼女の覚悟は決まっていた。
「……それでも、フジナ達の腕には代えられませんね」
身支度を整えたアントニアは一人、歓楽街の寂しい路地の奥の奥、フライドが待つ店『ターメリック倶楽部』へと向かった。
***
(……いや、ですが……これは違うじゃないですか? いやいやいや、聖剣は?)
てっきり、フジナ達四人の腕と引き換えに『聖剣ボンバイエ』を要求されるものと覚悟を決めてきたアントニアであったが、フライド・グランギニョルの出した要求は今夜この店で行われるイベント「くそプリ感謝祭」にエントリーして勝利することだった。
なぜに? 意味が判りません――と、いぶかしむアントニアに、「ははっ! 案外抜け目ないな~」と何を勘違いしたのか、フライドは四人分の左腕を【空間収納】から取り出してその場で返した。
約束は守る、右腕は「くそプリ感謝祭」で勝利した後に――というわけだ。
そんな事情で今、アントニアはきわどいビキニを着せられて、舞台の上で客に向かって尻を振っている。
スタッフから伝えられたルールは二つ。正面大鏡から両手を離さないこと、音楽に合わせて尻を左右に振り続けること。
(落ち着いて……お、落ち着くのよ私! 店の中に、私をアントニア・チンチコールと知る者は、あの男だけ。顔さえ見られなければど、どうということもない……!)
アントニアは目元を派手なバタフライマスクで隠していた。尊敬する父からの贈り物だったがデザインがイヤ過ぎて今日まで使う機会のなかった逸品だ。それがこんな所で役に立つなんて……思わず「お父様、ありがとうございます」とつぶやかずにはいられないアントニアだった。
――しかし、店の客達は口々に噂する。
「おいおい! ちょっとアレ、チンチコールのお嬢様じゃね!?」
「うっそだろ!? あの独創的な金髪縦ロール、間違いないんじゃね!? チンチコールのアントニアお嬢様で間違いねーよ!」
「つーかさ、キレイな尻してんなー、さっすが侯爵令嬢様だぜ、いひひ……」
「まさかアントニアお嬢様に、こんな趣味があったなんてな! なんだか俺、嬉しくなってきちまったよ!」
「――俺も。ぐすん、嬉しくてちょっと泣けてきた……!」
それらの声が喧噪にかき消されアントニア本人の耳に届かなかったのは、彼女にとってせめてもの救いであった。
『毎度お馴染み、マニアのショーパブ「ターメリック倶楽部」でございます』
店内の音楽が変わり、舞台に黒メガネの中年男性が登場した。
客達がざわめく。
「店長だ!」
「ミスター・ターメリックの登場だ!」
「タメさん!」
黒めがねの中年男、彼こそが「ターメリック倶楽部」店長、ミスター・ターメリックである。
『今宵は大晦日、すなわち一年の「尻の日」なんでございます。ェエーというわけで、日頃のご愛顧に感謝を込めて第二回「くそプリ感謝祭」の開催を高らかに宣言いたします!』
店内がどっと湧く。「くそプリ感謝祭」がどんな催しなのか知っている人も知らない人も、店長のタメさんが言うのだから間違いないだろうと歓声を上げる。
『それでは早速、今宵「くそプリ」に挑まんとする挑戦者のクソ女達を紹介させていただきます。――エントリーナンバー1番、尻エルフのロレッタちゃんでーす。年齢はヒミツとのこと』
客席から見て一番左、エルフらしい細い身体には不釣り合いなほど幅の広い肉厚の尻にスポットライトが当たる。
銀髪エルフのロレッタは第一回「くそプリ感謝祭」で、チャンピオンをもう一歩のところまで追い詰めた実績を持つ、店の常連客にはお馴染みのクソ女である!
そんな彼女が最近、国王の側室になったことを知っているのは、店内のごくわずかしかいない。
『相変わらず、スタイルいいねー。顔、小っちゃいよねー』
ミスター・ターメリックのイジりに、「オホホ、エルフですから」と誇らしげに応じるロレッタ。
このやりとりは、常連客にはもはやお馴染みの一幕である。
『続いて、エントリーナンバー2番、匿名希望のアマンダちゃんでーす。なんと、ピッチピチの十七歳』
ロレッタの右隣、四人の中で一番小さく引き締まった尻にスポットライトが当たる。
アマンダは月例大会にまだ二回登場しただけの新人であったが、持ち前の根性で今一番勢いのあるクソ女とささやかれていた。
『髪切った?』
唐突な問いかけに「は? いや、あの……」と思わず口ごもるアマンダ。
今日の彼女は本物のアマンダでなく、いろいろあってチハヤ・ボンアトレーと入れ替わっていた。マニアを自認する店長ターメリックや一部の常連客は一目見て別尻と見破ったが、元々匿名でエントリーしてる彼女が別人と入れ替わっていたとしてもそれをいちいち指摘するのは無粋なことだと彼等は全く気にしない。
そもそも、本物のアマンダはショートカットだったので、むしろ髪は伸びている。
(何コレ!? 何なのコレ!? 何が始まるの……!?)
これから何が始まるのか知る由もないチハヤは、ただただ困惑し小刻みにふるえる。
その初々しさに気付けた客は幸いであろう。
『お次は、エントリーナンバー3番、元槍術小町、奴隷メイドのミズキちゃんでーす。およそ二十九歳、本日デビュー!』
チハヤの右隣、四人の中で一番大きく肉感的な尻にスポットライトが当たる。
ミズキは『人形の勇者』イノハラに【隷属】していた。彼に命ぜられるまま急遽この舞台に上がることになってしまったのだ。
参加するだけでも2万G、優勝すれば100万Gの賞金が出るという。ただし、何を競うのかまでは聞かされていない。実は、参加を命じたイノハラも知らないのだ。
どうせろくでもないことだろうと涙しつつ、静かにその時を待つミズキだった。
『へぇー、元槍術小町、二十九歳……イイネェー』
ほぉーと、客席からもため息がもれる。ミスター・ターメリックも常連客も、大きく肉感的な尻が大好きだった。この店で一番好まれるイイ尻とはミズキのような尻なのである。
『そして、エントリーナンバー4番、謎の貴族令嬢、金髪縦ロールのアンナちゃんでーす。二十八歳、彼女も本日デビューでーす!』
客席から見て一番右、スラリと長い脚線美と芸術的曲線からなる美尻にスポットライトが当たる。
アントニアは偽名のアンナを名乗った。これから何が始まろうとも、自分がアントニアとバレなければいいと彼女は考えた。なにより、フジナ達四人の奪われた腕を取り返すには、勝利するしか道はないのだ。
『しーっ!』
人差し指を口に当てミスター・ターメリックが客達に自重を促す。うっかり彼女をアントニアと呼ばないようにとのサインだ。
彼女がアントニア・チンチコールであることは、ほとんどの客にバレていたが、本人がそのことに気付いていないなら、彼女にとってはバレていないのと同じことである。
(私はなる! 勝利し「くそプリ」とやらになってやる!)
正面の大鏡越しに、客席のフライド・グランギニョルを睨むアントニア。
スキル【大正義】の熱が、再び彼女の心を焦がす。
『さて今宵「くそプリ」に挑まんとする四人のクソ女達が出揃ったわけでございます。ェエー、それでは最後にお呼びいたしましょう! お待ちかね、第一回「くそプリ感謝祭」の覇者――』
店内の音楽がまた変わり、舞台に前回チャンピオンが登場する。
ざわわ……と客達がどよめいた。
『――初代「くそプリ」、ドクター・ラバトリーでーす』
逆三角形の隆々たる筋肉をオイルでテカらせた、ブーメランタイプの黒パンツ一丁の中年男、彼こそ初代「くそプリ」ドクター・ラバトリーであった。