船に乗って『遠く』へ
お久しぶりになりました。ぜひおたのしみください。
僕はとても遠くへ行きたかった。だから毎日のように君は僕と港に来る。港というのは送り出す姿勢だけは立派で、どうも人を迎える気があるようには見えない。浜もない。大した店もない。コンクリートの壁や地面や空が港を訪れる人を追い出していく。
君は僕に尋ねる。
「僕はいつも遠くへ行きたがる。地図を広げても、先生に聞いてもそんな場所はないって言ってる。なあ、『遠く』っていったいどこなんだ。」
「ないから願うんだ。この世にあるものなんてふつう願わないよ。君はベンツが欲しいかい。なら買えばいい。なにも言わずに買えばいいんだ。宇宙の端が見たいかい。なら見ればいいんだ。他のことに細胞なんてくれてやるな。すべての細胞をそこにそそぐんだ。」
海の家で聞くよりも少し硬い波音を感じる。ここは出発するところだ。一歩でも足を止めてはいけない。だから僕はすごく居心地が悪かった。
「宇宙の端なんか見られるわけないだろう。技術がまず追いつかない。少なくとも僕たちの寿命じゃ無理だよ。」
「なら死ねばいい。死ねばいいんだ。死ぬまで考えて、細胞一個一個を自分の意志で潰して、そして死ねばいいんだ。」
港に着く船を遠くから眺めるとそれはそれは立派に見えることを僕は知っている。だから船は見ているだけがいい。大きな美しい船を、どこに行くかもわからない『遠く』を目指す船をただただ眺める。
船に乗る人は知っているのだろう。近くで見ればそう大してきれいでないことも、そして行先さえも。『遠く」行きの船は僕たちの憧れだけを運んでいる。
ある日、僕は君と港を訪れた。今日の船の行先は『遠く』。今日の船は『遠く』へ行くらしい。僕はそのことをどこで知ったのか、いつもより大きいバッグを持っていた。
「乗るのかい。」
「乗るさ。」
「『遠く』には行かないと思う。」
「僕もそう思うよ。」
港で触るものはどこか全部中古品のような気がする。柱も椅子もコーヒーも。世界のあまりものを捨てたごみ箱。その中で掲示板がキラキラと発行している。行先は『遠く』。
「そんなの港にいる人間はわかっているんだ。港にいるくせにずっと立ち止まってるやつらはね。そいつらが言うんだ。僕はもう行くしかない。」
あそこに見えるのが僕の乗る船だ。その船は大きく美しく見える。きっとどこまでも連れて行ってくれるのだろう。
君は船の入口で立ち尽くした。船を見上げ、空を見上げ、そして港に振り返る。これじゃない。これでは。
船員に蹴り上げられ、君は船の中へと倒れた。出航。
出してくれ。これが行くところはどこなんだ。港に帰りたい。
港で船の出航を見守る。灰色の夕焼けが今日も綺麗だ。
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