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コール・ライン・コール

作者: 空月



 窓を閉め切った部屋に、小さくくぐもった外の喧騒が聞こえてくる。

 そんな部屋の中、ぼんやりとベッドにもたれかかっていた叶香は、突然鳴り響いた電話の着信音にびくりと肩を震わせた。

 携帯の画面を見、それでもなお信じられないような心地になりながら、震える手で通話ボタンを押す。

 当たり前のように繋がった通話に、戸惑いを隠せない声で名前を呼んだ。



「……郁……?」



 そんな叶香の戸惑いなど知ったことじゃないとばかりに、楽しそうな声がそれに応えた。



『ゲームをしよう、叶香』


「……郁、だよね……?」



 確認するように再度名前を呼んだ叶香に、電話の向こうの声は冗談めかしたように言う。



『ひどいな、いくら長年会ってないからって、幼馴染の声を忘れたの?』


「……。忘れて、ないよ。でも、こうやって時々連絡とってたりしない限り、幼染でも声は忘れると思う」



 幾分か落ち着いた叶香がそう言えば、今度は真面目ごかした言葉が返ってくる。



『それは確かに。じゃあ改めて。小学生の時に越して以来顔を合わせてはいないけどそこそこ連絡はとってる幼馴染の郁だけど、ゲームしよう?』


「なんで、ただ〈うん〉って言えばいいだけのところを、そんなに大げさにするの……」


『なんとなく?』



 あっけらかんとした言葉に、叶香はため息をついた。



「……うん、そうだね。郁ってそういうところあるよね……」



 そんな叶香の反応にもめげずに、電話の主――郁は再度誘いをかけてくる。



『それで叶香、ゲームしよう』


「さっきから言ってるけど……ゲームって、どんな?」



 叶香の疑問は当然のものだったけれど、それへの返答はだいぶ奇妙なものだった。



『うーん、なんだろ。宝探しみたいなものかな?』


「私に訊かれても……」



 「ゲームをしよう」と言い出したのは郁なのに、どうして疑問形なのか――叶香は不思議に思ったけれど、郁だから仕方ない、とも思う。そう思うだけの付き合いを重ねてきたので。


 そんな叶香をよそに、郁は楽しげに『ゲーム』の内容を説明し始めた。



『叶香にね、懐かし思い出の場所巡りをしてもらおうと思って』


「……〈懐かし思い出の場所巡り〉?」


『そう。まぁ、思い出の場所を巡るのが目的じゃないんだけどね。結果的に巡ることになるから』



 郁の言葉に叶香は首をひねった。疑問が口をついて出る。



「それのどこがゲームなの?」


『まぁまぁ、そう急かさないで。僕がヒントを出すから、叶香はここかなって思ったところに行って。叶香が正しいところに行けば僕の勝ち。そうじゃなければ、僕の負け、かなぁ』



 ふつう、正しい方を選んだ人間が勝ちではないだろうか。

 またしても叶香は首をひねった。



「……それ、逆じゃないの?」


『それが逆じゃないんだなぁ。最後の場所まで行けば、多分、意味がわかるよ』



 それが当たり前のように郁は言う。彼の意図が読めなくて、叶香は問いを重ねた。



「……どういうこと?」



 けれど、郁はその問いには答えず――優しく叶香の名前を呼んだ。



『ねぇ、叶香』


「……何?」


『――思い出して。気付いて。ちゃんと、ね』



 意味ありげなその言葉に、叶香は何も答えられなかった。



* * *



「あれ、ねーちゃん?」


「……っ!」



 郁の言う『ゲーム』に乗ることにした叶香は、玄関を出たところで声をかけられて身を震わせた。

 叶香に弟妹はいない。だが、一人だけ、叶香のことを『ねーちゃん』と呼ぶ人物がいる。

 それが声をかけてきた少年――満也だった。


 満也は、叶香が携帯を耳にあてているのを見て、慌てて謝ってきた。



「あっ、ごめん。電話中だった?」



 それを聞き、郁が言う。



『ああ、満也くんだね。いいよ、僕の方は置いといて、相手してあげて』



 叶香は少し迷ったが、結局、郁の言葉通りに携帯を離し、満也に向き直った。



「あれ、電話じゃなかった?」



 満也がこてりと首を傾げて問うのに、叶香は曖昧な笑みを浮かべる。



「……満也くんは、帰ってきたところ?」


「うん。にーちゃんが、用事あって出るから代わりに家にいろって」



 満也の言う『にーちゃん』とは、満也の実の兄――叶香のもう一人の幼馴染でもある津雲諒のことだ。

 満也の言葉に、叶香はひっかかりを覚える。



「それって、鍵をかけておけばいい話じゃ……?」


「うん、いつもだったらそうなんだけど。ちょっと気になるからって」


「そう……」



 不思議に思うものの、頼まれた満也が納得しているのなら、叶香が深く聞くことでもないだろう。

 そう考えて相槌を打った叶香に、満也は問いを向けてきた。



「ねーちゃんはどしたの? どっか行くの?」


「あ、うん、ちょっと」


「ひとり? 誰かに会いに行くの? 大丈夫?」



 真剣な満也の様子に、叶香は少しばかり情けない気持ちになる。



「〈大丈夫?〉って。子どもじゃないから大丈夫だよ」


「だって、ねーちゃんちょっと危なっかしいから」



 けれど満也は当たり前のことのようにそう言ったので、叶香はちょっとばかり不安になる。

 


「……そんなに? 満也くんに心配されちゃうくらい?」



 叶香の問いに、満也は少しムッとした顔をする。



「おれが心配しちゃダメなの?」


「そうじゃないけど……高校生なのに中学生に心配されるってちょっと……」


「……確かにおれは中学生だけど、成長期が来たらあっという間にねーちゃんなんか追い抜いて、見下ろしてやるんだからな!」


「それは楽しみにしてるけど、それとこれとは別っていうか」


「別ってなんだよー!」



 心外とばかりに満也が地団太を踏む。



「曲がりなりにも年上としての威厳とか面子とか、そういう……?」


「イゲンなんてねーちゃんにあったことないじゃん」



 ずばっと言われて叶香はちょっとショックを受けた。



「そ、そんなはっきり……」


「だってジジツだし。……ねーちゃん、どっか行くとこだったんだろ。急ぎじゃなかった? 大丈夫?」



 気遣うように言われて、叶香ははにかむ。



「あ、ううん……いいよ、久しぶりに満也くんと話せて、嬉しかったし」


「……ったく、ねーちゃんはこれだから……。それならいいや。おれもねーちゃんの顔見れて、話せて、嬉しかったし。じゃあ、ねーちゃん、気を付けてね」



 最初の方は小声で聞こえなかったけれど、叶香はそれに気づかなかった。

 手を振る満也ににこりと笑う。



「うん、またね。満也くん」




* * *




「…………」



 叶香の背中を見送った満也は、ポケットから携帯を取り出し、電話をかけた。

 二コール目の途中で通話が始まる。



「――もしもし、にーちゃん? ……うん、やっぱり言ってた通り、ねーちゃん出てった」



 潜めるように告げる。



「気になること? ……携帯で話してたよ。でも、おれが声かけたら離した。……うん、――画面、点いてなかった」




* * *





 満也と別れた叶香は、郁の誘導の下、公園に来ていた。

 子どもたちの遊ぶ声を聞きながら、叶香は郁と会話する。



「一番よく遊びに行った場所、って言ったら、ここだと思うけど……近所の公園だよね?」



 叶香が問えば、郁は楽しそうに答えた。



『せいかーい。叶香、滑り台もブランコも好きだったけど、どっちからも落ちたっけ。懐かしいなぁ』


「うっ……それは忘れてほしいんだけど……。あ、ブランコ、新しくなってる……」


『まぁ、僕も落ちてるからお揃いお揃い』



 叶香は一瞬息を呑んだ。

 けれど郁はそれに気づかなかったように話を続ける。



『そういえば、ジャングルジムからも落ちたなぁ。諒はジャングルジムがお気に入りだったよねぇ。てっぺんからじっとあらぬところを見てたりして』


「……。あれ、ちょっと怖かったな……声かけても、たまに気付いてもらえなかったりしたし」


『あの頃の諒は、ちょっと危なっかしかったよねぇ。僕たちとはちょっと〈見える〉ものが違ってたから、仕方ないのかもしれないけどさ』



 郁が口にした通り、諒はいわゆる霊感を持っていた。

 だからこそ、叶香と郁はできるだけ諒の傍にいた。ひとりにしてはいけないと、そういう直感が働いたのだ。



「郁は、諒のそういうところ、怖くなかった?」


『僕と叶香が一緒にいれば、何とかなると思ってたから。根拠はなかったけど、感覚的に。実際大丈夫だったしねぇ。すくすく育って、可愛げもなくなっちゃって。まぁ元々、可愛げは無かったような気もするけど』


「それは……確かに……」



 郁の言いぶりに叶香は思わず笑ってしまう。

 確かに諒は『可愛げ』なんて言葉とは無縁の性格に育ってしまった。幼い頃の無感動な、どこかふわふわと地に足のつかないような性格よりはよほどいいとは思うけれど。



『なんであんなに口悪く育っちゃったんだろうねぇ? まぁ、あれはあれで可愛いって言えなくもないけどさ。特に叶香に対してとか』


「? 私に対して、ってどういう……?」


『傍から見てる方がわかることもあるってこと。――さて、それじゃあそろそろ、次の場所に行こうか』



 躱されたことに気づいたけれど、それよりも別の疑問が勝って、叶香は目を瞬いた。



「え、もう? ……っていうか、結局何のためにここに来させたの?」


『それはまた、追々、ね。わかってくれたら嬉しいなぁ』


「……?」



 またも意味深げな言葉に首を傾げながら、叶香は郁の指示する次なる目的地へと向かって歩き出したのだった。




 遠く車の走る音が聞こえる。

 叶香が住むあたりはお世辞にも都会とは言えないので、人気のない道も多くあった。

 郁と話しながら歩いていた叶香に、突然郁が告げた。



『あ、叶香、携帯下ろして』


「え、」



 戸惑いながらも耳から携帯を離すと同時、背後から聞きなれた声がかかった。



「叶香!」


「透子、ちゃん?」



 透子というのは、叶香の中学からの友人だ。

 いつでも明るく、思ったことを率直に言う裏表のない性格を、叶香は自分にないものとして羨み、少々気の強いところも好ましく思っていた。



「やっと見つけた!電話かけても繋がらないし、家行ったらいないし!心配するでしょ?」


「う、ご、ごめん……」



 よほど腹に据えかねていたのだろう、まくしたてる透子に叶香は小さくなる。その様を見て、透子は少しトーンダウンした。



「それで、どうしたの? 出かけるにしては軽装だけど」


「ちょっと、……その、散歩でもしようかなって」


「散歩? ……ふぅん?」



 目を細める透子に、焦りを覚えながら叶香は問い返す。



「透子ちゃんこそ、何かあったの? 家にまで来たって、今……」


「まぁね。でも、とりあえずいいわ。また今度で」


「急ぎの用事とかだったんじゃ……?」


「最近あんた元気なかったから、いろいろ考えてただけよ。散歩に出るくらい元気になったならいいわ。せっかく計画したから、止めはしないけど」



 肩をすくめる透子に叶香は首を傾げた。



「計画?」


「あんたのとっつきづらい幼馴染巻き込んで、いろいろね。だから予定聞きたかったのに、電話繋がらないし。どうせ充電切れでもしてたんでしょ」


「……ごめん、ね……」


「別にいいわよ。あたしが勝手に心配して、勝手に計画して、勝手に行動しただけなんだから。……でも散歩って、そろそろ暗くなるわよ?」



 心配げに言う透子に、叶香は曖昧に笑む。



「うん。その、ちょっと行きたい場所があって……」


「目的地があるの? だったら引き止めて悪かったわね」


「あ、ううん……。……あの、心配かけちゃって、ごめんね」



 言うと、透子は一拍の後、おもむろに叶香にデコピンをした。

 鼻を鳴らし、照れたように口早に言い募る。



「さっきも言ったでしょ。あたしが勝手に心配して、勝手に動いただけなんだから、あんたが謝る必要はないの。……そうね、あたしに悪いと思うんだったら、もっとふてぶてしくなりなさい」


「……ふてぶてしく?」


「あんた、何に対しても気にしすぎ、気にかけすぎなのよ。そこがいいところでもあるんでしょうけど、それで自分が参ってたらバカみたいじゃない」



 明け透けな物言いに叶香は目を瞬かせた。



「ば、ばか……」


「あたし、『バカみたいに優しい』は、褒め言葉じゃないと思ってるの。つまり、あんたに対してよ。常々、ちょっとバカみたいだと思ってる。――言っとくけど、あんたが好きだから、余計にそう思うってことだからね」


「うん、わかってる、よ」



 頷き、叶香ははにかんだ。――透子の言葉が、嬉しかったからだ。



「……透子ちゃん、ありがとう」


「……自分で言うのもなんだけど。叶香、あんた、あたしのこの言い方でよく笑えるわね」



 少しばかり怯んだ様子の透子に、叶香は微笑んだ。



「だって、透子ちゃんが私のこと心配して言ってくれてるの、わかるから」


「……もう。調子狂うわね。でも、ありがと」


「? お礼を言うのは、私の方だよ?」


「いいから言わせなさいよ。……ほら、行くところがあるんでしょう。さっさと行かないと、帰るのが遅くなるわよ」


「あ、うん。……じゃあね、透子ちゃん。――また、ね」


「はいはい、またね。気を付けて行きなさいよ」



 手を振り、小走りで駆け出す叶香を見送った後、透子はひとり呟いた。



「何があったか知らないけど、元気になったみたいでよかったわ、本当。思いつめてて、見てられなかったもの……」



 叶香が去った方向から目を離し、透子もまた歩き出す。と、そんな透子に近づく足音があった。ついで、切羽詰った声がかかる。



「おい、佐伯! 叶香に会ったか?」


「ちょっ……津雲? いきなり何?」



 声の主は叶香の幼馴染、津雲諒だった。慌ただしく透子に駆け寄ると、勢いこんで問いかけて来る。



「いいから答えろ! 叶香に会ったか?」


「会ったけど……何をそんな焦ってるのよ。普通に元気そうだったわよ。大事な幼馴染が心配なのはわかるけど、過保護すぎるんじゃないの」


「そーいうのじゃねぇっての! ――あいつ、なんか変なところなかったか」



 透子の言に嫌そうに否定を返し、真剣なまなざしで諒は問う。

 透子は呆れた溜息をついた。



「そういうのにしか見えないわよ。……変なところって……別に? さっきも言ったけど、普通に元気そうだったわよ」


「携帯は?」


「携帯?」


「持ってたか?」



 言われ、透子は叶香の様子を思い返す。



「そういえば、ずっと何か握りしめてたけど……あれ、携帯だったの?電源切ってるんだか充電切れだかわかんないけど、役に立たないはずなのに」


「……やっぱりか。――助かった!」


「あ、ちょっと! ……行っちゃったわ。慌ただしいわね」



 走り去る諒を見送って、今度こそ透子は帰り路についた。

 一方諒は、息を切らしながら吐き捨てるように呟く。



「あの馬鹿、何やってんだ本当……!」



 その言葉には万感の思いがこもっていた。




* * *




 通りから少し外れた、家々が立ち並ぶ脇道を歩きながら、叶香は感慨に耽っていた。



「最近この辺り来てなかったけど、結構変わってるんだね……」


『まぁ、十年以上経ってるから。そりゃあ変わりもするよねぇ』


「うん、そうだね……でもちょっと、寂しいな。さっき行った……昔よく遊んでた空き地もなくなってるとは思わなかったし」



 先程、郁の先導で訪れた場所を思い返す。幼い頃、郁と諒と遊んだ思い出の空き地は、立派なマンションが建っていた。



『気持ちはわかるよ。でも、変わらないものはないからね。……でも、変化がゆるやかなところもある。僕たちの〈秘密基地〉、覚えてる?』


「……うん、覚えてるよ」



 秘密基地。その響きを懐かしく思いながら頷く。

 雑木林の中のそこは、皆の秘密の場所だった。



『子どもってさ、〈秘密〉が好きだよね。〈秘密基地〉とか〈二人だけの秘密〉とか。すごく特別で、どきどきするものだった。……僕たち、三人だけの〈秘密基地〉も、そうだったね』


「静かで、日常とは別の空間みたいで、どきどきしたっけ……」


『雰囲気のある場所だったからねぇ。ちょうどぽっかり空間が空いてて、見つけた時なんて陽がうまい具合に差し込んで、きらきらして見えたし。うーん……もう暗くなるし、そこが最後かな』


「最後……」


『うん、最後。……ふふ、ちゃんと、見つけてね、叶香』



 楽しげに、そしてどこか思い深げに、郁は囁いた。

 叶香はそれに、焦りのような不安のようなものを抱いたけれど、口にはできなかった。




* * *




 暗くなる前に、と小走りで来たけれど、着いたころにはもう薄闇が辺りを包んでいた。

 さやさやとした葉擦れの音だけが聞こえる空間を見回し、叶香は呟く。 



「ここ、が、最後……。あんまり変わってない、気がする……。でも、こんなに狭かったっけ……」


『それ、僕も同じこと思ったなぁ。でも、僕も叶香も成長したから、感じ方も違って当然だよね』



 ほとんど無意識に漏れた言葉に肯定を返されて、叶香は目を丸くした。



「え、〈僕も〉……?」



 問いかけに応えるように、ほわりとした光が叶香の目の前に現れる。



「……ほた、る……? なん、で……水場でもないし、季節でもないのに」


『……蛍、か。そうか、叶香には、そういうふうに見えるんだ』


「郁……?」



 郁が何の話をしているのかわからず、不安が叶香を包む。

 そこに、駆け寄ってくる足音があった。



「ンなとこで何してんだこの馬鹿!」



 開口一番に罵倒してきたのは、諒だった。



『――来たね』


「……諒……?」


「今何時だと思ってんだ。女一人でこんな人気のないところ来て危ねーだろうが。ガキの頃とは違ぇんだぞ」



 心底腹立たし気に、諒は叶香を睨みつけた。かなり人相が悪くなっているが、諒はいつもこんなものなので、怖いとは思わない。ただ、怒っているのはわかるので、叶香はうなだれながらも反論を試みようとした。



「えっ……で、でも……」


「〈でも〉も〈だって〉も聞く気はねぇからな。帰るぞ」



 言い切られたけれど、叶香の足は動かない。

 その様子を見て、諒は苛立ちまじりに溜息をついた。



「……その電話の相手、〈郁〉だな?」


「……っ」



 息を呑む。けれど答えられない。

 けれど諒は容赦なく切り込んでくる。



「だんまり決め込んでんじゃねーぞ。〈オカシイ〉のはわかっててここまで来たんだろうが。貸せ」


「あっ……」



 諒は叶香の携帯を奪い取った。そのまま耳に当て、叶香にしたように罵倒した。



「ふざけんなよ、この馬鹿が」


『開口一番ご挨拶だね。久々に話す幼馴染にひどくないかな』


「何もひどくねーし、てめーがアホで間抜けで大馬鹿野郎なのは事実だろ」



 諒が操作した様子もないのに、スピーカーにしたときのように電話の向こうの声が聞こえる。

 そのことを疑問に思う余裕もなく、叶香は携帯を取り返そうと手を伸ばした。



「諒、返して……っ!」


『相変わらず口が悪いなぁ、諒は。叶香にまでそんな調子で悪態ついたらダメだよ。叶香は女の子なんだから』


「ちょっと黙ってろ叶香。……女だろうが男だろうが馬鹿には馬鹿って言うのが俺の流儀なもんでね。っつーか、郁、暢気に喋ってんじゃねぇよてめーは」



 叶香の手から逃れながら、諒は郁と話し続ける。



『おしゃべりくらいは楽しませてほしいな。……退屈、なんだよ』


「諒、お願い返して、諒!」



 そうして、決定的な言葉を口にした。



「大人しくしてろっつーの。――だったら意識不明のまま中身だけふらふらしてねぇでとっとと体に戻れ〈浮幽霊〉」



 叶香が蒼白になって息を呑む。諒はそれを横目に、心底苛立たしげに舌打ちした。

 電話向こうの郁は、苦笑まじりに諒に問いかけた。



『やっぱり僕って〈浮幽霊〉でいいんだね?」


「自覚無かったのかよ」


『いやぁ、何せ自分の体を置いてけぼりにしてふらふらするのなんて初めてだからさ』


「そんなもん人生で何度もあってたまるか。っつーか携帯通じて話すなんて小技使う前に自分の体に戻れよ」



 諒は郁に怒っているようだった。足元の枯れ草を怒りをぶつけるように踏み荒らす。

 対する郁はどこまでも呑気な風情だった。



『戻り方がわからなくってさぁ。そもそも、気付いたらここにいたんだよね。いろいろ試して瞬間移動っぽいことはできるようになったし、ふわふわ漂うのもお手の物だけど、気を抜くとここに戻ってきちゃうからお手上げで』


「気合いが足りねぇんだよ、気合いが」


『幽霊って、そんな精神論的なものなんだ?』


「精神だけあるようなもんなんだからそうだろ」


『そうかなぁ……。ところで諒、叶香へのフォローもちゃんとしようよ。叶香が精神的に参ってたの、わかってたんだろう?』


「大体がてめーのせいじゃねぇか。お前がアホで間抜けで大馬鹿野郎なのが原因だろ」


『散々な言われようだけど、あれは不可抗力だよ』



 郁の弁明を、諒は鼻で笑い飛ばした。



「人助けしようとして自分が頭打って意識不明になってりゃ世話ねーだろうが」


『そういう予定じゃなかったんだって』


「予定たてて意識不明になるやつがいるか。っつーかそれにしてもタイミング悪すぎんだよてめーは」


『それに関しては返す言葉がないなぁ』



 肩を竦めるような気配がした。合わせて蛍のような光が明滅する。

 叶香はただ、呆然と二人の会話を聞くしかできなかった。



「よりによって叶香と電話で話してる時に人庇って階段から落ちるとか、狙ってんのかてめー」


『狙ってるわけないじゃないか。僕もまずったなぁって思ったよ。だからこうして叶香に干渉を試みたわけだし』


「それで、なんでやることが電話繋げてこいつ振り回すことなんだよ」


『振り回すなんて人聞きの悪い。第一に、携帯への拒否感の払拭。第二に、叶香を心配してる人と会わせることで、内にこもった状態から脱させる。一石二鳥で、理にかなってるだろう?』


「……それが目的でンな回りくどい真似したのかよ」


『うん、そうだよ。ちゃんと諒が気付いて、追いかけてくることも織り込み済みだったしね』



 郁の言葉に、諒は何かに気づいたように目をぎらつかせる。



「……。っつーことはあれか。てめー、意識不明からここまでの間、俺らのプライバシー侵害しまくってたな? じゃねーといくら連絡とってたって、叶香の交友関係だの、おれが今どの程度〈見える〉かだの、わかるわけねぇもんな。くっそタイミングよく満也とかと鉢合わせさせられねぇもんな」


『否定はしないよ』


「少しは悪びれろよ、タチ悪ィなほんと」


『諒は相変わらず僕に手厳しいよね』


「叶香がてめーに甘いからな。ちょうどいいだろ」



 そこで、諒は少し声を低めた。叶香には聞こえない声量で郁に問いかける。



「……さっきの叶香の取り乱し様、俺が来なきゃ、現実、認められないままだったんじゃねぇの」


『諒が来るって信じてたからね。もしそうなってもなんとかなるかなって』


「つまり適当ってことじゃねーか。そういう行動の仕方止めろよ、いい歳なんだから」


『二歳しか違わないのに、年寄り扱いしないでほしいなぁ』


「二歳も違やぁジジィだろ。てめーのノリもジジくせぇし」


『ほんと、言いたい放題だなぁ。まぁいいけどさ。……諒、ちょっと叶香に代わってくれる?』


「あァ?」



 跳ね上がった声は叶香にも届いて、叶香は肩を震わせる。

 それを見た諒の目つきがさらに鋭くなった。



『凄まないでもらいたいな。ちょっと話すだけだよ』


「別にいいけどよ、てめー、自分の体に戻る気はあるんだろうな?」


『もちろん。意識がないだけで、体は健康そのものにまで回復したらしいのに、戻らない理由がないだろう?』


「だったらさっさと戻れよ」


『それはそうなんだけど。多分、僕が戻れないのって、叶香のことが気にかかりすぎてるからなんじゃないかなぁって思うからさ。うまくいけば、もうすぐ戻れるよ。ダメだったら、諒がなんとかしてくれるって信じてるし』


「おい、俺はちょっと〈見える〉とか〈わかる〉だけで、霊を祓うだのなんだの、そういう特殊能力とは無縁だっつーの」



 わかってんのか、と諒が言えば、郁は軽やかに答えた。当たり前の真理を告げるように。



『うん、知ってる。でも僕がこのままでいることが叶香に与える影響とか考えたら、きっとなんとかしてくれるだろう?』


「……ックッソ、てめー、体に戻ったら覚えてろよ」


『一発くらいは殴られる覚悟をしておくよ。グーはご遠慮願うけど』


「だったら、グーで殴る準備しといてやるよ」


『ひどいなぁ』


「ハッ、言ってろ」



 そうして、諒は呆然と縮こまっていた叶香に携帯を向けた。



「ほらよ、叶香。……ったく、ンな死にそーな顔してんじゃねぇよ。郁のヤロー、中身も外側もピンピンしてんじゃねーか。お前の方がよっぽど死にそうだっての」


『そうだよ、叶香。ちょっと中身と外身が分離しちゃっただけで、僕は元気だよ? ちょっとショッキングかなぁって音声聴かせちゃったのは悪かったけど、叶香が気に病む要素はどこにもないんだから』



 言われて、叶香はやっと感情を思い出したように唇を震わせた。

 みるみるうちに瞳に涙が浮かぶ。



「……っ、だ、って。私と話ししてなかったら、もっと早く、落ちてくる人に気付いて、庇ったとしても怪我しなかったかもって……」


『あはは、ないない。俺の鈍さは筋金入りだからねぇ。早めに気付いたって、どうせうっかり頭打つくらいしてたよ』


「何回も、何回も思い出すの……郁の叫び声も、携帯が落ちていく音も、……郁が落ちた、音も」



 繰り返し、繰り返し。何度も思い出した。何度も後悔した。

 そう伝えれば、郁は弱った声で謝罪してきた。



『うん、それは本当に申し訳なかったなぁって。まさかあんなことになるとは』


「たくさんの人の、悲鳴も、ざわめく声も、救急車の音も……ずっと、聞いてたの……」


『……ごめんね、怖かったよね』


「……うん、怖かった。二度と、郁の声、聴けないんじゃないかと思って。夏に会うって約束も、果たせないんじゃないかと、思って」



 事故が起こる直前、夏にそっちに行くよと郁が言った。楽しみに待ってると叶香は答えた。

 その約束が果たされないんじゃないかと思って、怖かった。



『すぐに安心させてあげられなくて、ごめんね。この通り僕はピンピンしてるし、体も怪我が治って健康そのものになったらしいから、大丈夫だよ。夏にはちゃんと、体ごと会いに来るから、ね?』


「でも郁、体に戻れないんでしょう……?」


『まぁそれはね、どうにかなると思うんだよね。だから、ほら、安心して?』


「……でも……」



 叶香は諒と違って、超常現象に縁なく過ごしてきた。

 安心して、と言われても、そう簡単にどうにかできるものなのかという疑念がぬぐえない。



『まぁ、そう言っても難しいよねぇ。……叶香には、僕が蛍みたいに見えるんだったよね?』



 蛍のような光が、ふわふわと叶香の前を舞った。



「うん。今は、目の前で光ってるよ。……これが、郁なんだね」


『――ちょっと、試したいことがあるんだけど、いいかな?』


「試したいこと?」


『こういう不可思議な状況の時の定番かなって、さ』



 光が、叶香に近づく、そうしてふと、叶香の唇に触れた。



「あ、っ……」


『古今東西、大抵のことはこれで解決するものだよ。多分ね』


「……なっ、ちょっ、郁、てめーっ!」



 信じられないものを見たかのように、諒が声をあげる。

 その反応の意味がわからず、叶香は瞬いた。



「え、え?」


『実体はないからノーカンってことで。って諒に伝えて? そんなに期待してなかったけど、なんか戻れそうな感じだし、直接言う暇なさそうだから』



 言われて、射殺しそうな目をした諒に、気後れしながら伝言を伝えようと試みる叶香。



「え、えと、諒」


「あァ!?」


「郁が〈実体ないからノーカン〉だって」


「はァ!? ざっけんなよ馬鹿! こいつに見えないからって何っつーことしやがる!!」



 諒の怒声に驚き、叶香は肩を竦ませた。



『あはは、怒ってる怒ってる』


「よ、よくわからないけど、何して怒らせたの、郁」


『そうだな、どっちかっていうと、叶香が怒るべきかなって感じのことだよ』


「え、私?」



 そう言われても、いったい何が起こったのか叶香にはわからない。

 郁が苦笑した。



『そう。まぁ生身で会えた時に懺悔するから、その時は思う存分怒って』


「どういうこと……?」


『今は内緒。…さて、それじゃあそろそろ電話経由で話すのもできなくなりそうだし、……名残惜しいけどさよならかな』


「あ、……」


『そんな残念そうな声出さない。……僕が体に戻って、目が覚めたら、いくらでも話せるんだから』


「そう……だね……」



 それでもこの電話が切れることが寂しい――心細い。

 それが伝わったのか、郁は真剣な声で囁いた。



『ねぇ、叶香。叶香を心配してる人は、たくさんいるね。大事に思ってる人もたくさんいる。……そういうことを、忘れちゃだめだよ』


「…………うん」


『僕も、その一人だよ。……僕のために不幸になる叶香は、ゆるせないから。ゆるせないなぁって、こうなって思い知ったから。意地でも元気になって夏に会いに行くから、待ってて』


「うん、……待ってる」



 そうして光がひときわ強くなったかと思うと――消え去った。

 同時に携帯の画面が真っ暗になる。それを叶香は物悲しい気持ちで見つめた。



「……いったか」


「……うん」



 気落ちする叶香に気遣うように、諒は乱暴に叶香の頭をかきまぜた。



「だいじょーぶだよ。ちゃんと自分の体に戻っただろ。寝たきり状態だったわけだし、リハビリくらいは必要だろうが、すぐ何もなかったみたいに電話かけてくんだろ、あいつのことだから」


「うん……」


「夏に来るんだろ。そん時は言えよ。グーで殴りに行ってやる」


「ぼ、暴力はダメだよ……」


「グーでもぬるいだろ。っつーかお前こそ、あいつグーで殴るべきだろ」


「え、なんで?」


「あいつのドジで被った迷惑料、兼――……。くっそ、俺から言いたくねぇ。あいつから聞け」


「何を?」


「あいつが最後にやらかしてったことだよ! あー! 思い出したらぶん殴りたくなってきた!! 帰ンぞ叶香。ここにいると思い出してイラつく!」


「あっ、ちょっと、待ってよ諒!」



 足音荒く歩き出す諒を、叶香は慌てて追いかける。



「っつーかお前もお前だ! 何平然としてんだ!」


「そんなこと言われても、郁が何したのかもわかんないし……」


「っがぁあ! なんっで見えてねーんだよ!」


「見えないものは見えないよ……」


「それわかっててやりやがって……くっそ、やっぱ一発じゃ足りねー。二発は殴る」


「殴るのはだめだってば!」


「トーゼンの権利で対価だっての!」



 そんな会話をしながら〈秘密基地〉を去る二人を、月明かりだけが見つめていた。




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詳しくは2022/11/5の活動報告をご覧ください。→https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/78504/blogkey/3069609/

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