表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
高橋ハルミン暗殺未遂事件。  作者: 大久保ハウキ
6/6

甲子園に棲む魔物ならぬ、復讐の鬼。立木ミル。その深い気持ち。

 甲子園に棲む魔物ならぬ、復讐の鬼。立木ミル。その深い気持ち。


 2007年の夏は暑かった。ミルと小文字のZチーム、半独立国家北海道にとっては色々な意味で熱く、日本人にとっては単純に外気が暑く、中央政府にとっては肝を冷やしたという意味で寒かったかも知れない。

 終業式というキーワードと共に小文字のZチームは知事公館の合宿所とグラウンドをたたみ、その活動拠点を一旦埼玉県に移している。

 彼女たちはその日本一暑い街で最終調整をおこなった。

「アフリカの砂漠は干乾びるとか、焼けこげるような感覚に支配されたが、ここは蒸し風呂か溶けるような感覚だな……」

 世界中を転戦する傭兵であるシルヴィスが、愚痴をこぼしたくなるような暑さ。

「来年からは……北海道に甲子園を移転して欲しいわ……この暑さは寿命が縮みそう……」

 北海道育ちの小文字のZチームも相当バテ気味である。

 この場で平気そうにしているのは、熱帯雨林育ちらしいステイプルトンのみだった。

「まあ、ジャングルと比べるならそうでもないが……こういった街中でこの湿度は異常だよなぁ」

 インド出身だというモーティマーまでがぐったりしている。

「こんな環境で、運動でも戦争でも、しようと思う奴は……頭が既に沸いているとしか思えねぇよ……」

「例え、北海道と中央政府が戦争していても、この地だけは攻略する意味を感じねぇ……」

「甲子園のベンチ裏に『仮設プール』とか置くと反則になるかな?」

「プールか……いいな……警備するのが面倒そうだが……まあ、まずはこの暑さに慣れなくては、甲子園で一勝もできなさそうだぜ?」

 シルヴィスとミルの視線の先に、木陰でぐったりしている小文字のZチームメンバーが倒れている。午前の練習で彼女たちは体力を使い果たし、木陰での回復に努めているのだ。

「水分と塩分をこまめに摂取するんだよぉ……」

「は~い……」

 暑さに耐性を持っているのは、忍者の末裔である美影だけのようで、彼女はチームメイトにペタペタ触りながら、スポーツドリンクと塩分を含む飴玉を配っている。

 ミルが警備側のシルヴィスたちの横に座ったのは、そのペタペタと暑さの相乗効果で美影を少々鬱陶しいと感じたからだ。汗でベタベタの体に同じく汗ばんだ手をくっつけられると、流石に普段あまりその手のことを気にしない彼女も気に障る。シルヴィスだけではなく傭兵たちも一緒にいるので、美影は警備側にあまり寄ってこないのだ。

「最大の敵は……技術云々、精神論云々よりも……やっぱり暑さなのね」

「それでも他県に比べると、北海道大会は早目に終わっているからな。暑さ対策に時間を割けるのはありがたい」

「そうね……そうでも思わなければ……今すぐ北海道に帰りたいくらいだよ」

 蛇足だが、これより10年程経過した日本では、平均気温が更に上昇した為、夏にあるスポーツ大会はほとんど10月におこなわれるようになる。

「この暑さに慣れ、体調管理できれば、甲子園でも実力を発揮できるだろ?」

「うん。あんたの考えた練習方法に間違えはないよ……まあ、まだスタートラインだから、そう考えると憂鬱だけれどね」

「来週には組み合わせ抽選会、そして開会式リハーサル、開幕か……昨年に続き『半独立国家沖縄』が、かなり強いようだからな。他県の強豪と当たって先に潰れてくれると助かるんだが……」

 中央政府の鈍重な政策に腹を立て、半独立を掲げたのは北海道だけではない。

 特に北と南には、中央政府を嫌う道民性と県民性が根強いのだ。

 その半独立国家沖縄は、昨年の甲子園で優勝校を輩出している。

「大文字のJチームのように『初戦で油断した』という作戦はもう使えないからね」

 諜報戦に関しては札幌に残った太郎、三十朗、大の三名が引き受けてくれているので、小文字のZチームの情報はまだそれほど全国に流れていないが、男だらけのチームをことごとく降した女性チームを侮るほど愚かな高校は甲子園に出場してこない。

 トーナメント初戦で北海道のチームは南のチームと当たる率が高いので、それは意識せねばならない。

「ふう……ハルミンの敵討も大変だよ」

「まあ、大変じゃない仇討はねぇよ」

「そうね……よし。休憩終わり! 皆、守備練習するよっ!! シルヴィス、警護と球拾いよろしくね」

「ああ」

 木陰から出てそれぞれの守備位置に散る小文字のZチームの面々を見送る。

「オヤッさんの元気があれば、なんとかなるか……ステイプルトン、ウチの会社の医療班は借りられるよな?」

「あ? ああ、能力者は入国に手間がかかるので、普通の人間で構成したチームを派遣要請してあるぜ? 彼女たちの体調管理をさせるんだろ?」

「そうか、手回しが良いな」

「そりゃあ、小さな国の国家予算くらい、このプロジェクトには金が注ぎ込まれているからな。普段なら半独立国家クラスに出し渋りするウチの会社だって、張り切るさ。まあ、個人的にはススキノで遊ぶのが好きだからな、俺はそっち方面の御褒美がもらえるから頑張っているのさ」

「……理由は人それぞれで結構だ」

「それにしても、ミル嬢は元気だな。暑いとは言いつつも、あのチーム内では忍者嬢の次に動けるじゃないか?」

「ああ、オヤッさんは去年の今頃まで、剣道部のスーパー助っ人だったからだろ?」

「なるほど……ケンドーの道着の上につけるプロテクターは真面目に暑苦しいという訳か」

「それに比べれば、野球のユニホームはそんなに暑くはないんだろ……面も胴も小手もつけたことがないので、俺は知らんが、想像はできなくもない」

「フル装備のメイド服と、ペラペラのナース服くらいの差かな?」

「……ステイプルトン。少し頭をススキノから離れさせろ」

 こんな会話をしながら、シルヴィスと傭兵部隊は球拾いの為、外野の奥に散った。

 その二日後には、ステイプルトンの依頼した従軍医師の部隊が合流し、北海道警察特殊部隊の護衛隊と合わせると、かなりの大所帯になっていた。

「あたしとナナを狙う特殊能力者や、あんたを懐柔しようとする中央政府の動きは最近どうなの?」

 一日の練習を終え、シャワーを浴びたミルが髪の毛を拭きながら浴衣姿で安楽椅子に座る。練習場所近くに借りた旅館の一室でのことだ。

「ああ、向かいのビジネスホテルから監視されていたが、それはさっきモーティマーに排除させたし、俺に接触した買収要員も、逆に俺に買収されているからな……女性だけのチームということで、面白がって取材しようとしているマスコミも、大会後の特集記事を認めたから、話はついていると考えて良いぜ」

「取材陣がウロウロしているから、手出しできないのね?」

「ああ、中央政府はその辺りのマスコミ対策が不充分なんだ。カメラという盾をオヤッさんたちは使いつつ、暑さ対策もできるこの街を直前合宿場所に選んだのは正解だろう。まあ、万が一、中央政府がこちらに手を出すようなことがあれば、真っ先に前知事が捏造映像をマスコミに流すだろうがな……小文字のZチームを北海道外に出させた時点で、中央政府は後手に回るしかない」

「……これで、甲子園に入れば、あたしたちは国営放送にも映るから、もう手出しはできないと考えていいのね?」

「ああ、そうだな。こちらの考えている仇討の真意を、中央政府は量りかねているからな。要注意人物であるオヤッさんが甲子園でなにを『一発かます』のか、それを想定できる頭の持ち主はいないようだ。これまでの前知事の発言と行動を研究してあれば、大体想像できるはずなんだがな……言い訳は『想定外』くらいしか思いつかん連中だ」

「三月の終わりから……今が七月の終わり……四ヶ月間練習と実戦を重ねて、やっと本番ね。夏休みも終わってしまうから、本当に休みなしで駆け抜けた感じがするなぁ……」

 北海道の夏休みは八月三十一日までではないので、決勝戦の頃には二学期が始まっている。

「本来なら、あたしは今頃、ハルミンの家にでも泊り込んで、勉強合宿中だった筈なんだよね。最華の大学部は、入るのは簡単だけれど、卒業できないので有名だから……基礎学力の向上とかしていたんだろうね……」

「スポーツ特待生制度を使わんのか?」

「あれは、世界レベルの選手じゃないともらえないよ。太郎くんに怪我を返してもらった場合、あたしは並以下の剣道選手だもの……」

「まあ、杖道や杖術はマイナーだからな……しかし、怪我に関しては、多分太郎の奴は返す気ないぞ?」

「え?」

「あいつは一度預かった痛みを、倍にして返す奴じゃないんだ。オヤッさんに説得され、痛みを預かった時点で、あいつは覚悟を決めている。そういう奴だ」

「え? え? だって、太郎は卒業したら、あんたと一緒に世界を回るって言っていたじゃない?」

 安楽椅子から飛び上がる勢いで起きたミルは、シルヴィスの苦笑いを見た。

「あいつは、ああ見えて、なかなか熱い男なんだよ。オヤッさんの決意に胸打たれ、自分の夢を捨てられる男だ。いや、夢は捨てていないか……あいつはオヤッさんから預かった痛みを、自分のものとして処理し、治すつもりだ。まあ、治すのに時間はかかるだろうから、登校することもないかも知れんが、あいつの頭とハッキングスキルは、最華でいう特化した人間作りの一環に入る。最華でもあいつを手放すつもりはないから、留年とかは有り得ないだろう」

「……でも、それじゃあ、あたしだけ得しているみたいじゃない!?」

「いや、今回の仇討作戦……オヤッさんにたいした利益はない。無意味に有名になるから、動きが制限され、得することはあまりないと思うぜ? まあ、オヤッさんのルックスに惚れる人間が全国に溢れる結果になるかも知れんが、見ず知らずの人間に惚れられても、オヤッさんの性格上、嫌なんじゃないか?」

「……あたしのルックス?」

 ミルは自分の見た目が男っぽいことを気にしている。最華学園のアイドル扱いであるナナやハルミンに比べ、ミルは異性からモテるということがあまりないと思っている。実際彼女は男から見た場合、格好良過ぎるのがたまに傷なのだ。それでも羨望の眼差しを送る男子生徒はかなりの数になる。

「最華の三大美女を挙げろと言われれば、必ずオヤッさんの名前は入っているだろ? まあ、麻生がもう少し成長すると、三大が四大に広がる可能性は否定せんな……」

「……あんたからそんな言葉を聞くとは思わなかったわ」

「まあ、俺は見た目がオッサンだからな。若者の感覚に欠けていると思われがちだろうが、俺も一応若者だぜ? まあ、普段から一緒にいる傭兵だの、金のかかる家族だのの殆どが男だから、俺が男色趣味だと思っている奴もいるようだが……それに、この部屋に二人きりであれば、俺はこんなに堂々と座っているほど失礼な奴ではないと思うが……」

 シルヴィスはそう言いながら天井を指差す。ミルが見上げると天井板の一枚が少しずれており、そこからどう見ても美影の目が覗いていた。

「なんか……よくわからないんだけれど、あんたと二人でいても、あまり男を意識しないのよね。その理由は後々語られる。とかハルミンが大仰に言っていたけどさ……」

「知らなくて良いこともあるだろう。美影には、俺がオヤッさんに手を出すことはないと言い含めたつもりなんだがな……」

 そう言うと、天井板が無音で動き、美影が天井裏から去った。

「あたしは、美影ちゃんみたいな人にばかり好かれているような気がするけど……」

「まあ、小文字のZチームに所属する半分は『その気』がある連中だけどな……オヤッさんはノーマルだろ?」

「まあね……時々、無性にハルミンやナナを抱きしめたくなる衝動に襲われることはあるけれど、基本的にノーマルだと思うよ」

「その二人に関しては、家族同士の愛情に似ていると自分で言っていただろ? スキンシップを得意としない日本人なら、その感覚に違和感くらいは覚えるさ」

「あんたも日本人よね?」

「ああ、純粋に日本人だと思うぜ。ただ、この数年で俺の感覚は少々ワールドワイドに広がったんだな。職業上、色々な人種と交流するからな……」

 ミルはこのシルヴィスとの無駄話が結構気に入っている。元々相性が良い二人なのだ。

「それじゃあ、打ち合わせ通り、仇討よろしくな。俺はこれから先に甲子園に向かい、決勝戦でオヤッさんたちを守る為にベストな位置を確保してくる……無事に終わったなら、札幌でまた会おう」

「……うん」

 この夜から、シルヴィスは単独行動に入り、姿を見せなかった。

 翌日の練習を終え、ミルは一人個室に籠って作戦の最終確認をおこない、翌朝にはチームと護衛と一緒に関西に向けて出発した。

 その前にミルはステイプルトンにリクエストし、首都の国会議事堂前と首相官邸前をバスで堂々と通過している。

「これがこの国の中枢か……警備少ねぇな……そこの歩道にいる報道の腕章奪って、カメラに偽装した拳銃片手に入っていけそうだな」

 ステイプルトンの物騒な呟きが聞こえる。隣に座った医療班応援部隊の長であるザンジバル(女性)が笑いながら頭を小突いた。

「お前はススキノのことでも考えていろ。折角の無血仇討を流血で汚すな」

 医療班応援部隊のメンバーももちろん偽名である。隊長ザンジバル。副長ムサイ。以下、チベ、ドロス、マッドアングラー、パプア、ガウ、グワジン。全てロボットアニメに出てくる名であったが、ミルは生憎その手のアニメを見たことがなかった。

「ああ、ススキノで遊ぶ為にも、依頼主の要求には応えるさ。言ってみただけだよ」

 この遊び好きの傭兵と、ちょっと気の強そうな女医が実生活で夫婦の関係にあるとは、バスの中にいる全員が知らなかった。

「それにしても、ミル嬢。どうしてこんなところを通るんだ?」

「え? ああ、簡単よ。あたしたちはほとんどが高校三年生だから」

「は?」

 ステイプルトンもザンジバルも、顔に疑問符がついた表情になる。

「ああ、そっか。二人共外国人だものね。半独立国家でも、日本の風習は受け継いでいてね、小、中、高校生には修学旅行という企画が最終学年で待っているの。二年で行く学校もあるけれど、あたしたちの最華学園は三年で行くのね。これはそのコースの下見だよ。まあ、本当は京都から回るから、順番は逆だけどね」

 ミルはステイプルトンの物騒な考えと似たような考えを持っていたのだが、さらっと誤魔化した。生徒会から修学旅行のコース選定を任されていたのも事実であったので、あながち嘘でもない。

「ところでさ。ステイプルトンやザンジバルさんは、シルヴィスとプライベートでも遊びに行くの?」

「ああ、俺はよく遊ぶな……あいつの名誉を守る為に言うが、いかがわしい遊びではないぜ」

「私もたまに遊ぶが、確かにシルヴィスは子供っぽい遊びが好きだな。まあ、見た目と違って本当に子供なんだが……」

 ステイプルトンとザンジバルはとっくに20歳を超え、下手をすると二度目の成人式のほうが近いような年齢だ。その二人から見た場合、シルヴィスとの遊びは子供っぽいと表現されてもおかしくはなかった。

「日本で遊んだことはあるの?」

「……俺はあるよ。一緒に焼き肉食べに行ったし……ジンギスカンか……登山もしたな。滝に打たれて修行ごっことか……傭兵皆でかくれんぼして、24時間逃げ切ったのも奴だ。まあ、食っているか、体力を使う遊びが多いか……あとは一緒に映画見に行ったり、買ってきたDVDボックスを二晩徹夜で見たり……その作品の面白いところを更に二日徹夜で語ったり……まあ、そんな遊びだな」

「……なんか、あいつらしい遊びだけれど、ステイプルトンはその遊びに付き合って面白いの?」

「ああ、あいつと一緒に遊ぶのは楽しいな。あいつの言う面白い遊びというのは、俺たちもガキの頃にしていた遊びもあるんだが、結構な年齢の大人でも楽しめる。傭兵仲間は全員あいつの考えることが結構好きだぜ?」

 ミルの疑問は、シルヴィスがこの傭兵部隊の隊長であることである。いくら有名な傭兵の名を継いだとはいっても、いきなり隊長になるのはおかしいと思ったのだ。シルヴィスが北海道出身だからかと思ってもいたのだが、他の傭兵もそれなりに有能で、年上で、更に武力は言うまでもない。その状況で文句が出ないということは、シルヴィスという男が相当な信頼を得ていると考えられる。

 小文字のZチームの面々も、ミルへ好意以上の想いをそれぞれが持っている。

 そのミル絶対主義のチームメイトの中でさえ、シルヴィスという傭兵は割と人気が高い。

 それは、ステイプルトンが言うような『面白い奴だから』というだけではないとミルは思っている。

 それを聞いたステイプルトンとザンジバルが考え込む。

「まあ、確かにあいつは俺たちよりずっと年下なんだが、なんと言えば良いかな……隊長としてのオーラみたいなものを最初から持っている。俺はあいつが傭兵になって初めての任務の時から一緒だったが、同じ部隊の長だったシルヴィス爺さんより隊長らしい気がしていてなぁ……不思議と年下のガキに命令されていても気分が悪いとは思わなかったな。まあ、傭兵は腕が第一だから、あいつの狙撃能力なり、格闘能力なりを見ただけで、こいつが隊長で良いんじゃねぇか? みたいな気持ちにはなったな」

「私も同じだ。彼が私たちの所属する傭兵派遣会社に入ってきたのは15歳くらいだと思うが、どこの『将軍様』が天下ってきたのかと思ったものだ。彼は特殊能力だけではなく、持って生まれたリーダーの才能がある。シルヴィスの爺様も、会社の役員たちも、誰一人文句は言わなかったと思うよ」

 二人の意見は一致していた。

「そっか……あたしたちは凄い奴に守られているんだね」

 ミルは自分が誇らしげな表情をしているのに気付かなかった。最後尾の席でミルの膝を枕に上機嫌の美影はその様子を眺め、少々嫉妬の炎が燃え上がるのを感じたが、シルヴィスとミルの関係を知っているので、過剰反応はしない。

 そして、彼女たち小文字のZチームは、最高の精神状態と体力、暑さを克服し、関西に乗り込んだ。

 ハルミンの指示により、小文字のZチームの宿舎は大阪府内に設定されている。これは警備上の問題をクリアし易い地域を選んだ為である。大阪府知事は首都機能の譲渡を求める改革急先鋒派に属し、北海道知事、沖縄県知事に次ぐ中央政府の要注意人物に指定されているのだ。ハルミンにとっては組みしやすい程度の人物だが、中央政府の監視から逃れるには便利な隠れ蓑と言えた。隣県との境にある宿舎を用意できたので、立地条件も悪くない。

 この宿舎の存在により、ミルと小文字のZチームメンバーは傭兵たちの手を煩わせることなく、練習とミーティングに時間を費やせたし、道議会を終了させたナナの合流も邪魔が入らなかった。

「ナナ」

「やっと、合流できました。遅くなってすみません」

 抱き合う異母姉妹を、美影は微笑ましい光景として、またもや自分の中に沸き上がる気持ちを簡単に流す。

「これで、あたしとナナの『オヤギリコンビ』も再結成ね」

 ちなみに、このコンビ名を考えたのはハルミンである。ミルの通称であるオヤッさんとナナの通称であるキリを合わせた名称であるが、これを『親切しんせつ』と読まない所がハルミンらしい。

 裏の道議会である最華学園理事会の仇討作戦承認は簡単にできたのだが、表の道議会を説得するのに時間がかかってしまい、ナナの合流は遅れていたのだ。現知事であるナナに仇討方法を一任するという法案を通すのに苦労した為だ。

 道議会の派閥の中には、前知事ハルミンの仇を道議会全会一致で武力行使によっておこなうべし。という流れがあった。その流れを断ち切るまで、ナナは粘り強く道議たちを説得して回り、埼玉での最終合宿にも参加できなかった。

 しかし、ミルはナナの到着を心待ちにしており、遂にそれが果たされた。

「これで小文字のZチームは完璧に仕上がったと言えるよ」

 宿舎の大広間にチーム全員を集め、ミルは甲子園で勝ち上がる為の作戦内容を全てプリントアウトして晒した。

「いい? 生理前の人と夏バテ気味の人は、合流した医療班の人にちゃんと報告相談するのよ? ここからの二週間で全て決まるんだからね?」

「はいっ!!」

 一致団結した小文字のZチームの返事は一糸乱れない。

「ハルミンの我儘みたいな仇討だけれど、あたしたちは勝つ!! 勝って無血での仇討を完成させるからね!?」

「はいっ!!」

 翌日の組み合わせ抽選会に併せ、師団に匹敵する人数の最華学園生応援団が北海道から出発し、いよいよ2007年、後に伝説の甲子園と呼称される大会が開幕する。

 小文字のZチームの強さは、マスコミ各社、テレビ各局の予想を遥かに上回っていた。

 初戦や二回戦くらいまで北海道以外に大した盛り上がりも見せなかったのだが、ベスト16に残った頃には、国民の半分くらいは注目し始めている。この現象はサッカー女子ワールドカップの盛り上がり方に酷似している。

 ベスト16で件の沖縄県と対戦し、延長12回裏、美影のホームランによる劇的なサヨナラ勝ちをし、連覇を阻止。その時点で、米国大リーグスカウトが本国に女子選手獲得の有無を打診するほど彼女たちは野球が上手くなっていた。

ベスト8で北海道予選決勝と同じ何某大付属苫小牧と対戦。彼女たちは日々進化を続けており、道内予選の頃とは別人のような打撃陣と投手陣の活躍でこれも撃破した。

ちなみに、ベンチ入りしている唯一の男性で、偽監督はステイプルトンが務めている。彼はなぜか日本の教員免許を持っていたのである。

「どうして教員免許なんて持っているの?」

「あ? ああ、俺たちは基本的に世界中飛び回る職業だろ? 派遣された土地で、その土地の国軍なり反乱軍なりとコミュニケーションできないのは、死活問題になりかねないんだ。指示の行き違いは即、死亡フラグだからな。少なくとも俺はその国で『国語教師』の免状はもらうようにしているぜ」

「シルヴィスも?」

 シルヴィスは全ての命令を日本語で伝達している。それしか見たことがなかったから出た質問だ。ステイプルトンは苦笑いして応えた。

「あいつは『なんでも殴り殺せる』『気配を完全に消せる』以外にもいくつか特殊能力を持っている。『生まれつき、地球上の全ての言語を読み書きでき、話せる』という能力も有しているんだよ。どんなに細かい方言であっても、あいつは理解できるんだ。今回は作戦場所が日本だから、日本語で話しているだけだぜ? 俺やモーティマー以外に命令を出す時はそいつらの母国語で指令しているよ」

「……もう、呆れてものも言えないわね」

「通訳や翻訳システムによるタイムラグがないというのは、俺たちにとって重要な要素だからな」

 シルヴィスの人間外能力の出鱈目さに呆れながら、ミルは北海道出身の彼を誇らしくも思う。

 ベスト4で激突したのは四国の名門チーム。過去には、一、二回戦で北海道を含む東日本のチームを撃破してきた強豪で、今大会一の剛腕投手と、爆発的な打線を誇るチームである。

「それでも『ダル』よりは遅いよね」

 ミルは極秘裏に練習試合をおこなったプロチームのエースをひきあいにだし、チームを盛り上げる。

 それに応えたのは、またしても美影だった。延長も見えてきた9回裏、ツーアウトランナーなしから、相手投手が一生悔やむこと間違えなしの失投を見逃さなかった。

「ま・しん!!」

 失投でも球速はかなりのもので、美影の反射神経をもってしても、外野に飛ばすのが精一杯であった。これまでの試合で美影のバッティングセンスを知る相手チームも馬鹿ではない。高々と上がった打球はセンターの少し後ろに落ち始め、守備位置より少し下がってセンターが捕球体制に入る。

 誰もが延長戦の突入を覚悟した時、それまで通常の落下をしていただけの打球が風に吹かれて曲がり始める。

「なんかの野球漫画で見た覚えが……」

 ステイプルトンが呟き、ミルが顔を上げた時、美影が全速力で二塁ベースを蹴っていた。

 打球が風に押されて二塁側に戻っている。

 打球の行方を追っていたのはセンターとピッチャーとキャッチャー、そして応援団とベンチだけであり、実際に捕球しようとしているのはセンターだけだ。

 捕球を見定めることなく、通常のセンターフライと判断しベンチに戻りかけていたセカンドとショートが、ベンチの異変に気付いて振り返る。両サイドの応援の声にかき消され、正確には大騒ぎしているようにしか見えないだろうが、その表情を二人はくみ取った。

 振り返った先には、なにかを喚きながら走るセンターの姿がある。

「「そ、そんな……」」

 二人が同時に呟き、外そうとしていたグローブを嵌めなおして走り出す。

「最終回までに一点多く取った方が勝つ……」

 ミルがシルヴィスに最初に訊いた野球で勝つ方法である。

 その呟きが終わらない内に、美影が高速でホームを駆け抜けた。

「油断大敵! ホームラン以外でも、得点を取る方法はあるんだよ!!」

 全速力で打球を追っていたセンターとショートが交錯し転倒、それを避けようとしたセカンドはジャンプが遅く、ショートの足に引っ掛かり、これも転倒。他の守備陣が呆然とする中、打球は無人のレフト手前に落ちた。

「よくも、こんな追い詰められた状態で……『通天閣打法』とは……」

 ミドリの私邸でテレビ観戦していたハルミンが思わず立ち上がり、呟いてから椅子に座り直す。ミドリは安楽椅子に腰かけたままで、心臓の辺りを押さえており、麻生と有里が介抱している。

 こうして、小文字のZチームは決勝に勝ち進んだ。

決勝の相手は、昨年夏に沖縄と激闘を演じた西東京代表。

 小文字のZチームが全員女子であっても、流石に決勝まで勝ち進むチームに油断は一切ない。

 決勝戦の開始時間は、猛暑の影響で午前中に試合が開始されることが大会前に決められており、午前九時に試合が始まった。

 この試合の先攻は小文字のZチームであるので、サヨナラゲーム狙いはできない。

 先制して逃げ切りを計りたい最華学園側の意図を、もちろん相手も知っている。

 そして、ここまで勝ち上がると、最華のキーマンは美影であると誰もが知っていた。

「あ! あぶないっ!!」

 思わずベンチの全員が立ち上がったのは、最初の打席に入った美影への初球だった。

 ツーアウト一、三塁の場面で打席に立った美影へのボールはどう見ても暴投であり、しかもわざとらしかった。流石の反射神経で避けたかに見えた美影だったが、主審がデッドボールを宣告し、一塁にランナーとして出塁する。

 しかし、二塁も三塁も埋まっているので、得意の走力によるかきまわしができない。

「……高校野球なのに、卑怯な真似しやがる……ベンチ裏にザンジバルを呼んでくれ」

 監督らしく腕組みし見守っていたステイプルトンが、露骨に不快感を表情に出す。

「どこに当たったの?」

「……俺も見えた訳じゃねぇが……多分、手だ」

 美影は気丈にも痛みなどない顔で一塁ベース上に立っているが、長い付き合いのミルやチームの面々から見ても、明らかに様子がおかしい。

 結局、一回表は無得点であった。

 そのままグローブを受け取ってファーストを守るはずの美影が副審にタイムを要求し、戻ってくる。

 ミルの横を通り過ぎ、ベンチ裏で待機していたザンジバルの元へ向かう。

「やられました……」

 ベンチ裏に入った瞬間、美影の顔から大量の汗が噴き出す。

「氷水で冷やす程度の怪我じゃないわ。交代させて」

 バケツに手を突っ込んだ美影の様子を観察しながら、ザンジバルが診断を下す。

 ミルは心配顔のナナと目が合う。

 ナナは髪をバッサリと切り、帽子を目深に被って俯いているだけの幽霊選手扱いだったのだが、ここにきて出番がきた。

「ナナ、ファースト守って」

「はい」

 阿吽の呼吸でナナは返答し、グローブを受け取って守備につく。この人物がハルミンの後を継いだ新北海道知事であることに誰も気付いていない。名前は偽名を騙れないので、そのまま書いて選手名簿に登録しているが、髪の長さがまったく違う。彼女は議会に出る時、ウィッグによって前までのロングヘアを維持していた。テレビカメラによって大写しにされても、綺麗な顔の女子選手が出てきたようにしか見えなかったのも事実だ。

一回表にして、小文字のZチームは主力選手一人が脱落。

 裏の西東京代表の攻撃。美影の離脱によって精神的にダメージを負ったチームがバタバタし、2点を先制されてしまった。

「く……」

「……ミル嬢。ほらよ」

 悔しがるミルにステイプルトンがメモを手渡す。

 そこにはシルヴィスが書いたと思われる大きな字で『美影に万が一、負傷があった場合、交代はキリ嬢にし、オヤッさんは指揮を採れ。これまで小文字のZチームがしてきた練習は無駄ではない。選手を信じて最後まで戦え』と、書かれていた。

「三国志ネタよね? あいつ、いつ来たの?」

「……最後の北伐に向かうチョーウンにコーメイが渡した、道に迷ったら開く手紙だっけか……俺は『三枚のお札』だと思っていたぜ。昨日の夜の間に宅急便で俺の所に指示がきたんだよ」

「郵便じゃないんだ?」

「ああ、ウチの会社は宅急便の会社も経営しているんでな。その手の指示をメールで送れない場合は、その会社を使うんだよ」

「今時、国内でメールも届かない場所って……」

「……実は結構あるんだぜ。なんでもかんでも一個にまとめると出る弊害をこの国の平和ボケ人間はあまり気付いていないって現状も含めてな」

「三枚……あとの二枚は?」

「あとの二枚は俺とザンジバルへの指示だよ。あいつへの指示内容は知らんが、俺のは簡単で『本物の監督がキレそうならなだめろ』だ」

「……あいつはあたしの性格をよく理解しているよね……」

 ミルは予備の金属バットを握り締めていたが、シルヴィスのメモで試合をぶち壊してしまう暴挙に出るのは思いとどまっている。

 2点先制されたメンバーが、意気消沈の面持ちでベンチに戻ってくる。

「相手の作戦は卑怯この上ないと表現できるけれど、あたしたちも似たような作戦を校内予選で使ったから、相手を責めるのはやめよう」

 ミルはメンバーが思ったよりも冷静に言った。メンバーたちが疑問に思っていると、ミルが相手ベンチを指差す。

 作戦通りに最華のキーマンを退場させた筈の相手チームも意気消沈していた。

「……どういうことです?」

「簡単よ。あっちも『当てたくて当てたんじゃない』ってこと」

「相手は西東京代表だ……つまり、中央政府が命令しているんだろ?」

「高校球児にとって、あたしたち女のチームに負けるのも屈辱だろうけど、真剣勝負に水を差されるのも屈辱よね?」

「なるほど……そういうことでしたか……」

 納得顔なのはナナだけだったが、そのナナの表情を見たメンバー全員の背筋が凍った。

 ナナはここにいる誰もが、見たことのないような邪悪な笑みを湛えていたのだ。

「今までの試合で、最も目立っていたのは確かに美影ね……でも、そのお陰で私は試合に今まで出ていない。つまり、相手は私のデータを一切持っていない。その中途半端な情報収集能力を後悔させてあげましょう」

「あはは……流石はあたしの主筋。半端な人じゃないよねぇ」

 あまり力の入らない声がベンチに戻って来た。ザンジバルに包帯でグルグル巻かれた右手が痛々しい美影だ。

「あたしの代わりがキリちゃんじゃないんだよ。キリちゃんの代わりがあたしなんだから、当たり前だよねぇ」

「美影ちゃん……」

「このまんまあたしは病院送りなんで、エールなんて送りにきたんですけどねぇ。必要なかったですね」

「私の『影』を務めてくれたことに礼を言う」

 ナナは言いながら美影を抱きしめた。

 美影は満面の笑みを作り、ザンジバルに付き添われて甲子園を去った。

「流石にキリ嬢は影じゃねぇからな。もう一度やりやがった場合、俺は無効試合にするようシルヴィスに命じられている。その際はモーティマーが二人だけは無事に脱出させる手筈もできている。俺たち傭兵、それと北海道特殊警察隊は、この場で死んででも中央政府関係者全員をぶっ殺すってことだ」

「……いや、ここまで無血なんだから、こっちは最後までそれを通すよ。まずは相手に野球で勝つ。このチームの責任者はあたしだよ?」

「ああ、万が一だと考えているさ。とりあえず、野球をやろう」

 ミルとナナの得体の知れない気迫に、チームメイトは引っ張られる。

 二回表は下位打線でもあり、無得点。しかし、その裏の攻撃も抑えた。

 三回表の攻撃は三番からの好打順。相手投手の速球は手抜きではないが、美影にデッドボールを与えてから冴えない。ミルから与えられた三番、四番は伊達ではなく、仕事をきっちりこなし、ノーアウト一、三塁で五番に入ったナナに打順が回る。

 この場面で美影であれば、敬遠という方法も考えられたが、相手にナナの情報はない。スポーツ万能少女であるナナに見覚えのある人間は幾人か会場にいたが、味方側の最華応援席でさえ、現北海道知事の情報を完全に持ってはいない。

 常にハルミンの後ろに控えている、奥ゆかしい日本美人がナナであり、その実力を実際に対戦するまでは疑う者も多い。それはハルミンもミルも同じだが、相手に与えるインパクトはナナが最も高い。

「ナナに『あの表情』をさせたんだから、ここからの打席は全て打つよ」

 彼女に邪笑をさせたことのある人間は限られており、その中の一人にミルは数えられる。

 中央政府は彼女たちの身体能力を見誤っていた。少し考えればわかりそうなものだが、いくらなんでも、墜落途中の飛行機から海面に飛び降り、超能力者でもない普通の女子高生が助かる訳がない。彼女たちは決して超能力者ではないが、人間離れしているという認識力に中央政府は欠けていた。

 美影を退場させることで、最華学園小文字のZチームの戦力が半減するという、甘過ぎる認識と視野の狭さは嘲笑に値する。その程度のワンマンチームがそもそも甲子園に出場できる訳もなく、男尊女卑の考えが未だに残っているにしても、高校球児の実力まで過小評価しているとしか思えない。これが、支持率10パーセント台の中央政府である。

「こ・こっ!!」

 ナナの振り抜いたバットは、相手投手のストレートに対し、簡単にバックスクリーンの上を越え、場外へ運んだ。

 飛距離も高さも美影の比ではない。

「……流石、主筋」

「私も、ミル先輩ほどではありませんが、一応スポーツ万能少女扱いを受けておりますし、怒りを力に変える術をシルヴィスさんに習いましたので、これくらいなら『普通』にできます」

 ナナは目立たない時間帯にシルヴィスに野球を習い、ほぼ完璧と言えるほどにまでマスターしていた。シルヴィスの指導はテキトーにしか見えないのだが、彼の目線から見てもほぼ完璧なのだから、高校球児より上のレベルにナナがいることは間違えない。

「とりあえず、逆転しましたが、一点差では心許無いですね」

 ナナの表情が普段の微笑に戻っているのを確認し、ミルは内心胸をなでおろす。ナナという少女が一体誰に似たのかは不明だが、邪笑状態の彼女は大変危険な存在なのだ。

 後に『準異能力者』指定を受ける邪笑持ちの少女は、ここにもう一人いる。

 それは当然のごとくミルである。彼女を含めたシルヴィスの異母妹たちにしか見受けられない能力なのだが、その研究はまだこの当時進んでいない。

 ミルとナナの差は、自覚しているかどうかという一点のみだ。ミルはその表情にならないように努力しているが、ナナは自然に怒りの表情として顔に出してしまう。

 ここからの試合は一進一退で、八回の表裏まで終了した時点で、得点差は一点のまま、小文字のZチームはリードして九回表を迎えている。

「一点差のままか……相手も流石に決勝に勝ち進んできたチームということだな」

「セーフティリードとは言い難いわね……ナナも『サイクルヒット』に抑えられているし、相手投手も立ち直ったようだし……打順は8番から……得点圏にランナーを残してナナまで回る可能性は低いか」

 相手投手は美影へのデッドボールと、ナナのホームランで撃沈したかに見えたが、尻上がりに調子を戻し、下位打線では歯が立たなくなっていた。

「……一人でいいから、ランナー出して」

「おいおい。もう代打要員は使い果たしちまったぞ?」

 ミルはとっておきの邪笑でステイプルトンに応える。

「十八人目の選手は誰?」

「……ミル嬢だ」

 九回裏の相手攻撃をどうしのぐかで、頭が一杯になりそうだったメンバーが顔を上げる。

「いきなり初出場が決勝戦の九回表なのに打てるか? キリ嬢の時と違って、相手は立ち直っているぜ?」

「その分、球威は落ちているし、シルヴィスから特訓を受けたのはナナだけじゃないよ? 相手の心を挫くには、トドメの一撃が必要でしょ?」

「……まあ、そうだな……お?」

 そう言っている間に、9番が意地のセーフティバントで出塁した。

「よし、伝令。代打、立木ミルでよろしく」

 その背番号18の代打コールは、最華学園大応援団の声にかき消される。

「さて、練習の成果くらいは見せないとね……」

 流石にこの大声援は、高校生活最後の思い出作りには見えないだろう。相手チームもそこまで馬鹿ではない。

 ミルは素振りすらせず、打席に立った。徹底的に相手に情報を与えない。彼女が自らバットを持ってボールを打つ姿は誰も知らない。偵察にきていた他校の補欠部員たちも、ノックをされている守備陣の撮影をしても、ノックをしている当人を撮影したりはしないし、ノックでバッティングの才能は計れない。

 彼女はどう見ても監督であり、モーティマーは飾りの監督だと相手チームも知っているが、それも彼女の選手としての実力を計る情報にはならない。

 相手投手はランナーを無視し、自分の投球を信じて振りかぶった。この試合で最高の投球をしなければ、この女監督を倒せないと直感したようだ。

 一球目、低めのストレートをミルは見送る。主審の手が上がり、ストライクを宣告された。どのようなささいなミスも見逃さないように訓練されている一塁ランナーが盗塁し、余裕を持って二塁に到達したが、相手バッテリーは動じた様子もない。

 二球目も投手が振りかぶる。ミルの視界の後ろで捕手が動いたような気がし、ミルは一瞬舌を出して二塁ランナーにサインを送った。

 大きく外れたボール球だが、盗塁を試みていた場合、微妙な割合でランナーが刺されたかも知れない。走らないようにサインを出したミルのファインプレーだ。

 ワンアウトランナー二塁、ワンボールワンストライクからの三球目。投げた瞬間、投手はミルの凡打を想像した。18年生きてきた中でも、最高の投球だと彼は思ったのだ。

「てっ・しんっ!!」

 ミルの言葉の意味は本人にもわからないが、美影もナナもそれぞれの掛け声を持っており、ミルの中ではこの言葉が打つ際に最も適した言葉だった。

 球種はスライダーで、見送れば変化し過ぎてボールになるような球。相手投手にしてみれば、この甲子園にきてから一度も投げていない球種であり、完璧な変化球だった。

 一瞬の静寂。

 打った本人以外、打球を追っている者は国営放送のベテランカメラマンだけだった。

 レフトポールに鈍い音を聞き、観客がようやく目覚める。

「……あぶねぇ、振り遅れた……」

 そう呟きながら、ミルはバットを静かに置き、ベースランニングする。

 9回表にして、初めて点差を広げることに成功し、ベンチも応援席も割れんばかりの喝采をミルに送る。

 それでも相手投手に賛辞を贈るとするならば、彼はサイクルヒットを打ったナナの打席が回る前にこの回を終わらせたことだろう。

 しかし、西東京代表の追撃はこれで終わりだった。下位打線からの攻撃でもあったが、7番は粘りに粘って10球目に三振。8番は逆に選球眼良く、フォアボールを選択。9番は送る構えからバスターエンドランを仕掛けたが、芯で捉えられず、打球はサードフライ。

 最後のバッターは1番となった。かなり強い打球であったが、美影の代わりにファーストを守るナナが横っ跳びでダイレクトキャッチし、試合を終わらせる。

 こういう場合、キャッチャーとピッチャーが抱き合い、それに内野外野が続いて飛びつくという光景が見られるものだが、小文字のZチームメンバーは全員センターに向かって走る。

 センターには初出場、初打席でトドメのツーランを放ったミルが守備についていた。

「コラっ、試合後の整列と礼が先だ……うわっ」

 駆け寄ったメンバーにミルはもみくちゃにされ、センター定位置で胴上げまでされる。

 応援席からは『オヤッさん』コールが大合唱され、優勝を讃える拍手が鳴りやまない。

 しかし、ミルの仕事はこれからなのだ。北海道の代表として、ハルミンの親友として、中央政府首相に一発かまさなければならない。

 その前に整列と礼、そして校歌斉唱が待っており、表彰式まで一旦ベンチ裏に下がってロッカールームに戻る。普通はその途上で沢山の報道関係者に囲まれて取材があるのだが、それをテキトーに受け流す係はステイプルトンに一任され、選手たちは無事にロッカールームに引き上げていた。

 祝勝ムードの漂うロッカールームの扉が開き、西東京代表の監督と件のピッチャーが来訪したのは想定外である。

「……あの……どういった御用でしょうか?」

 ナナが訊ねるが、西東京代表監督は無言でミルの前まで進み、ポケットからコピー紙を一枚取り出し手渡した。その表情は沈痛な面持ちであり、一緒にきたピッチャーは俯いたままだ。

 ミルはそのコピー紙に書かれた内容にさっと目を通し、肩をすくめ、ナナに渡す。

「中央政府からの命令書ですか……私たちのチームの戦力を半減させる為、美影を早々に退場させる旨がはっきりと書かれていますね?」

「……あたしたちにこれを見せて、どうしろと?」

 そう言うと、ピッチャーが突然その場に両膝をつき、土下座する。

「すみませんでしたっ! それを実行しない場合、今年のドラフト会議での指名を全て取り消すと脅かされ、更に……俺には中三の妹がいるんですが……妹の進学先に手を回すと言われ……正々堂々戦うべき相手に、あんなひどいことをしてしまいましたっ!」

 両手と頭を床につき、泣きながら告白するピッチャーに対し、ミルはその顔を上げさせた。

「スポーツマンシップに反する行為の理由はうかがった。美影ちゃんに後遺症でも残ればあたしたちは絶対にあんたを許さない……と、言いたいところだけど、それもこれも、全ては中央政府の企みのひとつであると知ったからには、あんたを責める理由はない。監督さんの表情から察するに、あんたの独断でしょ?」

「私はサイン以外の投球をした彼を問い詰めた。その指令書はことが起きた後で見せられたものだが、私はこのチームの責任者であり、管理者でもある。彼の愚行を見抜けなかった私が最大の責を負うべきなのだ。彼には将来もあるので、できれば私のクビひとつで勘弁していただきたい」

 堂々とした恰幅の良い初老の監督は、顔を蒼ざめさせながら頭を下げる。

「……いや、監督さん。あんたの責任感には感服するけれど、そこまでしてくれなくていいよ。正直に名乗り出て、謝るというのは勇気の要ることだし、あたしたちは全力で戦った仲間だ。これから先、中央政府からの嫌がらせが続くなら、北海道か沖縄に亡命を勧めるくらいだよね?」

「そうですね……あなたにその気があるなら、北海道にもプロチームが存在しますし、日本を飛び出してみたいのであれば、米国リーグにも知り合いがおります。私は北海道知事ですから、それくらいの待遇はさせていただけると思いますよ?」

 ミルの影に隠れていたナナの発言で二人は顔を上げる。

「……やはり……新聞のスポーツ欄以外で見た顔だと思っていたのです。半独立国家北海道知事。寛大な処置に感謝します」

 もう一度深く頭を下げ、二人はロッカールームから去った。

「甘かったかな?」

「いえ、ミル先輩の考えに私は同調します。彼らが悪いのではなく、悪いのは中央政府です。これで、表彰式で暴れる理由がひとつ増えましたね?」

「そうね……元々の原因は中央政府にあるんだし、このややこしい復讐劇に彼らは巻き込まれただけだもの。この復讐方法を考えたハルミンの方が責任重いわよね」

 表彰式の時間になり、ミルはロッカールームで最後の円陣を組む。

「大体のいきさつは話した通り、あたしはこれから表彰式で一発かます為にあんたたちと一緒にここまできた。手筈通りに頼むよ?」

「はいっ!!」

 作戦はシルヴィスの案で、ミルが一発かましたあと、全力で甲子園から脱出するという、彼らしい簡単な指示だった。戦力外になってしまった美影や医療班は既に甲子園から出て、同盟関係の大阪にある病院か宿舎に避難を終了している。

 そして、日本中に衝撃を与えた表彰式が始まった。

受け取った優勝旗がミルの最も得意とする杖術用の杖と同様の長さだったのは偶然だが、それを棒術か槍術のように振り回すミルはかなりの不審人物だ。

優勝旗を渡した中央政府首相の顔が蒼ざめる。同時に周囲にいた高野連関係者が下げられ、護衛の黒服がミルを取り囲んだ。

首相を確保しようとした二人の尻を軽く蹴飛ばし、右手でグルグル回していた優勝旗の動きが止まる。首相の眉間に優勝旗の先が触れた。

「おい、オッサン……前北海道知事のお礼参りだ。高橋ハルミン最期の言葉に従い、くだらねぇオッサンの命までは取らねぇが、逃げ場のない空中での襲撃なんぞという卑怯くせぇ真似してくれた礼は今ここで済ませたぜ?」

 ミルはその優勝旗の尖った先を突き出さず、もう一度振り回してからマウンドに逆さに刺した。

「やりたけりゃあ、正々堂々! 順序を守り、一対一で勝負しな!! 北海道は負けないよ! あたしたちが優勝だ! 北海道人に、最早オッサンへの恨みはねぇ!! それで良いな!?」

 そのミルの叫びは、優勝祝辞を述べる筈だった首相用マイクを通し、国営放送を通じて全国に放映された。昨年から節電の為に午前中の決勝戦を行っていた高校野球中継の表彰式は正午のニュースを見ようとしてテレビのスイッチを入れた日本人殆ど全てが生中継で見てしまった。

 東京都在住の元国家公務員、田中次郎さん(仮名)80歳は、その光景を死ぬ直前まで孫やひ孫に語ったという。

 この日の記憶をウチのクラスは全員夏休みの絵日記に書き残した。と、埼玉県の教員、鈴木華子(仮名)年齢不詳は語る。

 決勝戦翌日の朝のワイドショーはこのマウンドに優勝旗を突き刺す女子高生を、ドラクロワの民衆を導く自由の女神と画像を重ねて喝采した。

 当の本人であるミルは、黒服の後ろから現れた北海道警察の特殊部隊に囲まれ、堂々と退場を果たしている。

 ミルの行動は復讐をたくらむ潜伏中のテロリストにも少なからず影響を与え、首相官邸に送りつけられる爆弾の数は激減したのだという。代わりと言ってはなんだが、ビックリ箱が送りつけられ、爆薬のスキャン検査を簡単に通った郵便物を開けた首相秘書が卒倒するという新たな伝説が生まれた。

 ミルが堂々と退場する間際、ベンチに退避したチームメイトの一人に優勝旗を渡している。

 優勝旗を渡されたナナは一旦女の子らしく抱き締め、続いて高々とその旗を掲げた。

「忘れるな! 悪徳たる中央政府首相! 半独立国家北海道はいつでも相手になる! ただし!! 殺し合いは絶対にしない!!」

 その宣言もまた、国営放送の高性能なマイクが拾っており、全国に生で放映されてしまった。

「おのれ……小娘の分際で……お前たちは生きて本州からは返さんぞ……」

 中央政府首相の呟きをマイクが拾っていたのは、彼の政治生命の終焉を現しており、折角20パーセント台に上がりかけていた支持率は、一気にゼロコンマ何某まで急落し、解散総選挙の引き鉄になった。

「まったく……本当に手間のかかる家族だよ、お前たちは……」

 そう呟いたシルヴィスは、脱出の為走る小文字のZチームと、その後方を守る傭兵、特殊警察隊の最後尾を見送り、追手を数人手刀で気絶させ、甲子園出入り口を封鎖し、悠々とその場を去って行く。

 ミルとナナは最優先で宿舎近くの小学校グラウンドに着陸したヘリに乗せられ、大阪府が独自に管理する基地へ連行され、そこから戦闘機の後部席に押し込められ、スクランブル発進で太平洋上を北上し、夕方までには国後島を経由して、北海道に戻っていた。

 二人が漁船に偽装した戦闘艇から降ろされたのは根室である。

 ナナは北海道知事補選の際、選挙カーで通った程度の知識しか持ち合わせておらず、ミルは初めて来る場所であった。

「……あたしは根室から札幌に帰る方法を知らないよ?」

「私もそれほど詳しい訳ではありませんが、タクシーでも捕まえましょう……携帯電話はバッグの中に入れたままですし、荷物は別便ですからね……」

 途方に暮れる二人は、車など通る可能性があるのか疑問に思えるような道路をトボトボ歩き始めた。二人共ユニホーム姿のまま、更にミルは甲子園優勝旗を持ったままで緊急搬送されたのだ。靴を取り替える暇もなく、アスファルトにスパイクの歯がカチャカチャと音を鳴らす。

 そんな二人を空中で静止して見ている『者』がいた。

 音もなく二人の前に降り立つ黒いコートの男。

「よ、お二人さん。なんなら札幌まで乗って行くかい?」

「……藤村王……内乱で異世界に戻っていると思っておりました」

 気さくな青年にしか見えない魔界の王、藤村藤村は米軍でさえ逃走ルートを特定できなかったのに、既にこの地に来ていた。

「ああ、内乱自体はこっちの時間に直して……一週間ほどで片付いたんだけどよ。そのあと、魔王同士の喧嘩がちょっとあってな。その喧嘩の仲裁に時間かかっちまった」

 ミルもナナも想像できないような戦争が異世界では勃発していたらしい。

「どうやってあたしたちの居場所を?」

「ああ、俺は一度会話を交わした人間なら、太陽系のどこにいても探せるんだよ。ヤードラッド星人に教えてもらった瞬間移動みてぇなもんだ」

「……なに星人?」

 二人は龍玉というマンガを知らなかった。

「おお、スマン。どうにもシルヴィスと話している時の癖が出ちまうな」

「じゃあ、チームの皆が今はどうしているかわかるのね?」

「ああ、そのルートも確認済みだ。お前たちのチームメイトは……舞鶴で奪取した最新型高速艇に乗って、現在日本海を北上中……今は秋田沖くらいだな」

「そんな恐ろしい速さの最新型が、いつの間に配備されていたんですか?」

「さあ、それは俺がこの地球上にいなかった数ヶ月の間だろうな。そういう兵器の知識はさすがにシルヴィスに適わんからな……大体、魔界には兵器なんてものは存在すらしねぇしよ……」

「え?」

 疑問符の浮かぶ二人の美少女を見て、藤村が肩をすくめる。

「あのな……瞬間移動した方が早いのに、どうして車や飛行機や船が必要なのか? って話だよ。俺たち魔物は『体ひとつ』で戦い、殺し合う。国はあるが、軍は存在しない。俺みたいな王が一人と、副官が最大四名、地球の文化を取り入れて、結婚という制度を作ってからは、王の妻も戦力に数えられるな……まあ、基本的に『王が一人で守れないなら、国など持たぬし、持っても滅びる』というのが、魔界の原則だ」

「……そんな凄い王が、どうして地球なんて興味があるの? 狭い場所で同族同士が争ってばかりなのに?」

「数千年規模、数万年規模で、同族同士が争って滅びを迎えない、不思議な惑星だからだよ。魔界を含めた異世界の常識では有り得ないほど、地球という星は面白いんだ。そうでなけりゃあ、地球の100倍近い面積の陸地を持つ魔界人が、興味を持つ訳もないさ」

「なるほど……」

 神妙な面持ちのナナが呟き、ミルは苦笑いした。

「とりあえず、帰ろうか……」

 藤村がわざと龍玉の主人公と同じポーズで、二人と一緒に最華学園理事長私邸に瞬間移動する。出迎えたハルミンが藤村にツッコミを入れる係だった。

「ミル、ナナ、おかえり」

 ハルミンに抱きつかれたナナが卒倒しそうになり、ミルも赤面する。

「立木さん、刀さん、御苦労様です。ドーシン(北海道新聞の略語)から早速取材オファーが来ていますよ?」

「……あたしの家『カチマイ』(十勝毎日新聞の略語)なんだよね」

「札幌で配達請負している新聞屋さんってあるんですか?」

 北海道に住む人間だけにウケるようなネタだったが、藤村も一緒に笑ってくれる。

 その輪の中にシルヴィスがいなかった。ミルは彼に直前合宿以来会っていない。甲子園からの逃走直前に見掛けたような気はしていたが、数ヶ月一緒に仲間をやってきたシルヴィスがこの場にいないことに寂しささえ感じていた。

 そうして、ハルミンやミドリ、麻生との再会を喜んでいる間に、秋田沖を航行中の最新型戦闘艇が青森県沖から函館沖に達し、チームメイトから次々にメールが送信されてくる。その中には美影のムービーメールも含まれており、一同に安堵の笑みが浮かぶ。

「皆、無事のようでなによりだ」

「ええ、早く皆と再会したいです」

 ナナまでもが笑顔であり、ミドリが心臓を押さえる仕種も見られない理事長私邸の中で、ミルだけが複雑な表情を浮かべていた。

 その表情の理由はミルにもまだわからない。

「……シルヴィスはどこ?」

 自らの発した声が、彼女らしからぬ震えを帯び、実際に体に震えが見受けられる。オヤッさんという愛称らしくないか細い声だが、タイミングが良かったようで、この場にいる全員が聞き取れた。

「ミル?」

「先輩?」

 ハルミンとナナが思わず駆け寄る。

 その頬に伝うのは涙。

「シルヴィスはどこ?」

 繰り返す言葉に、ハルミンとナナが答えを迷う。

「……立木さん。残念ながら、彼との契約期間が終了し、私にも彼の居場所を知る権利がなくなりました」

 安楽椅子に座ったままのミドリが代わりに答える。

「……あたしは……ハルミンの仇討が終わったなら、もう一度札幌で会うと約束した!」

 ミルの瞳からは大粒の涙が流れ続ける。ナナの差し出したハンカチを受け取らず、涙を拭きもせず、ミルが感情的になる。

「シルヴィスは約束を破らない!」

「……失礼します」

 感情の爆発するミルを視界に捉えながら、カトリーヌが入室してきた。用はミドリにあるようで、一旦室内にいるメンバーを見渡す。その視線を感じ、退出するような人間がいないので、そのまま報告に入る。

「高等部生徒会長、西区太郎が休学届を提出し、続いて鷹刃氏三十朗、洋泉大も学園内から姿を消し、鷹刃氏六郎も山籠りに入るとの書き置きを残し、札幌を出た模様です」

「あいつら……本気で姿を消す気か……」

 藤村があらぬ方向を見ながら呟く。この世界のルールにある程度しか縛られない人間外生物は彼だけだ。ミルは感情の赴くままに、ハルミンとナナを突き飛ばして藤村に駆け寄る。

「出会ったことのある人間の所になら、瞬間移動できるって言ったよね?」

「まあな……今でもそいつらの位置は把握しているぜ。だけどよ、連れていく訳にはいかねぇな」

「どうして!?」

「ミル、落ち着け。藤村王に失礼だ」

「先輩っ!」

 ハルミンとナナに押さえつけられたミルが、子供のように駄々をこねた。

「……気持ちは嬉しいだろうが、シルヴィスは受け止めることをしない……流しきれなくなれば、逃げる。あいつの最も卑怯な逃げは『傭兵』であることなんだ。傭兵は金で動く、金を受け取ればどこに行こうが、敵に回ろうが自由だ。仕事に感情を入れないのが、あいつがあいつらしくできる唯一の方法なんだ」

「大人が子供に説教するな!! 子供には子供同士のルールが存在する! どうして……どうして! そうやってシルヴィスを大人の都合に利用するんだ!! あいつだって、まだあたしと同じ子供なんだぞ!?」

「……成程、道理だ。ミドリ、この娘を30分ほど借りるぞ?」

 藤村は返事を待たずに額に指を二本充て、ミルの肩を掴んで瞬間移動した。

「……?」

 姿を現した場所に見覚えがまったくない。どこかの室内ではあるが、電気も消えており、闇が支配している場所。

「完全な結界というのは、人間の能力者では作り出せない。北海道内でそれが作れる場所はここだけで、利用できるのは俺だけだ。まあ、魔界に帰っている間、暫く奴の寝泊まりに使って良いとは言ったがな」

 藤村がスイッチを入れると電灯が点き、ミルの記憶にある場所であることが判明した。

「知事公館の地下倉庫……」

 しかし、そこには太郎や三十朗はおろか、パソコンも積み上げられた段ボールも存在しなかった。

「ここであれば、お前がどんなに泣こうと喚こうと、誰も止めやせん。俺の完全結界を破れるのは、揚子江とシルヴィスくらいしか地球にはおらんしな」

 藤村はそう言いながらポケットに手を突っ込み、一通の手紙を取り出した。

「お前が暴れなければ、あとで呼びだして渡そうと思っていたんだが……」

「シルヴィスからの手紙なのね?」

「俺は中身については知らん。一人で読みたいなら暫く席を外すぞ?」

「……あんたは随分優しい悪魔なのね?」

「悪魔と呼んでいるのは人間であり、魔王と呼ぶのも人間だ。俺は説明が面倒だから、その呼び名を受け入れているだけに過ぎない異世界の住人だ。俺は神とやらがどこにいるのか知らんし、会ったこともないが、少なくとも今は立木ミルの味方であり、その姿もはっきりしない神とやらよりは、近くにいて守っていると思っているぞ?」

「そうね……ありがとう。やっぱり、一人は落ち着かないから、読み終わるまでそこにいてくれる?」

「ああ、それくらいなら構わんさ」

 封を切る手に震えが起き、ミルはその手に気合いを入れ直した。

 中身は便せんにして10枚にも及ぶ内容で、札幌に暫く戻れない旨の詫びから始まり、シルヴィスの父の乱行が細かく書かれ、ミルのシルヴィスに対する気持ちへの答えも書かれていた。

「あたしが……異母妹の一人だって……育った環境も違うのに、あんなに話のし易い男は初めてだと思ったんだ……はぁ……あたし一人の勘違い初恋って訳ね……」

「ミドリに真実を聞いた前知事もそういう反応だったぞ。現知事は感づいているようだが、まだ話しておらん」

「……この事実を他に知る人はどれくらいいるの?」

「そうだな……お前たちの両親、揚子江の家族全員、ミドリ……守護者の会代表4家の長、そこには鷹刃氏家の長である六郎が含まれる。ちなみに太郎と三十朗、大とシルヴィスの妹はこの事実を知らん。お前のことを好いている女忍者も大体のことは知っているようだぜ」

「あたしの勘違いに気付いていた人も、そのくらいの人数?」

「誰も本人であるお前に確認していないから、それはもっと少ないだろう」

 肩を落とすミル。藤村はそれを最後まで見ずに背を向けた。

「う……えっ……ぐ……」

 ミルの瞳から涙が零れる。ハルミンの復讐を果たした高揚感と、手紙によってもたらされた真実が入り混じり、思わず両手で顔を覆う。

 シルヴィスがその報告を受けたのは、北アフリカの戦場である。

「なだめるのに大変だったんだぜ? この色男」

「そんなつもりじゃなかったんだが……」

 シルヴィスは反乱軍に与えられた指揮官用の天幕の中で腕を組んで座っていた。藤村もその中で座っているが、尻は宙に浮いている。

 時間は深夜であったが、天幕内に藤村が結界を張っているので、会話は外に漏れなくなっている。

「まあ、そのうち札幌に戻ることがあるなら、再会はしておくべきだと俺は思ったね。あの娘は根に持つタイプではないが、なんと言ってもお前の異母妹だからな。俺の調べでは、お前の父親の血を『八割』継いでいる珍しい女の子だ。前知事が『六割』、現知事が『四割』、他にも数名存在するが、八割はねぇな」

 苦笑いする藤村。シルヴィスは腕組みを解いて立ち上がり、天幕内にある自動小銃を手に取った。

「……仕事の時間だ。その件はこれが終わってから、ゆっくり考えさせてくれ。『金のかかる家族』に危害が及ぶようなことは……」

「ねぇよ。あの娘はそこまで愚かではないぜ?」

「……そうだな。藤村さんを使いっ走りにさせて済まなかった」

「俺は楽しいならそれで構わんのさ……ん? 今回はまた微妙な線のネーミングだな?」

 シルヴィスから受け取った傭兵人員表を眺めながら、藤村が結界を解く。

「……ユイ、ウイ、ノドカ、ミオ、サワコ、リツ、ジュン……で、副官はムギね……バンドでもやるつもりか?」

「前回の作戦で、女性の強さに感銘を受けたと言って欲しいね。だらしない男にもそれを見習って欲しいと思って今回はそうさせてもらったんだ」

「北海道で最も強いのは揚子江だぜ? 今まで何を見ていたんだよ?」

「……あの人は別格だろ? オヤッさんもキリ嬢も、揚子江さんから見れば『普通』の女の子なんだぜ? 甲子園で優勝し、中央政府首相に一発かます。なんて真似は確かに普通じゃないんだが、アテネ五輪に集まったテロリストを一網打尽にし、結界に押し込めたままの状態で『網走超監獄』に送る。なんて真似は、尊敬よりも恐怖でしかねぇよ」

 前回の夏季オリンピックは揚子江の暗躍により、無事に開催されている。

「敵襲!! 夜襲だぁーっ!!」

 天幕の外から歩哨の声が聞こえてくる。シルヴィスは自動小銃のチェックと予備弾層のチェックを終え、藤村に一礼してから外に出た。

 こうして、ミルの異常とも言える高三の夏は過ぎて行った。

 中央政府による半独立国家北海道への表立った攻撃は、この後ほとんど行われなかったという。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ