ライラックまつり、よさこいソーラン、北海道神宮祭が終わると、予選が始まる。
ライラックまつり、よさこいソーラン、北海道神宮祭が終わると、予選が始まる。
当然のことながら、小文字のZチームはシルヴィスの考えた奇抜な練習メニューばかりを実践している訳ではなく、打撃練習も守備練習も投球練習も連携確認も普通にしている。
それは朝の四時に始まり、午後一時に終了し、休み時間を経て午後三時からシルヴィスの考える細かいことを実践するという流れができあがりつつあった。
ミルは何度も何度も繰り返しシルヴィスの作戦資料を読み返し、思い付けば書き足し、練習に組み入れていた。この間、小文字のZチームメンバーは学園に登校すらしていない。
その噂は他の大文字チーム、小文字チームや一般生徒にも伝わっていた。
「高等部女子部のオヤッさんが、スゲェ力入れて野球の練習をしているらしいぜ?」
「今時にはいないタイプの熱血漢だからな、あの女は……」
「ハルミン知事の仇討も兼ねているって噂だけど、甲子園出場と仇討って関係ないんじゃない?」
「まあ、優勝したなら……仇討になるのかねぇ」
「無血開城ならぬ『無血討ち入り』か……ハルミン知事が生きているなら考えそうなネタだよね」
「知事には『キリさま』が就任したのだから、その流れからかな?」
様々な憶測が学園には流れているが、その中にハルミンが生きていることを知る生徒は少ない。
そんな会話を窓際の席で聞いている高等部三年、鷹刃氏三十朗は頬杖をついて溜息をもらした。
(この人たちは、俺がハルミン知事の体を再生したことを知らないんだよなぁ……シルヴィス兄ちゃんの言質から判断すると、確実に生き返っている訳だし、その甲子園出場作戦にも関連はあるんだろうなぁ……)
シルヴィスが持っていた集合写真に写っている黒衣の少年は彼であり、シルヴィスの言う知り合いの吸血鬼とは彼を指す。
三十朗はシルヴィスの言う通り、壊れたり千切れたりした体を再生する能力しか持たない吸血鬼で、それ以外の俗に言われる能力や弱点は持っていない。
彼は空を飛べないし、魅惑能力で女の子を籠絡もできない。吸血しても人間を操れないし、蝙蝠やトカゲに変身するような能力もない。
日光の下を平気で歩けるし、棺桶の中で眠ったりもしないし、銀の楔を刺されても死なないし、にんにくも食べるし、十字架も怖くない。
能力者のランキングがあるとすれば、彼はカトリーヌと同レベルと判断されるだろう。
ただ、彼は不老ではないが不死ではある。その一点においては、シルヴィスの能力である『なんでも殴り殺せる』に彼は該当しない能力者である。
(太郎か麻生ならなにかもう少し詳しく知っているんだろうけど……)
そう思いながら自分の席の前の空席を見る。出席率0パーセントの高等部生徒会長は今日もその席に座ることがない。更にその前の席を占有していた天才少女は、現在高等部生徒会長代理をしている。小等部中等部の9年間、どのように公正なくじ引きをおこなっても、この席順が変化することはなかった。
ハルミンの乗った特別機が撃墜された日、所属するオカルト研究会の会合で下校時間が遅くなった三十朗は、シルヴィス配下のステイプルトンに強制的に車に押し込められ、千歳方面に向かって激走中であった。
理由を尋ねようと思ったが、こんな強引な誘拐を仕組むのがシルヴィス以外に思い付かず、彼はそのままおとなしく車に乗っている。
シルヴィスが内密で仕事を彼に依頼する場合、よく使われる手法でもあったのだ。
千歳の自衛隊基地に連行された彼は、シルヴィスとそのパートナーらしき異世界人(三十朗は藤村の名を知らない)に説明を受け、遺体となったハルミンに対面している。
言われるがままに三回ハルミンの首筋に噛みつき、失った両足の再生を見届けてから、彼は自宅に送り届けられている。
その間彼がした質問はひとつだけで、
「本当に三回噛んで良いの?」
それだけだった。
吸血鬼にとって噛む回数は重要だからである。彼の種族は二回までであれば人間に戻す方法が確立されているのだ。三回目の噛みつき確認は、もう元に戻せないけれど良いかという意味が含まれる。問題はもうひとつあり、それはハルミンが既に死んでいたということだ。死んだ人間を生き返らせる能力は吸血鬼にない。三回噛みついた場合、再生能力は彼と同じになるが、生き返る訳ではない。つまり、ハルミンの肉体を永遠に保つことはできるのだ。魂の入っていない器である体は、劣化しないだけならミイラや氷漬けよりマシな程度である。更に、生き返っても人間外能力者が政治に参加できないことも彼は知っていた。その為にした質問である。
ただ、緊急事態であり、重傷のままでハルミンを瞬間移動させることは藤村でも不可能な案件であった。それ故に一度ハルミンを殺して運び、体の再生をしてから魂を注入するというややこしい方法が取られたのだ。
その後、シルヴィスと藤村が異世界の魂が集まる場所に行き、ハルミンの魂を捕獲して生き返らせたことを三十朗は知らない。
ただし、自分が噛みついた相手が動いているか止まっているかくらいは感じられるし、彼の預金通帳に高校生には『莫大な小遣い』が振り込まれていたことから考えても、成功したのだろうと思える。
(シルヴィス兄ちゃんが、あのあとなにも言ってこないということは、俺の役目は今回あれで終了したということなんだろうな。そのあとの動きから見ると、ハルミン知事は上手く生き返ったけど、政治参加ができなくなった……その仇討の為にオヤッさんとキリ嬢が選ばれて活動しているって話なんだろうね……)
漠然と考える三十朗が見降ろす窓の下では、ついに校内予選が始まろうとしていた。
「さて……」
ミルの視線の先には小文字のZチームが全員揃っている。
「やれることは全てやった。あとはあんたたちの全力に期待するだけ。いいかい? 甲子園まで突っ走るんだよ!」
「はいっ!!」
先週のプロとの練習試合で火がついたのはミルだけではなく、チーム全員だった。その目が皆燃えている。
ミルはベンチにハルミンの遺影を置き、手を合わせた。選手一同は脱帽し、黙祷。
「気合い入れてな!!」
「はいっ!!」
グラウンドに散る選手たちを見送り、ミルはハルミンの遺影の横に腰を降ろす。
「……見た目生きているあんたの為に全員が命を賭けるんだからね……感謝しなさいよ?」
そこからの連勝は新聞記事に小さく載ったのだが、地方予選扱いで結果のみが書かれていただけで写真はまだ流布していなかった。これはハルミンとミドリが手を回したようだ。
大文字のJチームに25対26でサヨナラ勝ち。快進撃とは言い難い。
「……最後に一点多く取った方が勝ちだっただろ?」
乱打戦を制したミルと選手が疲れた表情で知事公館の宿舎に帰ってきた、それを出迎えたのはシルヴィスとナナだ。
「……疲れたわ」
「だろうな。まあ、明日も試合があるから休め。お前たちはトーナメント最下層からの出発なんだからな」
小文字のZチームは4ブロックに分けられたトーナメントの中で最も試合数の多い『くじ運最悪』のチームである為、決勝まで毎日のように試合が組まれていた。
言葉少なく合宿所に入る選手たちを見送りながら、ナナが心配そうにしている。
「まあ、Jチームに勝ったのだから、油断さえなければ勝てるよ」
「しかし……あと7試合あるんですよ? そして、ほとんど休みなしで全道大会……」
「そんな『ヤワ』な連中じゃねぇさ」
そう言いながら公邸に戻ろうとする二人をミルが追いかけてきた。
「あんた。これ頼むわ」
『反省』と油性ペンで書かれたノートをシルヴィスに手渡す。
「ん? 今日の反省をもうしたのか?」
「試合中にしたよ。明日の試合の5時間前までに返事をちょうだい!」
何故か半分キレた状態で、ミルはノートを押しつけて去って行く。
「まるで初めてラブレターを渡す『ツンデレ』さんのようですね……」
「……ただの負けず嫌いだろ……5時間前だと? 俺は今日も徹夜だな」
シルヴィスはノートをめくって読みながら、今晩の警護メニューを考え、人員配置変更の指示を無線で各傭兵に知らせた。
「……試合時間を短くする方法を教えろだと? そんなもん、予選なんだから1回で10点差つければ終わりだろうに……」
「それができれば、ミル先輩もあんな顔しませんよ。今日の試合は6時間くらいかかっていますからね」
「まあな……相手に得点をさせない投球術……こちらが先制する方法……投手交代のタイミング……ホームランの打ち方……だとさ」
今日の試合で小文字のZチームは先制され、9回までずっと追いかける展開だったし、ホームランは一本も出ていない。
「言ってすぐに実践できるものなんですか?」
「……まあ、その為の5時間前締め切りなんじゃねぇか?」
この添削問題とその解決方法のやりとりは、ミルが野球から離れるその日まで続く。
翌日の早朝、勝ったものの25失点の悔しさで眠れなかったミルが宿舎の部屋から出ると、シルヴィスが廊下の隅に寝転がっていた。
「……来ていたのね? おはよう」
「おう。おはよう」
廊下も急造品なので、ミルや他の選手が歩いてもギシギシ音を立てるのに、その巨体に体重が存在するのかと思えるほど、シルヴィスは簡単に無音で起き上がる。
「もう答えができあがったの?」
「ああ、ついでに今日の対戦相手のデータも持ってきたぜ。どうせ調べてねぇだろ?」
「資料は読んだよ」
「試合は見てないだろ?」
「……見てない」
「どうして膨れているんだよ?」
ミルの思い付きを徹夜で仕上げてくるシルヴィスがいれば、自分は必要ないのではないかと彼女は思ったのだ。
それを聞いたシルヴィスは呆れ顔だ。
「あのな……前知事はオヤッさんの作ったチームで仇討して欲しいという願望なんだからな。それに、俺は試合会場には入れるが、ベンチには入れない部外者なんだぜ?」
「そ、そんなことはわかっているよ」
「だから、俺はアドバイスするだけだ。実践はオヤッさんの仕事だからな。今からそこに書かれていない『ホームランの打ち方』だけやって見せるから、グラウンドに10分後集合な。どうにも文章化が難しくてよ……」
「10分後?」
「あのな……視野を広げろよ。オヤッさんの格好のままでグラウンドに出ると、一歩間違うと変質者だぜ? まあ、朝っぱらだから見ている人間もいないと思うが……」
言われて初めて気付いたが、ミルはタンクトップブラにパンツ一丁という破廉恥行為の真最中であった。
「さ、先に言ってよ!」
ミルは急いで部屋に駆け込み、今更ながらドアに鍵をかけた。
シルヴィスは頭をかきながら大きく伸びをして、音を立てずに出口に向かう。
10分後、ジャージに着替えたミルがグラウンドにいくと、シルヴィスが目八の杖を持って待っていた。
「……どうして杖を使うの?」
「いや、俺なりの配慮のつもりで、昨晩親父さんに断わって借りてきた。バットで説明しても良いんだが、これの方がオヤッさんにはわかり易いかと思ってよ」
確かに杖はミルの使う道具の中で最も慣れ親しんだものである。
「まあ、長さは関係ないという話をしたくてな。バットと杖では倍以上長さに開きがあるし、太さも全然違うだろ?」
「そうね……」
「ボールの大きさもあまり関係ないということで、キリ嬢の自宅からロストボールを数個貰ってきた。まあ、とりあえず軽く俺に向かって投げてくれ。あとで野球のボールも使うからな」
言われた通りにミルは軽くゴルフボールを放る。距離は2メートル弱だ。
山なりに飛んできたボールに簡単に杖を当て、同じくらいの勢いでミルの胸元にボールが返る。
「? なに?」
「ああ、次が本番だから、同じくらいの速さで頼むぜ」
もう一度ボールを投じる。やはり山なりのボール。
違ったのはシルヴィスの足元とスイングの速さだ。
「!!」
ボールはミルの頭上を遥かに超え、公館敷地の林の中に消えた。
「俺が言いたいことはわかったか?」
「……全然」
「ボールにちょっと細工をしておいたんだが、気付いたか?」
ミルは掌を広げてシルヴィスに見せる。掌が何かの塗料で黒くなっていた。
「なんか黒っぽかった」
「そうだ、杖に当たった場所がわかるようにしておいた。それを踏まえてこの杖を見てみろよ」
渡された杖を見ると、一か所に黒点がある。
「それが俗に言う『芯』だ。この場合は俺の持った位置との距離で最も効果的に打撃を与えられる点だな」
感心するミルから杖を取り戻し、今度は短めに持つ。
「この場合は、此処が芯になる」
そう言ってボールペンで丸を描く。
「放ってみ」
ミルはもう少し距離をとり、今度は7メートルほど先から全力で投げた。
シルヴィスが簡単に杖を振り、ボールはまたもや林の中に消えた。
「バットの芯とボールの芯が一致すれば、打球は今までより遥か遠くに飛ばせる。今度は野球のボールで、変化球を混ぜても構わんぞ」
ミルは投手などしたことがないから、変化球は無理だったが、握りが特殊で勝手にカーブがかかった投球をした。
それも杖で打ち返し、林の中へ消す。
「今の場合はバットスイングの方法を変えるんだ。落ちてくる球であれば、ちょっと下からすくいあげる感じだな」
「あんた……野球選手もやったことあるの?」
「? いや、ないが?」
確かにシルヴィスにとってホームランを打つことは簡単だった。彼の動体視力は並ではないのだ。やろうと思えば拳銃から発射された鉛弾でも蹴り落とす或いは殴り落とすことができる。ちなみに、彼の動体視力は特殊能力に含まれない。
しかし、それを小文字のZチームにやらせる方法がミルにはわからない。
「まあ、今日の試合でいきなりホームランって話にはならんだろうが、練習に組み入れるのはアリだろ? あとの方法は文章化できたから、ノートに書き込んである。試合は昼からだろ? それまでは流石に休ませてもらうかな……」
「……シルヴィス……」
ノートを渡して立ち去ろうとするシルヴィスを、ミルが呼び止める。
「ん?」
「……ありがとう……今日も勝つよ」
「ああ、その調子で最後まで頼むぜ。しかし……睡眠不足は駄目だぜ? そういうのは俺みたいな『半分人間じゃねぇ』ような体力バカに任せておけ。俺は『半年』くらいなら、一日平均睡眠時間『15分』でなんとかやっていける。ちなみに、魔王である藤村さんは生まれてから一度も眠ったことがねぇらしいぞ……地球出身でそれに近いのは揚子江さんだが、あの人も一日に『1分』は目を瞑る。理事長も若い頃は真似していたそうだが、今はただの婆さんよりちょっと少なく眠る程度にまで能力が落ちている」
ミルから見れば、全員が化け物であった。
「……ねえ」
「ん? なんだ?」
「そこまでして、この北海道を守る理由はなに?」
その質問はシルヴィスの立ち去ろうとしていた足を止めさせるのには充分だった。
振り返った彼はミルに大股で近付き、その両肩を掴む。
「え?」
シルヴィスの顔が近付いてくる。
キスされると勘違いしたミルはなんとなく抵抗しながらも、目を瞑った。
「……俺が生まれた土地で、俺の大切な『家族』が住んでいる土地だ。俺にとっては守る理由なんてのはそれだけだが、オヤッさんが聞きたいのはそういう意味じゃねぇよな?」
シルヴィスの口はミルの口ではなく耳元にあった。距離が近いことに変わりはない。
「北海道には『異世界に通じるトンネル』がある。もちろん、一方通行のトンネルで、こちらから向こうに行けるだけならば、それほど問題にはならんが、双方からの通行が可能だ。向こうから藤村さんクラスの『敵』がきた場合の備えの為がひとつ。それから、自らの能力が異世界も含め最強だと勘違いしたアホな能力者の侵入を防ぐのも役目だ。中央政府はそのトンネルを半独立政府北海道が独占していると思っている。異世界から魔王を召喚し世界を滅ぼすとでも思っているんだろうな。そんな危険なことをしたならば、北海道どころか太陽系まで全て塵になっているだろう。藤村さんは気さくな兄さんにしか見えないかも知れないが、過去に自分の住んでいた星を異次元のかなたに吹き飛ばした実績を持っている。俺の知る限りで、そのレベルが魔界だけでも七人いる。そんなのがこちら側に敵として出てこない為の結界。それが能力者の役目で、北海道に集められる理由だ。時折揚子江さんが世界のどこかにある『別のトンネル』守備の為に出張している場合があり、前知事が暗殺された晩もそれに該当した。ちなみに、最大のトンネルが北海道にあり、他に255ヶ所のトンネルが世界には確認されている。能力者が自己満足の為に能力を発動させる例は少ないんだぜ?」
「……あたしには……理解の域を超えた話だ」
「そうかもな。オヤッさんもキリ嬢も足を踏み入れないほうが良い世界だ。今のは聞かなかったことにしてくれ……」
言い終わるとシルヴィスはミルの両肩を放し、公館の林の中に去っていく。
「……その方面には踏み入ってないかも知れないけど、別方面で北海道守護者の会とかいうのに登録されているような気はするんだけどね……まあ、ハルミンの仇討はあたしに任せて……あんたを少し休ませないとね」
シルヴィスの背中を見送りながら、ミルは聞こえないように呟いた。
「いやぁ、ドキドキの展開でしたねぇ。オヤッさん先輩!」
「!!」
振り返ったミルの視線の先に小文字のZチームの盗塁王、威志美影が立っていた。忍者の末裔とされる彼女はミルに気配を感じさせずに後ろに立てる人物だ。
「美影ちゃん。見ていたの?」
「最後のほうだけチラッとです。読唇術は習っていないので『でっかい傭兵』さんがなにを言っていたのかまではわかりません」
「……ノゾキは趣味悪いよ」
「ごめんなさい」
妙に飄々としていて憎めない娘だ。
「まあ、いいわ。彼とはなんでもないからね?」
「はい。そんなことになったなら、私が彼をぶん殴ります」
そう言いながら美影がミルの体をぺたぺた触る。彼女はミルのことが大好きであると公言しているのだ。
「美影ちゃんの力なら、ホームランも打てるかな?」
その想いに応えるかどうかは別として、好きに体を触らせながら、ミルは先刻習ったホームランの打ち方を美影に伝授した。
午後からの試合、対戦相手は大文字のDチーム。
「ま! しん!」
変な掛け声と共に外野最奥に白球を打ち込む美影の姿があった。
シルヴィスの作戦を実行したチームは、昨日ギリギリで勝ったのが嘘のように、16対3で5回コールド勝ちをおさめた。
「打撃は良くなったな……」
「3点取られたけどね」
「ああ、投球フォームの改造とかは今からやっても間に合わんからな。取られた場合は打撃で援護する作戦にしよう。もちろん倍返しでな。打順をいじれば、もう少し得点効率を上げることも可能だろう」
シルヴィスが宿直室として借りているという公館の地下倉庫での会話だ。
「このままの状態を保てるなら、校内予選は通過可能だな」
「うん。そうなんだけど……」
ミルはまた問題を持ってきていた。
それは女性ならではの問題で、表情にこそださないが、シルヴィスを辟易させた問題だ。
「……それは計算外だった」
ミルの話を聞き終えた彼は腕組みしその場に胡坐をかく。倉庫なので雑然としているが、奥の方にパソコンが数台置かれており、その前でガチャガチャとキーボードを叩く少年の後ろ姿がミルの視界に入り驚かせた。余りにもタイピングが正確なので、自動でなにかの入力がされているような錯覚を覚えさせていたからだ。
「ああ、太郎のことは気にしないでくれ。あいつは物凄い人見知りだから、今の会話は聞こえていない……」
その後ろ姿でも異常に目立つ金髪にゆるくウェーブのかかった髪型と、ディスプレイの上に置かれた美少女フィギュアで、ミルにはそれが誰だかわかった。
「家から出ないと聞いていたけど?」
「どういう訳かは訊かないでくれると助かるんだが──俺も本当の理由を知らないんでな──あいつの家の地下は何故か揚子江さんの家の地下に繋がっていて、更に揚子江さんの家の地下はここに通じているんだ。つまり、あいつにとってここは自分の家の続きだから、家から出たことには入らない」
「……いっそのこと、学園までその地下トンネルを伸ばせば?」
「ああ、それは俺も進言したことがあるんだが……まあ、諸事情あるんだそうで、却下された」
札幌の地下鉄で延伸された駅が妙に深く掘られている理由は、上下水道管やガス管、地下ケーブルの為だと思われがちだが、その少し下に縦横無尽に広がる人間用のトンネルの為だと知る者は少ない。
昭和47年に札幌で冬季オリンピックが開かれ、その際に地下鉄を作った札幌市にトンネルの存在がばれないように、揚子江とミドリが奔走した話は守護者の会では有名な話である。
「まあ、それはその内ハルミンにでも聞くよ。男のあんたにはわからないだろうし、あたしも実際軽いから、今日の試合後相談を受けるまで気付かなかったんだよ。重い子にとっては辛い一週間なのよ」
「……重い症状はレギュラー中、何人だ?」
「今は二人」
「……控え選手の中から代わりを出すしかないな。その二人の内、一人は美影か?」
「? ううん、違うよ。どうして?」
「4番までに満塁にし、美影の打撃で走者一掃或いは満塁ホームランという計算ができるのが、オヤッさんのチームの必勝パターンになりそうだからな。正直、あの忍者に抜けられるのは痛い。送りバントの三人はまだ交代で凌げるが、美影の代わりとなると……オヤッさん自身が出るか、まだ政治家に慣れていないキリ嬢に負担をかけるか……くらいしか思いつかん」
小文字のZチームは実働選手が16人しかいない。これはミルが勘違いして集めた人数で、彼女はベンチ入りが15人だと思っていた。しかし、高野連の決まりごととして18人の選手をベンチ入りさせねばならず、急遽ミルとナナの名前を選手名簿に入れている。校内予選と道内予選はそれでよいのだが、全国大会出場が決まれば、監督という名前の大人を一人、新たに雇わなくてはならなかった。
「皆がヤバい状態であれば、あたしももちろん出るつもりだけど……全力で走るのはムリだよ……」
「その為のホームランだろ?」
「あんたの理論を即実践できるほどの能力はないって……まあ、練習にはあたしも参加しておくよ……はあ、美影ちゃんがもう一人欲しいわ……」
そう言って会合を終えたミルが立ち去ろうとした時、パソコンの奥にある壁がドア状に突如動き人が現れた。所謂隠し扉であるらしい。
「あ、太郎。シルヴィス兄ちゃんいる?」
ミルも見たことのある集合写真に写る黒衣の少年、三十朗だ。
「おう。こっちだ、三十朗」
ちょうど開けた壁が死角に入っていたようだ。シルヴィスと一緒にいるミルを注視するが、理解したのか顔がほころんだ。
「ああ、えっとぉ……オヤッさん。こんばんは……」
「初対面よね?」
「ああ……そうでした。高等部共学科の鷹刃氏三十朗です」
「たかはし? まさかハルミンの弟とか言わないよね?」
ミルは音読が同じ三十朗の苗字で勘違いしたようだ。ハルミンには確かに弟がいるが、英国に留学中でミルはその幼少期にしか会ったことがない。
「いや、違うが……まあ、姉弟みたいなものか……血を吸ったと言えばわかり易いか?」
「……ハルミンの体を再生したという吸血鬼?」
「え……ええ。まあ……そんな感じの能力を持っています。あの……吸血鬼という名でよく勘違いされるのですが、血は吸っているのではなく『与えている』が正解です」
噛み口痕から血が流れている場合が多く見受けられるので、全身の血を吸われていると勘違いされがちだが、三十朗の場合、噛みついた人物に自分の血液或いは生体エネルギーを与えているというのが正解である。ただ、本当に吸血する者もいるので、一概にどちらが正解とは言えないのも事実だ。
「……あたしが噛んでもらって、膝の怪我を治した場合、あたしは出場禁止……だよね?」
「ええ、残念ながらそうなりますね。オヤッさんも能力者に該当してしまいますから」
「……そう言えば、能力者であるかどうかはどうやって調べるの?」
三十朗はシルヴィスの10倍人懐っこい顔立ちで、ミルは妙に質問し易いと思った。
それはハルミンが生き返ってからの表情や仕草や癖が三十朗のものとそっくりだからという理由も含まれるが、彼女はそれに気付かない。
「高野連には専属の『鑑定士』がいます。能力者の有無のみを見極められる能力者です。それ以外の能力がないという意味では、俺と同じですね」
「本当にどうでも良い能力って結構あるのね……怪我を治すだけの能力者はいないの?」
「え?」
三十朗が意外そうな顔をする。
「僕は……使いたくない」
パソコンの入力の速度を緩めることなく、太郎が発言した。三十朗が現れたことで会話に聞き耳をたてていたようだ。
「……太郎はただのハッカー少年ではなく『他人の怪我を吸収できる』能力者だ」
「違うよ。誰かの『身代わりに死ぬような能力』だよ。幼少期に無意識で使って死にかけたからね。シルヴィスの能力ならまだ使い勝手も良いけれど、僕のは最悪だ」
「その為に本当の医者になる勉強もしているんだろ? それに、オヤッさんの足の怪我を引きうけても、お前家からほとんど出ないじゃないか?」
「ぬ……そうだけど、僕は高校を卒業して、やることがあるんだ。それには足を使うから、絶対後遺症の残る怪我はできないし、家の中やこの変なトンネルを歩いたり走ったりして、体力づくりはしているんだ」
まだ幼さの残る同学年特殊能力者二人の会話はミルを和ませた。
見かねたシルヴィスが割って入る。
「すまんな、オヤッさん。気を悪くしないでくれ。太郎には太郎なりの将来の夢があってな。怪我の引き受けはムリだそうだ……」
「まあ、いいよ。あたしの怪我は自業自得だし、痛みはそれほどでもないからね。それで、太郎は卒業したら、なにをするの?」
「あ……う……」
太郎が急激に萎んだ。
数年後に数々の女生徒を泣かせる色男に成長する高等部生徒会長だが、この当時はまだ単純に引き籠りの内弁慶であった。
ついでを言えば、ミル、ナナ、ハルミンの三人は好みこそ別れるが、かなりの美少女なのである。太郎にとって、彼女たちとの会話は普通に緊張するものだった。
シルヴィスのような朴念仁や外交に長けているとは言い難い三十朗でさえ、太郎の現在よりは社交的だと言える。
「ぼ……僕はっ! あ……う……ああっ」
今まで打ち込んでいたなにかのプログラム画面を消し、突如暴走したようにテキスト画面を開いて文字を神速で打ち込んだ。
『僕はシルヴィスと一緒に世界にでて、闇医者になるんだ!!』
「……闇医者?」
「従軍医師という意味だと思うぞ……俺の仕事……傭兵だが、所属する派遣会社によっては医師免許なんぞ持っていなくても雇ってくれる場合がある。もちろん稀だがな……その辺りウチの会社は結構ルーズでな……実力主義とも言うが……俺は闇医者で構わんから札幌で開業医をやってくれと言っているんだが、なかなかの頑固者でな」
「……半独立国家北海道もそうとうメチャクチャな話だと思うけど、あんたらはその上を行くね」
「ところでシルヴィス兄ちゃん、俺を探していたみたいだけれど?」
「ああ、ちょっと行方が掴みにくい、お前の『弟』を貸してくれ」
あの集合写真を写した人物のことをシルヴィスは言っている。
「六郎を? 随分物騒なことが始まりそうだね」
「まあ、学園の選抜護衛隊と、俺の率いる傭兵チームで甲子園は充分カバーできるんだが、その間札幌が手薄だからな。六郎を俺の『代理』として札幌に置いておきたいんだ」
言われた三十朗は呆れ顔で携帯電話を取り出した。
「自分で電話すればいいじゃない?」
「俺の携帯電話の『家族割引』は5件までだ。あいつには滅多に電話しないから、除外しているんだよな」
『ちなみに、僕もだ』
「太郎……俺とはまともに喋れるだろ? まあ、いいけどね……」
「……あんたの代わりができる中等部の生徒ってこと?」
ミルは六郎という人物を想像しながら口にだしてみた。体がシルヴィスで顔が三十朗だとあまりにもバランスが悪い。弟ということは年下だと判断した為そうなったのだ。
「いや、高等部三年だ。あいつの格闘センスは親父より上だからな……」
「? 双子なの?」
「え? ああ、俺の弟は父の再婚相手の連れ子なんですよ。俺は父の連れ子で、たまたま同い年だったんです。俺みたいな能力は持っていませんけれど、シルヴィス兄ちゃんの言う通り、格闘技の天才です……あれ? 出ないな……」
三十朗の解説によってミルの想像は砕かれた。
「電車かバスで移動中か? あいつは真面目だから、そういう場所で絶対携帯に出ないからな……まあ、お前の責任で明日か明後日までにここに連れて来てくれ」
「うん、わかったよシルヴィス兄ちゃん。俺の仕事は前知事の再生までで終わりだよね?」
「ああ、お前の負担も相当なものだろうからな……」
「? 吸血が負担になるの?」
「ええ、さっきも言いましたけれど、俺は吸血ではなく、自分の生体エネルギーを人に注入して再生させます。一応不死身なんですけれど、あれだけのダメージを受けた体を再生させるのは初めてでしたから、ちょっと疲れが抜けないんですよ。だから、俺がお役に立てるのはここまでです」
翌日の試合は、センバツのトーナメントの都合で、ベスト8にてJチームと死闘を演じた小文字のAチームが相手であった。
主力二人を交代要員で補う作戦は成功したと言って良いが、9回表にかろうじて逆転し、その裏Aチームの反撃でツーアウト満塁とされ、最後のバッターもスリーボールツーストライクから、ようやくこの日最初の三振を奪うという、なんとも苦い勝ち方であった。
護衛ついでに見ていたシルヴィスが『心臓に悪い試合』と振り返るような試合だったのだ。
「……20対19で勝ち……明日は休みか……」
ミルはそう呟いて選手たちの様子を窺う。
二試合目が割と快勝であった為、選手たちはどん底に突き落とされたような表情になっていた。
「みんな。今日はあたしの作戦が全然的中しなくて、ごめん。明日は練習休みにするから、今日の疲れを明後日に残さないようにしてね……」
着替え終わった小文字のZチームの面々は無言でバスに乗り込み、知事公館の宿舎に戻った。
ミルは皆が休んだのを確認し、昨日の倉庫に向かう。
倉庫の扉をノックするが、応えはない。
今夜は政財界のトップを集めた会合があり、ナナの警護でシルヴィスは出掛けている。
ミルが倉庫を訪ねたのはその時間帯で、ちょうどシルヴィスはナナ暗殺を企む、通称『トライアングル兄弟』と戦闘中であった。
「はぁ……」
思わずため息が漏れる。
あきらめて戻ろうとした時、倉庫の扉が数センチ開いた。
そのドアの隙間から、信じられないくらい綺麗な金髪の前髪と眉、そして女の子のような大きな瞳が見えている。
太郎は昨晩からずっと倉庫にいたようだ。
無言でドアが大きく開かれ、中に通される。
「ありがとう。太郎」
太郎は頷き、普段はシルヴィスが使っていると思われる二人掛けのソファを指差した。
ミルが指定された位置に座ると、太郎は一旦パソコンの置かれた裏側に回り、積み上げられた段ボールの裏にある小スペースで何かする。
どうやらそこには倉庫の照明スイッチがあるようだ。パソコンの周囲以外に点いていなかった電灯がついた。
「ど……」
「ど?」
段ボールの裏から聞こえる太郎の声が緊張している。
「ど……ドアの鍵を掛けて……くだ……さい。シルヴィスの命令……です」
座る前に言えば良いものを、太郎は緊張し過ぎているらしく、前後感覚が狂っていた。
「ああ、ドアの鍵ね。それは気付かなかったわ」
文句を言わずに立ち上がり、ドアノブについた鍵を回すと、一括で全ての鍵が施錠される仕組みであるらしく、ノブ付近からドア全体が音を立ててドアが壁に早変わりした。
「凄い鍵だな……」
「き……機密情報を……扱う部屋ですから……」
段ボールの裏から戻った太郎は片手に電気ポット、片手にマグカップとインスタントコーヒーを持っていた。
「……お湯とコーヒーはあります……かきまぜる……スプーンはありません……カップは……僕のです……が、洗って……あります」
インスタントコーヒーの瓶を開けようとしている太郎の手に震えが見受けられる。ミルは苦笑いで瓶を受け取り、自分でコーヒーを淹れた。
「ウチには門弟にオジサンから男の子までいるから、あたしは気にしないけどね」
「うう……シルヴィスは……現在……戦闘中で、多分……能力発動中です。昨日の……深夜……小樽から……上陸した、トライアングル兄弟は……中央政府の雇っている暗殺者の中では、強力な……方です」
「……トライアングル? それは名前? それとも……」
「楽器です。彼らの使用する……武器でもあります。100メートルほど離れた距離から……トライアングルを打ち鳴らしながら接近して……きます。その音は……視覚から距離感を奪い、聴覚を麻痺させます……トライアングルの音が聞こえなくなる頃には、心臓にナイフが刺さっている……そんな術です」
なんとも物騒な能力者とシルヴィスは対戦中であるらしい。
「そう……でも、シルヴィスなら勝てるのよね?」
「はい。シルヴィスに実力で勝てるのは……守護者の会筆頭の揚子江さまと……異世界の王レベル……それから、実力は関係なく、シルヴィスが家族と呼ぶ僕たちだけです」
「? 家族ならシルヴィスを倒せる?」
「はい……シルヴィスは、家族には……無抵抗です……僕や……六郎、三十朗が暗殺側に回れば、シルヴィスは無言で死んでくれます」
シルヴィスとはそういう男であった。その家族を守る姿勢はミルもなんとなく理解している。
「あのさ、今日はちょっと君に訊きたいことがあったんだよね」
「? ぼ……僕に?」
「うん。太郎の能力である『他人の怪我を引き受ける』能力なんだけれど、それって、一度引き受けた場合、治るまで君の中にあるの? それとも怪我をした本人や他の人に移せるの?」
「……怪我をした……本人にであれば返せます……でも、僕の……痛みは無くなりますけど、返された当人の痛みは……僕に移す前の倍になります」
「そっか……」
ミルはコーヒーを啜りながら、何ごとかを考えた。
その考え事をする表情に、太郎はどぎまぎしてしまう。ちなみにこの後、太郎の美少女フィギュアの趣味が一変するのだが、それはミルの知らないことだ。
「太郎くん」
「は……はい?」
「今回の甲子園仇討作戦が終わるまで、あたしの左膝の怪我を預かってくれない?」
決意に満ちた表情のミルの願いを、太郎に断わる術はなさそうだ。
「返すと……倍の痛み……ですよ?」
「うん。それでも、あたしはハルミンの仇を討つ為なら、我慢できる。甲子園で勝つ為に、全力で走って、打席で踏ん張れる足が欲しいのね。今の小文字のZチームはあたしの理想とするチームだけれど、問題もたくさんある。本当は18人ではなく、30人くらいメンバーが欲しいけれど、規約上それはできない。ルールを守った上での勝利でなくてはならない……それには、どうしてもこの足が必要なの。お願い。」
女子生徒の出場を認めさせた時点でかなりのルール改変がされているのだが、その案を出して認めさせたのは去年のハルミンであり、ミルはその時自分でチームを作ろうとも思っていなかった。
「……わかりました。では……ズボンを……膝まで捲り上げて……ください」
ミルは言われた通りにジャージの裾を膝まで捲る。大手術の痕の残る足を他人に見られるのは嫌だったが、着けていたサポーターも外す。
太郎はその膝を見て、何故か生唾を飲み込んだ。
ミルの視線に気付いたのか、太郎はひとつ咳払いした。
「では……失礼して……僕の膝を合わせます……」
流石に引き籠りなだけあり、ミルの健康的な足に比べ、太郎の足は貧弱そのものだった。
向かい合ってお互いの膝を合わせる。
「!!」
一瞬のできごとだった。
ミルを一年近く悩ませた鈍痛が消えて行く。
一方の太郎は世界の終わりかと見紛うほど、その身をくねらせ、痙攣していた。
「太郎っ!?」
立ち上がろうとしたミルの両膝が笑い、力が入らない。
「……明日には……普通に……動け……ま……す……」
そう言いながら太郎は自分の左膝を抱え、のたうち回った。ミルにはなにが起きたのかよくわからない。
その時、トライアングル兄弟とやらを倒し、ナナを公邸の私室まで送り届けたシルヴィスが帰ってきた。その時間は太郎が予想していたよりかなり早い。
ドアの鍵を開け室内に入り、自分のソファの上でぐったりしているミルと、床でのたうち回る太郎を視界に捉えた瞬間、シルヴィスにはほとんど理解できていた。
「俺がいると反対されるとでも思ったのか?」
そう言いながら太郎に大股で近付き、屈んで太郎の額に一発デコピンを放つ。それから首筋に指を充て、簡単に失神させた。
それからパソコン前にあった太郎のものらしい毛布を取ってきてかけ、近くに転がっていたマグカップとインスタントコーヒーをテーブルに戻してから、ミルの対面にある来客用のソファに腰を降ろした。
「まあ、大体なにをしていたのか想像はできるがな……オヤッさん。太郎は説明なしで能力を使っただろ?」
「……返す時は倍の痛みになるという説明は受けたよ……」
「なるほど……太郎らしい説明だ。能力使用時に起きる自分のリスクは言わなかったって訳だ……オヤッさんが怪我をしてから10ヶ月くらいだよな?」
「……うん」
「その10ヶ月の間、オヤッさんが感じた全ての痛みを太郎は引き取ったんだよ。つまり、手術の際オヤッさんには麻酔がかけられていただろうが、今の太郎は麻酔をかけていない。ついでに、目覚めてから今までに感じた激痛から鈍痛まで、積み上げて引き取ってしまうんだよな……怪我をした瞬間に引き取った方が、こいつには耐えられる痛みだろう。10ヶ月分の痛み全てはやったことがねぇと思うぞ?」
「それは……聞いてない……その痛みは、あたしに返すまで続くの?」
「いや、一時的なものだけどな。太郎は痛いのに弱いから……」
「ごめん……」
「いや、俺がもう少しちゃんとオヤッさんに説明しておけば良かったって話だ。今日の試合で痛感しちまったんだろ? 戦力の安定に自分が欠かせないってよ」
「うん……」
「まあ、俺もそう思っていたんで、今晩辺り太郎を説得しようと思っていたところだった。まさか太郎が自分でオッケーをだすなんて思っていなかったんでな……」
「……なんだか……異常に眠いんだけど……」
シルヴィスは毛布を持ってきてミルにもかけた。
「まあ、明日の朝までには回復するだろう。足が回復して風邪ひいた、とかいうオチはナシの方向で頼むぜ?」
「う……ん……」
ミルが眠ったのを確認し、シルヴィスは倉庫から出る。
「……太郎の奴、二日は使えんな……情報操作系のハッカーか……誰に頼むかな……」
呟きながら廊下を歩き、階段を登ったところで美影に出会う。
「こんばんは、影の監督さん」
「よお、よくここに入れたな。結構夜間の警備は厳重な筈なんだが……」
「まあ、それは忍術ということにしておいてください。ウチの監督知りませんか?」
「ああ、奥の倉庫で寝ているが、朝まで起こさないでくれると助かる」
シルヴィスと美影が微妙な距離を保って話す。それは美影の絶対防衛ラインにシルヴィスを入れないという忍者の末裔の癖である。シルヴィスはそれがわかっているのでなにも言わない。
ちなみに、忍者というスキルは修行の賜物であるので、特殊能力や異能力には含まれない場合が多い。最も人口が多いとされる英国近辺の魔法使いやアジア近辺に住むと言われる仙人級術者も、元々持っている能力を磨いた者に数えられる為、異能力者の中での発言権は高いが、実は能力者に数えられていない。
異能力或いは超能力というものは、持って生まれており、突然開花する場合も含むが、修行や学習を必要としない能力のことを言う。
ただ、普通の人間より能力が高いのは認めざるを得ないので、高野連や裏国連条約では、魔法使いや仙人級の出場や政治参加を認めていない。そして、なぜかその条約に忍者という単語が含まれていない。これはある意味グレーゾーンで、俗に言う抜け道なのだと思われる。
「ふーん。わかりましたぁ……傭兵さんがオヤッさん先輩に『手を出す』心配がないなら、それでオッケーでーす」
「……まあ、確かに俺も男だからな。しかし、お前は気付いている側だろ?」
「えへへ……そりゃあ、大好きな先輩の身辺調査くらいしますよぉ」
美影は基本的に揚子江やミドリ、ハルミンくらいしか知らないようなミルの出生の秘密を知っている。異母兄妹同士の恋愛がないとは言い切れないが、美影から見てシルヴィスは信頼に値する男だった。
「まあ、隠すようなことでもないんだがな……刀家と立木家が大反対らしいから、北海道で彼らを敵に回すのは得策ではないだろ?」
「そうですねぇ……立木家ならまだしも、刀家はあたしの主筋ですから、そうそう抜け忍みたいなことはできませんねぇ」
そう言い終わると、美影はジグザグに廊下を走り、窓から出て行った。
普通の人間であれば、風が吹いたくらいにしか感じられない美影の動きだが、シルヴィスの動体視力は並ではないので、その軽い足取りの瞬歩をどれひとつ見逃さなかった。
「オヤッさんも、変なのに好かれているよな……」
翌日の朝、倉庫で目覚め、ソファから立ち上がったミルは、自分の足にあった鈍痛がまったくないことに驚いた。太郎の能力を信じていない訳ではないが、聞いただけならば胡散臭い能力である。
しかも、膝の痛みどころか、昨日あれだけ接戦で削られた筈の体力がマックスまで回復していた。
「膝の痛みだけじゃなく、昨日の疲れまで引き受けてくれたの?」
そう訊ねるが、太郎は静かな寝息でしか答えない。そして、眠る前まで対面にいたシルヴィスの姿がない。
「男の子と二人で外泊って……お父さんが聞いたなら、卒倒しそうな文言ね……」
そんなことを呟きながら、近くにあった姿見で寝ぐせを確認し、手櫛で整えてからドアの鍵を開けた。
「……やっぱり」
ドアから出て2メートルほど進んだ階段の下にシルヴィスが座っていた。
「おはよう」
「おはよう」
「おはようございます」
そこには三人の男がいる。声を発したのは二人だ。声を出さなかった一人は三十朗で、壁を枕に眠っていた。声を発したシルヴィスを一回り小さくしたような男は、どう考えても鷹刃氏六郎だ。当たり前だが三十朗に似ても似つかない。
「先に説明しておくと、こいつが六郎。オヤッさんたちが甲子園に行っている間に札幌を守る男だ。三十朗は暫く太郎のアシスタントでパソコンの前に座って情報操作を担当する……もう一人は遅刻中だが、名前だけは覚えてくれ、洋泉大俺が見せた写真に写っていた最後のひとりで、もじゃもじゃした頭の奴だ。最華生だが、六郎と大は万年特別欠席扱い。太郎もだが……まともに学生なのは三十朗だけだ。ちなみに、高等部生徒会長代理の麻生は去年までこいつらと同じクラスだった」
「鷹刃氏六郎です……よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ……」
六郎の声は、有り得ないほど低く、威圧的ですらある。
「シルヴィス。昨日は先走ってしまってごめんね」
「いや、オヤッさんが眠る前にも言ったが、俺も昨日の試合は心臓に悪いと思ったんでな。太郎に能力を使わせようと思っていたんだ。説明不足だったのは俺の方で、謝るのも俺の方だ……それで? 膝の調子はどうだ?」
「……昨日までの鈍痛が嘘のように無くなったよ」
「シルヴィス……」
ミルがその場で軽くジャンプしてみせると、シルヴィスの横に座ったままの六郎が口を開いた。
「ん? なんだ六郎」
「俺は立木流杖術と戦ったことがない……オヤッさんがよろしければ、朝稽古をしてみたい」
「怪我をさせないと約束できるのか? 折角の太郎の犠牲を無駄にするようなことは認められんぞ?」
「……俺は……格闘家だ。シルヴィスのような殺人家じゃない。それに、万が一の時はもう一度太郎に能力を使わせれば良い。太郎の世話なら俺がする」
失礼なことをズバズバ言う男だとミルは思う。どうにも六郎には少年という言葉も当て嵌まらない気もしていた。
「オヤッさん。こいつと試合してくれるか? 危ないようなら俺が間に入るが……」
「……いいよ。ちょっと体の調子を見る程度ならね」
ミルはこういう挑戦を受け流したことがなかった。好戦的と言ってもよい。
「じゃあ、十分後にグラウンドに集合な。六郎、倉庫に三十朗を放り込んで、太郎の様子を見て来い」
そう言って、六郎と三十朗を倉庫に向かわせてから立ち上がり、ポケットから無線機を引っ張り出した。
「ステイプルトン。知事公館の周囲100メートルを探索して、もじゃもじゃ頭のガキを見つけろ。多分その辺りの歩道で行き倒れている筈だ。回収したなら、俺の寝泊まりしている倉庫に放り込んでおいてくれ」
『……了解。昨日の晩からこの辺りをウロウロしていた奴だな。目的がわからんから泳がせていたんだが、お前の連れかよ……』
呆れた口調のステイプルトンの声が聞こえ、シルヴィスは苦笑いした。
「……100メートル手前まで来て、このでかい建物を見失えるような子なの?」
「大は集中力が希薄なんだ。目的地の1メートル手前でも、ちょっと綺麗な女を見掛けると、一瞬にして忘れる。ただ、集中さえできれば、太郎と同等のハッカーにもなれるし、六郎と殴り合うことも可能だ。まあ、一人で留守番はさせられないがな……」
その物騒な少年大だが、集中力に欠ける時はまったく役に立たないらしく、簡単にステイプルトンに捕獲された。
「だって、入って行ったら『三岸すきたろう美術館』って書いてあるんだよ?」
「それは一丁向こうだ。ついでにコータローな。お前はそれでも札幌生まれか?」
「正確には江別市生まれだよ」
ステイプルトンに連れてこられた大は暴れた様子もなく、口だけは達者なイメージの子供だった。
「……お? なんだ? 果たし合いでもするのか?」
大を倉庫に放り込んだステイプルトンが、その中で道着に着替えた六郎に出会って発した言葉だ。外国人であるステイプルトンにとって、日本人がそういう格好になると勝負の時だと勘違いする傾向がある。
「まあ、そんなところですね」
答えた六郎の唇が片方だけつり上がる。どうやら笑ったようだ。
十分後にグラウンドに集合すると、野次馬が二人増えていた。
「……こんな朝早くなのに、お前らも寝ない人間なのか?」
「えへ、朝練しようと思ったら、オヤッさん先輩にばったり出会っただけです」
シルヴィスの呆れた口調を軽く流すのは、美影である。
「俺はロクローがやる気出しているから、付いてきただけだぜ?」
「……まあ、いい。ステイプルトンの管轄にモーティマーを回してくれ」
ミルも合宿所に道着を持参していた。毎朝チームメイトより一時間早く起き、杖で素振りをするのは彼女の日課のようなものである。
「準備運動とかしないのか?」
「俺はいつでも大丈夫です」
「あたしもオッケー。準備運動はスポーツする場合でしょ?」
「……これは果たし合いじゃないんだぞ?」
「まあね。そうだけれど、立木流に準備運動はないんだよ。準備している間に攻撃するのもアリだからね」
「……わかった。でも、俺が止めろと言えば止めろよ? 危険だと判断した場合は強引に止めるからな?」
「そんなに時間はかかりません」
不敵な六郎の挑発にミルは動じない。シルヴィスの合図を待たずに杖を構えただけだ。
六郎は武器を持たない空手スタイルで半身に構える。
呆れ顔のシルヴィスが二人の間に立ち、距離をとらせた。
「まあ、好きにやれ」
それが開始の合図であるらしく、二人の距離が一気に詰まる。距離を詰めているのはミルで、六郎は一歩も下がらず受ける構えだ。
杖が振られ、一度フェイントを入れて六郎の顔面を襲う。六郎は右腕で杖の攻撃を受け流す。目八の攻撃をシルヴィスが指で流したのと同じ技だ。
「む?」
簡単に受け流せたことを六郎が疑問に思うのと同時に、ミルの膝が六郎の左わき腹に入る。流れの良い攻撃で、普通の男であれば沈むくらいの蹴撃だが、六郎の鍛えた腹にダメージはほとんどない。
道着を掴もうと伸びる六郎の手を杖で払い、ミルは下がる。
「良い動きだ」
感心したのはステイプルトンと美影だ。
「先輩すごーい!」
シルヴィスは腕組みしてその様子を見ている。
それから数回の攻防でも、ミルの杖の動きに六郎がついていけていないようにしか見えない。
「……」
圧倒的に押しているように見えるミルだが、次の攻防で勝負がつかない場合、シルヴィスに止められる予感があった。
(あたしの動きを様子見したと考えるのが妥当ね……次の攻防で彼は攻撃して、一撃であたしを倒すつもりとみた!)
そのミルの勘は正しいようで、今まで一歩も動かなかった六郎の側から仕掛けてくる。
正面からの突きであることに間違えはない態勢だが、六郎は走りながら体を捻り、上半身のみ半身に構え、右腕をその巨体の後ろに隠した。
(右正拳突き……変則だとしても、腕が伸びる訳じゃあるまいし、どこから突きだしても、杖で弾ける。でも、これが大胆なフェイントだとすると……左手で道着を掴んでの柔道技で転倒させるのが目的か? 寝技に持ち込まれた場合、あたしの体型では六郎くんの技を返すのはほぼ不可能だ)
「おおっ!」
その一瞬の躊躇を見逃さないのが六郎であった。
どう見ても届かない位置からの正拳突きが繰り出される。
(やはり道着を掴むのが目的か?)
そう思いながら杖で防御しようとするのより先に、六郎の拳が顔面に到達しそうだった。
(は、速い?)
杖で右腕を弾き、首を捻ってかろうじてかわす。しかし、かわした先に六郎の左手が待っていた。
「うわっ!」
六郎の左手はミルの首を掴む寸前だった。殺し合いであればこれで勝負が決まる。喉を握り潰すのが目的としか考えられない技だ。
首に指がかかるのと同時にミルは杖尻で六郎の左腋を突いた。
一瞬ツボに入り六郎の手が開いたのを確認し、後ろに飛んで逃げる。
杖頭を地面に突き刺し、背転して着地した頃、六郎の右拳が再度迫ってきている。
「それまでだ!」
ミルの目が本気を通り越し殺気を放ち、杖尻が六郎の右目に狙いを定めた時にシルヴィスが止めに入った。
六郎の右腕を蹴り上げ、体の勢いを肩でタックルして止め、ミルの杖尻を左手で掴んでいる。
この動きの速さはミルにも六郎にも、外側から見ていたステイプルトンにも美影にも見えなかった。
「解説くらい聞きたいだろ? それとも、病院のベッドの上或いは棺桶の中で聞くか?」
シルヴィスに凄まれると、二人はおとなしく間を開けた。
「六郎、お前の距離の測り方は無茶過ぎる。体が傷んでからの攻撃では、当たっても効果が薄い。右正拳が読まれた時点で、左で首を取りに行くのは正解だが、それは殺し合いの理論であって、格闘試合からは外れ、反則負けになる。オヤッさんの攻撃は正当だが、最後の目突きはだめだ。これはあくまで手合わせであって、殺し合いを俺は認めていないからな。だから止めた」
「……最後の攻撃の前の右正拳突きで、腕が伸びたように見えたけど?」
「それは、こういうことです」
六郎は右腕をミルに向けて見せた。
「杖の攻撃防御範囲に素手で挑むのに、距離感をずらせられなければ、勝ち目はありませんからね」
六郎の右腕は肩の関節と肘の関節が脱臼した状態だった。六郎は右正拳突きを繰り出した瞬間に右肩と右肘の関節を外し、腕を15センチほど伸ばしたのだ。
「俺の目がもう少し良ければ、杖を持つ指を狙ったのですが、変幻自在の手さばきを見切れませんでした。俺の完敗です」
「シルヴィスの仲間だから、一撃必殺系かと思ったんだけれど、まさかの二撃目本命の拳術とは思わなかったよ」
二人は息を整え、お互いに礼をした。立木流に礼はないが、他流との試合ならば礼もする。シルヴィスが六郎の腕をはめ込み、朝の激闘は終了した。
「六郎」
「はい」
「お前の戦法は防御に向かない。相討ち狙いは勝利ではないからな。複数相手の場合も考慮せねばならん。あとでもうちょっとマシな戦法を教えてやる」
「はい」
六郎ががっかりしたような仕草を一瞬見せるが、シルヴィスがその背中を叩くと背筋が伸びた。もう一度ミルに礼をし、六郎は倉庫に戻って行く。
ミルはその後ろ姿を見送りながら、感心するやら恐怖を覚えるやらという、複雑な表情をしていた。
「オヤッさん。どうだ?」
「……もう少し続きがやりたかったね」
「いや、そうじゃなくて、膝の具合だ」
一度戦闘モードのスイッチが入ると、ミルはなかなかその表情を戻せないらしく、両手で顔をマッサージした。
「正直、こんなに動けるとは思わなかったよ。お父さんとの組手はやっぱり足を気にしていたんだね……思い通りに動く足に違和感があったくらいだよ」
「先輩! 凄いです!」
「美影ちゃん……ありがとう」
きゃっきゃと飛び跳ねる美影と辟易するミルを残し、シルヴィスとステイプルトンは持ち場に戻る。
「いやー『ジェットとジャッキー』の対戦みたいだったな?」
少々興奮気味のステイプルトンがはしゃぐ。
「まあ、それは言い過ぎだろう……俺には『ドニー』が二人としか見えなかったな……」
二人の格闘映画談議は朝食の時間まで続いた。
この日、完全休養を小文字のZチームに宣言したミルだが、暴れ足りなかったらしく、美影と一緒に温室に入り、なにやら秘密特訓をしていたらしい。
一時間おきにプールに駆け込む二人の姿は昼過ぎまで見受けられた。
翌日は朝から予選が待っていた。
ちなみに、予選中の選手たちは特別欠席扱いである。
『文武両道? まあ、理想としては高く持つのが正しいけれど、長年見ていて、そんな生徒、百人に届かないわ』
理事会議に出席した学園創設者の発言で、最華学園はどちらかに特化することを目的に変更している。ゆえに特別欠席の生徒数は日本全国で最も多い。
ナナを例に出すと、ハルミンの後を引き継いだので任期は約三年だが、最華学園大学部の二年までの登校が既に免除されている。
ただ、復学までに相当量の勉強に励んでおかないと、簡単に留年するのも事実だ。
対戦相手はそんな『武』を特化した生徒で構成される小文字のFチーム。
高校球界最速優勝投手『マツザカ』やそれに次ぐ『マーくん』と肩を並べる速球投手を擁し、打者は全員が『バンチョー級』或いは『ナカタ級』と言われる爆発的な打撃を誇るチームである。
「……でも、センバツに選ばれなかったチームでもあるのよね?」
「ああ、校内予選でベスト4にも残れなかったチームだ」
相変わらずの超早起きであるミルが倉庫を訪れたのは午前3時半、しかし、この時期の札幌は既に明るくなりつつある時間帯だ。
倉庫にはシルヴィスの他に、太郎、三十朗、大の三名がいて、三十朗のみ起きてパソコン前に座っていた。
「あれ? 六郎くんは?」
答えるシルヴィスは苦笑いである。
「昨日のオヤッさんとの対戦で『二の手で勝つ』のではなく、相討ちを選択したことで随分説教したんでな……オヤッさんたちが甲子園に行く日まで、まだ間があるからと言って、山籠りに入った」
「そう……でも一人で大丈夫なの? 山ってどこの山? 北海道では夏でも凍死することがあるんだよ?」
「まあ、大丈夫だろ。俺も能力開花前……6歳くらいで既に親父を探しに山の中とか歩いていたしな……単純な突進攻撃がメインの羆や、集団噛みつき攻撃の野犬程度に負ける奴でもないさ。凍死するほど高い山でもない……多分」
「大丈夫ですよ、オヤッさん。取りあえず緊急事態があると困るので、携帯電話の通じる程度の山奥にいるように言ってあります」
三十朗がキーボードをガチャガチャ打ちながら会話に入ってくる。
「そう、それなら良いけど……ひょっとして太郎は昨日から寝っぱなし?」
「いや、一度起きたぞ。大に氷嚢を買いに行かせて、たらふく食ってまた寝たんだ。本人は『ジェット機だって12時間』云々という名言を吐いて眠ったが、とっくに12時間は超えているな……」
「なんか、悪いことした気になるね」
「それも大丈夫ですよ。太郎は痛みに弱いだけですから……大袈裟に反応して、皆に構ってもらいたいだけでしょう……あいたっ! 起きていたのかよ?」
「そんなんじゃねぇ……もう10年以上前の話さ……」
三十朗に氷嚢のひとつを投げ付け、一旦起き上がった太郎は、これまた名台詞を長々と喋り、毛布を被って寝てしまった。
「寝惚けていたようだ。聞かなかったことにしてくれ……」
「あんたの家族は皆こうなの?」
「……普段一緒に暮らしている訳ではないからなんとも言えんが、太郎の定時報告によると、妹と一緒にDVD観賞はしているらしいがな……」
「……妹さんを一人にしておいて良いの?」
今更ながら、シルヴィスの実妹の話が出たので訊いてみる。
「妹には既にパートナーがいるんでな。大丈夫だ」
これは許嫁や婚約者という意味ではなく、能力者としてのパートナーという意味である。
「昨日も電話で、俺が見たことのない『魔法美少女戦隊もの』みたいなアニメの話を二時間ほど聞かされたばかりだ……まあ、大半が内容の説明より主題歌を熱唱って感じだったがな」
またもや野球の話から逸脱してしまったが、その後シルヴィスが本日の相手の弱点を見抜き、作戦を説明した。
その作戦内容に聞き耳をたてていた三十朗が呆れる。
「なんというか……シルヴィス兄ちゃんの作戦は……本当に悪魔的だね?」
「まあ、相手がどんなチームかを分析して戦う時点で、大抵の作戦は悪魔的だ。弱点しか攻めないんだからな」
ミルも腕を組んで考え込む。
「オヤッさんが乱打戦をお好みで、Jチームとの対戦の時のように6時間も試合をして疲れたいんなら話は別だが、残りの試合の連戦を考えた場合、これが最適な作戦だと思うが?」
今日からミルのチームは四連戦なのだ。乱打戦で体力を削られるのは勘弁して欲しいと彼女もチームメイトも思っている。
「うん……あんたの言う通りだ。これ以上体力を削られた場合、いくらウチのチームが強くても、負ける可能性が高くなる……あたしたちは最低でも甲子園で優勝しなくちゃならないんだからね……」
三十朗が悪魔的だと表現した作戦は『とにかく、三回までに相手投手を使い物にならなくする』という彼らしい単純な作戦だ。
相手投手を疲れさせる方法として、球数を投げさせることと、バントして投手前に転がすことが挙げられる。
小文字のFチームはその方法を使われ、昨年秋の予選でも負けているのだ。
流石に彼らもバカではないので、反省もし、投手の育成もしてきたが、二番手三番手の投手はそれほどの実力がない。
「小文字のFチームの次は多分小文字のRチーム。そしてその次は何故かスーパーシードの大文字のKチームだ。ここまで勝たなければ、ベスト4に残れないんだからな」
「……そうだね」
そして、朝の9時から試合が始まり、作戦の実行をシルヴィスはテレビモニターでハルミンと観戦していた。場所はミドリの私邸応接間である。
「えげつない作戦だね? シルヴィスが考えたのかい?」
試合は順調に三回を終え、一人だけ信じられないくらいの疲れを見せる小文字のFチームのエース投手が守備位置交換でライトに回されたところだった。
「ああ、勝てと命令したのはお前と理事長だ。えげつなかろうが、卑怯だろうが、今の小文字のZチームでできる作戦はこのくらいのもんだ」
相手投手に対し、三回までに打者13人を送り出し、その全打者が粘りに粘って必ずスリーボールツーストライクまで投げさせフォアボールを選ぶか、スリーバントし投手を守備に走らせる。その徹底の結果、小文字のZチームが二回にスクイズで先制していた。驚異的な粘りを見せたのは美影で、ファールで粘って23球目をバントし、しかも走者として生き、先制のホームまで踏んでいた。その粘りの打者である美影の前で相手投手は交代になったのだ。108球を投げ続けた投手はライトの守備位置で膝をついてぐったりしている。
「休む暇を与えない。これが俺の作戦だ」
現在が三回表で小文字のZチームの攻撃中である。打順は4番からでワンアウトランナーなし。小文字のZチームの投手はこの間の二回を7球で終了させている。
「コントロールはZチームの方が上なんだね?」
「ああ、あの投手は速球派ではないが、手元で微妙に変化するボールを知っているんだ。あのボールを芯に当てて打ち返すのは初対面の打者には不可能だと思うぜ? 打者が一巡したあとからがZチームの投手は勝負だ。抑えきれれば、Fチームから点は取れるし、頑張れば7回くらいまでにコールドできるだろ?」
守備位置をライトに変えた相手エースに、容赦のない打球が飛んでいた。ファーストやセンカンドでは届かず、ライト定位置からは前進しないと捕球できないような打球である。
ライトで休ませてもう一度登板されるのが最も厄介だと考えたシルヴィスの案を、小文字のZチームメンバーは忠実に守っていた。
そして、彼女たちにはシルヴィスの作戦を忠実にこなせるバッティング技術がいつの間にかついていた。
「まあ、こんなもんだろ……」
4回の守備で小文字のFチームエース投手はライトの守備からも消え、好きに打ってよくなった小文字のZチーム面々の打線が爆発。この回だけで13得点し、裏の攻撃をホームランによる1点にとどめ、14対1でコールド勝ち。
「喫緊の課題は9回まで投げ切る体力と暑さ対策くらいだ。バッティングはもうFチームよりも上だと考えても良いくらいだからな。あとは不測の事態に備えて、控え選手の底上げくらいか……」
「私からも注文をひとつよいかな?」
「なんだ?」
「甲子園にコールドゲームはないから、今日みたいな作戦はできれば使わないで欲しい。乱打戦で6時間ずつ戦ってもバテない、精神力の強い選手育成を望むよ。半独立国家北海道の選手は正々堂々、正面から敵を粉砕するチームであって欲しいんだ」
「……わかった。そういうプログラムを組む」
シルヴィスは文句を言わずに練習プログラムの変更をその日の内に仕上げ、ミルに渡している。
「……本当に手間のかかる妹たちだ」
三十朗にタイピングとプリントアウトさせた資料を手渡したシルヴィスは、警護担当位置に向かいながら、この日初めて愚痴を呟いた。