シルヴィスの父親(故人)は自称格闘家で道場破り好きで女好き。
シルヴィスの父親(故人)は自称格闘家で道場破り好きで女好き。
目八は道場の床に転がっていた。
右手首の骨は確実に折れている。痛みによる全身の発汗の気持ち悪さと、生きようとする人間の本能がまだ彼の意識を保っているが、正直立ち上がる気力がもう残っていない。
実戦格闘技を売りにした立木流に限らず、実戦を謳う新参の道場には武芸者が頻繁にくるのだが、それは道場破りである。その人種の目的は様々だが、二流三流になればなるほど、小さな道場を狙う傾向がある。門下生が少なく、新鋭故にまだ固まっていない流派の決まりごとの隙をついて道場主を破り、名を上げようという輩だ。
ここでいう一流の武芸者であれば、まず、道場破りをしない。更に、やるならば門下生の多い老舗道場で百人抜きなどしてしまった挙句、師範代、師範、道場主を倒してしまう。
若い頃の目八はその一流に数えられ、数々の伝説を残しているのだが、そのたった数年後、自分で開いた道場の床に転がされていた。
相手は道場破りとして、これまで目八以上の戦績を誇る男だが、目八も一流の道場破りから自分で道場を開いた男である。勝てないまでも互角以上の戦いができると信じていた。
それが現在、杖を持つ利き手の右手首を折られて床に転がされ、身動きできずに男を見上げているだけとは情けない限りだ。
見上げる先にいるのは大男だ。腕を組んだままの姿勢で目八を見おろしている。
この男は道場に入ってきて勝負を申し込み、格闘している最中も腕組みを解かなかった。
体を捻ることにより肩で顔面への突きはブロックされ、腹や足元を狙った攻撃は蹴りで叩き落とされ、体を捻った際の勢いで腕組みしたままの肘が飛んでくる。その肘は杖での防御をしようとする目八の杖を握る手に向かってきた。一発目を受けた時点で小指の骨が折れ、数十発後には耐え切れなくなった手首が鈍い音をたてて折れた。その間肘だけではなく、起立接近戦の基本ともいえる膝も目八の腹に向かって飛んできていた。最初の数発を攻撃に使えた目八だが、後半は受け止めるだけで精一杯になり、カウンターなど狙えなかった。
「杖というのは槍や棒や薙刀に比べると身近なんだけどよ。今時修験者や托鉢僧でもない限り普段から持ち歩いている奴はいないよな? あえてその得物を選んだお前はもう少し修行が必要だと思うぜ?」
二十年近く経過してから娘が連れてくることになる傭兵と同じ喋り方をする大男。それは当然シルヴィスの父親であるが、実はこの男の名前がわからない。
正確には覚えることができない。何かの超能力が発動していることは確かだが、本人がそれを望んだ訳ではなく、どこかで他人に仕掛けられたものだと思われる。千近くの道場破りを無敗で成し遂げたこの男の『名』を後世に残さない為の呪詛の類であろう。
そして、当人はその事実に気付いているが、自分の名前を残すことなど一切考えていなかったので、解除しようという努力も生涯なかった。
「ちわーッス」
目八が倒され、大の字に転がっているその道場に門下生がきた。この場に運悪く現れたのは三人であり、構成は男が一人に女が二人だった。
道場の扉を開けた瞬間に三人が杖を袋から出し構えた。本来であれば道場に入る前に気付くべきなのだが、三人共そこまでの能力を有していなかった。
男の名は刀一女の名は刀燦一の妻である。残った一人はメイヤという目八の婚約者で、全員が門下生であった。
「お前! 目八になにをした!?」
凄む一を一瞥し、大男がニヤリと笑う。
「……確か、この道場は強いのが三人いると聞いたが……お前もその一人だよな?」
目八は視線をそちらに向けるだけで精一杯であり、声を発することもできない。
逃げろと視線に込めてみたが、一はおろか婚約者のメイヤにさえ間違って伝わる。
「ハジメちゃん!!」
燦の声が合図になり、一が杖を打ち込む。大男は余裕でかわすが、それが最初から一の狙いであった。メイヤと燦も杖を構え、取り囲むことと目八の救出にとりあえず成功する。
だが、これが勝利に繋がる包囲作戦にはならなかった。
一はこの時二十三歳であり、門下生の中で最も年上で血気盛んな若者である。二つ年下の燦と結婚したのは二年前で、三人の男の子に恵まれている。ちなみに長男と次男は双子であった。目八の杖術に興味を持ち、ゴルフ場の真ん中にある母屋と道場を提供したのは一だ。若くして死んだ両親の後を継いだ一はここのほかにゴルフ場を二つと登別に温泉施設を三つ、ニセコにスキー場を二つ持っている大金持ちだ。
メイヤは十八歳の女子高生。なんの因果か最華学園に格闘技講師として招かれた目八に一目惚れし、婚約を果たしたのはつい二週間前のことだ。
そして、どうやって目八を倒したのか定かではない大男はどう見ても四十代の後半にしか見えない。十代二十代に有り勝ちなことだが、年齢的に倍にもなろうかというオッサンに負ける筈がないと考えてしまう。それはサラリーマンをしている父親やその辺の電車の中で会うオッサンたちより、一も燦もメイヤも強いだろう。しかし、眼前に立つ大男はサラリーマンなどしたことのない、自称格闘家で、無敗の伝説を持っている男だった。
現在道場にいる五人のほかに、あと二人の人物が道場に向かっていた。
一人は最華学園の男子部剣道部主将の高橋カズマ(たかはしかずま)十七歳。そしてその恋人で同じく十七歳の生徒会会長鬼戸エリ(おにどえり)である。
大男の言う強い三人とは一とメイヤとカズマのことだった。
二人が一たちより後方を歩いていた。その距離は一キロ弱。
一たちが大男との戦闘を開始している頃、カズマとエリは道場と目八の自宅の見える門をくぐったくらいであった。
「ん?」
楽しく青春話に花を咲かせていたカズマの表情が引き締まる。道場の壁を突き破って人間が飛んできたからだ。その人物は彼らのよく知る先輩で同門のメイヤであったのだから尚更だ。
「メイヤ先輩!」
カズマは叫びつつ袋から杖を抜き出し、地面に叩きつけられ意識を失ったメイヤの救助をエリに任せ、道場の入り口に走る。
「ハジメさん! 燦姉さん! 師匠!!」
一たちとカズマの距離は一キロ弱しか離れていなかった筈である。それなのに道場に駆け込んだカズマが見たのは、倒された兄弟子と師匠の姿だった。師匠である目八が先に倒されていたのだとしても、時間にして三分弱の間に先輩たちが全員倒されるなどありえなかった。
そして、ゆっくりと振り返る大男はカズマの感じたことのない闘いの気を纏ったオッサンである。師匠と兄弟子たちがこの大男に傷ひとつつけられていないのにも驚く。これまでにも何回か道場破りに遭遇しているカズマだが、こんな圧倒的な敗北は信じられない。
実力的に数段上である師匠の目八までが倒されているのだ。
更にカズマを驚愕させたのは、その大男がなんの得物も持たない無手だったことである。
緊急事態で道場に駆け込んだカズマは自分の失敗を瞬時に反省した。彼は通学用の革靴のままで道場に上がっていたのだ。
板の間である道場に革靴ほどふさわしくない履物はあるまい。靴を脱いでも今度は靴下が滑る。振り返った大男は靴を脱ぐ時間も裸足になる時間も与えてくれそうになかった。
カズマの判断で正しいのは、師匠と兄弟子たちの救出より、滑らない足場を確保する為に道場から出たことだけだった。
「この道場は美女軍団かよ?」
オッサンの発した言葉の意味はその通りだったのだとカズマは思う。燦、メイヤ、エリの三人は道場門下生のアイドルであり、憧れの的だったのだ。通常の剣道場や柔道場はもっと男臭いイメージが強い。杖という武器が存外軽く、女性でも扱いやすいので、女性門下生も多いのがこの道場の特徴だった。
普段から何故裸足で歩いていなかったのかとこれほど痛切に思ったのは、カズマの生涯でこの一日しか用意されていなかった。
外に出たが、そこも石畳だったからだ。これも革靴には不向きだ。
更には外に吹き飛ばされたメイヤと、救助したエリがまだその場にいる。
「ちょっと格闘技を齧ると『逃げる』という選択肢をなくすのが、若い格闘家紛いには多くてかなわんな……」
大男の呟きが足場を探して走るカズマの耳に届いた。
「格闘家紛いだと?」
「ああ、格闘家が一流になれば、逃げるのも姿を隠すのも上手いものだ。戦わなければ負けることもないからな……そういう意味で不敗伝説は作れる。金があれば情報操作をおこなって負けたことを隠すこともできる。世界中探しても不敗は結構いるんだが、本当に不敗は一人もいねぇのが現状だ。お前たちのような駆け出しの格闘家紛いが逃げるという選択を失っているのは嘆かわしいことだと言ったのだよ」
これはこの大男が本当に不敗伝説の持ち主だから言って良いことで、他が言ってもまったく説得力がないだろう。
カズマは土の出ている足場を見つけ、そこで足を止めた。
振り返ると石畳の上に大男は立っている。
カズマの構えは杖の端を持ち上段に構える剣道の構えで、杖道や杖術にはない構えだが、杖を木刀や竹刀のようにコントロールすることは難しい。
「フム……邪道に邪道を重ねることによって得る一流を模索中だったか……なかなか見どころはあるようだな……しかし、それだと一撃で俺の頭を割りでもしない限り、お前の勝ち目は薄いぜ?」
大男は腕組みをしたままで、カズマの杖術の弱点をさらりと言ってのけた。
目八と兄弟子たちは普通の構えからの攻撃を全て凌がれ、反撃により負けたと判断できる。それではこの大男に勝つ杖術はないことになる。目八も他の高弟たちも見せなかった技で活路を開くしかカズマに選択肢がなかったのも事実である。
「ん? 無謀な……」
大男の感想は後ろにエリが回り込んだことに対するものだ。この時点で初めて大男は腕組みを解き、体の向きを対面ではなく半身に変えた。顔はカズマに向いたままだ。
「まあ、逃げないならば、いつでも良いから打ち込んでこい」
その挑発ともとれる言葉にカズマは乗らなかった。
エリがカズマの援護の為、打ち込むような素振りをするが、大男はエリの方を向かない。向けばカズマの渾身の一撃が頭の上から降ってくることは読めている。そして、振り向かずともエリの一撃が当たらないという絶対の自信を大男は持っていた。
通常、これだけ大きな体を持つと、どこかに隙があるものだが、カズマにもエリにもそれが見いだせない。
カズマの優位性はその射程距離だけである。打ち込んだ際に大男が蹴りでカズマの手首を狙っても当たらない距離が杖の長さにはある。しかし、瞬時に二歩間を詰めての蹴りであれば、蹴り放題という距離でもあった。
師匠と高弟を倒したことからも、この大男が並の武芸者でないとは推測できるのだが、カズマもエリもその技をひとつも見ていなかった。故にその素早さや力の強さは想像しかできていない。それは大男も同じだが、彼には相手の実力を見抜く目と経験が豊富にあった。
結局先に打ち込んだのはカズマだ。同時にエリも動く。
しかし、大男は動かなかった。いや、正確にはだらりと下げたままだった腕が動いている。大男は風切り音のみでエリの放った後頭部狙いの本手打ちを右手で掴み、視界に入るカズマの上段からの打ちおろしを左手でそっと触って軌道をずらした。
「エリ! 放せ!!」
カズマが叫んだ瞬間にエリは杖を放そうと頭で思ったが、大男が杖を引っ張りエリを射程距離に収めるのが先だった。バランスを崩したエリの腹に大男の左膝が入り、成す術もなく崩れ落ちる。
「くっ!!」
カズマは自分の杖を引き上げ上段に戻すので精一杯だった。その間に大男は体の向きを戻し、腕をまた組んだ。つまり、大男の後ろで気絶したエリが転がっていることを除けば、エリが後ろに回り込む前の状態に戻った。
そして、大男の軸足である右足は体を回転させた時に動いただけで、その場から一センチとずれていなかった。
それでも、カズマは実力差を恐れずに立ち向かう勇気ある少年だった。
間髪入れずに再度杖を振り下ろす。
大男はその軌道を既に読んでおり、体を捻ってかわす。
そこまではカズマにも読めていた。
振り下ろした杖を再度振り上げる暇はない。カズマは杖術でも剣道でもない技をここで使う。それは振り下ろした杖尻を右足甲に乗せ、蹴り上げるというものである。杖先はちょうど大男の面前にある。足を動かさずに腕組みしたまま余裕でかわしたのを後悔させてやろうと思ったのだ。振り下ろされた杖なり竹刀なりが跳ね上がって顔面に戻ってくるような格闘技はないだろう。
流石の大男もこれは読めなかったようで、足が後ろに下がる。
ただし、この時点でカズマは杖を放り出している訳で、蹴り上げた右足も着地には至っておらず、攻撃手段は空いた両腕によるものになる。
蹴りで反動がついた体が自然に回転し、カズマは杖術でもなんでもない喧嘩での裏拳を放った。勢いがあったのでそれは身長差のある大男の顔面を捉えるかに見えた。
「フンっ!!」
大男の気合いの入った左足が石畳の端を踏んだと見えた途端、石畳が跳ね上がる。
「なっ!?」
それは俗に言う『畳返し』である。しかし、それは畳でやるものであって、石畳でやるものではない。
跳ね上がった石畳は大男の顔面の前を通り過ぎ、カズマの伸ばしていた左腕に直撃する。
カズマの拳は大男の鼻先を掠めただけだ。
「まったく……俺がガイジンじゃなくて良かったぜ。あと一センチ鼻が高かったなら直撃だったかもな。しかし、俺を一メートル以上下がらせたのは敬意に値する若者だ。この一敗を期に将来大物になることを望むぜ?」
石畳が跳ね上がったその下から、大男の左足が砂埃に紛れ一瞬見えたが、カズマはその蹴りを股間に喰らい、無様にも気を失った。
石畳が地面に落ちる頃には、立木流杖術の精鋭は道場主を含め全員が気絶していた。
大男はカズマを持ちあげ道場に放り込み、代わりのように道場から燦を連れだし肩に担いだ。そして、崩れ落ちたエリを逆の肩に担ぎ、まるで軽い荷物のように右手にメイヤを持った。
「最近持て余し気味なんでな。ちょっと借りていくぜ」
気絶した男三人にそう言い、大男は道場を後にした。
エリとメイヤが発見されたのはそれから半年後のことで、燦は更に半年後に見つかっている。
彼女たちを連れ去った大男がなにをしたのかは一目瞭然で、その夫と婚約者と恋人である男三人は死に物狂いで大男を探した。だが、大男が自分で語ったように、同じ札幌市内に住みながら、超一流の格闘家である大男の所在を誰も掴めなかった。
これは二十年近く前の話であるが、ここに学園理事長とそのパートナーである永遠の女子高生はでてこないし、シルヴィスと冗談を言い合う異世界の王藤村もいない。
それは、時折彼女たちは『地球上にいない』ことがあるからだ。この事件発生時、揚子江とミドリは異世界を探索中であり、藤村はその案内役をしていた。
つまり、この時期の北海道は手薄であり、もしも征服を企む者がいたならば、最強の能力者を相手にせずに済んだのだが、その企みを持つ者はたまたま存在しなかった。
シルヴィスがミルとナナに言ったように、能力者は万能ではないのだ。
そして、メイヤからミルが生まれ、エリからハルミンが生まれ、燦がナナを産んだ。
この立木流道場壊滅事件前の一週間以内にこの二つのカップルとひとつの夫婦は偶然にも全員が性交渉を持っている。故に、見つかった女性たちが全員妊娠していてもおかしいことではなかったのだが、口をつぐみ続ける女性たちがどういう扱いを大男に受けたのかは明白だ。
そして、二十年前といえば、現在元知事になっているホーリー達也が半独立など掲げずに知事に当選した年であり、その翌年には『中絶禁止条例』が施行されていた。
半独立を掲げていなくとも、ホーリーは改革路線の知事であったのだ。
『どのように未熟或いはバカと言っても差し支えない男が父親であろうとも、生まれてくる子供に罪はなく、子供は宝である』これがホーリーの言い分である。
ただ、彼の政策はもちろんそれだけではない。
強姦罪の厳罰化は死刑に至り、育児放棄の兆候を見出すシステムを研究させ、両親から子供を取り上げ北海道の責任で育てるシステムを構築もしている。
事件について口をつぐんだ三人の女性とその夫たちから大男が訴えられることはなかった。これは大男の名前も所在もわからないからである。異世界から帰還した揚子江やミドリの能力を持ってしても掴めなかった。
事実として、シルヴィスが本名を名乗り最華学園小等部に入学しても、誰一人大男の息子だと気付かなかったくらいだ。
更に、強姦されたであろう女性三名が頑なに血液判断やDNA調査を拒んだのも理由に挙げられる。彼女たちは口を揃え『この子は夫の子です』と言い張った。
そんな訳で、未だにミルたちがどちらの子なのかは科学的には判明していないのだ。
藤村はその大男の存在を知っていたし、名前を覚えられない術の影響も受けなかったのだが、全ての人間の味方である理由もなく、観察対象のひとつとして大男とその息子を監視していたに過ぎない。藤村にとって少し厄介な能力を持つ揚子江に対しては事実を報告しているが、それ以外でミルたちの出自に関する真実を知る者はほとんどいない。
シルヴィスがその事実を知ったのは、父が死ぬ前日であった。
この頃のシルヴィスは少し普通ではないデカくて強い人間であり、異能力に目覚めていたとは言い難い。ハルミンは幼少時から政治に興味がある天才で、ミルも天才剣道少女として有名であり、ナナは大金持ち刀一の娘として社交界で才能を磨いていた。それに比べるとシルヴィスの開花はおそろしく遅い。
そして、これは補足になるが、ナナがハルミンやミルより一歳年下であるということだ。彼女たちの生誕は同日であるという説もあるが、それも母親たちは否定している。ハルミンとミルは三月二十日と二十二日が誕生日であり、ナナは翌月の十日ということになっているのだ。これは単純に年度の差であり、彼女たちが生まれた年は同じ年だ。更にナナのみは発見された時、母親の体内からでており、少々錯乱気味だった燦の供述があいまいで正確な誕生日は判っていない。
シルヴィスの父である大男が一体全体どのような超絶美技で三人の女性を籠絡したのか、その真実を知る術は永遠に闇の中であるらしい。
更に蛇足だが、大男の蛮行はこれだけではなく、シルヴィスは後々度々今回の三名以外の異母妹たちに振り回されることになる。何故か男の子はシルヴィスしか生まれていないのも不思議なことに数えられるかも知れない。
シルヴィスはこの父親の不始末の結晶を『手間のかかる妹たち』と呼び、実妹を『金のかかる妹』そして、彼が思う血の繋がらない家族を『金のかかる家族』と呼称する。
シルヴィス・ウィンザールが妙にマニアックな件。
シルヴィスは武装テロリストによる発電所事故を終息させる為、ハルミンに雇われ、原発を氷の缶詰にしている。
藤村曰く『金の亡者』であるシルヴィスは、その翌日に代金を受け取りにハルミンの私邸を訪れていた。
彼が格安料金で彼女の依頼を引き受ける理由は前述の通り『手間のかかる異母妹』の援護は惜しみなくするという彼なりの贖罪の意味も含まれている。
「じゃあ、確かに料金受け取りました……っと、領収書は必要か?」
黒いアタッシュケースに入った今回の料金を受け取ったシルヴィスは、思い出したようにハルミンに訊いた。
「いや、私のポケットマネーというやつだから、必要ないよ……正確にはお父さんに出してもらったが正しいんだけどね」
カズマはシルヴィスの父を追い山奥を探索中に金鉱脈を見つけ『北海道一人ゴールドラッシュ』という現象を引き起こし、刀家と並ぶ程の財産を築いていた。
「……そう言えば昔『金ライター(ゴールドライタン)』というアニメがあったな……俺ならどんな優れたAI搭載のロボでも、溶かして金塊に変えて売るとか思ったものだ」
「……君は時々、私の頭にまったくないことを思い付くよね?」
「そうか? まあ、俺の頭の中には結構訳のわからない情報が詰まっているとは思うがな」
藤村と違い、ハルミンの頭はそれほどDVD観賞に記憶力を割いていないので、時々シルヴィスの言うことがわからないことがある。
「それはそうと……今回のテロリストの猛攻で、テロリストと原発の恐ろしさを再認識し、原発の安全神話が完全に崩されたと私は考えるんだけど、君の見解を聞かせてくれるかな?」
「ん? 原発は安全だぜ? 想定内の外敵にはな……想定以上の人災に強い原発を作れば、なんの問題も起きていないだろ? 未来に残すべき現代の技術力を『無駄な事業』の一言で片づけるような政府なら、そいつらはせいぜい近い将来……つまり、てめぇが政治家でいられる時間内のみ良ければオッケーとか思っていると思われても仕方ねぇな」
「随分と中央政府に対してキツイ言い方だね?」
「そうか?」
「うん。じゃあ、君は現在野党の前与党が政権を握った方が良いと思うの?」
「ん? いんや、それも駄目だな。政治は変化し続けるべきもので、その時の国民のニーズを考えるのはもちろん、遠い未来に生きる人々から感謝されるような政策を実行できなくてはならない。考えられる限りの最高の案でなくては、技術の進んだと過程される未来人には認められないだろうが、その時の最高であれば、一生懸命やった過去人を笑う未来人はいないと俺は考える」
極悪非道の父親の血が一体どこに入っているのか疑問に思えるほど、シルヴィスは外見以外が父親に似ていない。ある意味フリーダムな考え方は似ているが、父親は自分の快楽と欲望の為のフリー宣言であり、シルヴィスは人類のことを深く追求し考えるフリーである。この正反対の自由度を与えた彼の母親とは一体どのような人物なのだろうかと知りたくなるが、その資料はまったく存在しない。時折シルヴィス本人かその実妹が語るイメージでしか彼女は確認されていないような、影の薄い人物であったとされる。
「フム……流石に君の考えは深いね……私の政策も突飛だとよく非難の的にはなるけれど、正直言って、今回の原発の件で私はどちらにつこうか迷っているんだよ……安心安全、完全リサイクルで絶対クリーンな発電システムとはなんだろう?」
そのハルミンの発言を聞いたシルヴィスは彼らしくない仕草で首をかしげた。彼らしくないというのは妙に可愛い仕草などを指す。この巨体でそのような仕草をされても気持ち悪いだけなのだが、ハルミンはこういう仕草をするシルヴィスのギャップを妙に愛していた。
「シズマドライブじゃねぇのか?」
「……なんだって?」
即答された答えの意味がまるでわからない。ハルミンの頭の中には存在しない単語だった。
「俺はな。人間が考えられる空想は全て実現できると信じている方なんだ。どんなに荒唐無稽に見えても、誰かがそれを実現できる能力を必ず有していると信じている」
「……アニメとか特撮映画とか、SFものの話かい?」
「ああ、アニメだ。そんなにマイナーでもないと思うんだが……今度『LD』を貸してやるよ」
「……レーザーディスクなの?」
「DVDボックスも発売されているはずだが、ちょうど日本にいない時に限定発売だったらしくてな、俺はわがままだから、DVDボックスを中古やオークションでは買わない主義だ」
「いや……それ以前にLDのデッキなんてウチにはないよ」
「そうか……では、妹のところに使っていない『新品』デッキがまだ『数台』ある筈なので一緒に送ってやる。それを完成させる科学者がいるならば、原発はいらん。そういう話だ。できれば全て見て感想のひとつも欲しいと思うが、その荒唐無稽のシステムを論ずるだけなら、バトルシーンと人間ドラマは飛ばしても構わんだろ。俺の知り合いの異世界人(藤村のこと、この当時ハルミンは藤村と面識はない)に見せたら大ウケだったぞ? まあ、その実用案以外の案を持って脱原発とか叫んでいるのは好きにさせておけ、脱原発と叫ぶだけなら誰にでもできる。問題は節電ではなく、節電せずに済む方法だ。この国はまだおとなしいデモ行進くらいで済んでいるが、国が違えば暴動化或いは内戦レベルの重要な問題だからな。この数十年で世界は電気なしでは生きられなくなっており、それに代わるエネルギーの理論も発明も実用化もない。俺はそれがあるならば脱原発派であるし、ないならば『安全』な原発を作る推進派だ。反対派は何も生まないというのが俺の考えだ」
ちなみに、シルヴィスがビデオとDVDの合間に一瞬生産販売されたLDデッキを未だに使用しているのには理由がある。それは機密文書の保存用としての使い道だ。現在の技術であれば当然DVDかUSBメモリー等に保存するのだろうが、彼の職業は機密情報を扱う傭兵なのだ。傭兵は戦場に派遣されて戦うだけの存在ではない。そんな『誰でも』閲覧できるソフト、ハードを使っていては盗み放題、コピーし放題でリークスに情報だだ漏れ、チューブに投稿し放題である。
シルヴィスが傭兵になる前はバーチャルボーイ(任天堂)或いはプレイディア(バンダイ)というゲームソフト内に機密文書を隠す傾向があったが、いかんせんソフト(カセット、CD)が小型で、盗まれても気付かないというリスクがあった。LDはLPレコードと同サイズの為、盗むにしても持ち運びに不便で目立つ。それが最大の武器である。
盗難防止の為に紙に印刷し量を膨大にするのも良い方法だが、シルヴィスの所属する傭兵派遣会社ではLDが主流だった。
「我が北海道にも原発はまだ三機存在するね。もう現存する危ないかも知れない原発に対する君の意見は?」
「止めて無用な混乱を道民に広げるのが得策だと思うなら、停止を命じて解体しろ。そして新しく安全な原発を作れば良いだろ? そうだな……お前が死んでから五百年後の未来の人々が驚嘆するような原発を作れば良いんじゃねぇか? その頃には原発を越える発電システムくらい未来人が作っているだろ? 繋ぎとは来年までのことではなく、まさしく未来へ繋ぐような案でなくてはな……子供たちの未来を語る奴には孫の未来を説き、孫の未来を語る奴にはひ孫の未来を説け」
「シルヴィス。君は政治家になれば良いんじゃないかい?」
「……傭兵より儲かるなら考えても良いが、俺は『仲間』以外とはあまり喋る気がしないんでな。人間の命をゴミ屑のように扱うという意味では政治家も傭兵も大差ないし、悪くはないが、俺にはやはり傭兵が向いている気がする……どうした? 自信を失くしているのか?」
ハルミンが他人の前でこれほど弱みを見せることはほとんどない。威風堂々という彼女のイメージとは違う姿はシルヴィスの前でのみ見られる光景だった。
「これから先が思いやられるというだけさ。私の発言ひとつで中央政府と喧嘩になる可能性も否定はできないからね。今更ながら重責に耐えられるか疑問に思えてきたのさ」
「……お前がどんな突飛に見える案を出し、道民全てから匙を投げられても、俺はお前の考えに賛成してやる。俺にはそれと暴力的なこと以外に手伝ってやれることはない。それにお前が一人になることはないだろうぜ? オヤッさんとキリ嬢は必ずお前を信じてくれる。仲間が一人でもいるなら、お前は信じる道を突き進め……俺に言えるのはそれくらいだな……LDは明日にでも届けさせる」
そう言い残し、シルヴィスはハルミンの私室から出て行った。
一人残ったハルミンは考え込みながら椅子に深く腰を降ろす。
「ふぅ……『異母兄』でなければ惚れるところだったよ……危ない、危ない……ミルとナナはあまり近付けない方が良いと判断しよう……彼女たちも『異母妹』だからな……待てよ……それはそれで禁断っぽくて所謂『萌え要素』なのか? 深いな……」
そんなどうでも良いことを考えながら、件の『屋上原発案』を練り上げたハルミンであった。
その後、ハルミンが萌え要素とやらを思い直したのか、特別機撃墜事件が発生するまでの間に、シルヴィスがミルとナナに接触した記録はない。
そのシルヴィスが、藤村以外と喋る時でもかなりの確率で用いるマニアックな言葉は、話の腰を折るのには最適と言える。真面目な話題でも相手はその言葉の意味に気をとられてしまうからだ。それが例え拳銃を向けあっている場合でも、シルヴィスの口調に変化はなく、言葉の破壊力は抜群に強い。
これを彼の持つ特殊な能力のひとつに数える者もいるが、単純に彼の性格であるという者もいる。しかし、生涯に渡りこの性格を貫いた彼は、ただの一度しか銃弾による重傷を負わなかったという。
その意味不明能力による支えと助言を受けながら、ミルは甲子園に出場する為の北海道予選を勝ち抜かねばならなかった。
「一応、野球で勝つ為の作戦はこんなもんだろう」
ミルは手渡された資料の多さに驚く、それは彼女が普段学園で使う国語辞書より厚かったのだ。
「これなら『経済学者の本』を読んだ方が甲子園に近いとか言うなよ?」
「……あんた、最近のものも見ているんだね?」
資料の厚みに驚く感情より、シルヴィスが過去ではなく現在に近い作品も見ていることにミルの感情は優先された。これも話の腰を折るには充分すぎる会話だ。
「あのな……前にも言ったかも知れんが、俺は良いものは良いし、面白いものは面白いと思う人間だ。それが流行かは別だがな……例えば『カエルの軍曹がいつまでも地球を征服できない話』や『神と未来人と宇宙人と超能力者と一般人(?)の作った部活動記録』みたいなものも面白可笑しく読んでいたり見ていたりするんだぜ?」
「あんた……オタクだよね」
「まあ、テレビ番組や映画を見た本数と記憶量の話であるならば、そうなるだろうな。しかし、一括りにオタクと言っても相当な種類がいるからな。俺がどこに所属するのかは俺自身にもよくわからん」
「……あんたが秋葉原とか歩いているのは想像しにくいね」
「たまに行くぞ? かなり『浮く』けどな」
「なにしに!?」
「そんな驚かんでもよいと思うんだが……仕事の依頼をそういう場所でする人間もいるし、打ち合わせがメイドカフェの場合もある。まあ、今の会話の流れだと、俺が美少女フィギュアを買いに行くとか、アイドルグループの握手券を求めてCDを買うとかだろうが……握手券はともかく、限定品のフィギュアなら何度か買いに行ったことがあるな……友人に頼まれてのことだがな……」
「……あんたの友達?」
「ああ、前にも少し触れたかも知れんが、知事暗殺計画の全容を調べる為に五人ほど学園生のハッカーを使ったと言っただろ? その中の一人は俺の親友にして、後輩で幼馴染なんだ。そいつは学園内では幽霊学生扱いの引き籠りで、基本的に家から出てこない。たまにそいつに頼まれて買いに行くという意味だ。奴の美的感覚は、俺には理解できんのだがな……」
「あたしの近くにそういう人種はいなくて、前から誰かに訊いてみたかったんだけど……美少女フィギュアってなにをして遊ぶものなの?」
「……さあ……俺もよくは知らん。奴の場合は飾っているだけだな……眺めてニヤニヤしているんじゃないのか?」
「……き……気持ち悪いよ?」
「そうか? まあ、そうかもな……ちなみにこんな奴だが」
シルヴィスはいつも大事に胸ポケットにしまっている手帳を取り出し、その中から写真を一枚出し見せた。
「あれ? かわいい……」
かなり傷んでいる集合写真で、シルヴィスが差す少年の顔はミルが表現した通りに可愛い。目立つのは髪の毛で、眉毛も含め全てが金髪であった。他に黒衣の少年と天然パーマの少年、それに小さな女の子が写っており、それがシルヴィスの言う『金のかかる家族』のほぼ半分に該当する。あとの半分はまだ生まれていなかったり、知り合いですらなかったりする。
「三年くらい前の写真だが、そんなに顔も体型も変わっていないはずだ。髪はこの頃より伸びてロン毛だがな……ちなみに高等部の生徒会長でもある」
「え? いくつなの? いや……それ以前に引き籠りなのにどうして生徒会長?」
「オヤッさんと同い年だな。生徒会則に『引き籠りの生徒は生徒会選挙に立候補してはならない』という文言はないはずだが?」
会則に書いていなければ例外で認められるというのは屁理屈だが、シルヴィスが言うと尤もらしく聞こえる。
「そう言えば……ナナが引退したあとの生徒会長がリコールされたって話を聞いたことがあったな……」
最華学園の生徒会には、生徒会不信任案の提出という制度がある。ナナが高等部生徒会長を務めた時にはなかったことなのだが、その後生徒会長に就任した男があまりに酷かった為に行使されたことがあり、その対抗馬が高等部に上がってから、いや、それ以前から学園に籍だけ置いている少年の手に渡ったというのは噂程度にミルも聞いていた。
ちなみに、副会長以下の役職は生徒会長が全て任命するので、副会長や書記、会計等の選挙はなく、会長がリコールされれば、自動的にその役職者は職を失う。
「こいつの情報収集能力は半端じゃなくてな。実を言うと先日言った全国の高校野球部を全て調べたのもこいつだ」
このシルヴィスの発言辺りで、ようやく本題の野球の話に会話は戻る。ミルの頭の中で、可愛い男の子の写真なんぞ見ていても、野球は上手くならないという警告音が鳴ったのだろう。
「ちなみに、この資料もその彼が作ったの?」
「ああ、それは口述筆記してもらった。俺のデカイ手はキーボード入力には不向きなんでな。体格、体力のハンデ克服法から試合中の駆け引き方法まで、考えたのは俺だ。先ずは練習方法の欄を暗記する勢いで頼むぜ? 俺が監督してしまうと高野連が五月蠅いんだそうだ。まだ学園内予選までは大目に見てくれるそうだがな」
シルヴィスが立木流杖術道場を勝手に対策本部打ち合わせ場所に指定してしまったので、目八はしばらく道場門下生に休みを言い渡す羽目になった。
学園内予選は52チームによるトーナメント戦で、開催は二週間後に迫っている。
「ベスト4までが北海道予選に残れるんだっけ?」
北海道の出場枠は三である。南北大会は廃止され、代表校は全道大会三位までの成績のチームに与えられる。それにはまず校内予選で四位までに入ることが絶対条件だった。
「ああ、だが、全部勝ってもらうからな」
「なんで?」
「それはオヤッさんのチームが全員女生徒だからだよ。迂闊に三位で通過だと『当たり前』っぽいだろ? それだと全国にいる強豪にマークされちまう」
「三位なのに?」
「ああ、さも『偶然』勝ち上がったように見せなくちゃならねぇ。女だけのチームがマスコミの情報操作と人気、勢いだけで勝ち上がったように見せるのが作戦だ。そうすることで、相手に油断が生まれる。勢いさえ削げれば勝てるという思い上がりを作るのさ。実力を隠すのによく使う手だ」
「……あたしのチームって実は強いの?」
「まあ、これからの練習次第だけどな……練習メニューを全てこなしてくれ。それができればオヤッさんのチームは世界でも通用するぜ? ああ、それとこれな」
そう言ってシルヴィスから渡されたコピー紙は校内予選トーナメント表だ。
「……初戦がJチームなの!?」
一回戦の対戦相手が春のセンバツで準優勝したJチームだった。
「センバツは勢いで準優勝したと思われがちだが、見る目のある奴が見れば、その実力に気付いて研究しているはずだ。その実力あるJチームが『初戦で油断』したように見せてくれ。結果だけ見た人間が『ああ、最華学園ってのは、実力ではなく、運で勝ち進んだんだ』とか思ってくれれば儲けものだ」
「そういうシナリオがあるなら、校内予選だけでも免除してくれれば良いのに……」
「そういう案は理事長と前知事が嫌うぜ?」
「まあ、そうだろうね……これ……やっていれば勝てるのよね?」
分厚い資料を憂鬱そうにパラパラめくる。
「多分な。しかし世の中に絶対はねぇよ」
シルヴィスがハルミンに頼まれて作ったシナリオと、ミルに頼まれた練習方法と試合の心得の完成度は高かった。
翌日からミルはそのチームメイトと共に練習を開始している。
「……ここでの練習を提案したのはシルヴィスさんですか?」
知事公邸に居を移したナナは公邸前庭に急遽造られた野球場を眺めながら、隣に立つシルヴィスを仰ぎ見た。
知事補選再選挙は先週終了し、麻生とカトリーヌの考えた作戦を実行してナナが再選挙を制し、正式な北海道知事に就任した。ナナが知事公邸に移ったのは昨日である。その時にはシルヴィスとミルは既に公邸の一角に合宿所と野球場を作って勝手に住んでいた。
打ち合わせ場所がミルの実家では道場の閉鎖で目八が干上がってしまうし、学園からかなり離れた場所での練習は時間がもったいないとシルヴィスが判断したのだ。
「ああ、ここならオヤッさんとキリ嬢の護衛も同時進行できるからな。藤村さんがいれば良かったんだが、あの人の治める国も結構内乱が多いんだそうだ。昨日『向こうの世界』に帰っちまったんだ……」
「揚子江さんはいらっしゃらないのですか?」
「ああ、あの人はちょっと別件で……北京の下調べ中だな」
「中国ですか?」
「ああ『娘と息子』を連れて視察中だ」
「……あの方、結婚しているのですか?」
「ああ、離婚もしているがな……まあ、結婚して十年過ぎても自分の嫁が年を取らなかった場合、いくら鈍くても気付くだろ?」
「なるほど……年齢を重ねないというのも色々弊害があるのですね。北京……来年のオリンピックですか?」
「ああ、キリ嬢も知っていると思うが、揚子江さんは北海道のみを守る守護者だ。本来は北海道という土地だけ守るのが仕事なんだが、例外として人を守る場合がある……」
「オリンピック出場選手の中に護衛対象がいるのですね? 北海道在住のオリンピック選手……冬季であればすぐに思い付くのでしょうが、夏季オリンピックに北海道から選手が選出されるのをあまり記憶していません」
「ありゃりゃ……キリ嬢はサッカーに興味なしか?」
「サッカー……野球よりもルールを知りません」
そう言いながら記憶を巡らせたナナの頭に学園生が二人ほど浮かぶ。
「なるほど……『ミノル先輩とカズヒコ先輩』ですね?」
「……一応『しんふう』も入れてやれよ……三人は前知事と同レベルの保護対象者に指定されているんだ。キリ嬢とオヤッさんは俺一人で充分だと判断されたようだぜ。まあ、北海道から出て本州に行く場合は護衛者が学園か俺の所属する傭兵チームから選抜されるんだがな」
ナナの思い出した二人は最華大生であり、フル代表の選手でもある。
「……仇討の為のステップ。政治失脚を担う私は知事になりました。甲子園での優勝を義務付けられたミル先輩はどうでしょう?」
「そうだな……俺が資料として貰った小文字のZチームのメンバーはあれでベストだろうよ。細かいことを除けば、体力面で全国の高校野球チームに負ける素材ではないな」
公館前庭に急造されたグラウンドにその選手たちの姿は見えない。
グラウンド横にこれまた急遽造られた宿舎の奥、場違いにもほどがあるだろうという『ビニールハウス』が二棟あり、そのひとつから水着姿の選手たちが顔を真っ赤にして飛び出して来るところだった。
最近少し平均気温の上がった札幌だが、プール開きには早過ぎる季節だ。
「……なんですか? あれは……」
「ん? ああ、あれは『暑さ対策』なんだが……」
「……水着で野球をやらせるつもりじゃありませんよね?」
その言を受けたシルヴィスが真顔で考え込んだ。
「禁欲生活の高校球児に、それはなかなか刺激を与えられる攻撃方法だな……」
「冗談ですよね?」
「……ああ、冗談だ」
その間は冗談ではなかったのかも知れない。
「もちろん水着で野球なんてさせないさ。素肌に硬式球の直撃なんて受けた場合、危険極まりないからな。あのハウスのひとつは室温40度に設定されたサウナみたいなものだ。その中で少なくとも三時間は全力で体を動かせるように訓練している。最終的にはユニホームのままであの中で暮らせるくらいにならないとな……」
同じ体力を持っていても、北海道の気候に慣れた選手と関東関西の選手にはハンデがあるとシルヴィスは考えている。高校野球が室内競技であれば、彼もこんな面倒な方法を使わない。
「今は隣接した温水プールに脱出することを許しているが、体を暑さに慣らしておかねば、甲子園では毎日真夏日だからな。俺の考える細かいことのひとつだ」
ビニールハウスから脱出した小文字のZチームのメンバーは隣のプールにたどり着けずに草むらに寝転がってへばっている。
「……この『美少女』たちの水着姿を見て、シルヴィスさんが喜んでいる訳ではないんですよね?」
「あ?」
シルヴィスは自分から冗談をふることがあるが、人からの冗談に疎い場合がある。ナナという娘は見た目ではなにを考えているか判別し難い表情の持ち主なので、尚更混乱を招く。
「……ミル先輩も含めて、かなりの美少女軍団ですよ?」
「俺も一応、男だからな。興味がないと言えば嘘になるだろうが、今言われるまで気にしていなかった……まあ、水着で満足するのは中等部までじゃないか?」
この時点でナナとミルはまだシルヴィスが異母兄妹であることを知らされていない。
「こうして見物していますと、ミル先輩の水着姿は相当『色っぽい』と表現して良いように思えますが?」
「まあな……確かにあの中では抜きん出ているスタイルの持ち主なのは認めるが……少なくとも恋愛感情や欲情はないな……」
シルヴィスの答え方は精一杯の逃げだった。ハルミンに正体を知られたのは、彼女の父であるカズマが吐露した為であり、それは高橋家の問題だ。能力者でもない普通の人間であるミルとナナにシルヴィスの正体を晒す訳にはいかない。それには目八や一の同意或いは家族会議が必要なことで、シルヴィスの一存で喋って良い案件ではなかった。
「そうですか……しかし、あまりスパルタですと、選手が逃げ出しませんか?」
シルヴィスの焦りの表情を読み取れたのか、ナナは質問をさらりと変える。
「まあ、それはないな……オヤッさんが集めたメンバーは自然と根性が据わっている。ある意味特殊能力だが、カトリーヌ以下の能力であることに変わりはないから、高野連で問題視されるようなことではないな。あとは試合に慣れることも要求しているから、今日の午後は練習試合を組んである。まあ、ボロ負けだろうがな」
「相手はどんなチームです?」
「プロだ。まあ、名目上はアマチュアの草野球チームということになっている」
それは当然プロアマ協定違反で出場停止ものなのだが、極秘にすることや情報改ざんはシルヴィスにとって朝飯前だ。
「ちょうど交流戦が終わり、オールフリーの一日があるというのでお願いした。先発は『ダル』で四番は『コヤノ』だ……」
半独立を掲げた時点でプロ野球連盟と揉めたのだが、未だに北海道にはパ・リーグの一球団が本拠地を置いている。
「口止め料だけでも膨大な金額ですね……学園から出ているお金なんでしょうけど、随分思い切ったことをしますね?」
「それほど高橋ハルミンの『死』は道民を怒らせているということだ。中央政府の知らぬ存ぜぬも、道民には火に油だしな……」
「……本当は半分吸血鬼化し、生きていると道民に知れることの方が怖いですけどね」
「なに、政治家という生き物は『本当と嘘が同義語』の奴にしかなれん職業だ。嘘を隠し通すのもキリ嬢の仕事のひとつだよ」
午後から行われた練習試合はシルヴィスの言う通り、悲惨な結果だった。
「今日の相手は日本最高峰中のAクラスだったんだ。そんなにしょげるなよ?」
木端微塵に打ち砕かれた小文字のZチームメンバーとミルを、シルヴィスが出迎える。
ナナは口止めと挨拶を兼ね監督のヒルマン、勝利投手のダル、4ホーマーのナカタと歓談中だ。そこにコヤノやイナバら主力選手、OBのシンジョーも加わり、さながら逆ハーレム状態だった。
新しい北海道知事は前知事よりも初々しさがあり、更に可愛らしさを備えているキャラクターで男性からの人気が高い。ハルミンはどちらかと言えば中性的魅力が売りであり、凛としたイメージで、女性からの人気が異常に高い存在であった。
「やっぱり野球は難しいわ……」
肩を落とすミルだが、その目は死んでいない。
「最初に枝葉末節洗いだすと注釈もつけておいただろ? 本番でそんなことしていたなら、初戦敗退で水の泡だからな。今日の反省点は今日中に片付ける……オヤッさん……」
ミルはこれまで一度も見せたことのない涙を流していた。
「く……くやしい……これでも、頑張って強くしているつもりだったんだ」
シルヴィスはポケットからハンカチを取り出し渡す。
「ちなみに、今日の相手と同じオーダーで先週Jチームにも練習試合してもらったが」
ハンカチと一緒にDVDを一枚手渡す。
「ナカタのホームランが一本多く、オヤッさんたちより4点多く取られて負けている。しかし、得点差は35点で同じだ」
「……あたしたちは一人も生還できなかったけど……Jチームは4点奪った……」
「そうだ。その辺りの差を埋める努力を来週までの課題とする。わかり易いだろ?」
ミルはハンカチで涙を拭いて、ポケットにそのまましまう。その目は復讐の怒りに燃えていた。この辺りの切り替えの早さと闘争心はナナにはない。
ミルはチームメイトに檄を飛ばし、さっさと用意されたバスに乗り込んで球場から出て行く。シルヴィスはナナの護衛の為に残った。
「圧倒的な敗戦は、次に繋がるものなんだ。戦場では絶対できない練習だがな」
凄まじい量の袖の下授受を終えたナナが合流した時、シルヴィスが呟いた。
「……普通の人間なら、あれだけの敗戦で潰れてもおかしくはありませんけれど、ミル先輩はそんなにヤワじゃないと?」
「もちろん。キリ嬢を待たずに帰ったのは、先に帰って落ち込む為ではなく、練習を再開する為だ。オヤッさんはその辺りの闘争心が並じゃないからな」
ちなみに39対4で完敗したJチームは春のセンバツ準優勝チームのプライドを砕破され、立ち直るのに時間がかかりそうだった。これもシルヴィスの作戦の一環である。
「準優勝ってのは、最後に負けたってことだからな。この予選開始一週間前という時期に負けさせるのはかなりモチベーションの維持に支障をきたす。俺が見た感じでは、Jチームで闘争心の高い選手はいない」
「……同じ最華生ですのに……容赦ありませんね」
「前知事の復讐仇討戦が終わるまで、俺は次の仕事が全てキャンセル扱いだからな。前にも言ったかも知れんが、この手の裏仕事は儲けが少ないから、さっさと普段の傭兵に戻りたいんだ」
「……『金のかかる家族』の為ですね?」
「まあな……」
ここまででわかるように、シルヴィスが奇妙なマニアックモードで会話するのは、藤村、ハルミン、ミルの三名と傭兵チームのみである。これは彼がナナという人物を評価している為で、彼の破壊的な会話断ち切り手段であるオタク話はナナに通用しないのだ。
それは生みの親(仕込んだ親)より育ての親に似るものなのか、刀家当主である一に実によく似た性格であった。その真実がどちらなのかを、シルヴィスもナナも知ることは生涯なかった。