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高橋ハルミン暗殺未遂事件。  作者: 大久保ハウキ
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裏国連条約では、異能力者が復讐することを禁じている。

 裏国連条約では、異能力者が復讐することを禁じている。


 結局、ノートと鉛筆を取りに行かされ水補充をしていただけのカトリーヌを残し、ミルとナナは理事長邸宅から解放された。パシリ扱いの生徒会副会長には屈辱の半日であったに違いない。

二人の後ろには巨体のシルヴィスがついてきている。

 正面玄関で拳銃とナイフを回収し、三人は校舎に入った。今日は日曜で年度始めでもあるので、部活動の為に登校している生徒もまばらだ。

「……つまり、カトリーヌ以外はあの場にいた人間で表向きの仕事をできる人がいないのね?」

「まあな。藤村さんは人間じゃねぇし、揚子江さんはある意味人間じゃねぇ。理事長は一応人間だが、能力者だし高齢者だ。知事も人間じゃなくなっちまった……俺が手伝えるのは暴力的なことだけだしな……理事長と知事の考えた復讐戦向きじゃねぇし、一応能力者に数えられる。カトリーヌにしても、さっきの話にも少しでてきた『なんの役にも立たない能力者』の一人だ」

「それにしてもさ、あたしもナナも普通の人じゃない? あんたたちみたいな超能力者が、裏国連条約を順守したいから中央政府に手出しできないって、そんな簡単に納得できないでしょ?」

「まあ、それは知事の意見を理事長が聞き入れた結果だ。俺も藤村さんも揚子江さんも、実はそれほど裏国連とやらの条約を気にしていない」

 シルヴィスはあっさりと自分の考えを吐露した。

「じゃあ? あんたに頼めば、あたしたちは理事長先生の言う復讐とやらに関与しなくて済むのね?」

「あのな……俺は慈善事業家とかじゃねぇんだぜ? 今お前たちにくっついて歩いているのだって、時給の内に入っているからだ。俺の方が巻き込まれたんだよ。知事の仇討ちなんてのは、当事者同士でやってくれ」

「しかし……その代わりが私たちだと言われましても……」

 ミルに比べるとナナは意気消沈気味であった。それもその筈で、ナナへの指令は来週公示される北海道知事補選に出馬せよとの命令だったのだ。

「文句は知事に言ってくれ。俺はオヤッさんとキリ嬢の護衛を頼まれただけのただの傭兵だ。それに、知事発案の仇討方法は俺にはとてもできることじゃない」

「そうかなぁ? あたしがやることは結構暴力的だと思うけど……」

「俺がやると条約違反なのはもちろんだが、中央政府首相を殺してしまうからな。それは知事が望む復讐と違うだろ?」

「じゃあ、ハルミンが自分でやれば良いんじゃない?」

「……まあな。それも案には含まれていたんだが、理事長が却下した……あの婆さんは理由を愛弟子の為だと言ったがな……あれもビミョーな言い回しだ」

「? どういうこと?」

「あの婆さんが生かしたいのは知事本人ではなく、知事の考える突飛に見える政策案と実行力だ……そもそも、知事がどうして理事長の弟子になれたのか考えてみろよ……高橋ハルミンは生き返る前まで、柔道の達人なだけの普通の人間だったんだぜ?」

「……そっか……ハルミンは理事長にとって裏国連条約違反の隠れ蓑ってやつね?」

 ミルのこういう異常事態の場合の頭の回転の速さはシルヴィスを驚嘆させていたが、彼はミルの前で表情をほとんど崩さない。彼がその表情を崩す相手は藤村、そして『家族』と呼ぶ少数の人間だけだった。

「まあ、そうなるか……理事長も揚子江さんも北海道を守護する為の能力者だからな。本当は自分で政治に参加したいんだろうが……」

「? 北海道を守護する?」

「ああ、日本史の授業でチラッとふれるだろうが、第二次世界大戦の敗戦後、何故当時のソ連は北海道を占拠しなかったのかって話だ……まあ、表向きはアメリカ政府の圧力とか、外交の賜物だと言われているが、事実は違う。この学園がこんなに巨大になる前の段階の最華はある人物が作った私塾で、創始者は北海道に点在する能力者を集めある組織を作ったんだ。それが『守護者の会』だ。今も昔も代表四家と呼ばれる家系の長は変わっていない……」

「……理事長室にいた揚子江さんという方ですね?」

「ああ、苗字は知らない方が身の為だから俺は言わん……二次大戦時は確か『竹槍少女』というコードネームで連合軍にも知られた北海道のみを守る能力者だ」

「普通の学園生に見えたけど……あの人そんなに凄いの?」

 安楽椅子に座るミドリの横に立つ、奇麗な顔の女子高生を思い浮かべようとしたミルは視線を泳がせた。

「あれ?」

 同じくナナも揚子江の顔を思い浮かべようとし、違和感があったようだ。

「? これも超能力ですか?」

 二人の思い出した揚子江の顔は、どう考えても普段鏡でみる自分の顔だった。

「まあ、そのひとつだな。酷い時だと名前も思い出せなくなるそうだ。オヤッさんもキリ嬢もなかなか良い線だと思うがな。普通の人間であれば、理事長と別れの挨拶をしたくらいで記憶の中から揚子江さんの名前も姿も消えてしまう。それなのに存在感のでかさは並みじゃない……矛盾の嵐だが、彼女はそういう能力者だ。『ただの不老不死』なら世界には結構人数がいるんだが、あれだけ多くの術を習得している『天然』の能力者は彼女しかいないさ」

「……超能力って、修行して身につくものなの?」

「まあな……でも……そうだな。二人の考える超能力を後天性で身につけた能力者は稀だろうな。先程説明した俺の能力もそうだが、生まれた瞬間には既に持っていたらしいからな……持って生れなければ育ちもしないというのが正しいか……」

「あたしたちにはまったくないのね?」

「ああ、残念ながらな。だが、二人は普通である為に知事に選ばれた……普通じゃ考えられないことをする為にな……俺も揚子江さんも藤村さんも理事長も代役のできない仇討だ……そういう意味ではオヤッさんもキリ嬢も既に普通ではないんだ」

「……つまり、仰々しく登場したけど、あんたも理事長先生も……その他大勢に含まれるカトリーヌでさえも、あたしたちの手伝いはできないのね?」

 シルヴィスが頷く。

 ミルもナナもその頷きを見て肩を落とし、それぞれに与えられた作戦について思考の深海に没した。

 翌週公示された知事補選には四人の候補者が立候補を表明している。その中に刀七の名前が当然のようにあった。高橋ハルミンの正当な後継者であることを前面に押し出した選挙戦が繰り広げられるが、ナナは投開票日にハルミンの偉大さを改めて知ることになる。

「投票用紙の無効記述が60パーセントで再選挙になるとは思わなかったな」

 この国の選挙投票で投票用紙に候補者以外の名前を書けば無効になることは誰でも知っているだろうが、半独立国家北海道の有権者の六割がそれをやったのだ。

 生徒会室に選挙事務所を構えていたナナも思わず近くにいたミルに抱き付くくらいの圧勝を果たしたのは、前知事の故高橋ハルミンであった。

「まあ、ハルミンさんの四十九日も過ぎておらんのに、選挙は不謹慎だと私は思ったんだが……まさか道民の六割がその不謹慎を越える不謹慎さで投票するとは想定外も甚だしい」

 そう評したのは生徒会室の主である未曾有麻生みそありあさぶ生徒会長、高等部一年扱い。『子供会長』或いは『瞬間湯沸かし器』の異名を持つ麻生はその小さな体を怒りに震わせていた。

 ミルは親友であるハルミンの人気が死後も高いことを誇りに思うやら、一生懸命慣れない街頭演説に奔走するナナを可哀想に思うやらで複雑な気分だ。

「私が出馬していれば……いや、それは立候補届の時点で却下、しかも選挙法違反か……」

 麻生は異名の前半が示す通り、まだ年齢は小学生なのだ。ちなみに最華学園には飛び級の制度があり、当たり前のように留年も落第もあるので、彼女がこの場にいることに問題はない。ただ、彼女は政治に関われない人間、つまり能力者だった。

「再選挙に向けての対策を練ろう。今はこの前知事信奉者をどうやって刀くんの票に取り込むかが重要だ。落ち込んでいる暇はない……そろそろ立木くんの方の作戦にも本腰を入れねばならんが……まずは全力で刀くんを当選させることにしよう」

 瞬間湯沸かし器化している麻生の頭を撫でてなだめながら、カトリーヌは冷静に判断を下す。セクハラにも見えるが、瞬間湯沸かし器化した会長をなだめられるのはカトリーヌと風紀委員長のみで、その風紀委員長はここにいない。

 そして、シルヴィスがまったく役に立たないと評したカトリーヌの能力は『頭を撫でることでどんなに怒り心頭の人間も落ち着かせることができる』であった。ただ、麻生にとっては自分に冷静さを取り戻させるこの能力は重要である。

 言葉として、地味な印象しか持たない能力者であるシルヴィスは、生徒会室の外に立っていた。

 即日開票された日曜の夜である。廊下に生徒の姿はないが、学園内への立ち入りを許可された報道関係者が数名うろうろしていた。シルヴィスの観察した結果、その中に中央政府の息のかかるような暗殺者や能力者は含まれていない。

どうしてそうだとわかるのか。

この場に藤村はいないので代理で説明すると、彼の能力は『見えるものならばなんでも殴り殺せる』だけではないからだ。

彼は生徒会室のドアを背にして腕組みし立っているだけである。ただし、生徒会室前の廊下を通る報道関係者は、彼の姿が見えていない。

正確には2メートル以上の身長がありそうな大男の存在に気付けない。時折立ち入り禁止の張り紙の貼られた生徒会室内部を気にする報道関係者の視線が彼に向くが、その存在を確認できる者はこの場にいない。

『気配を完全に消せる』という能力がシルヴィスにはあるのだ。異世界魔界での彼の立ち位置が101番目だとしても、本当に地球では無敵の存在だと言っても過言ではない。

永遠の女子高生揚子江、魔王藤村、北海道守護者の一人であるミドリ、前北海道知事ハルミンが彼を重宝する最大の理由である。

彼の能力は単純だが、使い勝手が良いのだ。

「仕事を押し付け易いというだけだがな」

 シルヴィスは後に妻になった少女と実妹にそう語っている。ちなみに、シルヴィスの実の妹である鷹刃氏かなみ(たかはしかなみ。偽名、後に本名)と彼の妻の座を射止める某独裁者国家の反乱軍指導者養女リン・ヰガル(りんうぃがる)は登場しない。

 蛇足はこれくらいにして生徒会室内に話は戻る。

 選挙結果にオロオロとするナナを軽く抱きしめながら、ミルの頭は別のことで一杯であった。

「もし、高校野球部の女子マネージャ……」

「経営哲学書なんぞ読まんでも、あたしはウチのチームを甲子園に出場させられるよ」

 ハルミンの言葉にかなり喰い気味でミルは口を開いた。

 それは二週間前、生還したハルミンと対面した理事長邸宅内での会話で、ミドリとハルミン共同制作の仇討作戦の全容を聞いた後である。

 ハルミンの冗談口調に慣れてきたミルは彼女の言葉を最後まで聞かずに返答していた。

 半独立国家北海道は高校生のスポーツイベントや国体には参加しているし、ワールドカップやオリンピックといった日本代表に北海道から選手が招集された場合も対応している。

 前述の通り札幌には最華学園への大統合中なので、高校が数校しか存在しない。

 元知事と前知事ハルミンの我儘ともいえる政策は沢山存在するが、これもそのひとつで、

──春夏の高校野球甲子園大会に北海道は参加するが、選手は年齢規制にかからない限り『男女の別なく』参加できるものとする──

 と、ある。

 つまり、ハルミンは『女子選手』の参加を高野連に認めさせたのである。

 ハルミンの搭乗した特別機撃墜の前、男女混合の私立最華学園大文字のJチームは春の大会で準優勝を果たしている。

 大文字のJチームとはその通りの意味で、アルファベット順のJチームである。大統合によって減った高校のチーム数を補う為、最華学園は秋の大会に51チームを送り込んでいた。これは大統合前の札幌市内に存在した公立私立を合わせた数に合致する。

 ミルは昨年の秋、本業ではない剣道の試合に助っ人で参加し、不慮の事故で膝を傷めスポーツ競技に参加できない体になってしまった。少しの間腐っていた彼女を生徒会に引き入れたのはハルミンとナナだ。

 ハルミンとミルとナナは幼馴染であり、その両親たちとミルは兄弟弟子という間柄であった。ミルの実家は道場を経営しており、ハルミンとナナの両親は門下生なのだ。

 ハルミンは春の大会の実績を盾に高野連を説得し、夏の大会の北海道チーム三枠を勝ち取り、学園内のチームを一つ増設した。

 それが立木ミルの率いる最華学園高等部女子学部『小文字のZ』チームである。理事長の私邸を囲む四つの校舎は『共学部』『女子部』『男子部』『農工学部』の四つに分かれ、ハルミンとミルは女子部、ナナとカトリーヌと麻生は共学部だ。

 ミルも高校入学時は共学部であったが、二年進級時に女子部に籍を移している。

 ちなみに、体育の授業以外でミルは野球もソフトボールもしたことがない。だが、マネージャー或いは監督としてのミルは優秀だった。この学園には基本的に部活動の顧問教師がおらず、運営は全て生徒会と各部長、キャプテンがする。北海道外の対外試合時に監督と呼ばれる大人が必要な場合は理事長か校長の選任した成人者が一人随行することになっていた。

 彼女の立場は、監督でありマネージャーであり、部長であり主将。しかし、選手ではない。

 ハルミンとミドリの共同制作した仇討方法は『甲子園に出場し優勝し、人気回復の為文部科学大臣表彰ではなくなった優勝旗授与の際、中央政府首相に一発かます』というなんとも乱暴な案だった。

 問題は『一発かます』という言葉の意味だ。

 首相を殴る或いは蹴飛ばして殺すという意味であるならば、シルヴィスを復学させて使う方が確実な方法に思えるが、彼はすでに高校生の年齢ではないし、中央政府もマークするような特殊能力者でもある。ハルミンは裏国連条約を順守した上で、自分の仇討をさせたかった。

「私はシルヴィスに頼むことを考えていない。こう見えても彼はその世界では有名人でもあるし、たかだか中央政府首相に一発かますのに彼を使う理由はないんだ。私の仇討ちは親友であるミルと私の個人パートナーであるナナにやって欲しいという私の我儘だよ」

「俺はベースボールのルールは把握しているが、高校野球のルールは知らんし、そこまで拘束される理由もないからお断りだ」

 シルヴィスはハルミンの依頼でミルとナナの護衛は引き受けたが、高校野球に監督として参加することはないと明言した。


 私立最華学園高等部『小文字のZ』チームは高校野球史上初の全員女子のチームである。


 札幌市内ではあるが、限りなく石狩市に近い場所にミルの実家は存在する。

 門構えを見る限り、それは古寺にしか見えない。

 掲げている看板は『立木流杖術指南所』一般的には全日本剣道連盟杖道だが、これはミルの父目八もくはちが独自に進化させた流派である。杖はもちろん老人用のステッキや映画等で使われる魔法使いの杖ではなく、僧侶や修験者が持つ錫杖での戦闘を主眼に作られ、演武目的ではなく実戦を考慮している。棒術や槍術の亜流扱いであるが、目八は杖というものが身近な武器であると断言し、周囲の反対を押し切って道場を開くに至った。

 母屋の横に道場が隣接し、道着を身に着けたミルが正座して中央にいる。その正面には目八。二人の右横には使いこまれた杖が置かれていた。

 道場の出入り口付近に巨体のシルヴィスが胡坐をかいて座り、似た物親子を眺めている。

 意気消沈のナナを自宅に送り届けたあと、ミルは自宅に寄るようにシルヴィスに頼んでいる。本題は甲子園に出場し、優勝する為のアドバイスを貰う為だが、シルヴィスが近所の公園のベンチでこの数週間を過ごしていると知ったからだ。北海道の五月だが、平地でもまだ夜は冷える。ついでに言えばシルヴィスが寝ていないと知ったのだ。彼は護衛対象者が眠っている時も、自宅でリラックスしている時も起きている。本人曰く『眠らなくても動きに支障はないし、判断力の低下もない』とのことだが、一ヶ月近く眠らないというのは異常に思えた。

「護衛されている側が護衛者の心配なんぞせんでも良いと思うんだが……」

 そう言われ、半分キレたミルはシルヴィスの手を引っ張って道場まで連れ込んだのだ。

流石に母屋の自室に通すのは抵抗があったようだ。ミルは男っぽい一面を持つが、女の子なのである。そして彼女が手を引いて連れてきたシルヴィスは、目に優しさがあるものの、これ以上ないくらいの男であり、野獣よりも野獣のような男だった。

道場には瞑想中の目八がおり、シルヴィスを一瞥したあと娘に着替えてくるように言い渡し、道着に身を包んだミルがその位置に正座するまで二人は無言を通した。

「現在は伝説の傭兵『シルヴィス・ウィンザール』の名を継いでいるのだったな」

「ああ、あの爺さんがそんなに有名人とは知らずに貰った名前だよ」

「……お父さん。あたしはシルヴィスと話がしたくてここに連れてきたんだよ? こいつは異能力者で野球のルールもうろ覚えだけど、勝負事のアドバイスはしてくれそうだったからね。あたしが現在置かれている立場は話したよね?」

「ああ、シルヴィスくんと茶飲み話などしている場合でないことは理解しているのだがな。彼の目を見てしまったのだ……父親似だと言われるだろう?」

 目八は死んだシルヴィスの実父を知る男だった。

「あんなに目つき悪くないと俺は思っているんだがな。両親にどこか似ているのは仕方ないことだろ?」

「フム……喋り方もどことなく似ている……君の父親は本当に強かったよ。もう手合わせできないのが残念に思える」

「まあな……一応能力者である俺が唯一殴れなかった普通の人間だ……山籠り中にあっさり死んだ時は流石に驚いたけどな……まあ、あれは相手が悪かったとしか言いようがねぇ。揚子江さんほどの能力者が取り逃がした異世界生物に融合された羆が相手だったからな」

「……あんたのお父さんが自称格闘家だとは聞いていたけど、ウチのお父さんと面識があるのは初耳だわ」

 そう言ってシルヴィスを見ると、彼は肩をすくめて見せた。

「俺はオヤッさんの親父さんに会うのは初めてだぜ? どうやらなにかの因縁めいたものがあるらしく、俺は親父に立木家への出入りと接触を一切禁じられていたんだ」

「へぇ……そうなんだ……因縁って?」

 ミルの興味本位で訊いた質問に、彼は一度目八の方に視線を向け、もう一度肩をすくめた。

「その話は今話す必要のない話みたいだぜ? いずれ親父さんの方から話があるんじゃねぇかな? これ以上は喋っちゃ駄目なようだ……」

 目八の右手が床に置かれた杖に伸びかかるのを見たシルヴィスが口をつぐむ。

 視線を父親に戻したミルの目前に杖の先が飛んできた。

 実戦を謳う流派には有り勝ちだが、向かい合って礼をしない。礼儀作法と殺し合いの技は別で教えるのがこの流派であった。隙があればどのように卑怯に見えても打ち込むのが戦闘においての必勝法だと目八は弟子に伝授する。それは娘にも同じ教育がされており、ミルは首を捻ってその綺麗な流れの本手打(突き)を避け、立ち上がりながら後ろに下がると同時に自分の杖を掴んで構えた。

 シルヴィスは暫くの間、親子の打ち合い、突き合い、払い合いを見学することになる。

 杖道における掛け声、打ち込みに際しては『エイッ!』突きは『ホォッ!』というルールももちろん守られていない。隙あらば足を払って相手を転ばせ、顔面を蹴ることも卑怯とはされないのが立木流の流儀だ。

 父親の杖の流れを見定め、後手ながらも善戦していたミルは、足元から飛んできた蹴りをまともに膝に受け転倒した。昨年剣道の試合中、不慮の事故で傷めた彼女の膝はウィークポイントだ。そこを容赦なく攻める目八は鬼にも思えた。

 杖と両腕を使い顔面への蹴りを防御したミルだが、体重差は埋め難く、床を転がりシルヴィスの方に飛んできてしまう。

 一瞬避けようかと思ったシルヴィスだが、視界には吹き飛んでくるミル以外にそれを素早く追ってくる目八の姿も見えていた。一本奪って勝負ありという格闘技の概念はこの流派にはない。相手が転がっていようが寝ていようが、意識がある間は勝負の内なのだ。

 シルヴィスは自分の顔面に飛んでくるミルの尻に軽く左手で触り進行方向を変え、自分の左側に座った形で着地させ、胡坐を解いて右膝を立て目八の突きを防御。片膝立ちの態勢になった頃には、その右腕が体の後ろに一杯まで引かれていた。

 突きの態勢を崩された目八は体を回転させ、シルヴィスの顔面目掛けて杖を振り降ろす。

 上からくる杖を左手で簡単に進行方向を変え、シルヴィスの右掌が目八の左胸に向かって突きだされた。

「これで『詰み』だが?」

 シルヴィスの右掌は目八の胸に触れている程度だ。

「ぬぅ……流石に強い……」

 杖を引っ込め正確に二歩後ろに下がった目八はその場に両膝を着き、杖を左側に置いて頭を下げた。右側に置くのは戦闘開始前で、左側に置くのは参ったという印である。

 シルヴィスは納得したのか元の場所に胡坐をかいて座り直し一礼した。

 彼の掌に命の危険を感じた目八が降参したのは正解だ。

 シルヴィスの能力は単純だが、その強さは普通の人間である目八にもミルにも充分伝わった。掌から光線や気功の技が出る訳ではないし、そんな能力を彼は有していない。だが、人間の胸を握り潰し、骨を砕いて心臓を引き抜くくらいのことであれば、異能力を使わずとも、彼の握力で充分に可能だった。

「君がシルヴィス・ウィンザールであることがよくわかった……この数年で君に何が起こったのかは想像もできないが、傭兵シルヴィスが君に名を譲ったのは偶然でもなんでもなく、必然だったということは理解した。私は君の足元にも及ばない……」

「いやいや……俺もちょっと真面目に戦闘態勢になりかけたよ。この数週間で最も緊張した瞬間だったかも知れん……」

 軽く流した受け答えだが、ミルやナナの知らないところで彼は戦闘をこなしていた。

 高橋ハルミンの遺志を継ぐ者としてナナの存在が既に中央政府で問題視され始めているのである。更にその親友でなにか企んでいると目されるミルは諜報機関のマーク対象人物に指定されており、尾行者や暗殺者が既に数名北海道に送り込まれていたのも事実だ。シルヴィスはこの数週間でその尾行者や暗殺者と極秘裏に接触し、懐柔或いは排除を行っている。ミルとナナにただくっついて歩いている訳ではないのだ。

 少し傷心気味に肩を落とし、道場を出て行く父親をミルは複雑な表情で見送る。

 だが、視線をシルヴィスに移そうとした瞬間、目八が振り返って杖をこちらに投げ付ける姿が見えた。油断し切ったところへの逆襲だ。これも立木流では卑怯とされない。

 しかし、シルヴィスは渾身の力を籠めた目八の杖を簡単に掴み、後方に放り投げてみせた。

「ウム……これも駄目か……」

 目八は悪戯小僧のような表情で舌をだし、今度こそ本当に背を向けてその場を去った。

「……大人げなくてゴメンね」

「いや、最後の一投はかなり危険度高かったぜ? 俺の親父もああいう茶目っ気があれば面白いオッサンだったんだがな……」

 それ以上父親のことをシルヴィスは語らなかった。

「まあ、野球の話をしようぜ? その為に俺はここに連れてこられたんだろ?」

 目八の登場ですっかり気分が別方向に向いていたミルは正気に戻る。

「え? ああ、そうだった」

 一方、完膚無きまでの敗北を喫した目八は母屋に戻ると、扉を閉めた途端に膝が笑いだし、その場に尻もちをついた。

「あの男なんて比じゃない……なんて強さだ……手も足もでないとはこのことだな」

「あなた……」

 その眼前にはミルの母がいる。心配そうな眼差しはしかし、夫ではなく道場に残った若い二人に向いているようだ。

「その心配は無用だ……シルヴィスくんは既に知っている筈だ……しかし、数年という期間、一体どんな修羅場をくぐれば……あんな恐ろしい能力が身につくのやら……」

「……知っていながら……彼はミルとあんなに親しそうに話せるの?」

「流石にあの男の息子だと表情が読めるのか? 私には仏頂面にしか見えんが……」

「ご……ごめんなさい……」

 母親は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。

 腰の抜けた状態の目八が優しく妻を抱き締める。

「今のは私が悪い……だが、安心しろ。彼はあの男の息子だが、似ているのは外見だけだ。根は優しい少年だろう……問題は我々の娘の方だ……間違えてそのような感情を持たねばよいのだが……」

 両親の心配と意味深な発言をよそに、ミルはシルヴィスと向かい合って座り、やっと本題に入っていた。

「勝つ為にはどうすれば良いんだろう?」

「9回終了までに相手より一点多く取れば勝ちだろ?」

「……もっと技術的なアドバイスはないの?」

「ホームランをバカバカ打てば良いんじゃねぇか?」

「小文字のZチームは女子しかいないんだけど……そこまでのパワーヒッターはいないよ」

「知事の前で大見得切ったのは嘘か?」

「ちょっとね……春の大会で準優勝したJチームのビデオを見たんだけど、勝っているのはチームワークくらいなのが現状かな……」

 シルヴィスはミルが持ってきた各選手のデータを見ながら唸る。

「学園内チーム総合成績ダントツの52位かよ……余程上手く組み立てた作戦がないと勝ち目は薄いな……『バント』しかできない子が三人入っているのも問題か……ん? 待てよ……送りバント成功率100パーセントだと?」

「その子たちはボールの勢いを殺すのが上手なんだよ。三塁手前でボールが止まるような打ち方しかできない……だから、走者がいる時は代打で送ると100パーセント成功する。足の速い子はいるからね……でも、それだと得点には繋がらないんだよ」

「足の速い……こいつか……どうしてこいつはこんなに足が速いんだ?」

 シルヴィスは呆れながら資料の一枚をミルに渡す。

「え? ああ、美影ちゃんね……彼女は嘘か本当かは知らないけど、仙台白石藩お抱えのお庭番の子孫だとかって話だよ? 陸上部が狙っていたのをあたしがスカウトしたんだ。ちょっと男性恐怖症でね。男女一緒の部活には参加できないそうだから……」

「……忍者の子孫だから足が速いってのも安直だが……甲子園のグラウンドには基本的に男しかいねぇぞ?」

「ああ、それは大丈夫……美影ちゃんはあたしの体をペタペタ触るだけで周囲が見えなくなるんだよ」

 資料に一通り目を通したシルヴィスは腕を組んで考え込む。

「バント成功率100パーセントの代打要員三人に……足だけやたらに速い忍者の子孫。中等部時代にソフトボールで全国大会の経験はあるものの、怪我で部活を辞め、二年間リハビリしかしていない者……守備はできるがバッティングに期待皆無の者……打つのは好きだが走れない者……得意分野の特化は必要だが、不得意分野が致命的過ぎる」

「これでも割と真剣に集めたつもりなんだけどね……」

「なるほどな……ちなみにこの資料はオヤッさんが自分で作ったのか?」

「? うん、そうだよ」

 それを確認したシルヴィスは顔を綻ばせた。藤村とじゃれている時のような顔だ。

「それなら問題ないだろう。練習と作戦次第でどうにでもなるぜ?」

「? どうしてそうなる訳?」

「俺は知事と理事長の作戦を聞いた日から、日本全国の野球部員を全て調べた」

「は?」

「まあ、聞けよ。念の為、監督と随行するコーチやマネージャーまで全部調べたがその中に能力者は一人も入っていない。もちろん学園内の選手も全て確認したが、全員普通の人間だ。ただ一つ、この小文字のZチームを除いてな……」

「え……だってあんた……ウチのチームに能力者はいないって言ったじゃない?」

「ああ、理事長や揚子江さんのレベルに照らし合わせれば、このメンバーは能力者ではないな。なんの役にも立たない能力者であるカトリーヌと比べても劣る……だが、それは能力者と比べた場合だぜ? オヤッさんの集めたメンバーは、少なくとも通常の高校野球選手より有能な身体能力を持っている。それがこのチームの最大の強みだ……考えてもみろよ。プロの野球選手だって、送りバントの成功率100パーセントなんて有り得ないだろ? それに、この美影だっけか? この足の速さは軽く全日本代表レベルだぜ? あとは有能な指揮者が的確に指示できれば、このチームは日本どころか世界でも通用する……まあ、アメリカの大リーグには能力者が混ざっているから、一概に断言はできないがな……」

 ハルミンもナナも能力者とは言われないが、普通の人間から見れば超人的ななにかを持っている。それはミルもそうだ。揚子江やミドリの視点から見れば小文字のZチームは普通の人間の集まりであるが、シルヴィスがその線引きを落として見れば、カトリーヌには劣るが普通の人間よりは上になる。

「ただ……」

「ただ?」

「ここぞというところで確実に得点を稼げるバッターが一人欲しいな。オヤッさんは選手として出場する気はないのか?」

「あたしは駄目だよ。怪我が治っていないもの……」

「……さっき親父さんと堂々渡り合っているように見えたが?」

「それは『慣れ』だよ。杖を使っての打ち合いには慣れているから、お父さんの技は見切れるんだよ。そうでなければ、お父さんの蹴りであたしの膝は砕けていたはずだからね。それに、お父さんは最初からあたしではなく、あんたと勝負したがっていたみたいだしね」

 ミルと正面から向かい合うことでミルとの勝負をするものだとシルヴィスに思い込ませ、実際仕合い、その流れの中でミルを倒しシルヴィスとの勝負に挑む。自分に出番のないと思い込んだシルヴィスが油断していれば、ミルを受け止め両腕が塞がったところに仕掛ければ勝機があると踏んだのだろうと目八の目的をミルは読んでいた。

 それはシルヴィスも同感であるらしく、それに関してはなにも言い返さなかった。

 目八の卑怯に見える戦法は、シルヴィスには当たり前のことだったからだ。

「そうか、まあ、オヤッさんは最終兵器くらいに考えておくか……キリ嬢は知事選で忙しいし……」

「ナナは……そうね……そっちでイッパイイッパイでしょ」

 ここで何故清楚で小心者のイメージしかないナナの名がでるかというと、彼女が実は水泳以外のスポーツ万能少女だからだ。そもそもハルミンが側近に置きたがった理由が『才媛女傑』を求めたからなのだ。

「それに、ハルミンがまた『生前』に残したとかいう偽の遺言DVDを発表するみたいだし、次の再選挙でナナは多分知事になるよ」

 ある意味補選で凄まじい惨敗を喫したナナへの援護として、ハルミンは特別機撃墜の一部始終と同じ方法で生前の映像を発表させていた。

「特別機に乗る前に撮影したとかいう胡散臭い映像だな? 流石にそこまで用意周到なのに、その映像が補選開票日の翌日に発表されるのはわざとらし過ぎると思うが……それで道民を納得させちまうのも知事の剛腕が生きているということか」

「まあね。それに、知事になればナナの仇討が終わるって訳じゃないし……」

 ナナに与えられた使命は知事になってからが本番である。ミルの使命が『一発かます』であるのに対し、ナナは『トドメの一撃』を任されているからだ。

 もちろん、ハルミンとミドリの考えた復讐はハルミンの死に対し、中央政府首相に死を与えるというものではなく『自ら死を選ぶ寸前まで追い詰める』のが目的なのだ。

 シルヴィスがハルミンの死から再生を語った中で、魂の話はあるが幽霊の話はない。魔界の住人で霊体が存在する話はしたが、それは人間が死んで幽霊になったものではない。この世界で幽霊は存在しないものだ。魂に選択権はないが、その行く先は二つに一つで、それは『消滅するか転生するか』しかない。稀に魂同士が合体融合し、まったく別の生物に転生した姿になる場合があり、それが幽霊であったり悪霊であったりする場合はあるが、それは既に前世の個人ではなく、霊体という種族だ。

 つまり、中央政府首相を殺しても、消滅か転生の選択がされるだけであることを知るミドリとハルミンはあえてそんな『面白くない』結末を選ばなかったのである。

 更に揚子江などに言わせれば、現在生きていること自体が『地獄』であり、死んで魂が完全に消滅し無に帰することを『天国』だと定義している。シルヴィスが出張って首相を殺した場合、魂の消滅の可能性があるのだ。それはわざわざ彼らが思う悪人を天国に行かせるというのと同義だ。できれば永遠に地獄を巡るという意味で転生を繰り返し、地球に生まれて欲しいと願っても、その判断は人間にも魔物にもできない。

 ちなみに、揚子江の研究結果、自殺した人間は半永久的に同じような人間にしか転生しない。生まれ変わっても前世と似たような人生を送り、また追い詰められて自殺するようなシナリオしか用意されておらず、そのループから抜けだすのは難しいらしい。

 そんな話をして第一回の会合が終了した。外よりはマシな程度の機密性しか持たない道場なので、ミルは部屋から毛布を持ってくると言って立ち上がるが、シルヴィスが片手を挙げて制した。

「どうやら仕事のようだ……明日の朝までには片付けるから、また明日な」

「……あたしやナナは中央政府にとってそんなに邪魔な存在なの?」

「さあな……知事の考え方が、訳のわからん考えだと思っているなら、その仲間も同類で邪魔だとか考えているんだろうぜ……しかし……オヤッさんはご両親に大事にされているんだな」

「? なにが?」

「最近、朝晩しじみの味噌汁が多いだろ?」

 ミルはシルヴィスの言っている意味を掴めず、頭の上にクエスチョンマークが浮かぶような表情になる。

「……貝殻を自宅の周囲に撒くなんてのは、時代劇の中だけだと思ったんだが、案外役に立つんだな……お陰で不審者の動きが掴める……オヤッさんのご両親はちゃんと娘の心配をしているってわかったのさ」

 そう言ってシルヴィスは道場から出て行った。

 向かった先はフェンスで仕切られた隣家だが、それはゴルフ場のコースの一部だ。ミルの自宅はゴルフ場のど真ん中にある。周囲は全てコースが隣接し、そのオーナーの邸宅に囲まれた状態になっているのだ。シルヴィスは途中で林の中に転がるロストボールになったゴルフボールを一つ拾った。

「……へぇ……アメリカツアーにも参加する『プロ』でも、このコースだとOB出すんだな……R・石川か……」

 たまたま拾ったボールに書かれたサインを見ながら呟いたシルヴィスの目の前を何かが通り過ぎ、林の構成木中最も多いエゾ松の一本に突き刺さる。

「……自転車のスポークを武器に暗殺を繰り返すマンガが昔あったな……最後の方は超能力合戦になっていたが……」

 シルヴィスは幹に突き刺さったものを無造作に引き抜いた。それはどう見てもボールペンである。

「ペン先に毒かよ……悪趣味な道具だな」

 向き直った方向に吹き矢の筒を持った男を確認する。

「……俺の能力は『見えるものなら何でも殴り殺せる』なんだが……今見えたけど大丈夫か?」

 闇の支配する林の中での一撃だが、一発目が当たらなければ意味はない。シルヴィスの目は暗闇の中でも機能していた。明かりのあったミルの家から出た瞬間ならばまだしも、ここはすっかり目の慣れた林の中。しかも、目八とその妻が毎日せっせと撒いたしじみの貝殻は踏み潰す度に音が鳴る。そんな中でシルヴィスに気配を感じさせることなく攻撃を加えられる人間はそんなに数がいない。

「手伝うか?」

 シルヴィスの後方から突然の声。だが、シルヴィスは驚く素振りもない。

「月明かりの中で『エゾ松の先端に立って』いるのは目立つぜ? 藤村さん」

 藤村はシルヴィスの言う通り月を背にして一ミリもあるかないかの針葉樹の先端に立っていた。

「なんだ、気付いていたのかよ?」

「ああ、あんたが今日はキリ嬢の護衛当番だったからな。近くに潜んでいても不思議はないさ。どちらかと言えば、ここまで侵入できたボールペン野郎の方が不思議だ」

 ちなみにミルの自宅を取り囲むゴルフ場のオーナーはナナの父親であり、ナナの自宅はゴルフ場の中にある。

「俺の『結界』を中和しながら進んでいたみたいだな。まあ、中和されている時点で俺が気付くんだが……俺の役目は侵入者をお前に教えることだけだ。それ以上をやると揚子江やミドリに叱られる」

「ああ、あの人たちは確かに『おっかない』からな。それに、あんたにやらせると魂も残らないから、知事の言う『永遠転生の刑』から外れちまう」

 ハルミンは中央政府から派遣された暗殺者や諜報員の殺害を極力避けるように依頼している。藤村が戦えば文字通り『粉微塵』にすることが可能だが、シルヴィスが言うように魂すら残らず、地獄巡りと呼ばれる転生の輪廻から外れてしまう。シルヴィスの処置は簡単に金で懐柔するか、或いは戦って殺さずに捕えて本州に放つかの二択しか用意されておらず、この数週間、彼は厳密にそれを守っていた。

「まあ、実の妹だけでなく『異母妹たち』を守るのも俺の仕事だろう。親父が昔日に犯した罪の清算を俺がするのも当たり前だ。親父は死んで消滅しちまったからな」

 シルヴィスの父は魔物に融合された羆との私闘の末死んだのだが、その魂は転生の輪廻から外れ、消滅に選ばれた。若き日に悪逆非道の限りを尽くした自称格闘家だが『見えない本物の神』は彼に消滅を与えた。ちなみに人間や超能力者、魔物に見えるような神は人間や魔物より高等高科学を持つ種族というだけであり、本物の神ではない。

 ではなぜ揚子江の定義する天国にシルヴィスの父が行けたのかというと、それは神ではない我々に判断できるものではないし、定義した揚子江もその判断は避けている。極端な例ならば、善行を積んだと人間が判断する仙人レベルの人間が転生を繰り返し、悪徳の限りを尽くしたとされる殺人鬼が消滅できていたりする。もちろん逆もある。人間が考えられる判断を神がイコールでしているとは考えられないという話だ。

 人間が『死んでからの二択』の選択権は人間の生き方に反映しないということだけはわかっている。そもそもその選択を神がしているかも確認されていないことだ。

「お前のそういう義理堅いところが俺は好きなんだよな」

「けっ……男に好かれても気持ち悪いだけだぜ……おっと、無視するなってか?」

 シルヴィスの顔があった場所をボールペンが素通りする。シルヴィスと藤村の会話中も暗殺者が消えた訳ではないし、この二人に時間を止めるような便利な能力がある訳でもない。ただ、一見攻撃し放題に見える隙だらけの二人に何かを当てられる人間はそう多く存在しない。

「おい、そのペン先の毒は人間にのみ効き目があるんだろうな? そこのエゾ松が一本枯れたら植樹し直さなきゃならないだろ? 苗木は一本二千円くらいだろうが、この大きさまで育てるのには結構時間がかかるぞ? コラ! 人の話を聞けよ」

 どこまでが本気であるのか判らない言葉を発しながら、シルヴィスの巨体が動く。

 器用にエゾ松を盾に使い移動していた吹き矢暗殺者の視界からシルヴィスが消える。

 その行く先が自分の真上だと先読みした能力はなかなかのものだったが、吹き矢筒を上に向ける速度が遅かった。

 シルヴィスに向けようとした筒は簡単に掴まれ、その握力で変形する。

 覆い被さるように落ちて来たシルヴィスは男を下敷きにし、腹に両膝を立て押し潰した。左手に握られたナイフが男の両手首を簡単に貫通し、地面に縫いつける。腹に落ちた膝で一瞬にして気絶を余儀なくされた男だが、両手首の痛みであっという間に蘇生した。

「……治療費にちょっと上乗せした金額で手を引くか、それとも死ぬか。二択だ。無駄な交渉は時間がもったいないので、一度しか返事は聞いてやれないぜ?」

 毒ボールペン吹き矢を使う暗殺者は頭のてっぺんからつま先まで大量の汗を噴出させていた。今までの人生でこれほどの実力差をみたことがなかったのだろう。ちなみにシルヴィスは能力を発動させていないが、彼の腹の上に乗って余裕すらある。

「わ……わかった……手を引く……だから、助けてくれ……」

 暗殺者の初めて発した言葉が負けを認める台詞であることにシルヴィスは満足し、右手で小さく指笛を鳴らした。

 林のあちらこちらから、軍服に身を包んだ傭兵が現れる。

「こいつは存命を選んだ。手当してから野に放ってくれ」

「了解……しかし、日本政府はろくな暗殺者を飼っていないな……」

 シルヴィスから男を引き渡され、傭兵たちは素早く用意した担架に乗せ運んで行く。残ったのは傭兵の長と思われる小柄な男だ。日本語は堪能なようだが、あまり口が良いとは言い難い。

 シルヴィスは苦笑いだ。

「一流と呼ばれるような能力者や暗殺者は基本的に、北海道側に引き抜いているからな。喧嘩にもならねぇような喧嘩を売ったのは戦力最小の中央政府だ。滑稽だよな……ステイプルトン、今日の上陸者はこれで最後だな?」

「ああ、向こうは明らかに人材不足だよ。程度が低過ぎるぜ。あれなら俺たちでも対処できるぞ?」

 シルヴィスの名は世界的に有名で、彼が護衛をしていると知れば大抵の暗殺者や諜報員は仕事を放棄或いは最初から引き受けない。

「まあ、理事長と知事からの厳命だからな……」

 会話中の二人の傭兵を眺めながら、藤村は別のことに神経を集中していた。

「……ステイプルトン? 英国グラナダテレビで制作された私立探偵もののボックス2の二巻目、通算だと十四巻だな?」

 シルヴィスは傭兵部隊を率いる際に偽名を与える。藤村はその出自がどこかを言い当てる名人だった。

「ああ、今回はステイプルトン、バスカビル、ライオンズ、モーティマー、バリモア、フランクランド……六人編成だからね……」

 この場合、主人公であるベーカー街の三名(探偵、医者、管理人或いは警部や探偵の兄)と永遠のライバルとされる教授の名は使わないのがシルヴィスの流儀だ。

「ま、俺はセルデンじゃなくて良かったと本気で思っているがね」

「……ステイプルトンも似たような扱いじゃないか?」

「へへ、王様はよく覚えているよなぁ……でも、俺は残った方のステイプルトンだと思っているぜ? それにモーティマーは『悪魔の足』でも使われている名前で二番煎じっぽい」

「……なるほど、十二巻目の後半だな……それを言うならモーティマーは二十一巻の前半にも、老未亡人の死んだ夫の名前で使われているぜ? しかし、お前も結構詳しいな?」

「まあね。こいつと付き合い始めてから、かなりの数、見させられたからさ」

「なるほど……しかし、シルヴィス。お前いくつだよ? この国で放映されていた頃はまだ生まれてないんじゃないか?」

藤村にそう言われたシルヴィスは、国営放送で放映されていた頃、確かにまだ生まれてもいない。

「ああ、最初は国営放送の再放送枠で見た。国営放送版があんなにカットされていると知ったのは数年前だけどな。それに、未来のテレビ番組を見ているなら驚かれても仕方ないが、過去の作品を現代人が見てはいけないということはないだろ? 良いものは良い」

「まあ、俺の生まれた国では放映していなかったし、原作の翻訳版を読んだだけだったが、あれはできが良いよな?」

 傭兵たちは自分につけられた偽名の元ネタを結構知りたがり、気に入った場合はそれを本当の偽名として使うこともあった。ちなみにステイプルトンの傭兵ネームはランディで、それは80年代に日本のプロ野球チームに来た助っ人外国人の名前を使っている。

 本名を名乗る外国人傭兵は世界中にも一握りしかいない。それが殺人を生業とする傭兵の個人情報保護というものだ。

 小さく頷いたシルヴィスを確認したステイプルトンは上機嫌だ。

「さて、今日の仕事は終了だな……俺たちは『ススキノ』で遊んでくるけど、シルヴィスはどうすんだ?」

「俺は酒を飲まないし、女遊びというのも苦手だからな。ちょっと別件で考えなければならないこともできたから、一人にしてくれると助かる」

 そう言ってシルヴィスは思い出したように右手に持ったままだったロストボールをステイプルトンに放る。

「なんだいこりゃ? R・石川? 誰だ?」

 ゴルフに興味がなく、更にはアメリカ人でもないステイプルトンに日本のプロゴルファーの名前は流石に浸透していないようだ。

「この国では有名人だ。そいつがこのコースでOB出したようで、そのボールをお前が拾ったと言えば、ススキノの女の子たちにウケるぞ」

「マジか!? それは良いネタだな!」

 真に受けたステイプルトンが跳ねるようにして林の中から去って行く。

「……あれはやっぱりシジミチョウの研究をしていた方のステイプルトンだな」

残ったシルヴィスと藤村は苦笑した。

「芸能人の方がウケたんじゃねぇか? 学園大出身の演劇ユニットとかよ……」

「一人を除いて結婚しちまったから、その手の女の子にはもう昔の人扱いだろうさ。それに、このロストボールの中から個人のものを探すのは一苦労だろうし、このコースを回ったことがあるかも俺は知らないよ。ここにくる途中でたまたま気になって拾ったのがさっきのボールだっただけだよ」

 一流の人間が捨てたものやその私物に気配が残っている場合があり、シルヴィスはその気配をさきほどのゴルフボールから感じたのだ。

 藤村とシルヴィスの会話が繋がっているのは、藤村が勤勉な魔王だからである。地球を研究しにきたと称して彼はシルヴィスの私蔵品であるDVDボックスの山を片っ端から見て記憶している。シルヴィスがまだ幼い妹の為に贈ったDVDボックスは半端な量ではなく、それは彼の妹が成人するまで続いたことだ。

 藤村はその内容を全て暗記している。魔物全体に言えることではないが、彼の種族は勤勉で記憶力が抜群に良い。体は人間とほぼ同じサイズだが、彼の脳は100パーセント機能しており、映画の千本や二千本、或いはテレビドラマの百作や二百作が頭に新たに入ったところで普段の彼に影響はない。人間ならば頭がパンクするかも知れないが、彼は魔物で、しかもその王なのだ。

「しかし……俺たちにぶっ殺してこいと言えばほんの数十秒で片付くことなのに、ハルミンの奴は性格最悪だよな?」

「まあな……一体誰に似たものやら……」

「ははは、やっぱり地球は面白ぇな?」

 二人の間でしか通じないようなネタで藤村は笑い、シルヴィスは無表情に戻る。

 ナナの知事選再選挙対策は麻生とカトリーヌに任せるとして、ミルの率いる小文字のZチームを勝たせる方策を練らねばならないからだ。藤村との会話はシルヴィスにとってなにも考えなくてもできることだった。



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