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高橋ハルミン暗殺未遂事件。  作者: 大久保ハウキ
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2007年春、上京途上の日本最年少知事、高橋ハルミン。青森県上空にて消息を絶つ。

2007年春、上京途上の日本最年少知事、高橋ハルミン。青森県上空にて消息を絶つ。


「識別信号が青(味方)だった為に油断したとしか言いようがないな……」

 新千歳空港から飛び立った特別機上の人であるハルミンは、その淡麗な顔を蒼ざめさせていた。言葉に逆上の様子はないが、視線は虚ろに彷徨っている。

 前北海道知事が行った改革を引き継いだ彼女は、昨年の選挙で当選を確定させると同時に、大改革により北海道の半独立をやり遂げた。

前知事は年々減少する有権者数と政治離れにピリオドを打つ政策として、参政権の引き下げに踏み切った。つまり、13歳からが有権者であるとし、15歳からの知事以下道議、市長、市議選への参戦を認めさせたのである。

 ちなみに、日本国内で言う成人年齢は逆に25歳と引き上げられ、定年は75歳とされた。これは近年の若者に対する偏見とも見えるが、有権者イコール大人という定義を覆した政策であると50年後くらいに褒め称えられる。つまり、13歳を有権者にすることで大人という意識の幅を広げ、有能なる子供の能力を伸ばし、25歳以下の一般未成年に追い付く為の猶予を与えたと未来の人間は判断したようだ。

半独立国家北海道は改変の嵐が吹き荒れていた時代だと言える。

 そこに鳴り物入りで登場した若きリーダーは女子高生であった。

 高橋ハルミン、16歳と一カ月。高校二年生。

 あまりに若過ぎるリーダー候補に当然批判は集まったが、彼女はその畏怖すべき才能により周囲を黙らせ当選し、改革というより革命を断行した。

 その剛腕は世界の首脳を震撼させたと言っても過言ではない。

 5年ほど前に起きた人災テロによる原発暴走事故に端を発する脱原発運動に対し。

「では、原発に代わる発電システムを『明日』までに構築して提出しなさい」

 当然、誰も画期的な案など提出できなかった。

「太陽光と風力で現在の原子力発電量を凌駕できると本気で思っているのですか? 最新型の火力発電ですか? それは簡単に言うと、煙突から二酸化炭素を出さないのですか? 地球温暖化にどのくらい配慮したものなのです? 人災と想定外津波を置き去りにした案など私が認めるとでもお思いか? 津波が発生した場合、太陽光と風力の発電機が波に呑まれないという根拠はどこにあるのですか? 津波でなくとも、地震で山が崩れる場合もあれば、休火山が活火山になることもあるのです。災害後放射能汚染が起きないというだけでは不十分だと何故わからないのですか? 立地条件も半端な案としか言いようがありませんね。もちろん、麦やとうもろこしを絞って油を取るなどという錬金術に付き合うほど、私は暇ではありませんし、そもそも人間も食する食用物をエネルギーに転換するなど言語道断です。一度作ってしまった原発をただ停めろ、停めろと騒いだところで、何も解決いたしません。私たちに電気を使わない生活など最早考えられないのです」

 そこでハルミンが出した腹案が、後に世界の指針になるとは当人さえ思っていなかった。

「現在この時点で画期的な案が出ないのですから、今ある技術を総動員して発電する他に道はありません。もちろん太陽光や風力、潮力、地熱発電の推進もしますが、私が注目したのは、五年前の未曾有の札幌危機の際、テロリストグループの科学者が考案したという、局地地震発生装置で被害を受けた札幌市内の市街地の映像です。あの地震で倒壊した家屋は無数に存在しますが、ビルが倒壊しなかったために救われた命の多さには驚嘆するほどでした。そう、私は『免震構造ビル』の話をしているのです」

 昔の特撮テレビマンガの地球防衛軍基地ではないのだから、ビルの上に原発を作るなどということを本気で考えているハルミンに非難は集中したが、各研究機関からの回答は全てゴーサインだった。それを内陸で、山の少ない平地、更には免震構造を取り入れ、似たような高さのビルが並び、欲を言えば自然地震被害の少ない地域に作ることが条件とされ、ハルミンは当たり前のように札幌を選んだ。

「原発に危険はありません。作り方と使い方さえ間違えなければ、これ程効率良く発電できるシステムは現在ありませんのでね。放射能が漏れない原発を作れば良いのです。もちろん、省電力製品の開発も随時行います。人間の一生懸命考えたことを無駄だ、無駄だと叫ぶだけなら、幼児にでもできることです。私たちは北海道を任された政府なのですよ? もう少し物事を考えてから発言するべきですね」

この知事の発言は『北海道知事、原発と心中』などと各マスコミに叩かれるも、ハルミンは代案を出せない人間の言葉を聞くことはなく、札幌のど真ん中に原発が八機作られることが決定した。同時に発電機付きのダムの建設を決定し、某学園研究機関が開発に成功した『超波消しブロック』の海への散布と『スーパー免震構造』の導入を推進し、更に『空中建築技術』の構築と『完全リサイクル、無公害発電システム』の研究に予算を割いた。

 更にハルミンの地位を不動にしたのは、長年に渡る領土問題を解決したことに重きが置かれる。

『ああ、北海道の横っちょにある小さな島ね』

こういう認識の方が居た場合は改めて欲しいと念を押すが、俗に言う北方四島最大の島である択捉島は単純な面積比較で埼玉県より大きい。北海道があまりに巨大であるが故に小さな島に見えるが、二番目の大きさである国後島でさえ、沖縄本島より大きいのである。戦後70年近く経過し、中央政府が返還を主張しても返ってこなかったその島が、知事がハルミンになっただけで返ってきたのである。その意味は大きい。

 そして、その剛腕は文字通りの剛腕であった。

 ハルミンはパッと見が華奢な女子高生であるので油断しがちだが、その格闘技センスは並はずれている。

 その外見に騙されたと後述するのはロシア首相。

 ロシア首相は軍属上がりの政治家で柔道の達人でもあり、世界の首長の中でも一対一であれば負けることはまずないと言われた格闘技のエキスパートである。

 その首相を言葉巧みに挑発し、ハルミンは領土を賭けた柔道一本勝負を挑んだ。

 政府関係者のみが見守る柔道場で、達人を越える神技『空気投げ』によって簡単に宙を舞った首相は一生この時のことを後悔したという。それはそうだろう。70年近くも自国領土と主張してきた四島が一瞬で他国の領土になったのだ。安請け合いを悔やむのは当たり前だと言える。ちなみに、自国領土を『賭けごと』に使用したという一部の批判は、勝てば官軍の例え通り不問とされた。もちろん、ロシア首相は負けたので、国内外から袋叩きに遭い、政治家生命を奪われた。

 その功績を認められたハルミンが中央政府に呼び出され、機上の人になり出発したのは三月後半の金曜午後六時。彼女は学生でもあるので、対外公務は、夏、冬、春の長期休暇中になることが多い。

「無念だな……まさかこんな形で人生の終焉を迎えるなどとは、流石の私も思っていなかったよ」

 自衛隊機による護衛もむなしく、同じ自衛隊機の奇襲に遭い、特別機の機体にはかなりの数の機銃痕が開いていた。

「知事……機長と通信員の死亡を確認しました。副機長が一人で操縦しておりますが……見ての通りエンジンも止まり、現在は飛行機ではなく滑空するだけの鉄の塊と化しておりますので、上下逆さまになっていないだけマシな状態だと言えるでしょう」

 ハルミンの耳元でそう囁いたのは北海道警察の護衛隊長だが、彼自身も被弾し、左腕が吹き飛んでいた。傷口にネクタイを結んで止血しているが、長く放置できないような重傷だ。

「そうですか……御苦労様……それでは落ちているだけなのですね?」

 ハルミンは目を瞑る。

「はい……残念ながら、この機体は海に向かって降下しております。副機長の話では、おそらく十分の滑空が出来れば上出来とのことです」

「……そうですか……第二波の可能性は?」

「奇襲機であった自衛隊機二機はこちらの護衛機が撃墜したのを目視で確認しました。第二波はありません」

 彼女の座る座席には毛布が掛けられていて見ることはできないが、座席の下から戦闘機の機銃を撃ち込まれ、彼女の両足は無残に千切れ、出血の多さから目を開いていることができない状態であった。それでも意識を保っているのは彼女が豪傑であったからだろう。

「こう揺れては……遺書のひとつも書けませんね……私の友人たちは無事ですか?」

 彼女の言う友人二名はハルミンから10メートルほど離れたゲスト席に居た為、機銃掃射を受けずに済んでいた。ただ、二人を守る為に突き飛ばした護衛隊員は腹に機銃を受け即死している。

 腰が抜けた状態で床に座る二人を、護衛隊長が促しハルミンの元に連れて来る。

「フフ……我ながら短い人生であったが、なかなか有意義とも言える人生であったと思うよ。なかなか腰の重い中央政府にしては素早い対応だ……称賛に値するね……」

「ハルミン……」

「先輩……」

 対面にある旅行鞄の上に座る二人。

 立木ミル(たちきみる)高校二年生。ハルミンの同級生にして親友。

 刀七かたななな高校一年生。ハルミンの選んだ随行員。共にあと数日で学年のひとつ上がるハルミンの信頼する仲間であった。

「君たちは無傷のようなので、脱出したまえ。この護衛隊長が君たちを命懸けで外に出してくれる算段はできている……墜落途中の飛行機からの脱出はなかなかに難しいが、君たち二人ならばできるだろう……こんな時になんだが……私は今、千年も昔に死んだ中国の独裁武将の気持ちを理解した気分だ」

「ハルミン……もういい。喋るな……」

 心配顔でハルミンの額の汗を拭くミルの手が震えていた。

 それは恐怖の為であり、怒りの為である。

「いや……口を閉じた瞬間に死にそうなのでね。もう少し喋らせてもらうよ……天下を取ったと錯覚したトータクが罠とも知らずに宮廷に呼ばれ、皇帝の座を譲り受けると信じて一張羅で出向き、義理の息子にして猛将であるリョフに殺される場面だ」

「三国志の一場面ですね……しかし、先輩はトータクなどではありません」

 あいの手を入れるナナの顔面は蒼白で、これも恐怖と怒りの入り混じった表情だ。

「いや……大差はないな……トータクも義理の息子に裏切られて殺されるなどとは露ほどにも思っていなかっただろう。私も中央政府が私をこのような形で殺すなどとは思っていなかったよ。半独立国家ごときの代表が、国際政治に口を出しただけで殺されるなどという理不尽が、中央政府内で通るなんて……報道ヘリすら飛んでいない上空での撃墜だ。情報の改ざん方法はいくらでもありそうだが……まあ、そこまでの情報操作力が中央政府にあるかは疑問だけれど……」

 ゆっくりと目を開くハルミンの視界には、心配そうな表情で瞳に涙を溜める美少女二人が映し出されていた。

「まあ、冗談はさておき……君たち二人が生還すると仮定して、私の最期の言葉を言い渡す……反論は無用だ……聞き入れる頭が働かないのでね……」

 ハルミンは二人に言いたいことを言うと、瞳から光が消え、静かに目を瞑る。

「! ハルミン!!」

「先輩っ!?」

 素早く護衛隊長が脈をとり、呼吸の有無を確認する。

「……流石は知事……残りの時間は無用とお考えになられたのでしょう。この状況で『眠られ』ました……」

 軽く寝息をたてて眠ったハルミンを二人は暫く見つめていたが、護衛隊長に促され立ち上がり、たった二つだけ残った救命胴衣を身に付け、ミルの背中にパラシュートが装着された。

「……隊長さん。あんたは?」

「……知事の命はあなたたち二人を命懸けで脱出させよ……です。機銃掃射で無事だったパラシュートはこのひとつしかありません。これからお二人をベルトにて連結させていただき、私と共に緊急脱出口より飛び降りてもらいます。パラシュートの強度的にお二人の体重を支えるだけで限界ですので、私の仕事は安全空域でパラシュートを開くまでとなり、私は津軽海峡に没するということになりますかな……」

「そ、そんな……」

「名誉なことです。知事の遺志を継ぐお二人を脱出させるお手伝いが出来るのですから、これ以上の名誉は欲してもありません。お二人も海の上に落ちますので、素早くパラシュートを切り離し、救命胴衣を開き、胸ポケットにある照明弾で救助を呼んでください……まだ海水浴のシーズンには早過ぎますし、死んでしまえば、海の生き物がどんなに可愛く見えても、食べられます。護衛機から函館辺りに緊急連絡が入っているはずですので、沿岸警察の誇る高速艇がお二人を救助してくれるはずです」

 護衛隊長は喋りながら自分のベルトを外し、ミルとナナの体を縛る。

「立木さんは絶対に刀さんを放さないでください。そう、両腕でがっちりと抱き締める感じです」

 そして二人を緊急脱出口まで連れて行き、出来る限りの助走をつけ空中に躍り出た。

 ミルは一瞬の出来事を覚えていないが、風に巻かれ、木の葉のようにグルグル体が回ったのは記憶している。

 その間のミルの仕事はナナを絶対の力で抱き締めることだ。彼女はそれを忠実に守る。

 時間の感覚はないが、回転が止まり、落下の感覚を覚えた頃に隻腕の護衛隊長が最後の仕事をし、彼女たちは月明かりの照らす海に向かいパラシュートで降下していた。

 気付けば最期の仕事を終えた護衛隊長の姿はどこにもない。

ミルとナナが救助されたのは二時間後のことで、ミルは泳げないナナを必死に掴み、見えている陸に向かい泳ぎ続け、函館港近くで哨戒中の北海道沿岸警察の哨戒艇まで見事に泳ぎ切った。胸ポケットの照明弾は空中に飛び出した際に落としてしまっていたのだ。

北海道暫定政府の公式発表では、生存者はこの二名のみとされている。

二人は函館の病院に緊急搬送され手当を受けたが、怪我というほどのものはなかった。どちらかと言うとハルミンが気にした第二波、第三波の襲来に備え病院を要塞化していたというのが事実だろう。証言者を残した暗殺は完璧とは言えない。

ミルはこの事件により北海道と中央政府の緊張が一気に高まると思ったのだが、意外なことに世の中は平穏を保っていた。それを知らせてくれるのは、新聞と病室備え付けのテレビだ。

二人は相部屋の病室に一週間隔離され、その間警察や自衛隊から聴取を受けることもなく退院している。

 知事の死でショックを受けたナナは暫く口もきけない状態だったが、ミルは充分な元気を保っており、多少の取り調べがあるものだと思っていたので狐につままれたような気分だった。

 函館から護衛車付きの乗用車で札幌に戻る。

 途中の道端で北海道知事補選のポスターを見掛けた。まるでハルミンが病気で突然死でもしたかのような扱いだ。

 運転を担当している護衛者に何度かミルは話し掛けたが『私語を禁じられております』の一点張りで、二人は情報社会から取り残された気分を味わう。

「まあ、ここまで来れば問題あるまい」

 そう言ったのは護衛者と共に乗用車助手席に乗り込んだ大男で、その後ろ姿にミルは見覚えがあった。

 彼が喋り始めたのは札幌市内に入ってからである。

「取りあえずは『久し振り』だな。オヤッさんにキリ嬢」

 彼女たちの学園内での呼び名を知る大男は気軽に話し掛けてきた。私語を禁じられているのは運転席の男だけであるようだ。

 オヤッさんとはミルのことで、彼女の名前、立木ミルのミルを漢字変換し合体させると『親』という文字になることからついたあだ名である。一方のキリはナナのことで、これも彼女の名前、刀七を横書きで左右逆にし合体させると出来上がる『切』の文字からついた呼び名である。

「え? あんた……今はシルヴィスとかいう名前なんだっけ?」

この大男の名はシルヴィス・ウィンザールというが、どう見てもアジア人だ。

「ああ、知り合いの爺さんに貰った名前だ。日本名は捨てちまったから、便利に使わせてもらっているという感じだな。シルヴィスと呼んでくれ」

 ミルはこの大男を知っていた。彼は数年前まで札幌市民であり、彼女たちの通う学園の生徒でもあったからだ。シルヴィスがナナのことを知っていた理由をミルは知らないが、ハルミンの随行者である才女を彼は知っていた。

「まあ、詳しくは学園に着いてから話すか……」

 車列はそのまま彼女たちの通う『私立最華学園』の門をくぐった。


 私立最華学園は札幌市に存在する超巨大学園である。


 来るべき少子高齢化社会に向け、ハルミンは札幌にある全ての小中高校を一か所に集め、空いた高校を全て老人施設に変換するという大事業を昨年暮れに実行し始めていた。

 ちなみに、ミルとナナは元から学園生である。

現在の学園理事長、佐藤ミドリはハルミンの師匠であるとされる老婆であり、更に元々の学園創設者は一説によると不老不死の超能力者であると言われる。

その胡散臭い話をミルもナナも信じていなかったのだが、信じざるを得ない事態が彼女たちを待っていた。

シルヴィスは運転席の護衛者に何か耳打ちしたあと、二人を学園内に招き入れた。

勝手知ったる母校であるが、二人が入ったことのない場所へシルヴィスは案内する。

それはその胡散臭い都市伝説の中枢とも言える学園理事長の屋敷である。

理事長の邸宅は四方を校舎に囲まれた中庭に存在し、在校生の殆どがその存在を知りつつも、入ったことのない場所だ。

「相変わらず、校舎が『城壁』にしか見えない造りだよな……」

 学園は理事長の邸宅の周囲に団地のように立ち並んでおり、確かにそう見えるとミルも思っていた。

 四重の校舎を素通りし中庭に出る。グラウンドと体育館、部室棟は校舎の更に外側に別で建設されているので、中庭の全体が理事長の邸宅に使われている。

「……正面から入るのは俺も久し振りだ」

「あ、カトリーヌ……」

 一行を理事長邸宅前で出迎えたのは、ミルとナナも所属する生徒会の副会長、香取一又。三年生である。入院している間に世間は四月になり、ミルも三年生に進級していた。

「ああ、無事でなによりだ……立木くん、刀くん」

 この人物が副会長であることがおかしいと思えるほどの風格を持ち、生真面目そうな眼鏡をかけた美少年は、笑顔などという言葉を知らないかのような仏頂面で一行に挨拶した。

 この男もあだ名で呼ばれている。横書きで書いた名前の香取をカタカナに変換し、一又を漢字のままカタカナに当て嵌めると、カトリーヌと読めるという寸法だ。その呼び名を当人が気に入っているのかどうかはわからないが、そう呼んで彼が嫌そうな顔をすることも、無視することもない。

「理事長がお待ちだ。今回の事件に対する半独立国家北海道の公式見解を君たちに伝授するとのことだ……シルヴィスさん……念の為拳銃を預かるように仰せつかっているので、予備の弾層も含めた武装解除をしてくれたまえ」

「……信頼ねぇんだな」

 不満を口にするシルヴィスだが、その表情に不満などないようで、カトリーヌが差し出した箱に拳銃と弾層、コンバットナイフ二本を入れた。

 カトリーヌは何故か慣れた手つきで拳銃から弾層を外し、装弾された一発も器用に抜き取る。

「あなたの職業とその特殊能力を考えれば、本来ここに立ち入ることも禁じたいところだが、理事長の許可が出ているのでな……」

 ミルとナナはカトリーヌの言った特殊能力という言葉が引っ掛かったが、シルヴィスは気にした風でもなく、そのままドアをくぐる。

「まあ、そりゃそうだろうな……俺も実際この屋敷に入るのは嫌いだから遠慮したいところだぜ。ああいう婆さんは天然記念物か世界遺産にでも指定して、外に出さないのが一番都合の良い方法だ」

 カトリーヌは何か言いかけたが、それ以上の問答は無意味と判断したようで、三人の先頭に立ち案内を始めた。

「ん? オヤッさんもキリ嬢もここに入るのは初めてなのか?」

「え……ああ、そうだよ。あたしたちは生徒会役員だけど、副会長以上の役職じゃないとここに呼ばれることもないんだよ……そういやあんたは中等部の頃から、生徒会でもないのにここに出入りしている噂があったね?」

「ああ、まあな……それは噂ではなく事実だ。オヤッさんも知っているだろうが、俺が中三の時に両親が死んだだろ? 進学ではなく就職を希望する為に退学届を出しに来たのもここだった。まあ、一旦は引き止められたんだけどな……そういえば校長室には入ったことがねぇな……」

 一足飛びに理事長邸宅に行く辺りがシルヴィスらしいとミルは思う。そういう意味でシルヴィスとハルミンの豪快さは似ている。

 その感慨も冷めやらぬ頃、理事長邸宅居間に三人は通された。

「!!」

 シルヴィスはそのまま近くにあった二人掛けのソファにどっかりと腰を降ろし、応接机の上にあったポットの水を断わりもなく飲み始める。

 ミルとナナはその奥に広がる居間の執務机に座る人物を見て固まってしまった。

 部屋にはシルヴィスとカトリーヌ以外に数名の人間がいる。

 学園生である二人は理事長の顔くらいは知っているが、その佐藤ミドリは執務机横にある安楽椅子に座り優雅に揺れている。

 その横には学園の制服を来た女子生徒が立っているが、知らない人物だ。

 更に窓際にはシルヴィスと同等の身長を持つ黒いコートの男が立っている。これも二人には面識のない人物。

そして中央の執務机に頬杖をついて座っていたのは、見間違う筈もなく、ミルの親友にしてナナの敬愛する北海道知事、高橋ハルミンその人であった。

駆け寄るミルとナナを軽く手を挙げ制したハルミンは、150インチはあろうかというモニターを指差した。そこには九日前に撃墜された特別機の離陸からが詳細に映し出されている。

「なかなか良い出来だろう?」

 ミルとナナに特別機奇襲の一部始終を見せたハルミンは上機嫌でDVDをデッキから取り出した。吹き飛んだ筈の両足がある。

「……あんな暗い中でどうやって撮影していたのよ?」

 春先でまだ陽も短い頃のことであるので、ミルは当然疑問を口にした。

「だから……なかなか良い出来だろう?」

「……つまり、偽物の映像ですか?」

「まあ、この国は技術の国だからね……少し本気を出せば、これくらいの映像を作るのは朝飯前というやつだよ。これを中央政府始め、各キー局や新聞社に送付して驚かせるのくらいは効果があるだろ? 『偶然』映っている奇襲した戦闘機に思い切り日本の国旗が描かれているなんて……話としては映画レベルだが、この映像を解析してコンピュータグラフィックだと結論できる専門家は誰もいないと思うよ?」

 ミルは楽しそうに喋るハルミンのテンションに少々疑問を持ち始めていた。

「……あんた、本当にあのハルミンかい?」

「……それは痛い所をつくな。まあ、私が高橋ハルミンであることに間違えはないんだけどね。あの奇襲の際に実際私は一度死んでいるんだよ」

「……じゃあ今、目の前であたしたちに喋っているハルミンは一体なんなのさ?」

 そう言うと、ハルミンは腕を組み考え込んでしまった。

「なんなんだろう? 死んだのに生きているというのは不思議な感覚だ……」

「まあ、理解できるかどうかは別として、説明くらいはしてやっても良いんじゃねぇか?」

 そう口を開いたのは窓際で外を眺めていた黒いコートの男だ。

「お前たちも生徒会役員なのだから、この学園がただの巨大な学園でないことくらいは気付いているよな?」

 説明の担当はシルヴィスであるようだ。この部屋に入ってからカトリーヌと理事長、理事長の横にいる女子生徒は口を開いていないし、紹介もされていない。

「……それは……どうやら人間以外の生物と私たちが同一の学び舎にいるということですか?」

「流石はキリ嬢、ナイスな回答だが、人間外は言い過ぎだぜ。少なくともこの学園に通っている生徒はすべて姿形が人間だ。異能力者と普通の人間の共学くらいの表現にとどめておいた方がよいだろうな」

 ミルもナナもクラスメートの中に異質の人間が混ざっていることには気付いていたが、異能力者であるとまでは知らなかった。

「まあ、異能力なんて言葉でくくられているが、なんの役にも立たない『ちょっと感が鋭いだけ』なんて能力から『空中を自由自在に飛べる、手からビームがでる』能力まで大小様々だけどな。基本的に人間が想像できる超能力は大体揃っているのがこの学園なんだぜ?」

「……そんな人間集めてなにをするのさ?」

「さあな……俺もその辺はよく知らん……と、いうことにしておいてくれ。俺が今説明できるのは、知事がどうやって生還したかという事実だけだ」

 シルヴィスはポットにあった水を全て飲み干しており、ミドリにおかわりを要求しながら二人に対面にくるように指示した。理事長邸宅には専属のメイドが数名いるはずだが、ポットを持って応接室からでて行ったのはカトリーヌだ。

「さて、では話すが、あんまり俺も説明上手ではないからな。疑問質問はナシの方向で頼むぜ。先ずは、死んだ人間がどうなるのかから話さねばならんな」

 前置いてからシルヴィスは水を持ち戻ってきたカトリーヌにノートと鉛筆を要求し、チラリとミドリの指示を仰いだカトリーヌが渋々ノートと鉛筆を取りに再度部屋からでて行く。

「人間が死ぬと……正確には殺されるとだな。魂と体が分離するんだ。その魂は実はまだ生きている。体はただの肉塊だがな……それでも死んだばかりであれば、それは器としてまだ機能するものだ。そして、抜けたばかりの魂は、ある程度の能力が備わっていれば、見ることができる」

 そう言ってシルヴィスは自分の目を指差した。

「ちなみに俺の目でも魂は見える。お前たちが脱出したあと、俺とそこの窓際にいる藤村藤村ふじむらとうそんさんは、墜落寸前の特別機に乗り込んだ。眠っている知事に『トドメ』を刺す為にな……」

 ミルの腰がソファから浮くのをシルヴィスは両手を挙げ制した。

「コラコラ、話は最後まで聞け。その標的、つまり今回の場合は知事だが、人間は死なないと魂が体から出ない。だから殺さなきゃならなかったんだ。ついでに、その標的が死んだ際に最も近くにいた人物以外は魂に触れられない。それが今回の場合は俺に該当するんだよ。最初の自衛隊機による機銃掃射で死ななかったのは幸いと言わねばならん。その場合だと知事の魂に俺は触れられないからな。そこで死んでいた場合は助けようがなかった。知事が死んだ際に最も近くにいたのが、護衛隊長やオヤッさん、キリ嬢辺りではどうにもならないのが事実だ。護衛隊の人員に能力者は一人もいなかったからな。今度からは混ぜるように進言はしておくぜ? 俺もそう何度も札幌にいたりしないからな」

 言葉尻はハルミンに向けられたものだ。ハルミンは軽く肩をすくめてみせた。それもミルやナナには記憶にないハルミンのキャラではあったが、シルヴィスの言う通り話を最後まで聞いてから質問に移ろうと二人はアイコンタクトし確認した。

「それでよ……こっからがちょっとややこしいんだが、殺した瞬間に体から出てくる魂ってのを見られる生物はこの地球にはいないことになっているんだ。なんというのかな……俺の目でも、小さ過ぎて追えないというのが正しいか……結局その小粒が寄せ集まった物のことを人間は魂と呼んでいるんだが……全部を捕まえるのはなかなか難しい。そこで登場するのが藤村さんだ。藤村さんは……まあ、身長が俺と同じくらいの人間にしか見えない訳だが、実は人間ではなくてな」

 ミルはこの時点で頭の回転が鈍くなるのを感じている。

「まあ、簡単に言うと異世界人なんだが、結構地球寄りの考え方の人だと思ってくれ」

「……別に『魔物』とか『悪魔』と呼んでくれて構わんよ? 俺も地球の文化や考え方を色々研究させてもらったが、確かに俺の能力は普通の地球人から見れば悪魔的だ」

 窓際で腕を組む黒いコートの男藤村は、気さくな悪魔だった。

「おう、藤村さん。そう言って貰えると助かるよ。藤村さんは魔王なんだ。ただ、俺たち人間が持つイメージの悪魔ではなく、人間に味方する悪魔なのな……そんで、話は戻るが、墜落途中の飛行機に乗り込むような超人能力は俺にはないと考えてくれ。そして、魂の粒子が集まる場所に移動する能力も俺にはない。そのどちらをも有する能力者は地球に一人しか存在せず、今回その能力者が地球に不在だった」

「……あんたがハルミンを殺して、抜けた魂を追うのに藤村さんの能力を使ったのね?」

 ミルはなんとか沸騰しそうな頭を回転させ訪ねた。

 シルヴィスはウンウンと二回頷き、話を続ける。

「ああ、その認識で間違えねぇ。ちなみに藤村さんには人間の魂は見えない。だから俺が殺す必要があったんだ。そんで……お前たちが不思議に思っている知事の両足の再生なんだが……これも外部委託した……と、言うのも、魂の活動時間はせいぜい一日から、もって二週間が良いところでな、それ以上の時間が経過すると消滅しちまうんだ。折角異世界の魂の集まる場所から魂を持ち帰ってきても、肝心の箱である体が壊れているんじゃ話にならねぇんだよ。しかし、知事の体の壊れ方は半端じゃなかった。そこで、ここにはきていないが、俺の知り合いの吸血鬼に体の再生を委託したんだ……これも簡単に説明するとって話だぜ? 吸血鬼もピンキリだからよ。たまたま学園内に体の再生専門の吸血鬼がいるんでな……」

「お陰で私の両足と傷んだ体は二十時間後には再生し、シルヴィスが持ってきてくれた魂を体に戻すことで生き返ったのだよ」

「まあ、今までの性格と少々違う人格になってしまったかも知れないが、本人に間違えはない」

「……」

「……」

 ミルとナナの頭脳が回転し始めるまでに少々時間がかかる。

「性格が変わるのはなぜですか?」

 ナナの方が先に回復し、なんとか情報を引き出そうと質問する。

「それは肉体の再生に吸血鬼を使ったからだと思うぜ。魂は全部回収して戻したからな。吸血鬼に血を吸われた人間というのは、無意識にその吸血鬼のクセ……例えば机があれば頬杖をつくとか、意味もなく右側を見るとか、眼鏡もかけていないのにずれた眼鏡を治すしぐさをするとかな……そういうものを引き継いでしまうんだ」

「……よく映画とかで、吸血鬼に噛まれた人間が大元である吸血鬼が死ぬと一緒に死んだりするのを見かけるけど、それはどうなの?」

「それはないはずだぜ? 確か魂の抜けている体に噛みついても、そこまでの支配にはならないと聞いた覚えがある」

 そう言ってシルヴィスが同意を求めた視線は、理事長の横に立つ女子生徒に向けてのものだった。

「そうね。その見解で正しいわよ。まあ、ハルミンの体を再生した吸血鬼は、本当に不死だから退治されることも死ぬこともないというのが事実」

 やっと口を開いた女子生徒がハルミンを呼び捨てであることにナナは立腹するが、それを見たシルヴィスが苦笑いしながら制した。

「ちなみに揚子江よしえさんは『永遠の女子高生』なんだ。本人は不死ではないと言っているが、不老に見えるのは確かだ。この部屋にいる人間の中では最も年長者だからな。言葉遣いが偉そうに聞こえても、それが正しいんだ」

「地球換算で俺より600歳くらい下だよな?」

「ふふ……藤村殿。地球では女の年齢を訊くものではありませんよ?」

 シルヴィスの説明が終わったようだと判断した年長者たちが各々好きに話始め、収集が出来なくなった頃、安楽椅子の横にかけてあった杖を手に持ったミドリが執務机を三回叩いた。

「ハルミンさんの死についてはお二人とも理解出来ましたね?」

ミルはシルヴィスに先程の話をノートに図解してもらって復習中だった。

「はい……理事長先生……しかし、函館から学園に戻る道端に知事補選公示ポスターを見かけましたが、ハルミン先輩が生還したのであれば……選挙の必要はないのでは?」

 理解力という意味でナナはミルを上回る。

「理事長先生、ナナ。ちょっとその質問の答えは待って……まだ理解出来てないよ……違うな……まだ納得していないよ」

 言いながらミルはシルヴィスの書いた図解を眺め、不明な点をシルヴィスに質問し、とにかく納得のいくまでその作業を続けた。

「ミルは納得さえすれば、どんな事態にでも対処できる精神力を持っていますので、少々お待ちください、師匠」

「そうですか、あなたがそう言うのであれば待ちましょう。それにしても、異能力や異世界人の話を自然に受け入れていますね……」

 ミドリの問いに、ミルはノートを眺めたままで視線を向けることなく答える。

「理事長先生。あたしは現代人という生物の知能は結構低いと考えています。そりゃあたしも含めてね。だから人間の想像力と称しているものが、実際なにかで見た物や経験したものからしか生まれていないんだと思っています。だから、異能力も超能力も異世界魔界の存在も、その魔王も信じられます。人間の考え出したと称する物は存在していても驚きはありませんよ。だけど、あたしはバカだから、納得のいく説明がないと駄目なんです」

 その答えに満足したのかミドリは頷いたが、今度は藤村が興味を持ったようだ。

「へぇ……その娘は面白いな……シルヴィス、揚子江、ミドリ。その娘、俺に預けないか? 俺の住む世界を見て開眼した場合、かなりの化け方をするんじゃねぇかと思わせる発言だぜ。最近の人間はネットで検索できるようなものごとで知っているつもりになっていて、妄言しか吐かねぇが、その娘ならフィールドワークで知識を吸収できるタイプだろう? なかなか稀有な存在じゃねぇか」

「……藤村さん。あんたの住む世界に連れて行けるのは、魔王一人につき二人までという取り決めがあるだろ?」

「魔王一人につき? 魔王って何人もいるの!?」

 ミルは思わずノートから顔を上げた。

「ああ、藤村さんの世界に王は七人いる。俺が直接会ったことのあるのは……三人か……まあ、ちょっと想像を絶する世界だそうだから、人間と同じサイズじゃない魔物の王も当然いる訳で、デカ過ぎて地球サイズに収まらない巨人の王とか、サイズは人間と変わらないけど、こっちの世界で言う霊体だとか……まあ、藤村さんや他の王に聞いた話だけどよ。俺もその世界に行ったことはねぇんだ」

「あんたはその世界に所属するの?」

「え? いや……誘われてはいるけどよ……俺程度の格闘術の持ち主は着いた途端に殺されそうなくらいサバイバル感満載の世界みたいだぜ?」

 ミルの質問の答えに窮したシルヴィスは藤村に助けを求めた。

「まあ、そうだな。サバイバル感とかいう意味ならシルヴィスの言う通りだが、魔界でも稀有な能力を持つお前が殺されるなんてことはありえないな……」

「すぐそうやって人をおだてやがる……俺の能力なんてたいしたもんじゃねぇだろ?」

「フ……それこそ謙遜だぜ? お前が『殴れない』魔物は俺の知る限り魔界にも……王も含め百人までいないはずだ。充分稀有だろ?」

「……あんたの能力ってなんなの? 藤村さんは随分あんたのことを買っているみたいだけど……」

 真っ直ぐにシルヴィスを見つめるミルの視線からシルヴィスは逃げたが、同じくらい興味を持ったナナと視線が合ってしまう。

「いや……本当に呆れるような能力だぜ?」

「私も最初に師匠から聞かされた時は苦笑いしたけれど、後で考えてみたら、そんな怖い能力はないって思ったけどね……」

 助けを求めたつもりのシルヴィスの視線に、ハルミンの答えはミルとナナの興味をかきたてるような内容だった。

「わかった。わかったよ……そんな大仰なもんじゃねぇから笑うなよ? 俺の能力は『見えるものであれば、何でも殴ることができ、殺せる』だ……」

「「?」」

 ミルとナナは虚を突かれたような表情になり、ミルはその言葉の意味を噛みしめるように口の中で繰り返し、ナナは天井に視線を漂わせる。

「ん? それだと……誰にでもできることなんじゃないの?」

「シルヴィス。言葉が足りないよ……その能力は対人間のみの話をしている訳ではなく、例えば象でもクジラでも殴れる。それがどんなに早く動いていても、シルヴィスの拳は必ず当たり、その生物に死を与えることができるんだね」

 ハルミンの補足も充分な表現ではなかった。ミルの眉間に皺が寄り、ナナの視線はシャンデリアの蝋燭を数えていた。

「……それって、無敵じゃね?」

 口に出してからミルは思い付いたようだ。

「その能力が対人間のみの話ではないなら……対人工物や対自然現象にも応用できるの?」

 シルヴィスは答えたくなさそうに水を飲んだが、理事長も藤村も揚子江もハルミンもミルの推理を面白がっているようで、待っても助け舟は出なかった。

「ああ、理論上はできると言われているが……『台風』を殴り殺したことはねぇよ」

「……でもさ……『人災テロ後に暴走した発電所を殺した』ことがあるんじゃない?」

 それは誰の記憶にも割と新しい出来事で、未曽有の大災害だったのだが、その中で起きた不可解な現象にミルの頭は辿り着いていた。

「ああ、確かにテロ終息一ヶ月を経過しても安定収束しない発電所をぶん殴った……結果がああなるとは思わなかったが……本来俺の能力は自分の身を護る時や周囲の人間を守る時以外には使えないんだが、あの時は簡単に発動したな……」

 シルヴィスは原子力発電所を殴り殺したのだ。彼らが生まれる前にロシアで起きた事故を処理する際、コンクリートで作ったものを石棺と表現するようだが、シルヴィスが殴った結果、発電所周辺は氷の棺桶と化した。それは炉心の中枢で溶融し続けていた核燃料さえも凍らせたのだ。シルヴィスが意外だと思ったのは、普段の彼の能力は殺すイコール破壊だからであり、発電所も粉微塵に吹き飛ぶと予想していたものが、瞬く間に氷漬けになったのは想定外としか言いようがない。

「やっぱ、無敵じゃん……」

「いや……まあ、地球の中では無敵な方に属するかも知れんのだが……俺はその殴る能力の他に少々目が特殊だったりするだけで、知事はクジラを殴り殺せると言ったが、俺は海の中で呼吸もできないし、空を飛んでいる鳥を殴り落とすこともできん。だから、今回の事件でも藤村さんの空中浮遊や瞬間移動の助力なしでは成功しないし、助けるという意味では知事の壊れた体を再生するような能力も持ち合わせていない。無敵に近いのかも知れんが、万能ではないってことだ」

「その超能力者の中に予知能力者はいないの? なんなら特別機が襲われる前に処理して欲しいじゃない?」

「ん? 揚子江。予知能力ってのは、これから起こることを先にイメージできる能力で間違えないか?」

 藤村が小声で揚子江に訊いていた。優雅な素振りの彼女が頷く。

「? 藤村さん?」

「あ、ああ、話の腰を折ってスマンな。これでも『日本語』は堪能な方だと自負しているんだが、時々確認の必要な言語に行き当たる場合があるんだ。まさかとは思うが、俺を含めた異世界人が全員日本語で喋っていると思っている訳じゃないよな?」

「先に説明すべきだったかも知れんが、藤村さんは母国語ではない言葉を使ってくれている。魔界の言葉は人間には発音不可能だから、こっちに合わせてくれているんだ」

「え? じゃあ、名前も?」

「ああ、人間に発音できる言葉にテキトーに当て字している。北海道の地名にも多いからなんとなくわかるだろ? 札幌だってアイヌ語の当て字だしな……一応聞き取れるかやってみるか?」

 そう言ってから藤村が発したその音は、ミルにもナナにも耳触りの良い音楽にしか聞こえなかった。

「まあ、あんまりやると揚子江に怒られるからやめておくか……悪魔とか魔物は普通に挨拶しているだけでも、人間の耳から俺たちの言葉が入ると音の響きで魅了しちまうことがあってな……創作の吸血鬼話にでてくる吸血鬼が乙女を引き寄せる際に使う能力なんかは、遥か昔に地球にたまたまきちまった異世界人が、たまたま姿形の似ている人間に話し掛けた際に起きた魅了現象を元にされているって話だぜ? 映画なんかだと、ビジュアル的に表現するしかないから、吸血鬼の目が光ったりしているけどな……」

 質問からはかなり逸脱した話だが、ミルもナナもそちらにも興味が湧いた。藤村は見た目がかなりの色男で、軽いノリだが、地球の文化に関してかなりの研究者であると感じられたからだ。

 その間シルヴィスは質問の答えを考えていたようだ。彼にとっては聞いたことのある話でしかなく、それ程の興味をそそられる話でもなかった。

「多分……オヤッさんやキリ嬢の考える予知能力者ってのは……地球上には二人か三人しかいない……その誰もが日本人ではなく、下手すると自分の住んでいる国の形も知らんような偏見者が多い……その中に人間一人に起きる出来事を予知するような能力者はいないと言っていいだろうな……未来人がわざわざ過去の出来事を変える為に現代にきたという話も実際には聞いたことがない。ただ、今回の場合はコンピュータの『中』に入れる能力者が学園内に存在し、たまたま中央政府首相の携帯電話内の記録を覗いたから発覚して、それから対処って話になったから、出遅れたと言われても仕方ないか……」

「……確かにどうでも良い能力ね……生身でハッキングできるから何? みたいなことだよね?」

「ああ、そいつの能力はそれだけなんでな。理事長の指令で確認作業を行ったのは本当にコンピュータに詳しいハッカー五人で、その中の一人は俺の友達だ。大体の作戦内容が決まり、藤村さんに連絡した頃には特別機に対する攻撃が始まっていたんだ。さっきも触れたが、異能力者イコール万能じゃねぇんだよ。俺なんか作戦中にアフリカの砂漠から突然学園に連れてこられたんだぜ?」

「作戦中?」

「……俺がさっき拳銃をカトリーヌに渡したのは見ていただろ? 俺の職業は外国人傭兵部隊の傭兵なんだよ。こっちの裏仕事みたいなのは不定期にやってくるだけだから、一発の金額は大きいけどよ。正直大した儲けにならねぇのさ」

「発電所の時は時給六百万だったよな?」

 藤村がニヤニヤしながら補足し、シルヴィスは頬を赤くした。

「あれだって実質稼働時間五時間で三千万にしかならなかったんだ。他の傭兵は知らんが、俺の日給は二百二十万だぜ、藤村さん。二週間の活動で貰える金額でしかないんだよ」

「ハハ……シルヴィスは金の亡者だな」

「……あんたが学園を自主退学してから数年経つけど……一体何の為にそんなお金が必要なのよ?」

 訊いてから思わずミルは自分の口を手で塞いだ。シルヴィスが自主退学した理由を彼女は知っていたのだ。

「まあ、金のかかる家族がいるからだよ……」

 ナナはシルヴィスの退学理由を知らなかったので、もう少しその話に言及したかったのだが、理事長宅の居間の空気を流石に感じた。どうやらこの話は聞かなかったことにした方が良さそうだと判断する。

「しかし、シルヴィス先輩の能力で傭兵なんて反則じゃないですか? だって、対人間に関してほとんど無敵なんですよね?」

「え? ああ、キリ嬢。それは違うんだ。俺の能力はもちろん俺の意思で発動するものだが、素人……能力者以外に使うことは緊急事態や依頼がない限りないんだよ。だから、戦争で俺が能力を使うことはほとんどなく、戦場での俺は普通の外国人傭兵なんだ」

「使えば圧勝ですからね。それはシルヴィスだけでなく、ここにいる能力者全員に言えることです。それは藤村殿も然り、魔界の王でも地球にきている時は地球の流儀に従っていただいていますし、私やミドリもそのルールにはずっと従っています」

「さっきの魔界の言語と同じでな。能力者がそうでない者に合わせて活動しなくては、地球なんて何度爆発していてもおかしくないような世界だ。この惑星を奇跡の星と呼ぶそうだが、その危ういバランスが奇跡的だという意味も含まれているんだぜ?」

 確かにシルヴィスの能力が本物だとすると、彼が能力発同時に地球を殴れば、どうなるのか想像もできない。それを戦場で対人間に使わないルールが定められているのはそんなにおかしいことではなかった。

「ハルミンを助けなくちゃならなかった理由を聞いてないな。今までの話を総合して、ハルミンは北海道知事だけど、能力者ではないとあたしには聞こえている」

「ああ、それは理事長からの話の中に出てくることだな……先程キリ嬢が質問した内容の答えの中にそれはあるさ」

 シルヴィスは開放された安堵感からか、水を一気に飲み干し、ミドリにまたもやおかわりを要求した。ミドリの視線を受けたカトリーヌが恨めしそうな視線をシルヴィスに向けながらポットを持って出て行く。

「私の質問は知事補選の件でしたが……」

「そうですね……ハルミンさんが生きているのにどうして補選が必要であるか? でした。その答えは簡単で、半独立国家北海道として、いえ、世界の見解として『高橋ハルミンは死んだ』という扱いなのです。先程本人が見せた映像でわかるように、中央政府に対して北海道は対決を挑まなくてはならない状態になりました。北海道民の団結を高めるのに、ハルミンさんが生きていてもらっては困るのです。実際にはこうして生きておりますがね……それに、生き返りはしましたが、それによってハルミンさんは『普通』の人間ではなくなりました。これは裏の国連条約にも記載されておりますが、人間外能力者の政治への参加禁止。これはシルヴィスさんの使う使わないのレベルではなく、異能力者の政治介入そのものを許さずという大変厳しい条約なのです。半独立国家北海道は新しい国ですが、その条約を順守しております。それを曲げさせるのに一年ほど時間が必要だと、北海道を含めた能力者上層部で結論が出たのです」

「そんなややこしい手続きが必要なのに、ハルミンを助けた……」

「それも簡単な話です。私はハルミンさんの師匠ですから、師匠と呼ばれる私がハルミンさんをむざむざ殺させるなどと考えますか? 私の愛する学園生がそのような状況に追い込まれた時、私はどのような手段を用いてでも助けます。今回の件の場合、私も油断していたとしか言いようがありません。まさか国民からの支持率一桁の首相がそのような暴挙に出るとは思いもしませんでした。この場合は険悪と言われる半独立国家北海道知事と中央政府首相のシェイクハンドこそが支持率回復のきっかけになったはずでしたのに……しかし、その事件は起きてしまい、ハルミンさんは一度死にました。生き返ったハルミンさんは既に『普通』の人間ではありません。故に普通の人間による政治が必要になります。それが補選の意味です」

「じゃあ……ハルミンはもう知事には戻れないの?」

「双子の妹とかの設定も考えたんだけどね。結局は裏国連条約違反になってしまうから、あきらめるしかないんだよ……師匠と揚子江様が手を回してくれるのに一年くらいかかってしまうし、政治空白はここを狙う諸外国に付け入る隙を作ってしまうしね……それに、私はもう年齢も重ねないらしいし、子供を残すこともできない体になってしまったそうだ」

「え?」

「まあ、それくらいのリスクはあるんだよ。なんの対価もなく生き返ったり能力者になれたりする方がおかしいと思ってくれ。ここに今いる連中は、藤村さん以外全員がなにかのリスクと引き換えに能力を有しているんだ」

 シルヴィスが頭をかきながら説明してくれた。

「例えば俺の場合、能力を使って何かを殴ると一発につき『体重が1キロ減る』つまり、一度の戦闘で相手が十人いて、一人倒すのに一発だとすると、俺は戦闘後体重が単純に10キロ減る。まあ、10キロくらいならまだ平気だが、20キロ30キロとなると話は別だ。俺には俺の殴り方のスタイルがあるからな。体重が30キロ減ったままでは100パーセントの能力を発揮できないというリスクを持っている。ちなみに、1キロ戻すのに一日から二日かかる。だから……俺が命懸けで連続戦闘できる人数は、五十人くらいか……それ以上の連続は多分俺の体が持たねぇからな……」

「それってリスクなの? 女のあたしたちからすると、夢のような能力なんじゃない?」

 ミルの発言を受けたシルヴィスがゴツイ軍靴からバカでかい足を引き抜き、ソックスを下に降ろしてふくらはぎの辺りを見せた。

「単純に贅肉が減って痩せるだけなら俺も結構歓迎するんだけどな……」

 それはすでに塞がっていたが、どう見ても新しい『傷痕』にしか見えなかった。

「俺がこの前知事を殺した時に減った部分だよ。俺が能力を行使して殴ると、こういう減り方をする。発電所の時は『腹』が6キロほどなくなった。ちなみに血が噴き出すことはねぇし、死ぬこともねぇが、痛みはある」

「……ゴメン」

「なぁに、気にするな。シルヴィスと俺が喋ると話が脱線するから、話を先に進めようぜ?」

「あんたが言うなよ」

 シルヴィスと藤村はまるで仲の良い兄弟のように言葉でじゃれている。ミルはシルヴィスの表情がこんなに柔和であるのを見たことがなく、少し心拍数が上がるのを感じていた。

「今日お二人にきていただいた理由の話に戻します。まだなにも話していませんからね」

 ミドリの一言でシルヴィスは黙って足を軍靴に戻し、藤村は腕を組んで窓の外を眺めるスタイルに戻る。

「中央政府は私や揚子江やシルヴィスさんの存在を知っています。能力まで熟知しているとは言い難いのですがね。問題はこの一点ですが、中央政府は異能力者の存在を知りながら、北海道に喧嘩を売りました……もちろん裏国連条約加盟国である日本は能力者が政治介入しないことを知っています。しかし、そのやり方の汚さに私は腹を立てているのです」

「ミドリ。あんまり興奮すると心臓が止まるわよ? 今あなたに死なれると私が困るんだからね……あ、ごめんなさい。これはこっちの話だから……」

 少し興奮した理事長を女子高生姿の揚子江が戒める。この様子はあべこべ感があり、見ていると滑稽だ。

「コホン……失礼。つまり、私があなたたち二人を呼んだ理由は『能力者でない者による北海道知事の仇討ち』の為なのです」

 唐突な結論にミルとナナは暫く理事長の言った意味が飲み込めなかった。



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