鬱病は怠け病かもしれません
前回の【鬱病は怠け病ではない】に反している。
【逆説】という考え方がある。とはいえ、【逆説】で考えようと【逆説】で考えなかろうと、結局、結論に殆ど差異が生じないのだが。
私は以前『鬱病は怠け病ではない』などという物を書いた。長々と(実質、そんなに長くはないが)書いた作品であったが、要約すると、
「鬱病になる人は真面目な人が多い。それなのに、世間の認識では、鬱病は怠け病認定されている。真面目な怠け病とは何か? その認識を改めてもらいたい」
というような物だ。
そこで最近、私はある事に気が付いた。『鬱病は怠け病なのではないか?』という事にだ。と、ここで【逆説】へと以降したい。前回の作品を見ている方からすれば、
(気でも狂ったか?)
とでも思うのであろうが、そうではない。
【何故、鬱病が怠け病と呼ばれるようになったかの要因の一つを見出だしたからだ】
それをまた長々と(そんなに長くはない)話そうと思う。
そもそも、前回話した通り、鬱病とは真面目な人が過度のストレスにより患う疾患である。なので、
『真面目だからこそ、怠け病にはならないのではないか?』
と定義してしまうと、前回と同じ一途を辿るので、違う方向から考えてみようと思う。
では何故、真面目な人がなる鬱病患者が怠け病となるのかだが、
『真面目だからこそ、真面目に鬱病を再発しない為に、どうやって手抜きをすれば良いか』
を考えてしまうのだと考察する。普通に(私は、この【普通】という言葉が嫌いだ)考えれば、真面目な鬱病さんは、真面目に仕事をして、その真面目さ故に鬱病を再発するのではないか? と、なる訳だが、そうすると鬱病が怠け病と呼ばれる要因が無くなってしまう。そこでだ、ややこじつけではあるが、鬱病患者を怠け病にする方法を考えてみた。
結果は同じ。やはり真面目は真面目でしかない。しかし、真面目さ故に、真面目にサボるという事も出来るのではないかと思うようになった。真面目だから真面目に仕事をするのではなく、真面目だから真面目に手を抜くのだ。不真面目さんからすれば、
(そこを抜いたらダメでしょう)
てトコロでも手抜きをしてしまうのだ。真面目さ故に。
そうすると、鬱病患者は、平然と手抜きをするというレッテルが貼られ、鬱病患者は怠け病となる。
しかもだ、日常生活の大半は生活になんら支障がないのに、【引きこもり】や【対人恐怖症】【得体の知れぬ不安感】等に苛まれ、揚句、自殺に至る。
端から見れば、ただの【かまってチャン】認定されても不思議ではない。そんな患者を見て、【怠け病】認定しない方もおかしいと考えた。
真面目に仕事をする代わりに、再発を恐れ真面目に仕事の手を抜く。人目を避け、日常生活は営めるのに仕事となると話は別。これを【怠け病】と言わずして何と呼べば良いのだろうか?
ただこれだけは認識して欲しい。鬱病はただの【怠け病】ではなく、再発を防止する為の【怠け病】になるのだ。
結論としては、鬱病患者は怠け病ではない。鬱病再発防止の手抜きを行うかもしれない、日常生活は出来るのに仕事には行けないかもしれない、それでも真面目に考え、出来るだけ早く完治したいと願っているのだ。真面目に。それなのに世間の鬱病への見識は低く、結局、【怠け病】の烙印を押す。過去の私がそうであったように。
もう一度言う、声を大にして言う。
「鬱病は決して怠け病なんかではありません! 鬱病患者も鬱病で苦しんでいるんです」
結論は同じ。鬱病は怠け病なんかじゃないんだよ。