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シラ書等にある意味は悔悟させて彼らを救えである。

シラ20:7 知恵ある人は、時が来るまで口をつぐむ。 ほら吹きと無分別な者は、 時をかまわず、しゃべりまくる。


(このまま)


※その聖霊の遭遇から、30年近くはその意味を口にせず耐えたものである。


 偽りを言う者と無分別な者は、時を構わず、喋りまくるので、その偽りが暴露される。


 実際にその意味を語るのは、主に出会い時が熟してからの告白だったこと。


 語ることを決心したのは、2011年3月の震災が起きてその意味を語る時が来たと実感したこと。


 30年前の春の日に、私はその場所で神から預言なる言葉を受け、当初は信じることなく罪を犯すが、


 やがてその記述に真を悟り、神に帰順して本当のことを言っている。


 本来であれば、到底耐えることのできぬ状況だが、それを耐えて神の奇跡を体験したので、


 私は神の律法の大事を語るのである。


 その律法の中に「そしり」は断たれる意味合いになるからに控えねばならぬ。


記されている意味に関して勘違いしている輩がいるので、シラ書の本質を語ろうと思う。


まずトマスの福音書では大事な意味合いでこう語っていることだ。


イエスは言われた。”わたしはこの世の真只中に立っていた。そしてこれらの人々に肉において自分を現わした。わたしは彼らがみな酔いしれているのを見出した。


彼らのなかに渇いている者はひとりも見出さなかった。そして、わたしの魂は人の子らのために苦しんだ。


なぜならば、彼らは心の中で盲目であり、見ることがないからである。彼らは空でこの世に来たゆえに、空でこの世から出ることをいまだ求めているからである。


しかし、だれかが来て、彼らをただしてくれるように。そのとき、彼らが眠って酔いから目をさましたとき、彼らは、悔い改めるであろう”。


【トマスの福音書28】


※誰かが来て、彼らをただしてくれるようにである。


要するにその者が彼らの前に現れて、彼らの過ちを指摘して、罪から遠ざけて滅びる者として記されている意味合いから救いあげることである。


シラ49:10 十二人の預言者の骨が、 その墓から再び花を咲かせるように。 彼らはヤコブの民を慰め、 希望にあふれた信仰をもって救ったのだから。


シラ書にあるこの言葉が本題の意味である。


それの意味を知らずに、勝手な思いを抱き、それの言葉に愚かな言葉を語るのは愚の骨頂。


真価を知らないのである。


また、めぐり合う人物等の特徴が箴言の言葉に本人しかわからないように語られていること。


これを基準にすれば、その者らの意味合いが浮かんでくる。


それの意味を悟り、悔い改めるとイエスが言っているのは12使徒の再来の面々の意味である。


=========================


シ ラ28:2 隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、 願い求めるとき、お前の罪は赦される。


(このまま)


※経験から数々の隣人の悪なる扱いを受けてきたのだが、その不正を赦せということである。そうすれば、 願い求めるとき、お前の罪は赦される。


 その咎の解放の意味。


 憎しみの心の連鎖が「舌の刃」となり相手にその見えない病を負わせる結果を見たからである。




シラ28:3 人が互いに怒りを抱き合っていながら、 どうして主からいやしを期待できようか。


(このまま)


※人が互いに怒りを抱き合っていれば、憎しみがわき、愚かな行動に出がちになる。


 それでは、どうして主からいやしを期待できようかと言っている。


 この加減が続けば、その言葉の刃で「死を与えた」こともあると実感する。




シラ28:4 自分と同じ人間に憐れみをかけずにいて、 どうして自分の罪の赦しを願いえようか。


(このまま)


※この世に生まれてきたのであれば、「わたしも人であり」、同じ人に憐れみをかけずして、どうして自分の罪の赦しを願いを受けることができるかと思うのである。この言葉が、復讐をやめて人々を諭そうとする原動力である。




シラ28:5 弱い人間にすぎない者が、 憤りを抱き続けるならば、 いったいだれが彼の罪を赦すことができようか。


(このまま)


※もとはわたしも、弱い人間にすぎず、


 その境遇に憤りを抱き続けるならば、 いったいだれが彼の罪を赦すことができようかと主が言われている。


 その運命も記された意味、その侮りの意味があろうとも、それに目を止めて報復するようでは正義ではないのである。




シラ28:6 自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。 滅びゆく定めと死とを思い、掟を守れ。


(このまま)


※自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。


 要するに、その敵を意識する心を捨てることで、起きる災いが防げるのである。滅びゆく定めと死とを思い、掟を守ることその後の命運を決める。


 掟こそ、主の律法である。




シ ラ28:7 掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。 いと高き方の契約を忘れず、 他人のおちどには寛容であれ。


(このまま)


※掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱かないようにしなければならない。


 これができないと、怒りの爆発が起きた時に友のような病になる者が出るのである。。


 いと高き方の契約を忘れず、 他人のおちどには寛容であれ。


 要するに他人の落ち度には目をつぶり見逃すという意味。


 わたしもその意味を知らぬときは、神の意味を侮り、己の意味も悟らなかった。それだけ、人々には寛容な心が求められるのである。


=========================


※聖書の言葉は、その来るべき者でないと内容は把握できない。


ましてや個人の特徴等、それを完全に心得ていて、それが網羅されているから聖なる書物なのである。


3:10わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。


3:11神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。


3:12わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。


3:13またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。


3:14わたしは知っている。すべて神がなさる事は永遠に変ることがなく、これに加えることも、これから取ることもできない。神がこのようにされるのは、人々が神の前に恐れをもつようになるためである。


※聖書の言葉等は、神の聖霊に出会う人物が己の正体を悟るためにある書である。


ましてや神を嘘つきにするなと箴言にあり、その偽りを言うことさえ禁じられている事実。


断たれる規定に、神につぶやく者は滅ぼされるとあること。



24:10もしあなたが悩みの日に気をくじくならば、

あなたの力は弱い。

24:11死地にひかれゆく者を助け出せ、

滅びによろめきゆく者を救え。

24:12あなたが、われわれはこれを知らなかったといっても、

心をはかる者はそれを悟らないであろうか。

あなたの魂を守る者はそれを知らないであろうか。

彼はおのおのの行いにより、人に報いないであろうか。


※死地にひかれゆく者を助け出せ、


その病で死地に向かう者を救い出せである。


これの意味が来るべき者の大いなる仕事。


滅びによろめきゆく者を救え。である。


このままでは記されている断たれる規定に該当する過ちを犯している者をその滅びの運命から救えという意味合いになる。


ただし、これ中途半端な信仰心では神はその罪を知られているのでその罪を取り除かれることはない。


心から悔悟して悪なる意味から退避することが大事である。



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