シラ書第1章、解読文章。
シラ1:23 辛抱強い人は、時が来るまで耐え忍ぶ。 耐え忍んだ後には、気分が晴れて壮快になる。
シ ラ1:24 彼は語るべき時が来るまで、口を慎む。 そうすると多くの人々は、 彼の思慮深さを伝え広める。
※語るときが来るまで口を慎む、現実、その神を見て不用意にその意味を語れば、その約束の期日が来るまでは余りにも、当人も相手にも極めて危険がある意味合いを知っていたからだ。
(シラ書1)
シ ラ1:1 すべての知恵は、主から来る。 主と共に永遠に存在する。
(このまま)
※その隠された言葉の意味と知恵は、主から来ると云う意味。
主と共に永遠に存在する。
一つ伝えておくが、その人物が偽りを言えば、頸動脈を切ると神の言葉があることを伝えておく。
その言葉は、神の入りこむ人物でないと許されない。
シラ1:2 浜辺の砂、雨の滴、 永遠に続く日々、 だれがこれらを数え尽くしえようか。
シラ1:3 天の高さ、地の広さ、 地下の海、知恵の深さ、 だれがこれらを探りえようか。
(このまま)
※この世のあらゆるものを創造されたのは、神であるという内容の言葉。
シラ1:4 知恵は、他のすべてのものに先立って造られ、 その悟る力も、永遠の昔から存在している。
(このまま)
※知恵は、他のすべてのものに先立ち、そして造られ、その悟る力も、永遠の昔から存在していた。
要するに隠された神の秘儀、その人物にその意味を悟らせる内容が、聖書という物語である。
旧約聖書というものは、本人の経験談が、要するに神が下向して、その意味を当初は知らず、時を得て、それを知ろうと考えた時のそのすべてを知るための神の啓示である。
要するに、その人物がたどる、自分に示された運命を悟らせる書である。
シラ1:5 〔知恵の泉は、いと高き所にいます神の言葉、 知恵の歩みは、永遠の掟。〕
シラ1:6 知恵の根源が、だれに示されたであろうか。 その巧みさを、だれが知りえたであろうか。
シラ1:7 〔知恵がもたらす知識を、だれが見たであろうか。 知恵がもたらす豊かな経験を、 だれが理解したであろうか。〕
シラ1:8 知恵ある方はただひとり、いと畏き方、 玉座に座っておられる主である。
(このまま)
※その記された内容は、主自身が作り上げ、後世に生まれてくる主自身を意味する者に対する教科書、己の意味を悟らせる書物。
シ ラ1:9 主御自身が知恵を造り、 これを見て、価値あるものとされ、 造られたすべてのものの上に知恵を注がれた。
シ ラ1:10 主は、すべての人々に分に応じて知恵を与え、 主を愛する者には惜しみなくそれを与えられた。 〔主を愛することこそ、輝かしい知恵。 主は、御自分を示すために、知恵を分け与え、 こうして彼らは主を見るようになる。〕
(このまま)
※記された内容の意味を悟る者は、主自身の御言葉を知り、こうして彼らは主を見るようになる。
その人物の意味を悟り、その記された言葉を見るようになる。
シ ラ1:11 主を畏れることは、誉れと誇り、 幸せと喜びの冠である。
シ ラ1:12 主を畏れることは、心を楽しませ、 喜びと、幸福と、長寿をもたらす。 〔主を畏れることは、主からの賜物、 それによって愛の道を歩むことができる。〕
シ ラ1:13 主を畏れる人は、幸せな晩年を送り、 臨終の日にも、主から祝福を受ける。
シ ラ1:14 主を畏れることは、知恵の初めである。 知恵は、主を信じる人たちに 母の胎内にいるときから与えられている。
(このまま)
※私自身も、当初は主の聖霊(雄牛)の言葉を侮り、ないがしろにして、言葉の通り、心臓の病を得た。
この意味は詩篇等に記されている。
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38:4わたしの不義はわたしの頭を越え、
重荷のように重くて負うことができません。
38:5わたしの愚かによって、
わたしの傷は悪臭を放ち、腐れただれました。
38:6わたしは折れかがんで、いたくうなだれ、
ひねもす悲しんで歩くのです。
38:7わたしの腰はことごとく焼け、
わたしの肉には全きところがありません。
38:8わたしは衰えはて、いたく打ちひしがれ、
わたしの心の激しい騒ぎによってうめき叫びます。
38:9主よ、わたしのすべての願いはあなたに知られ、
わたしの嘆きはあなたに隠れることはありません。
38:10わたしの胸は激しく打ち、わたしの力は衰え、
わたしの目の光もまた、わたしを離れ去りました。
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※しかし、その意味を悟ろうとして、神に帰順して物事を知ろうとめぐらしたときから、わたしの運命は一つ一つ記されていた。
シラ1:15 知恵は、人々の間に揺るぎない基を据え、 人々は、幾世代にもわたってそれに信頼を置く。
シ ラ1:16 主を畏れることは、知恵に満たされること、 人々は、知恵の果実に陶酔し、
シラ1:17 彼らの家は、すべて望むもので満たされ、 そのすべての倉は、知恵の産物で満ちあふれる。
シラ1:18 主を畏れることは、知恵の冠、 平和の花を咲かせ、健康を保たせる。 〔主への畏敬と知恵こそは、 平和をもたらす神の賜物、 神を愛する者に誇りは増し加わる。
シラ1:19 主はこれを見て、価値あるものとされた。〕 知恵は、知識と悟りを雨のように注ぎ、 知恵を保つ者の栄誉を高める。
(このまま)
※その知恵を学び、世に広めることは、わたしの仕事。
苦しい状況、貧困と苦痛の日々であるが、(これ聖書とコーランの共通の意味。)それを完成させ、人々に手渡す時が来る。
シ ラ1:20 主を畏れることは、知恵の根源、 そこから生え出る枝は、長寿である。
シラ1:21 〔主を畏れることは、罪を退け、 その畏れを心にとどめる人は、 すべての怒りを遠ざける。〕
(このまま)
※わたしの意味を知らぬ者は、知らず知らずのうちに、わたしに対して罪を造ってしまった。その者らは、わたしを怖れ回心して、その場に集う者もいる。
主を畏れることは、罪を退けて、 その畏れを心にとどめる人は、 すべての怒りを遠ざける。
なぜか、さばきの時に、左手からその書物をもらう者は火獄の刑を宣告されるからだ。
シ ラ1:22 不当な憤りには、弁解の余地がなく、 理不尽な憤りは、身の破滅を招く。
(このまま)
※その不当な憤りには、その時の弁解の余地はなく、(その事実が起きたことを、主である人物がその物事を記憶しているからだ。)
理不尽な憤りは、身の破滅を招く。
理不尽とは、道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。
要するに、その道理というものを無視した所業である。
神のももたらす正義という意味合いに、弓を引いた者たちである。
シラ1:23 辛抱強い人は、時が来るまで耐え忍ぶ。 耐え忍んだ後には、気分が晴れて壮快になる。
シ ラ1:24 彼は語るべき時が来るまで、口を慎む。 そうすると多くの人々は、 彼の思慮深さを伝え広める。
(このまま)
※その言葉のすべてを語るまでは、30年の月日の空間の我慢があったこと。
時を得て、その示された雄牛の聖霊の意味を悟りたいと考えたのが始まりだった。なお、聖霊の意味を冒涜する者は、天でも地上でも許されないという言葉を知るべき。
天上の人物でも、意味を悟らずに神の聖霊を侮り、それをないがしろにすると病を得ると云う意味を知るべきだ。
キリストもこう伝えている。
イエスは言われた。”父を冒涜した者は赦されるであろう。そして、子を冒涜した者は赦されるであろう。しかし聖霊を冒涜した者は、地上でも天でも赦されないであろう”。
※冗談ならぬ現実である。
わたしの持つ雄牛の聖霊を冒涜した者は、言い逃れはできない。
シラ1:25 知恵の倉には、知識に満ちた箴言がある。 しかし罪人は、敬神の心を忌み嫌う。
シラ1:26 知恵を熱望するならば、 主の掟を守り通すがよい。 主は知恵を豊かに与えてくださる。
(このまま)
※その知恵の倉には、神の存在の意味を知る、知識に満ちた箴言がある。
これは、30の言葉により、わたしを使わした方にその意味を悟らせるという言葉が醍醐味である。
しかし罪人(神に対して罪を犯す者)は、敬神の心を忌み嫌う。
そして、言い逃れのできない罪を作り上げる。
されど、その罪を認めて回心して、
知恵を熱望するならば、 主の掟を守り通すがよい。 主は知恵を豊かに与えてくださる。
※私自身も、神に対して、反省して自分の歩むべき、神の御言葉を知る道を選んだのだ。
シ ラ1:27 主を畏れることは、知恵であり、教訓である。 主は、誠実と柔和を喜ばれる。
(このまま)
※主を畏れることは、知恵の第一歩であり、それを知ることが教訓である。
主は、回心して誠実と柔和を喜ばれるからだ。
シ ラ1:28 主を畏れることをいとうな。 二心をもって主に近づいてはならない。
(このまま)
※主を恐れることこそ、神の恩恵を知る第一歩、
二心をもって主に近づいてはならない。
シラ1:29 人々の前で己を偽るな。 お前の口を慎むがよい。
(このまま)
※これの意味は、わたしの言葉に偽りがあってはならないという、父の教え。
シラ1:30 高ぶった思いを抱くな。 さもないと、つまずいて恥をかく。 主は、お前の正体を明らかにし、 会堂の中で面目を失わせる。 なぜなら、お前は畏れを持たずに主に近づき、 心は偽りに満ちていたのだから。
(このまま)
※その心に高ぶりは禁物で、その高ぶりは、己のつまずきとなり恥をかく。
主は、お前の正体を明らかにしとは、過去生のイエスキリストの不義の意味を明らかにして、その今までのキリストの教えに面目を失わせるという意味。
過去のわたしは、畏れを持たずに主に近づき、 心は偽りに満ちていたのだから。それが本当のことだった。
すべては、以前にその言葉を配信している。
わたしは真摯に語ってきたが、その律法を勧めるのだが、それを捨てて、守らなかったのは人々である。