シラ書第15章、解読文章。
(シラ書15)
シ ラ15:1 主を畏れる人は、これを行う。 律法に精通している者は、知恵を悟る。
(このまま)
※その意味を知り得たとしても、主を畏れている。
そして、記された神の律法を守ることが宿命と悟る。
シ ラ15:2 知恵は、母のように彼を出迎え、 新妻のように彼を迎え入れる。
(このまま)
※当初は何も知らぬ状況であったが、その記された知恵の言葉を学び、己に示された意味の一つ一つを知り得て行く。
シ ラ15:3 英知のパンを食べ物として彼に与え、 知恵の水を飲み物として、彼に与える。
(このまま)
※雄牛の聖霊に出会い、心臓の病になる暗示と、その境遇に耐えられるかという言葉の意味が知りたくなり、旧約聖書に記された意味をたどる。
シラ15:4 彼は、知恵に支えられて揺らぐことなく、 知恵に身を任せて、恥をかくことはない。
(このまま)
※その神の真意を知り得ると、その大変だった境遇なる苦しみは、神の与えた試練だと知り得た。
そして、その知恵の言葉に支えられると、すべてを悟るので揺らぐことなく、
恥をかくこともなくなった。
シラ15:5 知恵は、周りの者たちよりも彼を優れた者とし、 集会で語るとき、適切な言葉を与えてくれる。
(このまま)
※その最終的な集いの時に、わたしはその意味を理解され、そのときには適切な言葉が生まれるようになる。
シラ15:6 彼は楽しみを味わい、喜びの冠を受け、 その名声はいつまでも続く。
(このまま)
※その苦しかった状況は一変して、その喜びの冠を神から受け、その名声はいつまでも続く。
大事なことは高ぶることなく、威張ることなく。
謙虚な言葉使いと、そのうちにある素直な言葉で伝えたいと思う。
シラ15:7 愚かな者は、決して知恵を悟らず、 罪深い者は、知恵をかいま見ることすらない。
(このまま)
※※要するに、その意味は記されているのだが、何のことか意味を知らないからその時には助かることはない
シラ15:8 知恵は、高慢な者から離れており、 偽りを言う者の心には決して思い浮かばない。
(このまま)
※やはり、如何に苦しくとも、その真意を述べる正直さが大切であるとわたしは感じる。
シラ15:9 賛美の歌は、罪人の口にそぐわない。 主に促されて歌うのではないから。
(このまま)
※賛美の歌は、真に神に感謝する心から生まれる。
主に促されるよりは、自ら神を崇め、その存在に意味を歌にしてきた。
シラ15:10 賛美は知恵をもってささげられ、 主御自身がこれを正しく導かれる。
(このまま)
※その賛美の意味も、その知恵の言葉から生まれ、世の中に浸透してゆく。
主御自身がこれを正しく導かれるのだから。
シ ラ15:11 「わたしが罪を犯したのは主のせいだ」と言うな。 主が、御自分の嫌うことをなさるはずがない。
(このまま)
※主の聖霊との出会いがあった時から、その意味を悟ろうとするまでは、罪を犯してきた。
主の御顔に泥を塗るような行いをして、神の怒りを受けた。
それはむさぼりの罪であり、愚かな自分がいたのである。
しかし、その意味を悟ると恥いる部分さえ感じる。
これが驚愕の言葉だった「主が、御自分の嫌うことをなさるはずがない。」
トマスの福音書にある第2章の意味である。
見出すときに、彼は当惑するであろう。当惑してさらに彼は驚くであろう。
正直言えば、何にも知らずに15歳の時から33年間を生きてきた。
その最終的な意味に、そのメスを入れたのは2013年の夏ごろだった。
シ ラ15:12 「主がわたしを迷わせたのだ」と言うな。 主は、罪人には用がないのだから。
(このまま)
※迷ったのはすべて私の愚かなる心が作り上げたもの。
悔悟とは心から悔いて、反省する意味である。
シラ15:13 主は、忌まわしいことをすべて憎まれる。 それらは、主を畏れる人にも好ましくない。
(このまま)
※神は忌まわしい行いをすべてお嫌いになる。
神の掟にも、その意味が記されている。
神を畏れる人は、その守るべき掟は守らなくてはならない。
シラ15:14 主が初めに人間を造られたとき、 自分で判断する力をお与えになった。
(このまま)
※その都度のことにおいて、自分で判断して行動するのも大切である。
主の掟を守るとは、意識して、その行いを注意して進むことである。
シ ラ15:15 その意志さえあれば、お前は掟を守り、 しかも快く忠実にそれを行うことができる。
(このまま)
※その守るという意識を持ち、掟を守り、その守るべき掟を忠実に行うことが今後の命運を決める。
シラ15:16 主は、お前の前に火と水を置かれた。 手を差し伸べて、欲しい方を取ればよい。
(このまま)
※示されている道は、申命記に記された二つの道である。
要するに、その掟を守り、主に示された主の道を行くか。
それを拒み、破滅を迎えるかである。
主を畏れる意味を知るので、前者を選ぶ意味になる。
シラ15:17 人間の前には、生と死が置かれている。 望んで選んだ道が、彼に与えられる。
(このまま)
※破滅の道は、恐怖心をもたらす。
まさに人類が置かれている状況と似ているのである。
その言葉に従わねば、結局は崩壊を迎え滅ぶ。
その知恵の言葉を知り得て、生きる方向性を選ぶ人間になるか。
わたしも置かれた意味は、二つに一つである。
シラ15:18 主の知恵は豊かであり、 主の力は強く、すべてを見通される。
(このまま)
※神の知恵は豊かであり、その力は測り知れないくらい強く、この世のすべてを見通しておられる。
シラ15:19 主は、御自分を畏れる人たちに目を注がれる。 人間の行いはすべて主に知られている。
(このまま)
※神は、ご自分を畏れる者たちに目を注がれる。
人間の行いはすべて主に知られている。
シラ15:20 主は、不信仰であれとは、 だれにも命じたことはなく、 罪を犯すことを、許されたこともなかった。
(このまま)
※主は、すべてにおいて不信仰であれとは、誰にも命じたわけではなく、
罪を犯すことを、許されたこともなかった。
罪を犯すことは、主に目に明らかなのである。