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第九話 赤と青②

 会長に『構ってやる』と宣言されていた日曜日。


 宣言はされたが具体的な約束はしていないし、あれから呼び出しもない。

 冗談だったのだろうと高をくくり、朝からゲームをしていた。


 天気がいいのに自室に篭り、光が反射して画面が見えづらいのでカーテンを閉め切る。

 インドアまっしぐらだ。

 黙々とコントローラーを動かしていたが、一段落したところで飲み物とお菓子を買ってこようと近くのコンビニに行くことにした。


 玄関を出て歩道に入ると、いつもとは少し違うざわめく空気を察知した。

 様子がおかしい、何かあったのだろうか。

 辺りを見回したが、事件や事故が起こっているわけではなさそうだ。


「ん?」


 きょろきょろと動かしていた視線を前方に戻すと、視線を縫い付けてしまうような物体を見つけた。

 物体というか人物だ。

 イケメンオーラを撒き散らし、すれ違う女性の目を全て掻っ攫いながらこちらに向かってやってくる『赤』。

 ……成る程、こいつが異変の原因か。


 『敵襲じゃああああっ!!』


 頭の中で、火の見櫓からの警鐘が鳴り響いた。


「央! 家を出て待っているとは感心だな。出掛けるぞ!」

「ひいっ」


 会長はいつになく爽やかな笑顔を浮かべていた。

 機嫌が良すぎて恐ろしい。


 休日だから当たり前だが、私服姿でのご登場だ。

 カーキ色のズボンに黒のTシャツ。

 革のベルトと小物を身につけている。

 シンプルな印象を受けるが、会長自身と言う最高の素材があるので恐ろしく格好良く見える。


 ご近所のおば様たちも圧倒的な存在感を放つイケメンの登場に騒然としている。

 その様子を見ていると無視して思わず家に戻りそうになった……が。


 よく考えると、家の中には兄がいる。

 会長が僕を迎えに来たことを知ったら色々説明しなければならなくなり、非常に面倒だ!

 会長の言うことを聞く面倒を取るか、兄に説明する面倒を取るか……後者の方が面倒くさいか。


「はあ……カイチョー、コンニチワ」

「どうした、浮かない顔をして。俺が構ってやるから安心しろ、ハハハ! 良い天気だ、出掛けるにはもってこいだな」


 お前が来たからこんなになったのだ!

 ……なんて声に出して言える筈が無く、心の中で叫ぶしかなかった。


 今日は頗る調子が良い様だ。

 何時もより、五割増くらい元気で煩い。

 僕は頭が痛くなってきた。


「……はあ」

「さあ、行くぞ!」

「……ハイ」


 こっそりと溜息を一つ零した後、意気揚々と進み始めた会長の後に続いた。

 インドア休日を満喫する気だったのに、強制アウトドアだ。

 なんという苦行!




 ※




「何故こうなった……」


 目の前で僅かに揺れる糸を目で追いながらぼやく。

 糸の背景に広がるのは凪の海。

 海、そう海だ。

 海に糸を垂らして獲物を捕る、所謂『釣り』というものをしている。

 会長に連行され、気がつけばこの状態だ。


「何処に行きたいか」という質問をされた時に、ゲームの続きをしたかった僕は「のんびりしたかったのに……」とつい呟いてしまった。

 それを聞いた会長が「のんびりか! 任せろ! ハハハ!」と馬鹿高笑いしながら突き進み、辿り着いたのがここだった。


 よく来ているのか迷うことなく釣具屋で釣具一式を借り、コンビニで飲み物などを買った。

 今はペットボトルのカフェオレ飲みながら釣り中だ。


 水平線近くには船が渡る様子が見え、穏やかな光景が広がっている。

 確かにのんびり出来ている。

 案外悪くない。


 釣りと言っても本格的なものではなく、沖に向かって五十メートルほど突き出ている突堤の上から、真下に糸を垂らすだけだ。

 釣竿も短いし、浮きもつけていない簡単なもので釣っている。


「臭い。暑い」


 上から声が降ってきた。

 声の主は夏緋先輩だ。

 会長と移動している時に連絡が入り結局僕らについてきたのだが、さっきから文句ばかり言っている。


「海なんだから潮臭くて当たり前でしょ。っていうかいい加減座ったらどうですか」

「潮はいい。潮とは違う生臭さが嫌なんだ。それにこんなフナムシが行き交っているようなところに座りたくは無い!」

「はいはい、そうですか」


 夏緋先輩は潔癖なところがあるようだ。

 釣りも餌のオキアミを触りたくないからやらないと言うし、突堤に直に座るのは汚いから嫌だと言ってずっと突っ立っている。

 それに日に焼けるのは嫌だとか……どこのお嬢様だよ!


 明るいベージュのズボンに、ネイビーのフードがついたパーカー。

 中に白いTシャツを着ているのが分かる。

 こちらもシンプルだが、やはり本人が最高の素材なので安定のイケメン感である。

 制服にもパーカーを着ていたが、好きなのだろうか。

 今は日差しを防ぐためかフードを被っている。


 ちなみに僕は遠出するつもりじゃなかったから、部屋着のジャージだ。

 黒いジャージのズボンに上は僕もパーカーを着て、中にTシャツのスタイルだ。

 普通にダサい。

 元々そんなにお洒落に気を使っているわけではないが、それでも羞恥心を覚えるくらいにダサい。

 ダサい上に全身黒で暑い。

 何も良いことがない。


 早く家から離れた方がいいと思い着替えることを我慢したが少し待って貰い、着替えてくれば良かった。

 そんな後悔をしていると竿に異変があった。


「お?」


 微かだが手に振動が伝わってきた。

 ひょいと軽く上に振り上げたら振動は確かなものに変わった。


「お、食った!」


 意気揚々とリールを巻くと、魚影はすぐに見えた。

 海から上がってきたのは十五センチくらいのカサゴだった。


「わーい釣れた」

「やるじゃないか! くそっ、先を越されたか」


 隣で同じように釣りをしていた会長が悔しそうに笑った。

 会長より先に釣れて結構嬉しい。

 中身に難はあるが、成績優秀、容姿端麗、おまけに生徒会長なスーパースターに釣りくらいは勝ちたいものだ。


「俺も気合を入れて頑張るか。未来の弟には負けていられん」

「オニイチャンガンバッテー」

「……馬鹿ばかりだな」


 会長がお兄ちゃんになる日なんて、きっとこないと思うけれどね。

 本物の弟が呆れた顔しているが、会長は全く気にしていないようだ。


「夏緋オニイチャン、そろそろ座れよー。背後霊みたいでなんか鬱陶しいよー」

「背後霊!? ……って誰がお兄ちゃんだ」

「だって会長がお兄ちゃんなら、会長の弟の先輩も僕にとってはお兄ちゃんじゃないですか」


 僕の言葉を聞くと、機嫌が悪そうだった夏緋先輩の眉間の皺が深くなった。

 そうですか、そんなに嫌ですか。


「よかったな! 弟が出来たじゃないか! お前のためにも俺は頑張って真の目を覚まさなければな!」

「良くない、頑張るな! ほら、お前のせいで変な方向に進んだじゃないか!」

「夏緋オニイチャンが怒ったー怖いー」

「こら夏緋。央をいじめるなよ」

「……はあ」


 夏緋先輩が白けている様子を横目で見ていると、また竿に当たりがあった。

 急いでリールを巻くと、さっきと同じカサゴが上がってきた。


「やったー」

「おお、順調じゃないか!」

「兄貴も頑張れよ」

「俺は大物しか釣らない。まあ、待て」


 こんな簡単な装備で大物は無理だろう。

 釣ろうとする佇まいだけは、さまになっていて絵になりそうだが。


 それからも僕は何匹か釣り上げた。

 大物はないが、定期的に当たりがあって順調だ。

 それに比べて……。


「何故だ……ピクリともせん……」

「兄貴、全く釣れてないじゃないか」

「オニイチャン、ドンマイ」


 見ていて可哀想になってきた。

 釣りたいのは分かるが、会長のオーラが魚をもビビらせているとしか思えない。


「場所だ! 場所が悪いんだ! もう少し沖に近いところで釣ってくる!」


 そう言うと、積み上げられた消波ブロックの上を軽々と飛び渉りながら沖の方に行ってしまった。

 こんなところで運動神経の良さを披露しなくても……。

 というか必死だな。


 夏緋先輩は動かず、冷めた目で会長を見送っていた。


「ついていかなくていいんですか?」

「ここより更に臭いところになんか行きたくない」

「さいですか」


 まったく、難儀な人だ。

 未だに座らず立っているし。

 仕方ない、座れるように敷物でも用意してやろう。

 着ていたパーカーを脱ぎ、自分の横の地面に広げて敷くと、ぽんぽんと手で叩いた。


「どうぞ。ここ座ってください。立っているのも疲れたでしょ?」

「……」

「僕のパーカーが汚いから嫌とか言ったら、海に突き落としますよ」

「お前な」


 どうするか考えている様子の夏緋先輩だったが、敷いていたパーカーを拾うと僕の顔に投げてきた。


「うおっ、ちょっと!」

「いい。着ていろ。日焼けするぞ」

「んなもん気にしません」

「しろ。結構痛くなるからな」


 そう言うと僕の隣に腰を下ろし、海の方に長い足を組んでぶらりと垂らした。

 あれほど嫌がっていたのに、直に地面に座って大丈夫なのだろうか。


「汚れちゃうけど、いいんですか? パーカー暑くて脱いでおくから、別に敷いていても良いのに」

「着ていろよ、馬鹿。この海の水を全てアルコール消毒液に変えたいくらい嫌だが、仕方ない」

「どんだけー」

「まあ、これ以上お前に気を使わせるわけにもいかないだろ」

「へえ! 意外に普通の感覚をお持ちなんですね!」

「喧嘩を売っているのか? 買うぞ?」


 今までのやり取りからすると、気遣いなんてできない人だと判断して当然だろ。

 最初は完全スルーされたし、俺様会長の弟だしね。


「なあ」


 餌を代えるためにリールを巻いていると、急に真面目な声のトーンで話し掛けられた。

 顔を向けると、真剣な表情でこちらを見ていた。

 そんな真っ直ぐな眼差しで見られたらドキってしてしまう。


「なんですか? 告白ですか?」


 『ドスン』と鈍くて重い痛みが横腹に入った

 言い切る前に殴られた!


「痛い! 暴力反対!」

「そういう冗談は嫌いだ。ったく、人が真面目に話をしようとしているのが分からないのか。愚か者が」

「ちょっとふざけただけなのに」

「ふんっ」


 ふざけたのは悪かったが、殴ることはないと思う!

 この兄弟には『凶暴につき、取り扱い注意』の札を貼っておいて欲しい。


「で、なんすか」


 ぶっきらぼうな態度で抗議を入れつつ、殴られた横腹をさすりながら聞く体制をとる。


「お前、自分の兄達の関係について、どう思っているんだ。……男同士だぞ?」


 ああ~、そういう話ね!

 無意識にポリポリと頭を掻いていた。


 僕の場合は前世の記憶があるという特殊なパターンだからなあ。

 自分の性格を考えると、前世の記憶の有無に関わらず兄達を祝福しただろう。

 でも、記憶があることによってスムーズに受け入れることができたと思う。


「まあ、そうですけど……本人達の問題ですから」

「周りの目とかもあるだろ? お前、男好きの弟とか思われるんだぞ。実際、今オレは思っている」


 ――ドンッ


 気がつくと手が勝手に夏緋先輩を海に突き落とそうとしていた。

 そう思われても構わないが、言葉にされるとイラッとした。

 この兄弟は凶暴なのも、デリカシーがないのも似ているらしい。


「馬鹿! 落ちるだろうが!」

「知らないですか? 最近流行っているんですよ、『海ドン』という……」

「聞いたこと無いぞ! お前な……洒落にならないことするな!」

「フナムシに集られてしまえ」

「止めろ! 冗談でも言うな。ああっ、鳥肌が」


 腕をさすって大げさに騒いでいる夏緋先輩に呆れつつぽつりと呟いた。


「男好きの弟とか思われても、僕は別にいいよ」


 BL充させてくれているし、なんとも思わない。

 まあ、実際そうだしね!

 本望である。


 夏緋先輩は僕の言葉を聞くとさすっていた手を止め、「信じられない」と言いたげな顔でこちらを見た。


「はあ? いいのか? 周りからそういう目で見られてもなんとも思わないのか?」

「じゃあ聞くけど、先輩は自分の評判を気にして、会長に好きな人を諦めろって言ってんの?」

「……そうだ。悪いか? 当然だろ」


 夏緋先輩は僕から顔を逸らすと、バツが悪そうに海を眺めた。


「ごめん。責めるような言い方したけど、非難するつもりはないんだよ? 戸惑うのは仕方ないし。僕は気にしないタイプだから大丈夫ってだけ。兄ちゃんが幸せなら何も問題ないよ」

「大物なのか、馬鹿なのか。恐らく後者だな」

「はいはい、そうですね」


 今日はずっと馬鹿扱いだな。

 まあ、ギスギスしていた時よりはずっといい。

 少しだけ夏緋先輩と打ち解けることが出来た気がする。


「……兄貴には似合わないよ。失恋とか、そういうのは」


 夏緋先輩がぽつりと呟いた。

 その横顔はどこか寂しそうだった。


「!」


 そ、そうか……!

 僕は夏緋先輩のことを勘違いしていたのかもしれない。

 ふふ……なるほど、なるほど。


「お前、何笑ってんだよ」

「いや、矛盾してるなと思って」

「矛盾? 何がだ?」

「世間体を気にするなら、会長と距離を置いて他人のフリしておけばいいのに、今日もこんな所までついて来て……。先輩、会長のことが大好きなんですね!」

「はあ!!!?」


 BLになるか心配だからと、学校だけではなく休日まで世話を焼くなんて、どう考えても『嫌い』じゃ出来ない。

 夏緋先輩から自分と同じ、『兄ちゃん大好きっこ』の匂いを感じた。


「僕も兄ちゃん大好きだから、一緒ですね!」

「お前はブラコンかもしれないが、オレは違うぞ!」

「はいはい」


 必死に否定してくる姿が肯定しているようなものだ。

 実に微笑ましい。

 思わずにっこりと笑みが零れてしまう。


 ――ドンッ


「!?」


 今度は僕が海ドンされそうになっていた。


「……あぶなっ! ちょっと! 死ぬでしょうが!」

「流行っているんだろ」


 夏緋先輩の顔を見ると、血色が良くなっていた。

 どうやら照れているようだ。

 こういう顔も出来る人だったんだなあ、と驚いた。

 でも、照れ隠しの海ドンはハード過ぎるので止めてもらいたい。


 この人、なんか可愛いな。

 『ギャップ萌え』というやつだな。

 言ったら再びトドメの海ドンされるから言わないが。


 やっぱり自分の世間体を気にしているというより、会長を心配しているのだろう。

 あと会長に『格好良い兄』でいて欲しいと思っているんじゃないか、と思う。

 会長が「フラれた」と話した時も嫌悪しているような空気を放っていたけれど、それも『兄らしくない』と憤っていたのかもしれない。

 オレの兄貴をフルなんてけしからん! と。


「思いが成就しなくても、一途でいる会長も格好良いと思うけどなあ」


 『孤高の帝王、羨望の的』もいいが、そういう人が一途に一人を想う姿も格好良いと思う。

 しかも性別の壁を越えてまでなんて、拍手を送りたいくらいだ。

 兄カップルのクラッシャーになるのはやめて頂きたいけれどね!


「迷惑している奴が言うか? お人好しというかやはり馬鹿だな」

「はいはいはいはい」

「『はい』は一回でいいと子供の頃に習わなかったか?」

「はいはい」


 氷の視線を浴びつつ、本日何度目か分からない適当な返事をした。


「しかし……」

「?」


 夏緋先輩は何かを話し始めるのかと思いきや、途中で言い止ってしまった。

 横顔をちらりと盗みを見ると、また真剣な顔で何かを思案しているようだった。

 糸を垂らしながら、話し出すのを待つ。


「男同士だとどういう関係というか、どういう交際をするんだ? 男女だと行き着くところは『結婚して子供が生まれて』という流れだろうが、男同士だとどうなるんだ?」


 素晴らしい!

 BLについて思案していたようだ。

 もしかするとこれが、夏緋先輩の神聖なるBLロードを歩み始めるきっかけになるかもしれない。

 輝かしい初めの一歩!

 なるべく興味を持って貰えるように、慎重に話そう。


「子供は出来ないけど、男女と変わらないんじゃないかな」

「でも男同士じゃヤレないだろ」

「そんなことないよ。子供は出来ないけど、欲しいんだったら養子ってところもあるし、代理出産とかもあるみたいだし」

「出来るのか? 何をするんだ? というか……なんかお前異様に詳しいな! やっぱりお前も!」

「違うって!」


 何処までが『詳しい』と捉えられるのかが分からないから怖い。

 夏緋先輩がBLロードのスタートラインから走り出せるように、つい力んで話してしまったか。


 それにしても……イケメンとBLトーク!

 ドキドキするな……最高だ……神様、素敵なご褒美時間をありがとう。

 今の「どうやってヤルんだ?」って流れ、BLゲームだったら「実際やってみる?」に繋がって最終的に「ッアー!」だよな。


 きっかけの一発目、BLロードをロケットスタート!

 そして、この体験を忘れられず、夏緋先輩はどんどんBLロードを突き進み、楽園への扉は開かれるのである。

 あ、勿論相手は僕ではなく、楓あたりに変換して脳内補充する。

 僕だと萎える。

 あ、兄だとどうだろう?

 会長の恋心を邪魔している内に、自分の方が惚れていた……みたいな展開はアリだ。

 もちろん兄カップルには平和に励んで貰うので、僕の脳内だけでの話だが……。


「お前、凄い顔してるぞ……」


 おっと、腐臭が漏れてしまっていたようだ。

 余りにも美味しくて、我慢出来なかった。


「お前…………気持ち悪いな」

「うっさい! 心底そう思っている感じで言うな!」


 自覚してるつーの!

 夏緋先輩が、急にご馳走を寄越してくるから悪いのだ。


「なあ」


 再び真面目なトーンで話し掛けられた。

「やっぱり告白ですか?」と言いそうになったが、海ドンをされる死ぬので、顔を向けるだけにした。

 夏緋先輩は何か言いづらそうに視線を動かしていたが、少しするとこちらを一瞥して口を開いた。


「……この前は悪かったな」

「はい?」

「お前の兄貴を悪く言ったことだ」


 気まずいのか、ボソボソと聞き取り辛い声だった。


 あー……神の御子たる兄を「気持ち悪い」と言ったあれか。

 正直、気にしていたことにも、謝ってくれたことにも驚きを隠せない。

 謝ってくれたことは嬉しいが意外だ。


「別にいいですよ。同じブラコンのよしみで、今回だけは許してあげます」

「違うって言っているだろ!」

「はいはい、そういうことにしておいてあげます」


 必死に否定をすればするほど、僕は和むばかりである。


 しっかし、今日で夏緋先輩の印象が、大きく変わったなあ!

 冷たくて自分勝手な人だと思っていたが、どうやらお兄ちゃんっ子で、ちゃんと謝ることができる人のようだ。

 やはり、夏緋先輩はギャップ萌えの人だな。

 BL充要員としては期待が大きいが、相手は……王道で行くと、兄弟モノか。

 会長×夏緋先輩。

 現実だと兄弟モノはいかがと思うが、かなりスペックの高い組み合わせである。

 魔性の誘い受け楓様を引き合わせて夏緋×楓もいけるが、夏緋先輩は『攻め』に見えるけれどそこはかとなく『受け』臭がするので、会長との組み合わせがやはり一番しっくりくる――。


「おい! 央、見てくれ! 大物だ!」


 夏緋先輩の無限の可能性に胸を熱くしていたのに、横槍を入れるような叫び声が聞こえてきた。

 声のする方向を見ると、積み上げられた消波ブロックの先端に行った会長の竿が折れそうなほどしなっていた。


 とんでもない大物!? この近海の主を……って、違うじゃん!

 あれ、どう見ても……。


「地球という大物を釣ってやったぜ! ハハハ!」

「根がかりしてるだけじゃないかっ!」


 僕のツッコミが海に響いた。


「うわ……フナムシ! やっぱり、こんな所にいられるか! おい、もう帰るぞ!」


 夏緋先輩が素早く立ち上がり、騒ぎ始めた。


「煩い兄弟だなあ!」


 この二人、やっぱり兄弟だな。

 タイプは違うかもしれないが、根っこが一緒というか……似ているな。

 二人を無視して、淡々と帰る身支度を始めた僕だった。




 ※




 竿を返して臭くなった手を洗い流し、来た道を戻って駅に到着。

 今はガタゴトと電車に揺られている。

 夏緋先輩を間に挟み、長い座席に三人並んで座っている。

 この車両には僕たち以外に誰もいない。


 他愛もない話をしてのんびりしていたが、揺れが気持ちよくて凄く眠くなってきた。

 日が落ち始め、暗くなってきたこの雰囲気も眠気を誘う。

 会長と夏緋先輩、良い声の二人の会話もBGMのようで心地良い。

 日の光を浴び続けたし、案外疲れもあるのかもしれない。


 眠気を我慢できなくなり、目を瞑って俯いた。

 船をこぎ始めたのが自分でも分かる。

 ああ……もう、無理だ。


「着いたら、起こしてください……」


 なんとか一言告げて、眠気に白旗を揚げた。

 先輩二人を放っておいて、一番後輩の僕が寝るのも失礼かもしれないが……この兄弟だし、いいか。


 力を抜くと、少し体勢が楽になった。

 もっと楽になりたくて更に力を抜くと、どんどん身体が倒れていくのが分かった。

 片側が何故か暖かい。

 何が暖かいのだろうと思ったが、隣にいるのは夏緋先輩だから……。

 多分、僕が凭れかかってしまっているのだろう。

 気持ち悪いと怒られるかもしれない。


 ……まあいいや、その時はその時だ。

 実にいいクッションだ。

 ああ、楽だわ……。




 意識を手放して熟睡し始めた一年生を、一人は冷めた目で、一人は子供を見るような目で見ていた。


「重い。こいつ、わざと体重かけてきてないか?」

「いいじゃないか。疲れたんだろう。寝かせてやれ」

「ちょっと臭いし」

「そりゃあ釣りをしていたからな。お前だってそうだろ」

「オレは餌を触っていない。ああもう、うぜえ……」


 口を半開きにして完全に熟睡している頬を、凭れかかられている人物が思い切り抓った。


「……起きない。こいつ、どれだけ熟睡してるんだ」


 あまりにも無防備で気持ち良さそうに寝ている姿に、いつしか二人は呆れながらも微笑ましく眺めるようになっていた。


「なあ、兄貴。今日少しだけ分かったよ」

「何だが?」

「兄貴は『男』を好きになったんじゃなくて、あの人だから好きになったんだなって」

「今更何を言っているんだ。前から言っていただろう?」


 分かっていたが、ちゃんと理解出来ていなかった。

 だが、何故かすっと納得出来るようになっていた。


「こいつ……っていうかここの兄弟は不思議だな」

「どういう意味だ」

「なんというか、あまり性別を意識させないというか」

「はっ!」


 赤い髪の人物が、大げさな仕草で鼻を鳴らした。

 明らかに小馬鹿にされている青い髪の方は、抗議するように顔を顰めた。


「案外、お前も俺の気持ちが、もっと分かるようになるかもなあ?」


 そう言うと、終には小さくいびきをかいて眠り始めた一年生に視線を向けた。

 その仕草の意味を理解した青い髪の人物は、更により一層顔を険しくさせ、呟いた。


「あるわけないだろ。あってたまるか」


 さっきは微笑ましく見ていた幸せそうに眠る顔が、段々腹立たしいものに見えてきた。

 腹いせにもう一度頬を強く抓る。


「いひゃい」


 喋った。

 起きたのかと思ったが……寝言だった。

 それどころか、より一層凭れかかられてしまう結果になった。

 赤い髪の方が思わず笑った。

 青い髪の人物の眉間の皺は、駅に着くまで続いたのである。


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