青桐兄弟ルート⑥
本日、コミカライズ14話が、ニコニコ&CWで更新されています。
コミカライズ二巻からの続きになります。
真がとても……とても可愛いです……(癒
引き続き青桐兄弟ルートです。
目出度く兄カップルが仲直りをした翌日。
登校前に春兄と雛が揃って現れた。
そこで雛が「兄達の関係を知っていた」という衝撃の事実を告げられたり、雛の友人の佐々木さんが腐女子だと判明したり――。
慌ただしい朝を終え、やって来た昼の休憩時間。
会長から「昇降口に来い」と連絡があったので、今日もきこりで昼食を取るのだろう。
残り物とはいえ何度もごちそうになるのは申し訳ないが、「食べないと廃棄になっちゃうから」というお言葉にいつも甘えてしまっている。
兄に用意して貰ったお菓子を、時々お礼として渡しているけれど、貰っている分の方が大きいと思う。
近々、営業時間中にも兄と食べに行きたいな、と思いながら教室を出ると、廊下にいる女子達が同じ方向を見てそわそわしていた。
この感じ……最近もあったぞ……。
女子達の視線を追ったその先には……やっぱりいた。
少し離れたところで、夏緋先輩がスマホを触りながら立っていた。
会長の姿はなく、一人のようだ。
「夏緋先輩! 迎えに来てくれたんですか?」
近づいて呼びかけると、夏緋先輩はスマホをポケットに入れた。
「いや、オレは一緒に行かない」
「え? 何か用事があるんですか?」
「……今日は、兄貴がお前に話があるそうだ」
だから来るな、とでも言われたのだろうか。
夏緋先輩は納得してなさそうな顔をしているが……。
「話って、兄ちゃんのとのことですよね? 夏緋先輩は聞かなくていいんですか?」
「……大体は把握している」
「そうなんですか?」
夏緋先輩が分かっているなら、それを僕に話してくれてもいい気がするが……。
会長が話す、と言ってくれているなら、大人しく聞いて来るとしよう。
「じゃあ、夏緋先輩はどうしてここにいるんですか? 誰かと待ち合わせですか?」
「お前に一言、言いに来た」
「?」
一言ならメッセージでよかったのでは? と首を傾げたが、夏緋先輩が眉間に皺を寄せて怖い顔をしていることに気づいてびっくりした。
何!? 心臓に悪い圧をかけないでください! と思っていたら、急に肩をガシッと掴まれた。
「いいか? お前は脇が甘いから、しっかりしろよ。兄貴のペースに流されるなよ」
話の内容が入って来ないくらい、肩が痛いですけど!
僕の肩を外すつもりか!?
「痛いですって! 会長に流されるな、って……何の話か知りませんけど、難しいことを言わないでくださいよ。そんなことを言うんだったら、夏緋先輩も来てくださいよ。僕も三人で行こうって援護しますよ!」
武力では勝てないけれど、夏緋先輩の後ろで応援くらいならできる。
「行ってやりたいが……今日は無理だ。何かあればすぐに連絡しろよ。あと、明日はオレと行くからな」
「え? お昼ご飯の話ですか? 夏緋先輩と二人で、ってこと?」
「そうだ」
当然だろ? みたいな顔をしていますが、僕は初耳です……。
「僕に選択権はないんですか」
「必要か?」
「ください」
「諦めろ」
「じゃあ、聞かないでくださいよ!」
夏緋先輩はいつもの「フッ……」という鼻で笑うような笑みを残して去って行った。
本当に「会長に流されるな」と、謎の忠告をしに来ただけだったのか。
それにしても……。
兄弟で使い勝手のいい僕という子分を、シェアする感じはやめて貰っていいですか……。
「あ、やばい」
夏緋先輩と話している内に、思っていたよりも時間が経っている。
遅れると会長に叱られるので、僕は慌てて昇降口に向かった。
昇降口付近まで行くと、先程と同様にそわそわしている女子達が、みんな同じ方向を見ていた。
視線の先を辿ると、やはり会長が立っている。
「会長、お待たせしました!」
「二分も待ったぞ」
二分なんてカップラーメンも完成しないじゃないか! と言いたいのを飲み込んで、丁寧に謝っておく。
「貴重なお時間を奪ってしまいすみません」
「まったくだ」
怒っているようなセリフだが、表情は明るいので機嫌は良さそうだ。
でも、僕が次の質問をした瞬間、会長は一気に不機嫌になった。
「会長、夏緋先輩はお留守番でいいんですか? 一緒じゃだめですか?」
みるみる眉間に皺が寄っていく――。
こわいんですけど……!
「夏緋が来ないと知っているということは……今日会ったのか?」
「あ? は、はい。さっき……」
夏緋先輩と会ったらだめなのか?
もしかして、会長と夏緋先輩はケンカでもしているのだろうか。
「……まあいい。時間が勿体ない。行くぞ」
怖い顔をしていた会長だったが、気を取り直して歩き始めた。
慌てて後を追いかけて話し掛ける。
「きこりですよね? 今日はどんなご飯かなあ」
「今日は行き先変更だ」
「えっ」
※※※
学校出て駅に着くと、電車に乗って移動。
降りた駅で、今度はバスに乗った。
凄く遠出じゃないか……午後の授業……。
戸惑ったが、会長の顔を見ると真面目な顔をしていたので何も言えなかった。
華四季園は交通の便も良い都会だが、到着してバスから降りると森が広がっていた。
風が吹くとザワザワと揺れる木々の音は心地よいが、こんなに景色が変わるところまで来ることになるとは……。
「お腹空いたな……きこりのおいしいご飯が食べたかったな……」
「あとで何か買ってやるから文句を言うな。行くぞ、ついて来い」
「はあい……」
こんなところに一人で置いてけぼりにされるわけにもいかないので、大人しくついて行く。
それにしても、ここはどこなんだ……。
学校に鞄を置いたままなのだが、今日中に取りに行くのは諦めた方が良さそうだ。
話を聞きたかっただけなのになあ……。
バス停から道なりに進んで行くと、石造りの立派な塀が見えてきた。
僕達の背丈より少し上の高さで、今から行く場所の敷地をぐるりと取り囲んでいる。
塀沿いの道には、お洒落な造りの街灯が等間隔に並んでいて、ヨーロッパの街並みを歩いているような気分になった。
敷地内に目を向けると、背の高い木々の中、高台になった場所に大きな建物が見えた。
華四季園の校舎と同じくらい規模で、石造りの立派な城だ。
年季の入った石、一部に巻きついた蔓、尖った屋根、大きな硝子窓――。
今は空が明るいのでお洒落だなと思うが、夜見るとドラキュラ城のように見えそうなデザインだ。
「城? 観光地か何かですか?」
「そうだ。石材のテーマパークで人気の観光スポットだ」
「へえ、古城って感じですね。兄ちゃんが好きそうだな」
昔から海外の建造物が好きだったし、推理小説の舞台となっている古城に行ってみたいとよく言っていた。
もしかして……兄と来るつもりだったのだろうか。
会長に視線を向けると、考えが伝わったようで肯いた。
「あの城は真が行きたいと言っていた、イギリスの古城を再現しているんだ」
再現した城があるということより、会長のリサーチ力に驚きだ。
感動すら覚える……意外にちゃんと調べるタイプなのだろうか。
人に「好きになって貰おう」というより、「完全掌握!」というイメージなのだが……。
「今度、兄ちゃんを誘うつもりなんですか? 今日は視察?」
「いや、もう真と来るつもりはない。区切りをつけるのにちょうどいいと思ってな」
「?」
兄カップルが仲直りしたことで、会長は改めて失恋したようなかたちになったから、沈んでいないか心配だったのだが……案外平気そう?
ここに来るまでの道のりでも普段の会長と変わらなかったし、春兄に「しっかり捕まえておけ」なんて、最高にかっこいいことを言っていたみたいだし……。
僕にしたい話というのは、兄のことは諦めて吹っ切れた、という内容だろうか。
そんなことを悶々と考えながら、会長について行く。
塀が途切れたところで、鉄製の大きなアーチ型のゲートが見えた。
映画に出て来そうな立派な門構えで、ゲート周辺の地面には色取り取りの鉱石が埋め込まれていた。
綺麗なので、僕は踏むことに躊躇しながら進んだのだが、会長は地面の鉱石など全く気にすることなく、どかどか歩いてチケット売り場の方に進んでいた。
こういうところは、いつものイケメンゴリ……じゃなくて、会長っぽい。
きこりに行く時はいつも財布を持っているので、今も財布だけはあるのだが、会長がチケットを買ってくれた。
それを受け取って入場、地図を見てから早速メインの城に向かうことにした。
両側に背の高い樹木が並んだ遊歩道をテクテク歩く。
ここの足元には、光沢のある石が敷かれていた。
「綺麗な石だなあ」
「大理石だぞ」
「!? お金持ちの家の玄関に使われる石!」
大豪邸に訪問するテレビでよく見たぞ、と思いながら大理石を見ていると、会長が呆れたように笑った。
「大理石の玄関なんて、裕福じゃなくてもあるだろう」
「天地家の玄関は大理石ではありません」
「でも、真が綺麗にしているだろ? 金をかけた玄関より、お前の家の玄関の方がいいだろ」
「……確かに! そうですね」
高級感のある玄関より、我が家の玄関の方が僕は好きだ。
会長の言葉に頷きつつ……。
兄の話題を普通に出しているし……やっぱり、吹っ切れた? と気になった。
「思ったよりも近かったな」
会長の言葉を聞いて前を見ると、いつの間にか目的地の城に到着していた。
目の前に立つと迫力がある。
遠くから見ていた時には見えなかった細かい装飾も分かる。
「資材は現地のものを取り寄せ、完全に再現されている。細かい装飾や彫刻は現地の職人を呼んでやっているそうだ」
「へえ、徹底していますね。凄いなあ」
何が凄いって、ガイドまで完璧な会長が凄い。
それなのに一緒にいるのが僕だなんて……気の毒だな。
「城の中を見てみるか」
「あっ、はい」
足が止まっていた僕の肩を叩き、会長は先を進み始めた。
会長の歩くスピードは普通に歩いていても速い。
はぐれないように急いで背中を追いかけた。
城の中は昼なのに仄暗く、肌寒い。
石造りの壁に軽く触れてみたり、立ち止まって眺めたりしながら見て回る。
人は少なく、たまにすれ違うくらいだ。
電柱や自動販売機もない光景を見ていると、兄の好きな推理小説の中に入ったような気がして、段々楽しくなってきた。
「現地にいるみたいにリアルですね!」
「そうだな。年季が入っているように見せるため、傷や汚れも再現しているらしい」
壁にヒビが入っていたり煉瓦が欠けていたりするが、それもわざとやっているということだった。
完成度の高さに感動だ。
「凄い……兄ちゃんが見たら喜んだだろうな」
…………あ。
言い終わってから、僕から兄の話題を出さない方がいいかなと思ったが……。
「そうだろうな。俺が選んだところだからな」
会長が自慢げに笑った。
……やっぱり、大丈夫?
でも、いつもならオーラ全開でニヤリと笑うところだが、少し複雑そうな表情だった。
会長から兄のことを話すのは大丈夫そうでも、僕からは言わない方がよかったな、と反省しながら、更に先に進む会長について行った。
石造りの螺旋階段を登った先、鉄の扉を開けると外に出た。
そこはバルコニーのようだが、外周りの通路になっているようだ。
「景色がいいな」
城は丘の上にあったので、そこから辺り一帯を見渡すことが出来る。
緑が広がっていて気持ちが良い。
マイナスイオン全開だ。
会長も僕も思わず足を止め、柵になったところから景色を見渡した。
「本当に良い所ですね」
「ああ……」
隣にいる会長に目を向けると、遠くを見て何か考えているようだった。
恐らく兄のことだろう。
……そっとしておいた方がよさそうだな。
綺麗な景色は気分を落ち着かせる効果がありそうだし、会長の気が済むまで黙っていよう。
そう思って待機していたのだが、会長はすぐに口を開いた。
「あの馬鹿は気が利かないだろう。どこかに出かけることなんて、ないんじゃないか? お前からここを教えてやれ」
「え?」
「ここはきっと真が喜ぶ。あの馬鹿と来たなら……尚更な」
高い所だからか風が強く、聞き取り辛かったが……。
それは春兄にデートプランを譲るってこと?
「春兄にこの場所を教えても良いんですか?」
「ああ」
折角調べたのに……こんなに良い所なのに……。
自分で連れて来なくて、本当にいいのだろうか。
あんなに敵視していた春兄に教えてやれ、だなんて……。
僕からは兄の話題は出さずにいようと思ったところだけど……我慢できない。
「会長は……兄ちゃんのことを諦めたんですか?」
そう聞くと、会長はこちらをちらりと見て苦笑いを浮かべた。
「……そうだな」
「!」
少しの沈黙のあと、会長は頷いた。
あんなに兄のことが好きだった会長が、はっきりと認めたことに衝撃を受けた。
「本当に?」
「ああ。諦める、というより、自分でも気づかないうちに終わっていたのかもしれない」
「……どういうことですか?」
僕から見ると、会長はずっと兄に好意があったと思うのだが……。
「央、俺が『真と話して確認をする』と言ったことを覚えているか?」
「もちろん。つい最近ですし」
兄カップルのことで夏緋先輩と電話していたら、会長も入って来た時のことだ。
「デートではなく、確認してくる」という感じのことを言っていたと思う。
「そうだ。俺は真に、今は幸せなのか聞きたかった。……あいつを選んでよかったのか」
「それは……幸せじゃなかったら会長が奪うつもりだった、ってことですか?」
「そうだな。そんなことも、ふと考えたりもしたが……」
会長はその時のことを思い出しているようだが、心が乱れている様子はなく、妙に落ち着いている。
「ちょうどあいつらが揉めていた時で、真は幸せそうではなかった。だが、あの馬鹿から奪ってやろうとは少しも思わなかった」
どうしてだ?
僕に兄の情報を寄越せ! と言って来た時の会長なら、春兄とケンカしているチャンスを逃したりはしないはずなのに……。
「真が不機嫌だった理由は、あの馬鹿に心があるからだ。幸せそうに笑っていなくても、あの馬鹿を選んだことに後悔はないのだろうと、率直に思った。だから、あいつらが元に収まったのを聞いて……これでよかったと思った。……思えたんだ」
そう話す会長の顔は、寂しそうではあるがすっきりしているように見えた。
でも僕は、兄達カップルの幸せを思うと応援することはできなかったけれど、会長の真剣な想いを近くで見てきたから、やりきれない気持ちになってしまった。
「なんでお前がそんな顔をしているんだ」
「だって……。会長、今までつらかっただろうなって思って……」
こうして話してくれるまでに、葛藤や悲しみがたくさんあったんだろうなと思うと、僕の方が泣きそうになってしまった。
「まあ……そうだな。今まで生きてきた中で一番堪えた。誰にも……特に、真やあの馬鹿に惨めなところは見せたくなかった。弱っている中、よく虚勢を張って来られたなと我ながら感心する」
だめだ……涙腺が緩んできているからか、会長の苦笑いを見ると胸が痛い。
「会長! 兄ちゃんは、『会長は誰よりも前を見てる』って……『自分や春兄よりもしっかりしてる』って言ってました!」
兄達が仲直りした後、僕は兄から会長の話を聞いていた。
その時に兄が言っていたのだ。
気休めにしかならないかもしれないけど、会長が頑張っていたことは、兄やライバルの春兄さえ感服させていた。
「僕もそう思います。兄ちゃんの幸せを考えてくれた会長はかっこいいです!」
僕だけでも、面と向かって会長が頑張ったことを称えたい!
そう思って力説すると、会長は僕を見て目を見開き、固まった。
「会長? …………!」
急に動いて近づいて来たと思ったら……正面から会長に抱きしめられた。
突然何!? 力が入っているから、結構痛いのですが!
「お前がそう言ってくれるなら、気張った甲斐があったな」
「会長……」
びっくりして抵抗しようと思ったのだが、会長がぽつりと呟いた言葉を聞いてやめた。
がんばった会長に免じて、しばらく大人しくしてあげよう。
心が疲れた時は、人に縋りたくなるものだ。
会長がこんなことで癒されるなら、満足するまでやってくれていい。
「……会長、頭をよしよししてあげましょうか?」
「……はは。お前はそういうところが、お前だよなあ」
会長が脱力したように笑い、僕を離した。
母性を求められている気がしたから提案したのに……。
会長の声は、僕に心底呆れている感じだったが、体が離れたことで見えるようになった表情は穏やかだった。
僕も少しは会長の癒しになれただろうか。
「まあ、さっきみたいなことを言ってしまったが……今は平気だ。今というか、お前が俺の周りをウロチョロし始めた頃から、俺の気持ちが変わったのかもしれない」
会長が少し嬉しそうな表情になったのを見て、元気そうだとホッとしたが……ちょっと待って欲しい。
「会長、今の言葉は訂正してください。僕が会長の周りをウロチョロしたのではなく、会長が僕の周りウロチョロした…………なんでもないです」
一瞬で普段見ている赤鬼の片鱗が出て来たので、僕は慌てて話すのを止めた。
やっぱり赤鬼は、少しくらい弱っていた方がいいかもしれない……。
顔を逸らした僕を見て、会長は更に普段通りの表情に戻ってしまった。
「まったく、お前は……。だが、これからもその調子でウロチョロしていろ」
会長はそう言って、僕の頭に手を置いた。
「人をネズミみたいに言わないでくれます?」
あと、やっぱり力が強いので、頭に入った衝撃で脳震盪が起きるかと思いました。
※※※
「央、あれはなんだ?」
すっきりとした顔で、のんびり景色を眺めていた会長が何か見つけたようだ。
指差した先には池があり、船着き場になったところに白い乗り物が並んでいた。
「ああ、あれは……アヒルボートですね。ははっ、なんかここの景色から浮いてますね。折角他はお洒落なもので統一しているのに……」
「あれは……乗れるのか?」
「え」
何故そんなことを聞くのだろう。
思い当たる理由は一つしかないが……。
恐る恐る隣を見ると、遠くのアヒルボートを見る会長の目が輝いていた。
「乗れますけど……まさか、乗りたいとか言わないですよね?」
「行くぞ」
「え。ええええええ!?」
乗りたいとは言わなかったが、今の流れは乗る方に行っていたような……。
僕が戸惑っている内に会長は、早々に城を抜けて池に向かい始めた。
兄に見せたかったお城ですよ!?
もうちょっと楽しまなくていいのか!?
……なんて考えているうちに、会長の背中がどんどん小さくなっていく――。
「ああもう、行けばいいんでしょ!」
やけくそになりながら走って追いつき、会長の横に並んだ。
機嫌は良くなったようで、横顔はすっかりいつもの会長だ。
「あれだな」
遊歩道を道なり歩いていると、前方に池が見えてきた。
もっと近づくと、ヨーロッパの街並みにはあるはずのないものがあった。
目に星が散らばり睫毛もフサフサで、首にリボンを巻いた可愛い『アヒル』が池に浮いている。
辿り着いてしまった……。
このテーマパークに何故これを取り入れた!? と責任者を小一時間問い詰めたい。
確かに遊び要素は少ないかもしれないが、もっと他になかったのだろうか。
「本気で乗るつもりですか?」
止めようとしたが、会長は既に券売機の前に立っていた。
そして千円札を投入――。
やっぱり乗る気だ……。
『一人でどうぞ』と言おうと思っていたのに、会長の指は明らかに乗車人数『二人』のボタンを押している。
どこかに『拒否権』の券売機はないのだろうか。
もう少し冷静になって考えて欲しい。
制服を着た男子高校生二人が、仲良くお目目がキラキラなアヒルボートを漕いでいる絵面がどれだけシュールなのかということを。
「まじか……」
「さっさと来い」
受付スタッフのおじさんは既にスタンバイ済みで、僕達を待ち構えていた。
熱心に仕事しなくていいのに……。
「やめましょうって! あ、改めて夏緋先輩と来たらどうですか!?」
夏緋先輩、血縁者として責任を取って僕の代わりにこの苦行に耐えてください!
「どうして夏緋と乗らなければいけないのだ。大体、今夏緋はいないだろうが」
「だから! 改めて来たらいいじゃないですか!」
「つべこべ言わずに行くぞ」
駄目だ……会長が僕の言うことを聞く筈がない。知ってた。
アヒルボートが会長の視界に入ってしまった時点で、デッドエンドは決まっていたのだ。
ああ、知り合いに目撃されていたら嫌だなあ。
知り合いがいなくても、写真を取られてSNSに流されたらどうしよう!
「乗りますけど、終わったら僕ぁもう会長の周りはウロチョロしませんから」
「それは許さん」
「じゃあ乗るのを止め……」
「それも許さん」
「拒否権、どこに売っているのか教えて……」
会長がおじさんに券を渡し、二人乗りのアヒルボートまで案内を受ける。
せめて四人乗りだったら、後ろの漕がなくてもいい席でこっそり座っていられたのにと心の中でぼやきながら準備されたアヒルに乗り込んだ。
「じゃあ、三十分経ったらお声掛けしますので」
見送りの時に告げられた。
「三十分!?」
そんな長い時間、この羞恥プレイに耐えなくてはいけないなんて!
「土日は二十分なんだけど平日は暇なんでねえ。もう少しゆっくりして頂けますよ」
「ほう、それは気が利く」
二十分でいいのに、余計なことを……!
アヒルの中は広くも無く狭くも無く、大人二人が普通に座れる空間があった。
圧迫感は無い。
足元には、二席一続きになっている足漕ぎのペダルがあって、左を漕げば一緒に右も回るような構造だ。
方向操作のハンドルは会長の席についている。
「面白そうじゃないか」
会長がペダルに足を乗せ、ハンドルを握った。
僕は羞恥に耐えることに専念し、操作も漕ぐのも会長に任せようと思ったのだが……。
「サボるなよ。お前も漕げ」
「ええ……」
二人で漕ぐなんて更にシュールだと思うのだが、会長は僕がペダルに足を乗せるまで動き出すつもりは無さそうだ。
係りのおじさんは、早く出発しないのかとこちらを見ている。
やるしかないのか……!
渋々ペダルに足を乗せた。
「よし、出航だ!」
イケメン海賊船長の誕生である、愛船はアヒルボート。
乗車人数二名。
波はなし。
……池だからね。
「あいあいさー」
船長を気取ったのかは分からないが、一応それなりのノリを低テンションで返した。
すると会長は満足したのか、ニヤリと笑い嬉しそうに漕ぎ始めた。
なんだかなあ。
「ふむ、中々面白い」
僕は足を乗せているだけだ。
繋がっているので、乗せている足は動いているが力は入れていない。
サボっているが、会長はご機嫌な様子で気がついていない。
……元気になって良かったけど。
僕は項垂れながらぼうっと池を見ていた。
広さは野球が出来るくらいで動き回っても余裕がある。
水の色は藻が多いのか緑色で、あまり綺麗な池ではない。
落ちたら嫌だなあ、なんて考えていた。
アヒルボートに乗っているのは僕らとあと一組だけだった。
幸い遠い位置にいるので、お互いの姿が目に入ることはない。
「よし、アイツを抜くぞ!」
「は?」
よく見ればもう一組のアヒルボートは、端をぐるりと周回しているようだった。
え、それをコースと捉えて、追い抜くってこと!?
「うおおおお!!」
考えているうちに、会長は猛スピードで漕ぎ始めてしまった。
やめて、僕の足も高速で回るから!
怖いし激しく上下する足が恥ずかしい!
やだ、なにこれ、死にたい!
アヒルも尻尾から凄い水しぶきを出し、高速で動き始めた。
「早い! アヒル特攻になるからやめて! 危ないし! あっちのアヒルもびっくりするから! 迷惑!」
一気に距離は詰まり、相手の顔が見えるようになっていた。
乗っていたのはお母さんと小さな女の子の親子連れだった。
女の子はきゃっきゃと騒ぎながらこちらを見ていたが、お母さんは迷惑そうにこちらを見ているのが分かった。
ああ、ごめんなさい!
「ほら、ちっちゃい子が乗ってるし、迷惑だからやめましょう!」
「そうか? なら、止めよう」
会長にしてはすんなり引いてくれた。
猪が止まって、本当に良かった……。
高速で回していたペダルはすぐに止まることはなく、速度は落ちていないのだが、前のボートと離れるために、会長がUターンするようにハンドルを切った時……ボートが大きく揺れた。
「うわっ」
衝撃で体勢を崩し、会長の方に倒れてしまった。
……温かい。
「「…………」」
気がつけば体がくっつき、顔が近くにあるわけである。
目が合ってしまい、数秒見つめ合った。
「……すみません」
なんなんだ……こんなドキドキハプニングとかいらないからっ!!
こういうことは兄ちゃんとやってくれ!
妙な空気が流れてしまった。
僕のせいじゃない、会長のせいだからな!
急いで会長から離れようとしたのだが……あれ?
「会長?」
会長は倒れかかってしまった僕の身体を掴んだまま止まっていた。
倒れてしまったのは申し訳ないが、離してくれないと戻れない。
「会長?」
「なんだ?」
会長と近距離で、ずっと目は合ったままだ。
「早く離してくださいよ。この体勢、結構キツいんですけど」
僕がそう言うと、会長はすぐに解放してくれた。
「ああ……悪い。ちょうどいいから、再確認していた」
「再確認? 何のですか?」
「そのうち必ず話してやるさ」
「?」
そんなに勿体ぶる話なのかと思ったが、ニヤリと笑う会長の笑顔がいつより眩しかったので、どんな内容なのか楽しみにしておこう。
「あと五分ですよ!」
そんなことをやっているうちに三十分が近づいたようで、係りのおじさんに声を掛けられた。
「もう戻りましょうか?」
「いや、最後まで乗るぞ」
「嘘だ……」
もう十分辱められましたが!?
絶望する僕に構わず、会長は時間を使い切ってアヒルボートを満喫したのだった。
なんとか羞恥プレイを乗り切った。
でも、何かを多く失った気がする……。
夏緋先輩、どうして一緒に来てくれなかったんですか……怨みますよ……。
「はあ……。あ、そういえば、こういうボートってジンクスありますよね」
池を見て、ふと思い出してことを口にした。
「そうなのか?」
「知りません? 『カップルで乗ったら別れる』っていう……」
「何故それを先に言わない……!」
言い終わる前に腕を掴まれて叱られた。
直前まで、鼻歌でも歌っていそうなくらいご機嫌だったのに、急に何のスイッチが入ったんだ?
「いや、だって……全く関係無いでしょ? 僕達別にカップルでもないし」
「お前、明日夏緋とアレに乗れ」
「僕に二日連続嫌がらせをするつもりですか?」
「嫌がらせとはなんだ。俺は気に入ったぞ?」
「じゃあ、明日は会長と夏緋先輩が乗ってください!」
僕はもう無理です!
受付不可の姿勢を貫き、アヒルボートの池から先に離れた。
絶対二度と乗らないからな!
「そろそろ休憩するか」
追いついて来た会長と歩いていると、開けた場所でカフェワゴンが止まっているのをみつけた。
喉が渇いたので、ジュースを飲みたい。
水色のワゴンに、小鳥や花のシルエットが描かれ、カウンターにはカラフルなフラッグガーランドが掛かっている可愛いカフェだった。
店員も可愛らしいお姉さんが一人でやっていた。
「いらっしゃいませ」
女子力の高いカフェに少し尻込みしながらも、黒板に丸文字で書かれたメニューに目を向けた。
どれにしようか選んでいると、会長がまた妙なものに目を奪われていた。
南国フルーツのトロピカルなジュース、グラスの縁にはオレンジや花の飾り、刺さっているストローは途中でくるんとハート型に曲がっていて飲み口が二つ。
所謂『恋人飲み』をするジュースだ。
「お願いですからやめてください」
「……まだ何も言って無いだろう」
「またガン見してるじゃないですか!」
絶対飲むつもりだったな!
好奇心旺盛なのはいいが、僕で試してみるのは止めて欲しい。
「お友達で飲まれる方もいますよ。もちろん、お一人で挑戦される方もいらっしゃいますし」
「ほう、そうなのか」
折角会長が諦めモードに入っていたのに、お姉さんが素晴らしいお仕事をしてきた。
やめてください、その気にさせないでください!
「だ、そうだ。駄目か?」
「えっ」
わざわざ会長が聞くなんて驚きだ。
聞かれたら……嫌だと言い辛い。
「……お好きにどうぞ」
そう返すと満足したようにニヤリと笑い、意気揚々と注文していた。
結局こうなるのだ。
「お願いですから、僕のストローはハートの形じゃなくて普通のストローにしてください……」
「譲歩しよう」
また奢ってくれたことはありがたいが、イラッとしてしまった。
『譲歩』ってなんだよ。
「うん?」
会長がジュースを受け取り、ワゴンの近くにあるテーブル席に移動している時に、マナーモードにしているスマホが振動していることに気がついた。
ポケットから取り出して確認してみると、夏緋先輩から「大丈夫か?」とメッセージが入っていた。
「おい、今はそれを置いておけ」
スマホを触る僕を見て、会長が顔を顰めている。
「あ、すみません。でも、夏緋先輩からメッセージが来ていたんで、返しておきたいんですけど……」
「夏緋から?」
会長の眉間の皺が一層深くなる。
「余計に放っておけ。……いや、連絡してやろう。央、こっちに来い」
「?」
手招きで呼ばれたので、大人しく従う。
会長の前に立てと言われたのでその通りにすると、後ろから引っ張られた。
後ろに転びそうになった僕は、自然と会長の太ももの上に座ってしまうわけで……。
「すみません! ……っていうか、会長が引っ張るから倒れたじゃないですか」
「そのまま座っていろ。あとスマホは俺に渡してお前はこれを持て」
パパッとスマホを奪われ、カップルのみのジュースを渡された。
何で? と思っているうちに、会長は僕のスマホの内カメラを起動させた。
「ちゃんとレンズを見ろよ」
「はい? 何ですかこれ? バカップルごっこですか?」
「はは! そうだな」
会長がとても楽しそうにシャッターを押す。
そうして、きょとんしながら恥ずかしいジュースを持っている僕と、笑顔の会長の写真が撮れたわけだが……。
「悪い顔して僕のスマホを操作してますけど、変なことをしないでくださいよ?」
「夏緋に今の写真を送っているだけだ。よし……これでいい。しばらく電源は切っておくぞ」
「ええ……」
まあ、夏緋先輩なら会長の強引さを知っているし、後から事情を話したら、分かってくれそうだからいいか。
「会長。家に帰ったら、夏緋先輩にあの恥ずかしいジュースは会長が頼んだって、ちゃんと説明しておいてくださいよ?」
「ああ。色々説明しておく。任せておけ」
「大丈夫かなあ……」
ニヤリと笑う会長を見ると、不安しかない。
明日僕からもちゃんと説明しよう。
「……結構時間が経ったな。そろそろ街並みを通って帰るか」
いつの間にか、あの大量のジュースを飲み干した会長が立ち上がった。
「そうですね」
早めに帰らないと暗くなって、兄に心配をかけてしまう。
それに今なら鞄も取りに行けるかもしれない。
僕達は再び出口に向けて歩き始めた。
「会長、連れて来てくれてありがとうございました」
兄のために調べた場所なのに、一緒に来たのが僕なのは気の毒だけれど……。
僕は会長と来ることが出来て楽しかった。
「俺の方こそ、礼を言わなければな。お前と来ることができてよかった」
そう言った会長の笑顔は来た時とは違い、すっきりとしていた。




