↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BLゲームの主人公の弟であることに気がつきました(連載版)  作者: 花果 唯
IF ありえた未来2

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

51/105

『略奪ルートで春兄攻略②』

略奪ルート後半です。

 丸一日寝て過ごし、熱は完全に下がった。

 倦怠感は少し残っているがこれくらいなら特に問題は無い。

 一応マスクだけはつけて家を出た。


 学校に着くと一日休んだだけなのに、クラスメイトや友達が心配して声を掛けてくれた。

 恵まれた環境だなと心の中でほろりと温かい涙を流している時に、それをぶち壊す破壊音が聞こえた。

 教室のドアが砕け散るんじゃないかという勢いで開けられた音。

 クラスメイト達の視線の先にいる犯人は、もちろん前科のある赤鬼だ。


「天地央!」

「放課後に行けばいいんですよね! 分かっています、ええ、分かっています!」


 お約束通りにフルネームを叫ばれた後、次に言われることが分かった僕は少しでも会長とのやり取りを減らそうと食い気味に返事を返した。

 これで収集がつくと思いきや……つかなかった。


「いや、今来い!」

「今!? HRが……」

「それどころではない! 早く来い!」


 そう言うと会長は颯爽と教室を出て行った。

 その姿はまだ窓越しに見えているが、有無を言わさぬ背中の圧が凄い。

 僕に拒否権はないらしい。

 『早く行け』と言っているようなクラスメイトの視線にも追いやられ、慌てて後を追ったのだが――。


「ど、どうしたんだろう」


 なんというか、会長から不穏な空気が漂っている。

 一歩進むごとに生きては帰れない死地へと向かっているような錯覚に陥る。

 僕、逃げた方がいいかなあ? と思ったが、生徒会室に近づくと腕を取られ、引き摺られるように中へと入ることとなった。


「……真に何があった?」

「え?」

「真に何があったと聞いている!!!!」


 いきなりの怒声。

 ヒィィィ! と悲鳴を上げなかったことを褒めて欲しい。


「な、何の話ですか? 急に怒鳴られても意味が分からないんですが……」

「真の様子がおかしいだろう! 何か思い詰めているような……。本人に聞いても何もないと言うが、何もないのにあんなにも放っておくのが心配になる顔はしないだろう!」

「え? 心配になる顔?」


 確かに最近兄の様子はおかしいが、学校でもそうだったのだろうか。

 でも、親にも心配をかけないような兄がそんな様子を見せただなんて信じられない。


「そうなんですか? 見間違いじゃ……」

「見間違いなわけないだろう! 大体、あの馬鹿は何をしている! どうしてあんな様子の真の側にいないんだ!」


 会長が『馬鹿』と呼ぶのは春兄だ。

 春兄が兄の側にいない?

 それこそ信じられないのだが……!


「おい、お前の知っていることを全部教えろ」

「ぼ、僕には分かりません! あの、春兄は兄と一緒にいないんですか?」


 逆に質問をすると、会長は思いきり顔を顰めた。


「……お前、本当に何も知らないのか?」

「様子はちょっと気になってましたけど……何があったかは……」

「クソッ、使えねえ」


 おろおろする僕を見て会長は舌打ちをすると、生徒会室を出て行ってしまった。

 兄についての情報を得られなかったからもう僕に興味はなくなったようだ。

 会長の出て行った扉をボーッと見つめながら、僕は呆然としてしまった。


 兄と春兄が一緒にいないってどういうことだ?

 兄は会長が心配するような状態?

 言い様のない不安が募る。

 でも、不安だけじゃなくて何か心の中がザワザワする。


「二人は……ケンカしてる?」


 僕は二人が好きだし、生BLというご馳走をくれるありがたい存在だ。

 ずっと仲良くしていて欲しい、はずだが……。


「……あれ?」


 まただ。

 以前は心の底から沸き上がっていた『ご馳走ください!』という感情が出て来ない。

 それどころか、なんだか自己嫌悪するような許しがたい想いが湧いた気がして、慌ててそれを頭から追いだした。




 ※※※




『央。体調はどうだ? ぶり返したりしていないか?』


 家に帰ってゴロゴロしているとまた春兄から電話が入った。

 一瞬電話に出ることを迷ったが無視をする気にはなれず通話ボタンを押すと、いつもよりも静かな声が聞こえてきた。

 僕より春兄の方が大丈夫? と言いたくなるような声だった。

 今日は会いに来て欲しかった、なんて抗議は言えないくらいに。


「僕はもう大丈夫だよ」

『そうか。まだ病み上がりなんだから無理するなよ』

「うん。ありがと」

『…………』

「…………」


 春兄の声が止まったため、僕も黙ってしまった。

 今まではこんなことなかったのに。

 つい最近までは馬鹿みたいなことを言い合って、意味もなくふざけ合っていたはずだった。


「えーっと……何か用?」

『あ、ああ……。その……真の様子はどうだ?』

「どうって……」


 おかしいとは思うけれど、具体的には言えない。

 でもこうやって春兄が聞いてくるということは、二人に何かあったのかな。


「兄ちゃんと春兄、一緒にいないんだって? どうしたの? ケンカ?」

『いや……その…………俺が悪いんだ』


 小さな声で呟くとまた黙ってしまった。


『真は……お前に何か言ったか?』

「特にないけど……。え、もしかして僕って関係あるの?」

『あ、いや、それは…………。それより頼みがある。無茶を言っているのは承知だが、出来るだけ真と距離を置いていてくれないか』

「は?」

『無理矢理避けろとは言わない。ただ、それとなく二人でいる時間を減らすというか……。それだけでいいんだ。俺が真と話をつけるまで……』

「……なんで?」

「頼む」

「…………っ」


 いつも以上に真剣な春兄の声に息が止まった。

 僕には春兄が今なにを考えているかは分からないけれど、きっと何か大事なことを決めたのだろう。

 そして兄と向き合おうとしている。

 そこに僕がどう絡んでいるのかは分からないけれど、邪魔をしてはいけないと思った。


「分かった。なるべく一人で部屋にいるようにするよ」

『ありがとう。……ごめんな』


 ホッとしたのか、柔らかい声でお礼を言うと春兄は電話を切った。

 穏やかな空気で電話は終わったのに最後の『ごめん』が妙に心に残り、僕の心のザワザワは静かに大きくなった気がした。






 窓の外に目を向けると、日が落ち始め暗くなっていた。

 お腹の空き具合もそろそろ夕飯時であることを訴えている。

 兄が帰ってくる頃じゃないかと思っていると玄関のドアが開く音がした。


「ただいま、央ー!」


 兄が帰ってきたようだ。

 玄関から大きな声で僕を呼んでいる。

 春兄に兄とは出来るだけ距離をおくと言ったところだが無視をするわけにはいかない。

 返事をして兄がいる一階のリビングへと向かった。


「兄ちゃん、おかえり」


 夕飯の材料を買ってきたようで、テーブルの上には物がいっぱい詰まった買い物袋が置かれている。

 兄の顔をこっそり覗き見たがいつも通りの麗しさで影も無く、機嫌が悪そうには見えない。

 特に変わった様子もなく冷蔵庫に食材を片付け始めた。

 なんだ、大丈夫じゃん。


「僕に用?」

「お菓子買ってきたから。持って行くだろう?」


 そう言うとテーブルの上にいくつかお菓子を並べてくれた。

 好きなものを一つ取れ、ということだろう。

 今日は普段あまり食べないものにしようとチョコに手を伸ばしながら兄を見た。

 やっぱり機嫌が悪いようには見えないし、何かあったのか聞いても大丈夫そう……?


「兄ちゃん」

「うん?」

「なんかさ……もしかして春兄とケンカ……とかしてる?」


 春兄の名前を出した瞬間、兄の動きが止まった。

 顔を見ると、無表情……いや、少し目つきが鋭い?

 明らかに穏やかさが抜けていた。

 その変化を目にして心臓が大きく波打った。

 まずい、これは駄目な時の顔だ。


「春樹に何か言われたのか?」

「それは……」


 滅多に怒らない兄が怒っていると分かった瞬間から動悸が止まらない。

 余計に怒らせるようなことは絶対したくない。

 これ以上は何も聞かない方がいいと分かっているのだが……。


「何かあったのかなーって……」


 ……春兄とのことを知りたい。

 我慢出来ず恐る恐る聞いてみると、兄の眉間の皺がより一層深くなっていくのが見えた。

 あー……やばい。


「央は気にしなくていい」


 遮るように言い放たれた言葉は凄く冷たかった。

 心臓がきゅっと痛くなり、頭も真っ白になりそうだ。

 いつもならこれ以上怒らせないよう、黙って離れるだろう。

 でも、今は春兄の顔が頭に浮かんで……また口を開いてしまった。


「ごめん。で、でも、春兄となにがあったか……」

「気にしなくていいって言っているだろ! 春樹とのことは、央には関係ない!!」


 怒気を孕んだ強い口調だった。

 怯えたわけじゃないが、驚きと兄の気迫に圧されて思わず身体が強張った。

 普段から喧嘩は無いが全く無いわけじゃない。

 でも、今のは喧嘩じゃなく、完全な敵意に思えた。


「ごめん、なさい……」


 肩を落として俯いてしまう。

 涙を堪えるのが難しくなってしまう。

『部屋に戻って落ち着こう』そう考えていた時――。


「真」


 突如聞こえた声に反応して振り返ると、そこには……。

 怖い顔をして立っている春兄がいた。


「悪い。勝手に上がらせて貰った」


 僕の頭にポンと手を乗せてから通り過ぎ、兄の方に近づく春兄。

 春兄の手が優しくて嬉しかったが、兄の顔が更に険しくなったのが見えた。

 空気がピリピリしていてどうしていいか分からない。


「今の言い方はないんじゃないか?」

「……勝手に入ってくるな」


 二人は険しい顔をし、睨み合っている。

 こんな二人を見るのは初めてだ。

 オロオロと二人の顔を見ることしか出来ない。


「央は俺やお前のことを心配して言ってくれているんだぞ」

「お前が言わせたんじゃないのか?」


 兄は春兄を睨み続けていたが、ふと鋭さが抜けたかと思うと静かに背を向けた。


「何をしにきたのか知らないけど帰ってくれ」

「……お前と向き合わず、逃げて悪かった。ちゃんと話がしたい」

「……っ」

「真……」

「何を話すって言うんだ! お前は! 何を言うつもりなんだよ! 央の前で! オレに!!」


 兄が声を荒げ、春兄の言葉を遮った。

 そして春兄の前までずんずんと進み、服の襟倉を掴むと真正面から睨みつけた。


「兄ちゃん!」


 初めて見る兄の乱暴な行動に焦り、慌てて間に入ろうとしたが春兄に視線で止められた。

 でも……兄は今にも春兄を殴り飛ばしそうだ。

 ハラハラしながら見守っていると、春兄がゆっくりと口を開いた。


「真、二人で話そう」


 春兄の静かで穏やかな声が聞こえた。


「……っ」


 その瞬間、兄が息をのんだのが分かった。

 兄はゆっくりと春兄から手を離した。


「話すことなんてない」


 兄はそう言うと部屋を出ていってしまった。

 階段を駆け上がる音が聞こえる。

 二階の兄の自室へと向かったのだろう。

 取り残された僕と春兄の間には静寂が流れた。


「……春兄、追いかけなくていいの?」


 無音に耐えきれなくなり、声を掛けると春兄は弱々しく笑った。


「また出直す。俺も真も、もう少し冷静になった方が良さそうだ」

「そっか」


 それ以上は何も言えなかった。


 僕のせい、だよな。

 僕が余計なことを言わなければこんなことにはならなかったと思う。

 口を噤むべきだと思ったあの時に我慢出来ていれば……。

 後悔に押しつぶされそうだ。


「なあ、央」


 項垂れる僕の前に、いつの間にか春兄が立っていた。

 穏やかな顔で僕を見ている。

 こんな修羅場みたいなことが起こったあとなのに、どうしてこんな表情をしているのだろう。


「俺がどうしてバスケが好きか知ってるか?」

「知らないけど……」

「俺も知らなかった。最近気づいたんだ」

「?」


 さっきの出来事とは関係ない話を始めたことにも首を傾げていると、突然身動きが取れなくなった。

 気づけば手を伸ばせば届く程度だった春兄との距離がなくなっていて、触れているところから暖かな体温を感じる。

 春兄に……抱きしめられている?


「春兄!?」

「お前がボール持って追いかけてくるんだよ。『春兄かっこいい!』ってニコニコ笑いながら」


 春兄の腕の力が増し、厚い胸板に押しつけられるとドクドクと春兄の心臓の音が聞こえてきた。

 つられるように僕の胸から発せられる音もどんどん早く、大きくなっていく。

 な、なに、この状況……なんでこんなことになってんの!?


 身体の熱は急上昇しているが、カチーンと凍ってしまったみたいに動くことは出来ない。

 思考も止まってしまって、「なんで?」しか考えられない。


「……悪い。ああ、くそ……しっかりしろ、俺」


 暫くすると春兄は僕の身体を離し、呟いた。

 春兄が動き出したことでようやく僕のフリーズも解除された。

 もう一度名前を呼ぶと春兄は赤い顔を手で覆いながら視線を反らし、僕に背中を見せた。


「ちゃんと順番、守らなきゃな」


 そして何かぽつりと呟くと、そのまま家を出て行ってしまった。

 残された僕は何が起こったか理解出来ないまま、暫く呆然と立ち尽くした。


 自分の心臓の音が、静かな部屋に響く時計の針音のようにやけに耳つき、落ち着かなかった。




 ※※※




「まさか自らの意思でここに来ることになるとは……」


 目の前にはもう何度来たか分からない会長の私室こと生徒会室の扉。

 今日は目的があってやって来た。

 呼び出されていないのに来たのは初めてかもしれない。

 今も会長と会うのは気が進まないが、目的を達成するためだから仕方ない。


 僕の目的、それは兄と春兄の様子を聞くことだ。


 二人が今どうしているか気になるが、本人達には聞けない。

 だったら本人達以外で最も詳しそうな兄のストーカーに聞けばいいと思ったのだ。


「失礼しま……あれ、誰かいる?」


 生徒会室の扉をノックしようとしたところで、僕が最も聞き慣れている声が聞こえてきた。

 二人が会話しているようだが、一人はこの部屋の主の会長でもう一人は兄だ。


「お前はそれでいいのか?」


 僕が聞いたことの無い相手を労るような声を発しているのは会長だ。

 会長……話す相手が兄だとそんな声が出るんですね。

 感動と恐ろしさの両方を感じたよ、僕は。


「……オレにはどうしようもないじゃないか」


 兄の声は弱々しく、聞き取り辛かった。

 何の話をしているんだろう。

 盗み聞きなんて絶対に駄目だが、この二人が話しているのだから春兄にも関係してくることだろう。

 聞きたい気持ちを我慢出来ず、少しだけ開いていた扉をもう少し大きく開いた。

 すると微かにだが二人の姿も見ることが出来た。

 そこにいた二人は……。


「えっ」


 僕はつい出てしまった声を慌てて飲み込み、口に手を当てた。

 ……なんで?


「俺がお前のそばにいる。俺がお前を支える」

「夏希……」


 二人の身体はぴったりとくっついていた。

 会長が兄を抱きしめているようだったが、兄にそれを拒む気配はなかった。


 なんで? 春兄がいるのに!!!!


 そう思った瞬間、頭に血が上った。

 今すぐ二人のところに乗り込み、殴り飛ばしたくなった。

 それで兄に言うんだ。


 『だったら僕に春兄を……』


「……っ!」


 口を押さえたままで良かった。

 自分の思考に驚いて叫ぶところだった。

 僕は今、何を考えた?

 兄に何を言おうとした?


 ……駄目だ、とりあえずこの場所を離れよう。

 フラフラと歩きながら頭の中を整理する。


 以前飲み込んだ疑問は自然と浮かび上がり、目の前にやって来ていた。

 どうして兄と春兄の関係を応援できないのか。

 それは……。


「僕、春兄のことが好きになっていたのか」


 気づいてすぐに失恋だなんて涙も出ない。

 二人との関係も崩れてしまうから、想いを伝えることも出来ない。


「……春兄の馬鹿」


 思い浮かんだのは抱きしめられたときの温もり。

 あの時、春兄はどうしてあんなことをしたのだろう。

 弟のような存在に対する抱擁の一種だとは思うが、こんな想いをするくらいならあの温もりは知らずにいたかった。




 ※※※




 平日の朝。

 いつもより少し寝坊をしてリビングに降りると、兄はもう身支度を済ませていた。


「……兄ちゃん、おはよ」

「おはよう」


 昨日の兄と会長の抱き合っている姿が浮かんで声が強張ってしまったが、兄は気にならなかったようで返事があった。

 春兄がやってきて揉めたあれからも、僕と兄は表面上はいつも通りに過ごしている。

 ……でも、僕は正直に言うと息が詰まっている。

 言いたいことを言えず、お互い腫れ物に触らないようにしているような日々だ。


「オレはもう行くから。央も遅刻しないようにね」

「あ、うん。いってらっしゃい」


 普通に会話が出来たことに安堵していると、テーブルからいい匂いがしてきた。


「ホットサンドだ……」


 それはあまり作ってはくれない僕の好物だった。

 前に食べたのはいつだろう。

 かなり久しぶりだ。

 これが出る時は兄が僕の機嫌を取りたい時だ。

 兄なりに現状を気にしているのかもしれない。


「……ん?」


 思考を巡らせながらカフェオレを飲んでいると、玄関が騒がしいことに気がついた。

 聞き覚えのある声が幾つか聞こえる。

 兄に春兄、それに……。


「会長……!」


 昨日の抱き合う二人の光景が再び浮かび、頭にカッと血が上った。

 会長は……兄は、どういうつもりなんだ!

 足が勝手に玄関へと向かった。

 そこで見たのは和やかに会話をする会長と兄。

 そしてそんな二人を少し離れたところから見守る春兄だった。


 やがて会長と兄は会話をしながら歩き始めた。

 兄は普通にしているが、会長が春兄を阻むような空気を出しながら行ってしまった。

 それを春兄は動き出せないまま見送った。


「春兄」


 声を掛けると、春兄は僕を見て苦笑いを浮かべた。

 ボリボリと頭を掻きながらこちらにやって来る。


「おはようさん。お前、起きたばかりか」

「あ、うん……」

「早く準備しろよ。遅刻するぞ。待っててやるから」

「えっ」


 春兄の言葉に驚いてしまう。


「でも、まだご飯も食べてないし……。兄ちゃん、追いかけなくていいの?」

「邪魔がいるからまともに話せないし、無理に一緒にいることもないさ。ほら、早く食え」


 そう言うと春兄は家に上がってきて、僕の背中を押してリビングへと誘導した。

 キッチン側のテーブルに並べられたホットサンドの前に僕を座らせ、自分は向かいの席へと腰を下ろした。

 どうやら本当に僕と登校するつもりのようだ。

 僕としては失恋を自覚したばかりだから春兄の姿を見るのは辛いが、一緒にいられることは嬉しい。

 やっぱり一緒に行きたいな。

 そうと決まれば、あまり長く待たせる分けにはいかない。

 早く食べなきゃ!

 せっかくのホットサンドだけど、ゆっくり味わうことも出来ず口に詰め込んだ。

 その様子を春兄に「おまえはリスか」と笑われて恥ずかしかった。


「行くか」

「う、うん」


 制服に着替え、一緒に家を出た。

 背の高い春兄の格好いい横顔をちらりと盗み見ながら歩く。

 ……なんだかドキドキして落ち着かない。


「春兄と二人だけで行くなんて初めてだ……」


 二人で出掛けたり遊んで貰うことはあったが、華四季園に通うようになってからこうやって二人で登校するのは初めてだ。

 というか、制服姿で二人で歩くというのが初めてかもしれない。

 制服デートみたいだな……って僕は何を考えているんだ!

 好きだと自覚した途端に乙女思考か!


「そうだな。俺と真は朝練で早かったが、お前はぎりぎりまでグースカ寝てるからな」


 呆れているような目を向けられ、沸騰していた頭が一瞬で冷めた。


「ソウデスネ」

「でもまあ、俺ももう朝練もないし……これからはこういう機会が増えたらいいよな」

「え。う、うん……」


 春兄、僕の中の乙女を引き出すのはやめろ。

 顔が赤くなりそうで困る。


「そうだね。早く起きるように頑張るよ」

「おう。有言実行しろよ?」

「分かってるって」


 またこうやって一緒に行けたら嬉しい。

 でもそれは……。


『兄ちゃんも一緒?』


「…………」


 聞きたい言葉は言えなかった。

 だって聞かなくても分かってる、僕の方がオマケだってことは。

 兄と春兄の仲がどうなっているかは分からないけれど、二人がまだ恋人同士だということは確かなのだから。



 ※※※




「何もしてないけど疲れたなあ」


 学校が終わると真っ直ぐ家に帰ってきた。

 楓や雛に呼び止められたが、まだ風邪が完治していないのかもしれないと適当なことを言って別れてきた。

 風邪は治っているので嘘をついて申し訳ないが、どうしても気力が湧かなかった。

 何もする気になれない。

 一人でいたい。

 今日はのんびりゲームでもしようと部屋に入り、ベッドに腰を下ろしたところでインターホンが鳴った。

 誰だ?

 インターホンを鳴らすのだから兄ではない。

 荷物が届くという話も聞いていない。

 楓や雛は一度断ったのに押しかけてくることはないと思うし、そうなったら考えられるのは……。


「春兄っ」


 その顔が思い浮かんだ瞬間、今まで怠かった身体が嘘の様に軽くなり、階段を駆け下りた。


「よう。ドタドタ聞こえたぞ?」


 扉の向こうにいたのはやっぱり春兄だった。

 飛んできた足音が聞こえていたようで、カーッと顔が赤くなった。

 僕、春兄に会いたくて必死すぎ。


「えっと、何か用事? 兄ちゃんはまだ帰ってないけど……」

「……そうか」


 ……なんだ、やっぱり兄に会いに来たのか。

 高揚していた気持ちがズンと落ちる。


「もうすぐ帰ってくるだろう? 中で待たせて貰えないか?」


 春兄と二人でいられることは嬉しい。

 でも、春兄は兄を待っているのだと思うと辛くてそばにはいられない。

 かと言って断る理由も思い浮かばない。


「……どうぞ」


 結局、僕は春兄を家に上げた。

 春兄にとっても見慣れたリビングで寛いで貰う。

 飲み物くらいは出すべきかと、冷蔵庫のコーラを取って春兄に渡した。


「じゃあ、僕は自分の部屋にいるから」

「央」


 逃げるように立ち去ろうとすると、春兄に手を掴まれた。

 春兄と兄が一緒にいるところを見るのが辛いからこの場にいたくない。

 早く自分の部屋に行きたいのに……。


「何?」


 顔を逸らしたままぶっきらぼうに聞くと、思いきり腕を引かれ、向き合えるように両腕を掴まれた。

 突然のことに驚きながら正面を見ると、春兄の真剣な蒼い目と視線がぶつかった。


「どうしてそんな顔してるんだ?」

「え?」

「泣きそうだ」


 春兄の顔が心配そうに歪む。

 泣きそう、か。

 確かにそうかも。

 でも……。


「気のせいだよ」


 心の中では認めても、素直に口に出すことは出来ない。

 視線をそらしながら誤魔化した。

 春兄の眉間の皺が深くなったのを視界の端に映しつつ、腕を振りほどこうとしたが……離してはくれなかった。


「何か辛いことがあるなら話してくれ。俺がなんとかする」

「……僕のことはいいよ」


 今日だって兄ちゃんに会いに来たんだろう?

 いつも僕はオマケだ。


「央?」

「春兄は兄ちゃんのことだけ見ていればいいから! じゃないと会長に取られちゃうよ! ……っあ」


 ……しまった。

 余裕がなさ過ぎて、余計なことを口走ってしまった。

 これじゃまるで僕が二人の関係について全部知っていると言ってしまっているようなものだ。

 いや、春兄は少し天然なところがあるから、気づかないかもしれないと期待したが……。


「お前、まさか……。俺と真の関係に気づいているのか?」


 駄目だった。

 流石の春兄にも理解されてしまったようだ。

 もう誤魔化すことも出来ない。


 二人からカミングアウトされるのはいつだろう、とドキドキしていた頃が懐かしい。

 こんな形で話すことになるなんて。

 あの頃から、僕の気持ちもこんなに変わってしまうなんて……。


 今、僕から伝えられることは何だろう。

 もちろん、僕の気持ちを話すこと何て出来ない。

 春兄と兄は恋人だ。

 春にも兄も僕にとっては大切な人で、二人とも幸せになって欲しい。

 それはずっと変わらない。

 だから、僕が言えること、言うべきことは――。


「僕、反対しないから。応援してるから。兄ちゃんのこと、よろしくね」


 二人の関係を崩さないために、僕と二人との関係を崩さないために、自分の気持ちを押し殺せばいいだけのことなのだ。

 無理矢理笑顔を作ってそれを春兄に向け、ゆっくりと掴まれていた腕を引いた。

 春兄は目を見開いて固まっていた。

 今のうちに部屋に行こう。

 部屋まで逃げることが出来たら……泣くことが出来る。


「央、違うんだ。確かに俺達は付き合っているが、もう……」

「離して、触らないで!」


 離してくれないと、本当にもう泣いてしまうから!

 余裕がなくて思いきり振り払ってしまった。


「あっ」


 春兄の酷く傷ついた表情が目に入り、胸がチクリと痛む。


「……俺が気持ち悪いか?」

「え?」


 一瞬言われたことの意味が分からなかった。

 でもすぐに分かった。

 気持ち悪いから「触るな」と言ったと思ったんだと。


「そんなわけないじゃん!!!!」


 思いきり叫ぶと春兄は目を見開いた。

 驚かせて悪いけれど、でも……!


「僕が春兄のこと気持ち悪いなんて、そんなわけ……!!」


 我慢出来ずにとうとう泣き出してしまう。

 勘違いでも、僕がそんなことを思っているだなんて思われたくない。


「僕、春兄が大好きだよ!」


 ずるいと思うけれど、弟のフリをして本当の気持ちを叫んだ。

 兄として好きだという意味でとってくれていい、そうして欲しいと願いながら。


「央……!」

「春兄っ……んっ!?」


 強い力で引き寄せられ、ギュッと抱きしめられたと思ったら息が出来なくなった。

 目を見開いている僕のすぐ目の前に春兄の顔がある。

 キス、されてる……?

 パニックで呼吸が出来なくなり、思いきり春兄を突き飛ばした。


「な、なんで……」


 呆然とする僕をもう一度抱きしめようと春兄がまた一歩近づいてくる。


「ごめん。ちゃんと順番を守らなきゃいけないことは分かっている。でも……」


――ダンッ


 春兄の言葉を遮る大きな音がした。

 音がしたリビングの扉の方を見ると、そこには僕と春兄を睨む兄が立っていた。

 僕は一気に血の気が引いた。


「兄ちゃん……」

「真……」


 兄はいつからそこに?

 見られた?

 鋭い視線のまま動かない兄が握りしめている拳は、激しい怒りのせいか震えている。

 ふと兄が立つ場所の壁を見ると、さっきまではなかった凹みがあった。

 今の大きな音は、どうやら兄が壁を殴った音のようだ。

 普段の兄なら絶対にやらないことをやってしまうくらい怒らせてしまったことで頭が真っ白になった。

 どうしよう、謝らなきゃ。

 でも、何て言って?


「真、すまない」


 固まる僕の隣から声がした。

 目を向けると、深く頭を下げている春兄が見えた。

 その光景にも僕はまた固まってしまった。

 兄も動かないし、春兄も頭を下げたまま動かない。

 無音の空間だけがただただ続く。


 悪いのは春兄だけじゃない。

 僕にだって原因がある。

 それを謝らなければいけないので動き出せない自分が情けない。


「俺は…………央が好きだ」


 ゆっくりと頭を上げた春兄が言った。

 それは静かな声だけど、兄の耳に届くようにはっきりと告げられた。

 僕はびっくりして目を見を見開いてしまったけれど、相変わらず動けない。

 けれど、春兄と兄はお互いの目を真っ直ぐ見合っていた。


「お前のことも本気で好きだった。本当は寂しがり屋なお前には、俺がついていなきゃ駄目なんだって思ってた。でも……気づいちまった。俺は央のことが好きになってるって。……気づかなかったふりをしようと思った時もあった。でも、お前はそんな俺に気づいていただろう?」

「当然だよ。ずっと春樹を見てきたんだから」

「ごめん。本当に……ごめん」

「……春樹は本当にひどいよね。よりにもよって、好きになったのが弟の央だなんて」


 そこで兄の視線は僕に向けられた。

 反射的にビクリとしてしまったが、兄の視線から鋭さは無くなっていた。

 兄は困った様に笑っていた。

 でも、その表情の下には色んな感情を抑えているのが見えて泣きそうになった。

 僕には泣く権利なんてないのに……。

 だって僕は、春兄が僕を好きだと言ってくれて喜んでしまった。

 兄が辛い想いをしていると分かっているのに。

 ごめんなさい、なんて言葉で謝りきれない。


 込み上げてくる涙を我慢しながら必死に兄への言葉を考えていると、春兄が口を開いた。


「お前達兄弟の仲を乱すようなことをしてごめん。俺が勝手に央のことを好きになったんだ。央は関係ない。だからどうか、お前達は仲良くやって欲しい。俺がお前達に近づかないようにするから……」

「え……?」


 春兄の言葉に呆然としてしまう。

 僕達に近づかないようにする?

 それってどういうこと?

 混乱しながら春兄を見ていると目が合った。


「央、巻き込んですまない。黙っていた方がいいのは分かっていたが、お前に俺の気持ちだけは伝えたかった」


 春兄はそう言うと、リビングの扉へと向かって歩き始めた。

 帰るつもり?

 これで終わりにするつもり?


「待てよ」

「真?」


 出て行こうとする春兄の進路を兄が塞いだ。

 さっきのような怖い顔をして春兄を見ていると思ったら、鋭い視線はそのまま僕に向けられた。


「春樹はこんなこと言っているけど、央はそれでいいの?」


 兄に言われ、ハッとした。

 いつまで僕は固まっているんだ。

 兄に謝罪一つ言わず、自分の意見だって一つも言わないまま。

 自分の正直な気持ちを話したら大好きな兄に嫌われてしまうかもしれない。

 それが怖くてたまらないけど……言わなきゃ!


「……だ」

「央?」


 心配そうにこちらを見ている春兄向けて叫ぶ。


「嫌だ! 春兄と会えなくなるなんて絶対に嫌だよ!!」


 目を見開いている春兄が見えたが、今度は僕を真っ直ぐに見ている兄に向かって頭を下げた。


「兄ちゃん、ごめんなさい! 僕、僕っ…………春兄が、好きだ。だからいなくなっちゃったら嫌だ!」


 二人からは何の反応もないが、頭を下げたまま思っていることを吐き出す。


「兄ちゃんと春兄が付き合ってること、ずっと前から知ってた。最初は応援してたけど、いつの間にかそれが出来なくなって……。兄ちゃん、ごめんなさい。兄ちゃんの大切な人のこと好きになっちゃって、ごめんなさい……」

「央、顔上げて」


 目の前にやって来た兄から、静かな声が降ってきた。

 大人しく従い、顔を上げた瞬間――。


 パチンッと両頬に小さな痛みが走った。


「央はずるい!」

「え?」


 目の前には拗ねたような兄の顔があった。

 兄の両手は僕の頬に添えられたままだ。

 どうやら僕は兄の両頬をパチンと叩かれた、というか挟まれたらしい。


「央はね、昔からオレの欲しいものを簡単に手に入れちゃうんだ」

「?」

「オレだって父さんや母さんに少しは心配して貰いたいし、気に掛けて貰いたい。ふざけ合う友人だって欲しい。オレが手に入れられないことをありのままで得ていく央がずっと羨ましかった。そんな気持ちさえ表に出すことは出来なくて……。でも、気づいてくれたのが春樹だった。その春樹さえ奪っていくんだもんなあ。参ったよ」


 そう言うと兄は苦笑いを浮かべながら僕の頬を摘まんで、ぶにぶにと引っ張り始めた。

 僕と春兄は呆然としてしまったが……すぐに分かった。

 兄はわざとふざけてくれているのだ。

 本当はぶん殴られてもいいくらいなのに、自分の気持ちを抑えて僕を許してくれた。

 いや、許してくれたのかどうかは分からないけれど、自分が引いて収めようとしてくれているのが分かる。

 それが僕には、「これからも弟でいてもいい」と言って貰えたように思えた。

 途端に我慢していた涙が溢れてくる。


「ごめん……なはいっ」

「ふふっ。変な顔」


 頬を引っ張り回されながら泣いている僕の顔を見て兄は笑っているが、その表情で僕の涙腺は更に崩壊してしまう。


「央が謝ることはないよ。オレが勝手に妬んでただけだしね。でも、そうだなあ。ちょっと八つ当たりさせて貰おうかな? もう一回パチンってしていい?」

「ふえ? いったああああ!!!?」


 兄は何を言っているんだろうと思った次の瞬間には、さっきとは違う強い痛みが僕の両頬を襲った。


「春樹は殴らせろ」

「え? うがっ! ぐあっ!? ……お前、殴るって言って蹴って……があっ!!」


 ジンジンする両頬を抑えている僕の視線の先には、殴られて吹っ飛んだあとに思いきり蹴飛ばされている春兄がいた。

 え……どうしよう……これは止めた方がいいのかな!?


 結局僕はお得意のフリーズを発動して見守ってしまったのだが、「スッキリした」と呟いた兄は何事もなかったかのような爽やかな空気を纏って部屋を出て行ってしまった。

『好きにしたら良いよ。でも、お前達が上手くいかなくてもオレのせいにしないでくれよ?』なんて台詞をニヤリと笑いながら残して。


「許して、くれたのか……?」


 ぽつりと呟いた春兄を見たら、ボロボロだったから思わず笑ってしまった。


「ボッコボコにされちゃったね」

「これくらいなんともねえよ」


 そう言って立ち上がった春兄だが、足下はフラフラしていた。

 支えようと近づくと倒れ込んで来た……と思ったら覆い被さるようにして抱きしめられていた。


「……重いんだけど」


 今までで一番春兄の体温や息づかいを感じ、一気に身体の体温が上がってしまった。

 心臓の音も早くなったが、これだけくっついているとバレてしまいそうだ。

 心の中では盛大にあたふたしているが、それを隠すように抗議の言葉を口にした。


「央」

「うん?」

「さっき言っていたことは本当か? 俺が好きだって」

「あ、あんな場面で嘘言うわけないじゃん!」


 またも照れ隠しで突っかかるように言うと両肩を掴まれ、少し身体を離された。

 正面で向かい合うことになり、ドキリと胸がなる。


「央、お前が好きだ」


 春兄の蒼い目が僕を見ている。

 顔が燃えそうなくら熱くなったけど、目を反らさずに自分の気持ちを口にした。


「僕も、春兄が好き……」


 息のかかる距離で見つめ合う。

 春兄の表情がふっと柔らかくなった瞬間、距離が縮まったのを感じてそっと目を閉じた。

 色々なことがあったけれど、暖かな感触を感じながら沸き上がって来たのは「好きだ」という想いだけだった。

 温もりが離れてからも、暫くは何も言わず抱き合った。

 さっきは兄に見られていたし一生忘れそうにない修羅場になったけど、今度は時間がゆっくり流れた。

 顔を上げると目が合う。

 思わずへへっと笑ってしまうと、ムッとした春兄に鼻を摘ままれてしまった。


「なんだよ!」

「『春兄』はもうやめだ。もう兄貴じゃねえからな」

「え?」

「名前で呼べ」


 僕も『兄』だとは思わないけれど……。


「急に言われても困るよ。その内に……」

「言え」

「…………」


 言うまで終わらないぞ? という圧を感じる。

 望みを叶えるまで解放されることはなさそうだ。

 別に名前を呼ぶくらい出来るけど……出来るけどさあ!


「は、春樹」


 言った瞬間、顔がカーッと赤くなったのが分かった。

 なんでもないことだろ、と自分でも思うのに恥ずかしくてたまらない。

 呼び方を変えたことで関係も変わったと自分で宣言しているような気がしてしまう。


「可愛い。央、やっぱりお前は可愛いな」


 俯いていると春兄が馬鹿なことを言い出した。


「……僕だって男だし。可愛くないし」

「いや、お前はずっと可愛かった。……これから大事にする」


 呆れたように溜息をついてしまったのは、幸せ過ぎて顔がゆるゆるなりそうなのを誤魔化すためだ。


 僕の恋は兄のことを傷つけてしまったけれど、兄の想いも大事に受け止めながら、自分の気持ちも育てていきたい。

 これからもずっと春兄の……いや、春樹の側にいようと思う。






 ※※※






「はあ……」


 自室に戻って扉を閉めた瞬間、その場に座り込んだ。

 春樹との関係がとうとう終わってしまった。

 いつか来るかもしれないという予感はあった。

 それに央が関係しているだろうということも。


 無邪気に人を惹きつける央。

 皆オレのことも大事にしてくれるし慕ってくれるけれど、央はオレよりもより深く人を引き込む。

 それがずっと羨ましかったが、春樹だけは央よりもオレを優先してくれていた。

 春樹はオレの心の拠り所だった。

 だからずっと央に春樹を取られるのが怖かった。


 最近になり、春樹の気持ちが央へと向かっていることが分かった時は「やっぱりこの時が来たか」と思った。

 すぐに諦めの気持ちが湧いた。

 それからは自分の春樹への気持ちが愛情なのか執着なのかよく考えるようになった。

 結局答えは出なかったが……。


「自分の気持ちもよく分からないのに、涙は出るんだな」


 我慢していたものが溢れてくる。

 こんなに泣くのはいつぶりだろう。

 子供の頃だって泣いた覚えは殆どない。

 こんなところを両親が見ると驚くだろうなと思うと妙におかしくなった。


 少し笑うと余裕が生まれ、無意識にスマホを手にしていた。

 どうしてか、報告しなければならないという気になった。

 目当ての人物に電話を掛けるとすぐに繋がった。


『真?』

「夏希。……終わったよ」

『……そうか』


 夏希はオレが隠しているはずの感情の起伏に気づくようで、ずっと心配してくれていた。

 悩みを相談するつもりなんてなかったけれど、どこで聞いてきたのかオレの事情も把握していて、いつの間に唯一の相談相手になってくれていた。

 話の途中で告白されて吃驚したが、返事はいらないという言葉に甘えている。


『大丈夫か?』

「あはは、大丈夫なわけないだろー」


 夏希の声を聞くと気が楽になった。

 余裕が出来た分、努めて明るく答える。


『……お前のような兄がいて、あいつは幸せ者だ』

「だよね。オレもそう思う」


 そう言って笑うと夏希からの返事が止まった。


「夏希?」

『……今家か?』

「うん」

『すぐ行く』

「えっ、夏希? ちょっと……!!」


 呼び掛けたが返事はなく、画面はすでに通話終了になっていた。

 来るって、今から?

 夏希なら本当に来そうだが……今来られると困る。

 恐らく泣いたと分かる顔になっているはずだ。


「人に泣いた顔なんて見られたくない!」


 慌てて鏡を探して覗き込むと、そこには赤い目をした自分が映っていた。

 思っていたほどあからさまな状態ではなかったが、夏希にはバレる気がする。

 冷やすかどうか迷ったが、冷蔵庫の氷をとるには春樹と央と会わなければならない。

 あんなことがあった直後に三人で顔を会わせるのは気が引ける。

 仕方なく部屋にある冷たそうなものを探していると、下の階が騒々しくなった。


『出て来い櫻井春樹!!!!』

『青桐!?』

『会長!?』

『お前は一回ぶっ殺す!!!!』

『うごっおおおおっ』

『春兄いいいいいい!!!!』


「ええええええっ!?」


 何が起こっているか想像のつく大声が聞こえた来た。

 これはまずいと部屋を飛び出すと、下から階段を駆け上がってくる音がした。

 すぐに赤い髪が見え、足が止まった。


「な、夏希?」

「真! 安心しろ、クソ野郎はぶっ殺してきた!」


 そう言うと夏希は嬉しそうに飛びついてきた。


「えっ!? 殺したっ!? 冗談だよな!?」


 夏希ならやりかねない。

 やるつもりがなくても力加減を誤ってついうっかり、なんてことがありそうで青くなった。

 とりあえず様子を見に行こうと思ったが、下から春樹と央の声が微かに聞こえてきてホッとした。

 大丈夫とは言い切れそうにないが、最悪の事態は免れたらしい。


 階段の手前で話をするのもなんなので、一先ず夏希を自分の部屋へと連れて行った。

 夏希は部屋に入るとキョロキョロと周囲を見渡して落ち着かない様子でいたが、座ってくれと促すと真剣な顔になった。

 立ったままで、こちらを真っ直ぐに見ている。

 なんだ?


「真。あの阿呆の訃報よりも、お前に良い情報がある」

「?」

「俺の方が何倍も良い男だ」

「…………は?」


 真剣な顔で何を言い出すんだ……。

 思わず口をぽかーんとあけてしまっているオレに気にせず、夏希は話を続ける。


「容姿も知性も腕力も、全てにおいて櫻井より上だ。更に地位もある。今はたかだか高校の長でしかないが、その内もっと大きな物を牛耳る。お前に苦労はさせないし、何より、誰よりもお前のことを理解しているのがこの俺だ!」


 誇らしげに言い切った夏希は、どうだ! と言っているような視線を寄越してきた。


 だから、オレは聞いた。


「それ……何のプレゼン?」

「お前に俺を推すプレゼンだ」


 夏希がニヤリと笑う。

 そういえば告白の返事は『今はいらない』と言っていたことを思いだした。

 今、返事をしろ……もしくは、これから考えろってこと?


「ふっ…………あははっ! 夏希って凄いね!」


 凄くて……格好いいなあと思うよ。

 気づけば、春樹を殴り飛ばした時よりも気持ちはすっきりしていた。


「……ありがとう」


 どうしてかは分からないけれど、さっきとは違う涙が込み上げてくる。

 人の前で涙を流すなんていやだけれど……。


 夏希の前でならいいか、と思えた。




 ※※※




「……というのが『1』の主人公であるお兄さんの恋人、春樹先輩を略奪するルートなのです…………いいですよ、天地君…………存分にお泣きなさい…………ほら、ティッシュ」

「ありがとう、佐々木さん……」


 以前佐々木さんから兄を攻略する隠しルートの話を聞いていた僕は、本日兄から春兄を奪う略奪ルートについて聞いていた。

 ああ、もうっ! 途中から涙が止まらない!


「せつない、せつないよおおおお! 兄ちゃんの気持ちを思うとつらいよおおおお! ゲームとはいえ、僕をぶん殴りたい! ああ、でも三角関係とか好きでごめんなさいいいい! 大好物でごめんなさいいいい! 兄ちゃんの涙尊いよおおおお!!!!」


 佐々木さんにティッシュのおかわりを貰い続けながら僕は思う存分泣いた。


 暫くして落ち着きを取り戻した僕に、佐々木さんは聖母のような微笑みを浮かべながら語り始めた。


「奪う愛も素晴らしいと思うけれど私的にはどちらかと言わず、春樹先輩✕天地兄弟というのもありだと思うの。三人で愛し合えば良いの。もちろん会長も参加『可』」


 出てきた台詞はゲスだったが。


「それよりも天地君、気づいた? このルートが素晴らしいのは、最後のオマケに当て馬界のサラブレッドである会長に報われるフラグが立っているの!!!!」

「!!!!」


 それは僕も気になっていた。

 是非続きを知りたいと!


「残念ながら公式では続きはないの。でもね、腐りし同胞《私達》には高機能な脳内補填スキルが備わっているでしょ? そこで引っ張り出されたのがオメガバース設定!」

「は? オメガバースって、男女の他にアルファとベータ、オメガって第二の性があるあのオメガバース?」

「そうそれよ! あのね、まず春樹先輩と天地君が結婚して子供が生まれるでしょ」

「は? 子供? 誰が生む……ってまさか!」

「もちろん天地君よ」

「やっぱりか!」

「黙って聞いて。そして会長と真先輩も結婚、そして子供が生まれる。その子供達はやがてカップルになって新たなゲームが生まれるの。これぞ第二世代!!!!」

「発展しすぎ!!!! っていうか僕は生まないから!!!!!」


 それからも僕の叫びを聞かず、佐々木さんは僕の子供の方がアルファだとか、いや、やっぱり年上のオメガだとか喋り続けた。


 今日は佐々木さんがオメガバースにハマっていると言うことと、兄の涙が素晴らしいと言うことを学んだのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 色々な可能性があり素晴らしいです。 [気になる点] 佐々木さんも転生者だったのでしょうか?
[気になる点] 直してほしいです。白兎さんではなく 佐々木さんが出てきて話の内容がおかしくなっています。前回が白兎さんで、転生もしてない佐々木さんが略奪ルートを知っているのはどう考えてもおかしいです。…
[気になる点] 佐々木さんではなく白兎さんでは?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。