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BLゲームの主人公の弟であることに気がつきました(連載版)  作者: 花果 唯
IF ありえた未来2

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バレンタイン

夏緋ルート後日談

 外に出るとハートやピンクの配色を目に季節になった。

 もうすぐバレンタインだ。

 教室でも話題にしている声を聞くようになった。


 バレンタインかあ。

 腐っていた前世では、BL小説や漫画でバレンタインネタが見られると浮かれていた記憶がある。

 むしろ前世においてのバレンタインデータはそれしかない。

 僕の前世での腐りっぷりは安定している。

 そういう面では期待を裏切らない。

 クリスマスだって右に同じだ。


 現世での僕は有り難いことに割とチョコを貰える方だ。

 大きな理由は、兄の加護があるからだろう。

 チョコを貰って喜んだ後に、「これはお兄さんに渡して」と思い切り力の入ったものを渡されるのは慣れっこだ。

 僕は天地真直通の動くポストなのだ。

 今年もポストとして頑張ります。


 ポストの件はさておき、去年と違う点は……僕には恋人が出来たというところだ。

 それもとびきりのイケメンで、あの人が貰うチョコはきっと紙袋には入りきらないだろう。

 女子からチョコを渡され、面倒臭そうにチョコを受け取っている夏緋先輩が目に浮かぶ。

 思わず笑ってしまったが頭を悩ませる案件を思い出し、ため息をついた。


「……夏緋先輩は僕からのチョコとかいるのかね」


 脳にある議題をそのまま言葉にした。

 あーどうしよう。

 男同士だけど付き合っているし、恋人からのチョコは欲しい……かな?


『そんな浮かれたもの、欲しいわけないだろう』


 いつもの澄ました微笑でそう吐き捨てられる場面がリアルに想像出来た。

 多分いらないって言うな、うん、言いそう。

 バレンタインのチョコ作り頑張っちゃおうかな、なんて寒いことを一瞬考えてしまったけどやめよう、やめやめ!

 正気を取り戻そう。


 でも、もし僕だったら……夏緋先輩にチョコを貰ったらどう思うだろう。

 いや、あのクールビューティが手作りチョコをプレゼントしてくれるなんて想像出来ない。

 あるとしたら何か他のものをくれそうだ。

 例えば……あの人、稀にキザなことをしたりするから花、しかも薔薇なんてくれるかもしれない。

 BLで薔薇といえば僕の脳には違うもの、古の某雑誌しか浮かんでこないのだが、もし本当に薔薇を貰ったらあのインパクトのある表紙の数々をも忘れさせるほどドキドキしてしまいそうだ。


 はあ……どうしよっかなあ。






 ※※※






「アキラ! 一番に食べて~! なんなら今からでもいいよ?」


 教室に入ると朝のHR直前だというのに、ピンクと赤の可愛らしいラッピングの箱を差し出してきたのは楓だ。

 大きさは二十センチ四方で高さも割とあり、ずっしりとしている。

 察するに五号か六号くらいのケーキだ。


「フォークもあるよ!」

「楓よ。準備万端なのは素晴らしいが、これからHRだ」


 一応見るだけ、と箱を開けてみると想像通り、それ以上に出来の良いチョコレートケーキが入っていた。

 どうやって作ったのか分からないチョコレートの薔薇が中心にドンと乗っている。

 薔薇……ああ、またあの雑誌が浮かぶ……。


 僕はケーキをそっと片付けた。


 結局ケーキは昼食後に頂いた。

 一人では食べられないと焦ったが楓はそれも考慮済みだったようで、持ってきていた紙皿とプラスチックのフォークに切り分けたケーキを乗せ、他の友人達にも配った。

「アキラ一人で食べてよ!」と言われなかったので安心した。


 なんとなく最近楓が落ち着いてきたというか、僕を『友人』として扱ってくれている気がする。

 一時期一緒にいるのが気まずかったが、今はとても過ごしやすい。


 ちなみに楓のケーキを見て、周りの女子達は自分達の持っていた手作りチョコをそっと隠していた。

 自信をなくしのかもしれないが、我が兄と楓は乙女を超越しているので気にしない方がいいよ。


 今年も兄は春兄に「それ、どこのパティスリーに売っていますか?」と聞きたくなるよう素材から拘った見事なケーキを作っていた。

 毎年進化している。

 愛は留まることを知らないらしい。

 カカオをゴリゴリ潰している兄の背中は尊かった。


 雛からもいつものように貰ったのだが、今年は手作りではなく市販のものだった。

 あいつ、手を抜きやがったな! と一瞬思ったが、市販にしたことが雛の意思表示というか、友チョコに変わったと感じて妙に納得した。


 さて、問題は……目の前に立っているイケメンですよ。


「ほう? お前も案外モテるんだな」


 放課後、待ち合わせ場所に紙袋いっぱいの友チョコを抱えてきた僕を見て夏緋先輩が笑った。

 今日も格好良くて、ポケットに手を突っ込んで立っている姿を拝みたくなるが、夏緋先輩は予想外な状態だった。

 チョコらしきものを一つも持っておらず、手元はとてもすっきりしていたのだ。あれ?


「貰ったチョコは? 置いて来たの?」

「そんなものは一切受け取らない」

「えっ」


 なんだと……女子からのチョコを受け取らない人がいるなんて!

 世の中の男子なんてお母さん以外から貰えるか、一日中ソワソワするというのに!

 チョコなんていらない、か。

 どうしよう、僕の彼氏かっこいい……。


 きゅんとしてしまった僕だったが、夏緋先輩の表情を目にした途端トキメキが止まった。

 な、なんだかめちゃくちゃ機嫌が悪そうなのですが……なんで?

 夏緋先輩の視線は、僕が手にしている女子から渡されたチョコが詰まった紙袋にある。


「よく知らない奴から食い物を貰うなんてどうかしている」


 ああ、そうか!

 夏緋先輩の『潔癖』はこんなところでも発揮されているのか。

 嫌悪からくる顰めっ面なのか。納得。

 なんだ、一瞬妬いてくれたのかと思ったがやっぱり違った。知ってた。

 まあ、それはいいとして……これはまずい……まずいぞ。

 この流れは良くない。


「しかもその一番上のクッキーなんて手作りだろう? ……いやに包装がシンプルだな。なんだか気持ち悪いな。お前、それを食うのはやめておけ」

「……はい」


 正直に告白する。


 僕は今、若干泣きそうだ。


 胸にどーんと石を落とされて、海底まで沈んでいくような感じがする。


 はあ……やっぱり寒いことをするんじゃなかった。

 心の中では床に膝から崩れ落ちた。

 人生最大の後悔かもしれない。


 バレンタインにチョコクッキーを作ってしまったなんて!!


 そうだよ!

 結局作ったんだよ!

 悪いか!


 今夏緋先輩が『その一番上のクッキー』と言ったもの、それは実は僕が作ったものだ。

 これだけ別に持って目立たせるのが恥ずかしかったから、貰ったものの上に乗せて持ってきたのだ。


 包装がシンプルと言われたが、それは『いかにもバレンタイン』な包装をするのが恥ずかしかったから、中身が見える窓のついた白の紙袋にしたのだ。

 確かに自分でもこれはないわ、配給かよ、もうちょっと踏ん張って可愛げのあるものに出来なかったのかよって思うけど……。


 気持ち悪いって言われたあああ!


 ……作ったけど、こんなことを言われた後で渡せねえよっ!!


「お前、『荷物』はそれだけか?」

「え? うん」

「そうか……。いや、まあ……そうだろうな。期待はしてなかったが」

「?」


 夏緋先輩のテンションがやや下がったというか、シュンとしているが、今は僕の方がテンションダダ下がりで構う余裕はない。


 あー……世の中上手くいかないわー……。


「じゃあ行くか」


 僕が地中深くまで凹んだことに気がつかない夏緋先輩はスタスタと歩いて行く。

 どこに行くか知らないけど行きたくない。

 というか、動きたくない。


 恥を忍んで、兄ちゃんに教わって頑張って作ったんだけどなあ。

 楓や兄ちゃんみたいに凝ったものは作れないから、簡単なクッキーしか出来なかったけどさあ。


「どうした? 早く来い」

「……はーい」

「何を腑抜けてんだ。さっさとしろ」

「~~~~っ!!」


 偉そうな物言いにムカッときた。

 このっ、乙女心の分からないイケメンめっ!!!!

 僕は乙女じゃないけどさ!!


 すっかりふて腐れた僕は、綺麗な蒼髪の揺れる後頭部をジトリと睨みながら後を追った。






 ※※※






「……ここ?」

「ああ」


 夏緋先輩に先導され辿りついたのは、楓や雛達と来たことのある商業施設だった。

 学生は良く来る場所だが、夏緋先輩はあまりこういうところは好きじゃないのか行きたがらず、付き合ってから一緒に来たのは初めてだ。

 いつもは誘っても流されるのに、今日はどうしたのだろう。

 珍しく騒ぎたい気分なのだろうか。


 僕の予想は当たったのか、普段はゲームなんて全然興味はないくせにゲーセンに行くと言い、幾つかゲームをした。

 夏緋先輩は格闘系はど素人そのものなのに、リズムゲーム系は初めてなのに恐ろしく上手かった。

 いつの間にかギャラリーが出来ていたくらいだ。

 僕は何度もやっていて自信があったのに、呆気なく負けてしまい、またまた気分が落ちた。

 僕の得意分野のゲームでも上に立ち、打ちのめしてくるこの感じに青桐の血を感じる。


 腹が立ってきて夏緋先輩がゲームをしている間にこっそり離れて隠れたら、あとからめちゃくちゃ怒られた。

「何がしたいんだお前は!」と林檎を砕くのと同じように頭を掴まれて、泣きそうなくらい痛かった。

 DVは許さんぞ! と思ったけれど、僕の姿が見えないと心配してくれたのか、必死に探してくれていたから許す。

 というか、ごめんなさい。

 氷のオーラが出ているからまだ怒っているっぽいけど僕は嬉しくてニヤニヤしています、ごめんなさい。


 ゲーセンの後はレストラン街の中にあるハンバーガーショップに行った。

「細いのは好みじゃないな」と長い指でポテトを掴んで食べている夏緋先輩を見ていると、それならついでに気持ち悪いクッキーも食べてくれませんかね、と言いたくなる。

「コーヒーは悪くない」と目を細めている横顔を見ると、水分があるのだからパサパサしてるクッキーでも食べてくれませんかね、とまた言いたくなる。

 ……言わないけどね!


 気持ちは満たされないけれど、腹は満たされたところで夏緋先輩が「カラオケに行く」と言い出した。

 これにはちょっとびっくりした。

 夏緋先輩、歌うの!? と思わず叫んでしまった。

 これも前に誘ったときには断られたのだが……。


「うるせえな。カラオケはあまり好きじゃないが、歌うことは慣れている。まあ、最近はご無沙汰だが」

「はい?」


 どういうことだと疑問に思いながらも大人しく後をついて行った。


 何度も行ったことのあるカラオケボックスの、見覚えのあるシミがある部屋に通された。

 確かこのシミが動くようにと念じたことがあったよな? なんて思い出しつつ、夏緋先輩が曲を入力するのを横目で見ていた。

 夏緋先輩が連れて来たのだから、一曲目は夏緋先輩が歌えと一発目を任せたのだ。


 ピピピッという電子音が流れて少しすると、夏緋先輩が入れた曲が画面に表示された。

 うん……分からん。

 タイトルも作詞作曲も横文字で、J-POPばかり聞いている僕の範疇を超えていることは一瞬で悟った。

 そして歌い出しとして現れた歌詞もやっぱり横文字。

「洋楽か。夏緋先輩っぽいわー」なんて思っていると、夏緋先輩がマイクを握り、歌い始めた。

 その瞬間、思わずバッと夏緋先輩の顔を見てしまった。


 う、うまーーーー!!


 ここはライブ会場ですか!?


 歌詞の意味は全然分からないけど、ジャンルで言うとロックだろう。

 いつも斜に構えているようなクールな感じから、こんなにスタイリッシュかつパワフルな歌い声が出てくるとは……。

 凹んでいたのが飛んでしまった。

 か……かっこいい!!!!

 今この場面が漫画になったら、僕は目をハートにして夏緋先輩を見ているだろう。

 こんな一面を隠していたなんて……なんて恐ろしいダーリンなのだ……。


「ほら、お前も入れろ」

「嫌です」


 歌い終わった夏緋先輩が進めてくるが、この後に歌うなんて無理。

 僕は音痴ではない。

 いたって普通だと思うが、プロがライブをしたあとに歌いたい素人はあまりいないと思う。


 あ、駄目だ。

 上がっていたテンションがまた下がってきた。

 いつもならもっと聞きたい! アンコール! アンコール! と騒ぎ立てたと思うのだが、今は凹みモードだからか卑屈になってしまっている。


 何をやっても上手い夏緋先輩のお口には僕のような者の作ったクッキーは合いませんよね、なんて考えてしまう。


 帰りたくなってしまったけど、盛り下げるわけにはいかないからなんとか笑う。


「夏緋先輩、ボイストレーニングとかしているんですか?」

「いや、ホームステイ先の子供がバンドをやっていて、よく付き合わされてな。歌わされているうちに慣れた」

「へえ、凄いなあ。他にも歌ってくださいよ」

「敬語」

「?」

「お前、さっきからずっと敬語だ。何故だ?」

「……」


 先輩後輩だから元々は敬語で話していたけれど、付き合い始めてからは敬語はやめろと言われて、最近ではすっかり敬語は消えていたのだが……。


「えーっと……」


 自分でもよく分からないけど、多分……落ちこんでいるから、かな?


「特に意味はなく?」


 正直に答えると「何故落ちこんでいるのだ」と突っ込まれるから、適当に誤魔化したのだが……。


「………」


 前髪で片目は隠れているから、こちらを見る目は一つしか見えないけれど眼力が凄い。

「納得出来るか、馬鹿」と思い切り顔に書いている。

 僕はスーッと顔を逸らした。


「……央」


 低い声で名前を呼ばれてビクッと肩が跳ねた。

 普段は「天地」と名字で呼ばれているが、こうやって名前を呼ばれるときは何か意味がある時だということも分かっているから余計に心臓が縮んだ。


「お前、今日は様子がおかしいぞ」

「そ、そんなことはないですっ」


 あ、また敬語だ。

 言ってから気がついた。


「……」


 まずいなあと思いながら夏緋先輩を見ると、やっぱりさっきより顔が険しくなっている。


 僕の凹んでいる原因はクッキーを渡せないことだが、それは夏緋先輩が悪いのではなく、渡せない豆腐のようなメンタルの僕が悪いのだ。

 だから夏緋先輩には申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、どうしても凹むものは凹む。

 無理矢理笑っても夏緋先輩にはバレるし、それならばなるべく自然な理由で沈む様子を誤魔化そう。


「ちょっと風邪気味なんだ」


 敬語にならないように気をつけて話した。

 嘘をつくのは心苦しいが一番無難だ。


「おい」

「!」


 低い声に呼ばれて顔を向けると、整った顔がすぐ近くにあって吃驚した。

 隣に座ってはいたけど、こんな身体が触れる距離ではなかったはずだ、いつの間に!


 あまり見ることの出来ない普段前髪で隠れている目と視線が絡まって、一瞬で顔に熱が集中した。

 目をそらさずにいると、スッと近づいてくる気配を感じた。

 何年も付き合ったわけではないが、これはもう何をしようとしているのか分かる。

 ドキッとしたと同時に……慌てて夏緋先輩の顔を手で止めると、ベチッと音がした。


「…………おい」

「ご、ごめんなさい!」


 謝りつつも僕の手はまだ夏緋先輩の顔のど真ん中にあって、高い鼻を押している。

 ああっ、ブリザードが発生している!


 キスされるのが嫌だというわけではないのだが、何故かつい手が出てしまった。

 なんとなく今は気分じゃなかったというか……。


「だ、だから、風邪なんだってば! うつるから!」

「……」


 逃げるように顔をそらしているから、どんな表情をしているか分からない。

 怖い……。


 何も言えず固まっていると、はあとため息をついた夏緋先輩が離れていった。

 ブリザードは止まった感じがするが、居心地の悪さは増した気がする。


 それでも、夏緋先輩は「風邪なら連れ回して悪かったな」と呟き、僕の頭を撫でてくれた。

 うぅ……ごめん。

 僕は罪悪感で更に凹むというこの悪循環……。


「帰るか」

「でも……」


 カラオケは一時間の予定でまだまだ時間が残っている。

 自分は全く歌う気がしないがすぐに出るのは勿体ないし、もう一曲くらい夏緋先輩の美声を聞きたいとリクエストした。

 二回目でも衝撃を受けるほど上手い歌を聴きながら、トキメクのにまた泣きたいくらい悲しくなってきた。


 バレンタインという恋人達のイベントの日に楽しく出来ない自分が情けないし申し訳ない。


 夏緋先輩、可愛くない恋人でごめんなさい……。






 カラオケボックスを出ると、そのまま家に帰ることになった。

 仮病なのだが風邪だという僕を気づかって夏緋先輩は家の前まで送ってくれた。

 夏緋先輩の優しさが余計に辛い。

 申し訳なさで死にたくなる。


「ただいま。央、帰ってたのか……って、わあ……暗いね」

「兄ちゃんおかえりぃ……」


 ソファの上で今日の自分を猛省している僕を見て、兄が引いている。

 うん、どん引きされるくらいどんよりしている自覚はあります。


「何かあったの? あ、クッキーはどうだった?」

「……」


 ……流石我が兄、一撃クリティカルヒットを決めてくる。


「渡せた?」

「その件は無かったことに……」


 僕は自分を守るため、多くを語らず黙ることにした。

 兄はそんな僕をちらりと見ると苦笑していた。

 なんとなく察してくれたらしい。


「夏希の弟って海外に留学していたんだよね? 日本のバレンタインは気にならないのかもね?」


 僕を気づかうためか、兄がぽつりとそんなことを呟いた。

 それを聞いて、僕はハッとした。

 そういえばそうだったと。


 カラオケでも洋楽の曲を歌っていた。

 夏緋先輩には日本よりも海外のバレンタインの方が馴染みがあるのかもしれない。

 芋蔓式に海外と日本のバレンタインは違うところもある、ということを思い出した。

 慌ててスマホを出し、去年まで夏緋先輩がいたアメリカのバレンタインの内容を検索した。


 軽く調べてみた結果だが――思ったほど大して差はないように感じた。

 ただ、日本のバレンタインは女子から男子へ、という印象が強いが、アメリカではどちらかというと恋人や夫婦で愛を祝う日であるようだ。

 その記事を読みながら、僕は嬉しいけれどある意味では嫌な予感がしていた。


 今日の夏緋先輩は普段あまり好まないような場所に連れて行ってくれた。

 僕はゲーム好きでもちろんゲーセンも大好き、それにカラオケは前に行きたいと誘ったけど断られた場所。

 よくよく考えてみればハンバーガーショップも、二人で学生らしいところで飲み食いして帰りたいと強請ったが断られていたかもしれない。


 わー……これ、絶対僕のために苦手なところでも我慢して付き合ってくれたんだよなあ。

 多分、バレンタインだから。

 改まって『祝う』なんてことは出来ないけど、夏緋先輩なりに僕を喜ばそうとしてくれたんだと思う。

 前に会長が連れて行ってくれた水族館だって夏緋先輩が調べてくれていたところだった。

 夏緋先輩は僕のことを想って考えてくれている。

 それなのに、僕は……。


 夏緋先輩が楽しませようとしてくれているのに、渡せないからって暗くなって台無しにしてしまった。

 僕は自分のことばかりだ。


「兄ちゃん、出掛けてくる」


 このままで今日を終わらせてしまったら駄目だ。

 今からでも夏緋先輩に会いに行くと決めた。


「え? もう遅いけど……ああ。なるべく早く帰ってくるんだよ?」

「うん」


 何処に行くか説明しなくても兄には僕の行き先分かったようなので、すぐに帰ってくると返事をして家を出た。


 目的地に走る間にスマホで夏緋先輩に連絡を入れる。


『今から少しだけでいいから会えない?』


 駄目だったらどうしようかと考えながら足を進めていたが、すぐに了承の返事をくれた。良かった。

 僕の家まで行くとも書いてくれていたが、すでに向かっていることを伝え、家で待って貰うことにした。

 もう夏緋先輩のあのセレブなおうちまであと少しだ。


 もう遅いかもしれないし今更だけれど、この不出来なクッキーを夏緋先輩に渡したい。

 相変わらずの潔癖を発動して「勘弁してくれ」と言われるかもしれないけど、受け取ってさえくれたら満足だからあとは捨てられても構わない。


「天地!」


 夏緋先輩の住むマンションが見え来たところで、名前を呼ばれた。

 前を見ると、夏緋先輩がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。

 どうやら迎えに来てくれたようだ。


 夏緋先輩の高くてスラッとしたシルエットを見ただけで緊張してきた。


 ……さっきは捨てられてもいいと思ったけれど、それはやっぱり傷つくかも。

 ちょっと弱気になったけれど……でも、何もしないまま終わるよりは絶対にいい。


 走っていた足を止め、出来るだけ呼吸を整える。

 荒い息がすぐに止まることはなさそうだが、目の前までやって来た夏緋先輩を見ていると妙に安心して自然と笑みが零れた。


「夏緋先輩、急にごめん」

「いや、それはいいが……どうした?」


 声色で僕を心配してくれているのが分かった。

 兄と気まずくなった時に電話で励ましてくれた時を思い出させる、優しいモードの夏緋先輩だ。

 クールな普段とは違う、このギャップに僕は弱い。

 ここは道路沿いの歩道で、人目があるというのに飛びつきたくなってしまう。


「あの、渡し忘れたものがあって……」


 そういってクッキーの入った可愛げの無い紙袋を差し出した。


 夏緋先輩はこれが一度見たことがあるものだと分かったのか顔を顰めた。

 それを見ていると踵を返したくなったけれど、今度こそは渡さなければと腹を括った。


「……これ、僕が作った」

「……え?」

「だから、バレンタイン! その、一応……作った方がいいかなって……」


 ……漸く言えた。

 でも、好きだからとか、喜んで欲しかったとか、素直に言うのが照れくさくて『一応』なんてことを口にする僕はやっぱり馬鹿だと思う。


「?」


 反応がないのでちらりと夏緋先輩の様子を伺うと、目を見開いて固まっていた。

 珍しい表情で面白いけど……何か言って欲しい。

 居たたまれなくなり、僕は先に口を開いてしまった。


「食べたくなかったら捨ててくれてもいいから。とりあえず回収して頂けないでしょうか!」


 ヤケクソになり、早く受け取れとグイッと差し出すと夏緋先輩は動き始めた。


「捨てるわけないだろう! ……さっきは悪かった。本当に悪い、許してくれ」

「ううん。いいんだ。さっきのが素直な感想なんでしょ? 無理して食べなくても……」

「違う!」


 声を荒げた夏緋先輩が、ガシガシと頭を掻いている。

 髪が乱れるが、サラサラだからすぐに元に戻るのを見ていると、夏緋先輩は気まずそうに話し始めた。


「さっきは……気に入らなかったんだよ。お前が他人の手作りのものを受け取っているのが。だからケチをつけただけだ」

「ほえ?」

「まさかお前が作ったものだとは……。オレは馬鹿だな」


 言われたことをすぐに理解出来なくてぽかーんとしていると、夏緋先輩がクッキーの入った紙袋の封を切った。


「食っていいか?」

「ど、どうぞ」


 クッキーに手を伸ばしながら聞かれたから、駄目だと言っても食べていただろう。

 どうしてわざわざ聞くのだと口を尖らせつつ夏緋先輩が食べる様子を凝視する。


「……」


 この時間はなんなのだ、拷問かよ。

 すっごく緊張するのですが!


 夏緋先輩が一つ食べ終わったのを見届け、恐る恐る尋ねた。


「ど、どうですか?」

「普通」


 聞こえた瞬間、夏緋先輩の腹を思い切り殴った。

 普通って!

 嘘でも美味いって言えよ!


「ははっ」


 全然効いていないようで笑っている。

 腹立つっ!!


「まあ、味は普通だが……これ以上に食いたいと思うものはない」

「!」


 な、なんだよ、急にデレるなよ……!

 不意打ちを食らってしまい、カーッと顔が熱くなってしまった。


「いいもんばっか食えるセレブが何言ってんだかっ」


 お高いものばかり食っていろ! ともう一発殴ると今度は腕を掴まれた。

 なんだ? 今度は怒ったか?

 夏緋先輩の顔を見上げると……薄らと笑みを浮かべていた。

 どことなく色気の漂うこの微笑は危険だ。

 僕に内蔵されたパトランプが回り始めたので急いで逃げようとしたのだが、腕を掴む力が強くて動けない。


「さっきの言葉は訂正だ。『お前の作ったもの以上に食いたいと思うものはない』と言ったが、もっと上があった」

「はあ?」

「お前自身の方が食いたい」

「なっ」


 こ、この人……スカした顔で何を言ってんの!?


「馬っ鹿じゃないの! 僕は食べ物じゃない!」

「オレには食い物だ。オレ専用のな。他の奴には食わせない。試食も許さない」

「当たり前だっ」


 僕は食べ物じゃないし、そんなにホイホイ食われたらたまらない。


「おい。路上でちちくり合うな。走るトラックの前に放り込むぞ」

「!?」


 突然背後から反発心しか沸かない声が飛んできた。

 バッと振り向くとそこには暗い中でも鮮やかな真っ赤な髪のイケメンゴリラが立っていた。


「あ、兄ちゃんから義理チョコさえ貰えなかった可哀想な会長、こんばんは! ぎゃああああっ」


 気がつけば首根っこを掴まれ、身体が半分車道に出ている。

 おまわりさん! 殺人未遂犯がここにいます!


「夏緋、躾はちゃんとしろと言っているだろう!」

「躾なんていらない。こいつは好き勝手やってるのが可愛いんだ」

「っ!!」


 聞いていると恥ずかしくなる台詞が飛び出ているが、そんなことより助けてよ!

 羞恥心で赤くなったり、死にかけて青くなったりで……もう嫌だ!


「兄貴、こいつを連れて帰るから、最低一時間は散歩してきてくれないか」

「なんで俺がお前らの邪魔者扱いされなきゃいけないんだ」

「こいつの代わりに天地家に行ってくればいいじゃないか。ついでに帰りが遅れると伝えてくれ。なんなら泊まりでもいい」

「それは名案だ」

「なんの談合だよ! そんなの駄目だからな!」


 必死に叫ぶが青桐兄弟には聞こえないらしく、さっさと引き取れと会長に放り投げられ、夏緋先輩に回収され……。


 夏緋先輩に手を引かれながら歩いているとき、僕の頭の中ではドナドナが流れていた。




 結局、クッキーでは物足りないと言われ、僕は他のことで夏緋先輩を満足させなければいけないことになった。


 お菓子作りなんてもうこりごりだ。

 来年はしないからな!

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― 新着の感想 ―
[一言] うぅ…尊い…尊いよ…世界…感謝…夏緋先輩、央くん…生まれてきてくれてありがとう…お母さん…私を生んでくれてありがとう… しぬぅぅぅぅ!尊過ぎて幸福過ぎてしぬぅぅぅぅ! うわぁ……尊い…素晴ら…
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