『隠しルートで兄攻略』
※十話までお読み頂いていることを前提にさせて頂いています。
『通常攻略対象者を全て攻略すると発生するルート』という設定です。
『第十一話 嵐』から分岐
⇒ 兄寄り(隠しルート)
春樹寄り(略奪ルート)
会長のBL恋愛相談室の後は真っ直ぐ家に帰宅した。
精神的に疲労が溜まったのか、身体が重い上強い眠気に襲われていた。
リビングに直行し、ソファに雪崩れ込む。
部屋に行くのも億劫だからこのまま一眠りしてしまおう。
制服を着替えていないからまた兄に叱られそうだ。
そんなことを考えながら意識はゆっくりと沈んでいった。
『……きら』
誰かが僕を呼んでいる?
誰だろう。
『央、大丈夫?』
顔のすぐ近くで声がする。
ゆっくり目を開けると、そこには子供の頃の僕に似た美少年がいた。
小学生低学年くらいに見えるが、利発そうな落ち着きのある雰囲気を醸し出している。
美少年だと思った時点で僕ではないと分かっていたが子供の頃の兄だ。
そうか、これは夢だ。
場所は僕の部屋だが、やはり子供の頃の家具やおもちゃが置かれてある。
『おかゆ、作ったよ』
小さくても麗しい兄が持つお盆の上にはお粥が乗っている。
『さけの?』
ベッドに横になり、熱で顔を赤くしているのは兄より更に小さい僕だ。
どうやら風邪で寝込んでいるらしい。
『ごめん。鮭はなかったからたまごで我慢して』
申し訳なさそうな顔の兄からお粥を受け取り、小さな僕はお粥を口にした。
兄が見守る中口に運んだのだが、すぐに手を止めて首をかしげた。
『なんか……あまい?』
『え、あまい!?』
驚いた兄は僕からスプーンを奪い、確かめるように口に運んだ。
『ほんとだ……出汁と少し塩を入れたつもりだったんだけど間違ったみたい』
『でも、おいしいよ?』
そう言うと止めていた手を再開させ、食べ始めた。
無理に食べている様子も無いから本当に美味しいのだろう。
だが、兄は心配そうにその様子を見つめていた。
『ほんとに? 無理したら気持ち悪くなるから食べなくていいよ』
『たべる』
結局、僕はお粥を残さず食べた。
終始気まずそうに見守っていた兄も、空になった皿を見て安心したように微笑んだ。
少し覚醒してきたのか、これは幼い頃の記憶であることを思い出した。
兄ちゃんでも失敗することがあったんだなあ。
風邪をひいたときも両親は不在が多く、いつも兄が看病をしてくれていた。
『良かった。熱、下がってきたね』
兄の小さな手が僕の額に当てられた。
なんだかくすぐったい。
でも、気持ちいい。
落ち着けるし安心する。
目を閉じて心地よい感覚に身を任せていると、いつの間にか手の感触は段々と大きくて確かなものに変化していた。
(ん? 冷たい……)
冷やりとした感触を額に感じ、一気に目が覚めた。
誰かが夢の中の兄と同じように僕の顔を覗き込み、額に手を当てていた。
「兄ちゃん…?」
「悪い、起こしてしまったか」
目を開けるとそこには、蒼い瞳の凛々しくて端正な顔があった。
兄ではなくダーリンの方だった。
毎日来ているのだから、当然今日もお勤めのように来ていたのだろう。
だが、兄の姿が見当たらない。
「あれ、兄ちゃんは?」
「近所の主婦の方々に捕まっている。俺は先に逃げて来た」
なるほど、さすが兄ちゃん。
オールジャンル、幅広い層で大人気だ。
近所のお母様方は家事をしている兄のことを良く気に掛けてくれる。
僕の方はというと『お兄ちゃんのお手伝いをしなさい』と良く叱られる。
「お前、ちょっと熱くないか? 熱があるだろ」
「え、そう?」
それでさっき、おでこをペタペタ触っていたのか。
確かに意識がぼんやりとしている。
寝起きのせいかと思っていたがどうやら違うようだ。
「風邪ひいたんじゃないのか?」
今度は手ではなく、春兄の頭が近づいてきた。
何をする気だと驚いているうちに春兄の額が僕の額に当てられた。
これは……おでこtoおでこだ。
顔が近くて戸惑ってしまう。
照れてしまっているのか、熱のせいかは分からないが凄く顔が熱い。
顔が熱を持っているのが分かる。
関節が痛いし、涙腺が緩んでいる気もする。
起き上がりたいのに力が入らない。
「春兄、引っ張って起こして」
「ったく、ガキか」
春兄のバスケで鍛えられた逞しい腕に引っ張られて、勢いよく起き上がった。
腕が抜けそうだ。
痛い、凄く痛い。
涙腺が緩んでいるのに痛みで更に泣きそうだ。
もう少し、加減というものをしてくれないと!
「う、痛っ……」
抗議の視線を向けると目が合った。
「!」
「?」
春兄が一瞬驚いたように目を見開いた。
すぐに逸らされてしまったがどうしたのだろう。
まあいいや、それよりも……。
「力が強すぎて痛かったんですけど」
「だったら自分で起きろ。もういいから……部屋で寝ろ」
「うん、そうする」
もうすぐ兄も来るだろう。
二人の時間の邪魔をするのも悪いし、自分もゆっくり眠りたい。
大人しく部屋で寝ることにし、重い体を起こしてとぼとぼ歩き出した。
「……危ねえ。あの顔は反則だろ」
「うん?」
「なんでもない。早く行け!」
「何故キレたし……理不尽……」
春兄に叱られつつリビングを出た。
途中、玄関にご近所から貰ったと思われる野菜が置いてあるのが見えたが兄の姿は見えない。
帰って来ているはずなのだが、トイレにでも行っているのかな。
亡者のような動きで、なんとか自分の部屋に到着。
そのままベッドに倒れこんだ。
※※※
目を覚ますと窓の景色は暗闇に染まっていた。
時計を見ると、春兄と話した頃から四時間程経っていた。
熱が上がってきたようでさっきよりも一層関節が痛いし寒気がする。
本格的に風邪をひいてしまったようだ。
項垂れているとドアが開き、ひょこっと兄が顔を見せた。
可愛い、辛い。
兄の可愛い仕草には癒やし効果がある。
熱で怠い身体が軽くなった。
「起きたみたいだね。風邪、大丈夫?」
「大丈夫……じゃないかも」
「そうみたいだな」
素直にそう答えると兄が困ったように微笑みながら、ベッドに身体を起こして座った僕のところまでやって来た。
膝をついて頭を寄せてきたので何をするのかと思ったら……春兄と同じことだった。
おでことおでこがくっついている。
「んー……熱、高いね」
「!」
まだ少し動けば頭が当たってしまうような距離で兄が呟いた。
「央?」
「な、何でもない」
おでこコツンは今まで何度かされたことがあるし、実の兄相手なのに何故か春兄の時より緊張してしまう。
熱でおかしくなってしまったのかな。
「ちゃんと測ってみようか」
「う、うん」
不審な態度を取ってしまう前に離れてくれて良かった。
ホッとしているうちに兄は部屋を出て行ったが、体温計を手にしてすぐに戻ってきた。
手渡された体温計を脇に挟み、早速測る。
すぐに体温計はピピッと計測完了を告げた。
自分では見ずにそのまま兄に渡した。
「わあ……三十八度超えてる。明日は休んで病院だな」
「はーい」
「じゃあ、お粥作ってくるから」
「お腹減ってない」
「無理はしなくていいけど、少しくらいは食べなきゃ。薬を飲む前に何か入れておいた方がいいよ」
「んじゃ、鮭のがいい」
「残念ながら鮭はないな。卵で我慢して」
デジャヴだ。
さっき見た夢を思い出した。
お互い大きくなったが同じシチュエーションじゃないか。
「……砂糖と塩、間違えないでね」
そう言うと兄はきょとんとしたが、少しすると思い出したようで微笑んだ。
「あー……そんなことがあったなあ。覚えていたんだ?」
「さっき夢で見て思い出した」
「へえ。懐かしいなあ」
本当に懐かしい。
相変わらず両親は留守だけど、変わらず兄と仲良く生活が出来ていることが嬉しい。
「そういえば、春兄は?」
この時間だと帰っていることも多いが、稀に遅くまでいることもある。
今日はどうなのだろう。
「……」
答えを求めて兄の方に目を向けると、黙ったまま止まっていた。
どうしたのだろう。
思わず小首を傾げてしまった。
すると僕が小首を傾げた意味が分かったのか、兄はボソッと一言口を開いた。
「……帰ったよ」
「そっか」
「春樹が気になる?」
「うん? まだいるのかなって思っただけ」
「そうか」
兄の反応が気になり顔を見た。
何か考え事をしているのか、視線を落として黙っている。
「兄ちゃん、どうしたの?」
「いや……なんでもない。おかゆを作ってくるから。それまで寝てなさい」
「うん……」
一瞬の間がなんだったのか気になったが、お粥を作ってきてくれた兄の様子はいつも通りだった。
お粥もいつも通り美味しかった。
※※※
朝起きると熱は少し下がっていたが、学校は休んで病院に行くことにした。
昨夜のうちに楓と雛に、風邪で休むことになりそうだから朝の迎えはいらないと伝えていたのだが、心配してわざわざ顔を出してくれた。
連絡した意味が無いじゃないかとも思ったが有難いことだ。
楓なんて冷たいものなら食べられるだろうと、お手製のフルーツゼリーを作ってきてくれるという女子力の高さを見せつけていった。
雛の負けた感が半端なかった。
こんなところで女子力を争わなくてもいいと思うが。
家から一番近くにある総合病院で診て貰い、受けた診断は『風邪』だった。
診察室に入ってすぐに『風邪ですね。薬飲んでゆっくり休んでください。はい、次ー』と追い出されるくらい普通の風邪だった。
隣接している薬局に処方箋を出して薬を貰い、帰宅。
兄が用意してくれていた昼食を食べて薬を飲み、一眠りすることにした。
「んー……ん?」
暫く気持ちよく眠っていたが、スマホの着信音で目が覚めた。
通知に表示されている名前は春兄だった。
欠伸をしつつ、通話ボタンを押した。
『風邪、大丈夫か?』
「うん。平気」
『様子を見に行きたかったんだけど真に止められてさ。寝かせておくから邪魔するなって』
流石兄だ。
ついでに起こさないように電話も止めておいてくれたら尚良かった。
でもまあ、体調も大分良くなってきたし、退屈だったから来てくれても良かったけど。
『なあ、話は変わるが……真の機嫌が悪い。お前、なにか知らないか?』
「え?」
驚いた。
兄の機嫌が悪いなんて滅多に起こらないレアな出来事だ。
何時も穏やかに笑っている兄。
怒っているときは必ず理由があるはずだが……特に心当たりは無い。
朝も普通だったし、昼食を作ってくれていたし、そんな様子は見当たらなかった。
「心当たりはないけど。春兄、何か兄ちゃんを怒らせるようなことしたんじゃない?」
『俺も心当たりがないんだけどなあ』
「ストレートに聞いてみれば?」
『聞いたけど、流されて終わりだ』
「じゃあ、本当に何も無いんじゃない?」
『いや、多分何かはある』
「……そうかな」
少し反抗したくなった。
兄については僕よりも詳しいと言われたように思えた。
そんなことはない、兄ちゃんのことなら僕の方が知っている。
「原因が分からないから機嫌が良くなるように何かしたら?」
腹が立ったので投げやりに話した。
自信があるなら相談しないで欲しい。
『そうか。そういう手段もあるか。真の機嫌が良くなることか……。何だと思う?』
何故そんなことまで僕が考えてやらなければいけないのだ。
春兄、面倒臭いぞ!
「春兄が自分で考えなよ」
『冷たいな。助けてくれよ』
「しらない。僕、病人だし。おやすみー」
『おい、待て!』
「もうなんだよ、寝たいんだけど!」
僕に甘えられても困る。
でも、納得してくれるまで電話を切らせてくれそうにない。
仕方がない、面倒臭いが少しなら協力してあげよう。
「まあ、兄ちゃんの様子がおかしいかよく見ておくよ。何もないと思うけど」
『ああ、頼む。何か分かったら教えてくれ。お前なら……あ!』
「ん?」
『いや、お前の話をした時に少し違和感があったんだ。もしかしたらあの時……央に妬いているのか』
心当たりがあったのか、一人で何かブツブツと呟いているが聞き取れない。
「春兄?」
『いや、なんでもない。ははっ、お前を頼るまでもなく解決しそうだ。悪かったな』
「はあ?」
解決の目処がたったようで声色も一気に明るくなった。
それならいいけど……人騒がせな!
まだ大人しく寝ているようにと僕に告げると、春兄はあっさりと電話を切った。
「全く、なんだったんだ。すっかり目が覚めちゃったし」
思わず愚痴ってしまったが、喉の渇きを感じて一階のリビングに下りた。
お茶を飲みつつスマホをチェックしてみると、楓と雛、柊からも風邪を心配するメッセージが届いていた。
見舞いに来ると連絡があったが、のんびりしたかったので全部断った。
暇だがこの面子が来ると絶対疲れる。
そんなことをやっていると、いつの間にか時間が経っていたようで兄が帰宅した。
「兄ちゃんおかえり」
「ただいま、起きていていいのか?」
「大丈夫」
「アイス買ってきたよ。冷たい物が食べたいかなと思って」
「ありがとう! 食べる!」
買い物袋から物を取り出す兄の隣に並んだ。
結局電話では春兄が一人騒いだだけだったけれど、何かあったのだろうか。
兄の顔を覗きこんだら、間近で視線がぶつかって――。
「!」
急に顔を近づけたことに驚いたのか、兄が飛び退いた。
目を見開いて僕を見ている。
「あ、ごめん」
そんなに驚くことでもないと思うのだが……近すぎて吃驚したのだろうか。
「兄ちゃん?」
「……なんでもない。ほら、アイスは今食べるんだろう?」
固まっていた兄だったがすぐに動き始め、僕にアイスを渡すと残りの買ってきた物を冷蔵庫に入れ始めた。
その様子はいつも通りで、特にかわったところはない。
今のはボーッとしていただけなのかな。
「あ、そうだ。さっき春兄が電話くれたよ」
「……。そう。央は春樹に来て欲しかった?」
全て冷蔵庫に入れ終え、袋を片付けた兄が僕の正面に立った。
何も持たず目の前で真っ直ぐたっているが、何か用なのだろうか。
わざわざ向き合ってするほどの話でもないのにと気になったが……まあ、いいか。
兄の方が十センチ身長が高いため、視線をあげて返事をした。
「どっちでもいい。兄ちゃんが早く帰って来てくれるのが一番いい」
以前は兄と春兄が揃っている方がよかった。
更に仲良くイチャイチャしているところを見せてくれたら最高だと思っていたが、今ではそうは思わない。
兄がいるだけでいい。
僕はどうしてしまったのだろう。
自分で言うのも何だが、転生してまで腐っているような変態と言われても仕方が無い人間が生BLを拝めなくても構わないなんておかしい。
まさか見飽きたなんてことはないと思うが……。
「央」
考え込んでいると、フワッと両方の頬が暖かくなった。
驚いて顔を上げると、兄が僕の頬を両手で包んで静かに笑っていた。
似ている顔なのに、自分には出来ない綺麗な微笑みを向けられて思わず固まった。
「まだ熱いね。寝てなさい」
「う、うん」
そう言うと僕から離れ、リビングを出て行った。
着替えるために部屋に行くのか、階段を上がっている足音が聞こえる。
「なんか……また緊張したな……」
遠ざかっていく音を聞きながら呟いた。
最近は今まで気にしていなかった兄の行動に戸惑うことがある。
顔を触られるなんていつものこと……あれ、いつものことか?
お叱りで頬を引っ張られたり、おでこをツンとされたりすることは『いつものこと』だけど、さっきの様な触れ方をされたことはあったかな……。
「分かんないや」
風邪が治るまではまともに考えられないのかもしれない。
言われた通りに寝ていようと自分の部屋に戻った。
※※※
丸一日寝て過ごし、熱は完全に下がった。
倦怠感は少し残っているがこれくらいなら特に問題は無い。
一応マスクだけはつけて家を出た。
学校に着くと一日休んだだけなのに、クラスメイトや友達が心配して声を掛けてくれた。
恵まれた環境だなと心の中でほろりと温かい涙を流している時に、それをぶち壊す破壊音が聞こえた。
教室のドアが砕け散るんじゃないかという勢いで開けられた音。
犯人はもちろん、前科のある赤鬼だ。
「天地央!」
「放課後に行けばいいんですよね! 分かっています、ええ、分かっています!」
お約束通りにフルネームを叫ばれた後、次に言われることが分かった僕は少しでも会長とのやり取りを減らそうと食い気味に返事を返した。
これで収集がつくと思いきや……つかなかった。
「いや、今来い!」
「今!? HRが……」
「気にするな!」
「しなきゃだめだろ、馬鹿か!」
会長に馬鹿と叫んだ瞬間、周りの空気がざわついた。
しまった……一日空いて気が抜けてしまったのか、ここが会長のテリトリーだということを忘れていた。
「行きましょう! さあ、早く!」
これ以上問題を増やしてしまわぬようにそそくさと教室を抜け出した。
会長の後をついていく。
夢銀河スターの背中は今日も輝いていたが、いつも以上にキラキラしている。
スキップでもしているのではないかと思うくらい何故か上機嫌だった。
嫌な予感しかしない。
会長は言いたくて堪らなかったのか生徒会室に入った途端に口を開いた。
「チャンスだ! あの馬鹿が真に捨てられる日は近いぞ!」
「え? ええ!?」
「見たんだ。真はあいつを避けている。今こそ協力しろ!」
それは……二人が別れてしまうってこと!?
信じられない。
確かに兄の様子はおかしかったようで春兄も気にしていたが……解決策を見つけたんじゃなかったのか?
「見間違いじゃ……」
「いや、昨日一日様子を見て確認した。第一俺が真のことで見落としたり見誤ることなどありえない!」
腕を組んで誇らしげにしているが、僕には声高らかにストーカー宣言しているように見える。
昨日一日中ニヤニヤしながらつきまとったのだろうか。
会長、イケメンに生んで貰えてよかったですね。
イケメンじゃなかったら僕は今悲鳴をあげないように口を押さえ、震えながら逃げ出しているところです。
「見間違いじゃなかったとしても、僕は会長には協力しませんからね!」
「ああ? 何故だ?」
「何故って……それは……」
『兄と春兄の関係を邪魔されたくないから』
僕は二人が好きだし、生BLというご馳走をくれるありがたい存在だ。
だから会長には邪魔をされたくないし、二人の関係を崩して欲しくないと思っていたはずなのだが……。
「……あれ?」
何故協力しないのかと言われ、すぐに頭の中に浮かんだ解答がそれじゃなかった。
それよりも先に、単純に『会長が兄に近づくのは嫌だ』と思った。
兄が春兄と別れることに危機感は湧かず、むしろ……。
「おい。何を呆けている」
「え? あっ……とにかく! 会長は大人しくしていてください!」
「するわけないだろう」
「僕は協力しませんからね!」
「ちっ。まあいい。お前の協力などなくても真はいずれ俺のものになる」
強気な笑みを残し、会長は生徒会室を出て行った。
今のも俺様攻めの強気と萌えたはずなのに何も沸き上がってこない。
風邪で脳内のBL回線が切れてしまったのだろうか。
ニヤニヤなんてすることなく、苛々して顔を顰めてしまった。
兄ちゃんは『もの』じゃない。
僕の兄ちゃんだ。
※※※
『央。聞いてくれ』
家に帰ってゴロゴロしていると、また春兄から電話が入った。
前回はあんなに浮かれた声だったのに、気持ちが落ち込んでいるのかいつもより声のトーンが数段低い。
それに焦っているような……余裕のなさを感じる。
『朝、真を迎えに行っても先に出ているし話す機会がないんだ。俺は避けられている』
「ええ?」
会長が言っていたことは本当だった。
でも兄が春兄を避けているなんて信じられない。
「避けられるようなことをしたの?」
絶対に理由があるはずだ。
『……その……少し強引なことをした。でも、ああでもしなきゃあいつは……! ……いや、悪い。なんでもない』
珍しく春兄が取り乱し、言葉を濁したが……兄に何をしたんだ?
まさか、強引に襲ったのか!?
「……」
攻めが受けを強引に襲うだなんて、お金を払ってでも見たかった光景のはずだ。
その様子を詳しく! と迫るのが本来の僕だと思うのだが……。
ここ最近に起こったBL麻痺のような変化はまだ続いているようだ。
今まで春兄に萌えていたのが嘘の様に怒りが込み上げてきた。
兄ちゃんが嫌がることをするなんて!
「何をしたか知らないけど、兄ちゃんにひどいことをしたら春兄だって許さないからな!」
『分かってる! 分かっているんだ……。謝りたいし、ちゃんと話したい。そのチャンスをくれないか?』
「僕にそんなことを言われても……」
『頼む』
春兄からこんなに真剣に頼まれたことは初めてだ。
何故かここ最近は春兄に反抗するような感情ばかり湧いてしまってはいるが、僕を弟のように可愛がってくれている『もう一人の兄』であることには変わりは無い。
無碍に扱うわけにはいかない。
「分かったよ。何すればいいの?」
『お前に頼みたいのは、その……何もしなくていいんだ。ただ……』
「ただ?」
『真と少し距離を置いてくれないか?』
「どういうこと?」
何を言っているのだろう。
一緒に住んでいるのに離れるなんて無理だ。
『無理矢理避けろとは言わない。ただ、それとなく二人でいる時間を減らすというか……。それだけでいいんだ。俺が真と話をつけるまで、お前は離れていて欲しい』
……ほら、また苛々した。
兄と少し離れるのはいいが、その時間を春兄にまわされると思うと面白くない。
約束してしまったから我慢するけど。
「……分かった。なるべく一人で部屋にいるようにするよ」
『頼む』
安心したような春兄の声を聞いてから電話を切った。
「なんか邪魔者扱いされているみたいだな」
二人が話をする妨害なんてしないのに。
今までだって勝手に見ているだけで口を挟んだことはなかった。
大体僕はまだ二人の関係を知っていないことになっているのだから、あまり巻き込まないで欲しい。
心の中で愚痴を零しながら自分の部屋に向かった。
日が落ち始め、窓の外が暗くなってきた。
お腹の空き具合もそろそろ夕飯時であることを訴えている。
兄が帰ってくる頃じゃないかと思っていると、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま、央ー!」
兄が帰ってきたようだ。
玄関から大きな声で僕を呼んでいる。
無視をするわけにはいかない。
不自然に距離をおくことはしなくてもいいだろう。
返事をして兄がいる一階のリビングへと向かった。
夕飯材料を買ってきたようで、テーブルの上には物がいっぱい詰まった買い物袋が置かれてあった。
兄の顔をこっそり覗き見たがいつも通りの麗しさで、特に影も無く機嫌が悪そうには見えない。
特に変わった様子もなく冷蔵庫に食材を片付け始めた。
なんだ、大丈夫じゃん。
「おかえり。呼んだ?」
「うん。お菓子買ってきたから。持って行くだろう?」
そう言うとテーブルの上にいくつかお菓子を並べてくれた。
好きなものを一つ取れ、ということだろう。
今日は普段あまり食べないものにしようとチョコに手を伸ばしながら兄を見た。
やっぱり機嫌が悪いようには見えないし、何かあったのか聞けそうだ。
「兄ちゃん」
「うん?」
「なんかさ……もしかして春兄とケンカ……とかしてる?」
春兄の名前を出した瞬間、兄の動きが止まった。
顔を見ると、無表情……いや、少し目つきが鋭い?
明らかに穏やかさが抜けていた。
その変化を目にして心臓が大きく波打った。
まずい、これは駄目な時の顔だ。
絶対に茶化してはいけない時の表情だ。
「春樹に何か言われたのか?」
「それは……」
滅多に怒らない兄が怒っていると分かった瞬間から動悸が止まらない。
余計に怒らせるようなことは絶対したくない。
これ以上は何も聞かない方がいいと分かっているのだが……気になる。
「何かあったのかなーって……」
我慢出来ず恐る恐る聞いてみると、兄の眉間の皺がより一層深くなっていくのが見えた。
あー……やばい。
「央は気にしなくていい」
遮るように言い放たれた言葉は凄く冷たかった。
心臓がきゅっと痛くなり、頭も真っ白になりそうだ。
でも、どうして兄がこんなに怒っているのかやっぱり気になる。
「……ごめん。で、でも」
「気にしなくていいって言っているだろ。央は春樹のいうことを聞かなくていい!」
怒気を孕んだ強い口調だった。
怯えたわけじゃないが、驚きと兄の気迫に圧されて思わず身体が強張った。
普段から喧嘩は無いが全く無いわけじゃない。
でも、今のは喧嘩じゃなくて拒絶されたようだった。
「ごめん、なさい……」
肩を落として俯いてしまう。
涙を堪えるのが難しくなってしまう。
『部屋に戻って落ち着こう』そう考えていた時――。
「真」
突如聞こえた声に反応して振り返ると、そこには……。
怖い顔をして立っている春兄がいた。
「悪い。勝手に上がらせて貰った」
僕の頭にポンと手を乗せてから通り過ぎ、兄の方に近づく春兄。
春兄の手が優しくて嬉しかったが、兄の顔が更に険しくなったのが見えた。
空気がピリピリしていてどうしていいか分からない。
「今の言い方はないんじゃないか?」
「……オレと央の家に勝手に入ってくるな」
二人は険しい顔をし、睨み合っている。
こんな二人を見るのは初めてだ。
オロオロと二人の顔を見ることしか出来ない。
「央は俺やお前のことを心配して言ってくれているんだぞ」
「お前が言わせたんじゃないのか?」
兄は春兄を睨み続けていたが、ふと鋭さが抜けたかと思うと静かに背を向けた。
「何をしにきたのか知らないけど帰ってくれ」
「お前、何がそんなに気に入らないんだ」
「今はお前とは話したくない」
「……この前の事は悪かった。あんな乱暴なことはもうしない。でも、言いたいことがあるならはっきり……」
「話したくないって言っているだろ!」
兄が声を荒げて、春兄の言葉を遮った。
僕は兄の大きな声を聞いて心臓が縮んだような感覚に陥り、思わずぎゅっと目を閉じた。
兄と春兄、二人の間に沈黙が流れる。
時間が止まったようだったが春兄が大きな溜息をつき、再び時は流れ出した。
「……分かった。お前の気が済むまで待つ。央、お前は来い。真を一人にした方がいいだろ」
「え?」
春兄が僕の手を掴み、引いていく。
確かに兄は今冷静でいられない様だからそっとしておくべきなのかもしれない。
でも、一人にしない方がいい時だってある。
残していっていいのかと振り返ると、兄と目が合った。
――行っちゃ駄目だ。
険しい兄の顔を見てそう悟った瞬間、足が止まった。
「春兄、離し……」
「央を勝手に連れて行くな!」
春兄の手を解こうとしているところに、兄の声が響いた。
その瞬間、春兄の進んでいた足も止まった。
振り向き兄の顔を見ると……目を見開いた。
驚いているようだが、どうしたのだろう。
今更怒っているということには驚かないと思うのだが……。
言葉を失ったように固まっているが、今日は春兄も兄も早く離れて落ち着いた方がいいと思う。
「春兄、帰った方がいいよ。僕は大丈夫だから」
「ちっ」
春兄の腕を揺すって説得すると、舌打ちをして帰って行った。
「……」
静かになったリビングでどうしようかと兄の顔色を伺った。
無表情で家事を再開しているが、怒りのオーラがまだ出ている。
「兄ちゃん、ごめんなさい」
何が悪かったのか分からなくなってしまったが謝った。
「央はオレの言うことだけ聞いていればいい」
「……うん」
二人の問題に首を突っ込んだから怒ったのだろうか。
余計な事しちゃったな。
「……央が悪いんじゃないんだ。ごめん」
叱られた子供のように肩を落としていると、いつの間にか目の前に来ていた兄に頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。
「でも……」
「ご飯作るね」
話を続けようとしている僕の言葉を遮り、兄は明るい声を出してキッチンの方へ戻って行った。
空気は良くなったけど……これ以上は話さないと言われているようで少し寂しかった。
※※※
目の前にはもう何度来たか分からない会長の私室こと生徒会室の扉。
ここ最近は兄の異変のことがあるし、益々会長とは関わりたくないのだがまた強制招集がかかった。
前回協力しないと宣言をしたのにまだ呼ぶのか。
今日は一体何を言われるのだろう。
溜息をつきながらノックをし、中に入った。
窓はいつも通り締め切られていた。
空気が淀んでいるのもいつものことだが、今日は一際濁っていた。
「どうしてだ……真が俺のことも避ける……」
「え?」
「チャンスを生かすために近づいているのだが、気がつけば姿を消している。意図的に避けているとしか思えない」
春兄に続いて会長まで?
「お前、何か心当たりはないのか?」
「ないです」
「本当だろうな!? 隠していたらただじゃおかないぞ!」
「本当だって! 痛いって!」
自分が馬鹿力の持ち主だと自覚していないイケメンゴリラに肩を組まれ、ダメージを負った。
全く、もう少し人と接して人間界で力の加減を学んで欲しい。
それにしても兄が春兄と会長を避ける理由は何なのだろう。
謎は深まるばかりだ。
※※※
平日の朝。
いつもより少し寝坊をしてリビングに降りると、兄はもう身支度を済ませていた。
少し焦ったが時計を見ると朝食を食べる時間はありそうだ。
テーブルからいい匂いがするし食べていこう。
「オレは出るから」
「はーい、いってらっしゃい」
兄を見送りながら椅子に腰掛けた。
「ホットサンドだ……」
用意してくれていた朝食に目を向けると、それはあまり作ってはくれない僕の好物だった。
前に食べたのはいつだろう。
かなり久しぶりだ。
これが出る時は兄が僕の機嫌を取りたい時だ。
この前のこと、気にしているのかなあ。
兄の様子はまだおかしい。
ご飯は作ってくれるし、話し掛ければ返事もくれる。
でも時折兄はジーッと僕を見ては何か考え込んでいるというか、思い詰めている。
力になりたいが、僕が聞いても答えてくれないのは分かっているから見守ることしか出来ない。
「どうすればいいんだろう……ん?」
思考を巡らせながらカフェオレを飲んでいると玄関が騒がしいことに気がついた。
聞き覚えのある声が幾つか聞こえる。
兄に春兄、それに……。
「マジか……」
うわあ、会長だ。
絶対に良くないことが起きる。
その予感に突き動かされ、急いで玄関に向かった。
そこで見たのは眉間に皺を寄せた春兄と会長に挟まれ、無表情で立っている兄だった。
今から学校に向かうはずだが、三人で登校だなんて考えられない。
どうなってしまうのだろう。
「兄ちゃん」
心配になり、声を掛けると兄がこちらを見て微笑んだ。
「早く食べた方がいい。遅刻しないように出なきゃ駄目だよ」
「うん」
「じゃあ、先に行くから」
そう言うと玄関の扉を開け出て行った。
会長と春兄も睨み合い、牽制し合いながらも後を追って行った。
「はあ」
あの二人に挟まれて兄は大丈夫なのだろうか。
それに、ここ最近はずっと笑顔に陰りがあるような気がする。
何か悩んでいるなら僕に話して欲しい。
※※※
「何もしてないけど疲れたなあ」
学校が終わると真っ直ぐ家に帰ってきた。
楓や柊に呼び止められたが、まだ風邪が完治していないのかもしれないと適当なことを言って別れてきた。
風邪は治っているので嘘をついて申し訳ないが、どうしても気力が湧かなかった。
何もする気になれない。
一人でいたい。
今日はのんびりゲームでもしようと部屋に入り、ベッドに腰を下ろしたところでインターホンが鳴った。
誰だ?
今上がって来たところなのに。
「よう」
居留守を使おうかと思いながらも、渋々開けた玄関の扉の向こうにいたのは春兄だった。
兄と一緒ではないようで一人だった。
「春兄一人?」
「ああ、真はまだ帰ってこないと思う。今日はお前に話があるんだ」
「僕に?」
わざわざ僕に話だなんて何なのだろう。
妙に真剣な顔をしているし、身構えてしまう。
すぐに済むような話ではなさそうなので家に上がって貰い、リビングに落ち着いた。
「どうしたの?」
飲み物くらいは出すべきかと冷蔵庫のコーラを取って来たのだが、春兄はソファにすわることなく立ち尽くしていた。
難しい顔をして床を睨んでいる。
「なんとなく、察しはついているんだ」
「何の話?」
「勘違いであって欲しいと願ってしまう」
僕の言葉は耳に届いているのかどうか分からない。
こちらを見向きもしないし、独り言を言っているように見える。
話があるんじゃなかったけ?
わけが分からないと混乱しながら、僕はソファにドカッと腰を下ろした。
まともに話せるまで放置してコーラを飲もうっと。
「真は俺のものだ」
プシュッと音を立てながら缶の蓋を開けていると、春兄がはっきりとした口調で呟いた。
まだ下を向いたままだし独り言なのかもしれないが、なんとなく僕に向けて言ったのだと感じた。
急に何なのだろう。
僕はまだ二人の関係を知らないことになっているのに、バラすような発言をしていいのだろうか。
「兄ちゃんは『もの』じゃないよ」
発言の真意を深く掘り下げることはしない。
だが言わなければいけないことは言う。
会長も言っていたが、兄ちゃんをもの扱いするのは許せない。
「……お前もなのか?」
「?」
「……俺の出る幕がないじゃないか」
今日の春兄は様子がおかしい。
ずっと俯いているし、今は拳を握っている。
話があると言っておきながら独り言ばかりだし。
「あ」
どうしようかと考えていると、パタンと玄関のドアが開く音がした。
兄が帰ってきたのだろう。
春兄も音で気づいたようで僕を見た。
「……来たな。真と二人で話をさせてくれるか」
強引なことをした、なんて言っていた春兄と兄を二人にしてもいいのだろうか。
「大丈夫、何もしない」
僕の心配は顔に出ていたらしく、春兄が気まずそうに笑った。
仕方ない、自分の部屋に戻るか。
何かあってもすぐに降りてくればいい。
リビングを出て玄関の前を通ると、兄が靴を整えて上がってきたところだった。
「兄ちゃん、おかえり」
「ただいま。春樹、来ているのか」
「うん、兄ちゃんと話したいって……」
「オレがいない時は家に上げちゃだめだ」
近くまでやって来た兄に叱られた。
目が笑っていない、また本当に叱っているときの表情だ。
「え? で、でも……」
今まで散々やってきたことなのに、急に駄目だというのはどうしてだろう。
「もういいから、央は部屋にいなさい」
話を切り上げ、兄はリビングに向かった。
その背中を見ていると、段々不安になってきた。
「春兄と仲直りするの?」
どうしてこんなことを聞いてしまったのだろう。
気づけば口から出ていた。
僕の問いかけを聞いて兄の足は止まった。
「央はどうして欲しい?」
振り返った兄は僕を見て困ったように笑っていた。
どうして欲しいかなんて……言えない。
でも、嘘偽り無く本心から言えることは――。
「……兄ちゃんに笑っていて欲しい」
答えになっていないかもしれないが、それしか言えなかった。
だって……仲直りして欲しくないと思ってしまった。
でもそんなことを口に出しては言えないし、嘘は言えない。
「央。オレは春樹と……」
「邪魔しないように部屋にいるから!」
兄が何か言いかけていたが、途中で部屋へと駆け出した。
多分、さっきのことばの続きは『仲直りしようと思う』だと思う。
良かったと言ってあげなければいけないのに、言えないかもしれない。
だから逃げた。
自分部屋に入り、ベッドに倒れた。
今頃二人は話し合いをしているのだろう。
兄の様子もおかしかったし、今日は春兄もおかしい。
二人とも冷静に話が出来るのか心配だ。
恋人同士の話し合いに、弟とはいえ部外者の僕が口を挟むべきではないとは分かっているが……。
『……ッ…………!』
「!?」
何を言っているのかははっきり聞き取れはしないが、荒々しい声が聞こえてきた。
また言い争っているだろうか。
兄は大丈夫だろうか。
さすがに二階に僕がいると知っていて襲うようなことはないと思うけど……。
「少しだけ覗いてみよう」
我慢出来ず、様子を見に行くことにした。
階段の下段の辺りからこっそりリビングを覗くと、中途半端に開けられたドアの隙間から二人の様子が僅かに見えた。
春兄が兄の腕を掴んでいて、兄はそれを振り切ろうとしている。
「お前は誰に妬いてるんだよ!」
話している内容を聞き取ろうと耳を澄ませたところで春兄が叫んだ。
「お前の機嫌が悪いと気がついたとき、もしかしたら俺が央を構うから央に妬いているのかと思った。でも……違うだろ?」
「……」
腕を掴まれたままで動けない兄だが、出来るだけ春兄と距離を開けたいのか思い切り顔を逸らした。
それを見て、春兄の顔が険しくなった。
「お前の恋人は誰だ? 俺だろ!?」
声を荒げると掴んでいた腕に力を入れ、力尽くで兄の身体を引き寄せた。
突然のことに戸惑っている兄のふいをつき、顔を近づけた。
これは……唇を奪うつもりか?
また強引なことをするつもりか!?
止めようと咄嗟に足が出たが踏み留まった。
春兄を止めたいけれど、僕が二人のことに口を出していいのだろうか……。
「いや、だっ!」
寸前のところで兄が顔を逸らした。
春兄の体を必死に押して離れようとしている。
「兄ちゃんが嫌がっているのに何をやってんだよ!」
「央!?」
迷ったけれど黙って見ていられず、結局飛び出してしまった。
リビングの扉をバンッと開けると兄が驚きの声を上げた。
春兄も驚いていたが、すぐに顔を顰めて僕を見た。
「いいんだよ。俺達は付き合っているんだから」
「えっ……」
それはもちろん知っている。
こんなことになっているのだから関係を知らなかったとしても察しはついたと思うが、突然のカミングアウトに固まってしまった。
「春樹!」
停止してしまった僕を見て、兄は諌めるように春兄の名を叫んだ。
怒っているのか、掴まれていた腕を掴み返している。
「今言わなくていいじゃないか!」
「事実なんだからいつ言ったっていいだろ!」
「……っ」
春兄に怒鳴り返された兄は辛そうな顔で僕を見た。
BLだからか言われたくなかったのか他に理由があるのかは分からないが、この様子だと僕に知られたくなかったのだろう。
「知ってたよ?」
「え?」
「だから何? 付き合っていても無理矢理は駄目だと思う! 兄ちゃんに触るな!」
僕が知っていたことに呆然としている春兄から兄を引きはがし、背中に隠した。
強引なことはしないと、『分かっている』と言っていたのに反省していないじゃないか!
そんな春兄に兄を近づけたくない。
威嚇するように睨んだ。
「……俺はそんなに邪魔か?」
「え?」
兄を守るぞと意気込んで睨んだのに、春兄の顔にさっきまでの鋭さは無くなっていた。
泣いてしまうんじゃないかと心配になるほど弱々しい、どこか寂しそうな表情だ。
いつも凜々しくて格好良い春兄の見たことのない顔に戸惑う。
「真、どうするんだ?」
「え?」
僕の後ろにいる兄に向かって春兄は問いかけた。
「お前は気づいているんだろ? 続けられるのか? 俺達の関係を」
「……」
間にいる僕を飛び越えた二人の間に、張り詰めた空気が流れた。
お互い心細そうな顔をして見つめ合っている。
二人が無言のまま時間がどんどん過ぎているが、僕も動けない。
静寂が辛くて、息苦しくなって来たところで兄が動いた。
「……ごめん。もう、自分に嘘はつけない」
小さくそう呟くと俯いてしまった。
それ以上話す気配はない。
「……そうか」
諦めたような春兄の声を聞いて顔を向けると、もうリビングを出て行こうとしていた。
今のやりとりで話はついたのだろうか。
引き留めなくてもいいのかと今度は兄に顔を向けると、春兄の背中を黙って見送っていた。
あっという間に春兄の姿はリビングから消え、少しするとバタンと玄関の扉が閉まる音が聞こえた。
春兄は出て行ってしまったようだ。
「兄ちゃん、いいの?」
「……ああ」
走って追いかければまだ間に合うと思うが、兄が動く気配はない。
「春兄と別れちゃったってこと?」
「そうみたいだね」
他人事のような言い方をしたのは、まだ実感出来ていないのだろうか。
ボーッと春兄が出て行った扉を眺めている。
幼なじみで恋人だった二人の終わりにしては呆気ない。
もう親友にも恋人にも戻れないかもしれないと思うと、息が出来なくなりそうなほど辛い。
外野の僕でもこんなに辛いのだ。
春兄と兄も苦しいだろう。
それでもこの選択をする理由が兄にはあったのだろう。
……それは何だ?
「春樹と……男と付き合っている俺のことをどう思っていたんだ?」
ゆっくりとこちらを向いて尋ねてきた顔は心細そうだった。
心配することなんて何もないのに。
安心するように精一杯の笑顔で答えた。
「兄ちゃんが幸せなら誰だっていいよ」
男だろうが女だろうが、兄が笑っていてくれるならそれでいい。
「央……」
「兄ちゃん?」
「先に謝っておく」
「え?」
「オレのこと嫌いになるかもしれないけれど……。ごめんな」
「何のこと…………っん!?」
近づいてきた兄を見ていると両頬を掴まれた。
前も同じことをされて熱があると言われたことを思い出していたら……今度は違った。
包まれている頬だけでは無く、顔の全部が暖かい。
自分の口に兄の同じものが重なっているのが分かる。
春兄が兄にしようとしていたことを、僕が兄にされてしまった。
「なっ、なんでっ」
呼吸は出来るようになったが、兄はまだ離れてはくれない。
熱を測っていた時のように僕のおでこに自分のおでこをくっつけたままでいる。
今の測られてしまったら顔が熱いことがバレてしまうから困るのに……。
風邪の時よりも高熱になっていそうだ。
「央を誰にも渡したくない」
離れないまま兄が呟いた。
吐息がかかる距離で話されてもまともに聞けない。
どうにかした方がいいのかもしれないが身体が動かない。
「央が風邪を引いた時、春樹が額をくっつけて熱を測っているのを見て凄く腹が立ったんだ。……春樹に対して。央に触って欲しくなかった」
正直に言うと、あまり頭は回ってはいないが……必死に耳を傾けた。
「おかしいなって思ったんだ。オレは春樹と付き合っているのに、普通は逆なんじゃないのかって。冷静に考えてみようって自分に言い聞かせながら過ごすようになったら……春樹と会うのが辛くなった。春樹には悪いことをしたと思っている。でも、オレは自分の気持ちが分からなくなって、とにかく逃げたかった。逃げ続けていたら追いかけてきた春樹に逃げ場を無くされたけど……それで分かった。春樹より、央の方が大事だ。この先もずっと一緒にいたいのは央だ」
兄のおでこが離れていき、視界が明るくなった。
正面から見た兄の顔は、困ったような笑顔だった。
それでもどこか吹っ切れたのか、翳りのようなものは消えていた。
「大事に育てたんだ。全部オレのものだ」
そう言うと、今度はギュッと力一杯抱きしめられた。
まだ頭はついていかない。
兄が僕に語った感情は、兄弟愛の範疇を超えていた……よな?
されたことも、この歳の兄弟がすることではないし。
『好き』とか『付き合おう』と言われたわけではないけど……そういう類の話ってことで合っていますか!?
「央がオレを受け入れてくれると、オレは笑顔でいられるよ? 央次第だ」
改めて兄の顔を見ると、今度は見慣れた笑顔になっていた。
これは僕に逃げ場を与えず、言う通りにさせる時の笑顔だ。
『好きにして良い』と言うけれど、結局いつも僕は兄の意のままに動かされている。
今回だって……。
『兄ちゃんが幸せなら誰だっていい』なんて言ってしまった後にそんなことを言われてしまったら……。
「……ずるい」
兄の肩に頭をぶつけ、抱きしめ返した。
やっぱり僕は兄の思い通りになってしまうようだ。
実の兄にこんなことを言われたら、普通は避けてしまうのかもしれない。
でも僕は『嬉しい』と思ってしまった。
それに気がつかないフリをしていたけど、兄に緊張してしまっていたのは『特別な人』と意識してしまっていたからだと思う。
これからの関係が何と呼ばれるものになるかは分からないけど、細かいことはいいかな。
これからもずっと兄の側にいようと思う。
※※※
「……という内容でした。……天地君。人に虫酸の走る話をさせておいて寝ているのですか?」
「寝てない! 虫酸とか言うな!」
昼休憩の食後、楓が用事でいなくなったので屋上に向かった。
一人でのんびりしようとしていると、同じように外の景色を眺めていた白兎さんを見つけたので隣に居座った。
雑談をしている中でそういえば白兎さんは僕が知らないゲーム情報を知っているのだなと思いだし、以前少し聞いていた隠しルートについて教えて貰った。
白兎さんの語りを聞きながらリアルに想像し続けてしまった結果、目を開けられなくなった。
両手で顔を覆い、俯くことしか出来ない。
兄ちゃん攻め! 僕受け! なんてこった!!
弟が僕でなければ、走り回りたいくらい萌えたのだと思う。
『自分好みに受けを育てるとか! とってもエロいですねー!』と叫んでいただろう。
聞いていてきゅんとするものがなかったわけではないが、このときめきを受け入れてしまってよいのだろうか!
受けが自分なんですけど!
兄弟モノなんですけど!
「ちなみに余談ですが、邪神は天地兄弟はリバ推奨だと言っていました」
「え?」
「兄が弟の部屋に行くときは兄攻め、弟が兄の部屋に行くときは弟攻めという暗黙のルールが出来て……」
「その話はまた今度にしてくれないかなー!」
気になるから聞きたいけれど、今日はもうお腹がいっぱいだ。
コンディションがいい時に改めて聞きたい。
そしてもう一つ気になっていた略奪ルートも聞いてみたいと思う。




