深雪END②
「ん……」
布団の中が暖かい。そして狭い。
頭はまだボーッとしているが、寝苦しさと体の痛みで目が覚めた。
なんだかいつもと違う目覚めだ……ってそうか、深雪君と一緒に寝たんだった。
……あれ、動けない。
そして重い!
頭がハッキリしてくると、今自分がどういう状態になっているか分かった。
「頭が捕まっている……」
体を横にして深雪君と向き合って寝ているが、僕は布団に潜りたかったのか低い位置にいる。
逆に深雪君は少し高い位置にいて、胸の位置にある僕の頭をギュッと抱きかかえるようにして眠っている。
僕は抱き枕じゃないぞ!?
顔は見えないが、規則的な寝息が聞こえてくるので起きていないのだろう。
時計も見えないが、部屋の明るさを見ると遅い時間だと思う。
目の前には深雪君の水色のパジャマが見える。
深雪君が女子で巨乳だったら、幸せな窒息死が出来ていたくらいに近い。
巨乳じゃない今でも、『これが美少年の薄い胸板か……』と思うとお触りしたくなるが我慢だ。
今の状態をBL視点でいると、位置的には僕が受けで深雪君が攻めっぽいが、深雪君はやっぱり受けだ。
いや……深雪君のこの位置での受けも素晴らしい。
事後に寝てしまい、攻めは受けの体に擦り寄り……受けは攻めの頭を抱えて眠る。
いいぞ……むしろこれが一番!
いやいや、でもやっぱり王道で攻めが受けを腕の中に閉じ込めるように眠るのも譲れない。
この場合は体格差があるほど萌える……いや、同じ体格もいい!
同じ体格だとリバもいけるから最高だ。
いやいやいや、体格差があるリバも……ってキリがないや。
BLに正解はない。
その時の体調と要相談だ。
今食べたいと思ったものを食べる、そういうことだ。
おっといけない、目の前に美少年の胸という最高のご馳走を用意されて思わず腐ってしまった。
それにしても……。
こんな状態だが妙に落ち着く。
人の温もりがあるからなのか、深雪君だからなのかは分からないが凄く心地良い。
両方かな?
この状態を手放すのは勿体ないが、そろそろ起きようか。
休みの日だし、深雪君はゆっくり寝かせてあげたい。
起こさないように抜け出すことにした。
「ん……」
お?
動き出そうとしていたところで深雪君が身じろいだ。
起きそうな気配がする。
この状況が分かったら深雪君はどんな反応をするのだろう。
スッと離れるだけかな?
腐ってばかりいて、最近では普通の男子の思考が分からなくなってきた。
深雪君は僕を兄と慕ってくれているが、さすがに男を抱き枕にしてしまったと分かったら『うわ……』と嫌な気分になるのだろうか。
……実際に試してみようかな。
このまま寝ているフリをしよう。
目を閉じ、呼吸を整えて狸寝入りを始めた。
「……」
深雪君は何も話さないし、動かない。
見えないので確かなことは分からないが起きていると思う。
でも静かなままだ。
二度寝したのだろうか。
「ど…………どうしよう」
小さな呟きが聞こえた。
やはり起きているようだ。
「あき兄……」
呟きが聞こえたと同時に僕の頭をギュッとしている腕の力が強くなった。
より深雪君の体が近くなり、心臓の音が聞こえてきた。
小さく規則的に波打っている音はとても早く感じた。
こんなに人とくっついていたら緊張するか。
深雪君の心臓の音を聞いていると僕まだ緊張してきた。
「……大好きだ」
……え?
くっついているので、小さな呟きだがはっきりと聞こえた。
好き……とは?
兄的な存在として、だよな?
そう思うのだが、やけに重みのある『大好き』に聞こえた気がした。
未だに腕の力は弱まっていない、むしろ強くなっている。
気持ち悪いと言われなかったことは嬉しいが、真逆を突っ走って行くような展開に困惑だ。
戸惑っている間にスッと体が離れていった。
そろそろ寝ているフリが辛くなってきたので、今起きたことにしようかなと思ったのだが……。
「……」
視線を感じる。
凄く見られている!
見られていると上手く『今起きた』な感じを出せそうにない。
困ったな……。
「可愛い」
可愛い?
これだけ視線を感じているのだから僕のこと……だよな?
可愛いのはあなたですよ?
年下で、自分より何倍も可愛い子から『可愛い』と言われて更に困惑だ。
何を可愛いと思われたのか分からないが完全に起きるタイミングを失った。
これはもう深雪君が完全に離れるまで寝ているふりを続けるしかない。
いっそ本当に眠れたらいいのだが、目はすっかり覚めてしまった。
――ピロン
静かな部屋にスマホのメッセージ着信音が響いた。
僕のスマホは机の上に置いているので、位置的に鳴ったのは深雪君のスマホだ。
メッセージを見るためにベッドを降りるかも。
視線から逃れられるかも、と思っていると希望通りになった。
深雪君はベッドから降りて行った。
「もう、煩いなあ……」
恐らくスマホのメッセージを確認したのだと思う。
白兎さんから小言が入っていたのだろうか。
深雪君のうんざりした様子の声を聞くと、少し笑ってしまいそうになった。
※※※
スマホを置いた後、深雪君は部屋を出て行った。
着替えている音がしたので覗いてやろうかと思ったが我慢した。
「僕も着替えるか」
部屋に一人になったので漸く起き上がることが出来る。
しかし……よく分からない事態になったなあ。
寝たふりなんかするんじゃなかったと後悔だ。
ギュッとされたことや大好きだと呟かれたことは嬉しいが、このことについて深く考えてはいけない匂いがする。
「腹減ったな」
とりあえず朝ご飯か昼ご飯か分からないご飯タイムをしようと一階のキッチンを目指した。
玄関には兄の靴が無かった。
どこかへ出掛けたらしい。
何か食料はあるかな~と考えながらリビングの扉を開けたら……。
「深雪君!?」
目に飛び込んできた光景に焦った。
深雪君がソファにぐったりした様子で座っていたのだ。
「あ、あき兄……」
僕を見つけると重い体を無理矢理起こすように立ち上がった。
表情も笑顔を貼り付け、何でも無いフリをしようとしている。
「具合が悪くなったのか?」
「大丈夫、です」
「大丈夫そうじゃないよ! 座って!」
ゼーゼーと胸からおかしな音がする。
さっきはこんな息苦しそうな呼吸をしていなかった。
「少し休んでいたら落ち着くので……」
そう言って弱々しく微笑むが……。
「家に帰った方がいいよ。お母さんに連絡しよう?」
「嫌です!」
強い視線で訴えてくるが、僕だとこの状態が本当に大丈夫なのかどうかも判断出来ない。
やはり家の人が近くにいた方がいい。
「深雪君」
「もうちょっとここにいたいです!」
そう言ってくれるのは嬉しいが……何かあっても僕じゃ対処しきれない。
「スマホ借りるね。勝手に連絡するよ?」
「駄目です!」
深雪君の足下に転がっているスマホに手を伸ばしたのだが先に取られてしまった。
「自分で連絡します……」
スマホをギュッと握りしめ、小さく呟いた。
『苦しいから』か『帰りたくないから』かは分からないが、とても辛そうな表情をしている。
僕が見守る中、深雪君は渋々連絡を入れた。
深雪君の連絡を受けて、すぐにお母さんが車で迎えに来た。
そこには当然白兎さんも乗っていた。
お母さんがいるからか抑えられてはいるが、殺意が篭もっていそうな視線がグサグサと僕に刺さっている。
痛い……具現化して刃物となった視線に本当に刺されているんじゃないかと思うほど痛い!
「あき兄、ごめんなさい……。また来てもいいですか!?」
「元気になったらね」
「……はい」
受験生だし、体の事を考えると気軽に『遊びに来て』とは言えない。
それに約一名、深雪君がここに来ることを快く想わない人が僕を見ている。
具体的な日にちを言うと、その日までに僕を消そうとするだろう。
曖昧に苦笑いで濁し、名残惜しそうな深雪君を見送った。
「……はあ」
深雪君を家族に預けたことで少し安心出来たが、今度は僕の体に危険が及びそうだ。
「……白兎さん」
『近くに用事があるから』と言って残った怒れる戦士に顔を向けた。
『用事』って嘘だよね。
恐らく僕に言いたいことがあるのだろう。
「天地君の存在はあの子にとって悪影響です」
案の定、目が合った瞬間にこれだ。
「体のこともそうですが、深雪は受験生です。心を乱すようなことはしないでください」
「僕は……」
「あの子があなたを慕っているのは分かっています。だからこそ邪魔なんです。あなたがいると、あの子は勉強よりもあなたに意識がいってしまう」
「……」
そうなのかな。
心当たりは……少しある。
家で大人しく勉強をしていれば体調が崩れることもなかったかもしれない。
受験は人生に関わることだし、邪魔はしたくない。
「あの子のために、あの子と関わらないでいてくれますよね?」
狡いな、そう言われると拒否出来ない。
「……分かったよ」
僕の返事を聞くと満足そうに頷き、戦士は去って行った。
その逞しい背中を見送りながら、僕は大きな溜息をついた。
※※※
「あき兄、ウォーキングに行きましょう!」
土日の休みが明けた月曜日の放課後、いつものように深雪君と落ち合った。
すっかり調子は良いのか、僕の姿を見つけると笑顔で駆け寄ってきた。
「体調は良さそうだね」
「はい! 発作が出ていないときは平気です!」
「そっか。でも体調が悪くないように気をつけないとね」
「はい!」
深雪君はいつものコースを歩き始めるつもりのようで進み始めた。
「あき兄?」
でも、僕が今日ここに来たのはウォーキングをするためではない。
話をするためだ。
歩き始めない僕を見て不思議そうにしている。
「深雪君、今日は……いや、もうウォーキングはやめよう。放課後にこうやって会うのも今日が最後だ」
「え……どうして!?」
僕の言葉を聞いて一瞬固まった深雪君だったが、硬直が解けると焦った様子で目の前に戻って来た。
「受験に集中した方がいいよ」
「してます!」
「……今度会うのは合格してからにしようか」
「そんな……」
辛そうな顔を見ると心苦しいが、受験生というだけでも大変なのに、深雪君の場合は体の心配もある。
「迷惑を掛けたから、おれのこと嫌いになっちゃったんですか!?」
「そんなわけないじゃん。今は合格することと体調を整えることだけ考えようね」
俯いてしまった頭をポンポンと小さく叩いたが反応がない。
ギュッと拳を握っているのが見えて更に心苦しくなった。
嫌われてしまうかもしれない。
「放課後……明日からどうするんですか?」
「え?」
「あの人と遊びに行くんですか?」
放課後に……『あの人』?
深雪君が知っている僕の周りの人といえば……あ。
「楓のこと?」
「……」
そうか、楓との会話は聞こえていたのか。
聞かれていたのは……嫌だな。
「…………」
どう答えるか迷っている内に深雪君は走り去って行った。
「……はあ」
白兎さんが去って行った時も気は重かったが、今は更に鬱だ。
僕だって深雪君に会えないのは辛い。
※※※
「本当に久しぶり! こういうジャンクフードってあんまり美味しいって思わないけど、今日は美味しいな」
深雪君と会うことを止めた翌日の放課後、早速楓が現れた。
『現れた』というより学校にいる間はずっと一緒だったので、放課後も逃げないように監視されての延長戦という感じだ。
正直に言うとあまり乗り気にはなれなかったのだが『楽しみにしていた』と嬉しそうに話す楓を見ると断れなかった。
「ここのはいつも美味しいぞ?」
「そう? 体に悪そうじゃん。自分で作った方が絶対美味しいよ」
世の中の人が全員お前のように女子力が高いわけではないのだ。
僕にはこういうジャンクフードを『自分で作る』なんて発想はなかったから驚きの発言だ。
ここは商店街の中にあるハンバーガーショップだ。
以前白兎さんとも来たことがある
懐かしいな……奢ると言ったのに水しか飲んでくれなかったよな……。
あの時から白兎さんとの仲が悪化している気がする。
どうして深雪君のことで白兎さんと揉めるようなことになってしまうのだろう。
深雪君の力になりたいのは同じなのに協力できない。
白兎さんともっと意思疎通出来れば、深雪君とこんなに嫌な感じで会うことを止めることもなかったのに。
ここは深雪君の塾が近い。
今座っているのは二階の窓際の席なので、見下ろすと通行人の姿を見ることが出来る。
この時間だとちょうど塾に向かっている頃だ。
もしかしたら前を通るかもしれない。
「ん? 外ばかり見て、何かあるの?」
「いや、別に。何となく見ていただけ」
深雪君の姿は見たいが、楓といるところを見られるのは気が引ける。
悪いことをしているわけではないと思うが……。
「あ」
まだ遠いところにいるが、奥の方から深雪君がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。
周りに女の子がいる。
以前見かけた女の子達だろうか。
顔は見えないし覚えてもいないが雰囲気が似ている。
あの時の男子の姿はない。
恐らくこの前を通るだろう。
僕に気がつくかな。
僕は気がつかなかったふりをした方がいいだろうか。
席を移動したいが、楓に場所を変えようと言うと勘ぐられそうで困る。
……普通にしていよう。
気づけば深雪君は顔がはっきり分かる距離まで近づいていた。
楓と雑談をしながらも、ちらりと深雪君の様子を伺っていると――目が合った。
深雪君が僕に気づき、足を止めた。
やっぱり気がついたか。
何となくそんな予感がしていた。
無視をするのはおかしい。
『塾、頑張れ』という意味を込めて軽く手を振ったのだが……リアクションがない。
深雪君の顔をよく見てみると視線は楓を捕らえていた。
目の前を見ると、楓も深雪君を見ていた。
もう一度深雪君に目を向けると……え!?
驚いた。
深雪君が鋭い視線を楓に向けていた。
見たことのない怒りを隠さない険しい表情に周りの女子達も驚いている。
どうしたのだ。
可愛い者同士が見つめ合うという素敵なシーンなのに!
睨まれている方の楓は優雅に微笑んでいるが……。
「ふふっ」
楓の楽しそうな声が聞こえた。
この状況で笑い声!?
どういうことだと両者に目を配っていたら、深雪君がこちらに向かってくる素振りを見せた。
来ちゃうのか!?
だったら僕が行く方がいい。
下に降りようとしたところで周りの女子が深雪君を引き留めた。
恐らく塾の時間が迫っているのだろう。
どうするか迷っている様子の深雪君だが、複雑そうな表情を僕に向けてから塾の方向へ去って行った。
良かった……何か大変なことが起こりそうで焦った……。
「あの子、アキラのこと好きだよね」
「まあ、兄として慕ってくれているけど……」
きちんと座り直し、コーラを飲んで一息ついた。
氷が溶けて味が薄くなっている。
不味いな。
「またそういうボケたこと言ってるの? わざとなの? 馬鹿なの?」
「ああ!?」
馬鹿とはなんだ!
小さい口で小動物のようにハンバーガーを食べる姿が可愛いから許してやるが、これがむさ苦しいおっさんだったらぶっ飛ばしているぞ。
「ま、お馬鹿なアキラが好きだし、ボクは助かるけど。ロリコンにならないでよ?」
「ロリコンって……お前も深雪君も見た目の印象はそんなに変わらないぞ」
「はあ!? ボクをあんな中学生と一緒にしないでくれる!?」
「いや、ほぼ一緒だって」
タイプは違うが可愛いレベルでいう同等、遙か高い位置で競っている。
「じゃああの子とボク、どっちが可愛い?」
「だからほぼ一緒だって」
「じゃあさ、金と銀どっちがいい?」
「……は?」
『金と銀、どちらが好きですか?』
この質問は……。
「どうしたの?」
「深雪君に同じ質問されたな、って」
「それでどう答えたの?」
「『折り紙だったら金ばっかり取ってた』って」
「ふうん?」
澄ました表情でブラックのホットコーヒーを飲み始めたが、どこか嬉しそうだ。
今の流れだと髪の色で表しているのかは分からないが、金は楓で銀は深雪君ということだよな?
深雪君が質問してきた時もそういう意味だったのか?
薄らと分かっていたけれど……考えないようにしてきたけれど……。
深雪君って……僕のことが好き、とか?
※※※
翌日の放課後。
楓は部活がある日だった。
『たまには見に来てよ!』と言われたが、それはまた今度で。
楓がテニスで汗を流しているところはさぞ輝いているだろう。
見てみたいとは思うが、今日は一人で過ごしたい。
今度見に行くと曖昧な約束をして校舎を出た。
先週まではここから深雪君の元に直行していたのだが……いつもと違うと調子が狂うなあ。
帰ったら何をしよう。
深雪君のことが気になるし、こっそり様子を見に行こうか……いや、ストーカーっぽいからやめよう。
「あき兄!」
深雪君のことばかり頭に浮かんでいたからか、幻聴まで聞こえるようになった。
それもやけにリアルな幻聴……って。
「深雪君?」
校門を抜けたところに深雪君が立っていた。
目が合うと控えめに手を振ってきた。
僕を待っていたようだ。
……どうしようかな。
嬉しい気持ちもあるが、半分は困惑している。
かといって通り過ぎるわけにはいかない。
深雪君の元へと歩み寄った。
「今日はあの人と一緒じゃないんですか?」
「ああ」
「じゃあ、おれと……」
「駄目だよ、約束しただろう?」
何を言われるか悟った瞬間、言い終えるのを待たず遮った。
笑顔で話していた深雪君だったが、駄目だと言った瞬間に笑顔は消えた。
……こういうのを見るのは辛いな。
でも、受験が終わるまでは邪魔をしないと決めているし、『好かれているかもしれない』という件についてゆっくり考えたい。
「じゃあね」
「あき兄! 待って!」
引き留めようとする手をさりげなく振り払いながら深雪君から離れた。
冷たい対応だったと思う。
深雪君を傷つけてしまったかもしれない。
でも、これで少し僕から離れて受験に集中してくれたらいいなと思う。
……僕は凄く寂しいけれど。
――その翌日も。
「……いた」
昨日と同じところに深雪君が立っているのが見えた。
今日も一緒に過ごすつもりはないが、面と向かって断るのは辛い。
こっそりと裏から抜けだした。
※※※
「そういえばさあ。アキラ、昨日学校に残ってたの?」
深雪君を避けた翌日。
一日の授業が終わり放課後になると、楓が帰る準備をして近づいてきた。
今日、部活はないらしい。
僕と一緒に帰るつもりなのだろう。
「すぐに帰ったけど?」
「あの中学生、ボクが帰るときに門のところに立ってたよ。アキラは帰ったはずだって言ったら帰ったけど」
「え?」
楓が帰る頃というと、僕が帰ってから一時間以上は……二時間近く経っているだろう。
一度電話の着信があったけど取らなかった。
連絡することは諦めてずっと待っていたのだろうか。
塾は行けたのだろうか。
夕方になると冷えてくるのに、体調は大丈夫だっただろうか。
言い表せないくらいに心配になってきた……どうしよう!?
そうだ、白兎さん!
『近づかない』を条件に、深雪君の様子を教えて貰おうと姿を探したのだが……いない。
午前中はいたはずだ。
白兎さんの近くの席の女子なら知っているかも?
「弟さんが入院したから早く帰るって言ったてたよ」
「!?」
質問に返ってきた言葉を聞いた瞬間、心臓が止まりそうになった。
入院!?
きっと昨日僕を待っていたことで体調を崩したんだ……!
「アキラ!? ちょっと、どこ行くの!?」
追いかけてこようとしていた楓を振り切り、校舎を出た。
目指すはあの病院だ。
掛かり付けの病院のようだったから、入院しているのもあの病院だろう。
走って行くと、病院にはすぐに辿り着くことが出来た。
乱れていた呼吸を落ち着かせながら受付で深雪君の名前を伝え、病室を聞いた。
やはりここに入院していたようだ。
「白兎さんがいたらどうしよう……」
エレベーターの中で考えた。
病室に白兎さんがいたら、きっと深雪君と話をさせて貰えないと思う。
入院するに至った原因を聞いていたら殴られるかもしれない。
なんとか穏便に話をさせて貰う方法はないものか。
エレベーターを降りても、結局何も良い案は浮かばなかった。
白兎さんがいたら頼んでみるしかない。
案内窓口で教えられた病室は個室だった。
番号だけで名前は書かれていないがこの部屋で間違いないはずだ。
「はあ……」
小さく息を吐いて、恐る恐る扉をノックした。
返事はなかったがゆっくりと扉を開き、中を覗いた。
「……あき兄!!」
天井、壁にシーツと全て白に統一された殺風景な病室。
ドンと置かれたベッドの上に深雪君の姿があった。
白兎さんはいない。
病室を覗いた瞬間に深雪君と目が合った。
『入っていい?』と聞くと、嬉しそうな笑顔で『はい!』と返事がきた。
可愛い……やっぱり深雪君は笑顔が似合う。
そこで見舞いのものを何も持たずに手ぶらで来てしまったことを思い出した。
失敗したな。
「入院しちゃいました」
ゆっくり近づくと、深雪君が苦笑いで呟いた。
横にあった椅子を借りて座り、僕も苦笑いで返した。
「大丈夫?」
大丈夫じゃないから入院しているんだよな、なんて思いながらも聞いてしまった。
顔色はそれ程悪くない。
平気なように見えるが今は落ち着いているだけかもしれない。
「……死んじゃいます」
「え?」
「大丈夫じゃないです。あき兄に会いたくて……勉強出来ません」
『死んじゃう』だなんて体はそんなに重篤な状態なのかと焦ったら、そっちの方かと力が抜けた。
いや、こっちはこっちで『勉強が出来ない』なんて、受験生としては重大な問題だ。
理由としとて言われたことも……
「昨日の放課後、校門のところで待っていてくれただろう?」
「……はい」
「ごめん。知っていたのに隠れて帰ったんだ」
告げた瞬間、深雪君は目を見開いたが直ぐに俯いてしまった。
ちらりと見える表情は、とてもショックを受けているように見える。
「……そんなにおれのことが嫌いですか?」
「そんなわけないだろ」
わざわざ嫌いな人の見舞いに来たりなんかしない。
そう伝えると顔を上げてくれたが、まだ不安げな顔をいている。
「……じゃあ……好き、ですか」
再び俯いてしまった深雪君がぽつりと零した。
覗くことの出来る表情はさっきとは違う。
不安げな様子は同じだが、憂う気配はない。
『好き』か。
どういう意味で? とは聞けない。
その先を聞かれたら、今度は僕の方が答えられなくなる。
単純に好きか嫌いかと聞かれたら、もちろん――。
「好きだよ」
言葉にした瞬間、深雪君の顔色が良くなったのが分かった。
耳まで赤くなっている。
それを見て、僕はどうしたらいいか分からなくなってしまった。
嫌な気分にはなっていない。
でも、深雪君が僕のことを意識していると今のではっきりと分かってしまった。
そうなのだろうとは思っていたけれど、改めて確認してしまったというか……。
それが分かった今、僕はどうしたらいいのだろう。
「もしかして……あき兄、おれの気持ちに気がついています?」
「……」
考え込んで何も話せずにいると、深雪君が何かを悟ったようだ。
……困ったな。
「迷惑ですか?」
「全然。迷惑じゃないから……どうしたらいいんだろうな」
年上なのに情けない。
こんなこと聞かれても困るだろう。
僕なら『自分で考えろ!』と頭突きを入れたくなるだろう。
「……おれ、『あき兄』って呼ぶのやめます」
「え?」
「だって、『お兄ちゃん』になって欲しいわけじゃないから」
はっきりしない態度の僕とは対照的に、深雪君は何かを決意したようだ。
真っ直ぐな視線を向けてくる。
「おれ、弟じゃないです」
そう言った深雪君の表情は凜々しかった。
僕を映している綺麗な瞳を見てドキリとした。
顔が熱くなりそうになり、慌てて目を反らすと深雪君の纏う空気も柔らかくなった。
「あきらって呼び捨てにするのはハードルが高いから……『あきらさん』に戻しますね」
そう言うと急に恥ずかしくなってきたのか布団に潜った。
頭まですっぽりとかぶり、布団の山が出来ている。
凜々しかった深雪君とのギャップに思わずクスリと笑ってしまった。
でも、今の深雪君は格好良かった。
……僕もしっかりしなきゃな。
「深雪君、僕は帰るよ」
布団の山をポンポンと叩き、話し掛けた。
すると布団の亀はすぐに頭を出した。
「もう帰っちゃうんですか!?」
「また来るから」
「いつですか?」
「それは……また今度な」
僕の中ではっきりと答えが出せたら、また深雪君に会いに来よう。
それがいつになるか分からないから、はっきりしたことは言えないが……。
曖昧な答えが気に入らなかったのか、深雪君は拗ねたように再び布団の中に潜ってしまった。
「必ず会いに来るから」
今度はベッドの縁に腰掛け、再びポンポンと布団を叩いた。
「……」
本格的に拗ねてしまったのか、深雪君は巣から出て来なかった。
でもそれも可愛くて可笑しかった。
『さあ、帰るか』と立ち上がりかけた、その時――。
バッと布団を捲り、深雪君が起き上がった。
急に動き出してどうしたのだと戸惑っている僕の元に深雪君の顔が近づいて来て……。
「……」
「必ず来てくださいね!」
頬に冷たい感触がした後、深雪君はまたすぐに布団亀になった。
……今、何をした。
柔らかい感触のした自分の頬を抑えた。
頬に唇が当たった――よな?
何をされたかが分かり、顔がカーッと熱くなった。
何だこの不意打ちは……!
深雪君が亀になっていて良かったかもしれない。
こんな顔を見られていたら……。
こっそり深呼吸をして、落ち着かなくなった胸の音を鎮めながら部屋を出ることにした。
スライド式のドアの取っ手を掴み、ゆっくり扉を開くと――。
「!!!!」
――パタン
それが見えた瞬間、僕はゆっくりと扉を戻して閉めた。
目の前の猛獣を刺激しないように、震える手で慎重に……。
完全に扉が閉まった……と思ったら開いた。
そして再び猛獣との邂逅。
牙を持った白い獣は、布団に潜っていてこちらに気がついていない深雪君に悟られないよう顎で僕に指示を出してきた。
『表に出ろ』と。




