深雪END①
白兎ルートから分岐します。
最初の方はほぼ同じなので、病院で見つかるところまで読み飛ばして頂いても大丈夫です。
家に入り、リビングのソファに腰掛けた。
肘掛に肘をつき、ついていないテレビの画面を暫く眺めていた。
目の前の画面は真っ黒なままだが、頭の中には色んな場面が映し出されている。
雛や楓、夏緋先輩の顔が順番に登場している。
「……はあ」
気がつくと溜め息をついていた。
疲れる。
色んな人に好意を向けてもらい、嬉しい。
なのにどうしてこんなに苦しいのか。
それは、多分僕が『申し訳ない』と思っているからだ。
考えれば考えるほど、僕は向けてくれた好意に見合うだけの好意を返すことが出来ない。
誰に対しても、だ。
僕にはまだ恋愛は早いらしい。
『好きだ』と言える人がいないのだ。
年齢的には恋愛に興味を持ち、『愛している』とは言えなくても、感じがいいと思える人と交際というものをしてみるのも有りなのかもしれないが、僕の性格上そういうのは無理だ。
それにそんな心構えで交際を始めても、相手に失礼だと思う。
だから断るしかないのだ。
それが辛い、気が滅入る。
でも勇気をだして想いを伝えてくれたのだから、返事をするぐらいしっかりやらないと。
「よし」
顔を両手でバシッと叩き、気合を入れた。
後日、それぞれに素直な気持ちを伝えて断ったがとても辛い時間だった。
納得してくれたかどうかは分からないが、自分の意思ははっきりと伝えることが出来た。
雛や楓、夏緋先輩と今まで通りの付き合いは出来ないかもしれないが、これで良かったと思う。
※※※
楓と二人で遊びに行くことが少なくなったと感じ始めた日のこと。
授業が終り、部活に向かう体操服姿の生徒の波をよけながら一人で校門を出た。
「あきらさん!」
「?」
何処からか呼ばれた気がした。
名前を言われたし、僕のことを呼んだと思うのだが誰だろう。
周りをぐるりと見回すと……いた!
電柱の影からひょこっと顔を覗かせたのは、中々面会許可が下りない『あの子』だった。
「深雪君!」
「あきらさーん!」
目が合うと電柱の後ろから姿を現し僕に飛びついて来た。
大きく手を広げてそれを受け止めた。
感動の再会だ。
「会いたかったです!」
そう言いながらぎゅっとしがみついてくる白兎王子は相変わらず儚くも美しく可愛かった。
余りにも愛らしくて、ハグをする腕にも力が入ってしまう。
やっぱりこの子、持って帰りたい!
「弟よ! 僕も会いたかったよ! 元気だった?」
「はい! 元気でした! えっと、兄さん? あ、あき兄……って呼んでいいですかっ」
体を離した後、モジモジ照れながらそう言われ爆発しそうになった。
なんだこれ、萌え殺される!
「いいに決まってるじゃないかー!」
思わず離れていた体を捕まえ、もう一度ハグしてしまった。
頬擦りしたい、久しぶりに愛娘に会った父のような気分だ。
目に入れても痛くない!
『えへへ』と照れていた深雪君だったが、何かを思い出したようで慌てて僕の腕を掴んで歩きだした。
「ここにいたら見つかっちゃうかもしれないから、場所を変えましょう!」
よく分からないがまだ話をしたいし、時間もあるので大人しく従うことにした。
十分程歩いた先にあった遊具がブランコと滑り台しかない小さな公園で、深雪君の足は止まった。
ここなら大丈夫だと呟き、一先ず二つあったブランコにそれぞれ腰掛けて並んだ。
「すいません、こんなところまで来てもらって。学校の近くだと姉さんが通るかもしれないから……。あき兄に会いたくて門で待っていたんですけど、姉さんに見つかると怒られそうだから」
「それは……僕に会うなとか言われてるから?」
「……はい。何故か理由は分からないんですけど……」
「はは……」
僕だって理由は分からない。
でも深雪君の害になると、ばい菌だと思われていることは確かだ。
あ、泣きそう。
「姉さんは何故か会うなって言うんですけど、おれはどうしても会いたくて……!」
「深雪君!」
なんて良い子なんだ、僕も会いたかった!
何度と無く面会申請をしたのだが、全て『却下』の門前払いで返された。
漸く念願が叶った。
「話したいし、遊びたいし……。何よりお礼が言いたかったんです!」
「お礼?」
「はい! 姉さんが鍛えなくなりました!」
そういえば深雪君に頼まれて鍛えないように説得したっけ。
そうか、あれから会えていなかったのか。
「お母さんが泣いていました。『愛美が普通の苺ミルクを飲んでる!』って」
お母さん……。
そりゃ可愛い娘が戦地を潜り抜けて来た戦士のように育ったら、思うところはいっぱいあっただろう。
心中お察しします。
良かったです、お力になれて!
本当に良かった!
「ちょっとずつですけど、本来の姉さんに戻ってくれている気がします。最近はよく母さんと料理をするようになったんです。前は『焼けた肉があればそれでいい』とか言っていたのに。料理する姿を見て父さんも、新聞を読む振りして隠していたけど……泣いていました」
お父さん……!
原始人から現代人に急進化したような奇跡に熱いものが込み上げる。
僕まで泣きそうだ。
「本っ当にありがとうございました!」
「大したことはしてないけど……でも、良かった!」
ブランコエリアは魔王が倒されて平和が訪れたような祝福オーラに包まれた。
「あき兄は凄いなあ」
感動の余韻に浸りながら、深雪君が呟いた。
「僕は何もしてないけど。頑張ってんのは白兎さんだし」
「姉さんも頑張っていますけど、でも違うんです。おれは人の心を動かすことが出来るあき兄が本当に凄いと思うんです」
本当にそう思ってくれているのだろう、キラキラとした目を向けられてむず痒くなってしまった。
「そ、そうかな」
でも、白兎さんを説得出来たのは痛いところをつくような狡いやり方だった。
素直に喜べないというか、申し訳ない気分だ。
「おれもあき兄みたいになりたいな」
「お勧め出来ないかな。深雪君のままの方がいい」
深雪君は可愛くて優しくて良い子で……絶対今のままの方がいい。
それにそんなことが白兎さんの耳に入ったら僕は消されてしまいそうだ。
「どうやったらなれますか?」
深雪君は真剣なようで、真面目にどうすればいいか考えている様子だ。
「ならなくっていいって」
気持ちは嬉しいが、白兎さんは冗談抜きで嫌がるだろう。
思わず苦笑いだ。
「まず、体が丈夫じゃなきゃ駄目ですね。鍛えます。姉さんがやらなくなった分、おれがやりま……」
「絶対やめて!」
言葉の途中だったが遮るように叫んでしまった。
囚われの王子の美貌が、筋肉と言う鎧で包まれて行く様を僕は見たくない。
儚いまま、硝子細工のように繊細なままでいて欲しい!
逞しいのもいいが、深雪君には似合わない!
「でも……」
「いきなり筋肉にいくより、まず体力つけるくらいから始めようよ。ジョギングとかどう?」
「……走ったら喘息の発作が出るんです」
「じゃあ、ウォーキングは?」
「それなら……」
なんとか深雪君のマッスル化は阻止出来たようだ。
ウォーキングでムッキムキになることはないだろう。
「じゃあ、僕もたまにつきあうよ」
「本当ですか?」
「うん。一人で歩くのもつまんないだろうし」
「やったー!」
嬉しそうにはしゃぐ姿が可愛い、癒される。
一緒にウォーキングすることでたまに会えるようになるのは嬉しい……って、駄目じゃん。
「ごめん、駄目だ。白兎さんに殺される」
面会許可が下りるわけが無い。
今日だって会っていたことがバレたら、どんなお叱りを受けるか。
多分、二度と会うなと言われるだろう。
それに白兎さんは再び鍛え始めてしまうだろう。
ご両親が涙を流して喜んだのに、それではあまりにも可哀想だ。
深雪君も僕と同じことを考えているようで、明るかった顔が一気に暗くなった。
「……なんで姉さんは駄目っていうんだろう」
「理由は分からないけど、でもきっと深雪君のためなんだと思うよ。……僕は寂しいけどね」
本当に僕の何が駄目なんだろう。
白兎さんと呼んでいるから?
桃色ツインテの子が僕のことが原因で白兎さんに嫌がらせをするから?
色々思い当たるが、もっと根本的な理由もあると思う。
単純に生理的に受け付けない、とか……?
ありえる、凄くありえる。
それだといくら頑張っても好きになってもらえそうにない。
辛い、今夜も泣き明かすしかない。
「あき兄……」
俯いて考え込んでいると、深雪君心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
おっといけない、こんな顔させちゃいけないな。
「ごめん、ちょっとぼうっとしてた。今度白兎さんに話して相談しておくよ」
絶対『却下』の二文字でバッサリ斬られてしまうだろうけど。
でも可能性は低いがゼロではない。
条件有りでも許してもらえることもあるかもしれない。
明日の朝、さっそく聞いてみようと考えていると、隣のブランコで揺れていた深雪君が突如立ち上がった。
「……姉さんには内緒にしましょう!」
決意したように凛々しい表情をこちらに向けて宣言した。
目が真剣だ。
きっと僕のことを気遣ってそう言ってくれたのだと思うが……。
「それは良くないんじゃないか?」
「良いんです! だって、あき兄に会ったら駄目なことがあるなんて思えないし……ううん、あるはず絶対無いです! 姉さんが何かきっと勘違いしているんです。体が丈夫になったおれを見たら、きっと間違いだったって気がついてくれます! だから……駄目ですか?」
シュンと耳が垂れた子犬のように見える。
いや、耳の垂れた白兎か。
ああ……そんな目で見られたら……僕は……僕は……!
「ぜっ……全然いいし!」
……ごめん、白兎さん。
囚われの王子に潤んだ瞳で懇願されたら、僕はノーと言えない!
言えるわけが無い、無理だ!
大体僕がばい菌扱いされる意味も分からないし、ウォーキングに付き合うくらいなら……。
約束をやぶってしまうという罪悪感を持ちつつも、深雪君と仲良くなりたいという誘惑に負けてしまったのだった。
※※※
それから僕は、放課後に深雪君のウォーキングに付き合うようになった。
朝は毎日一人で歩いているそうだ。
深雪君の体調は良いようで、『体力がついてきた気がする!』と喜んでいる。
確かに顔色もよくて元気になってきたと思う。
ウォーキング以外にも深雪君は受験生と言うことで、勉強を教えてあげることもあった。
運動後に公園で参考書を広げたり、図書館に寄って勉強をしたり、電話で教えてあげることもあった。
白兎さんは僕と深雪君が仲良くなっていることに気がついていない様子だった。
ただ一度『複数の友人から受けた告白を全て断る』なんてことがあったか、と質問さてたことがあった。
何故そんなことを知っているのかと焦ったが、よく考えたら手紙を貰っているところを見られていることを思い出した。
でも、あまりこういうことを人に話すのは気にはならない。
『複数なんて、そんなにモテてないし』と濁しつつ返事をしたが、凄く難しい顔をしていた。
なんだったのだろう。
まあ、バレてはいないので大丈夫だろう。
そんな日常を送っていた、ある日――。
今日はウォーキングをする予定の日だったが、深雪君は病院に薬を貰いに行く日でもあった。
僕も付き合い、待ち時間を勉強で潰していた。
深雪君自作のリングで綴じた英単語カードを捲って僕が出題、深雪君が答える。
たまに覚えるコツなんかを挟みながら繰り返していると、一時間程あった待ち時間もあっという間だった。
「あき兄と勉強していたら時間が経つのが早いなあ」
「それだけ、深雪君が集中してるってことだよ」
深雪君は理解も早いし、問題が解けると可愛く喜んでくれるので教えていても楽しい。
幸せだ。
深雪君の家庭教師を定職にすることが出来たら、幸せな人生を送れること間違い無しだ。
「あき兄の顔ばかり見てるから、集中……出来てないんだけどなあ」
「ん?」
「な、なんでもないです」
処方箋を受け取り、病院を出ようと通りがかったロビー。
総合病院ということもあり、人の姿は多い。
ザワザワと忙しない音が一帯に広がっていた。
そこで、とうとう……。
前方から漂う、肌を切るような殺気。
周囲の喧騒から分離してコツコツと耳に響く足音。
視界に入る憤怒と闘志を纏った鍛え抜かれた肉体。
まるでラスボスのお出ましである。
……ああ、この時が来てしまった。
「ね、姉さん……」
「うわあ……」
僕らの足も自然と数歩後ろに下がった。
そして、目が合った瞬間に悟った。
どうやら今日が僕の命日らしい。
思い残すことが……沢山あるぞ。
「深雪君、合格したら僕の墓に報告に来てくれるかい?」
「な、何言ってるんですか! 大丈夫です、おれがなんとかしますから!」
「深雪君!!」
自分よりも小さくて華奢なこの背中が逞しく見える。
勇者に守って貰う姫の気分だ。
守り抜いて貰った暁には嫁ぐしかないな。
って、そんなことを悠長に考えている場合ではなかった。
僕を庇うように深雪君が前に出たことにより、殺気が更に増していた。
「天地君……どういうこと?」
怒りを必死に抑えた、静かな声が耳に届いた。
「……ごめん」
もう謝るしかない。
自分が深雪君に害を及ぼしているとは思っていないが、白兎さんが嫌だという事をやってしまったし、約束を破ってしまったのだから。
僕が百パーセント悪い。
「深雪、帰ろう。もう二度と深雪に近づかないで」
深雪君には悲しみを抑えたような視線を向け、僕には射殺すような視線を寄越してくる。
この違い……まあ、そうだろうけどね!
悲しいが、もうこの扱いを受けることには異論はない。
分かっていますとも!
これ以上白兎さんを怒らせないように大人しく引き下がろうとした僕だったが、深雪君は違った。
「あき兄は悪くない!」
僕の腕に捕まって、『帰らない』というのを主張しながら反論を開始した。
「姉さんが何か勘違いしているんだよ! あき兄は良い人だよ? 何が悪……」
「深雪は黙ってなさい!」
深雪君の言葉を、白兎さんの鋭い声が遮った。
その声は空気をピリッとさせながら響き、ロビーにいた人の視線を集めることになった。
あれだけ騒がしかった場が静まり、まるで時間が停止ししてしまったようだ。
気まずい……!
「ちょっと、ここ病院だから!」
白兎姉弟の間に入り、とりあえず外に出るよう促した。
だが二人は動かない。
深雪君の目が鋭くなった。
「やっぱり……聞いてもくれないじゃないか。意味分かんない。……あき兄、行こう!」
「駄目よ!」
「離して!」
「いいから来なさい!」
僕から深雪君を引き離し、腕を引いて病院を出ようとしているが深雪君が抵抗している。
無理矢理力尽くで連れて行こうとしているため、白兎さんの手に力が入っている。
握られている深雪君の白い腕が赤くなっているのが見えた。
心配だ。
一旦深雪君を放して貰おうと二人に手を伸ばした。
「深雪君が痛そう……」
「触るな!」
手が届く前に白兎さんに突き飛ばされた。
「痛ッ」
「あき兄!!」
その力は強く、僕は後ろに倒れそうになった。
なんとか転ばずに耐えることは出来たが、押された肩が痛んだ。
痛みは大したことはない。
でも、こんな突き飛ばされ方をされてしまうほど嫌われているのだと思うと……心の方が痛い。
悲しくて俯いてしまった
「姉さん! あき兄にどうしてそんな酷いことをするんだっ!」
いけない、肩を落とした僕の様子を見て深雪君が白兎さんに抗議を始めてしまった。
普段の深雪君から想像出来ない剣幕で怒り、掴み掛かろうとしている。
「いいから行くわよ」
深雪君の反抗は白兎さんには通じないようだ。
深雪君の手首を掴み直し、あっさりと進み始めた。
「姉さん! 放して! このっ、分からず屋! 放せ……ごほっ、うっ」
「深雪!?」
「深雪君!?」
興奮しすぎたのか深雪君が咳き込み始めた。
大丈夫!?
掛け寄ろうとしたのだが……。
「……」
「!」
白兎さんの鋭い視線に足を縫い止められてしまった。
動けない。
此処は病院だし、白兎さんがいるから大丈夫だと思うが……。
「僕だって……心配くらいさせてくれたっていいじゃないか……」
思わず白兎に向けて愚痴った。
僕には治すことは出来ないけれど、深雪君の力になれることがあるかもしれない。
歩くのが辛いなら背負っていくことくらいは出来る。
「あき兄……」
僕の呟きは白兎さんの耳に届いたのか分からない。
深雪君は苦しそうにしながらも僕に目を向けてくれた。
「今は休むことが先よ。早く帰るわよ」
僕を気にしている深雪君の妨害をするように割って入り、強引に彼を背に背負うと白兎さんは病院を出て行った。
発作が出たのか、白兎さんに抵抗出来ない深雪君は背中で悔しそうな表情をしていた。
ロビーで注目されていたこの状況で僕は置いてきぼりにされてしまった。
無言で立ち尽くすしかない。
「はあ……僕も帰るか」
泣きたい気分だが、いつまでもここに居るわけにはいかない。
まだちらちらと視線を感じるし居心地が悪い。
足が鉛のように重たいが気力を振り絞って前に出し、家路を急いだ。
※※※
「はあ……情けない」
白兎さんに突き飛ばされた時の精神的ダメージが回復しない。
こんなに凹むなんて、思っていたよりも自分のメンタルは弱かったようだ。
「悲しい……」
何が原因でこんなに嫌われてしまったのか本当に分からない。
それさえ解明出来れば謝罪するなり、改善していくなり前に進めるのだが……。
聞いても答えて貰えないことも分かっている。
読心術を会得出来ないかなあ。
「……ん?」
ソファで横になり鬱々としている間に寝そうなっていたが、インターホンの音で覚醒した。
「もう……誰だよ」
折角嫌なことも忘れて気持ちよく眠れそうだったのに。
愚痴を零しながら玄関に向かい、扉を開けた。
そこにいたのは――。
「あき兄!」
「深雪君!?」
玄関の扉がいつの間に異世界への扉になっていたようだ。
銀髪の儚げ王子様が現れたではないか。
大きな荷物を持って、まるで他国に亡命するかの様……って。
「そんな大きな荷物を持ってどうしたの?」
大きな黒い旅行鞄は、超能力のない超能力者な芸人さんが入っている鞄に似ている。
修学旅行にでも行くのだろうか。
「家出してきました」
「そうか、家出か……って家出!?」
「あんな分からず屋がいる家にはいたくありません。あの……行くところがなくて……」
病院から帰ってから、家でも姉弟喧嘩は続いたのだろうか。
「とりあえず中に入って」
深雪君の体調も心配だし、いつまでも立たせているわけにはいかない。
重そうな荷物を運んであげようと奪い取ると、思っていたよりも重かった。
本当にあの芸人さんが入っていそうだ。
※※※
深雪君をリビングに案内した。
ソファに掛けて貰い、一先ず落ち着いて貰うために麦茶を出した。
「あき兄、姉さんがひどいことをしてごめんなさい」
両手でグラスを持ち、ちびちびと麦茶を飲み始めた深雪君が小さな声で呟いた。
辛そうに顔を歪めて俯いている。
さっきまでは凹んでいたけれど、今はおかげさまで大丈夫ですよ。
汚兄さんはその麦茶が実はウーロンハイで、間違って飲んでしまった深雪君が帰ってきた兄と素敵な関係になってしまう妄想を出来るくらいには元気になりましたから。
「深雪君が謝ることじゃないよ」
「でも、あの時あき兄の悲しそうな顔が見えて……苦しかった。ごめんなさい……」
「いいんだって」
あの時も僕のために怒ってくれたし、気遣ってくれるのは嬉しいが深雪君が暗い顔をしているのは嫌だ。
『本当に気にしないで良いんだよ』という想いを込めて頭をワシャワシャと乱暴に撫でた。
これをするといつも深雪君は『えへへ』とにっこり笑ってくれるのだが……今日は違った。
「ん?」
深雪君の頭を撫でてい手をギュッと掴まれてしまった。
『嫌だったのかな』と焦ったが、そういうわけではなさそうだ。
ギュッと掴んだまま放してくれない。
「深雪君? どうしたの?」
「……おれのこと、心配したいって言ってくれて嬉しかったです」
心配?
ああ、白兎さんに『心配ぐらいさせてくれ』と言ったあれか。
「だって本当に心配だし、力になれることがあるなら何でもしたかったし。まあ、何も出来なかったけどね」
「そんなことないです! 薬で発作は抑えられるけど、気持ちはどうにもなりません。あき兄には心の元気を貰いました!」
「深雪君……」
なんて良い子なのだろう!
こんなピュアな子をこの薄汚れた脳内に出演させてしまったなんて……僕はなんてなんということをしてしまったのだ。
罰が当たりそうだ。
「体調は大丈夫なのか?」
「はい、ばっちり薬を飲んできました!」
「そっか」
確かに顔色も良いし、元気そうに見える。
「じゃあ……今日は泊まっていく?」
明日は土曜日だ
学校の心配はないし、家に帰らないつもりの深雪君を放り出すわけにはいかない。
こんな子が夜中にフラフラ歩いていると危ない。
猛獣の中に餌を放り込むようなものだ。
「いいんですか!?」
「いいけど、おうちの人にはちゃんと連絡すること!」
「……はい。母さんに連絡しておきます。あき兄のところだと言うと姉さんが煩そうだから、友達のところだって言っておきます」
確かに僕のところにお泊まりだなんて、迷彩服にバズーカを背負った白兎さんが乗り込んできそうだ。
この家は一瞬で廃墟になるだろう。
「あ、塾は大丈夫?」
「明日はお休みです! 一応勉強は出来るように参考書とか持ってきました。あき兄、後で一緒に……」
「うん、一緒に勉強しようか」
「やったあ!」
言い止まったところで上目遣いのおねだりだなんて、どこでそんな技を覚えたのだろう。
持って生まれたスキルだとしたら恐ろしい。
成功確率は百パーセント。
断れる奴がいるなら、そいつは頭がおかしい。
天使の微笑みを見ていると『養いたい』という衝動が湧いてくる。
勉強なんてしなくていいよ、そこに存在しているだけでいい! と言いたくなる。
「ただいま。お客さん?」
深雪君の溢れる癒やしに浸っていると玄関から声がした。
どうやら兄が帰ってきたようだ。
ガシャガシャとナイロン袋の音がしている。
買い物をして帰ってきたようだ。
「兄ちゃんおかえりー」
リビングに姿を見せた兄が深雪君を見た。
「あの、お邪魔しています!」
兄の視線を受けた深雪君は勢いよく立ち上がり、いつものサラリーマンもびっくりな綺麗なお辞儀で挨拶をした。
知らない人の登場に緊張しているのか動きが硬い。
「はい。ゆっくりしていってね。しっかりしていて偉いね」
兄の菩薩の笑みを向けられ、深雪君の顔がカーッと赤くなった。
お? これは何かのフラグが立った的な!?
さっきのウーロンハイの妄想がリアルになるか!?
でもごめんね、深雪君。
兄には素敵な彼氏がいるんだ。
「お兄さんとあき兄、そっくりですね! 吃驚しちゃいました!」
服の袖を摘まんで呼ばれ、こっそりと囁いてきた。
突然の袖摘まみ攻撃に胸にズキュンとダメージが入ったわけだが、平静を装って返事をした。
「顔だけはね」
すぐに深雪君も理解するだろう。
いつも中身は似てないとガッカリされるオチがつく。
「深雪君、長男だよ。兄ちゃん、僕の弟の三男だよ」
「可愛い子だね。どこで見つけて来たんだ?」
「秘密」
僕と兄に視線を向けられ、恥ずかしそうにしている姿も可愛い。
はにかみながら兄に向けて始めた自己紹介を見守った。
「あ、そうだ。晩ご飯!」
深雪君の一生懸命な自己紹介を微笑ましそうに聞いていた兄だったが、突然大きな声を出した。
そうだ、ご飯のことを兄に伝えることが出来ていなかった。
兄が冷蔵庫の中身を確認している。
「焼き肉にしようと思っていたんだけど、三人分にしては少ないからカレーにしていい?」
「いいよ。深雪君はカレーでも大丈夫?」
「はい! 大好きです!」
焼き肉も食べたかったがカレーもいい。
いつも美味しい兄のカレーが、深雪君も一緒だと更に美味しくなりそうだ。
「良かった。じゃあ直ぐに支度するから。出来たら呼ぶから遊んでいてね」
「あ! おれ、手伝います!」
「そう? じゃあ、お願いしようかな」
そう言う兄の視線は僕に向けられている。
「僕は食べる係で」
「……そういうと思ったけどね」
『使えない次男だ』、そう思っているに違いない。
「大丈夫! おれがあき兄の分も頑張ります!」
「うっ!」
気持ちは嬉しいが、罪悪感が……!
団子の兄弟の歌を思い出した。
そうです、僕が『自分が一番次男』です。
「手が掛かる弟じゃなくて、こんな可愛い弟が欲しいよ」
「僕だってキュートだろう」
「はいはい」
僕のことを軽く流しながら深雪君にエプロンを着けてあげている兄と、照れながらもされるがままになっている深雪君を見ていると新婚カップルに見えてきた。
何とは言いませんが、今からここで始めても構いませんよ?
良くあるシチュエーションだ。
そのエプロンだけ着ていれば、余計な着衣はいらないんじゃないですかねえ。
「ん?」
優雅にソファに座って妄想を楽しんでいるとインターホンが鳴った。
「僕が行くよ」
兄が向かおうとしたが料理中だし、自分が一番次男もこれくらいはしなければ。
何か荷物が届いたのだろうか。
誰が来たのか確認せずに開けた扉の向こうにいたのは意外な人物だった。
天使のような黄金の髪が見えた瞬間に固まりそうになった。
「……楓?」
「来ちゃった」
そう言って笑った笑みはどこかぎこちなかった。
僕も少し気まずいような、愛想笑いを返した。
楓の想いに応えられないと伝えてから、僕達は少しギクシャクしている
そう思っているのは僕だけかもしれないが……。
「近くまで来たから。ちょっと遊びに。駄目だった?」
「いや、いいけど……。今お客さんっていうか、遊びに来ている子がいるからさ」
戸惑っている僕を見て歓迎されていないと思ったのか、楓の表情が曇った。
楓が来て困るということはないが面識のない深雪君がいる。
何より学校の外で楓とどういう距離感でいたらいいのか悩む。
「遊びに来てるって……あの子?」
「あの子? ああ、雛か? 違う違う」
「そっか」
雛が来ているのは嫌だったのだろうか。
違うと伝えると安心したように微笑んだ。
「……ちょっとだけでも話せない?」
「え?」
遠慮しているような小さな声だった。
何か大事な話があるのかもしれない。
『嫌な予感』なんて言ってしまうのは悪いが、話し辛い話かな。
「……分かった」
追い返すわけにもいかないし、大事な話ならちゃんとしなければいけない。
キッチンには兄達がいるので、僕の部屋で話すことにしよう。
楓には先に行って貰い、兄達に暫く二階にいることを伝えた。
「兄ちゃん、楓が来たからちょっと上で話してくる」
「分かった。いっぱいあるから楓もカレー食べていかないかな?」
「……いや。多分そんなに長居はしないから」
「そう?」
誘えば食べて行くかもしれない。
でも四人でカレーを食べるには少し抵抗がある。
まずは話をしてからだ。
それから誘える雰囲気だったら声を掛けてみよう。
「深雪君ごめん、ちょっと席を外すけど」
「……はい」
少し不安げな顔をしていたが、兄がいるから大丈夫だろう。
楓が待っている二階へ急いだ。
「で、話しって……楓」
部屋の中に入り、扉を閉めた瞬間に楓が背中にしがみついてきた。
「今の状態が嫌なんだ。凄く嫌」
背後から聞こえる小さな声は苦しそうだ。
僕のシャツを握りしめている手に力が入っていることも分かる。
「アキラはボクのことを『友達』だって言ったけど、今は友達ですらいられないじゃん」
「そんなことはな……」
「あるよ! だってアキラ、ボクから離れたがってるじゃん! 態度は余所余所しいしさ!」
「それは……」
楓のことが嫌いになったわけじゃ無い。
ただ、前と同じ距離感でいていいのかとか、期待をさせてしまうようなことはしちゃいけないとか、色々考えてしまって……。
ベタベタするのは避けようと一歩下がったり、笑いかけられても苦笑いで返してしまっている。
「友達でもいいから、前みたいに普通にしてよ! ボクの気持ちは……自分で処理するから。アキラは何も考えないで普通にしていて」
顔を見ることは出来ないが泣いているのかもしれない。
僕の余計な気を遣った態度が、楓を傷つけてしまっていたようだ。
そうだな、楓は僕よりしっかりしている。
僕があれこれ頭を悩ます必要はなかったのかもしれない。
「放課後とかすぐいなくなるじゃん」
「それは……」
深雪君と会うためにすぐに帰っていたから関係ない、と思ったが……。
確かに楓を避けるための理由にしてところもある。
「また一緒に遊びに行こう?」
「……そうだな」
僕も楓とギクシャクしているのは嫌だ。
「僕なりに色々考えてさ、ああいう態度になっちゃってたんだけど……間違ってた。ごめん。普通にするっていうか、余計なことは考えないようにする。でも……友達としか思えないというのは変わらないから」
「それでいいよ」
楓が背中から離れたので振り返ると、少し腫れた目で苦笑いを浮かべていた。
嬉しそうな笑みではないが、すっきりとしていた。
僕も胸の中にずっとあったモヤモヤも晴れた。
「ごめん、急に来てこんなこと言って」
「いや、良かったよ」
笑って返すと、今度は屈託の無い笑顔を見ることが出来た。
「じゃあ帰る。今度の放課後、何処かに行こうね!」
「そうだな」
「約束だからね!」
「って、おい!」
元気になった途端、正面から抱きつかれた。
ギュッとしがみついて嬉しそうに笑っている。
「こういうのはやめろって!」
「自分の気持ちをどう処理するかはボクの自由だもんね~」
「お前なあ! ……ったく」
困った奴だと引き離したが、こういうやりとりも久しぶりで和んでしまった。
「あ、そうだ。カレー食べていかないか?」
「え! 食べたい! ……けど今日は帰って食べるって言ってあるから。また今度来る!」
「そっか」
結局部屋の扉の前でずっと話してしまった。
座ることもく、このまま楓は帰るようだ。
「じゃあね。学校で……。……」
「ん?」
扉を開けていた楓の手が止まった。
視線は前に向けられている。
どうしたのだと後ろから覗き込むと……あ。
「深雪君?」
「……誰? この子」
いつから居たのだろう。
ジュースとお菓子を持った深雪君が立っていた。
「……」
「……っ」
顔を顰めている楓と狼狽えている深雪君。
美少年同士の邂逅だ。
はっ!
この組み合わせだと、総受けだった楓が攻めになる!?
いや、どっちもいいぞ……!!
……じゃなくて、腐っている場合じゃない。
楓が不穏な空気を漂わせている。
「えっと……僕の弟で、白兎さんの弟なんだ」
「はあ?」
ピリッとした空気を誤魔化すように言ったが睨まれてしまった。
ああでも、この感じも久しぶりでちょっと嬉しい。
とうとう僕はM属性までついてしまったか。
「盗み聞きとか趣味悪い」
「楓!」
喧嘩を売るような態度でそう吐き捨てると、深雪君の横を通り過ぎて楓は去って行った。
「す、すみません! あの、おやつを持って来て……」
楓が階段を降りていく姿を見送ると、深雪君が慌ててお辞儀をした。
その瞬間に手にしていたジュースやお菓子が落ちた。
「いや、持って来てくれたのにごめんな」
「……あ、いえ。おれの方こそ、ごめんなさい……」
落ちた物を拾って話し掛けたが、様子がおかしい。
楓にあんなことを言われてショックだったのか。
もしくは……。
「聞こえてた?」
「えっと……今来たところなので……」
「そっか」
聞いたのかどうかハッキリ分からないが、そこを確認する必要もないか。
聞かれていたのなら恥ずかしいが……考えないようにしよう。
※※※
兄と深雪君特製の肉たっぷりカレーは美味しかった。
いつの間にか深雪君の表情も明るくなっていたし、三人で囲む食卓は楽しかった。
今は僕の部屋で勉強会をしている。
あの黒い大きな鞄の中には分厚い参考書と問題集が入っていた。
これが重かったのか。
あの芸人さんでは無かったか。
深雪君には僕の勉強机を使って貰った。
僕は折りたたみの椅子を出してきて横に座り、問題を解いているところをジーッと見ていたのだが『緊張する』と言われたのでベッドに座って漫画を読むことにした。
「……。あの人は……。……綺麗な人だったな」
「ん? 分からないところがあった?」
「え!? あ、はい! そうなんです! ここで……」
分からないところがあると呼ばれて解説をする、ということを繰り返しているうちに一時間ほど経った。
「お風呂、順番に入ってね!」
「はーい」
兄が階段の下から声を掛けてきた。
大きな声で返事をすると、深雪君もペンを置いて背伸びをした。
「風呂だって。先に入る?」
「おれはどちらでも」
「んー、じゃあ一緒に入る?」
「え? ええええええ!? わああっ!」
「!? 大丈夫!?」
少しふざけたのだが、深雪君は異常に驚いたようで椅子ごと転びそうになった。
慌てて椅子を支え、転ばずにはすんだが……そんなに吃驚しなくても!
もしかして……やっぱり楓との会話を聞かれてしまっていたのだろうか。
BLな話をしていた僕から風呂に誘われたから過剰に反応してしまった、とか?
「冗談だから。安心して」
「あっ、はい! 冗談か……そっか……」
結局風呂は僕が先に行くことにした。
お客さんに一番風呂を譲りたかったが、深雪君はもう少し問題を解きたいらしい。
それならばと先に行ったのだが……風呂に入って部屋に戻った時に、問題集のページが進んでいなかったのは気のせいだろうか。
風呂に入って部屋に戻ってきた深雪君は、水色のパジャマを着ていた。
無地のシンプルなものだったが、ちゃんとしたパジャマを着ているというのがいい……凄く良い!
髪も濡れていて、幼さの残る美少年の色気が出ている。
とりあえず写真撮っていいですか?
可能であれば動画もお願いします。
「っくしゅん」
「大丈夫? 寒い?」
「大丈夫です」
腐った目で深雪君を見ていると湯冷めをしたのかくしゃみをした。
可愛かった……今のを録画したかった!
……じゃなくて、風邪を引いたら大変だ。
「髪、乾かそうか」
自分はドライヤーなんて面倒だから、専ら自然乾燥派なのだが深雪君は乾かした方が良い。
あの綺麗な銀髪のキューティクルが痛んでも大変だ。
急いで一階からドライヤーを取ってきた。
「はい、座って。乾かしてあげる」
「え? あ、はい!」
やったぜ、断られるかと思ったが乾かしてもいいらしい。
子供の頃は兄に乾かして貰っていたのを思い出して、自分もお兄ちゃんぶってみたくなったのだ。
それにあの綺麗な髪に触り放題だなんて贅沢だ!
ベッドの縁に座って貰い、ドライヤーを始めた。
深雪君は少し緊張しているのか、背筋がピンと伸びている。
「熱かったら言ってね。綺麗な髪だなあ」
高級な糸というか、艶がある上に柔らかい髪で触っていると気持ちいい。
素材が良いので乾くのも早そうだが、すぐに終わっては勿体ない。
こんな最高のご褒美タイム、滅多に味わうことが出来ない。
出来るだけ長引かせてやろうと画策したが……やはりそう時間は掛からなかった。
あっという間に終わってしまった。
素敵な時間は流れが速い。
「……ありがとうございました」
乾かしている間何も言わずジッと待っていた深雪君が俯いたまま呟いた。
嫌だったのかな?
顔を覗いたら反らされた。
怒った!? と焦ったが……あれ、耳が赤い?
照れているのか?
あ……僕だって兄にして貰ったのは子供の頃だし、この歳でされるのは恥ずかしかったかもしれない。
「あき兄は乾かさないんですか?」
「ん? 僕? 面倒だからしないよ」
「……じゃあ、おれが乾かしちゃ駄目ですか?」
「え?」
恥ずかしい思いをさせてごめんと謝ろうとしたところで、まさかな申し出だ。
これは『恥ずかしい』の仕返しか?
乾かさなくてもいいので断ろうかと思ったが、自分はしておいて相手の時は断るというわけにはいかないか。
まあ、別に僕は恥ずかしくはない。
「いいよ」
「! じゃあ、場所を代わってください!」
僕が今いる場所だとコンセントが届かない。
深雪君とポジションチェンジだ。
「失礼しますっ」
ドライヤーのスイッチを入れ、遠慮がちに僕の髪に触りながら乾かし始めた。
もっとワサワサッと雑にやってくれても構わないのに。
まだ禿げていないので大丈夫ですよ。
「あき兄の髪の方が綺麗だ」
「ええ? それはないなあ」
ドライヤーの音で聞き取り辛いが、微かに耳に入った呟きを否定した。
誰がどう見ても深雪君の銀糸の髪の美しさには叶わない。
比べるのもおこがましいくらいだ。
「……あの人の髪も綺麗だったな」
「ん?」
「! 何でもないですっ」
今度はドライヤーの音にかき消されてしまって聞こえなかった。
「あき兄」
「ん?」
「金色と銀色、どっちが好きですか?」
「え?」
突然の謎質問、どうしたのだろう。
ドライヤーをしているから、美容師の真似をしてトークを盛り上げていようとしているのだろうか。
サービス精神が素晴らしい。
「どっちってないけど、子供の頃の折り紙でいうと金を取ってたかな」
「……どうしてですか」
「んー、何となく?」
「……そうですか」
金の方がレア感があるというか、メダルでも金メダルの方が価値がある。
色が好き、というわけでは無いがいつも金を取っていた記憶がある。
「終わりました」
「気持ちよかった、ありがとう!」
髪を切りに行った時も思うが、人に触って貰うのは心地良い。
眠ってしまいそうになる。
そんなことを考えていると本当に眠くなってきた。
時計を見ると、十二時を過ぎていた。
いつもの金曜日ならもっと夜更かしをするのだが、今日は深雪君がいる。
遅くなると体調を崩すかもしれない。
そろそろ寝ようかと話し掛けた。
布団は僕のベッドに並べて床に敷けるよう、一式を兄が届けてくれていた。
ベッドは深雪君に譲って、自分が下で寝ようと考えながら準備をしていると、立ったまま妙に真剣な顔をしていた深雪君が声を掛けてきた。
「あの、あき兄!」
「ん?」
「あの……い、一緒に寝ちゃ駄目ですか!」
「え?」
一緒に? 布団を敷いたのに?
というか、深雪君と添い寝だなんてよからぬ妄想が爆発しそうで恐ろしい。
全力で回避したいような、是非とも土下座でお願いしたいような両極端な感情が湧く。
どうして一緒に寝たいんだろう。
何か怖いことがあったのだろうか?
……ちょっと待って。
兄を連れて来ればいいんじゃないか?
二人で僕のベッドをお使い頂ければ最高なのではないでしょうか!
「だ、駄目ですか?」
黙ってしまった僕を見て焦ったようだ。
あ、ごめん、腐世界に飛んでいました。
「いいけど……狭くない?」
「おれは大丈夫です! えっと……そうだ……お兄ちゃんと一緒に寝るっていいな、と思って……」
「!」
お兄ちゃんと!
そう言われてしまうと弱い。
僕も兄と一緒に寝て欲しいとよく頼んだものだ。
もちろん大きくなってからはない。
兄の体は春兄のものだ。
腐世界で色々と登場して頂いているが、リアルでは春兄だけのものだ。
「甘えん坊だなあ。んじゃあ、深雪君は壁際の方で。僕は手前で寝るから」
「! やったっ」
寝相は悪くないが、狭くてベッドから落ちるかもしれない。
布団はこのまま敷いておこう。
歯磨きを済ませて部屋に戻ると、先に戻っていた深雪君はすで布団に潜っていた。
顔を少し出して恥ずかしそうにこちらを見ている。
「……」
あれ……僕達初夜なのか?
そう言いたくなる空間だ。
この後電気を消してあの隣に寝ると思うと、何かイケナイことをしている気分になってきた。
兄ちゃんに見られたら恥ずかしいな……鍵をかけておくか?
いや、鍵なんかしてしまったら余計にそれっぽい。
駄目だ、考えすぎる余計に変な方向に考えてしまう。
何も考えずスッと寝よう。
「じゃあ、電気消すから」
「はい」
……。
電気を消すという台詞もそれっぽい。
だから、考えては駄目だって!
真っ暗になり、周りが見えなくなったので手探りをしながら深雪君の横に転がった。
……やっぱり狭い。
目がまだ暗闇に慣れていないからか、深雪君の姿は見えないが体温は感じる。
背中を向けるのは避けているような態度になるかと気を遣い、仰向けに寝転がったが……深雪君は恐らくこちらを向いている。
「あき兄」
「ん?」
「あき兄の髪とおれの髪、今一緒の匂いがしますね」
「同じシャンプー使ったからな」
「はい」
頭が近いから匂いがしたのだろうか。
『匂い』なんて言われるとドキッとしてしまうが、深雪君の声色は楽しそうな無邪気な声だった。
……変に意識したら駄目だよな。
やっぱり僕は性根から汚れ、腐っている。
可愛い弟が甘えてきているのだと思うと、それまでの邪念は一気に消えた。
消えると……眠たくなってきた。
緊張して寝られないんじゃないかと思っていたが、近くに人の温もりがあるのは思いの外落ち着く。
ああ、もう……これ……寝るな。
美少年との添い寝を堪能しないまま寝るのは勿体ないが眠気に勝てそうにない。
「……あき兄、これからも放課後はおれのところに来てくださいね」
「んー……」
放課後?
ウォーキングは続けるし、勉強だってまだ見てあげるつもりだ。
なんとか返事はしたが……もう無理だ。
あ、でも、楓と遊びに行かないとな。
なんてことを思い出しながら、僕は夢の国に旅立った。
「……あの人には渡さない」




